オセンタルカの太陽帝国

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モーツァルト作曲 歌曲『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』。

2007年07月24日 22時31分27秒 | わたしの好きな曲

『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』 K.520(1787年5月26日)
モーツァルトの歌曲が好き。
シューベルトやシューマンのものや、フーゴー・ヴォルフやガブリエル・フォーレの歌曲だって存外好きですが、モーツァルトのものだけは別世界だと思う。なんでシューベルトが歌曲王なんだろう。
とりわけこの『ルイーゼが~』の前後のケッヘル番号520番前後の作品の緊張感と充実度は、異様だと思う。要はこれは前段で述べたドンジョヴァンニK.527~音楽の冗談K.522~アイネクライネナハトムジークK.525の前後という事ですが。あまりにも雑多な傾向の作品に満ち溢れているのに、どれもが異様な緊張感にはちきれんばかりになっている。やっぱり父の死という異様な状況に啓発されてのことなんでしょうか。※実際には父レオポルドの死は「ルイーゼの~」の完成の二日後なんですが、モーツァルトはすでに4月に父の死についての異様な手紙を書いているので、問題ではありません

歌曲だけに絞って言えば、『老婆』K.517(5月18日)、『ないしょ』K.518(5月20日)、『別れの歌』K.519(5月23日)、『クローエに』K.524(6月23日)、『ラウラに寄せる夕べの想い』K.523(6月23日)などです。「老婆」みたいな異色作もありますが、私の一番惹かれるのは「別れの歌」ですが、全般的に彼岸への憧憬を述べているような印象がする。しかし中でも異彩を放っているのが『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いてみせた』です。たった1分半の曲なのになんという凝縮力。すさまじいドラマと情念が押し込められています。冒頭、 Erzeugt von heißerファンタジ~(熱い幻想によって孕まされたものよ!)Phantasie!の部分が聞こえるたびにゾクゾク来る。怨念が果てしなく籠もっている感じ。

 

歌詞の内容は、題名からも窺い知れると思いますが、本当にそんな内容のドロドロとしたドラマです。歌詞を書いた人はガヴリエーレ・フォン・バウムベルクという女性詩人で、一説によると彼女自身の体験をもとに書かれたものであるそう。私は個人的に常日頃から「浮気をするような奴は死んでしまえ!」と強く思うたちの人間ですので、この詩の中で手紙を焼いたルイーゼの気持ちが、どう決着されるのかが楽しみなのでございます。

熱い幻想によって生み出され、
熱に浮かされた刻限に
この世に生まれ出でた哀しみの申し子たちよ
さあ、滅び去っておしまい!

炎のせいで生まれたお前たちなのだから
もう一度、炎で焼いてあげましょう。
あの熱かった歌もみな、
あの人は私だけに歌ってくれたのじゃないのだもの。

燃えているわねっ、愛しいものたち。
すぐにここは何の痕跡も残らぬこととなるでしょう。
でもあぁ! お前たちを生んだあの男は、
多分いつまでも私の胸の中で燃え続ける。
許さないっ、手紙じゃなくあの男こそ焼き尽くしてやるっ。


……すみません、最後の一文は私が勝手に書き足しました(笑)。でもいい感じですね。たった1分半の曲だからこそ、メラメラと燃え盛る感じが如実に表現されていますね。怖いですね、なまなましいですね。きっと彼女が燃やしたかったのは他ならぬその男(アントン・ベルンハルト・エバールという公務員兼俳優だったそうです)。とにかく冒頭の一節に、ナイフで刺しちまいそうな緊張感がギュッと凝縮されているのです。不実な男なんてチンコ切ってしまえ!!
…と嬉々としながら何度も何度も繰り返し聴いていたんですが、、、、あれ?


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
根をはる時代 (詩緒蘭)
2007-07-24 23:29:01
失礼な言い方かもしれませんが、麁鹿火さんは、植物に例えれば地面に根を張っている時代だと思います。根を張らないと双葉の芽が出ません。

麁鹿火さんという名翻訳者ありて、初めて歴史、音楽、食べ物の作品に親しむことができます。本当ですよ。
根。 (麁鹿火)
2007-07-25 03:11:06
うーーん、やっぱり仕事しないとダメですよねぇ。働かざる者喰うべからず。でも、この際になってもう仕事なんかしたくないのです。やだやだやだやだやだ(駄々ッ子)。私の根がどこかに残ってるといいんですが。今の私はただ弱音を吐きたいだけです。

でも大丈夫、いつか何らかの手段で私のぶっとい信念と根の張りを見せてあげよう。音楽はもう充分聴き、情操も育ちました。
痛さには耐えてみせる。
すみませんが、本文はいつもの如く改変してしまいます。詩緒蘭さんには感謝を。
健全な精神 (詩緒蘭)
2007-07-26 10:59:00
この歌詞は、彼女の恐ろしいまでの情念を主張し強めたのではなく、逆に彼女の精神の健全さを感じます。

そうそう、オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイ』の中で作中人物に「近頃の人間ときたら、ものの値段はなんでも知っているが、ものの値打ちは何にも知らないときている」と。
麁鹿火さんは、ものの値打ちを知っていると思います。
ルイーゼの炎。 (麁鹿火)
2007-07-26 21:43:14
詩緒蘭さん、ありがとうございます。

>恐ろしいまでの情念を主張し強めたのではなく、逆に彼女の精神の健全さを
そう! その通りなんです。詩緒蘭さんは流石にすごいですね。一節目の恐ろしいまでの迫力に思わず眩惑されてしまうのですが、結尾で消え入るように収束してしまう。とにかくこのドラマティクさは随一なので、この結末に意外感を感じてしまう。ルイーゼのような女性だったらもっと炎をメラメラ燃やすべきでしたのに。この記事ではこの意外な結実とK.520前後のモーツァルトの予言者的な心境を分析してみるつもりでした。(音楽の冗談と絡めて)。とにかく、モーツァルト様はひとすじなわではいかないお方ですよ(当たり前ですけど)。
なお、私の棚を捜してみたらこの『ルイーゼが~』のCDは3種しか持っていないようでした(笑)。(←アメリンク&デムス70年、アメリンク&ボールドウィン77年、ボニー&パーソンズ90年)。で、私の言いたい冒頭の燃え盛る情念を体現しているのは70年のアメリング盤だけでしたね。私がモーツァルトを激しく聴いた1991年前後のNHK-FMではこのアメリング嬢だけを盛んに取り上げていましたので、刷り込みがなされているみたいですね。この曲に関しては他に名盤がたくさん存在しているようですけど、私はアメリングおばさまだけでいい。カラスとかシュワルツコップのはもっともっと激しく怖そうなんですけど。


>ものの値段はなんでも知っているが、ものの値打ちは何にも知らないと
そうそう、私は20世紀最大の失敗は、ソ連の成立と崩壊などじゃなくて、資本主義への懶惰だと思っているのです。資本主義そのものがいけませんよ、これは欠陥品です。生物古来の良心と価値観を破壊する。自由(という名の多数決=流行万歳・廉価礼賛・享楽社会化)のもとにいかにたくさんのものがないがしろにされたか。人間はフランス革命の頃に戻るべきだと思います。今度の参院選で日本でも新たにソヴィエト主義政権が樹立されることを激しく期待します。(←冗談で言っていますよ)
鳴り響く (詩緒蘭)
2007-07-26 23:43:09
モーツァルトと麁鹿火さんのコトバ(想念)が鳴り響いていますね。


西洋人で、こんな身も蓋もない事を言ってのけた人がいます。
「力の衰弱だけが吾々を自由主義に向かわせる。平和と自由の中に在るとき、人間は倦怠に苦しみ、倦怠より野蛮を!と叫びたくなる・・・」「今私がどんなに深く穏健中庸に崩れ落ちていようとも、暴君どもに対する私の嗜好が消えてしまった訳ではない。今なお私は購い主や予言者よりも、暴君の方が好きなのである~暴君のいない世界などは、ハイエナのいない動物園と同じくらい退屈であろう」と。
暴君。 (麁鹿火)
2007-07-27 03:49:33
おぉ、私は根が単純なので子供のように「他の人と同じ行動が嫌だから」多数決と資本主義が嫌い、と言ってるだけな気がしてきました。「暴君に対する嗜好がある」とは、その方、思い切ったことを言いますね(^_^;)
暴君の定義ってなんなんでしょうね。
私は暴君は受け入れられるかどうかというと、、、、 ちょっと勇気が要りますかな。そう言われると私も倦怠と迎合が嫌いだから何百年も前の刺激的な音楽を聴いているんですけど、暴君に何かを強いられるのもイヤ。でも一方で、暴君のいない歴史なんかも面白く感じないに違いないんですよね。深い。

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