『定本 原民喜全集III』
原民喜・著/山本健吉、長光太、
佐々木基一(編)/青土社1978年
■目次・大テーマのみ■
・全詩集 5
・全句集 145
・書簡集・遺書 225
・拾遺集 337
・解説 藤島宇内 375
・初出誌紙・単行本刊行一覧 399
・原民喜年譜 403
自殺のことがテーマになると、やはり気が重くなる……。大田洋子はヒロシマの被爆者が残酷ではないという。残酷なのは原爆を投下した人たちだという……。自殺もまた同様ではないかと、ボクは思う……。
月報で、「暖かい居心地」向井祐子・著で、こんなことが書いてある。下「」引用。
「遠藤周作さんと三人で多摩川にボートを漕ぎに行ったことがございました。その時すでに原さんは、ひばりの飛び交う空のかなたちに、安住の死の世界を見ていらっしゃったと思います。二十歳そこそこの私には、考えもつかないことでございました。」
鈴木重雄は後悔しているという……。下「」引用。
「原さんが西荻窪に引越して来たのは、僕が住んでいたからであった。うかつにも原さんが自殺するだろうとは、ちっとも予測していなかった。僕がもっと原さんを瞠めていれば、あんな不幸な出来事は、未然に防げたのではなかろうかと、長い間、後悔に似た気持ちにつきまとわれて来た。」
「コレガ人間ナノデス」という詩が掲載されていた。
--原民喜にとって、原爆を投下した政治家などは人間ナノデスと言えるのだろうか?
俳句なども掲載されていました。下「」引用。
「綿菓子のもの恋しさや宵祭」
“原子爆弾”をテーマにしたのもありました。下「」引用。
「炎の樹雷の空に舞上がる」
戦後の生活なども描かれています。下「」引用。
「昭和二十一年五月七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信宛
-略-近所で発疹チブスが出たのでDDT(殺虫剤)を振りかけられ部屋中粉だらけになりました。注射もしました。」
--遺言をたくさんの人に書いている……。
それは文体としては平常心のようにさえ思える。
「原爆被災時のノート」を書き残している。
創作というより現実を切り取っている……。
--もちろん、これも創作であり、人によって違うことだろうが……。
『夏の花』後記(能楽書林刊・昭和二十三年二月)に原民喜は書く。下「」引用。
「この書は稀有な体験の記念である。罹災直後、ひどい衰弱と飢餓のなかで私はまづ『夏の花』を書いたが、『廃墟から』はその翌年ひだるい躯を石油箱の机に鞭打ちながら書いた。その他の四篇も上京後、赤貧と窮死に追詰められながら仕上げた。かういふ目茶苦茶の条件の中でものか書けたといふことも、私としては稀有のことであつた。」
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もくじ
Index
原民喜・著/山本健吉、長光太、
佐々木基一(編)/青土社1978年
■目次・大テーマのみ■
・全詩集 5
・全句集 145
・書簡集・遺書 225
・拾遺集 337
・解説 藤島宇内 375
・初出誌紙・単行本刊行一覧 399
・原民喜年譜 403
自殺のことがテーマになると、やはり気が重くなる……。大田洋子はヒロシマの被爆者が残酷ではないという。残酷なのは原爆を投下した人たちだという……。自殺もまた同様ではないかと、ボクは思う……。
月報で、「暖かい居心地」向井祐子・著で、こんなことが書いてある。下「」引用。
「遠藤周作さんと三人で多摩川にボートを漕ぎに行ったことがございました。その時すでに原さんは、ひばりの飛び交う空のかなたちに、安住の死の世界を見ていらっしゃったと思います。二十歳そこそこの私には、考えもつかないことでございました。」
鈴木重雄は後悔しているという……。下「」引用。
「原さんが西荻窪に引越して来たのは、僕が住んでいたからであった。うかつにも原さんが自殺するだろうとは、ちっとも予測していなかった。僕がもっと原さんを瞠めていれば、あんな不幸な出来事は、未然に防げたのではなかろうかと、長い間、後悔に似た気持ちにつきまとわれて来た。」
「コレガ人間ナノデス」という詩が掲載されていた。
--原民喜にとって、原爆を投下した政治家などは人間ナノデスと言えるのだろうか?
俳句なども掲載されていました。下「」引用。
「綿菓子のもの恋しさや宵祭」
“原子爆弾”をテーマにしたのもありました。下「」引用。
「炎の樹雷の空に舞上がる」
戦後の生活なども描かれています。下「」引用。
「昭和二十一年五月七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信宛
-略-近所で発疹チブスが出たのでDDT(殺虫剤)を振りかけられ部屋中粉だらけになりました。注射もしました。」
--遺言をたくさんの人に書いている……。
それは文体としては平常心のようにさえ思える。
「原爆被災時のノート」を書き残している。
創作というより現実を切り取っている……。
--もちろん、これも創作であり、人によって違うことだろうが……。
『夏の花』後記(能楽書林刊・昭和二十三年二月)に原民喜は書く。下「」引用。
「この書は稀有な体験の記念である。罹災直後、ひどい衰弱と飢餓のなかで私はまづ『夏の花』を書いたが、『廃墟から』はその翌年ひだるい躯を石油箱の机に鞭打ちながら書いた。その他の四篇も上京後、赤貧と窮死に追詰められながら仕上げた。かういふ目茶苦茶の条件の中でものか書けたといふことも、私としては稀有のことであつた。」
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