母さんが死んで僕はよく泣いた 授業中もしらない間に泣いていた そしてふと気がついて ももを爪で思い切りつまんだ 三文小説や三面記事かのように 思われたくなかった 授業なんてなかった ただ涙をこらえるだけだった 苦しかったノドにいつも何かつかえていた 僕の口の中はねばこくなって 知らない間に泣いていた 寝たふりをして泣いていた。 どうしても止まらなかった 先生は僕をアホだとか馬鹿だとか 言っていた でもそれはそれでどうということはなかった 彼らはそういう生き物なのだと思った そしてまた賢治を読んだ 母さんも好きだった賢治を読んだ いい本は母さんのかわりになろうとした でも全てを覆い被せるなんてことはできなかった それから僕は半分姉さんの母になった 姉さんは半分 僕の母になった 父は相変わらず子どもだった それから何よりどんなことより腹が立った そしてまだ子どものように純真だったらなあと願った 僕は母さんのために何かしたくなった 死んだ母さんのために何ができるか 僕にはこれしかなかった 母が入院したころ書いた 「渡り鳥サブ」それしかなかった これは母に読んであげた 母が主人公のモデルだよと 僕は涙と嗚咽で言葉は正確ではなかったろう 寝た切りの身動きもできぬ母だったが 非常に喜んだ これしかないと思った それから僕は童話を書こうと思った でもとうてい今の話には 中学時代書いた「渡り鳥サブ」と 小学時代にかいた「弱虫・強虫」 はぬけなかった 下、1日1回クリックお願いいたします。 ありがとうございます。 【本人談】まあ、作品に順位なんてないというのが本音ですね。 でも、僕の人生にとって大きな意味があったのは、あの二作でしょう。 Blogなので、ぼくのような素人の方が楽しんで、 自分の人生を作品を通して貴重なものにされるのは、 素晴らしいことだと思うし、 それに順位はつけられないでしょう。 本当は……。 父の非難を偉そうにしていますが、 僕の方が子供です。そのころは、そう思ったのです。 はい、すみません。m(_ _)m もくじ「母」 |
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子は、親を踏み越えて逞しく生きていきます。逆縁は、いけません。
渡り鳥は、どうしてあんなに逞しいんでしょう・・・
そういえば、この間、TVで、親ペンギンが子ペンギンを置いて、旅立つ姿を見ました。
子供は何ヶ月もエサにありつけず、仕方なく泳ぎを覚え、エサを採るようになるのだとか・・・
自然の摂理って・・スゴいですね。
けなげに生きている動物っていいですよね。
金か名誉か?
ぼくの家はどっちも取るなと教わりました。
どっちも不幸のタネ。
名誉くれはったら、それだけつくさないと、
しっぺ返しをくらいますからね。
おかげさまで、どちらとも縁がありません。