宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。
今回は、現在も残る嘗ての鉱山住宅跡。
鉱山の南東、佐野地区と呼ばれる所に、
嘗ての幹部職員用の「佐野社宅」が残っています。Mapion
昭和の初期の頃に建てられ、
平成16年(2004)まで実際に使用されていた社宅群です。
更に平成20年(2007)には、
映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
のオープン・セットとして使われ、現在は観光名所となっているため、
取り壊しを免れた貴重な社宅群です。
オープン・セットは、社宅群の至る所を改造し、
勝手なイメージを作ってしまっている所も多々ありますが、
その辺は次回アップするとして、
今回は当時の姿を残しているだろうと思われる場所を中心に、
アップしようと思います。
段違いの板塀、板張りの壁、
雨よけが付けられた玄関、
幹部用職員の社宅だけあって、
どの建物も造りがとても丁寧です。
右手前に写る木製の塵箱は、もしかしたら、
映画のオープンセット用に作られたものかもしれませんが、
ともあれ現代では殆ど失われてしまった街並が、
ここでは見る事ができます。
庭の垣根、木製の縁側、そして木製の物干。
縁側があり、内側には障子の仕切りがあって、
外側は木枠のガラス窓、
左端には雨戸の戸袋がみえます。
私は生まれも育ちも東京ですが、
子供の頃、こんな家に住んでいたのを思い出します。
佐野社宅は全て幹部職員用の住宅ということで、
どの家も手の込んだ造りの一戸建ですが、
一般の鉱員の方々は主に三軒長屋と呼ばれる、
棟割長屋に住んでおられたそうです。
鉱山資料館のエントランスには、
学生さんが制作した精密な三軒長屋の模型があり、
当時の生活の様子を知ることができます。
鉱山の生活を知るにはちょっと特殊な建物ですが、
昭和の息吹は十分に感じられる貴重な住宅群です。
住宅街の裏手には、
取り外されたくり電の信号機が横たわっていました。
<<< ガンバレ!東北 >>>
細倉鉱山のシリーズです。
今回は、現在も残る嘗ての鉱山住宅跡。
鉱山の南東、佐野地区と呼ばれる所に、
嘗ての幹部職員用の「佐野社宅」が残っています。Mapion
昭和の初期の頃に建てられ、
平成16年(2004)まで実際に使用されていた社宅群です。
更に平成20年(2007)には、
映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
のオープン・セットとして使われ、現在は観光名所となっているため、
取り壊しを免れた貴重な社宅群です。
オープン・セットは、社宅群の至る所を改造し、
勝手なイメージを作ってしまっている所も多々ありますが、
その辺は次回アップするとして、
今回は当時の姿を残しているだろうと思われる場所を中心に、
アップしようと思います。
段違いの板塀、板張りの壁、
雨よけが付けられた玄関、
幹部用職員の社宅だけあって、
どの建物も造りがとても丁寧です。
右手前に写る木製の塵箱は、もしかしたら、
映画のオープンセット用に作られたものかもしれませんが、
ともあれ現代では殆ど失われてしまった街並が、
ここでは見る事ができます。
庭の垣根、木製の縁側、そして木製の物干。
縁側があり、内側には障子の仕切りがあって、
外側は木枠のガラス窓、
左端には雨戸の戸袋がみえます。
私は生まれも育ちも東京ですが、
子供の頃、こんな家に住んでいたのを思い出します。
佐野社宅は全て幹部職員用の住宅ということで、
どの家も手の込んだ造りの一戸建ですが、
一般の鉱員の方々は主に三軒長屋と呼ばれる、
棟割長屋に住んでおられたそうです。
鉱山資料館のエントランスには、
学生さんが制作した精密な三軒長屋の模型があり、
当時の生活の様子を知ることができます。
鉱山の生活を知るにはちょっと特殊な建物ですが、
昭和の息吹は十分に感じられる貴重な住宅群です。
住宅街の裏手には、
取り外されたくり電の信号機が横たわっていました。
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