雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

SEMBAさん60周年

2007-01-08 06:34:22 | カワサキ単車の昔話
夕方、二輪車新聞の衛藤誠さんから電話があった。

「私のブログをどうすれば読めるのか」という質問の電話である。
衛藤さんは、本当にずっと昔、1960年頃からお世話になっている敏腕記者である。今もなお現役である。
だが、残念ながらパソコンが駄目なようで。

衛藤さんと話しても埒が明かないので、奥さんに代わって頂いて用件は完了した。

今でも家に二輪車新聞を送って頂いている。私の貴重な情報源である。
昨日届いた新聞の記事に、「SEMBA創業60周年の記念活動」の見出しの記事があった。
衛藤さんでなければ書けない、詳細な記事で、66年大阪カワサキ共栄会結成時の岡田博社長のことにも触れてあった。

本当に懐かしく思い出され、60周年のお祝いのメールをお打ちしたら、早速次男の康さんから返信が来て、その中にこんな昔のコメントがあった。

[世界のホンダ、日本のヤマハ,明石のカワサキの話はよく聞きますが、もうとっくに世界のカワサキになったなあと話をしています。」
70年11月私が大阪に就任直後の話で、まだ全然駄目だったころ、船場さんに言われた懐かしい話である。

今は息子さん二人がご活躍のようだが、「帳簿はまだ父がやっていて困っています。」ともあった。
お元気で何よりである。

息子さんたちも多分ご存知ないと思うが、
どちらかの息子さんあてに岡崎のある販売店からオートバイのDMが届いた。
船場さんに頼まれて文句を言いに行った。 日記によると75年7月24日のことである。

DMを出したのは,ヤマハオートーセンター(現レッドバロン)の杉浦斎さんだった。 
今多分、日本で一番大きい販売店になっていると思うが、その頃は未だ、岡崎の1店舗だけだった。

「こんな田舎で客が少ない中、努力して売ろうとしている。DMを出して何が悪い。」と反撃された。
当時,認証工場の資格を取り、安全運転コースをもつ経営姿勢は立派だと思った。初めての出会いであった。

お陰で、杉浦さんとも仲良くなった。仕事上ではお互いに譲らず喧々諤々やりあったが、何となく性があった。
家には杉浦さんから贈って頂いた立派な額などがある。見るたびに懐かしい。

私と杉浦さんを取り持ってくれたのは、船場さんに届いた1通のDMであった。

衛藤さん、岡田さん、杉浦さん、みんな一流である。 益々のご活躍を祈りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする