回復傾向
前回のブログから、実はあまり腕の状態が回復していませんでした。
当然ピアノの練習もできず、夜はソファーに陣取ったものの、結局寝ることも
ままならない数日間。
夕飯はもっぱら宅配してもらったり、買ってきてもらったり。
しかし、今朝はなんだか様子が違う。
あ、、、少し痛みが治まってる。
動きそう。。。
日曜日の賛美礼拝までには間に合いそうです。
お祈りありがとうございます。
前回のブログから、実はあまり腕の状態が回復していませんでした。
当然ピアノの練習もできず、夜はソファーに陣取ったものの、結局寝ることも
ままならない数日間。
夕飯はもっぱら宅配してもらったり、買ってきてもらったり。
しかし、今朝はなんだか様子が違う。
あ、、、少し痛みが治まってる。
動きそう。。。
日曜日の賛美礼拝までには間に合いそうです。
お祈りありがとうございます。
数日前から、肩や腕が痛くなり、「ああ、40肩、50肩だ」と思って過ごして
いました。ところが、昨日の夜、痛みが急に強まり痛みが収まらず、結局ほぼ
一睡もできないまま朝を迎えました。
朝いちばんに整形外科を受診。
すると、初めて聞いた病名「石灰沈着性腱板炎」とのこと。
レントゲンをとったら、石灰が肩と腕の骨の隙間に写っていましたが、なぜ
できるのかは解明されていないようです。注射をしてもらって、痛み止めを飲ん
だら、昨夜のような痛みからは解放され、眠ることもできるようになりました。
たった1日だけのことなのに、不便を感じ、気持ちにも余裕がなくなりました。
それに比べ、長い間病気とともに過ごしている方は、どれほど心が渇くんだろうか、
と考えて見ましたが、そのただしい想像ができませんでした。そのような暗闇に
おられる方が、慰めの主と出会えることを祈ります。
来週は、賛美礼拝です。
早く治して準備を整えたいと思います。
ルカによる福音書15章には、こんなたとえ話が出てきます。
少し長いですが、ゆっくりと想像しながら読んでみてください。
「あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったと
すれば、99匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだ
ろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで家に帰り、友達近所の人々を
呼び集めて、『見失った羊を見つけたので一緒に喜んでください』と言うであろう。
言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要の
ない99人の正しい人についてよりも大きな喜びがある」
ルカによる福音書15章4−7節
私は、子どもの頃に飼っていた犬が小屋から脱走した時、捕まえるのがとても
大変だったことを思い出します。しかも、犬のリードを持たずに犬を追いかけてた
小学生の私は、捕まえた後に持ち帰ることがまた一苦労だったのを覚えています。
イエス様は、私たちを罪から悔い改めに導くため、様々な方法をその人や時に応じて
用いられます。時には、私たちの方から一歩、二歩と踏み出すのを待っておられます。
しかし、どこかの穴へでも落ちているかもしれない、傷だらけになっているかもしれ
ない、泣きじゃくっているかもしれない、そんな時にはイエス様の方から「大丈夫、
もう大丈夫だから泣かないで」と見つけてくださるお方です。そして歩けなくなった
その羊は、無理やりに歩けと言われるのではなく、飼い主である主にしっかり担がれて
家に戻ることができるのです。
信仰を持って何十年も経つのに、日々、穴に落ちたり迷ったりしている私を、毎回
担いで家に連れ帰ってくださる主が、今もそばにいてくださいます。
最近読んだ本の中に、「なぜ、イエスは12人の使徒を選んだのか」という問いがありました。
答えは「彼らを自分のそばに置くため」でした。マルコによる福音書3章14節に書かれて
います。
12使徒は全然完全な人間ではありませんでしたが、イエス様のそばに置かれ、一緒に
行動していく中でたくさんのことを学んだのでしょう。イエス様は30年間は大工の息子
として地上を生き抜いてこられたので、まったく次元の外れたことしか言わない遠くに
いる方ではなく、自分の苦労や悩みをよく理解しくださる身近な方だったと思います。
私は詩篇139編が大好きです。
1−4節には神様がいかに私たちをご存知かが書かれています。
「主よ、あなたは私を究め 私を知っておられる。
座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も悟らぬ先に 主よ、あなたは全てを知っておられる。」
長くなるので記載しませんが、ぜひ、139編すべてを読んでみてください。