雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

教育勅語 意識調査

2017-04-05 04:19:12 | 発想$感想

教育勅語の教材活用について閣議決定がなされたというニュースが流れた。

 正直ちょっとびっくりしたが、

菅官房長官は、教育勅語の教材活用について「懸念は生じない」との認識を示しました。一方、野党は「教育勅語は憲法と教育基本法に反する」と非難しています。あなたは、教育勅語の教材活用についてどう思いますか?

ということでYahoo の意識調査がなされている。

 

   

 

 この結果を見て、『問題ない』いという人が33%もいるのは、そんなにいるのか? と思ったし、『問題ある』という人が61%もいるのも、そんなにいるのか?と思ったりしたのである。何か矛盾した感想のように思われるかも知れぬが、正直な感想である。

 私自身『教育勅語』を暗唱させられて育った世代なのだが、この勅語を暗唱したことで12の徳目が身に付いたとも思えないのである。

 

 

  

 

12の徳目がそこに含まれているなどと言うのが、解ったのも実は極々最近のことで、『教育勅語』だけではなくていろんな機会に何となく身に付いたように思うのである。『賛否両論』いろいろあるのだろうが、『教育勅語』なるものが存在したことの経緯などを含めて、『道徳教育』などと言う仰々しい取り上げ方ではなくて、自然に子どもたちが知ること自体は、そんなに問題ではないのではなかろうか?

世の中に存在するいろいろなことを、すべて『賛否両論』で色分けしてしまう風潮のほうが問題のような気がする。物事は、いろんな角度から見ることができるはずで、明治天皇が『教育勅語』を発せられたときの『お気持ち』はどんなものだったのだろう?

普通に、自然に、『自らの想い』として発せられたに違いなくて、後世でこんな議論になることなど思いもされなかったことだと思う。

 

    

  

Yahoo の意識調査のコメントを読んでみたが、こんなご意見は尤もだと思った。

この問題は、単純に Yes,No で答えられないのかも知れない。

 

●「国の為なら個人はどうなっても構わない」という考え方は、長い目で見れば国の為にもならず、また「個人の為なら国はどうなっても構わない」という考え方は、長い目で見れば個人の為にもならない。戦争の反動で、戦後日本はあまりにも国の利益を軽視・敵視しすぎてきたので、適切なバランスを取るためにも、勅語の精神は活用してもよい。

● 全文を暗唱させるとかはやりすぎだと思うが12の徳目を否定することもないと思う。
読む人によって意味が変わるほど難解な文章ではないと思うでのすが、一度自分の思想を抜きにしてきちんと読んでみませんか?
そうすれば反対する人の「教育勅語は国や天皇のために働けと強制するもの」的な誤解も誤解だとわかるはずです。
それに今の日本で教育勅語を悪用して軍国化しようとしても昔から変わってしまったこの国に戦争しようという空気は蔓延しないと思います。
きっと教育勅語で軍国化するって言っている人は政治利用したいか本当は戦争したい人なのでしょう
 
● 学校の役割はもっと「学問」に限定させるべきであって、特に公立学校では、学問以外の活動(部活など)・教科(体育・道徳など)は廃止されるべき。よって一種の道徳を説く「教育勅語」は、公教育からは排除されるのが望ましい。
更に言えば、「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」なんて、お上が国民に説く事柄ではない。そうでなくても個々の家庭事情は異なる。親孝行しなくても、兄弟仲が悪くても、友人知己を全員信用していなくても、国民の義務を果たしていれば一向に構わないので、今更学校で取り上げる必要は無い。
無論、私立校であれば、入学に関して選択の意思があるので、特に問題は無かろうと思います。
 
 
 
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