本日は珍しく二回目の書き込み。引用部分は北海道の、とある中学校教師がFacebookに書き込んだものです。この人は半ば定期的にこうした書き込みをし、本も出版しているのですが、私はどうしてもこの人を好きになれません。
「教師はいまだに、学級経営において、子供たちを自分の〈人間性〉で動かそうとします。もちろん、〈人間性〉で動かせるのならばそれに越したことはないのかもしれません。しかし、〈人間性〉というものは、日々の具体的な事象事象によって、刻一刻と評価が変わっていくものです。ちょっとしたミスが命取りとなって人間性に対する評価はドン底まで落ちることがあります。
生徒とのちょっとした約束を忘れていた、判断に迷っているうちに保護者に連絡するのが1時間だけ遅れた、生徒が嘘をついているように思えてつい怒鳴ってしまった、こうしたことで簡単に変わってしまうものです。
こういうミスを一切おかすことなく仕事を遂行できる、そういう能力のある人だけが〈人間性〉で学級を運営していけるのではないか、私はそう感じています。つまり、私たち凡人には不可能なのです。こうしたことに畏れを抱かない、お気楽な教師だけが実は自らの〈人間性〉を絶対視しているのです。」
私は、生徒たちを動かすのは、教師の人間性だと思っています。こう書くと嘘をつけ!と言われてしまいそうですが、私はそう信じて38年間仕事をして来ました。そもそも、筆者が書いているような、ささいなミスで生徒からの信頼が失われることなどありえません。この程度のことで生徒にそっぽを向かれるとしたら、それはその教師の日頃の態度によほど大きな問題があるのです。それに、自らの人間性を絶対視している教師など、長い教師生活の中で一人もお目にかかったことなどありません。
そもそも、筆者はこの短い文の中で、大きな自己矛盾を犯しています。最後の一文にある、「こうしたことに畏れを抱かない、お気楽な教師」がいるとしたら、常識で考えて、それは自己の人間性を向上させることを怠っている教師なのであって、筆者は実は人間性を軽視している教師を批判していることになるのです。。なおかつ、人間性で学級運営をできないとする筆者自身は、何をもって学級運営をしているのかを、全国の教師たちに示すべきです。
筆者は、人間性というものを極めて狭く、限定的に捉えていると感じます。生徒たちを深い愛情で包み込むような人間性なくして教師としての完成は有り得ません。教師からそれを除いたら、単なるテクニック論しか残らないのです。
面白いことに、この人がFacebookに書き込みをすると、全国の教師達から、「いいね」が集まり、「シェアさせてください。」が集まり、賛同する書き込みが集まります。一つとしてこの教師の意見に疑義を呈する書き込みは出たことがありません。それを見ていると、全国の小学校教師は自分の頭で物を考えることが出来ないのだろうかと不安にすらなってしまいます。
この人の書き込みは常に上から目線で、すべてを知り尽くしたかのような語り口です。できることなら彼が勤務している中学校へ行って、生徒たちからの評判を聞いてみたいという気がします。
「教師はいまだに、学級経営において、子供たちを自分の〈人間性〉で動かそうとします。もちろん、〈人間性〉で動かせるのならばそれに越したことはないのかもしれません。しかし、〈人間性〉というものは、日々の具体的な事象事象によって、刻一刻と評価が変わっていくものです。ちょっとしたミスが命取りとなって人間性に対する評価はドン底まで落ちることがあります。
生徒とのちょっとした約束を忘れていた、判断に迷っているうちに保護者に連絡するのが1時間だけ遅れた、生徒が嘘をついているように思えてつい怒鳴ってしまった、こうしたことで簡単に変わってしまうものです。
こういうミスを一切おかすことなく仕事を遂行できる、そういう能力のある人だけが〈人間性〉で学級を運営していけるのではないか、私はそう感じています。つまり、私たち凡人には不可能なのです。こうしたことに畏れを抱かない、お気楽な教師だけが実は自らの〈人間性〉を絶対視しているのです。」
私は、生徒たちを動かすのは、教師の人間性だと思っています。こう書くと嘘をつけ!と言われてしまいそうですが、私はそう信じて38年間仕事をして来ました。そもそも、筆者が書いているような、ささいなミスで生徒からの信頼が失われることなどありえません。この程度のことで生徒にそっぽを向かれるとしたら、それはその教師の日頃の態度によほど大きな問題があるのです。それに、自らの人間性を絶対視している教師など、長い教師生活の中で一人もお目にかかったことなどありません。
そもそも、筆者はこの短い文の中で、大きな自己矛盾を犯しています。最後の一文にある、「こうしたことに畏れを抱かない、お気楽な教師」がいるとしたら、常識で考えて、それは自己の人間性を向上させることを怠っている教師なのであって、筆者は実は人間性を軽視している教師を批判していることになるのです。。なおかつ、人間性で学級運営をできないとする筆者自身は、何をもって学級運営をしているのかを、全国の教師たちに示すべきです。
筆者は、人間性というものを極めて狭く、限定的に捉えていると感じます。生徒たちを深い愛情で包み込むような人間性なくして教師としての完成は有り得ません。教師からそれを除いたら、単なるテクニック論しか残らないのです。
面白いことに、この人がFacebookに書き込みをすると、全国の教師達から、「いいね」が集まり、「シェアさせてください。」が集まり、賛同する書き込みが集まります。一つとしてこの教師の意見に疑義を呈する書き込みは出たことがありません。それを見ていると、全国の小学校教師は自分の頭で物を考えることが出来ないのだろうかと不安にすらなってしまいます。
この人の書き込みは常に上から目線で、すべてを知り尽くしたかのような語り口です。できることなら彼が勤務している中学校へ行って、生徒たちからの評判を聞いてみたいという気がします。