最近つくづく思うのは、世の中、余りにも無知な人が多すぎるということです。無知な人が一定の割合で存在することは避けられず、昔からいましたし、これからもいなくなることはあり得ない訳ですが、問題は、インターネットの発達の結果、こうした無知な人たちにも平等に発言の機会が与えられるようになったために、自分の知らなさ加減に気が付かず、ネット上に記事をアップする人が増えて来たことです。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
最近つくづく思うのは、世の中、余りにも無知な人が多すぎるということです。無知な人が一定の割合で存在することは避けられず、昔からいましたし、これからもいなくなることはあり得ない訳ですが、問題は、インターネットの発達の結果、こうした無知な人たちにも平等に発言の機会が与えられるようになったために、自分の知らなさ加減に気が付かず、ネット上に記事をアップする人が増えて来たことです。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
ネットに投稿される記事は、案外大したことはありません。新発見とばかり投稿される記事の内容が、私などが何年も前から知っている古臭い話であることが多いのです。それでもその話を初めて知った人たちが、実は自分だけが知らなかったかも知れない話を新発見だと思って投稿してしまうのですね。まあ、それはそれで実害はないので、私もそんな記事にまでどうこうコメントを寄せたりはしません。問題は一部の人たちが大いに傷つく投稿を問題提起のつもりでやらかし、実はその内容が正確とは言えない人たちがかなり多いということ、間違いを指摘しても絶対に認めようとしないこと、その点にあります。
最近つくづく思うのは、世の中、余りにも無知な人が多すぎるということです。無知な人が一定の割合で存在することは避けられず、昔からいましたし、これからもいなくなることはあり得ない訳ですが、問題は、インターネットの発達の結果、こうした無知な人たちにも平等に発言の機会が与えられるようになったために、自分の知らなさ加減に気が付かず、ネット上に記事をアップする人が増えて来たことです。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
ネットに投稿される記事は、案外大したことはありません。新発見とばかり投稿される記事の内容が、私などが何年も前から知っている古臭い話であることが多いのです。それでもその話を初めて知った人たちが、実は自分だけが知らなかったかも知れない話を新発見だと思って投稿してしまうのですね。まあ、それはそれで実害はないので、私もそんな記事にまでどうこうコメントを寄せたりはしません。問題は一部の人たちが大いに傷つく投稿を問題提起のつもりでやらかし、実はその内容が正確とは言えない人たちがかなり多いということ、間違いを指摘しても絶対に認めようとしないこと、その点にあります。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
最近つくづく思うのは、世の中、余りにも無知な人が多すぎるということです。無知な人が一定の割合で存在することは避けられず、昔からいましたし、これからもいなくなることはあり得ない訳ですが、問題は、インターネットの発達の結果、こうした無知な人たちにも平等に発言の機会が与えられるようになったために、自分の知らなさ加減に気が付かず、ネット上に記事をアップする人が増えて来たことです。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
ネットに投稿される記事は、案外大したことはありません。新発見とばかり投稿される記事の内容が、私などが何年も前から知っている古臭い話であることが多いのです。それでもその話を初めて知った人たちが、実は自分だけが知らなかったかも知れない話を新発見だと思って投稿してしまうのですね。まあ、それはそれで実害はないので、私もそんな記事にまでどうこうコメントを寄せたりはしません。問題は一部の人たちが大いに傷つく投稿を問題提起のつもりでやらかし、実はその内容が正確とは言えない人たちがかなり多いということ、間違いを指摘しても絶対に認めようとしないこと、その点にあります。
最近つくづく思うのは、世の中、余りにも無知な人が多すぎるということです。無知な人が一定の割合で存在することは避けられず、昔からいましたし、これからもいなくなることはあり得ない訳ですが、問題は、インターネットの発達の結果、こうした無知な人たちにも平等に発言の機会が与えられるようになったために、自分の知らなさ加減に気が付かず、ネット上に記事をアップする人が増えて来たことです。
無知なら無知で、自分の勘違いを指摘されたところで素直に引き下がってくれれば誰も傷つかずに済むのですが、あいにくこうした人たちにはそういう謙虚さが欠けていることを痛感します。私は元の職業柄、ついつい間違いを教えてあげてしまったりするのですが、返って来るのは概ね逆切れでしかありません。人はどうしても自分が知っている知識の範囲だけで白黒つけてしまいます。それまで知らなかった側面から指摘を受けても、簡単に軌道修正はできないようです。
こうした人たちは、最初は自分が持っている知識で戦おうとし、やる気満々で相手を論破しようとするのですが、いくらなんでもやり取りをしている内に、どうも負けているらしいと感じ始めます。そういう時は、こちらが上から目線で物を言っているとか、偉ぶっているとか、本質的な問題とは別の次元での攻撃をして来るので、すぐにわかってしまいます。本人は得意満面で投稿しているのに、いとも簡単に論破されてしまうのですから、その気持ちもわからないではないのですが、何しろその人の勝手な思い込みによって大勢の人が傷ついたり、不快な思いをしてしまうわけですから、とりあえずは説得を試みるしかありません。
この数日の間に見つけた無知の例を挙げてみます。これは特に誰が傷つくといくことも無い事例ですが、少々無知の度が過ぎるのです。内容から言って、かなり若い人の投稿だという気がします。 Uチューブ上に画像を上げ、大変熱心に記事を書いています。同じテーマの物がいくつもアップされているので、おそらく同一人物の手によるものと思われます。いずれも、知られざる世にも恐ろしい事実…的な取り上げ方をしています。
その一つ、「いとこ同士の結婚」というものがありました。どうやら知り合いがいとこ同士で結婚したらしいのですが、投稿者はこれを世にもおどろおどろしい、人間としてあってはならない出来事だとして取り上げているのです。確かに近親結婚は劣性遺伝が表に出て来ることがあるので好ましい事ではないのですが、いとこ同士の結婚は、法的にも認められており、世間にはいくらでもあることです。私の教え子でも、巡り巡って、結局いとこと結婚した子もいます。昔高麗では王室の血統を守るために腹違いの王子と王女が結婚するのが当たり前に行われていました。同様の理由で古代エジプトでは同腹の王子と王女が結婚したりしていましたが、そうしたイメージでいとこ間の結婚を捉えているようでした。
まあ、世間知らずの可愛い投稿の内だと言えるかもしれません。
もう一つ、こちらもおどろおどろしい歴史上の事実として書かれているのですが、その内容と言うのが、
「なんと江戸時代の長屋は、便所がそれぞれの家についておらず、離れたところに立っていた。」
「農家がその便所へくみ取りに来て、畑にまいて肥料としていた。」
というもの。正直、小学生か?とあきれてしまうのですが、江戸時代の日本における後進性・野蛮な生活ぶりを突き止めたつもりか、実に得意げにあおりながら記事を書いています。万一ご存知ない方がいらっしゃるといけないので念のため書いておきますが、江戸の長屋の便所が別棟で立っていた時代、ヨーロッパはどうだったか。トイレ自体無かったのです。ベルサイユ宮殿の庭には植え込みがいくつもありますが、華麗なドレスを身にまとったレディーたちが、便意を催すとその植え込みの陰にしゃがんで用を足すためのものなのです。あの釣鐘状態の広がったドレスの裾は、そのまましゃがめば用を足していても外からは見ることができないという優れものだったのです。
トイレがないということは、部屋の中に壺があって、その中に用をたすということです。朝になると、外に向かって気を付けるように一声かけ、窓から外の通りに向かって壺の中身をぶちまけます。ヨーロッパの都会の道路は、かくも不衛生なものだったのです。そのせいでヨーロッパはペストなどの伝染病がおおやはり。実に不衛生な場所だったのです。同時代の日本は、江戸の長屋のように、トイレは別棟。ヨーロッパと比較して、何と優れた衛生観念だったのでしょう。長屋だけでなく、農家もトイレと風呂は別棟でした。
ついでに付け加えますと、多くの方がご存知の通り、便所からくみ取ったものを畑に撒くということは、江戸時代限定の風習ではありませんね。私は生まれも育ちも東京ですが、東京でも昭和の半ばくらいまでは、農家の人が下肥をくみ取りに来て、それを畑にいていました。それぞれの農家は「こえため」という大きな木製の桶を畑の片隅に埋め込んでおき、くみ取って来た下肥をその中にためて、しばらく発酵させてから使用していたものです。バキュームカーがやって来てくみ取って行くようになっても、今度はバキュームカーが蓮田に直接乗り入れて、蓮の成長に欠かせない濃厚な窒素肥料として、タンクの中身をぶちまけていました。風の強い日、うっかり風下を歩いたために、かわいそうな私は頭からその飛沫を浴びてしまったこともありました・・・・。汚いなど言うなかれ。江戸時代にはまだ化学肥料などなかったのですから。
ネットに投稿される記事は、案外大したことはありません。新発見とばかり投稿される記事の内容が、私などが何年も前から知っている古臭い話であることが多いのです。それでもその話を初めて知った人たちが、実は自分だけが知らなかったかも知れない話を新発見だと思って投稿してしまうのですね。まあ、それはそれで実害はないので、私もそんな記事にまでどうこうコメントを寄せたりはしません。問題は一部の人たちが大いに傷つく投稿を問題提起のつもりでやらかし、実はその内容が正確とは言えない人たちがかなり多いということ、間違いを指摘しても絶対に認めようとしないこと、その点にあります。