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教科書検定

2007年10月04日 | 教育
 日本軍の「集団自決」強制に関する教科書検定問題は、予想通りたいへんおもしろい。むかむかするほどおもしろい。
沖縄県の撤回要請に対して、いち早く反応したのは官房長官で、「関係者の工夫と努力と知恵があり得るのかもしれない」との認識を示した。これを受けて、文部科学大臣も「関係者の知恵を出すことによって皆さんの気持ちを反映することが可能にならないか(と考える)」と似たり寄ったりの回答をした。
 政府は、10月2日の閣議で、「教科書会社から訂正申請があった場合は適切な対応を図る」ことを決定した。
 奥歯に物のはさまった言い方というか、阿吽の呼吸で解釈してくれというか、いらいらする物言いだが、通常なら内容の訂正は認めないこの時期に、わざわざ訂正申請を促し、工夫と知恵で適切な対応を図るということは、、マスコミ各社、教科書出版社に限らず、一般人からも、軍関与の記述復活を認めるという意味だと解釈されている。
しかし、訂正申請するかしないかは一に任せて出版社の判断である。もし、出版社が訂正申請しなかったら、来年度、軍関与削除のままの教科書が出回ることになる。それでいいのか? それについて政府は、「軍の関与が一切存在しなかったとする記述はなく、誤った事実の記載にはならない」としている。これまたちょっとわかりにくい言い方だが、平たく言うと、「軍が関与したという表記は削らせたが、軍が関与しなかったと書かせたわけではないから事実を曲げたわけではない」と言っているのである。
 沖縄の県民大会で、教師をめざす女子高校生は訴えた。「あの醜い戦争を美化しないでください。日本の将来を託すべき高校生に誤った歴史を教えることは、うそを教えて若者を戦争にかりだした戦前の誤りにつながりかねません。」あの高校生は、この回答で納得するだろうか。
政府・文部科学省は、検定意見を撤回するとは言っていない。「今回の検定意見を出した後、新たな証言や事実が出されたということもあり、状況の変化があった」と言っているに過ぎない。大切なのはそれに続く言葉だろう? 状況の変化があったからどうするのかをはっきり言うべきではないか。
「ごめんなさい。あの検定意見はまちがっていたので撤回します。これからは軍の関与を書いてもパスさせます。」と率直に、わかりやすい言葉で言えばいい。「過ちを改むるに憚ることなかれ」だ。だれもごたごた言いはしない。あれこれ憶測する必要もなくなる。
 出版社・執筆者側は、いまだに政府・文部科学省の出方を伺って迷っている。単純に元の表記を復活させるのではなく「表現を工夫することになる」そうだ。単純に元の表記で申請すれば、文部科学省に踏絵を踏ますことになる。世論の反発を考えるとまさかとは思うが、面子にかけて元のままでパスさせるわけにはいかない。そうなった場合は来年度の教科書が出版できず、社の命運に関わるのである。「強制」「強要」なんて言葉を使っても大丈夫だろうか? 「指示」ぐらいなら、いやいっそ「示唆」「暗示」の方が………、出版社の悩みは深い。
 今回は長い文章になったが、まだまだ終わるに終われそうにない。

行政無謬(3)

2007年10月01日 | 平和
 9月29日、沖縄県は県民大会を開催し、島ぐるみ官民一体11万人が参加した。大会では、「集団自決に関する教科書検定」に抗議し、政府及び文部科学省に指針の撤回を求める決議をした。文部科学省は、この事態に頭を抱えているに違いない。撤回自体はたやすいことだ。こっそりできるなら今すぐなかったことにしたい。けれど今、全国民注視の中、撤回することで失う面子、検定の権威の失墜は耐えがたい。これまで、いいたい放題、したい放題がまかり通ってきた文科省は、沖縄県をなめていた。まさかこんな事態になろうとは………。
 不謹慎だが、このなりゆきは興味津々だ。