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ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

結月ゆかりオリジナル知床応援ソング「月日はめぐる」を紹介します

2015-06-15 | 知床
ニコニコ動画にアップされた歌ですが
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26259506
内容が素晴らしいので、コマ漫画風に紹介させていただきます。

(動画については前回のブログを参照してください)
かつて知床の開拓に生きた人々が歌に! 知床応援ソング「月日はめぐる」

とはいえ、ここでは私がかなり余計な説明をしてしまっていますので、
まずは実際の歌と演奏を上記の動画でご覧になってくださいね。


作詞・作曲・作画 Daddy's マスター


ボーカロイドの結月ゆかりが歌っています
(ボーカロイドとは:YAMAHA開発による歌のための人工音声。
歌ってくれる人を探さなくても、コンピューター打ち込みで
自作の楽曲を歌詞・歌声つきで披露できるようになりました)



おお、これは知床五湖方面から望む羅臼岳ですね


五湖への分岐のあるカーブのところ、
100平米運動の看板の立っている辺りからの眺め。
現在ではよくエゾシカもいて、羅臼連山(知床連山)がとても綺麗に見える辺りです


その羅臼岳に抱かれるように、ここには昭和40年代までSさんの開拓農家がありました。
Daddy'sマスターさんは単に想像ではなく、資料写真をもとに描いていらっしゃいます。


手前のだだっ広いところは、草原ではなくて、Sさんの畑でした。


そう、開拓者の皆さんが播いたのは、ただ食べるための種ではなく、
こころざしの種!




第2次大戦後の戦後開拓では、特に健康で若い夫婦や男手(男兄弟)の多い家族が選ばれて入植しました。
開拓者を選ぶ審査も厳しかったんですよ。誰でも開拓者になれたわけではありませんでした。


だから希望だけではなく、使命と覚悟も………


開拓者の皆さんも、新天地で記念写真を撮りました。
記念すべき、夫婦の一枚目。
後ろはもちろん、自分たちの手で建てた家。


これも実際の写真をもとに描いていらっしゃいます。
同じく開拓者だったというDaddy'sマスターさんのお祖父さんの写真ももとになっているかもしれません。


最初は水道なんて当然ないので、炊事もお風呂も谷底の川まで天秤棒担いで通います。
あっ奥さんが何か呼んでいますよ…!


(えっ赤ちゃんが……!?)


父ちゃんもう頑張っちゃう!!(笑)
開拓地での命の誕生です。


コエゾゼミの鳴く知床の短い夏


でも秋には頑張っただけの収穫が。


故郷には父母や親戚。
でももう帰らない覚悟で来ています。


知床の戦後開拓では、主に宮城県からの集団入植者と、
樺太からの引揚者、北海道内からの希望者が入植しました。


ウトロでは本当にこんな風に夕日が見えます!


農作業を終えた夜には、家族の団欒♪




歌の1番の終わりには夫婦二人+子犬だったのが、
歌の2番の終わりには、こんなに家族が増えてます!
Daddy'sマスターさんの作画展開にじわりときます。
子犬もこんなに立派になりました。




プラウで土をおこしてます。
(プラウは、昭和30年代頃に全国的に使われていた、馬に曳かせる鋤)
ちょうどこんなシーンの写真は、知床だけでなく、いろんな皆さんの地域にも残っているのではないでしょうか。


これは遊んでいるんじゃないですよ、畑や草刈り場に傘をパラソルのように立てて、
農作業の合間にお弁当を食べているんです。
本当に知床にこんな写真が残っています。
Daddy'sマスターさんの描く子供たちもどんどん成長していますね!


各家から岩尾別小中学校(現在の岩尾別YHのところ)へ。
知床の大地を、セーラー服の女の子が歩いて通っていたって、想像できます?(笑)
(実話です、念のため)


これも実話から描いて下さっています。
ストックなしで滑る練習したんですって!
スキー板はもちろん手作り。
スキーで学校に通い、2月にはスキー大会もありました。


開拓者はカラマツやゴヨウマツを材木として売るために植林もしていました。
その植林は今でも立派に残っています。






馬に木の根引かせてます!


自分たちの手で何でもやり遂げていく誇り


家族団欒の食事(よく思われているほど貧しくない)。
岩尾別小中学校の校庭で大人も子供も参加で行われた大運動会。
開拓地で育った2世の人々は「父母は開拓で苦労したと思うけれど、
子供は毎日楽しいことばかりだった」と語ります。


この絵がすごい。
最初(このページの6枚目)に描かれていた家がこんなに大きな家に!
おそらく別棟トイレだったのが棟続きになり、
風呂棟もくっついて、煙突も立派になりました。
そしてやっぱり絶え間なく煙が………
(実際にお風呂や家を拡張していったM家(知床横断道路沿い)の実話を知った上で描いてくださったのかと思うと、それもすごい)


そしてその、大きくなった家にはこんなに家族が増えていました!
月日がめぐる間に………!


決して裕福ではないかもしれないけれど、
希望と志に燃え、自分たちの手で生活を切り拓き、
大勢の家族で紡いでいく日々。
そんな知床の開拓地の暮らしが、
この4分半の短い歌に全部詰め込まれていて見事です。


画面はスーッとパンして、


結月ゆかりがその写真を持っている
(実は結月ゆかりがこの動画を見せていた)という心憎い演出。


 私がすごいすごい言っていたのがわかっていただけるでしょうか(^^;

 実はこの知床応援ソングは、5月末日に女満別空港ビルにてコンテストの発表があり、惜しくも「月日はめぐる」は入賞しませんでしたが、北海道内出身の審査員の方には特に好評だったそうです。それも私にはわかる気がしました。北海道出身の人は、知床でないにしろ、おじいちゃんおばあちゃんなど、身近に開拓者の人がいることが多いのです。そして、実際に開拓された土地に現在住んでいたりするわけで、そんな人々のかつての暮らしを、優しく温かく、かつ、誇りをもって描いているこの歌は、人々が自分のルーツを思う心に触れるものがあったと思うのです。

 もっと早くこのブログを書いて応援したかったのですが、今頃になってすみません。
 コンテストは終了しましたが、動画はいつでも見られる形で残っていますので、これからもささやかながら宣伝していきたいと思います。

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かつて知床の開拓に生きた人々が歌に! 知床応援ソング「月日はめぐる」

2015-05-16 | 知床
 素晴らしい歌と動画をご紹介。
 私、今日連絡を受けて、生まれて初めてニコニコ動画に登録してログインしましたよ。

知床応援ソング「月日はめぐる」(作詞・作曲・作画 Daddy's マスター)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26259506

 なんと、ほんの50年程前まで、知床の大地に夢を託し、村を作り上げ、暮らしていた開拓者の人々の思いや生き様が、まるまる歌になっている!

 知床開拓が取り上げられて歌にしてもらえた!というだけでも凄いのですが、感動したのは、開拓者の人々が知床にかけた夢とか、苦しい中にも喜びや楽しみを見いだしながら生活を築き上げていった様子とか、家族の喜びやあたたかい結びつきとか、私が知床開拓についてどうしても人に伝えたいと思ってきたことが(でも伝わらなくて、開拓と言えば否定的にとらえられて地団駄踏んできたことが)、4分半の歌の中にぎゅぎゅっと全部つまっているんですね。びっくりしました。すぐにもと開拓者の皆さんに見せたいと思いました。新婚の奥さんや生まれたばかりの子供たちを連れて開拓に入った1世の方々も、知床で育った2世の方々も、これを見たらものすごく喜んで、それで泣けてくると思います。
 3拍子を基調とした(なので知床旅情的な雰囲気もある)やさしいメロディーに、作者手描きのあたたかい絵が次々に展開されます。でも単にノスタルジーに流されるのではなく、開拓にかける覚悟や、誇りが表現されているんです。「生きた証 ここに朽ち果てようと 月日はめぐる」ですもの、すごいでしょう。

 私自身は、一時はなかったことにされそうにさえなっていた知床開拓が、こうやって取り上げていただける時代になったんだなあ、と、しみじみ泣けました。

 作詞・作曲、それに次々に流れる絵、すべて「Daddy's マスター」さん(実際にDaddy'sというお店のマスターさん)の作品で、結月ゆかりというボーカロイド(歌うことに特化したヤマハの合成音声)が歌っています。

 結月ゆかりは女満別空港の応援キャラクターなんですね。(そういえば新千歳空港も雪ミクがキャラクターのキャンペーンをやっていました) それで、知床の世界遺産登録10周年を記念して、結月ゆかりの歌う知床応援ソングを募集中で、その応募曲だそうです。

 直接作者の方がご連絡下さいました。
 本当ありがたいことです。

 ここを読んだ方はぜひ見に聴きに行って下さいね。ボーカロイドの人工音声に違和感を持つ方もいるかもしれませんが、やさしいメロディーなので、思うほど違和感ないですよ。


 しかし今日初めてニコニコ動画に登録して、どうやって御礼のコメントを書き込んでいいのかわからん……(笑)(なんか、へたに書き込むと動画の画面に表示されてしまう)

 もと開拓者の人にもどうやってニコニコ動画を見てもらおうか???
 いや、開拓者2世の方々はけっこうネットをガンガンやっているので、私よりニコニコに詳しいかもしれない………。


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「知床開拓スピリット」が電子書籍として再販開始されました!

2015-03-11 | 知床
↑これは紙の本。電子書籍だとどんな具合になったいるのかな。


 「知床開拓スピリット」(2007年12月発行、柏艫舎)が、昨年12月に電子書籍化されて再販されていました!

 著者が知らなかったというのもあれですが(^^; 自分でたまたま見つけました(汗)

 紙の媒体はすでに売り切れてしまっていたので、これで安心して人様に買って下さいとお勧めできます。

 「知床開拓スピリット」発売から7年経過しましたが、内容的にはまだ少しも古いものはなく、むしろ、初めて読んでいただく人には「そうだったのか!」と驚いていただける内容だと胸を張れますので、ぜひ一人でも多くの方に読んでいただければと願っております。

 本で取材させていただいたもと知床開拓者の皆様はすでにご高齢で、本の出版後2名の方が天寿を全うされましたが、その他の方々はまだまだお元気で日々頑張っておられます。

 世界自然遺産登録10周年を迎えた知床でしたが、やっぱり、「観光」をどうするかということの方ばかりに議論が行って、開拓の歴史についてはほとんど取り上げられることもなく過ぎてしまいました。

 知床自然センターから五湖までの間にまだ点々と残っている開拓の遺物も、人々が知床の大自然の中で日常生活を築き上げたという素晴らしい遺産ですので、このまま朽ちさせるのではなく、うまく活用されていくことを願っています。

 電子書籍は、ざっと検索した所では、(AmazonのKindle版はまだですが)、
楽天ブックス   (ジャンル:風景写真集)
学研電子書籍ストア(ジャンル:ノンフィクション)
honto電子書籍ストア(ジャンル:芸術・アート)
本よみうり堂    (ジャンル:ノンフィクション、写真・イラスト集)
・・・などで入手できるようです。

 ぜひどうぞよろしくお願いいたします。


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お知らせ 札幌発情報誌「O.tone(オトン)vol.65」に掲載されました。

2014-03-16 | 知床

 "札幌を楽しむための情報誌"「O.tone(オトン)」(あるた出版)の今月号 vol.65 (2014年3月15日発売、昨日ですね♪)に掲載されましたのでお知らせします。
 
 知床第一ホテルさんが企画する、知床と共に生きる人々の生き方・時の過ごし方を追った「いちばんの時間へ」の連載第2回に、知床開拓の話題を取り上げていただきました。キャッチは「知床に力強く生きた開拓民達の、真実の記憶を伝えたい。」です。

 北海道内のコンビニや書店で売られていますので、よろしければお手にとって見てみて下さい。(上記あるた出版さんのサイトからも、号を指定して購入できます。)


 知床は相変わらず自然景観や野生動物の素晴らしさで話題になりますが、現在の景観の素晴らしさを味わいながら、同時に過去に生きた人々の素晴らしさを感じられるという、2重の体験をできる場所です。
 知床を訪れる方が、自然に感服することがあったなら、昭和の時代にはその凄い自然の中で暮らしていた人々もいたんだ!ということにも思いを馳せていただければ、より感動も増幅するのではないかと思います。

 先日も「知床の開拓の歴史を学ぶスキーコース」で書きましたが、最近はやっと開拓の歴史も当たり前のこととして学べるようになってきたので、知床にいらっしゃる方はぜひ。


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知床の開拓の歴史を学ぶスキーコース

2014-02-20 | 知床
知床の幌別地区に残る開拓家屋、門間家(これは修復前の写真)


 うちはテレビがないので(地デジ化しなかった)、家にいる時はだいたいラジオがつけっぱなしになっています。

 つけっぱなしているとNHKラジオのニュースの時間になり、知床の歩くスキーコースがオープンしたと聞こえてきました。「コースは二つあり、開拓地コースでは開拓の歴史を学びながら歩くことができます。」とNHKのアナウンサーが喋るのを聞いて、思わず手を止めて、うーんと感慨深い気持ちになりました。

 何故なら8年前、私が知床開拓の取材を始めた時、知床のいつどこにどのような開拓があったのかもうほとんどわからないまま、森の中に散乱する遺物も「開拓の跡は残さないことになっているから」と放置されていたからです。

 開拓について語られることがあっても、「知床は自然が凄いから人なんか住めなかった」か、「政府の戦後政策のせいで、開拓者はひどい所に住まわされた」という文脈になってしまい、「開拓は失敗」とレッテルを貼られたもと開拓者の方々は(失敗でも何でもなく、あのすごい場所に畑を拓いて小中学校まで作って普通に住んでいたのに)固く口を閉ざしていました。

 取材した後で電話がかかってきて「あの話を何に使うんだ!」といきなり怒られたり、「わしらはいいが、子供たちが『開拓者の子供だ』と言われたらいかん、やっぱ黙っててくれ」と言われたりしました。

 もと開拓者に一人一人取材して、現地で実際に住んでいた跡を1軒1軒確認して、証言や昔の(人が住んでいた頃の)写真を集めて、開拓の歴史を明らかにした後も、NHKの取材に協力したり取材を受けたりもしましたが、どんなに強く訴えてよくよく説明しても、番組の編集段階で「自然が厳しいので開拓は失敗しました」というアナウンスが入れられてしまったり、知床の開拓を戦後開拓の失敗例とする番組にされてしまったりして、猛抗議したこともありました。
 それまで「通例」になってしまったイメージを払拭するのは、ものすごく難しいのです。

 そのNHKの番組で(ニュースですが)、「知床の開拓の歴史を学べます」とアナウンスしているのです。時代は変わったのだなあとしみじみ思いました。

 今は、知床に開拓村があったことは当たり前のことになりつつあります。

 昔、あの知床の風景の中で開拓者の方々が畑をつくっていたこと、子供を育てていたこと、水道も電気もみんな自分たちで整備していたこと、それらの歴史をベースに百平方メートル運動があり、そして今の世界遺産知床があり、知床自然センターから知床五湖に至るあの環境が広がっていると、そんな認識になっています。

 開拓者の方々が離農政策によって知床を去ったのは昭和40年から49年にかけて。戦後開拓で入植した開拓一世の方々の多くは高齢ながらまだまだお元気です。その皆さんがご健在のうちに、開拓の歴史が明るい日のもとで語られるようになってよかったです。


 ちなみに、歩くスキーの「開拓地コース」に残っている2軒の開拓家屋は、

1)門間家の住宅(納屋や馬小屋など色々あったうちの、母屋です。『厳しい開拓生活』のイメージでいると、家屋のデカさ立派さに驚くと思います。2008年に斜里町によって修復保存されました。)

2)T家の馬小屋(「開拓小屋」という名前で、自然センターのいろんなイベントに活用されています。一階が家畜スペースで、二階は馬草を積んでありました。木の階段は当時そのままのものです。)

知床自然センター公式サイト↓
歩くスキー・スノーシューのご案内

今さらですが自分の著作↓
知床開拓スピリット(2007年、柏艫舎)
(第一刷は完売してしまいました。電子化の話があるので、そう遠くないうちに電子書籍で再発売されるかと。)

 ちなみに続編(開拓時代の写真や、当時の膨大な証言をまとめた原稿)はもう出来上がっていて、某所に送ってあるのですが………まだ出版未定状態です(^^;

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お詫び 知床開拓跡地を歩くツアー中止(延期)します。

2013-09-03 | 知床
行ったことのある人ならすぐわかる風景?
知床五湖道路の、五湖に向かってまっすぐ伸びる部分。
かつて両側に民家が並んでいました。
馬も見えますね、農耕馬です。


 すみません、現在知床自然センターにて開催中のロビー写真展「続・知床開拓スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」に連動して、9月に知床の開拓跡地を歩くツアーやスライドトークを、知床現地で予定していたのですが、どうしても私のスケジュールが合わず、今回は見送りさせていただくことにしました。

 もしも行こうか?と思って下さっていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
 知床開拓についての本の第2弾が出る時に、改めて開催させていただければと思っています。

 ロビー展は9月30日まで開催中ですので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。



 知床の開拓の歴史を人に伝えていこかなければと、結構頑張っている……と思うんですが、それでも、やっぱり、「知床開拓は失敗」「自然が厳しくて人が住めない」といった誤った認識が変わらず世の中に流布していて、哀しくなります……。

 観光客向けの情報などは、知床の自然を崇めすぎるがために、逆に、「人なんて住めるはずがない」「住んでいたなんておかしい」「当然開拓なんて失敗だろう」という方向に突っ走っているんじゃないかと、疑ってしまうくらいです。
 
 なので、機会がある限りちゃんと人に語り継いでいかなければという焦りもあり、今回も開拓跡地の現地で人に見て聞いて知ってもらえる良いチャンスと思ったのですが、残念です。


 ……とはいえ、焦っても良いことはないので、焦らず機会を見つけていきたいと思っています。

 インターネットももう少し活用するようにしようと思っています。インターネットに掲載していいかどうかは、もと開拓者の方々の許可をいただいてからですが。

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知床自然センターでの写真展の様子です 2013.8.1~9.30開催中

2013-08-02 | 知床

 昨日ブログでもご紹介しました知床自然センターロビー展示の様子を、自然センターの方が送って下さいました。

 栂嶺レイ写真展
「続・知床スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」

 2013.8.1(木)~9.30(月)
 詳しくは
知床自然センターホームページ(ロビー展情報)




 こんな感じに展示されています。合計18枚のカラー写真すべてに、それと対応する開拓当時の白黒写真と、開拓者の証言を添えています。



 知床にお越しの際は、ぜひ知床自然センターへお立ち寄り下さい。


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知床自然センターロビー展のお知らせ8/1~「続・知床スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」

2013-08-01 | 知床

↑ 知床自然センターでデザイン・製作して下さった写真展告知パネルです。



 ブログご無沙汰しております。
 息子も幼稚園児となり、一緒に歩き回れるようになったので、ボチボチ取材行も再開しつつ、取材だ新盆だ夏休みだと慌ただしい7月でした。

 再び写真展のお知らせです。
 明日8/1(木)より~9/30(月)まで、2ヶ月間にわたり、知床の「知床自然センター ロビー展示室」にて、

栂嶺レイ氏写真展
「続・知床スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」

 を開催させていただきます。

 詳しくは、知床自然センターホームページをご覧下さい。
ロビー展情報 http://center.shiretoko.or.jp/lobby/


 内容は、3月に札幌市の富士フイルムフォトサロンで開催した写真展に準じるもので、
  「現在の知床に残る開拓の遺物」(私が撮ったカラー写真)
  「開拓当時の ↑ と同じ物or場所」(昭和20~40年代当時のモノクロ写真)
  「それらについての開拓者の証言」(文字キャプション)

 ……の3点セットで、全紙8枚、半切10枚の合計18枚のカラー写真を展示しています。

(搬入展示にあたっては、知床自然センターの担当者の方及び皆様に大変御世話になりました。)

 今回は知床のもと開拓地の現場での写真展ということで、知床方面にご旅行の際にはぜひお立寄りいただき、つい40年くらいまで知床で、大草原の小さな家ならぬ、原生林の暮らしがあったことに思いを馳せていただければと思います。


 2ヶ月間の展示期間の間には、私が実際に現地の開拓跡をご案内・ご説明するミニツアーのようなものができればと考えています。
 詳細が決まりましたら、また改めてご案内いたします。



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改めてスライドトークのお知らせ:5月28日(火)OYOYO講座「知床開拓スピリット」

2013-05-10 | 知床
今まで何度も掲載している、知床開拓地の岩尾別地区の中心にあった岩尾別神社の屋根ですが、
実際に開拓時代に建っていた時の様子は↑上の通り。
正装して集まる開拓者の人々です。




 ゴールデンウィークの北海道は、どんよりと暗く、みぞれが降り、冷たい風が吹き荒れ、子供を連れて近所の観光牧場に行ってみたもののあまりの寒さに撤退、子供は熱を出して幼稚園を早退~~と、とにかくまったく外出したいという気持ちになれない1週間でありました。
 今日は、やっと晴れたよ~~、布団干せたよ、久々に子供と公園に行けたよ、と思わず所帯じみたことを言ってしまうほど、何日ぶり!という暖かい日差しでした………



 ところで、先月4月9日に予定していたOYOYO講座スライドトーク「知床開拓スピリット」の延期ですが、改めまして5月28日(火)にリベンジ開催させていただくことになりました。
 平日20:00~22:00という夜の時間帯になりますが、ご都合つく方がいらっしゃいましたらぜひ。

 3月に富士フイルムフォトサロンで行ったスライドトークよりも構成を増やして、戦前~戦後の知床で衣食住など工夫して生活を築いていった様子や、知床にあった林業のこと、ヒグマのことなど、過去と現在の写真で見ていただければと思っています。

 詳しくは、
(OYOYOトップページ)
http://www.oyoyo16.com/top/
 …をご覧下さい。

(開催のご案内)
http://www.oyoyo16.com/top/2013/04/oyoyoゼミ公開講座%E3%80%80栂嶺レイ%E3%80%80スライドトーク「知/



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緊急)スライドトーク延期のお詫び

2013-04-09 | 知床
大変申し訳ありません。
今朝急な連絡があり、身内の不幸があり、静岡へ行かなくてはならなくなりました。
そのため本日のスライドトークを急に延期させていただきます。
予定して下さっていた皆様、申し訳ありません。
落ち着きましたら改めてお詫び&新しい日程の御連絡をさせていただきます。

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OYOYOゼミ公開講座 栂嶺レイ スライドトーク4/9(火)のお知らせ

2013-04-02 | 知床
 札幌の街とアートの交差点としてライブや公開講座を頻繁に行っている「OYOYO まち×アートセンター さっぽろ」で、知床開拓についてスライドトークをさせていただけることになりました。
 平日ですが夜の時間帯なので、仕事帰り、夕食帰りにいかがでしょうか。

 2013年4月9日(火) 20:00~22:00
 OYOYO(札幌市中央区南1条西6丁目 第2三谷ビル 6階)です(ハンズの隣の隣)
 (すみません500円かかります)


 今のようなこまめな行政の助けもなく、病院にも簡単に行けない知床の原生林の中で、どうやって暮らしをつくっていったのかを見るだけでも、現代の私たちの励みになるんではないかと思います。

 知床にも人の暮らしがあったということを、ぜひたくさんの方に知っていただきたいです。


 詳細は下記に掲載されています。

OYOYOサイト


**********************************************************
(以下こちらにも引用させていただきます)

・テーマ :栂嶺レイ スライドトーク
       「知床開拓スピリット 過去と現在が語る知床の暮らし」
・講 師 :栂嶺(つがみね)レイさん(写真家・医師)      
・開催日時:2013年4月9日(火) 20:00~22:00
・会 場 :OYOYO
     札幌市中央区南1条西6丁目 第2三谷ビル 6階
     ※東急ハンズの西2軒隣のビル
     http://www.oyoyo16.com/top/about_access/
・入場料 :一般500円
・主 催 : OYOYOゼミ

 世界自然遺産に登録された知床半島には、ほんの40年ほど前まで先人達がイキイキと暮らしていました。栂嶺さんは、知床の森に埋もれてきた開拓の真実の姿を掘り起こし、2007年に写真集「知床開拓スピリット」(柏艪舎)として出版。そのお仕事は、2008年「サライ」(小学館)の第7回サライ大賞BOOK部門で受賞するなど、高く評価されています。
 現在、その後の調査をまとめた続編を出版準備中。
 今回、豊富なスライドとともに、知床の知られざる歴史についてお話いただきます。


【開催のご案内】 

平成17年に世界自然遺産に登録され、毎年多くの人々が「手つかずの大自然」「野生動物の秘境」を夢見て訪れる知床。しかし、知床自然センターや知床五湖の周辺にほんの40年ほど前まで、幌別・岩尾別という2つの集落があったことはほとんど知られていません。「自然が厳しすぎて離農」「開拓は失敗」という誤った認識のもと、知床の開拓の歴史は観光地にそぐわないネガティブなものとして封印されてきました。

 そこで平成19年の拙著「知床開拓スピリット(柏艫舎)」では、現在の知床に残る開拓の様々な痕跡を撮影した写真に元開拓者の証言と開拓当時の白黒写真を加え、知床開拓が決して失敗ではなかったこと、厳しい自然の中でも人々は農作物を育て生活を築き上げていたこと、離農は政策で決定されたものだったことを明らかにしました。その結果知床では、もと開拓者たちが同窓会を開いて40年ぶりに互いの消息を確かめ合い、斜里町行政は「開拓跡地には何も残さない」としてきた方針を覆して、開拓地に残った最後の1軒門間家の修復保存を決定しました。

 しかしいまだテレビや雑誌は知床開拓を繰り返し「失敗」という言葉で語り、原生林が育つほど豊かな土壌であった知床について「作物も実らない不毛の地」という言葉が一人歩きしています。「厳しい大自然」を強調するあまり、ここに人が住めるはずがない、だから開拓は失敗であったはず、失敗でなければおかしいという心理も見え隠れします。一旦出来上がってしまったイメージはそう簡単に覆ることはないのです。
 しかしながら、人間など近寄れないと思うような厳しい大自然の中に、まぎれもなく自分たちの力で日常生活を送っていた人々がいたという事実は、不況や少子化や医師不足などにあえぐ現代の私たちにも大きな示唆を与えてくれるでしょう。

 今回のスライドトークでは、知床で実際どのように開拓が行われ、何を遺したのか、今も残る数々の開拓遺物に昭和20~30年代の知床の白黒写真を対応させ、もと開拓者から聞いた当時のエピソードを紹介し、農業だけでなく林業、漁業も含めて人間が自然と共に生きて来た知床について考えます。
                         (栂嶺レイ)

【講師プロフィール】
栂嶺レイ(つがみねれい)

千歳市在住。
写真家・医師。
2001年にアールイーアイ・アートテックとして独立。
知床の旧開拓地の他、紀伊半島、東北、九州、八重山など、消えつつある古い村での民俗・信仰をテーマに取材と撮影を続けている。
(株)アマナイメージズ(世界文化フォト)にストックフォト提供。

・作家サイト http://homepage3.nifty.com/rei-t/”
・作家ブログ  http://blog.goo.ne.jp/reitsugamine/

・「知床開拓スピリット」 写真・文/栂嶺レイ 
   (柏櫨舎) 2007年12月 http://www.hakurosya.com/siretoko.htm

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在庫があとわずかとなりました「知床開拓スピリット」(2007 柏艫舎)

2013-03-15 | 知床
 今回、写真展会場で販売しようとしてわかったのですが、私の前著「知床開拓スピリット」(2007年、柏艫舎)は、もう在庫が、現在書店に出回っているので最後となりました。出版社にも在庫がないそうです。増刷は当分ないと思われるので、これからは中古でやりとりされる世界に入っていくのでしょうか……。出版から5年。きりも良いです。ここで気持ちを新たにして、次作の出版に切り換えていくのが良い所なのでしょう。
 そんなわけで、ご購入を迷われていた方は、今のうちにぜひ。

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富士フィルムフォトサロンHP 写真展「続・知床開拓スピリット」

2013-02-21 | 知床
富士フィルムフォトサロン札幌のHPにも写真展のお知らせが掲載されていますので、ご覧になっていただけると嬉しいです。写真がいくつか掲載されています。
2013.3.1(金)~6(水)
栂嶺レイ写真展 「続・知床開拓スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」



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謹賀新年

2013-01-05 | 知床

 遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。

 長いこと書き続けてきた「知床開拓スピリット」の続編の原稿が、やっと書き上がりました。
 この後なんとか出版までこぎつけられますよう。
 一応仮タイトルは「知床の山と風が我らを育てた 知床開拓スピリット2」です。

 3月1日(金)ー6日(水)に富士フィルムフォトサロン札幌にて「続・知床開拓スピリット -過去と現在が語る知床の暮らし-」写真展を行います。
 詳細は近くなりましたら改めて。

 本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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メディアが決めつけてきたこと  TVh、BS「知床に生きる」の放送が終わって

2012-08-13 | 知床
修復保存された門間家と住人だったあや子さん
門間家の内部は昔そのままに、非常に綺麗に気持ちよく掃除整頓されていて、
その後もちゃんと手がかけられていることがわかって安堵しました。


 TVh、BS「知床に生きる 写真家・栂嶺レイ ~開拓スピリットを伝えたい~」を自分でも見て、なんというのか、「知床に人が暮らしていた」ということがものすごく素直に、ごく自然に流れていくような番組でした。
 それを見て、ああ~偏見がないってこういうことなのか、と、しみじみ思いました。私は知床開拓に対する偏見をやめてくれーと訴えてきた立場だったのだけど、実際に偏見のない映像を目の当たりにするとしみじみするものですねえ。

 それで改めて、今まで知床開拓について伝えてきたテレビ番組というのは、「戦後開拓の罪」とか「秘境知床の大自然」に偏っていたのだなあと思い至りました。

 「戦後開拓の罪」を訴えるために知床開拓を引き合いに出せば、当然、開拓計画は無謀で失敗で住民が酷い目にあったという話にならなければならないし、「秘境知床」「野生生物の宝庫」を強調するために知床開拓を引き合いに出せば、当然、凄い自然の前に人の営みは失敗でなければならず、人も住めないような「手つかず」の自然ではなければならない、という方向に行ってしまうわけです。
 「100平米運動」の番組をつくろうとすれば、100平米運動は"人間の手から知床の原生林を取り戻す運動"ですから、開拓を"悪""失敗"としてそれを全国の皆の善意で取り戻そう、とやった方が盛り上がるわけで、そっちへのバイアスがかかってしまうのです。

 だから、知床の開拓が実際にどんな風であったかよりも、何をテーマとして、そのテーマに知床開拓を付随させて報道するか、で、知床開拓の扱われ方が決まってしまってきたように思います。

 今後は、今回のテレビ北海道さんの番組のように、戦後開拓とか凄い自然とか100平米運動とかそういうバイアスなしに、素直にごく普通に「知床開拓」そのものを取り上げて報道する番組が増えていってくれないかなあと願っている所です。

 ちなみに、もと開拓者の方々の反応は、今回の番組は絶賛でした(・▽・) 偏見がなくなったから良いとかそういうポリティカルな反応ではなくて、ごく普通に、まっとうに、自分たちが思う自分たちのふるさとをテレビで見れた喜びというのが伝わってくる感想でした。

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 参考までに、今までの(今回のじゃなくて、過去にあった)テレビに対するもと開拓者の方々の反応↓
(これは現在執筆中の知床の本に載せる予定で聞き取りをまとめたものです)

「NHKから苦労話を喋ってくれとか言われて、それで喋ったりなんかして、そしたらBSしか映らないっていうから、BSのビデオとこれ買ったさ。したっけ、オレが楽しい話ばっかりしたもんだからカットされてしまってさ。
 オレ、開拓地でさ、金に執着ないし何にも執着ないし、だからあそこにいたのが今この年になってね、楽しいことしか記憶ないんだよね。
 NHKは加藤登紀子の番組で、苦労話をしゃべってほしかったんだって。だけどオレ楽しい話ばっかり、3時間くらい喋ったんだわ。全部カットされて、DVDだけ送ってきたさ。でも、その喋ったやつ、放送されないの。
 オレはあそこにいて『辛かった!』なんてこと、一つも思ってない。あそこに楽しかった思い出しかない。」(SYさん)


「この間テレビで取材来たしょ、うちは開拓者で開拓財産あったんで、木を売って、それで家を建ててもらって、タダでもらったわけさ。
 でも開拓者だから。こんな裕福な開拓者はないから、それでNHKではオミットさ。全国放送だから。全部カット。
 もっと貧乏なことを言えばよかったんだけれども、本当のこと言ったから。財産あること言ったから、それで全部オミットさ。
 開拓者のイメージってのは『困った開拓者』だから、イメージでは裕福なんてのは一つもないんだから、全国放送だからイメージと違うことはできないんだ。」(SKさん、SMさん)


「開拓についてテレビの取材が度々来るけど、僕の親なんてね、銀行の行員だったでしょ、横浜の鶴見っていう所から、開拓のカの字も知らない親が入植して、切り拓いて、我々を育ててくれて、ここまで生かしてくれて、何が不満で、何か親に文句言うことあるかっていうの。
 だからね、いかにも夜逃げしたような報道をやるでしょ、そういう所を『お前たちがやってる報道とは全然違うんだぞ』ってことを、僕は訴えていきたい。」(AMさん)


「道内、道外、どの地域の人が集まっても、こんな話を聞かせたら笑われるだろうなあと思って話したことに、あちらこちらから『俺もだよ!あの頃はみんなそうだったよな』と声があがるんですよ。
 だから、いかにも知床の開拓に携わった者だけが苦しくて貧しかったように誇大に語り継がれているようで、知床に生活した当事者からすると不本意な部分もあるんですよ。」(AMさん)


「取材や報道のあり方によっては、入植から全戸が離農に至るまでの経緯、開拓者の真の姿や思い等々、必ずしも正しく伝わっていない部分があり、特に観光客に誤解を招きかねない偏った伝わり方の時さえあり、懸念を抱かざるを得ない。
 ややもすると『あまりにも厳しい環境のもと、人が生活することすらままならない』『知床の地での暮らしを断念して後にした』等々、苦労話だけが一人歩きして報じられ、語り継がれてきた側面があるように感じている。
 開拓者自身の出身故郷や入植時期は様々であるが、戦後開拓は北海道のいたる地域で進められていたのは周知の通りである。どの地域での開拓も想像を絶するような苦労は確かにあったが、苦労の中にも楽しい事も数知れずあったのも事実である。
 昨今の核家族では希薄になりつつあると言われる家族愛、となり近所の人付き合い、親子共々参加の学校行事、皆さんの団結力、どれも自慢の出来るほど優れていた。
 今のように欲しいものは何でも手に入る時代とはおよそ掛け離れていたが、当時にしてみればなんのことない、開拓農家のみならず、日本全土が必ずしも裕福ではなかったはずである。」(AMさん手紙)


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