幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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さよなら貴ノ花

2005-06-02 | 日記 Ⅰ

貴ノ花関が亡くなりました。
(「ニ子山親方」というと初代若乃花をイメージしてしまうので、以下「貴ノ花」とします)

引退当時、「大関在位50場所の名大関」という賞賛に、疑問を持っていました。
「要するに、それだけかかっても横綱になれなかったってことだろう?」ということからです。
貴ノ花は好きなお相撲さんの一人だったので、何だか余計に不名誉なイメージに思えたものでした。

しかし、「カド番、カド番」という今の大関陣を見ていると、輪島や北の湖といった強い横綱の君臨する中、満身創痍の小柄な体躯でありながら50場所も大関から陥落することなく勤め上げたということは、やはり賞賛に値することだと、今では思います。

小柄な体格であるにも関わらず、左四つからの吊り寄りで攻めるような相撲が多かったイメージのある貴ノ花。
今から思えば、左右から出し投げで崩すなど、もう少し技の種類が多彩であったなら…、などとも思われますが、「大きい相手にも真っ向勝負」という所が大きな魅力でもあったかと思います。

当時、小柄な力士と言えば他にも、
相手にしぶとく食い下がり、「絶対に負けない」という気迫に溢れていた「旭国」…。
一見変則的ではありながらも、小手先ではない、正に「正攻法のいなし」ともいうべき技の持主「鷲羽山」…。
「この人なら相手に背中を取られても勝つかもしれない」という期待さえ持たせる、「サーカス相撲」の「栃赤城」…。

また、小兵力士以外でも、
国技館中日の定番、「富士桜×麒麟児」の突っ張り合い…。
わかっているのに食ってしまう「舛田山」のはたき込み…。
勝つときは、こんなに強い「高見山」など…。
本当に個性溢れる力士がたくさんいました。

今の角界で、2~30年経過してもその取り口が鮮明に思い起こせるような力士が果たしてどのくらいいるのでしょうか。

素晴らしい取組を数多く見せてくれた貴ノ花関。
本当にお疲れ様でした。

しかし、晩年における家族間の醜聞…。
せめて最期くらいもう少し、花田家の方々も、マスコミの方々も、何とかならないものかと…。


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コメント (2)
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