磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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社会教育-月刊社会教育- 2011-6

2012年08月02日 | 読書日記など
『社会教育-月刊社会教育- 2011-6』
   谷口郁子・編/国土社2011年

特集名 福祉と社会教育をつなぐカウンセリング・マインド



新自由主義と子どもたち……。下「」引用。

「新自由主義の「脅し」のかけ声がほ「自立自助」「自己責任」を人びとに強い、自分の弱さやつらさを見せることにブレーキをかけさせているのかもしれない。「お腹が痛い」「頭が痛い」と訴えたときに、「痛いかよしよし」と寄り添ってもらえずに、「薬があるでしょう」ですまされてきたからかもしれない。もし私が子どもの時に、そういう反応を親にされたら、「ぼくが痛みを訴えることは親に迷惑なのだ」ときっと思うだろう。」

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気づき……、横場園子。下「」引用。

「-略-いじめ暴力被害者は毎日、恐怖にさらされ、「自分である」という感情をこなごなにされ、生きようとする意志さえ失わされて、死の崖っぷちに立っています。明日はわからないが、今日は生きていようという風に、です。
 そのような状況にあて、無理難題が課せられたのを機に、あるできごとを機に自殺に踏みきっていきます。「あるできごと」とは、自殺に踏みきろうと心を決める事柄のことです。たとえば、「死ぬこともできず、生き地獄を生きるしかなかった」という青年の場合は、鏡に写った自身の顔でした。彼はつぎのように語っていました。会話風に記してみます。帰宅途中のことでした。
 彼「エレベーターの鏡に写ったボクの顔は死んでいたんです。それで、覚悟ができて屋上に。飛び降りようとしいた時に止めてくれた人がいて」
 私「……鏡に写った死の顏。でも、飛び降りようとした時に止めたくれた人がいて」
 彼「はい。ボクに気づいてくれた人がいて止めてくれたのです……」
 私「よかった。気がついてくれた人がいて」涙声に続く無音。生きていてくれたことに感謝しながら、ほっとついた私の安堵の溜め息が聞こえたのでしょう。彼の「ええ」の声。「よかったわ」「はい」の会話。
 気づき声をかけ、話を聴い聞いてくれるような人が地域に、路傍にいてくれたら、どれほどの子どもと青年が救われたことでしょうか。-略-」

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「地域の歴史を伝える-鹿児島の水俣病-」安藤聡彦。下「」引用。

「-略-熊本県内の水俣病に比べれば隠れがちな鹿児島県の水俣病だが、熊本県の認定患者が一七七八人であるのに対し、鹿児島県が四九○人であり、後者のうちの約八割が出水市の患者である(以上りのり数字は、二○○七現在)ことを考えれば、出水水俣病史の概観はすぐにつかめるだろうと思っていた。だが、そんな私のてはもろくもくずれることなってしまう。記録が全くといっていいほどないのである。-略-」

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「【緊急レポート】全村避難に揺れる飯舘村の今-までいな村づくりを住民協働で進めてきた飯舘」千葉悦子(福島大学)。下「」引用。

「避難=生命・健康の確保に繋がらない。真の生命・健康を確保するには、暮らしの安定、家族や地域のつながり、生き甲斐・誇りの持てる労働や活動などが前提になければならないことを重く受け止めたい。-略-
「までいの力」を発揮して、福島第一原発で被災した浜通りの住民はもちろんのこと飯舘村を私たちが守り支えなくてはならない。皆さんからの支援の手を期待する。」

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