遊煩悩林

住職のつぶやき

二河白道

2007年10月31日 | ブログ

「二河白道」は、善導大師が著わされた「観経疏」に譬喩として説かれています。下手な解説は抜きにして、親鸞が教行信証の信文類に示された読み下しの現代語訳をご紹介しますのでご味読ください。

往生を願うすべての人々に告げる。念仏を行じる人のために、今重ねて一つの譬えを説き、信心を護り、考えの異なる人々の非難を防ごう。その譬えは次のようである。
ここに一人の人がいて、百千里の遠い道のりを西に向かって行こうとしている。その途中に、突然二つの河が現れる。一つは火の河で南にあり、もう一つは水の河で北にある。その二つの河はそれぞれ幅が百歩で、どちらも深くて底がなく、果てしなく南北に続いている。その水の河と火の河の間に一すじの白い道がある。その幅はわずか四、五寸ほどである。
053_a この道の東の岸から西の岸までの長さも、また百歩である。水の河は道に激しく波を打ち寄せ、火の河は炎をあげて道を焼く。水と火とがかわるがわる道に襲いかかり少しも止むことがない。
この人が果てしない広野にさしかかった時、他にはまったく人影はなかった。そこに盗賊や恐ろしい獣がたくさん現れ、この人がただ一人でいるのを見て、われ先にと襲ってきて殺そうとした。
そこで、この人は死をおそれて、すぐに走って西に向かったのであるが、突然現れたこの大河を見て次のように思った。「この河は南北に果てしなく、まん中に一すじの白い道が見えるが、それはきわめて狭い。東西両岸の間は近いけれども、どうして渡ることができよう。わたしは今日死んでしまうに違いない。東に引き返そうとすれば、盗賊や恐ろしい獣が次第にせまってくる。南や北へ逃げ去ろうとすれば、恐ろしい獣や毒虫が先を争ってわたしに向かってくる。西に向かって道をたどって行こうとすれば、また恐らくこの水と火の河に落ちるであろう」と。こう思って、とても言葉にいい表すことができないほど、恐れおののいた。そこで、次のように考えた。「わたしは今、引き返しても死ぬ、とどまっても死ぬ、進んでも死ぬ。どうしても死を免れないのなら、むしろこの道をたどって前に進もう。すでにこの道があるのだから、必ず渡れるに違いない」と。
こう考えた時、にわかに東の岸に、「そなたは、ためらうことなく、ただこの道をたどって行け。決して死ぬことはないであろう。もし、そのままそこにいるなら必ず死ぬであろう」と人の勧める声が聞えた。
また、西の岸に人がいて、「そなたは一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。わたしがそなたを護ろう。水の河や火の河に落ちるのではないかと恐れるな」と喚ぶ声がする。
この人は、もはや、こちらの岸から「行け」と勧められ、向こうの岸から少しも疑ったり恐れたり、またしりごみしたりもしないで、ためらうことなく、道をたどってまっすぐ西へ進んだ。そして少し行った時、東の岸から、盗賊などが、「おい、戻ってこい。その道は危険だ。とても向こうの岸までは行けない。間違いなく死んでしまうだろう。俺たちは何もお前を殺そうとしているわけではない」と呼ぶ。
しかしこの人は、その呼び声を聞いてもふり返らず、わき目もふらずにその道を信じて進み、間もなく西の岸にたどり着いて、永久にさまざまなわざわいを離れ、善き友と会って、喜びも楽しみも尽きることがなかった。
以上は譬えである。

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汝としての私

2007年10月29日 | ブログ

報告が遅くなりましたが、24日、真宗大谷派三重教区主催の御遠忌テーマ学習会が桑名別院で開催されました。
2011年の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌に向けて発信された「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマから、その学びを深めるために桑名市西恩寺の池田勇諦先生を講師にお迎えしました。
「宗祖としての親鸞聖人に遇う」という基本理念、「本願念仏に生きる人の誕生」という基本方針に基づいて広く社会に向けて発信されたこのテーマは、真宗の教えのどこから見出されてきたものなのか。つまり、このテーマの教学的根拠はどこにあるのかという問題について、善導大師の「二河白道の比喩」にみる、このテーマの根拠についてお話をいただきました。Photo
講義では「二河白道」の絵図(写真)を示して、そこに描かれている「弥陀の招喚」と「釈迦の発遣」が、「今、いのちがあなたを生きている」の中に同時にこめられてあり、このテーマが招喚と発遣の二重構造になっていることを指摘します。
「いのちがあなたを生きている」の「あなた」とは、そのまま「私」のことでありましょうが、その「私」とは何なのか。「私とは『汝』である」と表現されます。
「私=汝」それだけではわけがわからんところですし、この「いのち」についても、それがはたして生理的な「生命」なのか、宗教的な「いのち」なのかという問題を含めて池田先生自身、この御遠忌テーマは「難儀なテーマ」だといっておられました。
これまでの学びの中でも「いのち」は、人間の「生命」ではなく、「無量寿」つまり「南無阿弥陀仏」であることを確認してきました。
「釈迦の発遣」という視点からすると「いのち」は「救主である弥陀」つまり南無阿弥陀仏であり、「あなた」とは「仁者」である、と。教主である釈迦から「仁者」と敬われている「私」です。
「弥陀の招喚」という観点からすれば、「いのち」はすなわち「我」であり、「あなた」とは「汝」として救主である弥陀から敬われている「私」である。
御遠忌テーマの二重構造についてこのように説明されます。つまり釈迦の発遣からすれば「今、南無阿弥陀仏が仁者を生きている」となりますし、弥陀の招喚からすれば「今、我が汝を生きている」となるということです。
私たちは常々「私」と自明しているつもりの自分でありますが、この「私」とは「真実の『我』から『汝』と喚び招かれている『私』」であり、本当の「私」とは「汝」なのだとおさえられるのです。
阿弥陀仏を「他者」として、「自分」を立てて生きている私に対して、阿弥陀仏が私にとって他者ではなく、阿弥陀仏こそが本当の主体となって生きることが「親鸞聖人の発遣」であり、「私」が「汝」として気づかされてきたときに「一心願生(願生浄土)」の歩みがはじまるというのです。
「一心」とは「感」感じること、「願生」は「動」動きであって、一心願生とはつまり「感動」なのだ、と。「感動」というのは感じるだけではないのだ、動きを伴うということを、あいだみつおの言葉を引用されておられました。信心とは「汝」の自覚であり、そこから「座より立つ」動きが、「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマから見いだされてくることを今回の学習会では知らされました。
その「今」についても、あいだみつおの「いまがいちばんいいとき いまがいちばん大事なとき」という言葉を引用されておられました。
今、理屈でなく汝の自覚が求められているのです。

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コマーシャル

2007年10月27日 | ブログ

京都での夜。
かつて、ともに仕事をした仲間のいる「蛇の目屋 鱗」という店(写真)で、杯を重ねながら、当時の友人の噂をしていると、店の子が「彼、いまカウンターで飲んでるよ」と。
その彼は、寺町にある古着店を経営しています。
彼に誘われて、ここでバイトもさせてもらっていたショップです。
ヴィンテージがそろう店です。興味のある人は行ってみてください。
98」というショップです。

98
pm0:00-8:00
京都市中京区寺町通六角下ル
075-212-4128
http://98-kyoto.ns-st.jp/

 

ところで「蛇の目屋 鱗」は、入口に立ち飲みカウンターがあり、奥には30人ほどの宴会ができるボックス席とテーブル席、カウンター席がある。名物は「蛇の目焼」と称する鳥料理。創作料理屋さんですが、新鮮な鳥刺が常時食べられます。値段もお手頃ですし、深夜3時まで営業しています。「山ねこ」という焼酎が美味かった。

 

Imgdb7a128azikazj 蛇の目屋 鱗
JANOMEYA UROCO

pm6:00-am3:00
京都市中京区西木屋町四条上ル
075-231-2772

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ジェネレーションギャップ

2007年10月26日 | ブログ

京都で一泊。
いつも事前にネットで宿の手配をするのですが、今回はお手頃のホテルがどこもかしこも満室だったので、本山の職員に予約を依頼しました。しかし、紅葉にはまだ早いこの時期の平日にどうして宿がとれないのか、と「?」でありました。
本山での会議を終えてホテルにチェックイン。ようやく謎が解けました。
「修学旅行生と同じフロアになりますのでご了解ください」
修学旅行のシーズンなのでした。今時の修学旅行は旅館で枕投げをする時代ではないのです。シングルルームでの宿泊なのです。全部が全部ではないでしょうが・・・。
そういえば、今夏の高校野球でも、甲子園に出場した地元の高校の野球部員はそれぞれ個室だったと聞きました。選手がプレーに集中できるようにという配慮だそうです。大部屋ではストレスで眠れない子どもたちが多いそうです。
修学旅行の目的は「修学」ですが、それは社会勉強でもあります。集団生活・集団行動によってその規律・規範を学ぶわけです。私などはもっともその規律を乱す立場ではありましたが・・・そのことで全体にかかる迷惑といったことを学んだわけです。もちろん、宿泊が個室になったからといって集団行動であることに変わりはないのですが、「枕なげ」に象徴される集団生活はなくなったわけです。
大きな部屋に布団を並べて休むような経験は、もはや必要ないのでしょうか。いずれ受験を控える子どもたちにとって一人でホテルの一室を利用することは、必要な経験になりましょう。自分でシャワーを浴びて、自分で起きて、集合時刻に間に合うように身支度を整えるのですから・・・。大学受験に親が同伴というケースも少なくないともいいます。
ですが、修学旅行の個室化は、それよりも子どもたちのストレスを緩和することが重視されているのか、引率者の負担軽減のためなのか、保護者からの要望なのか、憶測は尽きませんがいろいろな要素の結果こうなっているわけです。
それがいいとか悪いとかいうつもりはありませんが、かつての集団生活的修学は「和」を育んだのに対して、「個」を重要視する時代社会の要請を感じます。それは「みんなの中の私」から「私は私」的な自己が育ってきた結果ではないかというと大げさでしょうか。個性の尊重はもちろんですが、それがどこまでも自己中心的な「個性」であったり、孤立した「弧性」とならないような配慮の必要を感じます。
しかし、もし大部屋で布団を並べて寝たとしても今の子どもたちは果たして「枕投げ」などやるのだろうか?
朝方まで友人たちと飲み明かしてホテルに戻った私こそ、規律のない生活を続けているのでありました。

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科学という宗教

2007年10月24日 | ブログ

秋の彼岸会で荒山淳先生が紹介されていた柳澤桂子という生命科学者の「すべてのいのちが愛おしい(集英社文庫)」を読みました。著者は、原因不明の病気を発症して以来、ライフワークであった生命科学の研究を断念して病床で 執筆活動を続けてきたそうです。
この著は「生命科学者から孫へのメッセージ」という副題のとおり、すべてが「里菜ちゃんへ」という書き出しではじまるお手紙で、一つひとつのお話が短的にまとめられていてとても読みやすい本です。生命科学者が「いのち」の不思議を易しく表現してくれています。
私はこれまで生命科学というとどこか「いのち」の問題に対して冷たい印象を持っていました。生命を科学するわけですから・・・。生命のルーツがわかったとしてもそれが「なぜ」存在するのかは科学では証明できない問題です。ですが、生命科学はその「なぜ」の領域にも及んできているのではないかと感じました。つまりそれは宗教としての「科学」です。著者が、長年の闘病生活の中でも「死」を恐怖に感じないのは、「無」になるという科学的根拠をもとにした宗教観のゆえであるとか・・・。
この著書の中で印象的なのは、いま生きているすべての人々の祖先が、20万年前のアフリカで生まれた一人の女性にたどり着くことができるということです。この裏付けとして、1991年にヨーロッパで発見されたアイスマンとよばれる5300年前のミイラの例から、アイスマンの生きた時代の算出方法とDNAの塩基配列によってその子孫が特定されることについての説明が、素人にもわかるようにされています。著者が生命科学に感じた魅力がそのまま表現されています。
とくに記憶に残っているのは、さまざまな自然界の動物たちのいのちとその摂理と不思議が提起されてくる中で、その成長や進化を遺伝学的に見たときに生き残る細胞や生物は「生活力のあるものだけが生き残り、子孫を増やします。弱いものや食べ物をとるのが下手のものは、淘汰されて死んでしまいます」としながら、

「人間は弱い人たちにもすくいの手をさしのべるので、弱い人たちも生きのびることができます」

という一節です。
極端にいえば、その進化や成長を妨げるような劣ったものでも、共生し合ってきたのだということです。ここでいう「劣った」というのは人間的に劣ったということではないでしょう。人間的な「優劣」は社会によって勝手に価値化されるだけですから、ここでは生物学的に「劣った」ということだと思います。ただし、ここから感じられてくる生命科学者のメッセージは、強く社会に向けられたものです。
もちろんそれは社会的に弱者とされるものに対してもそうですし、人間以外のすべての「いのち」に対して、つまりそれは地球、そして宇宙といった規模において、私たち一人一人への問題提起でありましょう。
生命科学者がいう「弱いものたちも生のびられる人間の社会」の発題は、いま、人が人を、いのちがいのちを傷つけ合っていることが顕著になってきている現代社会に向けられたものです。「人間は弱い人たちにもすくいの手をさしのべるので、弱い人たちも生きのびることができます」ということばはこう続きます。

「それでは人間の強さが失われてしまうと心配する人もいますが、私は強い人だけの社会より、優しい人のつくる社会の方がよいと思います」

と、生命科学者のおばあちゃんは孫の里菜ちゃんに書き残しています。人間の強さ、優しさとは何か?そして私たちはどんな世界や社会を願い、望み、それをどういうふうに子や孫に伝えていけるのか、そんなことを問わされる一冊です。

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