幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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面倒臭くなってきた?

2005-09-05 | 日記 Ⅱ

この頃、どうも「表題」を重荷に感じてきている。
「とにかく、幸せに向かって進んでいこう!」というようなイメージがあるように思えるからである。

ご記憶のある方がいるか解らないが、当初は、「本当の意味での幸せな人生のために」というものであった。
そしてこれには、「世間一般で言われているところの幸せとは違う、それぞれの人個々の幸せのために」という意味もあった。
(もちろんそのために、他者に迷惑を及ぼすことがあってはならないが)
しかしこれだと、どうも「インパクト」に欠けるような気がし、現在のものに変えたという経緯がある。

現在の表題はこの点、「世間一般で言われているところの幸せ」に近づこうとするようなイメージがありはしないか、という気がするのである。
私自身、最大限の努力をして、世間一般で言われているところの最大限の幸せを得たいなどとは思っていない。
多少なりとも他から見て、「あの人の生き方、なんとなく羨ましいな」くらいに思ってくれたとしたら、また、自分自身でもそう思うことができたとしたら、これ以上望むものは何もない。

もちろんそのために、ある程度の向上心を持って努力することを厭う気は全くない。
ただ、なるべく自分自身の「スタンス」というか…、考え方・価値観みたいなものを変えたくはない、というのが本音だろうか。

「アマノジャク」で「メンドウクサガリ」で「ヒネクレモノ」である私…。
正直なところ、最近「ブログに束縛されている」というような気もしてきた。
ブログという手段を用いて得られる「刺激」みたいなものも少なくなってきた。
こうしてブログに振り向けている労力を他に使ったほうがいいのでは、という気もしてきた。

一箇所に留まってコトバを吐くということ、どうも性に合わないようにも思う。
「吟遊詩人」ならぬ「吟遊戯言家」みたいなものでも目指してみるべきか…?


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