ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

台風12号災害から知ったこと 10)逃げようと誘われたら逃げよう

2013-12-31 | 危機管理と災害
流された古い家屋の一部。これは北山川流域、九重にて。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


10)逃げようと誘われたら逃げよう

 災害後私が聞いた中で、その集落で人が亡くなったのは1軒だけ、という集落が2つありました。
 そしてその2カ所とも、近隣の人が「逃げよう」と誘いに行って、逃げるのを断ったお宅でした。
 他の人たちは避難したので助かりました。

 私の10/30のブログ、警戒情報(避難勧告)はどこまで有効かにも書いたのですが、警戒情報が出たからといって、「逃げる」のはとても勇気がいります。避難勧告が出て100回逃げても、そのうち実際に災害が起きるのは3回か4回という頻度である上、特に、周囲の人が逃げようとしない時に、自分だけ逃げるのはとても勇気と覚悟が要ります。

 これは、正常性バイアスと言って、本当は逃げなければならない状況にもかかわらず、「今のこれはまだ逃げなくてもいいんだ!」と思おうとする心理が働いてしまうことを言います。
 詳しくは、例えば参考にして下さい↓
防災心理学、正常性バイアス、多数派同調バイアス
(防災システム研究所のサイト自体がとてもためになるので見てみて下さい。
防災システム研究所ホームページ

 でも、周りの人が「逃げよう!」「逃げなきゃ危ないよ!」と誘ってくれる状況は、まさにこの正常性バイアスを打破する状況!なのです。

 もともと隣人との関係が悪いとか、人に言われると反発してしまう天の邪鬼な人……ならまだしも、そうでないなら、他の人に誘われたら、ムダでも絶対一緒に逃げて下さい。結果、ムダだったら(災害が起きなかったら)、よかったねと一緒に笑い合って下さい。

 1軒だけが亡くなってしまった各集落、誘って断られてしまった人も無念です。

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台風12号災害から知ったこと 9)屋根裏は逃げられない

2013-12-30 | 危機管理と災害
集められた自家用車の残骸。洪水の破壊力の強さがわかります。那智川流域にて。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


9)屋根裏は逃げられない

 台風12号災害では、土石流に呑まれるだけでなく、水害でも多くの方が亡くなりました。
 その中で、非常に残念(というか恐ろしく)かつ、教訓にしなければいけないと思ったのが、屋根裏で亡くなった方の話でした。

 家屋が浸水して、どんどん水かさが上がってきたら、やっぱり1階から2階へと逃げますよね。
 その2階も水没し始めて、窓の外も一面水の海、家の外へ逃げることもできない、という状態になった時、あなたならどこへ逃げますか?

 私が聞いたのは、2階も水に浸かったので屋根裏へ逃げた人の話でした。

 そして、水位は屋根を越えました。

 屋根裏は窓も隙間もありませんから、そのまま屋根裏ごと水没したのでした。

 まさかそこまで水は来ないだろう、という憶測は禁物です。屋根裏の出入口は真下(2階との間)にしかない&水は下から上がってくるわけですから、水没した2階に戻ることは不可能です。洪水時、屋根裏は逃れられない、という教訓でした。

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台風12号災害から知ったこと 8)洪水は下流から来る - 高田川の場合 -

2013-12-28 | 危機管理と災害
高田川で最も被害の大きかった(水位が高かった)辺り。下流です。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


8)洪水は下流から来る - 高田川の場合 -

 高田川は、熊野川の河口から10kmくらい上流の所に注ぐ、(前回紹介の相野谷川に次いで2番目に河口に近い)比較的大きな支流です。
 この高田川の洪水も、下から上がってきました。というか、本流熊野川への合流点にまるでダムがあるかのようなイメージで、本流へ注げないどころか、本流から逆に流入してきたので、ダムのように増水したのでした。

 地図を見ていただくとわかるのですが、高田川流域は、下流3kmくらいの相賀という急斜面が両側に迫った渓谷地域と、そこからさらに1.5kmくらい上流に広く開けた高田盆地でできてきます。高田集落が"ろうと"の広い口、相賀集落が"ろうと"の狭い管の部分にあると思っていただければわかりやすいかと。
 この"ろうと"みたいな地形も、被害を悪化させたかと思います。
 相賀から高田へ上がるのに1km近くも高田トンネルを掘っていることからわかるように、"ろうと"の管部分の相賀一帯は険しい地形になっています。
 そして、高田川流域で一番被害が酷かったのは、その水の逃げ場のない下流の相賀地域でした。

 高田集落へは災害の5日後の9/9にボランティアで入ったので、写真はその時の様子です。
 上の写真は、相賀バス停付近ですが、あの長さの植林木が橋に引っ掛かって立つほどの水量があったことを示しています。左に見えている民家は完全に水没しました。
 
 そして橋の高さに道路があるわけですが、↓


 道路脇の木についた傷からも、水位の高さが伺えます。


 相当の厚さに泥が堆積しています。
(泥をかいたので車が入れるようになった)


 避難所ではなく自宅待機している方のお宅に、役場の方が飲料水を運び、保健婦さんと一緒に伺います。
 道から坂道をどんどん上がっていくんですが、それでもご自宅の屋根瓦まで水が来たことがわかります(写真右側の民家) 住民の方は、母屋からさらに斜面の上の納屋に逃げて助かりました。

 住民の方が仮生活している納屋まで行きましたが、こんな高さまで!?と驚くような、川を見晴らす斜面の上だったです。なのに納屋でさえ足もとまで水が来たそうです。

 川の合流部は氾濫する
 そして、合流部に近い支流下部では、本流に遮られた水&本流からの逆流のダブルパンチでダムのように増水する
 ということを、実感した一日でした。

 ちなみに、高田川上流の高田集落では、皆さんが避難していた雲取温泉の直下まで水没したものの、そこでかろうじて増水は止まりました。


 それでも、雲取温泉のすぐ下の橋はこんな感じ。
 増水だけでもイヤなのに、こんな木が流れてくるなんて凶器!!危険すぎる(;;)

PS
川の合流部は氾濫するというのに付け加えですが、熊野川本流への赤木川の合流部(2011年7月の台風でも冠水していた)の能城~日足地区では、台風12号時には熊野川町旧役場庁舎(4階建て)の3階まで水没しました。(2階にあった防災無線は全滅でした)


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台風12号災害から知ったこと 7)洪水は下流から来る - 相野谷川の場合 -

2013-12-23 | 危機管理と災害
熊野川の一番河口に近い支流、相野谷川沿いの被害を受けた家屋


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


7)洪水は下流から来る - 相野谷川の場合 -

 水というのは上から下へ向かって流れるのだから、洪水も上流から襲ってくる、と思い込んでいたら、台風12号ではまったく違いました。洪水は下流から襲ってきました。

「下流から上流に向かって家が流された」
 これを聞いたのは、熊野川の支流、相野谷川沿いの話です。

 相野谷川は紀宝町に位置し、熊野川の河口からわずか3kmくらいの、最も本流河口近くに注ぐ支流です。山がちな熊野地方としてはめずらしく、川沿いにはおよそ2kmもの幅にわたって上流6kmくらいまで広々と平地が開け、田んぼが広がっています。(実はこれが重要なんですが、後述します)

 この相野谷川が熊野川に注ぐ場所には、ハイテクを駆使した巨大な「鮒田水門」というのが建設されていて、来るべき南海トラフ地震による津波が熊野川河口から相野谷川に入り込んで遡らないように、ガッチリ固めています。近寄ってみると、まるでダムのような巨大なコンクリート施設で圧倒されます。

 この鮒田水門は熊野川が氾濫した時に、その氾濫が支流の相野谷川に逆流しないようにという目的もあるそうなのですが、熊野川が氾濫するような大雨時には当然、相野谷川も相当な水量になるわけで、水門を閉じればいいという単純なものではないことが想像がつきます。(熊野川は流域が長いので、例えば上流域だけが大雨で、下流域で本流のみが増水している、というような場合ならいいのですが。)水門が閉じられれば相野谷川の水は流出口を失い、今度は相野谷川が氾濫する。それを見越して(?)相野谷川沿いの集落を取り囲む「輪中堤」というのが2006年に作られたそうなんですが、結果、鮒田水門も輪中堤も、台風12号では用を成しませんでした。

 台風12号による熊野川の増水で、鮒田水門は一旦閉じられるのですが、相野谷川の水量も想像を絶していて、数時間のうちに輪中堤が水没……(汗)鮒田水門を再び開門せざるをえなかったのでした。しかし豪雨はやまず、熊野川はますます増水して相野谷川を逆流(流量が熊野川のキャパシティを越えているわけだから、河口付近は特に溢れるわけで……)、相野谷川も同じく増水しているのに本流の逆流に遮られているわけだから、やっぱり逆流したのでした。


過去の水害を知る高台の、古くからある家屋も、屋根まで被害です。



 これらの話を聞いて、私は思い出したことがありました。
 相野谷川の上流7kmくらいのところにある(正確には相野谷川のさらに支流の相野川沿いの)平尾井集落まで、昔は船が遡ってきたという話です。
「船って言ってもね、たいそうなものじゃないよ、物を運ぶ木の小舟ね。」
 平尾井のご老人によると、まだ自動車も車道も一般的でなかった頃、物資を運ぶ小舟が、熊野川河口の新宮から、田んぼの間の用水路を遡ってきたというのです。
 それを聞いた時、こんな所まで船が上がってこれるのか?と驚きました。というのは、平尾井は川のかなり上流の山奥に見えたからです。

 でも今思えば、小舟が物を積んで遡って来られるくらい、水も遡りやすかったんですね。

 山がちな熊野地方にしては貴重な水田地域であるのも、実は水が溜まりやすい、もしくは、度々洪水で泥土の堆積があることを示しています。幅2kmにもなる広々とした川周辺の光景は、"洪水原(氾濫原)"だったのです。

 ただ、田んぼを作るには、いつでも水を得られ、しかも洪水によって定期的に栄養をいっぱい含んだ水や土が供給される場所が良いわけですから、洪水原であることは悪いことばかりではない。そこに家を建てて住んではいけないということで……。


(実は、鮒田、高岡、大里の3つの相野谷川沿いの集落は、輪中堤が建設された後に(だから大丈夫だろうということで)洪水原に造成された宅地だったりとか、その後水が引く時、輪中堤の中に流入した水が、今度は外へ流出しようとして堤を決壊させてしまったりとか、オチはたくさんあるのですが、詳しくは色々書かれているので検索してみて下さい。
例えば参考→ 紀伊半島・高岡輪中堤の崩壊-熊野川左支川・相野谷川の水害調査-


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台風12号災害から知ったこと 6)川は合流部が危ない

2013-12-20 | 危機管理と災害
2011年台風12号で冠水した「道の駅瀞峡街道 熊野川」にあった建物。
(ここは熊野川と赤木川の合流部のすぐ下流、しかも断層で川幅がぐっと狭まる場所にあたります)
屋根の上に流れて来た竹が引っ掛かっています。この高さを越える水位でした。
隣には熊野川町森林組合の巨大なログハウスがあったんですが、トイレの枠組みだけ残して、跡形もなく流されました。
(トイレって頑丈なんですかね?)


 すみません、シリーズなのに前回から1ヶ月以上経過してしまいました。
 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、ここから後半は水害(河川氾濫)について書きたいと思います。


6)川は合流部が危ない

 台風12号の被害があまりに酷かったので、ほとんどの人に忘れられてしまっているのですが、その少し前、7月にも南紀は台風の大きな被害がありました。2011年7月20日に潮岬を通過した台風6号(台風7号と接近し超大型となった)です。この時も熊野川は氾濫、家々は浸水し、幹線道路は水没しました。

 台風6号が去ってすぐ、熊野川沿いの国道168号を通った時に見たのは、
1)宮井(熊野川と北山川の合流部のすぐ下)
2)日足~能城(熊野川と赤木川の合流部)
 ……の2カ所が冠水していたことでした。

 この時、そうか、川の合流部は氾濫するんだ、と認識を新たにしました。

 いや、川の氾濫というのは、水が運ばれるキャパシティを越えるから溢れるのであって、大量に水が流入する支流の合流部が溢れるのは当然と言えば当然!?
 ……でも、その当然?を実際に目の当たりにすると実感というか、納得感は半端じゃないです。

 赤木川の氾濫で泥だらけになった畑で、浮いてしまった苗を植え直しながら、おばちゃんが「でもこれで、今年の冬野菜は期待できるわね」(川の氾濫で栄養分に富んだ土が畑にもたらされたから)と言うのを聞いて、地元の人はやっぱたくましい♪と感動していたのですが、それから2ヶ月たたないうちにあの台風12号が来てしまうとは。

 台風12号、もちろん氾濫しました。合流部が。

 今度は北山川や赤木川だけでなく、高田川も、相野谷川も。
 本流の熊野川自体が、海に流れきれなくて溢れたんですから。熊野川の下流近くに注ぐ支流の合流部は想像を絶する状態になりました。
 「溢れる」なんて生易しいもんじゃない、支流を、熊野川本流の水が、下流から上流に向かって「逆流」したんです。
「家が上流に向かって流された」という証言まで出ました。

 逆流する支流の話は次回へ続きます。


同じく「道の駅瀞峡街道 熊野川」にあった建物を別方向から見たもの。水位の高さがわかってもらえるかと思います。
右奥に見えている民家も、流されてはいないものの破壊されています。
車は乾かすために所有者の方がドアを開けているようです。



電線にせんたく物のようにぶら下がるゴミ。
水位は電線を越えたので、流されて来たものがひっかかりまくりです。
台風時の川って濁って泥水じゃないですか。それがそのまま堆積したので、道路も泥だらけ→乾燥して土埃だらけです。



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