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英国魔女と妖精をめぐる旅 知恵の森文庫

2010年09月19日 | 読書日記など
『英国魔女と妖精をめぐる旅 知恵の森文庫』
   新美康明・旅人/井村君江・監修/光文社2004年

水木しげるの文章が印象に残った。
やはり、文化の象徴のようなものが、妖怪であり妖精であると思う……。
豊かな精神世界をあらわしていると思う、水木の場合……。



旅の本……。下「」引用。

「旅は楽しい。何の目標も定めずに、ふらりと歩く物見遊山も悪くはないが、「テーマ」があれば、旅はより充実したものになる。
 本書のテーマは、「英国の魔女と妖精に出会う旅」だ。ゴースト(幽霊あるいは魔物)との出会いもあるかもしれない。-略-」

英国の法律……。下「」引用。

「じつは、英国はミステリアスで摩訶不思議な魅力に充ち満ちた国なのだ。
 世界をリードし続けた文明国の英国で、なぜ一九五○年代まで、魔女を取り締まる法律があったのか。妖精と一緒に撮ったという少女の写真の真偽が、なぜ何十年にもわたって争われたのか。太古の記憶を呼び起こすケルトの神話やストーンヘンジに代表される石造遺物が、なぜこれほどまでに数多く存在しているのか……。
 魔法と科学--ともすれば、おたがいに相容れようとしない対立した概念で語られる事象が、いまだに綾なすように共存する国、まさにそれこそが、英国の他国にない魅力なのである。-略-」

「魔女とは本来「賢い女」だった」

妖精学の草分け、井村君江。

水木しげる「妖精と妖怪の違い」。下「」引用。

「〈妖怪と妖精はもともと同じような世界の住人なのだが、日本とヨーロッパでは感じ方が違うというのか、同じようなものも、まるで天と地みたいに異なって感じられているのはまったくおかしい。もともと日本では、妖怪といっても、たとえば室町時代の絵巻物にあるように、きわめて愛嬌のあるものだった。けれど江戸時代あたりになると、グロテスクになりすぎた。さらに鶴屋南北の『四谷怪談』なぞが大人気になると、そのイメージと混同されて不快の代名詞のようになって、一時はだれからもまじめに研究されることもなく、敬遠されていた。
 ヨーロッパの妖精たちも、キリスト教が入る前にはかなり自由闊達でいたものが、おぞましきものとなり果ててしまった。けれどシェイクスピアが『夏の夜の夢』などでたくさんの妖精を登場させてから、大昔、ヨーロッパにおいてケルト人が育んできた妖精が、花が咲いたように次々に誕生し、美しく華やかに童話にも劇にも登場した。
 英国どではさらにさまざまな空想や幻想が加わり、文学や詩、さらにはいろいろな名画に描かれて、いまではすっかり市民権を得ている。さらに、彼ら妖精たちがあらわれる森や湖や丘も、ごく自然に人々に親しまれ大切にされている。
 そして私だけでなく、ひとりでも多くの人が妖怪と仲良く友だちになる手立てを実行してくれたらいいな、と願っている。〉」

水木しげるは黒犬に案内された……。下「」引用。

「井村さんも、かつて水木しげるさんと連れだって、どこからか現われた黒犬に案内されて、メン・スクリファまで来られたそうだが、黒犬は、この東洋の妖精妖怪両博士を丁重にお出迎えすべく化身した妖精ピクシーであろうことは想像に難くない。」

もくじ

人魚……。下「」引用。

「人魚は、キリスト教にとっては異教の精霊である。それが教会にあるのは、考えてみればおかしなことだ。村人にとって人魚は、時に大漁を授けたり嵐を鎮めたりするこどできる女神でもあったからかもしれない。」

クリスマス・フェアリー。下「」引用。

「二○○一年、バッキンガム宮殿のクリスマスツリーのオーナメントは、キリスト教にとっては異端であるはずの妖精であった。そのことも、今日、英国の妖精がポピュラーな存在であることを象徴しているかのようだ。」

スコットランドのゴースト城に泊まる。

虹……。下「」引用。

「虹は、妖精が架ける「妖精王国への架け橋」と英国では言われているが、いよいよ私にも妖精王国の扉がひらかれはじめよたようで、楽しみでならない。」









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