『中国から帰った戦犯』
島村三郎・著/日中出版1975年
「収容所列島」……。下「」引用。
「昭和二十年八月の全面降伏によって捕らえられ、シベリヤに送られた日満将兵と「満州国」の官吏は、四十七万と言われた。土建工事とか森林伐採、炭鉱等の仕事のうちで、比較的技術を必要としない重労働に使われた。
(一度に四十七万という大軍に引き入れたというのに、私たちは一度も新築の収容所に入れらたことはなかった。また多くの友人から、そんな話を聞いたことはなかった。近頃「収容所列島」という言葉を耳にするが、この言葉はまことに言い得て妙、実感のこもった言葉だと思う)」
逃げの作戦……。下「」引用。
「ソ連の将校は「満州国」のことについて何も知らなかった。
「そんなことはやっておりません」
と、最初から嘘を言って突っ張った。何を聞かれてもそう言っていたら、
「何もやらない官吏がどこにあるか」
とつめよられたのには答えに窮した。」
中国へ移送、囚人に。下「」引用。
「たった一つおもしろくなかったことは、胸に番号札をつけられ、獄庭で写真を撮られたことだった。いよいよ「本物の囚人」(ソ連では半ば捕虜であった)にされてしまったと胸が痛んだ。私の番号は八十五号で、この番号はこの日から十年間、私の名前でもあった。」
浜江省地方保安局。下「」引用。
「浜江省地方保安局(私が勤めていた中央保安局の下部機関)では、敗戦の半年くらい前から国民党の地下組織を発見し、大弾圧を行っていた。確かに十名近い中心人物をこの収容所に叩き込んでいたはずである。」
著者は拷問や虐殺を指揮した中央保安部の幹部の一人であったという。
記事を読んで……。下「」引用。
「とまれ私は、この張銘夫人の記事を読んで震え上がってしまったのである。しかも私は今自分たちで作った秘密収容所、殺人窟に入れられているのである。」
「取り調べ開始」独房から出る……。
同じ房の囚人から……。下「」引用。
「「島さんは危ないよ、秘密警察ちゅうおっかないところにいて、相当ひどいことをやっていたらしいからなあ」」
「自供」 下「」引用。
「私という男はまことに勝手な男だった。勲章が欲しい、早く出世がしたいと思っていた時には、「あれも私が関係したことだ。これにも私が参加しているので……」と、本気になって、その功績の分け前にあずかろうとしていた。ところが犯罪に問われそうになってくると、「関係したとはいっても、ただ手伝っただけのことだから、責任だなんて……」と考えていた。それだけで逃げおおせると思っていたのである。」
「三島化学研究所」下「」引用。
「また私は在任期間中、三江省の所在地である桂木斯に、「三島化学研究所」という秘密収容所を作った。完成してから四カ月後目に離任したので、私がここで行った殺害は二、三名であったが、この収容所での取り調べ、拷問、殺害はその後もずっと引き続いて行われており、特に敗戦の時には収容していた十数人を殺害した上、家に火を放って逃亡していた。」
特捜班……。下「」引用。
「特捜班というのは、討伐が行われるたびに、その討伐隊に随行させ、共産軍の宿泊したを徹底的に捜査し、これと連絡のあった者(手引きした者)とか、傷ついて潜伏している者を捜し出し逮捕し、取り調べる任務を持った特殊部隊であった。」
「湯源県城襲撃事件」
いろいろな事件について書かれてあった……。
自殺をみんな大なり小なり考えていたという。
上坪中佐はスパイ13人を石井部隊に送った……。
朝鮮戦争で元石井部隊が菌をばらまいたことを知っていたという。
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もくじ
島村三郎・著/日中出版1975年
「収容所列島」……。下「」引用。
「昭和二十年八月の全面降伏によって捕らえられ、シベリヤに送られた日満将兵と「満州国」の官吏は、四十七万と言われた。土建工事とか森林伐採、炭鉱等の仕事のうちで、比較的技術を必要としない重労働に使われた。
(一度に四十七万という大軍に引き入れたというのに、私たちは一度も新築の収容所に入れらたことはなかった。また多くの友人から、そんな話を聞いたことはなかった。近頃「収容所列島」という言葉を耳にするが、この言葉はまことに言い得て妙、実感のこもった言葉だと思う)」
逃げの作戦……。下「」引用。
「ソ連の将校は「満州国」のことについて何も知らなかった。
「そんなことはやっておりません」
と、最初から嘘を言って突っ張った。何を聞かれてもそう言っていたら、
「何もやらない官吏がどこにあるか」
とつめよられたのには答えに窮した。」
中国へ移送、囚人に。下「」引用。
「たった一つおもしろくなかったことは、胸に番号札をつけられ、獄庭で写真を撮られたことだった。いよいよ「本物の囚人」(ソ連では半ば捕虜であった)にされてしまったと胸が痛んだ。私の番号は八十五号で、この番号はこの日から十年間、私の名前でもあった。」
浜江省地方保安局。下「」引用。
「浜江省地方保安局(私が勤めていた中央保安局の下部機関)では、敗戦の半年くらい前から国民党の地下組織を発見し、大弾圧を行っていた。確かに十名近い中心人物をこの収容所に叩き込んでいたはずである。」
著者は拷問や虐殺を指揮した中央保安部の幹部の一人であったという。
記事を読んで……。下「」引用。
「とまれ私は、この張銘夫人の記事を読んで震え上がってしまったのである。しかも私は今自分たちで作った秘密収容所、殺人窟に入れられているのである。」
「取り調べ開始」独房から出る……。
同じ房の囚人から……。下「」引用。
「「島さんは危ないよ、秘密警察ちゅうおっかないところにいて、相当ひどいことをやっていたらしいからなあ」」
「自供」 下「」引用。
「私という男はまことに勝手な男だった。勲章が欲しい、早く出世がしたいと思っていた時には、「あれも私が関係したことだ。これにも私が参加しているので……」と、本気になって、その功績の分け前にあずかろうとしていた。ところが犯罪に問われそうになってくると、「関係したとはいっても、ただ手伝っただけのことだから、責任だなんて……」と考えていた。それだけで逃げおおせると思っていたのである。」
「三島化学研究所」下「」引用。
「また私は在任期間中、三江省の所在地である桂木斯に、「三島化学研究所」という秘密収容所を作った。完成してから四カ月後目に離任したので、私がここで行った殺害は二、三名であったが、この収容所での取り調べ、拷問、殺害はその後もずっと引き続いて行われており、特に敗戦の時には収容していた十数人を殺害した上、家に火を放って逃亡していた。」
特捜班……。下「」引用。
「特捜班というのは、討伐が行われるたびに、その討伐隊に随行させ、共産軍の宿泊したを徹底的に捜査し、これと連絡のあった者(手引きした者)とか、傷ついて潜伏している者を捜し出し逮捕し、取り調べる任務を持った特殊部隊であった。」
「湯源県城襲撃事件」
いろいろな事件について書かれてあった……。
自殺をみんな大なり小なり考えていたという。
上坪中佐はスパイ13人を石井部隊に送った……。
朝鮮戦争で元石井部隊が菌をばらまいたことを知っていたという。
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もくじ