障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

障害がある子とない子と → 頑固爺の「ごまめの歯ぎしり」

副校長と教頭

2007年01月29日 | 教育
 その昔、教員の身分は、校長と俗に「ヒラ」と呼ばれた一般教諭でした。学制頒布の明治以来教頭はいましたが、法的には教頭も教諭でした。だから教頭も授業を担当するし、学級担任をする人もいました。校長でも授業をする、したいという人はかなりいました。
 ところが、学校の管理体制を明確にするということで、1974(昭和49)年、教頭が管理職として法制化され、今まで仲間だと思っていたものが、なんだか上から見下ろされるような感じになりました。立て続けに1976年には主任制度が施行され、一般教諭も主任手当を受ける人と受けない人に二分されました。手当は雀の涙ほどのものでしたが、その金額は問題ではありません。それによって例えば教務主任は学校で№3の地位にあり、教頭昇進の階段に足をかけていることが既成事実化され、教務主任もまた授業をしない人になりました。
 今回は、主幹制の発足です。教育再生会議は「副校長」を置くことも提唱しています。もう教員の職階制は、副校長と教頭はどっちが偉いの? 主任と主幹は?と戸惑うほどです。これからの教員は、その階段を一歩一歩上っていかなければなりません。うかうかしてると人に遅れます。
 昇進の秘訣は二つ、1.上司の気に入られること。なんたって校内の人事権があるのだし、昇進には上司の推薦が不可欠です。2.目立った業績をあげること。地味なことをやっていてはダメです。コンクールやスポーツクラブで名をあげることです。そうすれば、校長はおろか政治家への道だって開けます。
 「ひらめ教師」ということばがあります。上ばっかり見ていて、下(子ども)を見ない教師のことです。こんなに階段が多くては今までのように40歳を過ぎてからその気になっても手遅れです。教師になったそのときから「教師の一分」を捨てる………いや、初めからそんなもの持っていない教師はますます増えることでしょう。

「締め付け」「詰め込め」!

2007年01月28日 | 教育
 教育再生会議の第一次報告なるものが発表された。いわく、ゆとり教育の見直し、授業時間増、そのため週5日制の見直し、1日7時間授業、夏休みの短縮などを検討する。体罰基準を見直し。出席停止制度を活用する。
 26日、安倍首相は初の施政方針演説で、「公共の精神、地域や国への愛着愛情をおろそかにしてしてきたのが、子どものいじめや自殺の原因」だと述べた。ストレスにさらされ疲れた子どもを、更に「締め付け」「詰め込め」ばことが解決するというのか。ああ!

心病む教員

2007年01月08日 | 教育
 現在、教育行政は、教員を一般の会社員や製造工などと同じく経済的手法によって従業員管理しています。一定の方針に従って、社内の管理・統制を厳格にしなければ、従業員を無駄なく効率的に働かせることができないと考えています。また、従業員各個の働きを比較し数量的に評価し、それを待遇に反映することが、より業務に精励させる方途だと考えています。このため、官製の研修を強制する一方、官製以外の研究や研修を排除し、教育実践を限られた枠内に閉じ込めています。
 けれど教員の仕事は、画一的、標準化された商品を製造または販売するのではありません。成果が短時間に測定できる業務でもありません。対象は生きている人間であり、一人一人の個性があります。物も言えない教員が物が言える人間を育てることは出来ません。窒息しそうな教員が元気な子どもを育てることは出来ません。

不当な支配

2007年01月01日 | 教育
 教育基本法
 改悪前「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し、直接に責任を持って行われるべきものである。」
 改悪後「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」 
 立法時(1947、昭和22年)、文部省は「教育基本法の解説」書を発行しました。それによると「教育は、不当な支配に服することなく、」を次のように解説しています。
 「(戦前)教育制度及び教育行政は著しく中央集権化され、強度の官僚統制の下に立ち、このために教育の自主性が尊重されず、又学問研究の自由が不当に束縛される傾きがあった。【中略】ために教育は画一的形式的に流れざるを得なかった。又この制度の精神及びこの制度は、教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめる制度であった。【中略】このような教育行政が行われるところに、はつらつたる生命をもつ、自由自主的な教育がうまれることはきわめて困難であった
 「教育は、不当な支配に服することなく、」 は、今回の改定でもそのままの文言で残りました。しかし、それに続く後段を見るとき 「不当な支配」の意味が全く逆転した ことが明白です。今後、時の権力は次々に教育関連の下位法を改定し、(いや国会の審議を必要としない政令や省令で十分です)教育を統制していくでしょう。