磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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きのこ雲は消えても

2008年08月22日 | 読書日記など
『きのこ雲は消えても』
   井上守正、他・編/神戸市原爆被害者の会1980年



患者も仕事をしたという。下「」引用。

「第一夜は、板の間に毛布一枚、そして員数洩れで夕食も無く、蚊に苦しめられてひどいことなったが、翌日からは敷物も支給され、同室の者とも打ち解けて不自由な患者の介抱もするようになった。軍医と看護婦が来て、診察をし、氏名を記入して、元気な者は食事の運搬や分配をするようにといわれた。そして、夕食から、飯揚げ、分配、食器洗い、部屋掃除と文字通り目の廻る忙しさになった。軍医も看護婦も衛生兵も多勢負傷したり、又死んだりしていた状態であったので、軽傷の自分達がするのは当然であった。」

--今の福祉も同様かもしれません……。
老老介護=老人が老人を介護する。
--そして今では、ニンニン介護。
認知症が認知症の介護をする……。

戦争好きが政権をとると、どうしてこうなるか?
--少しは考えてもらたいものです……。

原爆で被爆し、母の実家は8人とも死亡。
そして、神戸へ。下「」引用。

「その後主人が復員したので私は神戸へ帰って来たのですが、神戸の家も空襲で丸焼けとなり、私の道具も身の廻りの物も全部焼けて無くなっていました。薄汚れた服の上に子供を背負い仮住居に辿り着いた時の自分を想像すると今でも涙がこぼれます。」

聖フランシスコ病院近辺の描写。下「」引用。

「聖フランシスコ病院の前の道に出ると、窓と窓から猛煙が吹き出して、人影も見えません。遥か下の屋松山の軍需工場に動員された若い学徒達が、大怪我をして体中から血を流したり、火傷で体がズルムケになったり、えぐりとられたような肉を垂らして力一杯山の方へ走って来ます。ただ病院があるということだけで駆けてくるのでしょうか。」

そして、生き地獄だったという。下「」引用。

「病院の裏に小さな川があった。今朝も洗濯をしに行った。そうだあそこへ行こうと、崖を降りると、川は傷を負った人で一杯。割り込む隙間もない程です。生き地獄とはこのことでしょう。何とか割り込んで川の水を飲みました。その美味しかったこと。いくら飲んでも果てがない程でした。」









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