思いは実現する

日々の考えや覚書、構想などを思いつくまま記していきます。

思いの具現化

2013-07-25 11:27:37 | Weblog
久しぶりに更新。

夏休みいろいろしたいことがある。
これは思いだ。
この「思い」を具現化するには,実行する内容を具体的にを決めることだ。
いわば「行為内容の具体化・特定化」である。

まずこのことから始めよう。

研修会や授業研究会で「私が欲しい情報」

2007-09-29 08:15:08 | Weblog
 私は「できるだけ多くの研修会に参加したい」と常日頃から思っている。
 また,家計が許す限りできるだけたくさんの本を購入したいと思ってい
る。
 「学びたい」「教師としての力量を高めたい」,その一心からである。


 さて,研修会や授業研究会に参加し,私が是非とも「欲しいと思っている」
情報は,次のものだ。

 1 「授業論」
 2 「学級づくり論」
 3 以下の基本的方向やそのポイント
 (1) 授業づくりの仕方
 (2) 教材研究・教材開発の仕方
 (3) 授業研究の仕方
 (4) これからの教育について
 4 有益な教育情報
 5 国や県などの教育施策
 6 各国の教育事情・教育施策等
 7 その他

 特に,1の「授業論」については,次の話が聞けたら大変ありがたい。

  1 個々の「授業行為」「指導言(発問・指示・説明等)」レベルのコメント
  2 1時間の「授業の組み立て」レベルのコメント
  3 一単元の「単元の組み立て」レベルのコメント
  4 「なぜその単元が子どもたちにとって大事なのか・必要なのか」という
   単元選定・教材開発レベルのコメント
  5 「どのような教育が大事なのか・必要なのか」という教育課題・教育の
   行い方レベルのコメント

 上の1については,次の型のコメントが聞けたら,多くの「学び」がある。

   「こう言ったが、このような学習活動を仕組んでいたが、こういった意味で
   よかった。こういった意味でよくなかった。」
  「こういう理由で、このような指導言・授業行為の方がよかったのではない
   か。
   例えば、私だったら、このような指導言・授業行為をする。理由はこうこ
   うだから・・・・。」

 各授業行為・指導言という具体レベルについての「意味づけ」「根拠を示した
評価」「代案」等のコメントである。ここから多くのことが学べる。
 
 
 さて,以上は「聞き手」として立場からの意見である。
 自分がもし「話し手」「発言者」としての立場だったら,どうなのか。
 例えば,授業研究会の場で「どのような発言ができるよう」力つけていけばい
いのか。
 以下は,8年前に書いたメールの文面である。
「指導主事の先生の場合」を想定した文面であるが,これは授業研究会の場で
の「発言者」一般にも言えることである。
 私はできるだけ以下に書いたようなことを念頭において,これまで「発言する
よう」心がけてきた。(もちろん,稚拙な発言が多かったが・・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  どのような力を、指導主事の先生はつけるべきか
    ~指導主事になったらつけるべき「力」とは?~
 
 その一つを次のように考えます。
 
   「個々の授業」「個々の教材」について、その「分析したことを語る」 
   ことができる力。「代案を示す」ことができる力
 
 このような「力」が、指導主事の先生には欲しいところです。
 あくまでも「個々の授業」「個々の教材」についてです。
 つまり、総論ではなく、各論を語れる力です。
 
 「具体的に」「分析的に」「優れた実践を導くように」、各論を語れる力を指導
主事の先生はつけるべきだと考えます。

 私が示した○○氏への代案、拙いものですが、少しはその「各論」で語って
いると思います。
 
 次の代案でした。


  ○○氏の「発問・指示」

    発問 パスをするときの手の形は、どれがいいでしょう。

      1 「ハ」(実際には黒板に手の形を書いて)
      2 「||」
      3 逆「ハ」の字

  私の代案

  1 「パス」をするときの手の動作には、次のような働きがある。
    (1) ボールを受け止める 
    (2) 自分のねらった方向・ねらった角度にボールを送る。

    2 この「パス」で、大切なのは「自分のねらった方向・角度で
   ボールを送れること」だ。
   
   3 つまり、ボールをうまくコントロールできることだ。
    自分のねらった方向・角度にパスできることだ。

   4 遠くにパスしたり、近くにパスしたり、高い角度でボールを送
   ったり・・・・、そのようにボールをうまくコントロールできること
   だ。

   5 多分、○○氏の意図する発問・指示とはそういうことでは
   なかったのか。
    つまり、「パスのときの、ボールをうまくコントロールできる、手
   の形」に気づかせたかったのでないか。

   6 そうすると、自然と発問・指示は決まってくる。
    次の通りである。

  発問  パスをするときに、ボールをうまくコントロールできる
       手の形はどれでしょう。

   7 このとき、実際に実演しながら発問・指示をするとよい。

 箇条書きに番号を打って書いたのには、意味があります。
 もう気づかれたかもしれませんが、1~7は「語っている文」のカテゴリ
ー(意味範囲)が違うのです。
 その違いをはっきりさせるべく、箇条書きに番号を打って記しました。
 つまり、1~8はそれぞれ次のことについて述べています。

  1 「『パス』という運動行為(教材)」の機能・働き
  
  2 どのようなパスがいいのか、「パスの果たすべき役割」
  
  3 パスをする行為者が果たすべき、「望ましい運動行為」

  4 3の「運動行為の具体例」

  5 望ましい運動行為を引き出すための「動作」(手の形)
    それに気づかせることを意図した授業者の発問
  
  6 5の望ましい運動行為を引き出す「動作」に気づかせるための
   代案となる発問

  7 6の発問の提示の仕方(どのような授業行為のもとに発問する
   のがいいのかという)
 
 上の1~8をもう少し整理すると次のようになります。
 
  1~4・・・・教材について分析したことを語った文
  5・・・・・・・授業者の発問の意図を想定・分析した文
  6・・・・・・・代案そのもの

 上の1~8の文を読んだら分かるように、「代案を示し、その根拠を
語ること」が、自然と「教材分析」「教材研究」「指導言」「授業行為」の
話にまで及んでいきます。

 つまり、各論を語っているうちに、具体的に・分析的に・実践を導く
ように語っているうちに、総論にまで話が発展していきます。


イベントへの思い2

2007-09-29 07:05:37 | Weblog
「イベントへの思い」その2である。
 前回のものと同様に8年前の文面である。




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「イベントへの思い」その3です。
 
 今回は、 イベントに来ていただいた参加者の方に書いたお礼のハ
ガキををもとにイベントへの思いを記します。
  まず、一昨年度行った「有田和正IN奄美」のイベントのお礼文から
です。

    拝 啓

   2月5日は、「名人の授業・有田和正IN奄美」の研修会にご参加
  いただき、ありがとうございました。
   お陰様で、当日は140名の参加者を得、当初目標にしていた
  100名をはるかに上回る盛況ぶりとなりました。実行委員一同感謝
  申し上げます。
   何より、当日講師であった有田先生がその参加人数の「多さ」と
  各先生方の「熱心さ」に感銘を受けていました。

   今回このような研修会を企画したのは、有田先生のような素晴ら
  しい先生を奄美の地にお招きし、その「生の授業」「生の講座」を大島
  郡内の先生方に「提供」できたらどんなにいいことか、という一心から
  でした。
   その思いで、実行委員会一同、これまで当日に向けて準備をしてき
  ました。
   そして、当日、近くは名瀬市内、遠くは福岡から計140名の参加者
  が得られました。ありがとうございました。
   今回の研修会が2002年度から完全実施となる新教育課程のヒント
  になれば幸いです。
   今後もご指導・ご支援のほどよろしくお願いします。それをもとにして、
  今後もより充実した研修会を開催していきたいと思います。
   最後に、会の準備・運営等に際し、いくつかの不備・不足がありました。
  ご迷惑をおかけした点、深くお詫びします。

                                  敬 具


 
 次は、昨年度鹿児島大学で行った「有田・野口・梅野・安田IN鹿児島」の
イベントのときのお礼文です。
  

   拝 啓

  2月10日は、「~21世紀の教育への提言~有田・野
 口・梅野・安田IN鹿児島」にご参加いただきありがとうご
 ざいました。
  北は北海道、南は奄美大島から参加者を得、盛況にうち
 にイベントを終了することができました。
  今回このようなイベントを企画したのも、各先生方に「
 有益で」「元気の出る」情報や研修の場を提供したいとの「
 思い」からです。そして、

  ご参加いただいた各先生方、お招きした講師の四先生、
 実行委員である私ども、この三者が、

    1.21世紀の教育について主張・論議ができ、
  2.そのことによって、有益で勇気の湧く情報を得、
  3.知的にも、情的にも、人間的にも交流ができる。

  このようなイベント像を願いながらこれまで企画・運営し
 て参りました。
  ご満足いただけたでしょうか。
  今後も、少しでも有益で価値のある情報を提供できるイ
 ベントを開催していきたいと思います。
  同じ教育に携わる各先生方に少しでもお役に立つことが
 できれば、これにこしたことはありません。
  今後ともご指導・ご支援のほどをよろしくお願いします。
  最後に、会の準備・運営等で不備・不足などがありまし
 たら、この場を借りてお詫び申し上げます。

                           敬   具

            「教材・授業開発研究所」鹿児島支部
     「~21世紀の教育への提言~
      有田・野口・梅野・安田IN鹿児島」実行委員一同


 この二つのお礼文を読み返すと、当時「どのような思いで、
イベントを企画・準備していったのか」がよみがえってくる。

 二つのイベントで、終始一貫しているのは、「有益で価値ある
イベント・研修会を提供したい」という一点だ。
 もちろん、自分たちも学べるし、名人たちとの再会は自分たち
にとってもとても楽しみなことだ。
 このことを占める比重は本当に大きい。
 
 しかし、である。企画・準備する立場から言うと、何より、多くの
先生方に「有益で価値ある研修会の場を提供したい」この一心
で当日までがんばっていったのである。

 昨年度鹿児島大学でのイベントは、30万弱の赤字が出た。
 それをメンバー数人で自腹を切り、その穴を埋めた。(私の
場合、貯蓄ゼロのため郵便局の簡易保険からお金を30万借り
た。)
 家計的にはきつかったが、しかしそれ以上に「本当にやってよ
かった」と思った研修会であった。

 1 四先生と丸二日間、同じ時間共有できたこと
 2 昼も夜も本当に楽しめたこと
 3 同じイベントに向かって四先生とともに二日間を過ごせたこと
 4 ひさしぶりに四先生と再会できたこと
 5 広く多くの先生方に有益で価値のある研修会を提供できたこと

このようなことが、上のように思わせるのだった。
 
 あのときの「興奮」「高揚感」は今でも忘れられない。
 わざわざ奄美から3日がかりで上がり、400キロ離れた鹿児島の
地でイベントを開いたのである。
 昼も夜もうんと楽しんだ研修会であった。

 このような研修会がまたある。
 場所は奄美大島である。
 イベントまであと二十数日となった。

イベントへの思い

2007-09-25 19:00:45 | Weblog
 10月27日(土)に私たち研究会が主催するイベントがある。
 次のものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
  ~これから必要な『教師力』の高め方を名人が伝授!
        (プロの授業、プロの仕事術)~
 第9回「授業の名人・有田和正・野口芳宏IN鹿児島」のご案内

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 今から8年前,有田先生・野口先生を初めて「奄美の地」にお呼びしたときに
「イベントへの思い」というメールをメーリングに出したことがあった。
 今日は,それを紹介する。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ○○です。
 以下に3月9日のイベントに寄せる「思い」を書きました。
 メンバーの皆さん、イベントに向けて、それぞれの「思い」
をメール上で共有しませんか。
 メンバーの多くの「思い」が掲載されることで、イベントに
向けたお互いの気持ちも高まると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   
   有田 和正 ・ 野口 芳宏

  3月9日(土)、この両名人によるイベントがある。
  今からこの日が来るのが本当に待ち遠しい。

  「有田和正・野口芳宏・向山洋一」

 教育界でこの三先生は、「ビッグ3」と言われている。
 「ビッグ3」のうちの二先生が、奄美大島に来島するのである。
 すごいことである。

 東京でさえこの「ビッグ3」が一同に会し、イベント講師を務
めるというのは、なかなかない。
 あったとしたら、この三先生を慕い追って、日本全国から集
まってくるほどである。

 以上のことから、ここ奄美の地で「有田先生」と「野口先生」
のダブルのイベントを開催することが、いかにすごいことなのか
が分かる。

 大げさに言えば、両先生を招いたイベントを奄美の地で開催
すること自体、かつては「考えもつかない」ことであった。
 有田・野口両名人来島によるイベント開催は、本当に歴史的
なことである。


 TOSS○○の前身の前身である「○○教育サークル」を立ち上
げた当時、○○氏とよく夢見たものである。

  有田先生や野口先生、向山先生などを招いてイベントなんか
 をできたら、どんなにすごいことか・・・・

 その当時(今から7年前であるが)、以上のことは遙か遠くに思
い浮かべるだけの、夢の夢の話であった。
 
  今の自分たちじゃ、とうていできっこない
  退職するまでの教師生活のどこかで実現したらいい

 このような「夢物語」であった・・・・。

 例えば東京・大阪・福岡・山口・岡山・福島にある、名の知れた法
則化サークルに参加していれば、以上のようなことは思わなかった
だろう。
 いわば、サークル自体が先達とは「つて」「面識」があり、これが
ベースになって、イベントを開催できるからだ。
 先達を招いてのイベント開催はそう難しいことではない。

(以上の意味から、新卒の頃からこのような名の知れた法則化サ
 ークルに参加している教師は本当に恵まれていると思う。
 教師になってすぐから「本物」と出会い、主催者としてイベントに
 関われるからである。)

 しかし、私たちは違った・・・・。

 鹿児島の、それも大隅半島の片隅にある、名の知れない、本当に
ちっちゃな、ちっちゃなサークルだったのである。
 どの先達とも、「つて」も「面識」も、「縁(えん)」さえも全くないサーク
ルだったのである。
 ましてや、○○・○○個人はなおさらである。

 そんな中、○○氏と夢見たのである。

  いつかは、有田先生、野口先生なんかを招いてイベントでもで
 きたら・・・・

 しかし、それは、現実味のない、そして実現しがたい、遙か遠くの
「空想物語」であった。

 しかし、である。
 あれから4年後、私たちの夢見たことは現実のものとなあった。
 一昨年開催した

   「授業の名人・有田 和正 IN 奄美」

のイベントの開催である。
 140名の参加者を得た本当に充実したイベントであった。
 忙しかったが、あのときの「興奮」と「高揚感」は今でも忘れらない。
 夜の懇親会は、本当に楽しかった。昼間も楽しんだが、夜も負けず
に楽しんだ。
 
 このように、イベント開催までのこれまでのことを振り返ると、本当に
感慨ひとしおである。

 イベントをこれまで2回しか実施していないが、その2回のときの「興
奮」と「高揚感」は今でも忘れないないのである。
 例えば、有田先生個人との関わりだけでも次の通りであった。
 
  1 丸二日間夜も昼も時間を共有できた。
  2 夜は、膝を付き合わせ、肩を並べ、面と向かって直に語らい・飲
   食をすることできた。(朝食もご一緒したり・・・)
  3 イベントという共通のことに向かって、名人たちと共に一日を過
   ごすことができた。
  4 事務局の特権で、有田先生たちとさしで話ができ、1対1でうん
   と語ることができた。

 昨年の夏、久留米の講演会に行ったときなど、有田先生は、ホテル
の会場に着くなり、「○○さんは、まだ来ていないの?」と、そのイベン
トの事務局の方に私のことを尋ねたそうだ。(大変うれしく、恐縮であっ
た。)
 私が到着すると、そのことを事務局の方が話してくださり、奥の有田先
生の控え室まで案内してくださった。
 その後、1時間弱、講演会が始まるまでホテルの控え室で1対1で有田
先生と楽しく語らうことができた。
 翌日の研修会でも、同様にしていただいた。

 事務局にはこのような特権がある。

 このような名人たちとの出会いは、確かに教師としての「私」に大きな
影響を与えた。
 いや、人間としての「私」に大きな影響を与えた。

 「本物」と言われる名人たちと会うと、「お山の大将」になんかなってら
れないのである。「天狗」になんかなっていられないのである。

 私ほどの教師の実力なんて、本当にちっぽけで、いかに井の中の蛙なの
かが分かる。
 あれほどの実力があり、すごい先生なのに、一つも偉ぶったところがない。
高飛車なところなんて、みじんもない。
 本当に明るく、庶民的で、ざっくばらんなのである。
 人間的に本当に謙虚なのである。
 しかし、授業をさせたら、しゃべらせたらすごい。

 そんな名人たちと付き合い始めると、高飛車な態度なんかアホらしいことが
分かる。
 少し力をつけてきたからといって、偉ぶる奴がいるとすると、「それがどうし
た!」と言いたくなる。
 「本物を見てみれ!お前なんか、井の中の蛙だ!」とでも言いたくなる。

 名人との出会いは、以上のような人格の部分でも、人間的な部分でも私に
大きな影響を与えたのである。


 このような名人との再会がまた待っている。
 あと1月後である。

 イベントに対する「思い」はまだまだある。
 次は別な面からの「思い」を、次のメールで書きたい。

幸せ論

2007-09-24 18:29:05 | Weblog
以下は,『掃除道』鍵山秀三郎著(PHP)からの引用である。
「学級づくり」「人間関係づくり」に生かせる話材である。


 「幸せな生活」と「不幸な生活」,みなさんはどちらを選びますか。
 もちろん,「幸せな生活」ですよね。
  1年間ずうっと「不幸な生活」だったらいやですよね。

 人間の幸せには三つあると言われています。
  
  一つ目の幸せは,「してもらう幸せ」です。
  皆さんが赤ちゃんのとき,お腹が空いたといっては泣き,オムツが濡れたと
 いっては泣きました。
  するとお母さんが飛んできて,おっぱいを飲ませてくれたり,オムツを替え
 てくれましたね。
  そのとき皆さんは幸せでした。
  これが「してもらう幸せ」です。

  二つ目の幸せは,「(自分で)できるようになった幸せ」です。
  字が書けるようになった。
  一人で自転車に乗れるようになった。
  サッカーがうまくなった。
  これが「できる幸せ」です。
  何でも自分でできるようになると,偉くなった気がしてうれしいものです。
 
  でも,その次の幸せがあります。
  三つ目の幸せです。
  それは,「人にしてあげる幸せ」です。
  人がしてほしいことをしてあげれば喜ばれますね。
  そんな人は頼りにされます。
 人にモノを差し上げる,自分の身体と時間を使って何かして差し上げる,相手
 の喜びをわが喜びとする。
  この幸せを大事にしていただきたいのです。
  「してあげる幸せ」は三つの幸せのなかでも最高の幸せです。
  さあ,皆さんも「してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進み,そして「し
 てあげる幸せ」を味わえる人になってください。                      

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 ここからは,私の考えである。


 実はもう一つ幸せがあると思う。
 四つ目の幸せである。
 次のように話す。

 
 実はもう一つあります。
 四つ目の幸せです。
 それは,「乗り越えた幸せ・克服した幸せ」です。
 人生にはいろいろ苦しいことやつらいことがあります。
 本当に落ち込んで体調を崩すぐらいつらいこともあります。
 そんなとき本当に逃げ出したくなり,「こんな生活いやだ」と思い悩みます。
自殺をする人さえいます。
 でも,それを乗り越えたとき,自分の力や周りの人たちの力を借りて克服した
とき,そこには何とも言えない「幸せな瞬間」が待っています。
 
 それは,本当に小さな「幸せ」かもしれません。
 しかし,その「幸せ」が訪れたとき,人間がひとまわり大きくなっているのです。
今ままで以上に「やさしい心」を持つ人間になっているのです。
 それは,苦しみやつらい経験が肥やしとなり,それを乗り越え克服したこと
で,ひとまわり大きな人間になれるからです。
 たとえ「乗り越えることができなくても」,その経験をしたことで,「本当に
苦しい・つらい」という貴重な体験をしたことで,「心のいたみ」の分かる人間
になっているのです。
 「心のいたみ」が分かる人間,それは真に本当に「やさしい心」を持つ人間です。