『戦争はラジオにのって-1941年12月8日の思想-』
桜本富雄・著/マルジュ社1985年、1986年2刷
ラジオ放送だけに限らず、いろいろなことが書かれてありました。
「帝国国策遂行要領」について書かれてありました。
ラジオについて。下「」引用。
「東京中央放送局、大阪中央放送局、名古屋中央放送局の三局は、第一・第二と二つの放送を行なっていたから、四六種の国内ラジオ電波が流れていたのである。海外放送は、午前三時五五分から「愛国行進曲」で始まり翌朝午前三時三○分「君が代」で終了した。放送述べ時間二三時間余、一六種類のことばが使用された。」
--「ニュース歌謡」というのがあったようだ。下「」引用。
「ニュース歌謡
「宣戦布告! 野村俊夫作詞・古関裕而作曲
敵は米英 宣戦の
大君の詔勅 今下る
五千-略-」
「ニュース歌謡
太平洋の凱歌 日本詩曲協連歌 作詞
一、さかまく怒濤
-略-」
「ニュース歌謡
届け 銃後のこの感謝 勝承夫作詞・飯田信夫作曲
勝つた勝つたと感激の
胸を躍らす 朝の窓-略-」
歌と戦争
『映画之友』も戦争……。下「」引用。
「『映画之友』は一九四二年二月号を、「大東亜戦争と映画特集号」とした。同誌から映画人の言説をいくつか引用しよう。-略-
大東亜戦争が長期戦になることを覚悟して、私達は今一度、私達のたづさわっている映画文化の使命について考えねばならないと思います。映画が国民の精神面に及ぼす影響の大なることを考える時私は映画文化の一翼に連なっている自分をしみじみ幸福に思います。
小暮実千代」
三教合同の軍への献金……。下「」引用。
「神仏基三教(神社・寺院・教会)は三教合同国防献金として百満二千余円を陸・海軍省に献金した。宣戦の感激献金はキッコマン醤油重役のN氏百万円を筆頭に、全国の会社、団体、学校や個人が、あいついだ、献金の総額は不明であるが、八日から十二日までの五日間に海軍省へ届けられた金額は五百四十五万二千七十六銭に達した。-略-」
『野戦詩集』について。
--山本和夫が編集、1941年1月20日、山雅房から出版。
6人の支那事変従軍詩人の作品集。
装幀を火野葦平が担当。
--反戦平和の詩集も収録されてる。だが……。「六人の支那事変従軍詩人が、その反戦・平和の姿勢は、あの大戦下に保持したのではないことわ、その記事が伝えていない点である。そのことは、「今も、いや、今こそ」の文脈とは整合しない。たとえば詩集編者の山本和夫(陸軍少尉)は、大東亜戦争下、軍報道班員としてビルマに行き、たくさんの戦争翼賛文や愛国詩を書いている。-略-」
「大東亜戦争短歌抄」
--北原白秋も参加している。
INDEX
もくじ
桜本富雄・著/マルジュ社1985年、1986年2刷
ラジオ放送だけに限らず、いろいろなことが書かれてありました。
「帝国国策遂行要領」について書かれてありました。
ラジオについて。下「」引用。
「東京中央放送局、大阪中央放送局、名古屋中央放送局の三局は、第一・第二と二つの放送を行なっていたから、四六種の国内ラジオ電波が流れていたのである。海外放送は、午前三時五五分から「愛国行進曲」で始まり翌朝午前三時三○分「君が代」で終了した。放送述べ時間二三時間余、一六種類のことばが使用された。」
--「ニュース歌謡」というのがあったようだ。下「」引用。
「ニュース歌謡
「宣戦布告! 野村俊夫作詞・古関裕而作曲
敵は米英 宣戦の
大君の詔勅 今下る
五千-略-」
「ニュース歌謡
太平洋の凱歌 日本詩曲協連歌 作詞
一、さかまく怒濤
-略-」
「ニュース歌謡
届け 銃後のこの感謝 勝承夫作詞・飯田信夫作曲
勝つた勝つたと感激の
胸を躍らす 朝の窓-略-」
歌と戦争
『映画之友』も戦争……。下「」引用。
「『映画之友』は一九四二年二月号を、「大東亜戦争と映画特集号」とした。同誌から映画人の言説をいくつか引用しよう。-略-
大東亜戦争が長期戦になることを覚悟して、私達は今一度、私達のたづさわっている映画文化の使命について考えねばならないと思います。映画が国民の精神面に及ぼす影響の大なることを考える時私は映画文化の一翼に連なっている自分をしみじみ幸福に思います。
小暮実千代」
三教合同の軍への献金……。下「」引用。
「神仏基三教(神社・寺院・教会)は三教合同国防献金として百満二千余円を陸・海軍省に献金した。宣戦の感激献金はキッコマン醤油重役のN氏百万円を筆頭に、全国の会社、団体、学校や個人が、あいついだ、献金の総額は不明であるが、八日から十二日までの五日間に海軍省へ届けられた金額は五百四十五万二千七十六銭に達した。-略-」
『野戦詩集』について。
--山本和夫が編集、1941年1月20日、山雅房から出版。
6人の支那事変従軍詩人の作品集。
装幀を火野葦平が担当。
--反戦平和の詩集も収録されてる。だが……。「六人の支那事変従軍詩人が、その反戦・平和の姿勢は、あの大戦下に保持したのではないことわ、その記事が伝えていない点である。そのことは、「今も、いや、今こそ」の文脈とは整合しない。たとえば詩集編者の山本和夫(陸軍少尉)は、大東亜戦争下、軍報道班員としてビルマに行き、たくさんの戦争翼賛文や愛国詩を書いている。-略-」
「大東亜戦争短歌抄」
--北原白秋も参加している。
INDEX
もくじ