来年度開催される特別伝道研修会のスタッフ学習会が常照寺にて昨晩、開催された。第3回目のテーマは「現代と真宗」。
講師の尾畑文正先生(同朋大学教授)は、まず「現代」を「現実的社会問題」と捉えて、また「真宗」を「宗教的問題」と広義に置き換えて、この2つの問題を切り離さずに問うていく姿勢の重要性を述べられ、そしてそれが真宗の仏教であると提言された。
また、「宗教」は「教え」であり、それは個々人が生きる方向を意味しており、「現実」とは「私」の存在そのものであるとして、その双方による往復運動、つまり教えによってわが身が問われ、また現実的存在としてのわが身を教えに照らしていく作業の必要を説かれた。
かつての仏教は「山の仏教」であった。「山」というのは、たとえばかつての比叡山や高野山に象徴されるように、いわゆる俗世間と断絶されたところでしか、仏教が語られなかったということである。
親鸞はその比叡山で20年間修行を重ねた後に山を降りた。それは仏教は一部の限られた人のものでなく、広く民衆の生活の中に生きる教えであることを覚られたからといってもいい。
800年過ぎた今でも、宗教を「現実から目を背けさせる道具」にしようとするものを現代社会は持っているが、尾畑先生は「念仏は現実から目を背けさせる精神安定剤ではない」と明確に否定される。
そして先達の言葉を引かれて「新聞と聖典のはざまに身を置く」生活を提起された。つまりそれは新聞に象徴されるように、私たち一人ひとりが形成する現実社会の問題から目をそらすことなく、生きる方向を教え(聖典)の中に見出していくあり方である。
そして真宗大谷派が現代社会に対して発信してきた声明を手がかりにして、現代と真宗の接点を提起された。1982年から20年の間に大谷派は60もの声明を発表してきた。核兵器、ハンセン病、靖国、臓器移植、死刑、不戦、原発、などすべて現代社会が直面する問題に対してである。
ただ、これらの問題提起が教団としての言葉上のアリバイ工作でなく宗教的精神の現実的機能であるために、社会との関わりの中で学ぶ真宗の教学が展開されなければならない。
としたうえで、このことを踏まえて「現代と真宗」というテーマにおいて以下の問題提起をいただいた。
これらの問題に対して発言してきたこと全体が実は、現実の真宗大谷派教団を問うているのであり、浄土真宗なる仏教の存在の意義を問うているのである。まさしく教団の、教学の社会倫理が問われている。
のだと。真宗という仏教の社会的倫理を問い明かしていくこと、このことが念仏者として生きる真宗門徒の責任といえよう。その責任を果たさず葬式・年忌でしか関われない寺と門徒のあり方も同時に問われることである。
最後に念を押された。「本講座ではもっと具体的に分かりやすく講義をします」。本講座は来年開催されます。受講希望の方、また興味のある方は気軽におたずね下さい。