みことばのチカラ!

聖書のことばは、私の生きるチカラです。
仕事や教会の事など、イロイロと綴っています。
夫と一人息子のエピソードも。

祈り続けること

2016-05-07 | 聖書

先日、教会対抗ソフトボール大会がありました。

屋外での活動は、とっても気持ちがよくて、老若男女クリスチャンもノンクリスチャンも

楽しく過ごすことのできる大切な時間です。

 

今回は私たちの教会から参加したのは、全員がクリスチャン。

その中には、ソフトボールに積極的に参加されていた方で、クリスチャンになられた

方も含まれています、ハレルヤ!

ただ、今まで来られていたクリスチャンの奥様のご主人(ノンクリスチャン)は、

だんだんと参加率が減ってしまいました、、、。

私は、本当に残念だなあと思いましたが、そんな私の気持以上に、誘いたいと思いながら、

祈って祈って、、、でも声をかけることがどうしてもできずに、当日を迎えることになって

しまった、、、と落胆しているご家族がいらっしゃったんだろうな、と思わずにはいられ

ませんでした。

 

そして、神様が諦めていない限り、私も諦めたらいけないんだと思わされました。

厳しい現実があったとしても、それは私が目に見えている現実であって、神さまが

見ておられるものとは全く違うのですから。

 

私の不信仰を神様は見せてくださるのと同時に、祈り続ける大切さを、また改めて

教えてくださいました。感謝。

 

 


祈られていた

2016-05-05 | 聖書

最近、よく祈りの本を読む機会があります。

そこに、当たり前だけどすごく感動した内容が書かれていました。

 

それは、私たちクリスチャンは、必ず誰かに祈られてクリスチャンになった、ということです。

誰かのとりなしの祈りが、背後には必ずあった。。。

 

私は小学生の時にバプテスマを受けましたが、母に祈られ、祖母に祈られ、そして教会の人にも

祈られました。私の夫は、長い間、祈り会でほぼ毎回名指しで祈られていたメンバーでした。

息子は教会、家族、そしてもしかすると幼稚園の園長先生にも祈られていたかもしれません。

 

そして、何よりイエス様がとりなしてくださっていた事実を忘れてはならないと思います。

 

鶏の鳴く前に3度イエス様を知らないとペテロが言うのを知っていながら、イエス様は彼の信仰が

なくならないように祈ったという記事もあります。


神様のふかーいふかーいあわれみの中で、今も変わらず生かされていることを改めて思いながら、

感謝の祈りを捧げました。