障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

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先生とおしっこ

2007年11月27日 | 障害児
 2007.11.19付け、毎日新聞「みんなの広場」に「おしっこの床をふく先生 追憶」という投稿が載っていた。筆者は、山梨県の94歳の女性。大要次の内容である。
「小学生のころ、母親がいない友達が幼い妹を学校に連れてきていた。その妹がおしっこを漏らした。先生は幼児のお尻を洗い、自分の上着で包み、おしっこの流れた床を幾度も丁寧に拭いた。それをボンヤリ眺めていた私。後悔と懐かしさで胸がいっぱいだ。」

1日に4回、学校に行く保護者がいる。排泄介助を必要とする障害児の親である。介助の実態は、ちょっと体を支えてやればいい、大便の時だけ後始末に介助が必要、おしめを交換するなど、いろいろ。介助をするのは母親である場合が多い。1日に4回というのは、朝登校時、午前10時頃、昼休み、下校時の4回である。どんなに簡単な介助であっても、先生はやってくれない。新任の若い先生など「親が1日に4度も学校に来なくても、中間の2回はぼくがやりますよ」なんていう優しい先生もたまにはいる。でも、教頭先生から「あんたは教員なんだよ。教員は教育をすればいい。おしっこの世話は教員の仕事ではない」なんて叱られて、せっかくの優しさもたちまちしぼんでしまう。教頭の指示は、彼の判断ではない。教育委員会からの指導である。だから、県下どの学校でもそうした状況に大差はない。何でもかでも杓子定規に指示を厳守するのが、現在、管理職たる者の必須の条件である。
たまに母親が来るのを待ちきれず粗相をすると、とうぜん母親に臨時の呼び出しがある。おしっこの流れた床を先生が拭いてくれたのは、94歳のおばあちゃんの子供時代の話なのである。この現実を投書をしたおばあちゃんが知ったなら、どう思うだろう。おばあちゃんにとっては、おしっこで汚れた床を丁寧に拭いた先生の姿こそが最高の教育だったのである。「おしっこの世話は、教育ではない」という理屈を納得できるだろうか。

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2 コメント

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そんなことはない・・・と思いたい (なおさん)
2007-12-14 23:39:16
極端な話、人様の下の世話が出来ると言う事はその人とこの世で一番強い絆ができる!って事だ。
本当は「ありがたい。」っておもわなきゃあー。

我が家の中1になるダウン症の息子は、昨日も学校でウンチが間に合わず、下着と靴下が汚れてしまい。

担任から「下着をお願いします。」の電話があり、急いで持って行きました。

少なくはなりましたが年に1・2度はあります。

でも私は学校でのこのような粗相の後始末は学校の仕事と思っています。

私も小学校入学の時はこの粗相の事が一番気になる事だったし、普通学校、学級にやるのを一番ためらう事由だと思います。

その何だか引け目に感じていた事を気持ちよく取り去ってくれた先生がいました。

4年生の担任、男の先生でしたがこの粗相の件で話した時「そんなことは全く心配ありません。子どもがお漏らししたら、ラッキーですよ。
私とその子の信頼関係がばっちりですよ。ぼくは、子どもがお漏らししたら、やったーー!とおもいます。
ちっとも汚いなんておもいませんよ。」

この時、はっと思いました。
なーんだ、先生という仕事に役にたっているんだ。
それからは子どもがお漏らししても以前のような気が重いようなことはなくなりました。

もし、そのことで何か言ってくる教員がいたら
言い返してやる!と思っていましたが、そのような事は全くなくパンツまで洗ってもらってました。

担任の子がお漏らししたら先生は床を何度も拭き「大丈夫、お前たちが漏らしたら俺がちゃんとかたずけてやるぞ。心配するな!」ってやるのがあたり前。

その先生は子どもたちにいつもいつも言ってました。
「教室はまちがうところだ。」「安心してまちがえろ。」って・・・。

床を黙って拭いている先生の後ろ姿を見て子どもたちは育つんだ。
お漏らしもしない、よだれも垂らさない、鼻も垂らさないお利口さんしかいない教室ではやさしい気持ちは育たない。

だから息子はずーっと普通クラス。
絶対、離れないぞ。

今、普通高校に行くため動き始めましたが、知事や国会議員、県議は応援してくれるけど・・・・。

頑として認めないのは教委。

なんの為にあるんだろう・・・・。
本当にいらないはあそこだけは・・・。

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Unknown (チャーミー)
2008-01-27 11:12:06
息子さんは良い環境でのびのびと育っているようですね。それが本当は当たり前だと思います。けれど、当たり前でないことがあまりにも多くて悲しくなります。
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