遊煩悩林

住職のつぶやき

ものさし差し上げます?

2012年01月26日 | ブログ

2012_2

報恩講のご案内を申し上げます。
恩に報いる講は、恩を知ることからはじまります。それは報いるような恩に出遇わなければ、報いる歩みがはじまらないということです。

損か得か人間のものさし うそかまことか佛さまのものさし
?みつお

とあいだみつをさんが表現されるように、私の日ごろの価値基準、選択基準をはなれたところの、真偽の眼差しを報恩講に聞かせていただきたいと思います。
佛さまの「ものさし」をいただくことによって、私が常日頃、損か得かでしか生きていないことを知らされるといってもいいのでしょう。

「何のために寺に参るん?」「お寺に参ったらどうなるの?」「念仏するとどうなるの?」という問いがあります。この問いの質そのものが、現代の闇のひとつといってもいいのではないかと思うのですが、それはやはり損得感情が基準になっているということではないでしょうか。
何かいいことあるのか、極端な話「お得感」を感じれば参る。何も得ることがなければ念仏してもしょうがないじゃんという発想が現代を覆っているのではないでしょうか。?
また、報恩講にはじめてお参りする、お寺にお参りになったことがない方にとっては、どんな格好をしていけばいいのか、どんな顔して座っていればいいのか、どんな雰囲気なのか、場違いなんじゃないか、いくらか包んだ方がいいのか・・・さまざまな疑問や不安もあると思います。
お連れがあれば少しは気が楽なのですが、「おひとりさま」ということも大事だと思います。親子、夫婦で連れ添ってというのも尊いですが、どれだけ連れ添った老夫婦でも一緒に逝くことも、一緒の棺に入ることもなかなか叶うことではありませんし、たとえ連れがあったとしても仏に対しては一対一。ここは思い切ってです。まずその時間をつくってみるところから、腰を上げてみる、足を運んでみる、門をくぐってみる。そこから何を感じるかは参った人それぞれです。
「お念珠を持って、まあいっぺん参ってみてちょ」と。できれば、わずかなお賽銭(寺ではあまり「賽銭」とは言いませんが・・・)を持って。
もしかすると、山門の前まで来て断念することもあるかもしれません。車を止めるところがないといってお帰りになっても、それでいいんです。なかなか恩に出遇う一歩が踏み出せない私だと気づかされれば・・・。
せめて本堂に向かって手を合わせてみる。お帰りになって?おないぶつ(お仏壇)にお線香を供えてみる、お仏壇がなければ、おじいちゃんやおばあちゃんのところに菓子を持って行って仏壇に供えてみる。また、ひとりではよう参らんけど連れがいて参れたのであれば、連れの存在そのものが恩ですから、たとえそれが子であっても妻であっても「有り難う」と頭を下げてみる。
だけど、それができない。そんなことが展開されれば報恩講の意味があるんだと思います。こんなこと言っては元も子もありませんが、寺に参るだけが報恩講ではないのでしょう。ネンガラネンジュウ報恩講なんです。だけどそれをウッカリして、損か得かだけで走り回っている私だからこそ報恩講が伝統されているのでしょう。
参ったらどうなる、念仏すればどうなる、それなりの結果が想定できないと「おっくう」なのが私です。でも、やってみることからしかはじまらんと、ここは腹をくくって・・・、損得ではない「ものさし」をもらいにくると思って、是非ご参詣をお待ちしています。
土曜の夜は、本堂のプロジェクターで映画を放映する予定でしたが、今年は東本願寺で行われた「原子力問題に関する公開研修」から福島県南相馬市の原町別院で被災された真宗大谷派現地復興支援センターの木ノ下秀俊氏による「福島でいま何がおこっているのか」という報告のDVDを観たいと思います。?どなたもどうぞお気軽にお越し下さい。

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??????

2012年01月23日 | ブログ

今週末の報恩講http://www.jyosyoji/に向けて、ご門徒の皆さんと仏具の「おみがき」をしました。
世話人さんの段取りがよく、また大勢の方に来ていただいたので、2時間の想定が30分以上はやくお荘厳が整いました。
常照寺のおみがきはピカール班とテガール班に分かれています。
「ピカール」「テガール」というのはそれぞれオミガキに使用する研磨剤と洗浄液です。
ピカール http://www.pikal.co.jp/
テガール http://shine-k.com/products/tegaru/index.html

ピカール班は、凹凸の少ない仏具をピカールをつけた布でゴシゴシと磨きます。
テガール班は、テガール液に仏具を浸し、さらに水洗いして乾拭きするといった行程。彫物の凹凸の多い仏具は、溝に磨き液が残らないのでこの方法でやるのですが、やはり1mほどの燭台を液に浸して水洗いをするのは寒中でも外での作業。皆さまほんとにご苦労さまでした。

仏具の持ち運びや水仕事を除けば「おみがき」は比較的単調な作業ですから、おしゃべりをしたり、黙々と考え事をしながらであったり・・・。私もその場を共有しながら、皆さん何を思いながら、どんなことを考えながらの作業かなっと考えながら・・・。
あの『天才バカボン』の「レレレのおじさん」のモデルといわれる周利槃陀伽(シュリハンダカ)のお話がふと頭を過ったのでした。
阿弥陀経に大阿羅漢として登場する周利槃陀伽は、自分の名前も忘れるので名札をつけていたともいわれるほど物覚えが悪く、お釈迦さまのお弟子として聡明だった兄の摩訶槃陀伽によって仏弟子になったのですが、どれだけ仏法を聞いてもすぐに忘れてしまうので、もうやめて田舎へ帰れと兄に言われます。彼は自分の愚かさを恨みます。それを聞いたお釈迦さまは、

自分の愚かさを知る者が、智慧ある者
愚かさに目を向けず、自分が賢いと思う者が愚者

と諭し、一本のホウキを差し出して、毎日「塵を払い、垢を除く」と称えながら精舎の掃除をしなさい、と課題を与えられた。彼は言われたとおりに何年もの間それをやり通し、塵や垢が自分の中にある煩悩であることに目覚めて阿羅漢となった・・・という。阿羅漢を表すインドの言葉がタイトルの??????です。

おみがきは、ただピカピカにするだけの作業ではないのでしょう。シュリハンダカやレレレのおじさんが象徴しているとおり、どれだけ掃いても除ききれない、どれだけ磨いてもまた濁ってくる、払っても払いきれない煩悩に気づかされる、つまり私自身の愚かさを知らされるという仏の智慧なのでした。

ちなみに「『ミョウガ』を食べると物忘れする」と言いますが、ミョウガは「茗荷」と書いてシュリハンダカが名札をつけていたことに由来するともいわれています。インド原産のミョウガは、シュリハンダカ亡き後、その墓地の周辺から芽を出したことから、それを食すと物忘れがひどくなるなんていうエピソードとともに伝わっています。

賢者の信は、内は賢にして外は愚なり
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり
愚禿鈔

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まさかの日本語版

2012年01月15日 | ブログ

昨年末にご紹介させていただいた遊煩悩林2012.12.19福島県二本松市で「市民の放射能測定室」を運営するNPO法人、チーム二本松http://team-nihonmatsu.r-cms.biz/about_us/から会報が届きました。
会報には「人生を懸けて、放射能と闘っていきます」という佐々木理事長の決意の言葉と、「チーム二本松」がこれまでに測定した製品の測定結果、そしてチェルノブイリ原発事故によって被害を受けた地域に住む人々のために、今なお放射能のなかで生きるベラルーシのウベルラド放射能安全研究所が刊行した書籍の日本語版が同封されていました。
この本を執筆されたウラジーミル・バベンコ氏は「まさか日本語にしなければならないときが来るとは」と言います。

今日からできる!キッチンでできる!
チェルノブイリからのアドバイス
自分と子どもを放射能から守るには
http://www.amazon.co.jp/

「知って守る」「食べて守る」「この地で生きる」という3章で、とてもわかりやすく構成されています。
その中で、福島近海の海底に溜まっていると考えられる 放射性物質の「食物連鎖による生体濃縮」について知らされると、今年の築地市場の初競りで269kgのマグロが5649万円で競り落とされて、1kgあたり21万円なんだとか、一貫なんぼだとか、ついつい金額にばかり目の行く私も、1kgあたり何ベクレルなんだろうと、そちらの情報が欲しくなりました。
食物連鎖の上位になるほど放射能の濃度が高まり、そのもっとも上位に立つ人間は最も濃縮されたものを取り込む可能性があると指摘されますが、回遊魚も大型になるほど濃縮されていくのであれば、皮肉なことに最も濃度の濃いものを高く買うという構図になります。
そんなことを言っていると経済構造が根底から揺らぎますから、今後ますますタブー視されていくのかもしれませんし、妻からは「言い出したら何にも食べられへんやん」と・・・。
同書には、放射能を取り込みやすい品種や、放射能を減らす調理法なども記されています。そして「栄養素や味をとるか、放射能をとるか?皆さんの判断に委ねられる」と厳しい言葉も。

常照寺のホームページにもhttp://www17.ocn.ne.jp/~jyosyoji/チーム二本松のリンクを貼らせていただきました(無断でごめんなさい)。

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earth

2012年01月12日 | ブログ

数日前、三重県立美術館で開催されている「イケムラレイコ うつりゆくもの」http://www.bunka.pref.mie.という作品展を観てきました。
Photo 広い館内を、作品だけで9つの空間が構成されていています。
フライヤーにあるのは「Floating」というゾーンに配された「Face in Blue -青に浮かぶ顔-」という作品です。
このゾーンには、眠る表情を浮かべた顔がイメージされていますが、ガイドによると「彼らは単に熟睡しているわけではありません。眠りと覚醒、生と死、意識と無意識の中間で、次なる目覚めを待ちながら漂い浮かんでいるようです」とあります。
また、

Floating -うかびながら-

目をつぶれば
それだけで死者に会えます
なみだの空に浮かびながら

という作者のコメントが寄せられてあり、しばし問われました。
少なからず死者と向き合うご縁をいただく者として、亡き人々を仏として出遇いなおすということができているだろうか、と。果たして、諸仏の表情に思いを馳せることがあるのかと。

彼女の目線はヒロシマ・ナガサキにも向いていて、今ふたたび「まるで戦争の後のようにわれわれの大地はあらされた」、そして「私は信じることがありそれだからこそ、たましいをこめてつくったものをささげたいのです」と図録に記されています。

その視線に思いを馳せていると、数日前の県立図書館フォーラム「3.11から未来へ」遊煩悩林2012.1.10で、哲学者の鷲田清一氏が、被災地のボランティアについて、兵庫県のボランティアチームの活動を高く評価していたことをふと思い出しました。
被災地で生き残った方の玄関に「心のケアお断り」という貼り紙があったといいます。阪神淡路大震災を体験した兵庫県のボランティアスタッフは、その心境をよく熟知していたと。「頑張ってください」「お困りのことはありませんか」「大丈夫ですか」「私たちにできることはありませんか」といった被災者を追いつめ、苦しめていく言葉が飛び交う中で、黙々と無言で作業していたのが兵庫県のチームだった、というのです。そしてこのチームは、人員を一挙に動員するのではなくて必ず数班の体制で2泊3日で交代をし、必ず作業後には「飲み会」をやるのだ、と。
そこから、ある精神科医の「アースをつける」という流儀を紹介されます。
「アース」は電気のコンセントに併設されている、過剰な電力を逃す装置のことですが、重傷の患者の苦悩をまるまる受けとめるのが精神科医の勤めだが、受けとめっぱなしでは潰れてしまう、だからこの医師は「常にアースを挿してそれを流しているんだよ」と。つまり兵庫のボランティアチームもそれができていたというのです。

イケムラレイコさんの作品から、どうしてそんなことが不意に思い出されてきたのかはそれこそカウンセリングが必要かもしれませんが、何といいましょうか、アース(earth)は、人間が受けとめきれない事柄を大地へ逃す・・・逆にいえば、人間が受けとめきれない事柄を受けとめてくれる大地という感覚でしょうか。イケムラレイコさんのメッセージの中に

少女たちよ、大地に触れなさい
からだを横たえると
こちらの世界とあのよを
いききできるのです

Girls Toward Horizon -地平線へと向かう少女たち-

という響きに通じるものがあると思うのです。・・・「大地」と表現された事柄について、たびたび手を合わせて感じていきたいと思います。

http://www.leiko.info/

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鈍感な私に

2012年01月11日 | ブログ

真宗大谷派・九条の会から、2月10日に京都大谷婦人会館で開催される第5回集会のご案内をいただきました。
記念講演をされる高史明さんの

近代とは、人間が大地を征服することが当たり前になった時代ですね。一方に別の目線がある。日本の田舎のじいさん、ばあさんの目線は、大地への親密感が非常に深い。
『世界』2011.8月号〈対談・日本のありようがまるごと問われている〉より

この「大地」への目線・・・。

日時 2012年2月10日(金)PM2:00~5:00

会場 大谷婦人会館3F 稲田の間

講演 高 史明 さん「真宗と憲法9条」

提言 大湾 宗則 さん「沖縄・日米安保・憲法九条」

昨年の東本願寺の報恩講で、参詣者に配られた同会の賛同人募集のチラシが同封されていました。
そこには

本当の願いは何ですか?
原発は危ない。でも「便利で快適な生活のためには必要でしょ?」と言われると、「そうかなあ・・・」と思ってしまう私がいます。
戦争なんてこりごり。でも、「国の安全のためには、軍隊が必要でしょ?」と言われると、「それもそうだなあ・・・」と思ってしまいます。
そして、危険な原発を過疎地に押しつけ、基地を沖縄に押しつけています。
そう、それをしているのは私たち自身です。
そんな私に、お念仏の教えは、「それでよいのか?」と厳しく問いかけてくださいます。
(中略)
ここは東本願寺。阿弥陀さまの本願の教えに触れ、
そして、自分自身の本当の願いに気づく場所です。
胸に手をあてて考えてみてください。あなたの本当の願いは何ですか?
あなたは、自分の子どもや孫たちに、どんな世界をのこしたいですか?
南無阿弥陀仏

とあります。

本当の願い・・・私はいったいどんな世界、世の中、社会を願っているのでしょうか。またまた、あいだみつをさんの言葉が浮かんできました。

おまえさんな
いま一体何が一番欲しい
あれもこれもじゃだめだよ
いのちがけでほしいものを
ただ一ツに的をしぼって言ってみな
みつお

通信面には「大震災・原発事故の渦中にあって、憲法改悪につながる動きが顕著になってきました」とも記されています。
よくよくアンテナをはっておかなくてはならないことを「九条の会」は、鈍感な私に伝えてくださっています。

奇しくも今朝の新聞報道によると政府は、新型インフルエンザによる社会の混乱を抑えるという名目で「外出」や「集会」を法に基づいて制限できるようにする法案を国会に提出するといいます。
2月10日は東本願寺大谷婦人会館ではこの「九条の会」の集会が、東本願寺視聴覚ホールでは「原子力問題に関する公開研修会」が予定されています。

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