『ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』
秋尾沙戸子・著/新潮社2009年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「敗戦から復興へ、東京は一大変貌を遂げていった-略-」
六本木のヘリポート。下「」引用。
「「ヘリポートの存在」に気づいたのは、一九八七年、そのすぐ近所に引っ越してからのことだつた。-略-自分の住居のすぐ目と鼻の先に「日本の中のアメリカ」が存在していることを。それが米軍のヘリコプターであることを。そして、日本人の私は入れてももらえないということを--。」
今は美術館。下「」引用。
「ヘリポートを有するその土地は現在、「東京ミッドタウン」と「国立新美術館」が建つ敷地、かつて「ハーディバラックス」と呼ばれた米軍基地だった。」
ライシャワーの父親と東京女子大。下「」引用。
「資金集めに奔走したのは、宣教師として日本に来ていたプレスビテリアン派のオーガスト・ライシャワー博士、後に駐日アメリカ大使となるエドウィン・ライシャワーの父親だった。」
ロックフェラーが東京女子大に多額の投資(『創立十五年回想録』)。
ライシャワー一家がすごした教師住宅は、「ライシャワー館」として保存。
聖路加国際病院。下「」引用。
「聖路加国際病院には、終戦直前から米軍によって「ここは攻撃しない」と書かれたビラが配られていた。ここはキリスト教の一派「アングリカンチャーチ(アメリカ聖公会)」によって建てられた病院である。マッカーサーはその信者だった。接収後は屋上に星条旗がたなびき、米陸軍の病院として使われるようになった。-略-」
「-略-米軍によって「聖路加は攻撃しない」と書かれたビラが空から撒かれていた。それを目撃したという証言は、いくつもある。当時、三十代の医師として働いていた日野原重明氏も、そのビラを見ている。現在は同院理事長を務める日野原氏は空襲の続く東京で、被災者を引き受け、治療にあたった。-略-
聖路加や聖母病院などのキリスト教系の病院は、攻撃されていない。占領後の接収を意識していたためと考えられる。その意味で、十字架があるほうが却って安全ということになるが、日本軍はそこまで読めなかった。」
クエーカー教徒のエスター・ローズ女史。下「」引用。
「浅野は日系人の牧師を頼った。これを受け、クエーカー教徒のエスター・ローズ女史がライセンスを与えるのに尽力した。戦前、日本で布教活動をしていた女史は、戦時中、アメリカに戻り、強制収容所に入れられていた日系人を支えた。「日本爆撃即時停止」の嘆願をするなど、日本人に協力的だった人物である。後に、エリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人の後任として、皇太子明仁親王の家庭教師を務めることになる。」
公職追放女性担当……。下「」引用。
「ベアテさんによれば、GSは第一生命ビルの宴会場をオフィスにしていた。そこで三十人ほどが勤務していた記憶がある。
「私の仕事は軍国主義時代に要職についていた人物を追放することでしたが、私の担当は女性でした。小さな政治団体を調べて、公職追放に該当する人を探すこと。小さな政党や団体の集会に立ち会ったり、インタビューをしたりして報告書をまとめていました」」
道楽で日米文化交流。下「」引用。
「なぜなら、家具もメイドも学校も備わって、すべてがお膳立てされていたワシントンハイツでは、毎朝子どもを送り出すと、主婦たちは膨大な時間をもてあましたからである。結果、彼女たちの道楽は思いもかけぬ日米文化交流へと発展していった。」
靖国神社の全廃を止めたのはカトリック神父二人(パトリック・バーン神父、ビッテル神父)。
ビッテル神父の結論。下「」引用。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根本であるというなら、排すべき国家神道という制度であり、靖国神社ではない。」
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「ジャニーズ少年野球団」についても書かれてあった。下「」引用。
「ジャニー・キタガワ氏が朝鮮戦争時に軍に志願した動機は定かではない。ただし「GIビル」を受け取って上智大学に通うことは、当時のアメリカの若者として、ごく自然な流であった。」
米兵指定の上智大学。下「」引用。
「上智大学は大正二(一九一三)年、イエズス会によって四谷に設立された。前述したように、占領時代の上智学院院長であったブルノー・ビッテル神父は、「ローマ法王使節」代行としてマッカーサーに多大な影響力を発揮した人物だった。上智大学国際部は戦後、占領軍兵士やその子弟の高等教育機関として指定され、設けられた夜間部だった。」
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千玄室は、海軍特攻隊で死の覚悟していたが、終戦。
Index
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もくじ
秋尾沙戸子・著/新潮社2009年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「敗戦から復興へ、東京は一大変貌を遂げていった-略-」
六本木のヘリポート。下「」引用。
「「ヘリポートの存在」に気づいたのは、一九八七年、そのすぐ近所に引っ越してからのことだつた。-略-自分の住居のすぐ目と鼻の先に「日本の中のアメリカ」が存在していることを。それが米軍のヘリコプターであることを。そして、日本人の私は入れてももらえないということを--。」
今は美術館。下「」引用。
「ヘリポートを有するその土地は現在、「東京ミッドタウン」と「国立新美術館」が建つ敷地、かつて「ハーディバラックス」と呼ばれた米軍基地だった。」
ライシャワーの父親と東京女子大。下「」引用。
「資金集めに奔走したのは、宣教師として日本に来ていたプレスビテリアン派のオーガスト・ライシャワー博士、後に駐日アメリカ大使となるエドウィン・ライシャワーの父親だった。」
ロックフェラーが東京女子大に多額の投資(『創立十五年回想録』)。
ライシャワー一家がすごした教師住宅は、「ライシャワー館」として保存。
聖路加国際病院。下「」引用。
「聖路加国際病院には、終戦直前から米軍によって「ここは攻撃しない」と書かれたビラが配られていた。ここはキリスト教の一派「アングリカンチャーチ(アメリカ聖公会)」によって建てられた病院である。マッカーサーはその信者だった。接収後は屋上に星条旗がたなびき、米陸軍の病院として使われるようになった。-略-」
「-略-米軍によって「聖路加は攻撃しない」と書かれたビラが空から撒かれていた。それを目撃したという証言は、いくつもある。当時、三十代の医師として働いていた日野原重明氏も、そのビラを見ている。現在は同院理事長を務める日野原氏は空襲の続く東京で、被災者を引き受け、治療にあたった。-略-
聖路加や聖母病院などのキリスト教系の病院は、攻撃されていない。占領後の接収を意識していたためと考えられる。その意味で、十字架があるほうが却って安全ということになるが、日本軍はそこまで読めなかった。」
クエーカー教徒のエスター・ローズ女史。下「」引用。
「浅野は日系人の牧師を頼った。これを受け、クエーカー教徒のエスター・ローズ女史がライセンスを与えるのに尽力した。戦前、日本で布教活動をしていた女史は、戦時中、アメリカに戻り、強制収容所に入れられていた日系人を支えた。「日本爆撃即時停止」の嘆願をするなど、日本人に協力的だった人物である。後に、エリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人の後任として、皇太子明仁親王の家庭教師を務めることになる。」
公職追放女性担当……。下「」引用。
「ベアテさんによれば、GSは第一生命ビルの宴会場をオフィスにしていた。そこで三十人ほどが勤務していた記憶がある。
「私の仕事は軍国主義時代に要職についていた人物を追放することでしたが、私の担当は女性でした。小さな政治団体を調べて、公職追放に該当する人を探すこと。小さな政党や団体の集会に立ち会ったり、インタビューをしたりして報告書をまとめていました」」
道楽で日米文化交流。下「」引用。
「なぜなら、家具もメイドも学校も備わって、すべてがお膳立てされていたワシントンハイツでは、毎朝子どもを送り出すと、主婦たちは膨大な時間をもてあましたからである。結果、彼女たちの道楽は思いもかけぬ日米文化交流へと発展していった。」
靖国神社の全廃を止めたのはカトリック神父二人(パトリック・バーン神父、ビッテル神父)。
ビッテル神父の結論。下「」引用。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根本であるというなら、排すべき国家神道という制度であり、靖国神社ではない。」
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「ジャニーズ少年野球団」についても書かれてあった。下「」引用。
「ジャニー・キタガワ氏が朝鮮戦争時に軍に志願した動機は定かではない。ただし「GIビル」を受け取って上智大学に通うことは、当時のアメリカの若者として、ごく自然な流であった。」
米兵指定の上智大学。下「」引用。
「上智大学は大正二(一九一三)年、イエズス会によって四谷に設立された。前述したように、占領時代の上智学院院長であったブルノー・ビッテル神父は、「ローマ法王使節」代行としてマッカーサーに多大な影響力を発揮した人物だった。上智大学国際部は戦後、占領軍兵士やその子弟の高等教育機関として指定され、設けられた夜間部だった。」
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千玄室は、海軍特攻隊で死の覚悟していたが、終戦。
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もくじ