障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

障害がある子とない子と → 頑固爺の「ごまめの歯ぎしり」

物言わぬ教員

2008年07月28日 | 教育
 渦中の大分県教員人事汚職について、次のような記事があった。
 「揺れる教諭の胸の内」「組織の人間、意見は言えぬ」
 「この教諭は『意見を述べる立場にない。県教委がしっかり調査すればいいし、……(中略)…』。一見、無関心を装った返答だった。………記者は………中学校に勤務する男性教諭宅を訪ねると、妻が玄関先で『個人として言いたいことはあるだろうが、夫は組織の一員、答えられない』と頭を下げた。 また………別の中学校に勤める男性教諭も『個人的な意見は言えない。組織の中にいるから』と同じ答えが返ってきた。」(2008.7.27 毎日新聞)
 よくある風景である。組織の人間は突きつけられたマイクを無視して無言で立ち去る。そうすべきだと教育されてきたし、上から緘口令も敷かれている。下っ端は物を言うべきでないし、物を言わなければ安泰を保障される。「物言えば唇寒し」「雉も鳴かずば撃たれまい」「雄弁は銀、沈黙は金」。江戸時代270年、庶民はお上のご政道に口を出さないことを躾られてきた。それこそがお上(県教委)にとってもっとも善良な民であるから。
  物言わぬ習慣を続けるうちに能力的に「物言えぬ」民になった江戸時代の庶民。その庶民そのままの「組織の一員」。そんな一員・一員が腐った組織を作り、育ててきたことに無自覚で、したり顔で物言わぬことを美徳とし、妻にまでその教育を敷衍していく、これが今の教員である。

「ひらめ教師」の発生源

2008年07月08日 | 教育
 大分県の教員採用汚職、芋蔓式に広がっている。事件の内容は、新聞の見出しをたどるだけで事足りる。「昇進でも金券」「人事前後は金動く」(以上、毎日新聞)、「他の人もやってる」「なれ合い、罪の意識なく」(以上、長崎新聞)。「お世話になったお礼」とか「挨拶」が常識の世界だったことがわかる。これは大分県だけの特殊事情だろうか。いやいや、大方の人が氷山の一角だと思っている。「教員の世界は閉鎖社会。大分と同じような土壌は全国にあるのではないか」(尾木直樹法政大教授)「教員採用の情実やコネの疑惑はほかでも聞く」(毎日新聞「余録」)「こちらに飛び火するんではないか」と眠れぬ夜を過ごす人、「ああ、ワシのケースはもう時効だろう」と首を縮める人があちこちにいるに違いない。
 教育行政の方向性は、管理職の権限を強化し、上意下達の徹底を図っている。
 教員の昇進には、上司の推薦が不可欠である。昇進を望むなら、校長のかばん持ちになり、運転手になり、私的な交際を深め、校長の意に反することは言わないことが出世の近道である。こうして昇進した者は、部下に自分と同じ事を求める。汚職の害毒の最たるものは、ここにある。