その昔、教員の身分は、校長と俗に「ヒラ」と呼ばれた一般教諭でした。学制頒布の明治以来教頭はいましたが、法的には教頭も教諭でした。だから教頭も授業を担当するし、学級担任をする人もいました。校長でも授業をする、したいという人はかなりいました。
ところが、学校の管理体制を明確にするということで、1974(昭和49)年、教頭が管理職として法制化され、今まで仲間だと思っていたものが、なんだか上から見下ろされるような感じになりました。立て続けに1976年には主任制度が施行され、一般教諭も主任手当を受ける人と受けない人に二分されました。手当は雀の涙ほどのものでしたが、その金額は問題ではありません。それによって例えば教務主任は学校で№3の地位にあり、教頭昇進の階段に足をかけていることが既成事実化され、教務主任もまた授業をしない人になりました。
今回は、主幹制の発足です。教育再生会議は「副校長」を置くことも提唱しています。もう教員の職階制は、副校長と教頭はどっちが偉いの? 主任と主幹は?と戸惑うほどです。これからの教員は、その階段を一歩一歩上っていかなければなりません。うかうかしてると人に遅れます。
昇進の秘訣は二つ、1.上司の気に入られること。なんたって校内の人事権があるのだし、昇進には上司の推薦が不可欠です。2.目立った業績をあげること。地味なことをやっていてはダメです。コンクールやスポーツクラブで名をあげることです。そうすれば、校長はおろか政治家への道だって開けます。
「ひらめ教師」ということばがあります。上ばっかり見ていて、下(子ども)を見ない教師のことです。こんなに階段が多くては今までのように40歳を過ぎてからその気になっても手遅れです。教師になったそのときから「教師の一分」を捨てる………いや、初めからそんなもの持っていない教師はますます増えることでしょう。
ところが、学校の管理体制を明確にするということで、1974(昭和49)年、教頭が管理職として法制化され、今まで仲間だと思っていたものが、なんだか上から見下ろされるような感じになりました。立て続けに1976年には主任制度が施行され、一般教諭も主任手当を受ける人と受けない人に二分されました。手当は雀の涙ほどのものでしたが、その金額は問題ではありません。それによって例えば教務主任は学校で№3の地位にあり、教頭昇進の階段に足をかけていることが既成事実化され、教務主任もまた授業をしない人になりました。
今回は、主幹制の発足です。教育再生会議は「副校長」を置くことも提唱しています。もう教員の職階制は、副校長と教頭はどっちが偉いの? 主任と主幹は?と戸惑うほどです。これからの教員は、その階段を一歩一歩上っていかなければなりません。うかうかしてると人に遅れます。
昇進の秘訣は二つ、1.上司の気に入られること。なんたって校内の人事権があるのだし、昇進には上司の推薦が不可欠です。2.目立った業績をあげること。地味なことをやっていてはダメです。コンクールやスポーツクラブで名をあげることです。そうすれば、校長はおろか政治家への道だって開けます。
「ひらめ教師」ということばがあります。上ばっかり見ていて、下(子ども)を見ない教師のことです。こんなに階段が多くては今までのように40歳を過ぎてからその気になっても手遅れです。教師になったそのときから「教師の一分」を捨てる………いや、初めからそんなもの持っていない教師はますます増えることでしょう。