梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

年末の抱負

2015-12-31 04:31:56 | 日記
今年最後のFacebookにこんな書き込みをしました。最近の私の偽らざる心境です。

ようやくこの一年が終了。あと7日でまたひとつ年をとる、
全ての歯が浮き上がって、コメの飯でさえかみ砕けないという状況の中、筋肉が硬直し、走ることもままならない日々を送った。そして、体重があっという間に12キロも落ちることを経験。
しかし断固として医者にも行かず、どうにか乗り越えて来た。
生きる自信を失いかけていた私と会ってくれて、元気をくれたすべての教え子たち(とその子供たち)に、この場を借りて感謝の気持ちを伝えさせてもらいます。本当にありがとう。
後は、気力との勝負だな。頑張らないと。

   定年後することもなく一気に老け込んでしまう人も多いといわれていますが、できることなら前向きな姿勢で生きていきたいものです。幸い私には12歳で見つけた生きがいを未だに失っていないというメリットがあります。

   一つは陸上競技との出会いと、そこから得た筋トレの実践。自宅にトレーニング・ルームを設けて、筋力低下にあくまで抵抗しています。目下ベンチプレスは65キロでやめていますが、もう少しは行けそうです。ただ、一時筋肉の硬化があり、ランニングをやめてしまったのが悔やまれます。一度習慣を失ってしまうと、走りに出るのが億劫になってしまいます。

   もう一つは外国語と歴史の学習。中学校で英語と出会って以来、その世界にはまって、結局英語教師として生涯を送ってきましたが、現在は中国語8、韓国語2ほどの割合で勉強を続けています。中国語はいつも書いている東亜学院へ週二回、韓国語は日本国籍を取った在日の方が開いている町の教室へ。語学の習得には終点がないので、なかなか良い選択なのではないでしょうか。朝5:30から勉強を始め、午後2:00~2:30くらいまで勉強し、夜は韓国ドラマを見るようにしている日常です。

   まあ、整体師には、「無駄に筋肉がついている。」と言われますし、はた目には元気な人に見えるようです。(笑)

教師論

2015-12-30 05:20:39 | 日記
「教師は脚本が書けるだけではダメ。演出ができるだけでもダメ。演技ができるだけでもダメ。脚本が書けて演出ができる、しかもそれによって情緒とともに主題が伝わる、ここまで達して初めて評価される、難しい難しい職業なのです。」

  という文章を、とある北海道の中学校の国語の先生がFacebookに投稿していました。この先生は時々こうした感動的な書き込みをし、たくさんの「いいね!」をもらっています。この書き込みについては246件の「いいね!」を受け取っていました。私も、この文章に書いてあることは真実ですし、どこも間違ってはいないと思います。

   ところで、この方の書き込みは、いつもこうした抽象的な内容に限定されています。私の勝手な推測では、これを読んで「いいね!」している皆さんは概ね同業者、かつ小中学校の教員なのではないかと思います。なぜなら高校の教員にはこうした抽象論はなかなか書けないし、受け付けにくいと思われるからです。高校教師は、こうした言葉ではひっくくることのできない難しさを肌で知っています。

   そして思うのは、この先生は、果たして自分で言っているようなことが実現・実践できているのだろうかということです。読者はそういう素晴らしい方がこの書き込みをされていると信じて読み、フォロワーになり、「いいね!」を押しているのだと思いますが、私は同業者として、その点についてかなり懐疑的です。

   そもそもこうすれば評価される、というその発想自体が私には無いものなので、既に基本的立場を異にするのですが、何より、都立高校を6つ経験してみて、自分も含めて、になりますが、この先生の言葉の3割も実現出来ている教員を見たことがないからです。おっしゃるとおり、難しい、難しい職業なのです。誰も完璧な教師になることは出来ません。

失礼ながら、この先生も、こんな言葉を吐けるほどの方だとは思えません。この文章に続いて、「しかし私は到底その域に達してはいません。」という一言が添えてあったなら、どれほど美しい文章となり、私も必ずや「いいね!」を押したことだろうと思います。しかし、常にこの手の書き込みをされ、学級経営に関する著書を出版されたりしておられるので、ご本人はその域に達していると、自信を持って、お考えなのではないでしょうか。

   授業もクラス経営も、時に人知を超えたハプニングで全く事態が転換してしまうことがあります。教室の中にこれといった方程式はない、と考えるのが正解だと思います。

   極端な話、一応まともな子ばかりのはずなのに、雰囲気がいじけきっていて、あまりの乗りの悪さに私もすっかり気がめいってしまった授業がありました。それがある時、点数順に前から座らせるという席替えを行ったところ、雰囲気が一転して明るくなり、全員が笑顔を取り戻して明るい授業になったのです。

   理由は単純でした。教卓の前に来た女生徒が、小柄でやや太め、快活という、私を極めてリラックスさせてしまうタイプの子だったからです。では、この席替えがなくとも、私があの先生の著書を読んで実践したら、明るい授業に変えることができたのかといえば、絶対にそんなことは無かったと断言します。授業にも、学級経営にも、方程式など存在しないからです。単純に、その子のおかげで私がリラックスしてしまい、他の生徒たちもくつろいだ気分で授業に迎えるようになったに過ぎません。

   とある年度、私はいきなり3年生の担任になりました。生徒たちは私がそのクラスの担任になることは確実だと予測しており、かつ私の評判は意地悪で頑固でよく叱りつけてばかりいる、嫌なタイプ、ということでしたので、これまた発足からしばらく、HRも授業も異様な緊張感のまま日が過ぎて行きました。誰一人として、新しい担任に話しかけようとすらしません。私も望んでなった担任でもなく、再三固辞したにも関わらず、無理やり担任にされてしまったので、しかたがない、このまま卒業まで一年辛抱しようと腹をくくっていました。

   しかし、事態は意外な展開を見せました。ある日の帰りのHRで、一人の男子がイヤホンを耳に挟んで、音楽を聴いていました。私は迷わずその子の席まで歩いて行きました。普通なら先生が自分に向かって歩いて来るのを見て事態を察し、「すみませーん!」と叫んでイヤホンを外し、それで一件落着となるのですが、彼はイヤホンを外そうとはしませんでした。そこで私は彼の左のほほに、右手でびんたを一発くれてやりました。

   そして、事態は急展開したのです。盛大な「バシッ!」という音と共に、教室内の緊張が一気に崩れ落ちたのが分かりました。生徒たちの肩からは力が抜け、ひきつったままだった頬も緩んでいました。そしてHR終了と共に、何人もの女生徒が教卓を取り囲み、私に向かって口々に話しかけて来たのでした。

   現場とはそんなものです。ある教師が自分の体験から書いた方程式を、別の教師が使おうとしてもそれは無駄な努力というものです。また、どこにでも通用する処方箋というものも存在しません。本人の性格も背景も違い、生徒たちの性格も生い立ちもいちいち違い、校風も地域性も全く違ってくるからです。本に頼り、その内容通りに実践しようとする教師がいるとしたら、それは啓発本ばかり読んでいる会社員と同じで、時には有害ですらあります。

   私が教員になって、絶対にするまいと思った事、それは山の手の上品な学校に転勤することでした。既に何度も書いている通り、私は「家庭もパッとせず、勉強も素行も、とってもおバカな、教師に見放されそうな女生徒」を最も得意とする教師でした。こういう子たちに相手にしてもらうためには、演技も演出も無用。「お前ら大好き!」という魂の叫びだけが必要なのです。

   抽象論が好きな教員もいます。しかし、そんな本を何冊読むより、自分自身に対する理解を深め、経験値を高めることの方がよほど役に立つと、私は思っています。問題は昨今の教育界の情勢が、若い教師の試行錯誤や失敗を許さず、ピンチに際してカバーしてはやらない方向に大きく踏み出してしまったことです。こじんまりとまとまって、本に書いてある通りにやっていこうとする教師が増えてしまわないことを切に願っているところです。

   

   

在日韓国人とテレビ局

2015-12-29 05:17:24 | 日記
   うーん、まさかね?というような事が日本の裏で密かに進行していたのですねえ。ソフトバンクの料金体系は、在日韓国人は大幅に安く、日本人は高く、という仕組みになっていたり、経団連の会長が在日だったり、日本の広告業界を一手に握っている電通がほとんど在日の会社と化していたり、外務省の職員の三割が在日だったり、民主党の国会議員の中には帰化した韓国人やその二世が沢山いる、身近なところでは芸能人の多くが在日だ・・・・等々、等々、等々・・・・。

   日本は世界の中でガラパゴス化しているとはよく聞く言葉ですが、それよりは日本人はペンギン化していると言った方がより正確なのではないかと思います。疑うという心を持たない日本人がのほほんと暮らしている間に、腹黒い韓国人たちが日本の中枢にしっかり食い込んで来ている感があります。

   その上、本来北朝鮮と休戦状態であるために反共産主義であるべき在日韓国人の若者たちが、あろうことか日本共産党と手を組んで、政治活動を始めているようです。そもそも外国人が日本国内で政治活動をすることは違法行為なのですが、生まれも育ちも日本である彼らには、なぜ自分たちに政治活動が禁じられているのか、全く理解できないでいます。次回の総選挙の場面では、こうした在日の若者たちが、選挙権どころか被選挙権を求めて訴訟を起こしそうな気がしてなりません。

   そして、少しずつボデー・ブローのように効いて来そうなのが、TV業界に食い込んだ在日韓国人たちの存在です。靖国神社で爆弾を破裂させた事件が爆弾テロではなく「爆発音事件」と報道されているのは、マスコミ関係に食い込んでいる在日の圧力によるものと考えられています。
 
   聞くところによると、女子アナの半分は既に在日、TBSに至ってはすべてが在日韓国人によって占められていると言います。これを否定する話は出ていないので、恐らく真実を言い当てているものと思われます。当然、テレビ局を動かしているのが在日である影響は、様々なところに現れて来ています。

   TBSで日曜日の朝放送されている番組に、サンデー・モーニングというトーク番組があるのですが、司会は在日を妻とする関口弘、メインゲストは在日である、元プロ野球選手の張本です。まあ、これくらいならまだ可愛いものなのですが、ある週のゲストがすべて在日韓国人で占められたことがありました。見識のあるプロデューサーなら、在日しか登場しない構成にストップを掛けそうなものですが、実際にはすべてのゲストを在日で占めるべく、意図的に人選をして事前に交渉していたはずです。TBSはもはや日本のテレビ局とは言えません。

   TBSのやり口と比べたら、韓流ドラマを放送するくらい、実に可愛い手口だったことがわかります。私たちは今後、もっと厳しい目でTVを見、新聞を読まないと、気が付いた時には日本の中枢の全てが在日韓国人の手中に収められ、在日韓国人が支配階級として君臨し、日本人に対する差別待遇が開始される日が来ることも、夢幻ではありません。それに対抗するためには、日本の若者たちがもう少し現実に目を覚ましてくれることが必要なのですが、能天気なFacebookの内容などを見る限り、そんな日が来ることはないでしょう。情けなく心細い限りです。

スター・ウオーズ第二作目を見る

2015-12-28 03:51:15 | 日記
   テレビで放映された、「スターウオーズ・ファントム・メナス」を見てみました。後にダース・ベイダーとなるアナキン・スカイウオーカーの幼少時が描かれているという触れ込みでしたが、これはとんだB級映画でした。

   女王なるものの衣装・髪型が時には中国風、時には江戸時代の和風という風に次々早変わりし、本質的でないところにやたらに神経を配っています。ジェダイに匹敵する敵役のメイクが歌舞伎風、いや、往年のプロレスラー、グレート・カブキ風の隈取り、(ただしベースが白人の顔なので全くそぐわない)、その衣装は真っ黒い忍者そのもの。

   また、超近代都市かと思えば、基本は古代ローマ風建築となっており、ロケット部品まで扱っている商人がいるような町なのに、泥をこねて作った家が立ち並んでいます。ご丁寧に超未来のお話なのに奴隷制度まであります。女王の凱旋帰国風景は、エリザベス・テイラー主演「アントニーとクレオパトラ」そっくり。政治形態も元老院があるなど、古代ローマ帝国そのものです。砂漠の民の来ている服は、旧約聖書に出てきそうです。

   とりわけ情けなかったのは、ロケットなどがひどく安っぽい作りで、場末のおもちゃ屋で売っているプラモデルではないのだぞと言いたくなる代物です。壮大なファンタジーであったはずなのに、臨場感というものが全く感じられません。第一作から第二作に至る間に、大きな後退をしてしまったように見えました。

   結論を言えば、これは日曜朝8時から放映する子供向け番組の水準を出ていません。仮面ライダーや戦隊ものに類するレベルの映画だと言って差支えないと思います。もちろん製作費はたっぷりとかけているのでしょうから、その分の見栄えだけはましなのですが。
大ヒットした一作目に続いてこれほどひどい二作目を制作してしまったスタッフたちは、いったいどんなセンスの持ち主だったのでしょう。

   また、一作目では極めて稀有な存在だと思われていたジェダイが、実は大勢いて、一堂に会して会議まで開いています。こんなに大勢ジェダイがいるのに、なぜ帝国軍相手に大活躍していないのか、謎です。

それにしても、未来を描いた作品のほとんどが、プリンセスが登場するおとぎ話になってしまうのは、人間の本質を図らずもあらわにしているようで興味深いことです。結局人間は心の奥で「王室の存在」を期待し肯定しているということなのではないでしょうか。であればこそ、イギリス王子の結婚や王子の誕生が世界的な話題となっていることにも納得が行くというものです。

スマホを買ってみて

2015-12-27 09:46:52 | 日記
今年一番の出来事と言ったら、やはりスマホを買ったことでしょうか。

   スマホ…と言っても、楽天スマホという格安スマホなのですが、何か月もあれこれ物色した挙句、とにかく一応私も遅まきながらスマホを導入しました。そして、皆さん同様、スマホからもFacebookに登録したのですが、パソコンのFacebookとスマホのFacebookの違いに少々違和感を感じています。

   パソコンの場合は、原則として友達申請しあった相手がアップした記事しか見えないのですが、スマホの場合には次から次へと、全く知らない人や団体の書き込みが増殖しています。肝心の人たちの書き込みはどこかに埋没してしまっています。

   その中で一つ気になったのが、イ・スンヨンという(多分)女性の書き込みが大量に入ってくることです。ハン・スンヨンなら歓迎ですが、イ・スンヨンという女性は何者なのか・・・・。中身はユーチューブでよく見られるような動画ばかりで、自分にとっては無害であり、教科書には出て来ない生きた韓国語が読めるので、歓迎してないわけでもないのですが、何故縁もゆかりもない人間のところへ届くのか、少し不気味でもあります。

   また、なぜか入って来るのが、韓国観光公社からのご案内。李明博前大統領の私邸の前近辺の、有名な坂道にきれいな女性がいるという、風情たっぷりな写真です。(ちなみに私は李明博前大統領の私邸、庭先まで入って部屋の中までのぞいて来たことがありますが・・・。) 韓国は鉄壁の韓流ファンを除けば日本人観光客
が激減しており、日本人よもう一度来て下さいという期待で一杯なのだと思います。

   もっとも、若い女性で韓国旅行22回目というブログをアップしていた人がいましたから、少数ながら難しい日韓関係など全く興味無し、韓国人がいかに日本人に悪態をつこうとまったく動じない人たち(女性ばかり)もいることはいますね。

   韓国にもやはり中国人観光客が沢山行っているのですが、来日する中国人たちとはその質が異なるようです。韓国にはそもそも中国人が欲しくてたまらないような物はあまりありませんから、中国人の爆買いは、韓国では期待できないようです。また、宿泊先も一流ホテルを選ばす、大衆的な宿ですましてしまう傾向があります。つまりは、そこそこのお金持ちは日本へ来て爆買い、それほどでもない人たちは韓国へ行って外国旅行気分を味わっているというのが真相なのかもしれません。

   さて、本題に戻りますと、スマホ、確かにガラケーより興味をそそる面があることはわかりました。Facebookを開く機会も増えました。しかし、それではスマホによって生活が豊かになったのかというとそんなこともなく、パソコンで開くより楽ちんというだけのことでした。私の携帯は、データを見ると、ほとんど使われていません。料金が基本料金を超えることもありません。何しろ、家でパソコンの無線が届く範囲でしか使っていないのですから。

   果たしてスマホをこのまま使い続けるべきか、悩んではいませんが、問題と言えば問題です。いずれにしても、ガラケーとスマホの二個持ちで料金が月額5,000円ほどで済んでいるので、あまり深刻に考えていないところがあります。