磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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詩と思想 1987年8月号

2008年08月29日 | 読書日記など
『詩と思想 1987年8月号』
   笛木利忠・編/土曜美術社1987年

表紙にもあるように、「小特集ヒロシマ・ナガサキからの手紙」が掲載されています。
--詩人としての正田篠枝の評価もたしかに低過ぎるともボクも思います。



「ヒロシマからの手紙」古浦千穂子・著に書かれてあります。下「」引用。

「広島での経験は、原民喜、大田洋子、峠三吉の文学として結晶しておりますが、その地元出身の作家の作品も意識的に集められてはおりません。むしろマイナーな扱いを受けて人間が心の問題として被爆をどのように受けとめざるを得なかったかを継承する機械を奪われていると思います。
 被爆した作家は以上の三人だけに留まらないのはもちろんで、私はたまたま生前お付き合いのあった歌人の正田篠枝さんの生原稿を預っております。」

「長崎からの手紙」山田かん・著。
--クリスチャンホーム育ちと書かれてある……。下「」引用。

「わたしはクリスチャンホームに生れました。父母は日本聖公会長崎聖三一教会に教籍を置く信者でした。この教会は安政六年(一八五九)英国から渡来したJ・リギンス師、C・ウィリアムズ主教らが創設した日本最初のプロテスタント派の教会といわれております。」

聖公会をプロテスタントにはいれない分類をする人たちもいます。
カトリックとプロテスタントの中間の位置に置く人もいたと記憶しています。
--同じぶどうの房の一つといって、分類を否定する信徒もいます。
さらに、全人類、メーカーは同じというゼノさん(カトリック)がいます。

吉田神道の幼稚園で育ったボクは、ゼノさんが大好きです。
--吉田神道は、戦前は宮中(皇居も含む)の行事にも関わっていたもので、カルトではなく、もっとも古い神道の流派の一つです。国家神道とは一線をひいた歴史があります。

--山田かんは、耶蘇教を信じる者がいると教師が非難。
その屈辱が残ったという。

迫害の歴史があるという……。下「」引用。

「長崎という町に生まれ育ち生涯の土地でありながら、かつてクリスチャンとして過ごした眼から見れば、そのおだやかな肌合いの風土が、反ってうっとうしく重たいものに感じられるものも事実です。これは長崎が経てき様々な歴史の重さのなかに、迫害するものと迫害される側との緊張したせめぎ合いの後遺か、消えてしまったものではないことを時に思わせるからでもあるのでしょう。このことは長崎のカトリック教徒、プロテスタントを問わず、全体のクリスチャンが体感しているものではなかろうかと思うのです。」

だから、永井隆博士を迫害してもいいとはボクには思えない。
--歴史から永井を消すのも間違っている。加害責任を認めたのは永井が最初ということにもなると思う……。「原爆の子」以前にも、永井隆編集の子供たちの作品集があり、実に個性的だ……。カトリックだけという感じが淋しいけど……。

あるカトリック教徒。下「」引用。

「熱心なカトリック教徒で浦上カトリック評議会議長を務めたM氏と交した会話のことを思い出します。M氏は「末信徒の人々があれ程、マスコミを含めて熱心に教皇を歓迎されるとは、正直いって思っていませんでした。あれは何だったのでしょう。不思議です。実いうと私たち信徒は、冷静につまり平常心的な信徒のこころを持ってお会いできることを期待していたのです。ですが何かしっくりしないものが残った。それが何かわかりません。いつもあのように信仰者たちが歓迎されるとは思えないのです。と述懐していました。」

ローマ法王は赤い法王といわれ、共産主義と揶揄する人もいました。
--しかし、実際は、原始キリスト教を愛し、そのような団体であるべきとした、聖フランシスコを引き継がれていたにすぎなかったという人もいました……。
--ボクは聖書のイエス・キリストを模範にする人がキリスト教の正当な人たちと思う。

もちろん、人殺しのブッシュ大統領を支持する団体などとは、まったくキリストと異なるものと思っています。

名前はとなえるが、まったく異なるものです。







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