幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
Googleディレクトリ公認サイトです。

初のコメント、ありがとうございます!

2004-11-17 | 日記 Ⅰ

>距離 (na-co)
自分自身の心理状況によるのではないでしょうか。手が届かなくても幸せに感じられるときもあれば、近くにいても寂しいときがあるように思います。

----------------------------------------------------
そうですね。
「自分がどうであるか」ということが大きいと、確かに思います。

「手が届く」というコトバには、「物理的な距離」だけでなく「精神的な距離」という意味合いもあるかと考えます。
自分が繋がっていたいと想う人や物事に、確かに繋がっているという確信。
または、こちらが望んだときにいつでもそれに届く、という確信。

あるいは、「孤独を望む時」っていうのもありますよね。
例えば、私なんかは「淋しがりやの孤独好き」なので、独りの時間っていうのは絶対必要ですし。

それらは全て、「自分が今、どう在るのか」ということなのでしょう。
「自分が今、どのようにして居るのか」ということではなく…。

人が「淋しい」と感じるのは、どんな時なんでしょうか。
「淋しい」って定義を、何か気の利いた「戯言(ぎげん)」で表現できないでしょうかね…。 

人気blogランキングへ
「もくじ」へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする