幸せについての考察 【桐棺三寸】

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オレのオヤジは世界一!

2005-05-24 | 日記 Ⅰ

「勝ち組」「負け組」という言葉がありますが、私の死んだ父親は、明らかに「負け組」の人生でした。
仕事のみならず、人間としても欠点の多い人だったと思います。

私自身、思春期を迎えた頃には父を「親」としてではなく、一人の「人間」として見るようになり、そのため欠点の多い父をある意味軽蔑し、あまり好感をもてないような状態になりました。
そして、口もきかなくなり、高校卒業後まもなく家を飛び出しました。

元々、父は「話し合う」ということができない人でもありました。
いつもせいぜい「一文のやりとり」みたいな会話でした。
互いの心情を伝え合うなどということは、およそ出来ない人でした。

しかし、私自身が独立して生計を営むようになると、徐々に父親の気持ちも理解できるようになり、形はどうあれ私を愛してくれていたんだ、ということも解るようになってきました。
ただ、その表現があまりに拙かっただけで…。

一人暮らしをし始めた頃、食事をするのにも事欠くような状態になった時期がありましたが、父は私を飢えさせるようなことは決してしなかった…。
最低限ではあるかもしれないですが、お金のことを気にさせることなく「普通に」暮らしていける状況だけは保ってくれていた…。
(後年知ったのですが、我が家の収入はとても少ないものでした)
それに対して今の私は、私自身さえ満足に食べさせられない…。
それだけでも大変なことなんだと思うようになりました。

そんな心情の変化が起こりつつあったさなかに、父が末期のガンに冒されていることがわかりました。
もう手遅れとのこと。
1ヶ月前まで普通に働いていた父親が、2ヶ月後には亡くなりました。

生前、あれだけ父のイヤなことばかりに目がいっていたのに、もうすぐ死ぬとわかったとたん、なぜか、いい思い出しか浮かんでこなくなりました。
キャッチボールをしてくれたこと…
海に連れて行ってくれたこと…
バイクに乗せてくれたこと…
ケガした指をさすってくれたこと…
私の書いた詩を褒めてくれたこと…

そして最後には、「もし、もう一度生まれ変わったとしても、この人の息子として生まれたい」とさえ、思うようになりました。

「勝ち組」「負け組」って何なのでしょう?
世間の人たちが私の父を知っていたとしたなら、間違いなく「負け組」と称したでしょう。
しかし、私だけはこう言います。
「オレのオヤジは、世界一!」


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コメント (4)
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