磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本史探訪 第1集

2010年01月12日 | 読書日記など
『日本史探訪 第1集』
   海音寺潮五郎・著者代表/角川書店1971年、同年3版

裏表紙に書かれてあります。下「」引用。

「NHKテレビ「日本史探訪」の再現」



坂本龍馬のことだけが取り上げられているわけではありません。

『宝島』の作者と松陰。下「」引用。

「明治十二年正木は英国留学中のある日、『宝島』の作者ロバート・ルイス・スティブンスンに会って松陰のことを話した。のちにスティブンスンは、「吉田虎次郎」という1文を草し、それを次のように結んだ。
「今やわれわれのまわりに、奇妙な西洋風をした貪婪(どんらん)な研究者を見る時、彼らの祖国が、この吉田虎次郎に大きな恩恵を受けたことを忘れてはならない」。」

龍馬にとって明治維新は片手間仕事……。司馬遼太郎……。下「」引用。

「坂本竜馬にとつては、明治維新を革命としましたら、革命というものは片手間だったんだということ--他の革命家たちは、西郷隆盛でも桂小五郎でも、火の粉の中で、革命そのものを達成すべくやっているのに、竜馬にとっては、それは片手間な仕事だった、ということがわかった感じなんですね。それは長崎海援隊の視点で考えればわかります。」

亀山社中……。下「」引用。

「私も亀山社中っていうのに行ってみましたがね、ちっちゃな所ですね。いわゆる長崎の坂を登って、登って、登りつめたような所に小さな家があります。その家を借りたんですね。そこでいわゆる脱藩浪士たちを寝泊まりさせて、当時は白袴を着せた。だから亀山の白袴っていうあだ名がつきましてね。まあみんな元気のいい連中だから乱暴したりしていやがられましてな。乱暴者は亀山の白袴といわれたくらいだそうですよ。」

山内一豊の軍は進駐軍と表現してあった……。

中江兆民と竜馬。下「」引用。

「中江兆民も土佐郷士なんですが、この時、大人たちのうしろにおったんです。
 竜馬は煙管(きせる)をさかんにたたいておったが、そのうち煙草がなくなったんですな。竜馬はあの土地の言葉で「中江の兄さん、煙草を買うてきておうせ」と言った。中江兆民は非常に喜んで使いに行ったんですけれどもね、そのことは兆民の生涯の思い出になっていて、よくひとに話をしておったそうです。
 こんな点から考えても兆民というのは、いわゆる自由民権運動の思想家になった人ですけれど、自分を坂本竜馬の後継者のようなつもりでおったのかもしれない。これは兆民の文章に書いてあるわけではないから証拠もないけれど、気分としてそういうことがあったにちがいない。
 その兆民の玄関番をしていたのが幸徳秋水でしょ。だから幸徳秋水にまで至る系列が、幕末のいわゆる勤王の志士竜馬から出発するというのはたしかですね。竜馬には自由民権思想というものを受け入れられる体質があった。」

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財閥断った青年たち。下「」引用。

「黒潮を見おろして、今ふるさと桂浜に立つ竜馬の銅像は、土地の青年たちが、土佐出身の財閥岩崎家の申し出を断って、自分たちだけの手で建てたものだそうである。」

土佐の若者は素敵ですね!

勝海舟の父・小吉は勘定ができた……。下「」引用。

「勝部 やっぱり親父さんの小吉という人が、刀剣の売買とか夜店などにしょっちゅう出てましたからね。なんかそういう計算とか勘定とかに非常に敏感で、だから海舟という人は財政に詳しいですね。全部数で押さえていく。統計的っていうか、塾時代のお弟子に杉亨二という日本の統計学の開祖がおりますしね」

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