2011年に死刑を執行した国の分布と数を表した地図です。アメリカ以外は、中国の千件単位の執行数の他、北朝鮮の数十人、イランの少なくとも360人など、特定の全体主義国・独裁国約20か国で、集中的に死刑が行われている実態が分かります。この年だけは日本列島も真っ白だったのに。
アムネスティ・インターナショナル死刑をめぐる世界の状況 (2012年10月31日現在)より
2013年2月21日、日本で3人の死刑囚に死刑が執行されました。刑の執行は2012年9月以来で、12月の自民党安倍政権誕生後は初めてです。執行命令を出した谷垣法務大臣は、執行の理由について、対象となった事件が「極めて残忍」な殺人事件であったことを挙げています。
アムネスティインターナショナル日本 死刑執行に対する抗議声明
そこで、いま、死刑廃止論を書こうとして、このブログで死刑廃止について書いた記事を検索したら、3年間でわずか3本しかありませんでした。あまり死刑廃止論の記事を積極的に書いてこなかったのは、日本の死刑存続を望む世論は外圧でしか変わらないとあきらめてしまっていたからでしょう。
しかし、30数年前の中学生の時にはもう、原発について文化祭で発表し、事故の危険性のみならず、廃棄物の問題や平時のさまざまな放射線被曝について勉強して反原発だったのに、どうせ原発のことを言ってもわかってもらえないとあきらめてしまい、なにも発言しないまま福島原発事故を迎えた反省から、実はこのブログが政治評論化?したという経緯もあります。
自分が圧倒的に少数派ではあっても、正しいと思うこと、言うべきことは言わないと後悔するのは身に沁みましたので、今日は死刑廃止論について書きたいと思います。
1 命を大切にする文化が犯罪も防ぐ
3年前に書いた死刑制度:容認85%、過去最高という記事は、2010年2月6日付けのこんな新聞記事に触発されて書いたものです。
死刑制度:容認85%、過去最高 「被害感情おさまらぬ」増加--内閣府調査 毎日新聞 2月7日
内閣府は6日、死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。死刑を容認する回答は85・6%と過去最高に上り、廃止論は5・7%にとどまった。被害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる。
死刑制度について「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」(廃止)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認)、「わからない・一概に言えない」の3項目を選択肢とした。
容認は調査ごとに増加傾向にあり、今回の調査では前回04年を4・2ポイント上回った。廃止は0・3ポイント減だった。
死刑を容認する理由(複数回答)は「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」が54・1%で前回比3・4ポイント増。「命をもって償うべきだ」(53・2%)、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」(51・5%)はそれぞれ微減だった。
一方、廃止の理由(同)は、「生きて償ったほうが良い」55・9%、「裁判で誤りがあった時に取り返しがつかない」43・2%、「国家であっても人を殺すことは許されない」42・3%など。
調査は1956年に始まり今回が9回目。20歳以上の男女3000人を対象に昨年11~12月に面接方式で実施し、1944人(64・8%)から回答を得た。【石川淳一】
内閣府による死刑存廃についての世論調査はこれがいまだに最新のもののようです。この調査で廃止論がわずか5%だということで、自分は20人に1人の部類になってしまったと書いた後、わたしはこう続けています。
なぜ、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止し、死刑廃止がEU加盟の条件になっているかというと、一番の理由が国家が殺人をするような国は信用できないということなのだと思います。
私が死刑を廃止すべきだと思っている一番の理由もそれで、国が人を殺す文化のままでは決して人が人を殺すことが減りはしない、ということなんです。
被害者になるかもしれない人の命を守るためには、社会が人の生命を限りなく大事にし愛おしむ、そんな文化が大切なのだと思うのです。そこでは他人の命を奪った人は終生刑務所で生きることはあっても、国から命を奪われることはない。
死刑が存続することは人が人の命を奪うことを結局容認することです。しかも、それを国家がやることは非常に恐ろしいし、国民心理への悪影響も大きい。
この国は、やられたらやりかえせ、それだけの国ではなかったはず。
被害者が死刑を望むことは当然です。しかし、国の政策で死刑をとるべきかは別のこと。
人の意識がどんどんささくれだち、死刑廃止などという悠長なことをいう気分ではないようです。死刑廃止、見果てぬ夢にならないように、何年かかっても国民を説得していくしかないですね。
核兵器のようになければないほうがいいと誰もが思うものを廃絶するのも大変なのに、多くの人がいいと思っているものを廃止するのは至難の業なんだろうなと思います。日本ではね。日本人とヨーロッパ人でこれほど意識が違うものなんでしょうか。
ここを訪れる方々も20人中17人は死刑存続論者なのだと思うと、コメント欄を見るのが怖い気もします。
たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります。アメリカ、中国や産油国の問題もあり容易ではありませんがもうその準備をしています。国連も動いています。
そうなったときに初めて日本が死刑廃止に直面するのではなく、外圧ではなく、自分たちの手で再生しなければなりません。
世界の死刑存置・廃止国の分布
黄色の死刑存置国の分布をみると、アジア太平洋地域、中東・北アフリカ、米国といった、特定の地域に集中していることがわかります。
ちなみに、日本の刑事施設の刑務作業の年間収益は、約47億円(2010年)です。受刑者自身が生み出しているお金は、決して少なくないのです。これからは終身刑囚の生んだ利益を遺族の方々への被害弁償に用い、他方で、刑務所の維持に使うべきでしょう。
「死刑は、すべての元にあるその生命そのものを奪うのですから、同じ取り返しがつかないと言っても、(懲役刑などとは)本質的に全く違うのであります。」
「死刑事件における誤判の問題は、決して単なる理屈の議論ではないのであります。」
「死刑の判決が執行された後で、無実だったことがわかっ た場合には、刑事補償法の規定によって、……補償金が出されますが、そういう刑事補償が遺族に出されたところで、本質的には何の償いにもなるもので はありません。」
日本では戦後「死刑台からの生還」と言われる、死刑判決が破棄されたり、確定した後再審で無罪となった事件が多数あります。これらの事件で死刑が性急に執行されていたら、本当に取り返しがつきませんでした。
死刑廃止論 [単行本] 団藤 重光 (著)
4 犯罪被害者感情・国民感情で死刑の存否を決めるべきではない
近代国家の刑罰は古代・中世の仇討とは違います。刑を定め執行するのはあくまで国家です。被害者感情は大切ですが、それだけで国の刑事政策である刑罰論議を決めてしまうことはできないのです。
光市母子殺害事件のご遺族である本村さんも以下のように述べられています。本村さんは強く死刑を望まれたわけですが、犯人が死刑判決を受けて得られるものはなんだったのでしょうか。
「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です」 光市母子殺害事件被害者遺族 本村洋さん
また、マスメディアは凶悪犯罪が起こるたびに売らんかなの思想で大量に報道するものですから、治安が悪くなったような錯覚を抱きますが、この半世紀、全体の犯罪も殺人事件などの凶悪犯罪も減り続けています。
さらに、冒頭に述べたように、日本の国民感情は死刑存続を望んでいますが、1981年に死刑を廃止したフランスでは、法務省の「死刑の在り方についての勉強会」の資料によると、その時の世論調査では、死刑賛成は62%、死刑反対は33%でした。
そして、死刑がなくなって25年が経った2006年の調査では、死刑賛成は42%、死刑反対は52%となっています。
死刑が廃止され、それが当たり前になれば、死刑は必要ないと考える人が日本でも増えるでしょう。
5 国際社会の常識とは
アムネスティによると2012年10月の段階で、国連加盟国198か国のうち死刑廃止国は140か国、存続国は58か国で、死刑廃止国はとうとう70%を超えました。
2011年12月には国連総会で死刑の執行停止を求める決議が採択されました。同様の決議は2007年以来、4回目で、今回は過去最多となる111ヵ国が賛成し、誤審によって死刑が適用された場合に取り返しがつかないことや死刑による犯罪抑止の確証がないことなどを指摘しています。
しかも、冒頭の地図のように、いまだに死刑制度が存続し、しかも執行され続けているのは、中国などの全体主義国家、アジア・アフリカの発展途上国、なかでもイスラム教を国教にする独裁国家がほとんどです。
このように、死刑の廃止が国際社会の共通の意思とな りつつあるなかで、1989年の国連総会で「死刑廃止を目指す、自由権第2選択議定書」(死刑廃止条約)が採択されましたが、日本はこの条約を未だに批准していません。日本は世界で孤立していますし、執行数こそ少ないものの、死刑に関しては中国とどっこいどっこいの人権感覚だとみられています。
今回の死刑執行に対しても、独仏やEU連合そのものから遺憾の意を表する声明が相次いで出されましたが、日本政府は度重なる指摘に背を向け、一貫して死刑制度の廃止に向かう世界の流れを無視しつづけているのです。
6 死刑ほど残虐な刑罰はない
日本国憲法第36条は
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
と規定していますが、人の命を奪う究極の刑罰である死刑が、残虐な刑罰にあたるのは論を待たないでしょう。これを死刑執行の方法により区別する(のこぎりで切るのはだめ)というような説は詭弁にすぎません。
7 結論
フランスやイギリスなど、多くの死刑制度廃止国は、当時は死刑存続を望む国民が過半数を占めていましたが、政治主導で死刑廃止を決めています。
わたしは、日本政府および法務大臣は、死刑制度については、存廃や死刑に代わる終身刑や被害弁償など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を停止すべきであると考えます。
最後に、法律家の私が半ばあきらめてきていたのに、何度も何度も死刑廃止論を書いてこられたお二人の尊敬すべきブロガーをご紹介しておきます。私よりよほど年季の入った論考ですので、是非お読みくださいませ。
お1人目は、村野瀬玲奈の秘書課広報室さんより、数十個に及ぶ死刑廃止論の記事です。
次に、秋原葉月さんのAfter Noon Cafeさんから、これも数十個の死刑廃止論です。
さすが、お二人とも、第二次安倍内閣の谷垣法相が3名の方の死刑執行を許したことについて、それぞれ早くも記事を書いておられます。こちらもぜひどうぞ。
村野瀬さんの
日本の死刑制度が浮き彫りにする日本国独特の我田引水的体質
秋原さんの
死刑執行は法相になるための儀式なのでしょうか
まとまったものが初めて書けて、少しすっきりしました!
もう是非是非上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
【西山貴章、田村剛】谷垣法相は記者会見で死刑制度について、「被害者感情など様々な理由がある。人の命を奪う極めて重大な刑だ。裁判所の判断があったうえで法相として十分検討し、執行しなければいけないと改めて感じた」と述べた上で、「(制度を)見直す必要はないと思っている」と明言した。
2009年に民主党に政権が移る直前までは、自民党の法相はほぼ2~3カ月に1度のペースで死刑を執行してきた。長勢甚遠氏は在任11カ月で計10人、鳩山邦夫氏は11カ月で計13人に執行するなど、ペースが加速した時期もある。
「死刑存廃について議論する」という政策を掲げた民主党政権下では、初代法相に死刑廃止派だった千葉景子氏が就任し、執行は一時ストップした。しかし、政府が10年に発表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85・6%を記録。確定死刑囚の数が100人を超えて増え続けるなか、千葉氏は10年7月、2人の死刑を執行した。
その後も死刑に消極的な法相はいたが、裁判員裁判による死刑判決も出始めた。昨年3月、3人を執行した小川敏夫氏は「国民の声を反映した裁判員裁判でも死刑が支持されている」と発言。滝実氏も8月と9月に計4人に執行した。結局、民主党政権下でも計9人が執行された。
自民党政権に戻ったことで執行ペースが加速するとの危機感を抱く死刑廃止団体は、死刑囚に再審請求をするよう呼びかけていた。再審請求中の死刑囚は除外される傾向があるからだ。
死刑廃止を求める市民団体フォーラム90によると、再審請求の意思があっても、弁護士による請求手続きが間に合わず、執行されてしまう死刑囚も少なくないという。
昨年9月に執行された江藤幸子元死刑囚(当時65)の弁護人は、東京都内で同10月に開かれたシンポジウムで「年内の再審請求を考えていたが、間に合わなかった。本人がどんな気持ちで刑場に向かったかと思うと、平静ではいられない」と振り返った。
フォーラム90は「まずは請求することが執行を回避する一歩だ。再審の準備を始めれば、法務省は執行の準備を急ぐ。スピードが大切だ」と指摘。全国の弁護士や支援者に再審請求を急ぐよう呼びかけている。
◇
《死刑問題に詳しい菊田幸一・明治大名誉教授(犯罪学)の話》 谷垣法相は就任から2カ月しかたっておらず、死刑囚の記録をきちんと読み込んだのか疑問だ。(谷垣法相は)過去に終身刑を検討するチームの座長をしていただけに残念だ。小林死刑囚は死刑を望んでいた。しかし、死刑確定から7年、再審請求の棄却から3年での執行は、ほかの死刑囚と比べても早い。
日本に死刑停止要求=仏独
仏独両政府は21日、日本で3人に対する死刑が執行されたことを受けて声明を出し、今後の死刑執行を一時停止するよう日本政府に要請した。
フ ランス外務省報道官は、死刑は「犯罪抑止力が確立されたことのない非人道的な刑罰」とし、刑執行は死刑廃止に向かう世界的な流れに逆行するものだと非難。 ドイツ政府人権問題代表も、死刑制度についての国民的議論を行うよう日本に呼び掛けた。
(時事通信2013/02/22-16:27)
日本における死刑執行について
2013年2月21日付
ドイツ外務省プレスリリース
(訳 文)
マルクス・レーニング ドイツ連邦政府人権政策担当委員は、本日(2013年2月21日)、日本で3人の死刑囚に死刑が執行されたことを受け、ベルリンで次のとおり述べました。
「日本で改めて3人の死刑囚の死刑が執行されたことに衝撃を受けている。
私 は、このたび刑を執行された死刑囚が重大犯罪で有罪判決を受けたことを承知しており、被害者のご遺族に対しては哀悼の念にたえない。しかしながら、死刑は 非人間的で残虐な制度である。ドイツ政府は、いかなる条件下であっても死刑制度に反対するとともに、世界での廃止に向けて取り組んでいる。
ここに、日本国政府に対し、死刑執行を一時停止するとともに、現代の日本社会において死刑制度がどのような位置づけにあるべきかについて開かれた議論を行うよう改めて呼びかける。」
現在、世界の3分の2以上の国々が、死刑制度を廃止または執行を一時停止(モラトリアム)しています。
死刑をめぐる世界の状況 (2012年10月31日現在)
- 死刑存廃国状況: 廃止国 140/存置国 58(全198ヵ国)
- あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国の数: 97
- 通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国の数: 8
- 事実上の死刑廃止国の数: 35
- 死刑廃止国の数が世界全体に占める割合: 71%
※「通常の犯罪についてのみ廃止の国」とは、「軍法下の犯罪のような、通常と異なる裁判手続きによって裁かれる例外的な犯罪についてのみ、法律で死刑を規定している国」。
※「事実上の廃止国」とは、死刑制度はあるものの、10年以上死刑執行がない国。
※最新の情報は、こちらでご覧になれます。
法律で死刑を全面的に廃止した国の数は、2000年に入ってから、急激に増加していることが分かります。死刑廃止の世界的な潮流は、21世紀に入ってから、顕著になっているのです。
法律上および事実上死刑を廃止している国の数は、年々増え続け、2011年末には、140ヵ国に達しました(198ヵ国中)。
世界の死刑存置・廃止国の分布
黄色の死刑存置国の分布をみると、アジア太平洋地域、中東・北アフリカ、米国といった、特定の地域に集中していることがわかります。
次に、死刑を執行した国の数です。上下の変動はありますが、右肩下がりの減少傾向であることが、見て取れます。2011年の執行した国の数は、わずか20ヵ国でした。
執行した国の分布と数を表した地図です。中国の千件単位の執行数の他、イランの少なくとも360人など、特定の国で、集中的に死刑が行われている実態が分かります。
北海道新聞社説
法務省は、確定死刑囚3人の刑を執行した、と発表した。自民党が昨年12月、政権復帰してから初めての執行だ。
3人は、殺人や強盗殺人などの罪に問われ、死刑確定から3~6年で執行された。
問題は、1人が再審請求の準備中だったことだ。本人の意向を受けた弁護人が準備のため拘置所を訪ねたところ、面会できず、その後、当日に執行されたことを知ったという。
こうした状況での執行は不適切で法務省の対応には疑問を拭えない。
執行を命じた谷垣禎一法相は再審請求の意向を把握していたかを含め、対象に3人を選んだ理由と執行までの経過を明らかにすべきだ。
人の命を奪う点で他の刑罰とは質的に異なる死刑執行は極めて重大な公権力の行使で、それが適正に行われたかの検証が欠かせないからだ。
民主党政権下では法務省内に死刑制度の在り方を検討する勉強会が一時設置されたが、谷垣法相は記者会見で「(制度を)見直す必要はない」と述べた。
この認識も改め、国民的論議の場をつくるよう求めたい。死刑存続の是非とは別に、さまざまな問題や課題が指摘されているからだ。
今回死刑を執行された3人のうち、2人は控訴を取り下げているため、確定した一審・死刑判決は高裁、最高裁のチェックを経ていない。
死刑が後戻りできない刑罰であることを考えれば、死刑判決の確定には、弁護側の意向にかかわらず、高裁、最高裁の判断を必要とする制度を考えるべきではないか。
再審を請求した場合の刑の執行停止を義務づけるとともに、今回執行された1人のように再審請求の意思がある場合も同様とする仕組みが必要だ。冤罪(えんざい)での死刑執行を防ぐには停止対象を幅広く取りたい。
死刑制度の存続について世界から厳しい目を向けられていることも忘れてはならない。
国連総会は昨年12月、冤罪死刑の懸念を表明し、わが国など死刑制度のある国に対し、執行の停止などを求める決議を採択した。
世界の3分の2を超える国は死刑を廃止か、執行を停止している。
法務省は存続理由として内閣府の世論調査で国民の8割以上が死刑を容認していることを挙げている。
だが、国民が死刑制度について考えるために必要な情報は乏しい。法務省が刑を執行した死刑囚の氏名と執行場所、犯罪事実の公表を始めたのは2007年からだ。
死刑囚の処遇や刑の執行の実態などに関する情報の開示は不可欠だ。それによって初めて実のある国民的論議と適切な判断が確保される。
日本の死刑執行に遺憾表明=EU外相
【ブリュッセル時事】欧州連合(EU)のアシュトン外交安全保障上級代表(外相)は22日、日本で3人の死刑囚に刑が執行されたことを受け、声明で遺憾の意を表明した。
声明は「死刑は残酷かつ非人間的だ」と訴えるとともに、日本に対し、死刑廃止に向けた国民的議論を促進するよう呼び掛けた。
(時事通信 2013/02/22-21:56)
毎日新聞 2013年02月06日 東京朝刊
英国の上院議員で死刑廃止を呼びかける世界的な活動をしているアルフ・ダブス卿(80)がこのほど、70人の死刑囚を収容する東京拘置所(東京都葛飾区)を見学した。ダブス卿は毎日新聞の取材に応じ、「日本も死刑制度の秘密主義から脱し、開かれた議論をする時ではないか」と語った。【伊藤一郎】
ダブス卿との一問一答は以下の通り。
−−東京拘置所を見学しての感想は。
◇死刑囚も使用する居室や医療設備も見たが、非常に清潔で優れた施設だった。一方で日本では、死刑囚に当日まで執行が告知されず、拘束期間が20年以上に及ぶ場合もあると知り、ショックを感じている。
−−英国では死刑が廃止されているが、どういう経緯で廃止に至ったのか。
◇執行された死刑囚が冤罪(えんざい)だったことが判明したり、殺人事件への関与が薄いのに死刑になったりしたケースがあり、政治家が主導して1965年に死刑廃止が決まった。
−−今も英国民は死刑廃止を支持しているのか。
◇国民は支持と不支持が半々ぐらいだろう。ただ、国家が人命を奪うことはあってはならないという基本原則が国民の間で定着しているように思う。
−−日本では歴史的に「死をもって償う」といった固有の概念がある。
◇我が国でも「目には目を 歯には歯を」という文化があった。でも、今はそうであってはならないという考えに変わっている。
−−「犯人を死刑にしてほしい」という被害者遺族もいる。そうした声をむげにすることはできない。
◇すべての被害者や遺族が加害者の死刑を望んでいるとは思えない。多くの被害者は加害者が長い刑期を務めれば、正義は果たされたと感じると思う。もちろん、死刑の問題とは別に、被害者支援は極めて重要だ。
−−日本の死刑制度の将来は、どうなると思うか。
◇日本は人権を尊重する民主主義国家。今はまだ秘密が多いが、死刑に関する開かれた議論が進めば、いずれ死刑廃止に向かうと感じている。
奈良県で起きた小1女児誘拐殺人事件の小林薫死刑囚(44)ら3人の死刑執行を受け、国際人権団体「アムネス ティ・インターナショナル日本」など4団体が21日、東京・永田町の参院議員会館で記者会見し、「世界の死刑廃止の潮流に背を向け、日本をますます孤立さ せる」と強く批判した。
参加団体によると、小林死刑囚は恩赦を申請し、7日に「不相当」と通知があった。「再審請求したい」との意向を 受けた弁護人が21日朝、大阪拘置所で面会を申請。担当者に「会えない」と言われた後、同日執行されたことを知ったという。関係者は「再審請求の準備中 で、執行すべきではなかった」と非難した。
是非是非上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
死刑囚が行った犯罪、そしてその行為の結果
どのような悲劇が生まれ、被害者はどのように死んだのか。
遺族はどれ程苦しんでいるのか。
そこまで考えて発言しているとは思えない。
死刑制度が無い国は殺人がエスカレートする恐れがあるのです。
メキシコがいい例です。
>死刑は犯罪抑止にはならない
これは何の根拠もない主張
メキシコは現実のこと
死刑制度を廃止すると多くの人々が迷惑することを深く考えて頂きたい。
カットはよくない、ただの印象操作。
「刑務官が皆死刑に反対している」ことを示す客観的データが無ければ信用できない。
仮に「刑務官が皆死刑に反対している」というデータが存在したとしても、今の刑務官の制度に問題があるだけかもしれない。
まぁ「本当に心の底から死刑に反対している刑務官」は辞めるので問題ない。
日本には職業選択の自由がある。
>わたしは「死刑には抑止力がない」という研究結果について資料を提示して語ったが、これもカットされていた。
カットはよくない、ただの印象操作。
極刑である死刑に抑止力が無ければ懲役刑にも無いことになります。
明日から懲役刑と死刑を廃止しても殺人発生率は変化しないと思ってるんですかね。
懲役(監禁の恐怖)で殺人を思いとどまる人間が存在する可能性もあるし、死刑(死の恐怖)で殺人を思いとどまる人間も存在する可能性がある。
以下は米科学アカデミーによる死刑の殺人抑止力の検証。
↓
【4月22日 AFP】米科学アカデミー(National Academy of Sciences、NAS)は18日、現在までの死刑研究では、その殺人抑止力効果について肯定、否定、いずれの結論も導くことはできないとした報告書を発表した。
報告書はNAS傘下の米国学術研究会議(National Research Council、NRC)が発行したもの。NRCは、死刑とその抑止効果を検証する委員会を主催している。
委員を務める科学者らは、死刑に関する調査を過去35年間さかのぼって検証した。だが、死刑によって殺人発生率が減少、増加、または全く影響がなかったか、いずれの結論を導くにも情報が不十分だとの見解に達した。
また報告書は、殺人発生率の増減などが死刑政策の判断に影響を与えてはならないともしている。
これまでの研究における決定的な欠点の1つは、釈放なしの終身刑と殺人発生率の関係との比較がされていないことだ。
さらに、潜在的殺人犯は死刑となる可能性を考えて行動するはずだなどという先入観が、過去の研究で妨げとなってきた。
報告書は、潜在的殺人犯の死刑観や、それが行動におよぼす影響などを測る、より厳密な調査が必要だと指摘。将来的に推奨する研究手法として、殺人に対する処罰として死刑とそれ以外の刑罰を考慮したデータ収集や、様々な刑罰に対する潜在的殺人犯の見方を検証することなどを挙げている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/2872855?pid=8819773
その他
寮美千子 @ryomichico · 2014年4月7日
昨晩放送の「TVタックル」。収録時には元刑務官の坂本さんが、死刑を執行する立場の苦しさを語り「だから、刑務官はみんな、死刑には反対だと思います」と語ったのだが、全面カット。わたしは「死刑には抑止力がない」という研究結果について資料を提示して語ったが、これもカットされていた。
>たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります
残念ながら、大外れでしたね。それどころか死刑を存続している国に、なんとかすがりつくような経済状態なのが今のEU経済です。対日、対米、対中、対印貿易。日本にも必死に欧州各国経済団体が訪日していますよ。人権と商売を天秤にかけて自殺したいならご自由にどうぞという感じですね。死刑廃止などというのは、所詮はキリスト教の発想でしかないから、キリスト教圏で以外で広まる余地はないのですよ。
そんな姿勢から抜け出せないのかなぁ
フランスやイギリスなど多くの死刑制度廃止国は死刑存続を望む国民が過半数を占めていたにもかかわらず政治主導で死刑廃止を決めただけです。
死刑存置国はアメリカ、中国、インド、日本、シンガポール、タイ、台湾、インドネシアなどで、アジアが中心。
21世紀はアジアが台頭する世紀となるので、今後、EUが主張する死刑廃止の影響力は低下するでしょう。
>矯正のプロである刑務官(矯正処遇官)に何もさせずに、矯正不可能という判決を下すのは、我々に対する屈辱であると考えます。
それでも矯正不可能なら死刑で問題ないですよね。
>矯正処遇を行う刑務官が、死刑の執行を行うのは大いなる矛盾です。
死刑制度の問題ではなく、死刑執行時における問題点ですよね。
普段から死刑囚に接する刑務官と 死刑執行の刑務官を分けるとかいくらでも工夫できる。
>単に2人以上殺したからとして、いろんな屁理屈をつけて判事される死刑判決は、大いなる欺瞞と思います。
単に2人以上ではありませんよ。
裁量には、動機、残虐性、結果の重大性、被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状などが考慮される。
>被告を死刑にしたところで、被害者の受けた傷は癒えません。
全国犯罪被害者の会(死刑賛成・維持・推進姿勢をとる団体)をご存じないんですかね。
>被告が自らを振えり、罪を認めることでしか被害者は癒されません。
死をもって償うというのは、逃げでしかないのです。
遺族でもないのに勝手なこと言ってますね。
全国犯罪被害者の会(死刑賛成・維持・推進姿勢をとる団体)
凶悪な殺人事件の被告に対しては必ず死刑判決を望む姿勢を堅持しており、被告に対しては「死をもって償ってもらう」以外の選択肢は持ち合わせていないという立場です。
>「生きるに値しない超極悪人だけを厳選して処刑してるだけ」などとは、現場の刑務官には思われていないのです。
生きるに値しない超極悪人が死刑に処されている、しかし死刑を免れてる超極悪人も存在するということですよね。
刑務官も被害者遺族になれば死刑を望むと思いますよ。
元弁護士会副会長の岡村勲氏知ってますか?
彼は死刑廃止派でしたが自身が犯罪被害者遺族になった事によって死刑制度の必要性を認識しました。
>このように制度に問題が有るという告発に対し、「嫌なら辞めろ」というのは解決には成り得ませんし、
死刑制度自体に問題があるわけではありません。
刑務官への教育制度の問題です。
>「冤罪は100%証明されるもの」という前提が無ければ、その論は成立しませんよ。
0.000…1%でも可能性があるなら死刑廃止ですか。
墜落の危険があるから飛行機廃止と同レベルですね。
取り調べの可視化や違法な取調の厳罰化など「冤罪の防止」もしくは「推定無罪の原則の徹底」を真っ先に訴えるべきで、一足飛びに死刑廃止を訴えるのは愚の骨頂。
>刑務作業で終身刑囚の生んだ利益を遺族の方々への被害弁償に用い、他方で、刑務所の維持に使えば、加害者の「天寿」は被害者の為に全うされたこととなり、上記の理由による不公平感は解消されます。
全ての遺族感情を金で解決できると踏んでるところが傲慢極まりない。
全ての遺族が人生滅茶苦茶にした凶悪犯から金もらって許すと思いますか?
>そして、不公平感を言うなら、冤罪で死刑にすることほど不公平で残酷なものは無いと思います。
「冤罪疑惑→冤罪→冤罪死刑→だから死刑廃止」と拡大解釈する死刑廃止論者。
そんなに冤罪死刑が嫌なら「現行犯逮捕のみには死刑を適応」できるように臨機応変に対処すれば問題ないね。
>遺族感情が死刑執行で晴れるとして単純理解してきたことを証明していると思います。
遺族感情だけで死刑に賛成してないから。
「自分の命を差し出さなくてはならないぐらい殺人と言う行為は罪深い」ことを想起させるのが死刑制度。
残虐な殺人が懲役程度の刑罰 ならばその程度の罪の認識(固定観念)しか生まれない。
つまり死刑制度は罪の認識(固定観念)を国民の心に根差す効果がある。
>被告が自ら罪を認めることでしか被害者は癒されないのです。
勝手な言い分ですね、なんで決めつけれるんですか?
犯罪被害者遺族全てにアンケート調査でもしたんですか?
そもそも癒されるなどという表現をしてることが不適切、癒されるわけないでしょうが。
光市事件の遺族の方の主張が一ミリも理解できないんでしょう。
>異論を述べる相手を抑え込む為に、根拠も無いデータを用いて誹謗中傷するのは
根拠ありますよ。
あの2人は他サイトでも明らかに嫌われてます。
そりゃそうでしょう、田中実に至っては「殺人犯の殆どは生き地獄から解放される為に殺人した」とか「通り魔被害者にも落ち度がある」とか言うんですから。
>私は存置派でしたが~
そうですね。
ただ私は現制度を知って尚、死刑を肯定していますが、keiさん同様凶悪犯罪を減らしたいと思ってます。
死刑を肯定してますが、それだって当然良いと思ってるわけではありません。
断っておきますが、絶対に死刑を維持しろとは思ってません。
ただ私個人でいうのでしたら、現制度の在り方の変わり方によってでしか多分死刑廃止を認めないと思います。
現状で廃止派の方の意見では、多分死刑賛成という立場は動かないと思います。
言っておきますが、死刑廃止の人に対して誰かれ否定してるわけでもない点は、最初に理解してください。
そのうえでいいますが、正直死刑廃止派の意見というのは少々都合が良い物が良いと思います。
keiさんがというわけではありません。
keiさんはきちんと理由や経験、事象を己の考えのもとにおっしゃられてますので、keiさんの仰る事に対しては、理解は出来ます。
>元刑務官激白
私はそれに対しては、少々否定的です。
厳しい書き方になりますが、それを理解してその職について、苦しい、というのは少し違うと思います。
その場合は少々厳しいですが、職を変えてくださいとしか言えないです。
勿論刑務官の負担軽減などは考えるべきものではありますが、そこは個人の考え方でしかないと思います。
断っておきますが、keiさんが仰るように刑務官が苦しんでるのは事実だと思います。
ですが、私はここに書かれた内容を反芻してもなお、死刑の必要性はあると思います。
>「単に2人以上殺したからとして、いろんな屁理屈をつけて判事される死刑判決は、大いなる欺瞞と思います。
また、被告を死刑にしたところで、被害者の受けた傷は癒えません。
被告が自らを振えり、罪を認めることでしか被害者は癒されません。
死をもって償うというのは、逃げでしかないのです。
彼自身が、被害者と同じ悲しさを自覚でるようにすること、それゆえに生きることが償いになるのだと思います。 」
ここで書かれたことに対してですが、単に2人以上殺したからとして、いろんな屁理屈をつけて…とありますよね?
命という物は大事だからこそ、単に2人と片付けれないですし、そこに対していろんな屁理屈をつけてっていうのはそれこそ命の軽視に他ならないのではないでしょうか?
死刑の人間は屁理屈じゃなくて、単に殺された2人は屁理屈?おかしいですねってなりませんかね?
無論、極力更生の機会を与えるというのは結構だと思いますが、単に2人と片付けてづけてる人の意見の方が、私には屁理屈に感じてしまいます。
また刑務官仰る被害者の心を癒すというのは、いくらでも形はあると思います。
確かに加害者の心からの反省や謝罪、大事だと思います。
が・・・どうやっても死刑でしか癒える事が無い場合だって多いと思います。
確かに現場を見てる刑務官でしょうが、心の癒える云々はこの方々の意見を重視するのが良い事でしょうか?被害者のケアという部分も何がケアになるか…と言えるのではないでしょうか?
そういう意味で私は違うと思います。
>死刑制度を維持するのは終身刑よりも~
>遺族の方々への被害弁償に用い、他方で、刑務所の維持に使えば~
上記の理由による不公平感は解消されます。
私は不公平感は絶対に払拭できないと思います。
keiさんが仰る事も理解は出来ますが、人が死ぬって事がそれほど簡単に拭えることでしょうか?
人を失ったことによる喪失感や
生きてるという事実がある事に苦痛を感じる人っていないんですかね?
そういう点からも不公平感は解消されないと思います。
あくまでも妥協なんだと思います。
当然一定数はそれで納得される方はいると思います。
>そして、不公平感を言うなら、冤罪で死刑にすることほど不公平で残酷なものは無いと思います。
そうですね、残酷だと思います。
それでも私は、死刑という物を支持します。
自分にも当然冤罪死刑は付きまといますね、それでもです。
不公平というより、捜査の仕方、取り調べのあり方だと思いますけどね…
>そうした動きがこれまで一切無かったというのが~
実際はそうではなく、被告が自ら罪を認めることでしか被害者は癒されないのです
というケースがあるというのは分かりますが、言い切る根拠は何でしょうか?
被害者によってもお金、死刑、被告が罪を認める多岐に渡るわけです。
ですので、違うと思います。
>ならば「終身刑にして、反省を促される一生」という処罰方法を示せば、それが良いと考え方を変える人は増えると思います。
に対してはそうですねって思います。
考え方の改革という点では良いと思いますが、個人的には先ほど述べた理由で個人的に否定します。
ただ・・人の心がそういう風に変わっていけばいいですね…
>異論を述べる相手を抑え込む為に~
そうですね、捻じ伏せる為に、その発言を封じようとする行為もですね。
でもね実際問題
「己の論が最善であることを疑わずにいたい」って
大抵の人がそう思う事じゃないかな?
keiさんだって自分の論は、自分の中では正当性があるって考えるでしょ?
プライド云々はどうでもいいです。
>非難するくらいしか思いつかないなら、もう投稿しなくてもいいんじゃない?
自分のやってる事は?
なんか書き込みの内容も下劣ですね。
本性現わしましたか^^
非難する事は否定するくせに、人を煽って馬鹿にするのはお好きなようですねw
ヒナさんは否定と非難の区別もついていない様だし、狐君ときたら、どんな繫がりから何の主張を始めたんだ?って感じだ。
「○○論者は~」とか言及した覚えもないし聞いてもいない。
何やら息巻いて「凶悪犯罪を無くせば死刑も無くなる」なんて言ってるけど「そらそうだよ」ってなもんで
「火事がなきゃ消防もいらないし、犯罪無ければ刑罰もいらないね」って論点ぼかさないでよアホらし。
こんな返答でも一応しておかないと、バカみたいに「逃げた」と喜ぶんだろうね。。。
非難するくらいしか思いつかないなら、もう投稿しなくてもいいんじゃない?
私は存置派でしたが、廃止派の論を聞いて変わりましたよ。日本では廃止派の論に接する機会が少ないので、原制度に疑いを持たない人が多いというだけのように思います。
同じ存置国としての北朝鮮や中国の人権感覚が「普通」で、日本と同レベルだとも思いませんし、廃止国が「普通じゃない」とも言えないでしょう。
廃止国が増えているということは、普通の人が心変わりするだけの論が存在するということを指しています。
そして凶悪犯罪を無くすという目的は同じでしょう。
以下、遅ればせながら前のコメントへの反論を。
>「死刑廃止論は、現場を知らない者の発想。廃止すれば彼らは刑務官殺傷して脱走図る」…元刑務官激白
読みましたが、この主題についての根拠が書かれていないので対論としては弱いと思います。
この記事についてのコメント欄でも、私と同様に首を傾げる意見が多数存在します。その中の一つを紹介しますね。
「私、刑務官ですが死刑廃止論者です。
死刑の理屈ですが、矯正不可能という理由が納得いきません。
矯正のプロである刑務官(矯正処遇官)に何もさせずに、矯正不可能という判決を下すのは、我々に対する屈辱であると考えます。
また、矯正処遇を行う刑務官が、死刑の執行を行うのは大いなる矛盾です。
この矛盾をかかえたまま、単に2人以上殺したからとして、いろんな屁理屈をつけて判事される死刑判決は、大いなる欺瞞と思います。
また、被告を死刑にしたところで、被害者の受けた傷は癒えません。
被告が自らを振えり、罪を認めることでしか被害者は癒されません。
死をもって償うというのは、逃げでしかないのです。
彼自身が、被害者と同じ悲しさを自覚でるようにすること、それゆえに生きることが償いになるのだと思います。 」
元々のこの「激白」記事を書いた元刑務官は「職務や組織の腐敗に苦悩する後輩らを励ますために書いた」と説明しており、とあります。だとすると正に私が提示した元刑務官が特別なのではなく、上記のコメントを書いた現役らしき人もそうですが、同じ意見を持つ刑務官が多数存在することを証明しています。
つまり、「生きるに値しない超極悪人だけを厳選して処刑してるだけ」などとは、現場の刑務官には思われていないのです。
このように制度に問題が有るという告発に対し、「嫌なら辞めろ」というのは解決には成り得ませんし、嫌な仕事を引き受けて来た刑務官に対し、あまりにも傲慢で乱暴な意見だと思います。あなたがその職務に就いた上で問題点を踏まえつつ述べるのなら別ですが。
>ただ冤罪死刑から死刑廃止論を主張するには冤罪死刑が執行されたことを明るみするしかないですよ
「冤罪は100%証明されるもの」という前提が無ければ、その論は成立しませんよ。
>何の落ち度もない人間が理不尽に生命を奪われているのに生命を奪った極悪人は税金で医衣食住を賄われ、天寿を全うすることになるかもしれない。
この不公平感から死刑を望むんですよ。
死刑制度を維持するのは終身刑よりもお金がかかると記事中にあります。
刑務作業で終身刑囚の生んだ利益を遺族の方々への被害弁償に用い、他方で、刑務所の維持に使えば、加害者の「天寿」は被害者の為に全うされたこととなり、上記の理由による不公平感は解消されます。
そして、不公平感を言うなら、冤罪で死刑にすることほど不公平で残酷なものは無いと思います。
>遺族に対しての徹底的なケアに異論を唱える人は居ないと思いますよ。
国家レベルで犯罪被害者専門のケア機関を作るべきと思いますよ
そうした動きがこれまで一切無かったというのが、国民がこの制度の是非をあまり深く考えず、遺族感情が死刑執行で晴れるとして単純理解してきたことを証明していると思います。しかし、実際はそうではなく、被告が自ら罪を認めることでしか被害者は癒されないのです。ならば「終身刑にして、反省を促される一生」という処罰方法を示せば、それが良いと考え方を変える人は増えると思います。
>だから皆に嫌われる(笑)
異論を述べる相手を抑え込む為に、根拠も無いデータを用いて誹謗中傷するのは、「己の論が最善であることを疑わずにいたい」という「プライドを守る為」の手法にしか見えませんので、止めた方が良いと思います。
大事なのは「死刑を廃止する方法」ではなく「死刑が必要の無い世の中をどう作るのか」だ。
いいか、凶悪犯罪を無くせば死刑も無くなるんだよ。
廃止派が「普通」の感覚の人々を心変わりさせられるだけの論をもたないから、廃止にならないんだろうが。
田中実もあんたも「社会のため」ではなく「己のプライドのため」に廃止を主張し続けて いるようなもの。
だから支持を得られない、双方主張が独善的過ぎ。
だから皆に嫌われる(笑)
何かおかしな事言ってますね、私の書き込みで否定してるのはあくまでも煽ってるのか?とかそういう部分です。
あなたや廃止派を焦点にした書き込みが私のどこにありましたか?
これのどこが難癖か答えてください
また論旨と仰いますが、議論されてた中のからそこまで逸れてるものとは思いません。
そういう仰るのでしたら、説明は省くを2度も使わず、きちんと指摘してください。
論外と仰るなら自分で完結せず、どこそこが問題で論外だとおっしゃるのが筋ではないでしょうか?
そうでないと意味不明な変貌ぶりだ。
現に[自由意志]における君の説明?は、さらに悪化している。そんなんだから「もういいよ」って言って
(あげて)いるんだけどね・・・。
あとこれはどうでもいいことだけど、「お前」と「です・ます」が文章的に不釣り合いだよ。キャラ作りなら
統一させるか一から作り直せば^^
で。。。君が言う様に「都合よく去ろうとした」というのはあながち間違いではない。
けれども、「私がどういった都合で去ろうとしたのか」を、君が都合よく解釈しているのは確かなことで、
「都合よく去ろうとした」というのは、指摘はもちろん非難にすらならない、言わば「言いがかり以下」とも
言えよう。
それに、「国民や司法[だから]論外」と言っているのではなく、「君と私の論議」、すなわち互いの論理を
問うている際に、「法律で決まっている」とか「国際的な潮流だ」や「多数(一般的)が」とか「常識」など、
これらは[態度]または[事象]に過ぎず、論理でも何でも無い訳だから[論外]となる訳よ。
これを論外せず、かつ正当であるなら思考停止どころか、もはや考察不要であり論議する必要もない。
以下も同じく、
「大衆の意向を反映した善」、「国民の健全な感覚」、「治安の良さ」等々、呪文の様に列挙しているが、
[共通善]は言わば最大公約数、または功利的な観点に過ぎず、それに何を[健全]としているのか?
治安の良さは死刑のおかげなのか?君は確か・・・・・まいっか、面倒臭い^^;。。。
つまり「善=法=民意」という図式が必ずしも正義であるとは限らない。だから[議論]される訳よ。
『善悪の基準が変化することに繋がり過去に翻る執行者は犠牲者と言えましょう』
「バカな切り取り」か「悪意な切り取り」かは判らないけど、そんなんだから「平気でできる神経」なんて
訳の分からん非難しか出てこないのだろう。
恐らくこの一文は、「応報の否定」か「科学の非絶対」辺りに含まれている文末だろうけど、文末だけを
抜粋しては意味すら成立しない。その成立しない一文を指摘する様は、まるで電柱にケンカ売っている
酔っ払いと同じだな^^;
んで。。。自己陶酔?ナルシスト?
もう弾切れで非難しかできないのかな。しかも似た様な連投はやめよう。論点がぼやけてしまう。
普通も常識も大事だし無視しちゃダメさ。けれども論理的な問いに[それ]を用いるほど無意味なことはないよ。
余談
知恵袋からリクエストしておいて、たった一日でシレっと終わってんの?
それに議論する気があるならリクエスト拒否を解除しなよ。
[難癖]が幾重にも服を着ている様なもの。論理(論議)が苦手でも、まずは「難癖の癖」を治してきなよ。
そして真面目に論議したいなら、できるだけ[人(私や○○派)]を焦点にせず論旨に着目しような。
それならいつでも歓迎できるよ。
②事実と理想が混同されている。
③自身の世界だけで論法が成り立っている。
④資料も出さず主観的思考で自論を展開する。
⑤性善説を盲信しないと、精神の安定が保てない。
⑥他人の信念を頭から否定する。
⑦理解する気が最初からない。
⑧多数論証を嫌悪する。
⑨民主主義を理解していない。
⑩最後にしますと言いながら返答する。
現状死刑制度に賛成の85%の感覚が普通。
社会という一つの枠組みに属している以上、その普通という価値観を認めなければどうしようもない。
なぜなら、その「普通」の感覚の人々を心変わりさせられなければ死刑廃止にならないから。
したがって死刑廃止論者は存置論者を納得させなければならないが、現状の死刑廃止論者は存置論者を十分に納得させるだけの論を持たない。
特に福石みたいな廃止論者は自分は人と違うといった哀れな自己陶酔に陥っているだけのナルシスト(笑)
>もういいよ^^。。。反論っぽく言っている様だけど、返答するのが面倒なのでスル―。
その言葉をそっくりお返しします。
せっかく真面目に存廃について語れる場所をみつけたのですが、ここでの死刑賛成派と死刑廃止派の方にご迷惑をおかけするでしょうから、こちらからは返答は控えます。
都合よく去ろうとしたのはお前だろう。
>片方(因果無し)の存在を説明できないのなら「もういいよ」って言っているのよ^^;
意志決定の判断・選択基準となる「過去の記憶や経験」が殆どない赤ん坊を比較してみても、千差万別。
よく泣く赤ん坊、よく笑う赤ん坊、おとなしい赤ん坊。
このように「過去の記憶や経験」に影響されない状態においても個体差は存在する、これは自由意志に近い。
環境に左右されず、先天的要因によって犯罪者になりやすい個体は存在すると思いますね。
>以下は「君の考え」じゃなくて、「国民や司法」になっているので論外。。。
「国民や司法」だから論外という前提条件であんたは思考停止しているので論外。
前提条件として日本の刑法は大衆の意向を反映した善に沿って作られている。
法依存ではなく国民の健全な感覚が司法に反映されている状況。
日本国民は概ね平和的で争いを好まない、殺人発生率は極めて少なく治安の良さは折り紙付き。
誤認や不当逮捕の件数も統計的に見て極めて少ない、
冤罪による死刑執行も無い。
いわば、善=法=民意であるという条件が揃っている。
>善悪の基準が変化することに繋がり過去に翻る執行者は犠牲者と言えましょう。
あんたこう言ってますよね、本気ですか?
遺族が目にするかもしれないのにこのような発言を平気でできる神経。
まぁ、あんたみたいな廃止派が居るおかげで死刑廃止が進まないから感謝してますよ。
麻原彰晃、松永太、角田美代子。
具体的にどう善悪の基準が変化して、上記凶悪犯が犠牲者になるのか説明どうぞ。
退院待たずして病室から軽く触れておこうと思う。。。(ようやく手先が動く様になったので^^;)
まずhinaさんの指摘を論外とした理由は、[多角的観点]は読んで字のごとく。けれども、[法定主義]や
[遵法論]というのは[観点]ではなく、言わば[態度]に過ぎない訳で、また、それ自体の良し悪しではなく
「論議の流れ」として「よろしくない」ということ。※なぜ「よろしくない」かの説明は省く。
それと「心的介入」と切り捨てたのは、いきなりジイさん呼ばわりした上に「煽って楽しい?」という様な
心的介在は、自らの思考整理を妨げ、それが前述の様な「的外れ」にすら気付けない要因の一つとも
言える。※思考原理の説明は省く。
はてさて白狐くん。。。急に呼び捨て&オマエ呼ばわりするとは、どうしちゃったのかな?
これってほら! 何かしらをずっと我慢していて、後ろ盾が現れた途端に泣いたり吠えたりする子供や
小型犬とかいるよね。なんかそんな感じだよー^^;
それとも、私が特に言及しないまま去ろうとしたのを、都合よく勘違いしちゃったかな?
でもねぇ、hinaさんはだいたい論理性が無いし、君のほうが全然マシだよ。
まぁ一応、君の反論?にも触れるけど、「双方存在すると思います」は分かったから、片方(因果無し)の存在を説明できないのなら「もういいよ」って言っているのよ^^;
以下は「君の考え」じゃなくて、「国民や司法」になっているので論外。。。
ではまた数日後に、、、、、。
Alfred・Heartmanさんが以前、掲示してますよ。
↓
「死刑廃止論は、現場を知らない者の発想。廃止すれば彼らは刑務官殺傷して脱走図る」…元刑務官激白
http://blog.livedoor.jp/onisoku/archives/53592214.html
>現場を知るうちに、制度に問題を感じつつも、「国民の主観」によって支持されている制度には逆らえず従っている人も多いと思います。あくまでも「容認」であり、あなたのように断定的に死刑を支持している人はどれくらい存在するのかは疑問なので。
そもそも「容認」で充分じゃないですか。
嫌な仕事でも需要があるうちは誰かが従事しなければいけないんですよ、それが嫌なら辞めればいい。
農業被害防止のための害獣処理業とかも好き好んで従事してる人は居ないと思いますよ。
>あなたは先のコメントで「生きるに値しない超極悪人だけを厳選して処刑してるだけですよ」と書いていましたが、訂正するということで良いですか?
真実かどうか分からないので修正はしませんよ。
でも仮にあなたの言ってることが本当ならば、生きるに値しない超極悪人が死刑に処されている、しかし死刑を免れてる超極悪人も存在するということですよね。
>ちなみに、あなたが提示した「本当に悪い人」は死刑制度が在っても抑止にはならなかった例ですよね。
その他に多くの「本当に悪い人」も死刑を恐れずに犯罪を犯し、更に刑を免れている。
じゃあ、終身刑が在っても抑止にはならなかった例が存在すれば終身刑廃止ですか?
>そして「本当の悪人には見えない人」が死刑になるケースが少なくないことを刑務官は証言している。
悪人に見えなくても残虐な殺人犯してますよね。
だから悪人です、悪人に見えなくても豹変する人なんて沢山います。
>捜査ミスや警察・検察による犯罪の捏造も疑えるケースが存在する以上、死刑制度が在るからにはそうした犠牲が発生する可能性が有るし、もう発生しているかもしれない。
検察側が自身に有利なストーリーにそって冤罪を発生させる事実が存在することは否定しませんよ。
村木厚子氏冤罪事件とか許せませんね。
ただ冤罪死刑から死刑廃止論を主張するには冤罪死刑が執行されたことを明るみするしかないですよ。
>「遺族をケアする」という制度が不備であったことから、復讐心を煽るだけで、本当に寄り添う行為にはなっていなかったように思います。
単純な復讐心ではないと思いますよ。
何の落ち度もない人間が理不尽に生命を奪われているのに生命を奪った極悪人は税金で医衣食住を賄われ、天寿を全うすることになるかもしれない。
この不公平感から死刑を望むんですよ。
遺族に対しての徹底的なケアに異論を唱える人は居ないと思いますよ。
国家レベルで犯罪被害者専門のケア機関を作るべきと思いますよ。
白狐さんへ
なに急に豹変しているの?呼び捨て&「お前」。。。
ヒナさんへ
もういいよ^^。。。反論っぽく言っている様だけど、返答するのが面倒なのでスル―。
お二人へ
とにかく2週間ほどしたらお相手するよ^^
そうですか。では、その「客観的意見」の例も提示して下さい。
現場を知るうちに、制度に問題を感じつつも、「国民の主観」によって支持されている制度には逆らえず従っている人も多いと思います。あくまでも「容認」であり、あなたのように断定的に死刑を支持している人はどれくらい存在するのかは疑問なので。
>本当に悪い人が死刑に処されてるが、死刑を免れた本当に悪い人もいるって言ったほうが適切ですよ。宅間守も、宮崎勉も、麻原彰晃も、松永太も、吉田順子も「本当に悪い人」です
あなたは先のコメントで「生きるに値しない超極悪人だけを厳選して処刑してるだけですよ」と書いていましたが、訂正するということで良いですか?
>すなわち冤罪死刑を廃止派が立証しないかぎり、冤罪死刑は「ない」と判断することが妥当。
それもあなたの「主観」に過ぎません。私は結論が出ておらず、客観的視点から疑いが濃厚であると世間に認知されている事例が存在する時点で「ない」とは言えないと判断するのが妥当だと考えます。
ちなみに、あなたが提示した「本当に悪い人」は死刑制度が在っても抑止にはならなかった例ですよね。
その他に多くの「本当に悪い人」も死刑を恐れずに犯罪を犯し、更に刑を免れている。
そして「本当の悪人には見えない人」が死刑になるケースが少なくないことを刑務官は証言している。
冤罪も含め、「本当に悪い人」の身代わりになっている可能性が存在する。
捜査ミスや警察・検察による犯罪の捏造も疑えるケースが存在する以上、死刑制度が在るからにはそうした犠牲が発生する可能性が有るし、もう発生しているかもしれない。
でも、死刑制度の存続を希望する遺族の感情も理解出来る。
ならばどちらを取るか、という際の「遺族感情の犠牲」です。
死刑廃止論を支持している時点で後者を選択することになります。
勿論死刑を望まない遺族も居ますし、遺族感情が死刑にする訳ではありませんが、国民の多くが死刑制度を支持する判断理由の多くが此処に在るのも確かではないでしょうか。http://www.nippon.com/ja/features/h00101/
但し、つい最近まで、「遺族をケアする」という制度が不備であったことから、復讐心を煽るだけで、本当に寄り添う行為にはなっていなかったように思います。
先にも述べましたが、まずはこの制度を進めることが必要でしょうね。
FOXさんも、これには異論は無いかと思います。
死刑が必要な制度であると容認している刑務官も法務大臣も存在するのでこちらも客観的意見です。
>「本当には悪くない人」がその人を憎んでもいない刑務官によって殺されるということは、私にとっては死刑を廃止したい理由の一つとなります。であるなら、他にもそう考える人が表れるはずです。
本当に悪い人が死刑に処されてるが、死刑を免れた本当に悪い人もいるって言ったほうが適切ですよ。
宅間守も、宮崎勉も、麻原彰晃も、松永太も、吉田順子も「本当に悪い人」です。
事件調べてみたら?
>そして最悪の場合は冤罪だと疑いながら殺すことになる刑務官の心情も含めて、
現在までに「死刑執行された死刑囚」において、その死後「真犯人」が逮捕された事例や、死後「決定的な証拠」が発見され「無実であった」という事が判明したケースは日本では未だ発生していない。
それでも、死刑廃止派が日本において「冤罪死刑が執行された可能性」があると主張したいのであれば、その立証責任は死刑廃止派にある。
すなわち冤罪死刑を廃止派が立証しないかぎり、冤罪死刑は「ない」と判断することが妥当。
冤罪死刑の可能性を0にしたいなら「現行犯逮捕のみには死刑を適応」できるように臨機応変に対処する、という考えもありますが?
>遺族感情を犠牲にしてでも
こんな発言してるからあなた方は反感を買うんですよ。
犯罪被害者の会の人達に言えるんでしょうね?
それと基本的に遺族感情が死刑にするわけではないですよ。
遺族が死刑にしないでくださいと言ったところで、極悪人は死刑になりますから。
遺族感情が世論に影響を与えて司法を動かして死刑判決が下る事例もありますけどね。
それはそれで司法の合理的選択なので問題ない。
じいさんは論破されて逃亡してしまいましたね。
お前大丈夫か?
殺人を犯すことを環境上避ける事が絶対にできなかったなどと完全に証明はできない、故に結果論。
完全なる自由意志で殺人を犯したのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
私は「 自由意思」も「環境により自由意思が制限される状況」も双方存在すると思いますね。
どのような環境で育とうとも凶悪犯罪者になる可能性が高い人間は存在すると思うので。
>それに一方の擁護を否定し、一方の擁護を肯定するとはねぇ。バランス?適切?おお!正に法依存、
または思考停止か。
お前だよ思考停止は。
現状日本国民と法にそれほどの乖離なはい。
情状酌量の基準も死刑に処される基準も適正。
つまり法依存ではなく国民の健全な感覚が司法に反映されている状況。だからこそ死刑容認も八割だ。
誰がお前独自の偏った擁護論なんか肯定するか。
>上記は、君の考察前提が一方を「悪」と決めつけてしまっていることで解釈の妨げになっている。
お前は自分の行動心理学を「正しい」と決めつけてしまっていることで解釈の妨げになっている。
>つまり、「一般的な認識」という名の固定観念、また「法定主義」や「遵法論」に思考が縛られている。
もしくは異論が思いつかないがために、そこに意図して思考を留めているかのどちらかだろう。
お前は自分の作った知恵ノートの持論に思考を留めているせいで「一般的な認識」ができないんですよ。
田中実と同レベル。
>死刑の様な倫理に触れる考察は、各分野から見る行動学や哲学を抜きに論議してはならないし、
ならない決まりなんかないですよ。
「理解を示しながら論議する方が」とか人に指図しながらお前が一番理解を示してないよ。
>とにかく君は、自分が言っていることを整理して、一つずつ繋げながら自問に陥るべきだよ。
お前のことだろ。
違いますよ。
とりあえずお一人ではありますが、現場を知る当事者の証言を踏まえた上での客観的意見です。
私は主観のみで死刑を容認している人が多い状況をこそ憂えます。
様々な考え方や当事者の意見を聞いた上で判断するべきことだと思うからです。その上で死刑を容認するのなら、それは仕方が無いこと。
でも、あなたは「主観」のみで判断することを良しとしている。私はそこに異論を述べているのです。
>仮に「本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない」が事実だとしても死刑を廃止する理由にはならないですよね
「本当には悪くない人」がその人を憎んでもいない刑務官によって殺されるということは、私にとっては死刑を廃止したい理由の一つとなります。であるなら、他にもそう考える人が表れるはずです。
また、「擁護に値しない人間が死刑に処されるんだから問題ない」というあなたの意見は、この現場の人間の意見を参考にした場合、「擁護に値するので問題有り」となります。
現場の人間の意見を「鵜呑みにしない」と言うことは、これを参考にするとあなたの意見も揺らぐことになるからでしょう?それは今のところ「主観で判断している」国民の多くも同様だということです。
取り調べの結果に問題が有ることを認めるのなら、取り返しが効く刑罰にするべきですし、冤罪によって無実の人間に死刑宣告をするること、そして最悪の場合は冤罪だと疑いながら殺すことになる刑務官の心情も含めて、何よりも罪深いと思うので、この可能性が現実として有る以上、遺族感情を犠牲にしてでも(勿論ケアは手厚くする)、せめて取り返しが効く刑罰に代換えするべきと思います。
そして私は死刑を終身刑に代換えしても、この日本ではそれが原因での凶悪犯罪は増えないと思います。
あのですね個人への心情的介入?文章すら読めませんかね?
私は多角的に死刑の在り方を考えた際に、一部分で語るのは問題ですか?と言ったにすぎません。
そして個人への心情介入はどの部分ですかね?
1意見として述べてるつもりですけどね
貴方自身に対して言った文句は、そうやって煽って楽しい?とそれともただ人を見下したいだけですか?
ですけどね…他は何かおかしな事言ってますかね?
私が書いた事が論外でしたら、どういう人間がどういう言動を用いて参加できるんですかね?
感情むき出しで敵意丸出しなのはそちらではありませんか?
論外。。。以上^^
個人のブログで個人への心情的介入はやめよう。異論は知恵袋で承ります。
Keiさんへ
「主観だ」という指摘はあまりよろしくないと思う。
白狐さんへ
「主観だ」という指摘に「それも主観だ」は子供染みているし、主観ではないことを論じられると思う。
管理者様へ
私の存在を好まない方がこれ以上増えると迷惑かけるのでこれを最後にします。
法や遵法の問題点から死刑廃止、死刑賛成の問題点を改善する事を模索したり、福石さんの様に各分野から見る行動学や哲学だっていいわけです。
法とかは、死刑が廃止になっても関わってくる問題で、そこを重視した考えを抜いて良いはずがないですよね?
一方で心理学や脳科学そういった分野でのアプローチは当然必要だと思います。
犯罪者の心理等は、犯罪率の低下等に役に立つことあるでしょうしね…
そもそも死刑肯定、否定、考え方等も人によりそれぞれ違いますから、それぞれの見方、考え方だって良いのでは?
それが法の部分に偏よっていたなら法で、脳科学なら脳科学で語ってもいいはずでは?
そしてお聞きしたいのは死刑存廃って絶対に多角的な事だけしかダメなんですかね?
部分的な分野で語ったらダメなものなんですかね?
勿論多角的に見た方が良いとは思いますが、部分的な考え方ってダメなんですかね?
色々思いますが、死刑関連で専門的な事までわかる人は少ないはずです。
だからこそ、一般に近づけるためにも、部分的な物も必要だと思います。
世間一般の死刑の肯定率から考えても一部分だけでも理解できる足がかりって必要じゃないですかね?
例えば今日本では死刑の賛成の人が多いわけですが、死刑の存置理由も、多分単純な理由でだと思うわけです。
ここで難しい事を仰ってる廃止派の方の論理、倫理感は多分理解されがたいと思います。
そういうのは、結局部分的にでも打開してくしかないと思うのです。
仰るように各分野から見る行動学、哲学も考慮すべきものではありますが、多角的と言う点では法定主義、遵法論が含まれないとするのはおかしな話です。
現実に運用されてる制度を軽視するのはそれこそ都合の良い論理の組み立てばかりになり現実的ではないです。
それを思考停止、法依存って煽る意味はなんでしょうかね?
貴方は議論がしたいのですか?それともただ人を見下したいだけですか?
「結果論ですよね」っていう「果」の認識があるのなら「因」という認識は無いの?
それに一方の擁護を否定し、一方の擁護を肯定するとはねぇ。バランス?適切?おお!正に法依存、
または思考停止か。
上記は、君の考察前提が一方を「悪」と決めつけてしまっていることで解釈の妨げになっている。
つまり、「一般的な認識」という名の固定観念、また「法定主義」や「遵法論」に思考が縛られている。
もしくは異論が思いつかないがために、そこに意図して思考を留めているかのどちらかだろう。
死刑の様な倫理に触れる考察は、各分野から見る行動学や哲学を抜きに論議してはならないし、
表面的な常識や一般認識では文化的民度は発展しないと思うよ。
とにかく君は、自分が言っていることを整理して、一つずつ繋げながら自問に陥るべきだよ。
「それはあなたの主観ですよね」と思うのもあなたの主観ですよね。
ちなみに日本は死刑容認が殆どなので、私と似たような主観の人が多いと思います。
>ずいぶん前に貼りつけた元刑務官の方の
仮に「本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない」が事実だとしても死刑を廃止する理由にはならないですよね。
取り調べ過程での問題点であって死刑制度の問題点ではないです。
あと私は一刑務官の個人的発言だけを鵜吞みにはしません。
②フランスで大暴れのサポーターが射殺される 。
背景には根深い人種差別。
パリ同時多発テロ事件の容疑者数人の男女が立てこもって警察官に発砲して銃撃戦、1名が自爆、首謀者は警察官に射殺され、首謀者の従妹も死亡、計3人の被疑者が死亡し、警察官5人が負傷。
③ロシアは学校占拠事件で犯人を全員逮捕なしで射殺。
アメリカの死刑廃止州でも日本より射殺は多いでしょうね。
日本においては無実の人間を射殺した事例など皆無。
それはあなたの主観ですよね。
ずいぶん前に貼りつけた元刑務官の方の
「死刑囚といえば、凶悪で凶暴というイメージでしょうが、実際に接すると、"この男が、本当に人を何人も殺すような事件を起こしたのだろうか"と思うような、おとなしい人も少なくありません。刑務官になったばかりの頃は、これが一番のカルチャーショックでした。経験を重ねると、一定の法則があるように思わざるをえない現実に心を痛めました。つまり、死刑と懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる。おまけに、おカネがなければ私選の弁護人をつけられない。結果は目に見えています」
という、発言の方が、当事者ということもあり、私はこちらが現実だと思います。
冤罪の可能性が高い死刑執行や判決の事実も有るのですし、あなたが当事者では無い以上、客観性を持って考えることも必要ではないでしょうか。
前回紹介した他に、池谷孝司氏の「死刑でいいです」も非常に興味深いのでぜひ。2日もかけずに読めます。
非武装警察の件。英国以外にも、アイルランド、ノルウェー、アイスランド、ニュージーランド警察は通常の勤務において銃砲を携帯しないとのこと。
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2015/02/18/5-countries-where-police-officers-do-not-carry-firearms-and-it-works-well/?utm_term=.6e07a6a51cc3
「警察が武装することで、いたずらに銃による暴力の発生を招き、それは抑制効果を上回る」という思想によるものらしい。
なおアイスランドも死刑廃止国であるが、最後に死刑を執行したのは1830年。また共和国発足の1944年以降、警官による容疑者の射殺事件が発生したのは2013年の1件のみということだ。
http://countercurrentnews.com/2016/02/iceland-first-time-police-in-history/
記事によれば、当該の警官は、2016年に至るまで自分の行為を悔いているという。
以上参考までに。というかこのコメント欄も伸びまくってますね…rayさんすみません。以降は自分のブログでまとめます。
例えばどのような環境で育とうとも凶悪犯罪者になる可能性が高い人間は存在すると思います。
これは自由意志では?
そもそも「殺人を犯すことを環境上避ける事ができなかった」と主張しても「結果論」ですよね?
>線引きすることで応報責任を明確にすること。もう一面は君が理解できない[擁護]に当たるだろう。
日本の司法判断では応報責任を明確にすることも擁護についてもバランスは保たれていると思うんですけどね。情状酌量の判断も適切では?
>そこで私は、「刑罰の概念や意義」または「擁護の基準(範囲)」に疑問を持ち論じている訳なのよ。
「後者の面」を否定することがどういうことか、言うまでもないよね。
「刑罰の概念や意義」→犯した罪にはそれ相応の責任が伴うが妥当では?
「後者の面」を否定することと述べてますけど、やむにやまれぬ殺人を犯した人間に対してまで死刑にしろなどと言ってませんよ。
「擁護の基準(範囲)」においても事件によりケースバイケースでしょう。
裁量には、動機、残虐性、結果の重大性、被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状などが考慮されます。
これらを考慮した結果、擁護に値しない人間が死刑に処されるんだから問題ない。
日本における死刑の執行は年に数件です。
生きるに値しない超極悪人だけを厳選して処刑してるだけですよ。
「双方を肯定」していることは、「影響下に無い存在」を含んでいないのかな?
なので、「双方を肯定」の片方の存在(自由意志)を説明してくれないか、と言ってい[た]訳よ。
もういいけど。。。
それにどう読んでも「単に多いから説得力がある」と言っているよ。解説不要なほど明確にね。
それとも「似た影響下における行動を二通りに別けた」つもりすら無いのかな?
これももういいけど。。。
あと「麻原本人が悪い」という一般的な認識(善悪)に論議を留め様としないでよ。
話しが進まないからもういいけど。。。
「免罪符にして擁護する姿勢」
理解できないのなら、理解できる基本的な処で説明しよう。
たぶん、刑罰が「責任を負うこと」また「求めること」という概念が「考察の妨げ」になっていると思う。
その上で「情状酌量や精神鑑定がなぜ存在するのか」。これには両面的な解釈ができる訳で、一面は
線引きすることで応報責任を明確にすること。もう一面は君が理解できない[擁護]に当たるだろう。
そこで私は、「刑罰の概念や意義」または「擁護の基準(範囲)」に疑問を持ち論じている訳なのよ。
「後者の面」を否定することがどういうことか、言うまでもないよね。
ちなみにね、私も論破など興味がない。同意してほしいとも思っていない。ただ理解してほしいだけ。
同意と理解は違うのだから、四の五の言わずに、人の意見に対して真摯に触れてほしい。
理解を示しながら論議する方が、都合よく触れたり触れなかったりするよりも建設的で有意義な訳で、
せめてその姿勢だけでも心に留めておいてほしい。
私の最初の疑問は「なぜ州の話をしているのに規模の異なる市や文化の異なる自治区を混ぜ込んでくるのか」ということなのだが。比較するのならば同規模の自治体にしないと、都道府県の話をしている所に村や区の例を突っ込むようなもので、正確な解釈を妨げると思う。まあこれは参考程度にしかならない数値の件だからもういいや。
ただ私がデータや事実にこだわるのは、できるだけ主観を排したいからだということはご理解願いたい。
私の死刑廃止に関する立場は基本的にkei氏と同じと認識しているので、書いても繰り返しになるだけだと思う。また現時点では十分に咀嚼しきれていない(故に色々研究中)ので、きちんとまとめるのにはもう少し時間が欲しいと思っている。少しずつ自分のブログでまとめるつもりではあるけれど。ただし、私の考え方は清水潔氏の「殺人犯はそこにいる」に大きく影響を受けているので、読んでいただければ話が早いと思う。ここでの議論のことは別にしても非常に面白い本なのでオススメである。ぜひ読んで下さい。
抑止効果があまり見られないのではなく、死刑の適用範囲が狭い為に抑止効果を確認しずらいんです。
死刑の適用範囲を拡大し、数日の内に執行すればかなりの抑止効果が期待できるかもしれません。
例えば、子供を虐待して死亡させたら100%死刑とかね。
>なぜこの2つのみが殺人発生率の高い例として適切と判断され、州と同格にしてここで挙げられるのか理由が知りたい。
ワシントンDCは全米で最も殺人発生率が高いからです、そして殺人発生率が2位はプエルトリコ。
つまり殺人発生率の高低と死刑制度の有無は必ず関連しているわけではない。
それを証明する一要素としては充分。
>刑罰が違うというのは具体的にどう違うのか。処刑方法が異なるということか。
なんで処刑方法なんですか?
そもそも死刑廃止州では死刑が無いんだから凶悪犯罪に対しての刑罰が違うでしょう。
米国は各州が国みたいなもの、州ごとに判例法も異なる。日本の刑法に相当する法律が州ごとに違います。
>治安とは「治安体制」なのか「治安状態」なのか。
治安状態です。
>確かに調べると、大半が裕福な州(メリーランドなどは全米1らしい)なのだが、ニューメキシコはケツから5番目、ウェストヴァージニアに至ってはケツから2番めであり、「経済的に豊かだから」という理由と矛盾する。これは例外として無視してしまってよろしいのかどうか。
大半が裕福な州だから例外として無視してしまっていいんじゃないですか?
というか論点はそこじゃない。
そもそも抑止力に関しては比較対照実験ができない案件なんですよ。統計学的に、証明不可能。
死刑と絶対的終身刑と有期刑を比較した場合、どの刑罰にどの程度殺人抑止効果が存在するのかは証明できません。
だからといって死刑制度廃止にはならない。
そもそも「終身刑で死刑と同等の殺人抑止効果は充分に得られる、だから死刑廃止」と考えるだけでは駄目なんですよ。
罪と罰のバランスが取れていない←これが重要。
>なお以前にも申し上げたが私は「論破」などに興味はない。事実を確認することが目的である。
あなたは人の書き込みに細かく突っ込んでくるが、たまには自身の死刑廃止論でも述べたらどうですか?
私が「何らかの影響下にない」と何時言ったんですか?
私は「 自由意思の存在」と「環境により自由意思が制限される事実」双方を肯定してると言ったんですよ。
環境要因と本人の資質が凶悪犯罪を発生させる。
>「何を選択したか」において、「多いから説得力がある」という理屈ならば、少ない方を選択した物事は
すべて否定されることになる。
単に多いから説得力があるとは言ってませんね。
事件の性質によりケースバイケース、そのうえで多いから説得力があると言ってます。
例えば麻原彰晃と似たような環境で育ったとしても、殆どの人間はあのような凶行は犯さない。
環境と麻原彰晃本人の資質に原因があったんですよ。
麻原本人が悪い←当たり前でしょうが。
環境を免罪符にして凶悪犯罪者を擁護する姿勢は理解できません。
なるほど興味深い分析である。州ごとの経済状況など確かに視点としては抜けていた。
ただし、私は事実としての数値を提示したつもりであって、「死刑制度があるから殺人発生率が上昇する」などとは主張していない。その点誤解なきようお願いする。あえて主張をするならば、「死刑制度があっても抑止効果はあまり見られない」の方が近い。というかこれは前コメントのリンク先にも書いてあったのだが、ご覧になっていただけただろうか。
また福石氏の言うとおり数値はあくまで参考程度にしかならないことも承知している。しかしながらいくつか疑問がある。
1)(福石氏のコメントともかぶるが)なぜ殺人発生率の高い例としてワシントンDCとプエルトリコが挙げられるのか。
私が提示したのは全米50州のデータだが、ワシントンDCもプエルトリコも州ではない。仮に人口比で見るならば、死刑を廃止した州は合計19、人口は2億2213万人以上になる。ワシントンDCとプエルトリコの人口を合計すると約420万。比率なら2%にも満たない。これは、場合によっては「誤差」に入ってしまいかねない数値だと思う。またプエルトリコは「自治区」であり、ほとんどの人間が通常スペイン語で生活しているほど文化も異なるという。なぜこの2つのみが殺人発生率の高い例として適切と判断され、州と同格にしてここで挙げられるのか理由が知りたい。
2)「州毎で刑罰が違うほど各州の治安が違うので比較にならないです」この意味がよくわからない。
・刑罰が違うというのは具体的にどう違うのか。処刑方法が異なるということか。また処刑方法等が異なれば、抑止効果も変動するということなのか。
・治安とは「治安体制」なのか「治安状態」なのか。
3)FOX氏のスタンスとして、ある事象の因果関係について「例外も考慮すべき」なのか「例外は無視してよい」のか、どちら寄りなのかを知りたい。
「~多くの事実の前で説得力を失う」という表現は例外を「無視してよい」ようにも受け取れる。実際どうなのかを知りたい。
なぜそれを知りたいかというと、FOX氏は「そもそも廃止州は経済的に豊かで凶悪犯罪が少ない、だから廃止したに過ぎない」と断言している。確かに調べると、大半が裕福な州(メリーランドなどは全米1らしい)なのだが、ニューメキシコはケツから5番目、ウェストヴァージニアに至ってはケツから2番めであり、「経済的に豊かだから」という理由と矛盾する。これは例外として無視してしまってよろしいのかどうか。
なお以前にも申し上げたが私は「論破」などに興味はない。事実を確認することが目的である。
お答え願えれば幸いである。
同じ説明になるけども、何らかの影響によってどう行動したかについて「どちらが多いか少ないか」が
問題なのではなく、また「多い方に説得力がある」という訳でも無いでしょ。
どちらが多かろうが少なかろうが「何らかの影響下にある」ということをなぜ認めない?
認めたくないのであれば、「何の影響も受けていない意思の存在」を説明してくれないだろうか?
説明できない、あるいはそう思う程度であれば、安易に否定すべきではないよ。
「何を選択したか」において、「多いから説得力がある」という理屈ならば、少ない方を選択した物事は
すべて否定されることになる。そんな理屈以下のことすら気付けないのだろうか。。。
それに「説得力」なんてものは受け手次第(心因性)であり論理とは限らないよ。
あと「死刑制度の有無が必ず関連しているわけではない」という認識があるのなら、なぜ州ごとに比較
する?なぜ個別に比較する?なぜD.Cやプエルトリコを用いる?
「同じ国内」において、[継続]して「下回っている」ことを参考程度に示されている上で、抑止効果がある
なら、「互いの数値が近づくか、反転してもおかしくないだろう」といった疑問視なのよ。
君らはまず、兎にも角にも否定したがる己の姿勢(思考)から自問すべきだよ。
以下、
「増加するということを科学的に証明するしかない」
「希望的観測の雨あられです」
「リアリティーが皆無です」
「合理的選択(損得勘定)ができる人間」
これらすべてについて私は説明済みだけど、その時には直接触れないで、ここへ来て単純批判を繰り
返す姿勢は子供染みているよ。自身でもう一度読み直して、私の説明に対して言及してもらいたいね。
犯罪率を減らすには、まずは貧富の格差を無くし、政治が安定することが先決でしょうね。
死刑制度以前の問題だということです。
「悪い」と言えます。
環境が良くなかったから凶悪犯罪を犯したという事実は、環境が良くなかったにも関わらず凶悪犯罪を犯さなかったという多くの事実の前で説得力を失う。
>死刑廃止州での殺人事件発生率は存置州のそれを下回っている
死刑廃止地域のワシントンDCは全米で最も殺人発生率が高く、殺人発生率が2位のプエルトリコも死刑廃止地域 、つまり殺人発生率の高低と死刑制度の有無が必ず関連しているわけではないです。
また州毎で刑罰が違うほど各州の治安が違うので比較にならないです。
そもそも廃止州は経済的に豊かで凶悪犯罪が少ない、だから廃止したに過ぎない。
殺人発生率を上昇させる要因の一つを死刑制度だと主張したいならば、アメリカの廃止州で死刑を再導入し「死刑再導入年“前後”の数年間のデータ」から死刑が原因で殺人が増加するということを科学的に証明するしかない。
>つまり、死刑を廃止して「どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化」を得たところで格差も政治不安も無くならないって実証だな。www
クソの役にも立ってねーな、死刑廃止論の博愛主義はwwwww
死刑廃止論の博愛主義は性善説を妄信した希望的観測の雨あられです。
「謙抑化によって人々の心が豊かになって犯罪が減少する」といった理屈ですがリアリティーが皆無です。
合理的選択(損得勘定)ができる人間に対しては死刑は殺人抑止になります。
営利誘拐殺人が殆ど発生しないのは「これだけは例外なく死刑になる」ということが「相場」になっているからです。
例えば暴力団同士の抗争において対立組織の組員が死亡した場合に、殺した組員は一律死刑にする、もしくは警察官がその場で射殺する。
確実に抗争は減るでしょう。
このような激情犯ではなく、犯罪をビジネスとして考える人間であればあるほど利益と量刑を考慮する為、合理的にふるまうのは明白。
「論より証拠」
ふむ、、、それは、きちんと裏付けがあり、証拠となり得る数字であればの話し。
つまり「数字が死刑の有無に因果しているのか」ということ。
ほか、「廃止によって命が・・・」辺りは、誰に何を言及てるのか分からない。
総じて、反論どころか、論理でもなく、理屈ですらない上に、「www」など愚の典型だよ。
「論より証拠」
理論と実証が食い違う場合は、そりゃ理論の方が間違っている。
我々は「死刑を廃止すれば犯罪率が増える」と主張し、実際そのとおりになっている。
死刑廃止論者は「死刑廃止によって得られるものはどんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化」だというが、実際犯罪率は上昇している。
どちらの論理の方が筋が通ってるのかは小学1年生でも分かるよな?
>貧富の格差と政治的不安定のせいです。
つまり、死刑を廃止して「どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化」を得たところで格差も政治不安も無くならないって実証だな。www
クソの役にも立ってねーな、死刑廃止論の博愛主義はwwwww
貧富の格差と政治的不安定のせいです。
貧困層の味方をする左翼ゲリラが、次第に金銭的に困り、誘拐や麻薬の輸入を資金源にしていくようになりました。
「衣食足りて礼節を知る」ですから、「文化」以前の問題です。
もちろんアメリカの、州ごとの誤差においても等しく言えること。
ただ、国と国とを比較するのは非常に困難ではあるも、アメリカの様に、比較的に等しい条件下である州ごとの数値に見られる誤差は参考に値し、幾ばくか論理的な説明も可能。※あくまで参考程度。
その説明をした処で、君が傾聴できる様な人柄とは思えないので省くけど。
それに廃止国とて、経済や文化的に未だ途上にある国を引き合いに論じても意味が無い。
つまり死刑の有無以外にも、犯罪率が変化し得る要因はいくらでもあるということ。
「心理学ミュージアム」
http://psychmuseum.jp
「展示室」の「なぜ加害者に厳しいのか?」と「なぜ被害者を責めるのか?」が参考になると思う。
以下は資料。
https://deathpenaltyinfo.org/deterrence-states-without-death-penalty-have-had-consistently-lower-murder-rates
米国は国としては死刑を廃止していないが、州として死刑を廃止している所もある。
上記ページのデータによれば、1990年から2015年のすべての年度において、死刑廃止州での殺人事件発生率は存置州のそれを下回っている(棒グラフを見るとわかりやすい)。
事実の一つとして提示させていただく。
ぶっちゃけた話、死刑廃止によって得られたものが本当に
「どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化」
なのか否か、その実証を見せてくないか、実証を。
例の感情自己責任論とかいう同じ死刑廃止狂信者の掲示板で死刑廃止して犯罪率が下がった国がどこかあるのかって議論を散々したんだけど、管理人の田中実は結局のところアメリカのどこかの州、それも誤差の範囲ぐらいで僅かに下がった地域を挙げただけだったからな。
こちとら国レベルで犯罪率が大幅上昇している実例をいくつも挙げているっつーのによwww
総合的に見て、どちらの方に分があるかは言うまでもないよな。
大体「死刑廃止によって得られる第一のものは、どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化」なら、なんで20世紀初頭には死刑制度廃止していたっつー南米諸国が、100年経った今では麻薬とマフィアの支配する犯罪の温床になってんだ?
ん~、納得いかない気持ちは分かるけど、これは「自由意志の介在」を主張している訳だけど、しかし
君が言うそれは「因果の下に存在する一般的な自由意思」な訳で、「悪い」と言える論理的な根拠には
ならない。一般的な選択なら、今こうして書き込む行為もその一つ。しかし、君の存在がそうさせている
という因果の下に在り、いかなる行為であれ同じこと。これを否定するのであれば、一般的な選択意思
ではない説明を頂きたかっただけ。
また、「死刑になりたくなければ・・・」というのは正常な認識や意思の上に成り立っている訳で、これも
自身の経験から想像が付かないかな。例えば、君だって子供の頃に親や先生に叱られたことくらいは
あると思う。
「叱られるだろう」という認識があっても遂行するのは、凶悪性が増すにつれ正常とは言えないし、
「叱られる」という認識があっても、「どのくらい叱られるか」までは認識していないこともあるでしょ。
最悪、認識すらない場合もあるでしょ。
そうやって、叱られることで気付き、学んできたはずだよ。
もし、「一度も叱られたことが無い」というのであれば、この話しは無かったことにしよう。
不遇な環境下で育てられたとしても、決して犯罪に手を染めない人もいれば、遊ぶ金欲しさに簡単に強盗殺人する鬼畜な人間もいる。
凶悪犯罪が起因する原因は生育環境、生活環境上の問題、本人の個人的資質、本人を取り巻く対人関係などによって発生します。
「環境も悪いが犯罪者本人も悪い」←これが主張したいだけ。
そもそも「残虐な殺人を犯せば死刑になります」と事前通告されているのに残虐な殺人を犯すのが悪い。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない子供を誘拐して殺さなければいい。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない人間を殺して金を奪わねければいい。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない女性を強姦して殺さなければいい。
凶悪犯罪を無くしてしまえば、死刑も無くなる。
死刑になるような殺人を無くすよう努力し「凶悪犯罪が起きないから死刑が実質廃止となっている国」という高いところを目指すべき。
死刑を廃止することでしか死刑を無くすことが出来ない国より理想的。
君がどの程度の情報を得ているのか知らないけど、記事のニュアンスをそのまま受け取っているだけ
なんじゃない?「郷土愛か愛国心を理由に内容を変えた」。この「額面だけ」を捉えれば君が言うのも
分からなくはない。しかし前にも述べた様に、最近では日本の文化や良さを再確認、または再構築する
動きがあるし、あるいは[検定]に対する日本人特有の「お役所仕事」的な背景があるのかも知れない。
それに「郷土愛や愛国心の趣旨が何であるか」を制作サイドがどう解釈しているか、など。
話し変わるけど、例えば「0.15+0.15=?」という数式に「0.30」という回答を、学校教師は「×」に
する様だけど、これは指導要領の「0.3にしましょう」を「0.30はダメ」と過剰に解釈したとも言える。
何が言いたいか解るかな。。。君が言う愛国心と、政府が言う愛国心には思考の誤差があると思うよ。
「内容を変えた」=「他文化の否定」というのは君の過剰な解釈であり、単に「文化の維持」が趣旨かも
知れないのを「保守姿勢」と解して制作した、または記事になっている、かも知れない訳よ。
こう言っちゃなんだけど、君の様な思考や解釈をしていると、何かしらの指示を受けた際に、君が指摘
している様な状態、つまり「趣旨を理解しなままの判断」、または「お役所仕事的な判断」に陥るよ。
もう一度言うけど、この件はいい加減終わろう・・・くだらない。。。
>影響を受けた人間全てが・・・
もはや君が何を主張しているのかすら解らない。
動画サイトの時もそうだったけど、私の文章に対して触れるてくる所と触れてこない所があるよね。
まぁ、四の五の言う人の典型だし、面倒なので見過ごしている訳だけど。理解できていない、納得して
いないことを放置したまま論議(論理)を進め様とするからダメな訳よ。
それに、否定を繰り返す余り、主張(反論)にすらならなくなる現象を自ら作り出していることに気づこう。
この流れを再読してくれるかな。誰かさんのせいで見つけ辛い状態だけどさ・・・。
どんな思考過程でそうなるの?
パン屋を和菓子屋に変えて郷土愛などとふざけたことを検定意見で述べてるのでね。
じゃあ「他の西洋文明も否定してみれば」と言いたかっただけです。
そもそも和菓子だって元々は中国や西欧の菓子文化が日本流にアレンジされた程度のもの。
洋服着てる奴らが「パン屋」を「和菓子屋」に変更して郷土愛を育てるようとする滑稽さ(笑)
そのような小手先の手法で日本人の愛国心を育てようとする現政府の姿勢は幼稚です。
>何の影響も受けていない意志ってどんな意思かな?。哲学的には全てに因果が存在するはずだよ。
影響は当然受けますよ。
影響を受けるけど、影響を受けた人間全てが凶悪犯罪を犯すわけではないですよね。
類似した劣悪な環境下に置かれても凶悪犯罪を犯す人間と犯さない人間とに分かれるということです。
不遇な環境下で育てられたとしても、決して犯罪に手を染めない人もいれば、遊ぶ金欲しさに簡単に強盗殺人する鬼畜な人間もいる。
遊ぶ金欲しさに「強盗殺人せざるを得ない境遇」など想像できません。
触れようか触れまいか悩んだけど、あくまで物語上の変更だし良いんじゃない。色眼鏡で見なければ
の話し。「書き換えたことを知って」からの反応に過ぎないし、エスカレートしそうな時にしっかりと対処
すればいいだけで、食育でいう処の和食の推進と同じニュアンスで捉えれば、むしろ良いことかも知れ
ないよ。パンより米を食べなきゃね。小麦より腹持ちは良いし、代謝も良いし、研ぎ汁も使えるし^^。
あとさぁ、関連付けの論理として和服は似た次元だけど、ソロバンや人力車は異次元でしょうよw
どんな思考過程でそうなるの?人をバカだのアホだの言う前に自分の思考を整理してみよう!
それに、個人のブログで関係のない投稿は控えよう。冒頭、断り入れれば良いって訳でもないと思う。
まぁ、君が連れてきたお友達とは違って、承認されているけどね^^
〇「自由意志」
カードの例えはいいけども、どのカードが自由意志だろうね。
何の影響も受けていない意志ってどんな意思かな?。哲学的には全てに因果が存在するはずだよ。
君の説明は一般的な意思(因果の下に存在する自由な選択)に過ぎないよ。。。
自由意志論は文字通り自由意志の存在を認める考えです。
例えば犯罪行為が起因する原因は外的諸関係でなく、強制によらない個人の自由な選択が最終的な行為者の判断を決定する。
つまり環境によって影響を受けるとしても本人の意思によって犯罪を犯さない選択が可能であるとする考え方で非決定論とも言います。
対して決定論は犯罪行為が起因する原因は(生育環境、生活環境上の問題、本人の個人的資質、本人を取り巻く対人関係)などによって究極的に規定されているとする考えです。
人間の意志による決断や行為の責任については否定的な考えです。
前にも述べましたが、私は環境要因と本人の資質が複雑に絡み合って、凶悪犯罪は発生すると思います。
環境も悪いが犯罪者本人も悪い。
カードが全て揃ったときに凶悪犯罪が発生するのです。
↓
文部科学省の検定意見で小1向け教科書の記述内容がパン屋から和菓子屋へ変更。
このままいくと洋服から和服へ、電卓からソロバンへ、車から人力車に記述を変更するんじゃないでしょうか(笑)
戦前の日本にいたレベルの低い愛国者気取りのアホが最近多くないですか。
保守の劣化は着々と進行している模様。
この二つは似て非なるもので、また「善悪は一如」と決めているから難しくなるのだろう。君が言う様に
哲学的な考察になるけども、原則、主観的に最善を模索する上で「よかれ、つもり」も含めてすべてが
善であり、客観的な処を[共通善]とされる訳で、私は「悪は存在しない」、または「善の否定に過ぎない」
といった考え方でもある。※利己や自己の優先も善の否定
例に挙げた「訳有りの自殺や子殺しを認めない態度」または「命を無駄にするな」は押し付けではなく、
摂理に反する行為を否定する[善]であり、万物に共通することでもある。例え自己満足であってもね。
[善]とは、結果がどうなるかを踏まえた思考や意思そのものであり、[正誤]とは結果があってこそ。
つまり「死の権利」は認められるも「自死の権利」を認めることは、先に述べた「善の否定」ということ。
まぁ考え方や論理は色々あるだろうけども、万物における人間以外の「自死の構図」を私は知らない。
注:自死と犠牲を混同しない様に。。。
二つ。>その「心因性」が最も大事なんですよ
「大事」ではあるものの、「最も」と言えるだろうか?上記で述べた通り、「善や悪」と「正誤」は違う訳で、
感情が正しことを示す場合もあれば、誤っていることを示す場合もある訳で、前者を正義とした場合に
どんなことが起るかは歴史を見れば判るだろうし、自身の経験からも気付けるはずだよ。
三つ、君の「有意義性」について
①脱獄と、②再犯と、③所内犯罪と、④脱獄補助などのは管理や矯正の問題だよ。
つまり、6万からなる人員を度外視して、死刑相当人員のみに焦点を当てるのは論外。
⑤被害者と殺人犯の命の均衡や、⑥死の理解を求めることは納得感でしかない。理由は中文と同じ。
また、①~⑥のすべてが事後的な観点でしかなく、事前的な観点(犯罪を減らすこと)には繋がらない。
ちなみに①~④が[不安]で、⑤と⑥が[不満]。他者の意見も含め、どうしてもこの二つに納まる訳で、
理解はできるけども、誤解(考察不足)のまま社会全体に蔓延または停滞していると言える。
四つ。総じて君の論理であれば、死刑の適応範囲を広げなくてはならなくなるし、最悪酌量の余地すら
無いことになるが、それを望んでいるのなら一論として成り立つ。※解説は省くので自問してほしい。
五つ。あと、私に自由意志論を小学生レベルでご教示して頂きたい。
※肯定しているのであれば尚更だと思うが。。。
「法的確信を得られない(分別が付かない)程に愚か」ではない。
それは同意です。
自然状態(法が存在しない)においても「利己的な殺人は悪いことだ」との感覚は多くの人間に存在していたと思います、人間には本能的に共感性が備わっていると思うので。
ただ善悪の絶対基準が難しい場合もありますね。
子供を残したらかわいそうだと善意で我が子を殺した。
この場合は善か?悪か?
自殺志願者を助けたとしても、相手の為ではなく自分が精神的に満足したいから助けたのかもしれない。
相手にとっては、そのまま死なせてくれたほうが幸せだったかもしれない。
その助ける行為は善か?悪か?
人間は皆この世に生を受けたいと願って生まれてくる訳じゃない。
否応無くこの世界に産み落とされるだけ。にもかかわらず「大事な命を無駄にするな」という言い分がそもそも思想の押し付けともいえる。
自殺行為は善か?悪か?
まあ善悪に関しては、このように哲学的な議題にあげやすいですね。
>「不処罰による不満」や「廃止による不安」の理解はできるも、
その「心因性」が最も大事なんですよ、感情です。
何の落ち度もない被害者が理不尽に生命を奪われているのに、生命を奪った極悪人は税金で医衣食住を賄われ、天寿を全うすることを国家が保障する。
この制度の不公平感、つまり罪刑均衡原則から納得できないのが「不処罰による不満」です。
>その心因性以外の
「死刑の有意義性」が見当たらない。
私の考える「死刑の有意義性」は。
①脱獄の可能性が0%になる。
②仮釈放後の再犯の可能性が0%になる。
③刑務所内での犯罪発生の可能性が0%になる。
④テロリストの首謀者を脱獄させるための刑務所襲撃、または釈放させるための人質籠城事件が0%になる。
⑤犯人から命を剥奪するのは被害者と殺人犯をこれ以上なく平等に扱うことになる、まさしく人権。
⑥殺人犯も含め人間は自分の死に直面することで、死と言うものを理解する。
宅間も自分の死を考えたから、その恐怖で歩くことができなかった。
死刑があることで、殺人犯は死というものを理解し自分の犯した殺人の罪深さに考えが及ぶ。
少数ながら他者に向ける要因には個人差があるし、君が言うように攻撃性という資質もその一つだし、
あと[選択肢]については前にも論議したはずだよ。犯行を避ける選択の余地が「一切無い」ではなく、
「無くしてしまう」ということ。選択肢は常に何通りも存在する訳で、しかし[選択肢]というのは、その時と
その人によって往々に変化するのは自分の経験則からも理解できるだろう。いわゆる[タラレバ]ね。
容易に納得し難いのも否定したいのも分かるけど、君が言うように、「複雑に絡み合っている」からこそ
「どの割合が高いか」によって「無くしてしまう」場合がある訳で、「本人の意思」だけではないのを君も
理解しているはず。犯行に至るも至らぬも同じ。つまり、「Aを選択した者は悪で、Bを選択した者は善」
といった善悪が論点ではないし、だからと言って「罰する意味が無い」訳ではない。
善悪を法的に定義した上で裁くことが「法的確信である」とされるものの、人は、法的定義が無ければ
「法的確信を得られない(分別が付かない)程に愚か」ではない。得られない(分別が付かない)人とは、
「認識不足か、何か患っている」と言える。認識不足は「刑罰という名の教育(矯正)で補える」とも言え、
認識できないのは「教育(矯正)が不足している」か「何か患っている可能性が高い」訳で、ならば改善が
必要であり、治療が必要であり、治療(矯正)の過程も含めて、犯行防止の研究として役立てる努力を
しなければならないはず。
その一連すべての理解が、被害者(遺族)への補いであり、癒し(納得感)に繋がるとさえ言われている。
兎にも角にも私には「不処罰による不満」や「廃止による不安」の理解はできるも、その心因性以外の
「死刑の有意義性」が見当たらない。
「近代法は・・・肯定した上で成り立っている」というのは考察放棄だと思っている。
と言うのは、私は「自由意志の否定」という立場だが、実は「自由意志論」をほとんど知らない。なので私に小学生レベルで説明してくれるとありがたい。知らないのに否定する私も変だけどね^^
終わりそうだったのに~
自然にいなくなるのを待つのみ。。。
「俺様ルール」とは、「俺に言い返さなかったら勝ち」というルールのことです。
いつからそんなルールが公式に認められたのか知りませんが、私には知ったこっちゃありません。
私宛なのに、私の意見に対するものでも無いですから、反論する訳も無いでしょう。
前述しましたが、私はこのテーマでは「どちらが正しいか」勝ち負けを競っていません。これは私のルールです。
「どちらの世界が好ましいか」を自分にも、他人にも問う為に、不特定多数の人が考えそうな意見や知見について知りたいだけですよ。
だから議論をして引き出そうとしているだけです。「お手合わせ」として意見のラリーすることが楽しいのであって、自分が勝つ為のルールを作って、自分が勝ち負けを決めることの何が楽しいのか、さっぱり解りません。
あなたは、「俺様論理」と「俺様言葉」によって理解不能なシュールな論理展開を繰り広げ、「返答しなければ勝ち」という「俺様ルール」によって、あなただけが審査員になって「俺が勝ち」としています。
そんなルールではラリーになりません。気持ちよく打ち尽くしたなら「終了」ということで。
お疲れ様でした。
勘違いしていたなら謝ります。
「勘違いしててすみませんでした。」
仕事が忙しい合間に楽しんでたので、チェックしてませんでしたが、宮武嶺さん=reyさんで≠keiさんでよろしいでしょうか?
まぁ、keiさんが賛成派ならとんだ言いがかりで大変でしたね。
しかし、廃止派であれば同じし、中立派ならもっとどうでもよい話に相当しますので、「言いがかり」とはならずに「勘違い」でよかったです。
なぜなら(はい、このくだりは根拠を表すときに用いますよ)、reyさんの意見に同意してれば同じことですし、否定するところがあれば、それすなわち廃止派が廃止派を否定している…という惨事になりますのでね。
私が「keiさん」と表記した箇所を「reyさん」と書き換えればつじつまが合うということです。
中立派の場合は言葉は悪いのですが「優柔不断な議論する価値もない人間」「若しくは荒らしタイだけの人間」と主観で定義していますので、問題はないと思っています。
さて、そのreyさん(あの廃止論を書いた人)はどこにいるのでしょうかね???
もしかして、「keiさんといってるからタートルの否定している廃止論は自分のではない…」と思ってるとか?(笑)
だれか行動パターン知ってる人いましたら教えていただけませんか?
まぁそれは置いときまして…
keiさんは廃止派(意見)ですよね?
であるなら、同じです。
私が否定した廃止rトンイついての議論を楽しみましょう?
「議論」って楽しいですよね?
ちなみに「いいがかり」って楽しいですか?
「議論」というのは相手の根拠について論じるものです。
keiさんがしたのは「感」で物をいう…ということ、このまま証拠や、私以上の根拠(論拠等)を提示できない場合、それすなわち「感情論」となります。
----------
感情論とは、結論を支える最大の論拠が自身の感情であるような議論のことである。
----------
議論とは根拠の言い合いのはず…
「どちらが正しいか?」など議論した覚えはないので証拠の提示をお願いします。
提示できましたなら今度はソレの検証になるのが議論でしょうかね?
ということで、keiさんには「各証拠の提示」「本質の指摘」をおねがいしますね。
一応なめ腐って「勝利宣言」をしておきたいと思います。
keiさんのようになった(私のあらさがし)が最後、勝てた人間はいないので、その確率「99%」としておきます。
議論をもっと楽しまれたほうがよろしいかと思いますよ?
であり、他者に向けるのを殺人とされる。
でも殆どの場合は己に向けるのが大半ですよね。
不満や苦しみの矛先を赤の他人に向ける、つまり「自殺せずに外に向かって攻撃性が発露する」ということは、加害者自身がもともと攻撃性が強い資質の持ち主である可能性が高いと思う。
>加害者になる要因である「他者に向ける」不満や苦しみに対して排他的であってはならない。
廃止論者はよく「凶悪犯罪は社会の責任、環境の責任」などと述べるが、それは「社会・環境により個人の自由意思は全て決定」しており「個人の自由意思において殺人を避けえる選択肢を選ぶ余地は一切ない」と言ってるのと同じじゃないですか?
社会・環境により殺人を犯すかどうかが決定するのであれば「個人を罰する意味などない」と言いたいのでしょうか?
だが「その殺人を避けえる選択肢があった」にも拘わらず、避けなかったことについて犯罪者を非難し、死刑を課すことはおかしなことではないですよ。
環境要因と本人の資質が複雑に絡み合って、凶悪犯罪は発生すると思うんです。
生育環境、生活環境上の問題、本人の個人的資質、本人を取り巻く対人関係。
どの割合が高いかの問題であって、余程のことがない限り「一要素のみが凶悪犯罪発生の要因になる事」はありえないと思います。
凶悪犯罪を犯した人間と、同じ様な家庭環境に育った人間の多くが同じ様な状況の中でもそんな犯罪を犯さないとすれば、犯罪の原因が環境ではなく本人の判断にあったとせねばならない。
現存する全ての近代法は「 自由意思の存在と環境により自由意思が制限される事実を肯定」した上で成り立っている。 つまり、環境も悪いが犯罪者本人も悪い。
「理解していない所」は「大規模な実証実験」のことだけど、不可能というより不要でしょう。
その理由をもう一度記述しておくよ。↓
「私が行動学を多角的分野から抽出する様に、これから[総合科学]など、垣根を超えた考察が盛んに
なるでしょう。そうしたら、あなたが言うリアリティーもあるかも知れない。」
ちなみに「避けている所」は自身が一番分っていると願う。。。
「理解している所」からは震災時のことや先の大戦が出た。正にその通り。
それともう一つ、自殺が多いことに関連して、もう一度、「なぜ私が[非排他的思考]を提唱するのか」を
以下から考えてほしい。
日本に限らず、社会は様々な問題を抱えている訳で、とりわけ人の人生や対人関係に関わる問題を、
社会的問題ならぬ[社会的病理]とも解釈される。育児や保育、医療や介護、核家族化に伴う過疎化や
少子高齢化、母子家庭に父子家庭、過労や格差問題、そして障害への偏見など。これらいずれかに
直接当て嵌まり、追い込まれている人達がいる訳で、その不満や苦しみの矛先を己に向けるのが自殺
であり、他者に向けるのを殺人とされる。
他者に向ける行為を[身勝手(悪)]とすることは万人が承知していることではあるも、悪を悪だとした処で
それ以上に変わる訳もなく、被害と加害は一如であり、被害者は加害者によってしか起き得ない訳で、
ならば、加害者になる要因である「他者に向ける」不満や苦しみに対して排他的であってはならない。
原則、「冷たい対応よりも温かい対応の方がより良い効果が見られる」という経験則からも、全人類が
聖人君子、博愛主義になれる訳ではないけども、「できる(範囲)だけ」でも被害と加害を減らせるはず。
「減る論理」を正しく理解さえすれば、ご遺族も納得して頂けるでしょう。という考え。
※一部の国や地域では、遺族へのそうした試みがされており、憎悪から解放されている例は、決して
少なくない。
問題の本質って何ですか?
私はkeiさんの主張、論拠、論理について反論等しているだけですが…?
確かに問題の本質がわかりにくい…というか散乱している書き込みでしたので、確かにいまだに「keiさんの言う問題の本質」とは何かわかりません。
でも、私は本質をすでについていると予測します。
なぜなら本質とは「ブログ文中に出てこなければならない」
強いてあげるなら私が指摘していないカスみたいな部分にあったのではないか?と予測できます。
ですので、その「本質」とやらをずば~っとお答えください。
こたえ:「答えられない」(予測)
根拠:廃止派がよく行う「逃避の手法」に酷似するから。
こういった発言をした人の逃避、無視する現在までの確立100%
「本質が見えていないから」話してもしょうがない…
こう逃げたいのではないですかね?
簡単ですよ?
「本質が見えていない相手には本質を指摘して見せてやればよい。」
実に簡単なことです。
もし、keiさんに本質が見えているなら指摘できるはずですし説明は可能なはず…
それが「どちらが正しいかではなく 」「死刑廃止国140ヶ国中、4カ国以外は横ばいか減少」「貧困家庭抑止」「被害者遺族へのケアを徹底」「国際評価」「俺様ルール」
つまり本質はこの中になければならない・・・
違うかな?
わたしは「俺様」=「逃げたい」と思ってそこに今回重点を置いています。
違うなら指摘してください。
散乱してるし、とんでもないところから提示していないものが吹っ飛んできています。
この状態で「本質」と言われましても…
「わかる!」という人主張してくださいな?
その人に説明していただきます。もちろんkeiさんは絶対説明できなくてはならない存在です。
「お前は本質がわからない人間だから」とかもう飽き飽きしています。
そんな使い古しの手口…
福石さんの常とう手段ですね。
一言・・・
「誰もわかりませんよ?keiさんすらわからないんだから…」
1、「どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化だと考えています。」
※射殺はOK「見ざる言わざる聞かざる」の精神・・・
2、「殺人などの凶悪犯罪のほとんどは激情犯で、犯罪者は自分が死刑になるかどうか気になどせずに犯行に及び、計画犯の場合には、自分が捕まらないことを前提に犯罪を犯すので、やはり死刑が抑止力にならないからなんですね。」
「一生牢屋の中で暮らさなければならない終身刑の方が、多くの犯罪者にとって恐怖であり、まだしも犯罪抑止力が高まると思います。」
重無期刑も同じですが「無視」どころか主張が矛盾。
※「激情犯」「気になどせずに犯行」「自分が捕まらないことを前提」であれば重無期刑も同じ…
彼の頭の中では重無期刑であれば、恐怖し抑止力があるらしい。
3、「一生をかけて、受刑者は自分の犯した罪について考え、何らかの償いをしていくべきなのです。」
※「何らか」って何?はっきり言って考えませんよ?死の恐怖もないので。
4、「約47億円(2010年)です。受刑者自身が生み出しているお金は、決して少なくないのです。これからは終身刑囚の生んだ利益を遺族の方々への被害弁償に用い、他方で、刑務所の維持に使うべきでしょう。」
※47億円-2300億円計算できますか?
「使うべき」どころの話ではないはずです。
5、「えん罪事件で死刑を執行すると取り返しがつかない」
※自由刑も取り返しがつかない。無視。
6、「犯罪被害者感情・国民感情で死刑の存否を決めるべきではない」
※自分は感情論(マイノリティーな国民感情)で決めようとしている。俺様の感情は正しい。
7、「マスメディアは凶悪犯罪が起こるたびに売らんかなの思想で大量に報道するものですから」
※冤罪。それが理由ではない可能性も高い。こういう人間が冤罪を引き起こす。
8、「死刑が廃止され、それが当たり前になれば、死刑は必要ないと考える人が日本でも増えるでしょう。」
※増えないかもしれない。「当たり前」なのだから…勝手な決めつけ、こじつけ。
9、「日本政府は度重なる指摘に背を向け、一貫して死刑制度の廃止に向かう世界の流れを無視しつづけているのです。」
※無視はしていない。「抵抗している」
原発がある町は賛成意見が多いが、無視していると思える根性がわかりませんね。「俺様」視点だからです。
10、「死刑ほど残虐な刑罰はない」
※俺様が言う「命の有無」が残虐化残虐でないかのボーダーラインだ!
11、「日本政府および法務大臣は、死刑制度については、存廃や死刑に代わる終身刑や被害弁償など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし」
※「俺様の意見(主観)は正しくはない」というのであれば、議論する必要もない。
12、「その間、政府は死刑の執行を停止すべきであると考えます。」
※悪意の可能性「大」。「俺様」どころの話ではない。
13、「俺様ルールだ」
※…と言いつつ何の根拠も証明も説明すらもない。
これがまさに「俺様ルール」
「俺の言うことは正しいんだ」という何の論理のかけらもない感情論。
番外、「どちらが正しいかではなく (kei)」
正しいと思ってるの?思ってないの?発言がはっきりしない。
※「自分が圧倒的に少数派ではあっても、正しいと思うこと、言うべきことは言わないと」
総じて「根拠」「証拠」が一方的な主観のみ(俺様)で、一部はそれこそ「根拠」も「証拠」のかけらもない「神様」視点と言える。
みな「俺様が正しいと言ったら正しいんだ~い」というレベル
はい。ではkeiさん次。私の「俺様ルール」提示お願いしますね。
ちょっと見やすくまとめ編集中です。
まぁそこで面白いものを見つけましたので…
「議論とは何か?」です。
https://blogs.yahoo.co.jp/ccomori/64553435.html
○ 反論 と 異論 と 言いがかり
反論 と 異論 と 言いがかり は似て非なるものです。 まずターゲットが異なります。 そして、それを受けた後の展開が違ったものになります。
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
「Aである」 という論に対して、
◇ その根拠 を批判して 「Aでない」 (Aであるとは限らない) と言うなら 反論
◇ 別の根拠 を持ち出して 「Aでない」 と言うのは 異論
◇ 批判もせず、根拠も示さず に 「Aでない」 と言うのは 言いがかり
反論であれば 議論 になるが、異論であれば 平行線 。 言いがかりは 消耗 です。
└―――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
反論のターゲットは、相手が挙げた 「根拠」 です。 相手の主張 (意見) に直接向けた方が手っ取り早いと思うかもしれませんが、それでは建設的な議論に発展しないでしょう。
相手が挙げた根拠 を批判して 「Aでない」 (Aであるとは限らない) と言うなら 「反論」 になりますが、別の根拠を持ち出して 「Aでない」 と言ったのではせいぜい 「異論」 (相手の意見とは異なる別の意見) にしかならなくて、批判もせず根拠も示さずに 「Aでない」 と言ったら 「言いがかり」 になってしまいます。
反論であれば 「議論」 になりますが、異論であれば 「平行線」 にしかならなくて、言いがかりは 「消耗」 するだけです。
---------------------------
keiさんは「言いがかり」だということですね。
もし、私の反論の根拠を否定しているものがあればちゃんと上げてくださいね。
「俺様ルールだから」と言われても、どこに反論してるのかわからないので「議論」が成立しません。
あえて議論するなら、keiさんがあげた突拍子もない「俺様ルール」について議論できるのみです。
さぁ、議論をしましょうよ?
わたしがしたという「俺様ルール」って何ですか?どこですか?
「理解していれば説明できるはずです(笑)」
理解せず発言しているなら「感情」でしゃべっているということになる。
違うというなら「夢遊病」「クスリ」「嘘」となる。
同じ感情であれば、犯罪者感情にもとらえられる廃止意見より、被害者感情にとらえられる賛成意見が支持される理由が分かったかと思います…
いや、わかんないな…きっと…
ですので「予測(予言)」でいておきます。
・明確に指摘、説明を避ける
・所以のないレッテルを張る
・無視する
・逃避行動をとる
ではないですかね?
それって「俺様るーる」ですよ?
完璧に否定している箇所もあるのに「参考になりました」って何?
それで終わらそうとしてるのであれば、「死刑問題は23年に決まっています」「keiさんの御意見は大変参考になりましたが・・・」で終わらせてもよいということだよね?
たとえば「ケア」とかしなくて(放置で)よいということになるよね?
(俺様ルール)
それって「逃避」ではないかな?
それを悪用されるとは…(後で説明してます)
常識的に考えますと「7」が最後では?
>どちらが正しいかではなく (kei)
2017-03-30 08:18:17
正しくもないことですでに決定し、たいして問題もないことを覆そうとするのは傲慢ですね。
やめてくださいね。
リスク大きいです。
>以前もコメントしましたが、死刑廃止国140ヶ国中、4カ国以外は横ばいか減少ということは、終身刑でも抑止効果は変わらないか逆に高いことを示しています。
以前もコメントしましたがそれはチェリーピッキングです。
確実にそうなる証拠をお願いします。
そして福石さんも指摘されておりますが、
>国と国を比べて評価する場合は条件ってのがあるのよ。で、存廃提議における比較は非常に複雑で
一般人には無理がある訳よ。
「無理」だそうです。
ご理解ください。
>日本で死刑を廃止することによって被害者の「増加リスク」が増えると思われるデータ的根拠は結局誰も示せていません。なので、国として死刑を廃止して終身刑を導入することを検討することさえしないのは、全くおかしな事と思います。
カナダ、フランスの犯罪増加例があります。
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
http://www.moj.go.jp/content/000081718.pdf
ついでにイギリスも…
http://www.moj.go.jp/content/000096625.pdf
本当に調べたのですかね?
調べてればこういったこと言わないのが普通ですからね。(逆手に取られ反論できなければ終りの悪手)
それは廃止派が検討するに相当する「証拠」などを提示しないことにははじまりませんが、その提示をお願いします。
問題がないことには、ことは流れる習性をもちます。
>死刑制度をしばらく存続させるにしても、
・凶悪事件を発生しやすくする土壌と思われる貧困家庭の増加とと格差の拡大を抑止する。
・被害者遺族へのケアを徹底する。
こういった政策を放置しておきながら、抑止論や被害者遺族の感情論を強調するのも、本末転倒ですし。
は?私はあまり強調していませんと思いましたが?
「抑止力があるから死刑が絶対に正しい」「被害者の気持ちが…」とか?
その類の発言の証拠の提示をお願いいたします。
どちらかといえばkeiさんが言ってるのでは?
誰の発言か確認もせずよく言う・・・
いやいや何言ってるのですか?
keiさんはたしか「決まるまでは停止」意見でしょう?
そうコロコロ意見が変わるので困ります。
それは放置しているわけではないと思いますよ?
わざと放置している証拠がありましたら提示をお願いいたします。
政府はそこまで馬鹿ではないので、
「貧困問題」は犯罪視点だけの問題ではないので尽力しているでしょうし…
「ケア」は宅間守の際から特に強化方向で行ってますが???
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85
本当に調べたのですか?
何をもって「放置」と主張(誇張)しているのでしょう?
>以前のコメントにも書きましたが、死刑制度維持論者も廃止論者も、最終目的は同じだと思うのですが、どちらを選択するかで社会の有り様や価値観や国際評価は大きく変わるでしょうね。
すみません。まだチェックしていません。
すみません。私の最終目的は人をだますこと、世の中を不安定にすることではありません。
「改革」が悪いとは言いません。
しかし現在は「改善」で十分。「改革」を迫られる時ではないので「改悪」になる可能性のほうが高い。
私はどうもあなたとは違うようですね。
>結局はデータや当事者の話や様々なシュミレーションから、どのような社会が好ましいか、という判断をするしか無いのであって、俺様ルールで「どちらが正しいか」を論じている人は問題の本質が見えていないのかなと思いました。
「俺俺ルール」とは何でしょう?
「レッテルはり」という逃避行動ですね。
違うというなら、明確に、コピペやスクショなどで指摘してみてください。
できなければ「理解せずに発言している」となります。
「理解してれば説明が可能である」
↑これ真理に近いのですが、ますはそれを否定してからそういうことは言うべきですよ?
私の発言は、違うのなら訂正してかまわない意見ですから…
しいて例えるなら「俺さまルールで廃止が正しい」と言ってる傲慢な人に「違うよ?」「間違ってるよ?」と教えている感じ…
まぁ、「私が正しいとは限らないので、違ったら訂正してね?」とも言っている感じ…
>だから、その意見が一体誰のものなのか、他の人がどういう意見をしているのか、さえ確認もせずに暴走してしまうのかな。
これもコピペなどでお願いしますね。
「暴走」というレッテルはり…
(ちなみに私もkeiさんに真似てレッテルはりはしていますが、説明、根拠、証拠など常に明記しているはずですが?
できないんですか?
もしかして、どこがどう間違ってるのか理解していない?
>まあ、興味深い実態を垣間見ることが出来ました。
タートルさん、お疲れ様でした。
これで終わりですか???
まぁ一応これ以前のコメントはこれからで、「とりあえず」という感じですが、何も説明がなされず、今まで出てきていないことで言い訳したり…「俺様ルール」という嘘までついている…
(嘘でなければ明示してくださいね。)
これって「悪意」ですよね?
違います?
これをkeiさんの「俺様ルール」で使用しますと、理解できていないから説明もせずに「悪意」での言い訳~逃避行動になるのですね。
↑これ、正しいですか?間違ってますか?
どちらを選んでもおしまいです。
「結論」
廃止意見が正しくないのであればおしまいですね?
「改革」など起こらない…
ということでよろしいでしょうか?
詳細な…なんでしたっけ?「ケア」とか新たな屁理屈を確認してから出直したほうがよいかと思います。
http://www.habatakifukushi.jp/
ここも関係していた(取り組んでいた)と思います。
は~い。こちらもどうぞ?
http://www.npa.go.jp/hanzaihigai/index.html
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2001/syougaku/care.htm
http://www.ncnp.go.jp/nimh/seijin/www/pdf/shiryo_h19.pdf
まぁ、あなた様にはこの言葉を送ります。
「ローマは一日にしてならず。」
明日革新的な成果が出るかもしれませんし、1年後かもしれませんが、頑張っていると思いますよ?
私は改心いたしました(笑)
私は改心いたしました(笑)
私は改心いたしました(笑)
3回くらい言えば理解できますかな?
もともとはあなた様のマネで「暴言」をはいてましたし…
現在、暴言を吐く必要すらない…
もちろん、あなた様の手法はすべて真似する所存にございますので、マネされて困ることはしないこと…
また、してはいけない「ローカルルール」は事前に明記しておくべきですね。
でなければ争点は「裁判(司法の判断)」となり、あなた様が圧倒的に不利となります。
「告知義務」というやつです。
では、よいお返事を期待しています^^
これについて「荒らし」と思うのでしたら、早急に注意したほうがよろしいかと苦言いたします。
あまり暇(keiさんの反論が遅すぎて退屈)ですと、そりゃ、次の目的に進める能力を持つ私としたら当然ですしね。
一応気は使っていたのですが、了解いただけましたらもっとかなり情報量を増やそうかと思っています。(あれでも抑えているんですよ^^廃止派のために…前にナメクジ並みの処理能力しかない廃止派を相手にしてましたので、それが「ものさし」となっております。)
お返事の期限は1週間とします。(次の月曜からということですね)
そのくらい待てば「言い訳」のもならない余裕を与えたこととなりますので…
ちょうど老眼だそうで…
私としたら全然余裕で処理できる容量ですのでまったく構いませんが…
あの~?人類の英知である「老眼鏡」を使用されてはいかがでしょうか?
またその予算がない場合など
http://6901.teacup.com/kanjousinjitu/bbs?
こちらで行ってはいかがでしょう?
ここは文字が大きいですし、自由度が高いです。
現在、小心のあなた様用にIPをわからなくするサービスをいたしております。
また、回答取り消し、変更も自由に可能となっております。
あなた様がお越しになると分かれば、あなた様が恐れる私は投稿は極力しないようにしますし…
ぜひこの機会にどうぞご利用くださいませ!^^
一般人には無理がある訳よ。
国単位で比較する場合、国民性、民族性、宗教観、風土に違いがありますからね。
科学的に死刑の殺人抑止力の検証を行なうとすれば死刑廃止国で急遽死刑制度を復活して国民に徹底的にそれを周知する。
そして、死刑制度復活以前の経済、教育、治安、政治レベルを復活後も同一条件化のもと継続、維持しつつ、死刑制度復活“前後”の数年間のデーターで検証する方法しかないですね。
しかしそんな大規模な実証実験なんて不可能です。
>島国で移民移住が比較的少ないということは、同じ民族性で染まっている訳で、良くも悪くも団結する上で、共通認識も捗りやすく法整備に敏感なゆえ従順でもあり、豊かさと共に犯罪が減った。
災害時における略奪の少なさもその影響ですね。
まぁ日本はこれだけ殺人が少ないんですけど自殺が多いのがね・・・
良くも悪くも日本人が団結するのは先の大戦での一億玉砕をみれば明らかですね。
こちらのIP表示を「表示しない」に変更しました。
私のBBSは荒らしても結構です。
もちろん「回答削除」も「回答修正」もできるようにしております。
遠慮なくお越しください。
それでは質疑応答などに移らせていただきたいと思います。
まず、そちら様のご都合を聞かせてください。
私は基本、一日1回以上の返答を心がけ、用事がある際はできるだけ申告してからお休みさせていただきます。
ただ急に忙しくなった際は、最大2日休みが上限ではないかと予測しております。
「逃げた?」とお思いの場合は上記BBSをチェックしてください。
なお、そちら様は情報統制を行っていますので、投稿は上記BBSに保管しておきます。ご了承ください。
そしてそちら様が私に聞きたいこと、言いたいことなどあればお願いします。
それではよろしくお願いいたします。
…と言ってもまだ過去回答をチェックしていませんのでこれからですが…
見にくい…
この点において異論はございません。
しかし、そのステージに立つにも最低限の実力は必要です。
・現状8:1(:1)
・穴にこもり、賛成派を排除する行動(Fさん、Oさん)
・仲間内で傷をなめあう体質(Oさん、Fさん予測)(今まで100%)
・狩りに出ない(呼んでも来ない。来れる力すらない)
・パラレルワールドに逃げ込む体質
・無視
・循環論法(自分の殻に閉じこもる)
・愚者
・悪意
・無責任(予測)
まだまだありますが…
こういった体質しかなくては谷垣氏が「見直す必要はない」というのに賛成です。
こういった体質を一つ一つ改善していくことが近道…というか私が逆の立場であれば一瞬かもしれませんね。
Fさん、Oさんなど一瞬でざわついて我を忘れている様子…
あの態度を見逃すはずはありません。
いろいろと伏線を張るものです。
Fさんなど、ああいう態度取ったら私がどういう行動をとるか?前から変えていませんから予測できていて当然なのですが???(Fさんにも以前使用しています。散々痛い目に合ってるのに…)
それが「予測能力の欠落」「愚者」たる所以でしょうね。
keiさんが上記排除行動、無視などとった場合、私は次に村野瀬玲奈さん、秋原葉月さんを攻め落す作業に入るとします。(コンタクトできたらですが)
もちろん知恵袋に戻りFさんをしとめる作業も暇を見ていずれ行うでしょう。
(ここでのデータは活用させていただきます。ありがとうございます。)
これは私にしたら当たり前、死刑問題にかかわる当初から設定していた対応ですし…
真意は前に述べたとおりですね。「ちょっとした善意」です。
もし私が廃止派ならそうする…というか未来の廃止派として邪魔…
さて、頑張ってこのステージまで登ってきてください。
私には遥か…遥か下に感じます。
というか私のBBSに来てください。
ここはとても見にくいし、まず、管理者の情報規制という中国並みの権限が生きている時点で「安心してできない(証拠とっていなければごまかされる可能性大)」=「使いにくい」と言えます。
私のBBSは管理者権限は一切使いません。
勝手に消しませんし、ブラックリストも入れません。投稿は即時表示となります。
お約束いたします。
もしIPがばれるのが気になるようでしたら、その設定も代えさせていただきます。
閲覧した人だれにもわからないように設定することも可能です。(IP表示はデフォルトそのままなだけです)
現在決定していることを覆すにはそれなりの力が必要である。
前記で、いろいろ述べてきましたが、そのいずれも「国民の過半数を賛成派にする必要がある」という結論に達すると思います。
はっきり言いまして、「死刑廃止が正しい証拠」は存在しません。
廃止派が「論拠」としている程度のものでは力が弱く(弱いどころか嘘をついてちゃいけませんよ?ひどい人間ですね。)人々は意見を変えないということです。
例:政府は死刑の執行を停止すべきであると考えます。
・これは「愚者中の愚者」か「悪意」のいずれかです。
こんなのを世に発信して、世の人々が受け入れられるか?
答えは「No」です。
では、相当な論拠を持ってきたと仮定しましょう。不可能でしょうが…
とくに日本という国の人間は、大昔から天災などに多く見舞われていたと考えられる視点から、欧米人に比べ、さらに「賢い」というか、「賭けをしない人種」といえるかもしれません。
キリスト教が2%しか布教しない理由の一つでもあります。
人間は最悪な状況になることを優先して動くものである。
はっきり言って「死ぬから」である。
では、その賭けの確率ですが、どのくらいと思いますかね?
死刑を廃止にしたら世の中がよくなる確率、犯罪が減少していく確率、オウムのような凶悪犯罪が起きない確率、光市のような馬鹿が出ない確率…
私はデリケートな問題なので100%近くでなければ意見を変えないと思います。
それで死刑を廃止にしたがためにフランスのようなテロが起こった場合、仏政党マリー・ル・ペン党首のように意見を変えるもの…
自分の家族を殺され意見を変える岡村氏…
このような人間が出てくることをどう思うか?
わたしはこの人らは「変えなければ死ぬことはなかったかも?」という可能性を否定できないから意見が変わったのだと思います。
仮に「80%確実性がある」としましょう。
20%はでかいです。私はこれを払しょくできません。
では、上記を前提として視点を変えますね。
〈シミュレーション〉
①keiさんは何%であれば命を賭けますか?「廃止が絶対に正しい」上記確率です。
②仮に、現状keiさんが全権を持ち死刑を決定できる権限を持ったとします。
死刑を廃止にしたとたん凶悪事件もいいところの史上最悪の犯罪が起こったと想像してみてください。
廃止派は予測能力が欠落していますからね。
よい練習です。
そして次のことを今後心のどこかに必ず止めておいてください。大事なことです。
「君は責任をとれるのか?」「{死刑を廃止すること}により、より多くの人の命を奪う結果を招いてしまった時、君は、なんと言って死者や遺族たちに詫びるつもりだ?」
これは{ }内を「政府は死刑の執行を停止すべき」にすり替えれば、より現実味が出るだろう…
人に勧めている時点で責任は出る。
もし、責任を取る気がないのであればこういった無責任なことをいうこと(死刑廃止)はおやめください。
そして、もし、「責任が取れる」というのであればどう償うのか教えてください。
(よく考えてください。「罠」張りました。卑怯者(悪意)の場合大変な目にあいますね。)
①裁判を起こしたら?
23年から後、訴訟を起こした記録はないと思いますが?
なぜこれだけの長期間何もしないで文句ばかり垂れている?
(※裁判、法的側面1次元)
別な視点から見ます。
②多数決を取りましょう?
現在8:1(:1)です。
現在決議をとるなら死刑存置です。
(※次元追加=2次元、多数論証的側面)
また別の面で見ます。
③団藤重光先生が?
(詐欺の手法:権威を利用する【悪用厳禁!】詐欺師も利用する。人を動かす4つの心理技術より)
同格で賛成派としては「森炎」氏があげられます。
天皇様はかかわらないとしてその次の地位である、日本国首相:安倍晋三氏はどういった見解でしょうかね?
自民党なので死刑賛成かと思われますが?
(3次元的視点=地位、認知度、権威的視点)
---------------------------
④証拠を提出したら?
「できない。」「不可能」
(4次元的視点…というか、ここが一番大事かも?)
証拠とはkeiさんや村野瀬玲奈さんのようなチェリーピッキングをいうものではありません。
例:廃止派の証拠:A(Aは事実だから正しい。)
「フランスのデータ」
賛成派の証拠はB「カナダのデータ」とすると、もう「詰み」。「効果相殺」となります。
AとBのどちらが正しいか判断できる証拠があるなら既に提出できているはずである。
できないからチェリーピッキングをする…
簡単に崩せる…
故にパラレルワールドに逃げ込むのだろう…
自分は何をしても許される世界。
敵対者は何をしても許されない世界。
二重基準…二つのルールを持つ並行世界
これをわれわれは「お花畑で町長が飛んでいる世界」と呼んでいます。
証拠:「政府は死刑の執行を停止すべき」
決定しているものをほじくり返し、主張はめちゃくちゃなわがままだらけ…
1つ2~30分くらいで5分~10分のつぎはぎで書いてますので誤字脱字等すみません。
※(ダブスタ)二重規範→二重基準に訂正です。
※パラレルワールド(並行世界、矛盾を平気で成り立たせ、存在可能にする異世界)を訂正、追加補足。
補足
※0次元=神に相当するモノ、何か?
1次元=0次元の何かにすがる、依存するということ
1次元の並列=現状廃止派の多く…
循環論法=2次元(完全なる2次元とは言えない)、並列接合でしかない。
ーーーーーーーーーーーーー
〈「7」について〉
> フランスやイギリスなど、多くの死刑制度廃止国は、当時は死刑存続を望む国民が過半数を占めていましたが、政治主導で死刑廃止を決めています。
>わたしは、日本政府および法務大臣は、死刑制度については、存廃や死刑に代わる終身刑や被害弁償など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を停止すべきであると考えます。
え~と…
はっきり矛盾してますよ?
言ってて気づきませんかね?よほど…だと思います。
〈矛盾点解説〉
(結論)
「より開かれた国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を停止すべき」
・フランスとイギリスをはじめ多くの国々ってそういったことしていましたか?
(前例)
「多くの死刑制度廃止国は、当時は死刑存続を望む国民が過半数を占めていましたが、政治主導で死刑廃止を決めています。」
・あ~どうも違うようですよ?フランスイギリス、多くの国はそんなこと言っていません。
自分で発言してますよ?
いかがでしょう?
これが、1次元的(盲信)からくる矛盾(2次元に見せかけた2次元に満たないパラレルワールド)です。
通常の論理的な思考様式であれば、
①「世界が政府主導で…」なので「日本も国民の意見など聞かず政府主導で…」
②「世界が政府主導で廃止しましたが、日本は(違う道をたどり)国民の議論を尽くし…(停止は別問題)」
とならなければいけません。
文章構成としておかしい。
前例が結論の説明、証明たる条件を全く満たしていない…
〈小学生にもわかるように説明〉
私のよく使用しているものは{起承転結}(省略する部分はありますが)
起 物語の前提を説明し
承 事件が起こり
転 その事件を解決する
結 その結果を書く
「①~~が②~~で③~~だから④~~だ。」
{5W1H}
「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」
1、おっ(見出し)
2、何々(概要)
3、へぇ~(意見)
4、なるほど(証拠)
5、わかった(結論)
今回はより理解しやすい5W1Hで…
1、死刑問題
2、賛成意見と廃止意見がある
3、各々の意見
4、証拠(死刑問題では存在しない。論拠すらない。)
5、正しいかどうかわからないことを決めるには多数決しかない。
これの概念がないと、「7」のような文章を作ることになる…
(まぁ私も意識があるだけで結構「雑」なのですが…私から見ても「超雑」、ひどすぎますね。)
「転」「4」の部分が欠落していて、いきなり「承」「3」から「結」「5」に論理飛躍する…
>「多くの死刑制度廃止国は、当時は死刑存続を望む国民が過半数を占めていましたが、政治主導で死刑廃止を決めています。」
これは「転」「4」ではなく「承」「3」ですね。
>「より開かれた国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を停止すべき」
これは「結」「5」ですね。
しかも「執行停止」はいったいどこの異次元から飛んできたものなのか???疑問が尽きない文章構成となっています。
「前提」が間違っているのか?「結論」が間違っているのか???
判断できない文章となっています。
It's a parallel world !
並行世界ですね…
どこまで行っても交わることはない…
〈政府は死刑の執行を停止すべき〉
どこから飛んできたかわかりませんが、「間違ってるかもしれない。」「わからない危険なことを行ってていいのか?」「はっきり結論が出るまで停止すべき。」ということからだと推測できます。
残念…
世の中が見えていない証拠です。
(予測)
司法が崩壊します。
死刑について結論は出ています。
(証拠)昭和23年、死刑合憲裁判
それについて異論を唱える場合・・・
①裁判を起こしたら?
23年から後、訴訟を起こした記録はないと思いますが?
なぜこれだけの長期間何もしないで文句ばかり垂れている?
(※裁判、法的側面1次元)
別な視点から見ます。
②多数決を取りましょう?
現在8:1(:1)です。
現在決議をとるなら死刑存置です。
(※次元追加=2次元、多数論証的側面)
また別の面で見ます。
③団藤重光先生が?
(詐欺の手法:権威を利用する【悪用厳禁!】詐欺師も利用する。人を動かす4つの心理技術より)
同格で賛成派としては「森炎」氏があげられます。
天皇様はかかわらないとしてその次の地位である、日本国首相:安倍晋三氏はどういった見解でしょうかね?
自民党なので死刑賛成かと思われますが?
(3次元的視点=地位、認知度、権威的視点)
現在死刑は存在しています。
停止するほどの障害がでた場合ならいざ知らず…
現在継続しているものを停止する理由があるのか?といえば「ない」です。
3次元的視点でも=正当な理由がない
「ない」という根拠
・自由刑、罰金刑は正しいのか?証明されていないといえば証明されていない。
「冤罪」「抑止力」などなど…
・道路交通法は?
これらすべて止めるのか?
1㎜考えればわかるはずだが…
★「悪意」もしくは「愚者」のいずれかである。
現在決定していることをほじくり返し、しかも、それをわがままか悪意を理由に「止めろ」と言っている。
結果はいつ出るのか?が予測できているならこういう愚劣なことはいわない。
無計画「具体的に考えていない」もしくは悪意「知っててわざと」という視点)
なぜ「愚者」か?
「無計画である」
では「いつまで」止めるのか?=「はっきりするまで。」と予想できます。
①、②、(③の優劣)ではっきり決まっている。
これに異を唱え「決まっていない」という人間が「はっきり決まる」とは「死刑廃止が決まるまでである」
はっきり言ってとても「卑怯極まりない考え」です。
どす黒い悪意を感じます。
これが予測で来ていて、認知しているなら「わざと」であり、薄汚い「悪意」だといえる。
考えていなければ「愚者」である。
「悪意」を否定しても「愚者」であることには変わりはない。
(3.5次元的視点=説明、証明)
④司法は?
「はっきり決まっていなければ停止」
これを冤罪にたとえてみます。
いうまでもなく「いつまでたってもいかなる裁判も決まらない。」
刑罰が決まっていないのだから…
世の中、無法地帯となる。
「刑罰のない規範など誰も守らない。」
中国が日本の領海を侵犯していることで証明できる。(なめられている)
それどころか人を裁くことが不可能となる。
「司法制度、法治国家の崩壊」である
〈構成的否定〉(おまけ)
例:
理由A、B、C、D…
(結論)
これらの理由から総合的に考え結論はZとなる…
模範例:「A,B,C,DゆえにZだ」
…となるなら話は分かるが、なんでまた、「AだからZである」というのかまったくわからない。
「なんなんだ?」「小学生?」という感想しかない…
〈これらの考察からの結論〉
keiさんは国家を転覆させる気でしょうか?
いや。ほんんとマジ邪魔だから消えてくんないかな?(感想、本音、失礼と感じつつもどうしてものせなければならないと思う。理由=愚者か悪意だから)
あなた方廃止派のわがままを聞くのが、日本のためになるとはとても思えません。
まじめに考えていない(愚者)どころか「悪意」の可能性もかなり高い…
しかし、あえて提案します。
①裁判を起こしてから言いましょう?
70年間何してんの?70年間止めとく気???
②賛成派を廃止意見に変えましょう?
穴倉にこもっていて、そんな稚拙な理論では無理です。
③総理大臣にでもなりなさい?
正しいことをしたければ、力が必要なのは世の常、常識、真理に近い事柄です。
【結論】もっと頑張りましょう。
落第点です。というか「0点」です。(悪意であればマイナス点)
以上
国と国を比べて評価する場合は条件ってのがあるのよ。で、存廃提議における比較は非常に複雑で
一般人には無理がある訳よ。
それにねぇ。「何がどうなる?」って論議の放棄?目に見えなきゃダメな訳?
一旦死刑論議を置いてさぁ。例えば、日本では今と昔と治安も犯罪率も違うよね?なんでだと思う?
いろんな面で豊かになったからでしょ?「これがだけが決め手だ」ってことは無い訳で、色んな要素の
一つ一つが、犯罪抑止を対象とした学術的な数値であったりなかったりするから、総じて見て判る様な
代物ではないだけで、私が行動学を多角的分野から抽出するように、これから[総合科学]など、垣根を
超えた考察が盛んになるでしょう。そうしたら、あなたが言うリアリティーもあるかも知れない。
あとねぇ。廃止派という括りも然り、目障りだのプロパだの、そういう論理の回避発言は慎もうよ。
でね。干渉あって当然なのよ、[社会]だから。ご近所の干渉から町内会然り、地区単位やら県単位が
あるなら国単位だって当然な訳よ。
干渉を極端に解釈せず、また強制されている訳でもなく、提案として受け止めれば良いだけ。
島国で移民移住が比較的少ないということは、同じ民族性で染まっている訳で、良くも悪くも団結する上で、共通認識も捗りやすく法整備に敏感なゆえ従順でもあり、豊かさと共に犯罪が減った。
そういった背景の違いを踏まえず「干渉すべきではない」という論理は成り立たない。
仮に、背景が全く同じであっても「正論かも知れない」という柔軟性というか検討の余地くらいはあっていいんじゃないかな。と思うよ。
これは死刑論議に限らない各行動論理から当て嵌められるし実証済みだよ。
寛容化政策の代表国ノルウェーは死刑廃止国の中でも10万人当たりの殺人発生件数が低い国だが、2010年0.6で2009年の日本0.4より殺人が多い。
そもそも年に数件しか死刑を執行しない日本が死刑を廃止したところ何がどうなるんですか?
廃止したところで殺人発生率が目に見えて下がるわけでもないのに。
廃止派は廃止国よりも殺人発生率が低い日本の存在が目障りなんじゃないですか。
死刑存置に対する欧州の干渉などは、自国の国益を考えた上でのプロパガンダ。
廃止国が軒並み日本の殺人発生率を下回ってから死刑廃止と叫ぶ必要ありです。
まだ言うとる・・・めんどくさ。。。「原則」って検索して見なさい^^;
1. 「特別な場合は別として」という意味が含まれているんだから、一々「例外はある」なんて加える必要は
2. 無いのよ。もし加えたら「例外があることくらいわーとるわい!」って指摘されちゃうよ^^
3. この辺は素直に認めてもいいじゃん。ちょっと過敏に反応したってことで。。。君らはそこら辺の姿勢が
4. 足りていない。。。私なら「あそっか!」と認めて次に進むけどね。提議の本質でもないんだし。。。
文中(ルール?)。誰に反論?しているのか明確にしようね。
それと「犯罪を防いでいる件」。屁理屈に一々返答するのも億劫だけど・・・。
「Aのみではない」というのは、「AはあるけどAのみではない」や「Bもある」と同義なのは解るよね?
それに対して「Bのみではない」というのは屁理屈以下だよ。
それに「終身刑」とか「報復の連鎖」だの私の文章にあったかな?。それに[終身刑]は存置派に対する
妥協案に過ぎない訳で、大方が「無期刑」またはそれ以下を支持していると思うよ。少なくとも私はね。
なのに他人の廃止論を用いたり「廃止派」と括る様では、私に対する論議の回避か放棄とみなすよ。
だって他人の廃止論まで私に責任追わせ様とする意図(すり替え)だから。
ほか、だらだらと綴ってる様だけど整理(解釈)してから反論してくださいな。
君や白狐くんは論議以前の問題なんだよなぁ。。。なんでだろ・・・。
白狐君へ
>略~いるんじゃないでしょうか?~以下全文
だから[ほぼ]としているじゃない。。。ただし、それを論理的に説明できるのかってこと。
つまり、「死の恐れ」ではなく「死刑の恐れ」を裏付ける行動論理を説明できるのかってこと。
「かも知れない」までは私も認めるよ。だけど、その行動論理を私は見つけられないから限りなくゼロに
等しい[ほぼ]としている。
「人を殺してはならない」という原則は、なにも「死刑の恐れ」が無くとも普遍に認識されている。
幼稚園の頃から学ぶ「人が嫌がることをしてはダメ」などの延長上にね。それを「良心(正常)」と言い、
通常は数日間でさえ拘置されるを嫌うのが当然であり、抑止(制御)される行動論理な訳ね。その他、
自分で人を殺すのを想像すると、怖いとか気持ち悪いといった感覚はあるでしょ?人に限らす動物でも
[慣れ]てなきゃ殺せないよね。中には魚ですら「目や内臓が~」って人もいる訳で、この感覚の説明は
省くとして、これも制御される行動論理の一つ。
これらの論理に当て嵌らないのが、衝動性や異常性、または計画的な欲であり、半永久的拘留を想定
した欲とは非合理(矛盾)な行動でしょ。
対して[ほぼ]というのは「刑罰などに対する無垢な認識不足」も否定できない。でもそれって何かしらの
障害(疾患)かも?ということ。
その上で、[ほぼ]という[不安感]を相殺できる手立てが「非排他思考という全体責任」、すなわち個々の
「自己責任」とも、誰かが主張している「感情自己責任」とも言える。説明は長くなるので一旦省くけど、
つまり、[ほぼ]による殺人が数件あったとしても[非排他思考]による効果は数件以上あるという論理。
これは死刑論議に限らない各行動論理から当て嵌められるし実証済みだよ。
余談だけど、君が招いたお友達のせいでスクロールが面倒よ。。。
しかも老眼の私には背景がチラチラして読み辛いのよねぇ。。。
知恵袋においでよ^^ お二人ともIDあるでしょ。無理にとは言わないけどさ。。。
〈仮説:思考様式から見る「錯覚」の考察〉
これは「次元」「GPS (ナビ)システム」で説明できるかと思います。
元最高裁判事を経験した森炎氏も「廃止派の思考は一面的」と指摘しています。https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E5%88%91%E8%82%AF%E5%AE%9A%E8%AB%96-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A3%AE-%E7%82%8E/dp/4480068139
私が考えるに…
0次元:点 (方向がない世界)
1次元:線 (上下だけの世界)
2次元:面 (上下と前後だけの世界)
3次元:立体 (上下と前後と左右のある我々の住む世界)
4次元:3次元に時間を+(上下と前後と左右と、もう一つの方向がある世界)
パラレルワールド:平衡世界(俗にいうお花畑)
通常、廃止派の賛成派と出会う前の次元は2次元以下だと思われます。
大体が「賛成意見~錯覚してる~マスコミの悪影響」
というように、「自分の言うことが絶対正しい」という「1次元的視点」で論理を作成ようとする。
1次元でも下手な鉄砲でいろいろな廃止根拠を述べられる。(GPS衛星を1つ捕捉状態)
次に他の文献などを調べ組み合わせる。これを「2次元的視点」とする。(GPS2つ補足状態=平面地図での表記が可能)
いちおう「面という形ができたことに安心」し、思考を止める。
この状態は「スーパーマリオ」「漫画」に相当する文字通りの「二次元~~」であるといえる。
しかし、賛成派の思考、意見は「3次元的視点」を持つために、二次元嫁…いや。、2次元理論は通じなくなる。(賛成派=GPS3つ補足状態=平面表記に加え、高低差表記が可能となる。)
2次元的地図で山道を選ぶととんでもないこととなるのと同じ…
2次元表記では高低差という概念がないため、AとBというルートがある場合、Aのほうが距離数(道のり、直線ではない)が近くても、実際3Dの高低差を入れた場合、Bが逆転する可能性もある。
つまり、2次元地図=ルートAが最短に見えるが、3次元的地図(ナビ)でみると、Bが最短である可能性がある。
そしてそれをより広域地図に移行していくと、曲がりくねる道すら直線に見える(1次元的)。
情報が少なすぎて起こる「錯覚」である。
①直線距離は?(1次元的)
②ルート距離は?(2次元的)
③高低差は?(3次元的)
④時間的には?(4次元的、時間で選択可能)
これで廃止派が「ルートAが最短だ!」というのに対し賛成派が「いや、Bだよ?」「だって高低差があるじゃん?」というと「高低差という概念がない」ために、廃止派は「パラレルワールドに逃げ込む」という行動に走る。
「パラレルワールド」とは具体的に「BL,逃避、無視、循環論法(エンドレス)」があげられる。
一例をあげますと…ある廃止派に「ほかの廃止派に『ぶっ殺すぞ!』と脅されました。」と言ったら「『ぶっ殺すぞ!』というのは「表現の自由」と言い訳しました。
面白いと思った私はいろいろ質問しました。
「包丁を突き付け『ぶっ殺すぞ!』と言った。としたらそれは表現の自由?」
答えは「表現の自由」だそうで、理由は「刺していないから」だそうです。
また別の方の追求質問に、「騒音でないから」とも発言していました。
「ではその根拠は?」と聞きましたところ…
「自分が書き面べたブログに書いてあるから」と笑える答えを言ってきました。
また、「え?普通につかまるけど?」との質問には「捕まる」「捕まえられれば」だそうです。
それ以降BLに入れられ、別IDで聞き続けましたが、40個以上BLに入れられた後、賛成派全員BLで完全に締め出されました。
ちなみにその方も廃止派Fさんも自分が行った悪行(暴言)を理由に責めてきています。
次元1*自分は何をしてもOK
次元2*他人は自分と同じ行為をしたらNG
これを俗に「ダブルスタンダード(二重規範)」といいます。
「次元1」と「次元2」では規範が異なる「パラレルワールド(平衡世界、異世界、お花畑)」ということですね。
また、相手が「対人論証」という二次元的論点相違の虚偽を行うので、こちらも「個人攻撃(この場合対人論証とは異なると理解してください)」という一時限的攻撃をした場合、相手(私)は「対人論証だ!」と責め、「自分はしていない、それに触れていない」ととぼける…
ということからも「パラレルワールド」といえる。
何かが3本ばかり足りないのだろう…
まぁ失礼な発言はお互いさまということじゃないかと思いますが、気になったら言って下さい。
反論できたらします。
まぁ、賛成派としても「犯罪は徐々に減っている」これは大前提としてもまったく構わないかと思います。
ただし、「現実」を「錯覚」というのはいささか異論があります。
犯罪者の思考様式のような「一面的思考様式」が招いた錯覚でしょうね…
仮に1920年当時から2017年現在まで犯罪が減少していくのに反比例し、マスコミの報道力が増加し、人々が凶悪犯罪が増えたと感じていたとします。
しかし、「犯罪は減少傾向になったから(その時点で)死刑は廃止になるか?」
といえば違いますね。
1920年当時はマスメディアもTVは日本にない時代です。
1950年代といえどTVを持っている人間は極々少ない。放送局すら59年にNHKがやっとできたほど…
まぁこの状態から今と同じ凶悪犯罪があったとしても、知らない人々のほうが多いと思います。
知らないので「死刑はなくてもよい」と考えていたとしてもそれはおかしくはない…
身につまされないからである。
ラジオ(音声のみ)とTV(映像+音声)では事件の伝わり方が違います。
ましてや、「売らんかな」と争い、「より詳しい詳細を、視聴者に届けよう。」とした結果、例えば1980年代当時よりも2017年現在のほうがマスコミ(TVの数、質+番組の数、質)の質もよくなり、より詳細に伝えることが可能になった…と言えます。
これにより人々はより現実的身近に事件を感じることが可能になってきた(向上してきた)と言えます。
〈凶悪事件の発生件数と報道と民衆の解釈(考え)の関係性〉
(※数値は仮定)
1920・・・・・1980・・・・・2017
凶悪犯罪数:1000・・・・・600・・・・・500
報道による
事件認知数: 2・・・・・400・・・・・500
こう図式化した場合よくわかると思いうのですが、これって「真実が見えてきた」といいませんか?
そして逆に、1920年当時はマスメディアが発達していなかったために、人々に正確にものごとを伝えられなかった。
つまり、マスメディアの未発達によって「凶悪殺人などはあまり起きていなかった」と【錯覚】していた…と言えます。
そして、あえて「凶悪犯罪数により人々の死刑賛成意見は変化する」とkeiさんの前提をもとに考察しますと…
keiさんの主張「凶悪犯罪数:1000・・・・・600・・・・・500」では、かなり無理があるといえます。
なぜなら人間は知らないことはなかなか認識できないから…
皆さん、keiさんやほかのおかしな廃止派とは違い、「Omniscience(全知)」ではないのです。
知ってることにしか(予測を含む)考えを持ちません。
としますと、人々の関心は次の数字がより信ぴょう性が高いものとなりえます。
「報道による事件認知数: 2・・・・・400・・・・・500」
現実の死刑賛成の推移も納得できるのでは?
まぁ、納得できないので「錯覚」としていたのでしょうが、実際は「犯罪数」凝り固まったがために、それを賛成意見の推移と【錯覚】してしまったと思われます。
説明に戻りますが、
いわば1920年当時はマスメディアの未発達により、人々の意識は非常にローカルなものであったと思われます。
例えば「村の中のこと」
1950年代になれば『「村の中」町の中』と意識は広がるかと思われます。(交通網の発達も考える)
1980年代ともなれば、意識は「日本の中」ともなり、どこで凶悪犯罪が起こったかも主知していくようになるかと思われますが…
2017現在は1人1台(もしくは1人数台)TVなどのメディア端末を持つ時代です。(携帯、スマホ、PC)
番組数も情報を得る条件としては2000年代と比較しても、かなり情報を拾える(網にかかる)時代かと思います。
これにより、人々はより正確に情報を手に入れることが可能になった。と言えます。
もし、中国のように情報規制がかかっているのだとしたら話は別ですがその証拠を提示しなければいけません。
ただ、現在危惧するのはインターネットという新しいマスメディア(情報入手ルート)です。
ここにはでたらめな情報もかなり多く、廃止派のブログもその一例です。(根拠:正しくもないことを正しいと論じているブログがほとんど)
確かに、廃止派のブログを信じた人にとっては「錯覚」といってよいかと思います。
(「違う」というなら証拠を出すべきです。)
しかし、一般的なTVなどのマスメディア、良心的なブログ開設者等をいうなら、それは「錯覚」とは言えなくなる。
そもそも人は「治安が悪くなった」と思うのは「より現実が見え、現状把握ができるようになってきた。」と言えます。
〈アナロジー〉
スマホ一般化(というかごく最近だが)前と後の天気予報と傘を持っていくかどうかの意識
一般化前:TVの天気予報は「県内2~4分割」くらいで「午前と午後」の予報(降雨確立)が定期的に配信される。
この状態では結構な人間が「その精度」で傘の持参を考える…
一般化後:スマホ、PCの天気予報は「区」単位のピンポイントで「1時間ごと」「0.1㎜」単位の予報(確立)を常時引き出せるどころか、スマホ表面に表示できる。
この状態で人間は正確に降雨状態を判断できるために、かなりの精度で傘の持参を考える…
さて、どちらがより「正確な判断」ができると思いますか?
これをTVに固執すると【錯覚】します。
聞くまでもない現在の天気予報の精度はすごいです。
使用しているアプリやその人自体の使用能力、情報収集能力にも依存はしますが、フルに活用すると「あ、また当たった。」と驚くような精度です。
私は釣りしたり外で活動することも多いのでびっくりします。
死刑に関しても同じといえます。
より凶悪犯罪を認識~把握できるようになり、正確に物事を判断できる…
あ、マスコミの「売らんかな」も決して悪いものではありませんよ。
たとえば「サービス向上」…これは競争がなければ進化せず「横柄」になります。
世の中ごく一般的な「正常な姿」といえます。
悪くとらえるのは「固執」からの「錯覚」ですね。
まぁ、錯覚している人もいないとも言えませんが、私の認識としたらこんな感じでした。
確かに調べたらいましたね…1人…そう感じている人も…しかし、まぁ、事実、現状を知らなかったと許してください。
また、凶悪の解釈の度合いによっても違いますね。
オウムサリン事件規模、9.11、フランスのテロ事件レベルで線引きしていたなら、確かにいえなくもないし…(わたしもそういう意味でいってたかも?)
現実的には「錯覚」ではなく「把握」ですし、keiさんの「錯覚」の部分が浮き彫りになったかと思いますので…
答え:減少傾向にあると予測できます。
根拠は以下の通り…
アメリカは大量のDNA鑑定誤審問題で現在裁判所が慎重になり死刑の言い渡し件数は減少傾向にあるといいます。
これは日本でも同じかと思います。
keiさんは単に「犯罪が減少している」としていますが、2006までは死刑判決件数が軒並み上がり、そこから減少をたどる理由は上記にあるとも考えられます。
〈冤罪減少〉
これを左右する根拠は「証拠」ですね。
例えば、事件、裁判で同じことをしても「証拠の質、量」次第では「冤罪」の可能性は否めないことから、たとえ判決が下ってもなかなか執行しないことが根拠として挙げられます。
DNA判定=「科学水準の進歩」
と考えましても、これからの未来、冤罪はより少なくなって行くことが理解できますね。
なぜなら、”過去”の「犯罪(逮捕~裁判~刑罰)」を、”今”「冤罪を証明したレベル」が”今”「捕まえた犯人の証拠」となるからです。
”今”の「犯罪」の「冤罪を証明しするレベル」は”未来”の「捕まえた犯人の証拠」となる技術水準だということです。
ゆえに「冤罪」が発覚するたびに「冤罪はなくなっていく」と言えますね。
また、万物の特性で「低レベルなほど格段に技術進歩率が高い…」と言う理から、
”過去”の冤罪証明をするより、”今”の冤罪証明をするほうが格段に難しく、
さらに”今”の冤罪証明をするより、”未来”の冤罪証明をするほうが格段に難しいといえます。
廃止派のために簡単な図式化をしますと…
仮定:その数の倍の数値で冤罪証明できるとする
①1=2で冤罪証明
②2=4で冤罪証明
③4=8で冤罪証明
…
同じものを2を集めるよりも8を集めるほうが大変である
上記の2つの方向性(進歩とその上の段階の進歩の特性)
まぁ、先日に説明した「防犯カメラ」「ドライブレコーダー」など「防犯設備の充実化(進歩と普及)」もその要素ですし、もちろん「人間が穏やかになった」が証明可能であれば、それも冤罪減少の要素の一つです。
犯罪が減りますからね。
ただ、これ(穏やか)の証明(数字化)は難しいんじゃないでしょうか?
警察の誤認逮捕からや、痴漢冤罪など表面化しないことから始まる問題ですので…
まぁ、いずれにしろ犯罪が減れば冤罪は減る傾向にあるといえます。
そうしますと、keiさんがいう「マスコミの過剰な…」も疑わしくなるということです。
証拠の提示もなく、ほかにそう思う根拠の説明もありませんからね。
「本当に犯罪数が増えたのかな?」と思うような内容のニュースも結構ありますし、「確かにくだらない内容の犯罪をワイドショーでいつまでもいつまでも…つぎの大きな犯罪が出るまで引きずる。(誇張)」というのもあります。
(数字の推移変化はほかに理由、原因がある可能性の浮上。keiさんの論理を裏付けるものがない。)
もし「いや。マスコミだけだ」というならそれを証明する必要があるということです。
しないのであれば、Omniscience(全知)という詭弁法に相当します。
廃止派っていつもOmniscience(全知)なのですよね。
だから数字の推移(グラフ)は「マスコミだ」とかいうのです。
その要素もあるかもしれませんが、他も考えてみるべきですし、ほかの要素が浮上した際にどう対処するか?を考えておく必要があるということです。
しかし、廃止派のほとんど全部がOmniscience(全知)だから「いや、マスコミだ」「逃避」で終わるわけですね。(例として使用させていただきましたが、keiさんがそうということではありません)
〈実際の犯罪件数の推移〉
ちょうど犯罪件数の推移について触れましたので、より突っ込んで解説しますが、keiさんの
「4」
マスメディアは凶悪犯罪が起こるたびに売らんかなの思想で大量に報道するものですから、治安が悪くなったような錯覚を抱きますが、この半世紀、全体の犯罪も殺人事件などの凶悪犯罪も減り続けています。
これは詐欺の手口に酷似します。
では実際はどうでしょう?
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h12/h120101.pdf
犯罪総数、凶悪犯罪件数、殺人件数
すべて平成元年から増え続ける傾向にあります。
まぁ、半世紀も前からのグラフをパッと見た人間はだまされるのかもしれませんね。
しかし、このグラフすら提示してないのはなぜ?
あんなにダブる情報のグラフはポンポン載せてるのに?
…と、とりあえずkeiさんレベルでの提示ではいかがでしょうか?(というかそもそも証拠のせてなかったですがね。)
錯覚しませんか?チェリーピッキングって?
危険じゃないでしょうかね?
では私はそのレベルにありたくはないので、詳細な現在までの推移を載せますね。
https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h26-27hanzaizyousei.pdf
これを見ますと元年から上下している犯罪も少なくはないです。
まぁ一応微々たる推移ではあるが減る傾向といってもよいかも?ですね。
しかし、これは「マスコミ」の影響とは考えにくいです。
なぜなら「統計」ではなく「犯罪の質」によりマスコミは一喜一憂しますからね。
例えば、昭和20年当時宅間守や酒鬼薔薇聖斗、オウム真理教のような事件があったかどうか?
確かにマスメディアが発達していない時代、多くの情報を取り扱うことは無理といえますのでわかりません(見えてきません)がね。
しかし、マスメディアの充実により、見えるようになってきたのかもしれません。
考察1:マスメディアがただの殺人をオウム事件のように扱うか?(Noでは?)
考察2:マスメディアがオウム事件のような犯罪がないのに、多く起きている報道をするか?(No)
考察3:マスメディアはオウム事件を報道しないほうが人間がささくれださずに済むと思いますか?
「3」は私は反対です。
知る権利…とは言いませんが、危機管理として報道が参考になります。
ある廃止派が、「オウムサリン事件の被害者はガスマスクをしていなかった落ち度がある」と述べていますが、それが避けられないレベルまで来ているのであれば、身を守るためにガスマスクを探す必要があると思うので、報道はするべきかと思います。
さて?報道はなんのためでしょうかね?
ただ、本当にマスメディアをkeiのいうとおりに考えるのであれば、keiサンはこのブログを閉めるべきといえます。
TVだけがマスメディアではなく、こういったWEBサイトも新しいマスメディアとして認知されているからです。
でなければ、私らはここにきてはいません。
調べてみてください。「インターネットは新しいマスメディア」であるか?
「根拠、証拠のない偏見を売らんかなの思想でにばらまくべきではない…」ということです。
>廃止派は自分の意見が正しいといいたいがために売らんかなの思想で大量にブログ投稿するものですから
あと、これをkeiさんが否定するには「マスメディア=売らんかな」の証明と「keiさん=売らんかな」の否定の証明が必要ですかね?
結構難しいと思います。
効果としては、調べた人に間違った情報を与える危険性がある…
もちろんそれを懸念して私ら賛成派が間違いを指摘しているわけですので、私らは「当たり前」みたいな感じでいます。(もちろんマスコミもニュートラルにみている。ちなみに一番ニュートラルに思えるのはNHKですかね?)
「そう考えるのであれば、騒ぐ(ブログ=自分の偏見の塊)べきではない。」
「チラシの白いところに…」というのはそういうことです。
つながったでしょう?
さらに「マスメディア」=「治安が悪くなった錯覚」
「そう主張するBBSに根拠、証拠が載っていない」ので、それがkeiさんの錯覚でない証拠の提示や、論拠、説明をお願いします。
keiさん並みに言えば「BBS」=「錯覚だ」で終了です。
私は証明等を一切せずに否定完了したことになります。
あまりそういうことをするべきではないのではないですかね?
ま、keiさんが言うことが本当、本心なら早急にブログ消してくださいね。
嘘、ジョーク、詐欺の類なら続けてもしょうがないです。
私が思うに、犯罪者の本質ってそういう性質ですしね…
しょうがないので、とりあえず私らは注意しまくりますか…
前者(数値)に依存するってことは思考停止(考察不要)を意味する訳よ。動画サイトでも言ったよね。
長期の獄中生活は我慢出来るけど、死刑だけは嫌だから殺人しない人もいるんじゃないでしょうか?
逮捕されたとしても「絶対に命だけは奪われない」って考えが最終的に殺人行為を後押しすることだってあるんじゃないでしょうか?
年間数件の死刑執行と年間数百件の無期懲役の執行とを比較した場合、後者は一般国民に対する警告としては弱く、前者は圧倒的にインパクトが強い(報道量の差も大きい)こういった点を考えると、死刑制度について一般予防論的な効果は一定程度あると思いますよ。
「自分の命を差し出さなくてはならないぐらい殺人と言う行為は罪深い」ことを想起させるのが死刑制度。
残虐な殺人が懲役程度の刑罰ならばその程度の罪の認識(固定観念)しか生まれない。
つまり死刑制度は罪の認識(固定観念)を国民の心に根差す効果がある。
犯した罪に見合った刑罰を科すことで国民の行動を自制させ、将来の犯罪を予防するという考え方が大事。
「原則」なんでしょ。
だから「どんな理由があっても人の命を奪わない」って一文を「原則として人の命を奪わないけれど、もちろん例外はある」って書き直すべきですよって、指摘してるんです。
>上記のあなたのオリジナルの理論に倣うと、あなたが支持する、「殺人=死刑」というルールの徹底を実現するのであれば、ます、「戦争で人を殺した兵士はもれなく死刑、犯人を殺した警官は死刑」にしなければなりませんが、何故そうなっていないのでしょう?
>あなたが支持する、「殺人=死刑」というルール
は?
だれがそんなルール支持したの?
私は「人は人を理由次第では殺してもいい」と言っているだけで、「殺人=死刑」なんて一言も言ってない。
勝手に捏造しないように。
私は「正当かつ合法的殺人=無罪」「身勝手で自己中心的な非合法の殺人=死刑を含む刑罰の対象」と主張しているのです。
>刑罰のみが犯罪を防いでいるのか、というと決してそうではないことは理解できましょう。
良心のみが犯罪を防いでいるのか、というと決してそうではないことは理解できましょう。
人間が良心のみで治安を守れるような生物なら、そもそも法律も刑罰も必要ありません。
>悪を悪だと決めつけ排除する行為は慣例からもそう難しくは無い訳で、そういった処罰感情または排他的思考が巡り巡って犯罪を生み出している
終身刑だって犯罪者を一生塀の中へ隔離しておくという意味において、社会からの排他です。
処罰感情が巡り巡って犯罪を生み出している?
廃止論者がよく言う「報復は報復しか生み出さない」っつー、いつ聞いても鼻から練乳噴出すアレですかw
しかし私の知る限り、死刑囚の遺族が訴えた被害者や死刑判決下した裁判官に復讐して危害を加えたなんて事例はありません。
一方、出所後に訴えた被害者や自分に不利になる証言をした証人を逆恨みで襲撃したという事件は枚挙に暇がない。
そもそもアナタ、言ってる事がおかしい。
悪を社会から排除しなくてどうやって治安を維持できるんですか?
悪を悪だと決め付け排除する行為が間違いであるのなら、凶悪犯は凶悪犯のまま社会で野放しにしなくてはなりませんよ。
悪人を教育して更正させるのだって、有害な人間を無害な人物に矯正しているだけの話です。
しかし、更正したかどうかも分からない凶悪犯を再び社会に放ち、再犯しない等という保障は本人自身を含めて誰にも出来ません。
一方、殺してしまえば再犯と脱獄は100%防げます。
どちらの方が犯罪率を下げるか、合理的に考えれば幼稚園児でも分かりますね。
keiさん。
ひょっとしてこれって、だいぶ前に私が書き込んだ
>そもそも、死刑廃止後犯罪率が大幅上昇したという統計データは散見しますが(イギリス、フランス、カナダ、イタリア等)減少したというデータは寡聞にして存じませんね。
せいぜい良くて横ばいか、僅かながらに減少ぐらいです。
っつー発言の事でしょうか?
ならばそれは勘違いというものです。
私は上記4カ国以外は横ばいか、僅かながらに減少しているのだと言っているのではありません。
むしろ上記4カ国は氷山の一角ぐらいに思っています。
因みに横ばいと言ったのはノルウェーの事で、僅かながらに減少と言ったのは、例の田中実と議論した時、実が死刑廃止後の犯罪率減少の例として挙げたアメリカのどこかの州の事です。
そこ以外の事はあまり知りませんが、比較するのなら日本と同じぐらいの生活水準が必要という事でいうのなら、確か韓国も上昇していたと思います。
因みに20世紀初頭に既に死刑を廃止していたという南米はいまや犯罪と麻薬の温床ですね。
これは「死刑廃止によって得られる第一のものは、どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化だ」という、いつ聞いても鼻から牛乳噴出す死刑廃止派の理想論がただの絵空事に過ぎないという証左ではないですか?
第一アナタ
>一生牢屋の中で暮らさなければならない終身刑の方が、多くの犯罪者にとって恐怖であり、まだしも犯罪抑止力が高まると思います。
と、恐ろしい刑罰には抑止力があると自分で認めてるじゃないですか。
恐怖に抑止力があるのなら、拷問刑だって復活させてもいい筈です。
ぶっちゃけ私は北九州一家監禁事件の松永とか、尼崎連続変死事件の角田一家とか、コンクリ殺人の鬼畜外道共とかならファラリスの雄牛で処刑してやってもいいと思っています。(それでもまったくやり足りませんが)
「死刑になりたかったから無差別大量殺人を犯した」
なんて舐めた理由で殺人犯した奴の処刑方法を火刑とかにしとけば、宅間や加藤だって大人しく一人で首でも括ったでしょう。
そんなんじゃ論議すらできないよ。
私の文章では、「上段が死刑に直結した抑止効果」の話しであり、「下段が刑罰以外による抑止効果」
という文章構成になっているはず。
上下ともに関連してはいるが、「当て嵌めて論じている」に対して「証明の有無」ってどうゆうことよ?
しかも単なる無い無い尽くしかね。 数値化って、、、君の考察はそんなものにしか頼れないのか?
いや、数値も大事だよ。けど直接的な数値が無ければ間接的な事象を用いるのが考察でしょうよ。
あのね白狐君。
極端な話し、「証明や証拠」と、「考察や論理(結論)」は別で、前者があれば後者はいらんのよ。
前者(数値)に依存するってことは思考停止(考察不要)を意味する訳よ。動画サイトでも言ったよね。
余談だけどさ、肥溜めみたいな所に留まっていると自分まで腐るぞ。。。フィールドだか何だか知らんが
廃止派はどこでもアウェイなんだよ。だからバカな誹謗中傷はやめな。見ていて無様だからさ。。。
君には文章力も考察力もあると思っているし、嫌いじゃないから言ってるんだよ^^
次は「冤罪」で堂々巡り(循環論法)かと思います。
なぜなら「死刑の方法(のこぎり)ではない」と言っているからです。
もう「循環に差し掛かってるころ」だとの予測です。
では前回は「冤罪」の別な側面として話しましたので、本質に近づいて話していきたいと思います。
これは刑罰すべてに言える問題です。
いわば警察の捜査~逮捕~、メインは司法の判断かと思います。
なぜ警察を入れたかは、昔、冤罪の神様がいたためですね。
己の欲のために「証拠ねつ造」をすれば、司法は「正確な判断は不可能」ということになります。
個人的には神でなければ「冤罪」を言うべきではないと思います。
〈捜査~司法の判断から冤罪を見る〉
①「検挙率100%」、そのうえ冤罪を起こさない「冤罪0」
②「検挙率100%」、そのうえで冤罪は起こす「冤罪は0ではない(黙認)」
③「犯人は捕まえない」「冤罪は0にする」
④「検挙率もそこそこ重視(若干黙認)し、冤罪もそこそこ重視(黙認)する。」
さて、keiさんはこのいずれが良い、現実的かと思いますか?
そりゃ、①が理想であるが現実性がない。無理です。
廃止派の言うのは「理想」であり現実味がない。と一致していますね。無理です。
私は④がよいかと思います。
たしか、現状の冤罪の発生率は全犯罪数の1/10000くらいだったかと思います。
致し方ない数字だと思います。(これから減っていくでしょうけどね)
死刑の場合もっともっと少ない確率かと思います。
痴漢冤罪は面倒ごとが嫌な方は認めてしまうほうが賢いという打算的な特性もありますので…
神ではないのだから、そこら辺が良い線ではないかと思います。
〈だから命が…〉
は循環論法です。たぶん循環の始まりはここ。
取り返しがつかないのは命だけではないのです。
「取り返しがつくと思っている人間」はなんと残虐な思考の持ち主なのでしょう?
〈そもそも〉
「抑止力」をいう人間は、刑を甘くする(減らす)ことを言ってはいけません。
逆もまたしかり…「冤罪(命、取返し)」=刑を減らすことをいう人間は「抑止力」を言ってはいけません。
反比例~矛盾、崩壊します。
ア:人間は神ではないので、完璧を過剰に、急激に、求めるのは間違った行為と言えます。
イ:「人間というのは不完全なもの」を理解し、「それを埋めるべく理想の方向に進む」のが正しいかと…
なので私は”現在”賛成派で、”そのうち”廃止派(賛成派継続もあり)という考えです。
なぜなら、「ア」も人間だから、何かを変えたたことにより、メリットは生まれるが、その何かを変えたことにより、必ずデメリットが生まれるからです。
で?「冤罪、命、取り返し」で死刑を廃止した後に起きるデメリットを教えてください。
まるで予測していないと予測します。
それってナンセンスですよ?
予測できていれば書きますし、知っててデメリットを書かないのは「悪意」ですからね。
何かが変わる場合、ほかの”なにか”も変わります。
それは重大な何かの可能性も大きいわけです。
予測がついていないのだから…
知っていたのなら「わざと隠している」のだから…
「欠陥的な論理」ということです。
なので私はよく言います。
「廃止派は予測能力が欠落している。」「病気かと思うくらい欠落している。」
ですので皆「罠」にかかりますね。
「罠」というとイメージ悪いので、予測からの「誘導」としておきます。
そういった予測能力が欠落している人間は、未来のことを計画してはいけませんよ?
死刑をどうするかなど、政策になどかかわらないほうが良い…意見も言わないほうが良い…
大惨事になります。
〈というか…〉
そもそもも、そもそも、デメリットどころか「6」では、理由の説明~証明すらなされていません。
なぜ「残虐」の線引きが「命」であるか?(死刑の方法ではないとの主張)
目をくりぬくのは残虐でしょう?(変な論理のデメリットをまるで予測していないからこうなる…)
ね?
おかしいでしょう?
考えがないでしょう?
これを正当化(言い訳)するのってかなり難しいですよ?
まぁ、頑張ってください。
〈自由刑は残虐か?〉
例:新潟少女監禁事件をとります。
1990年11月13日に新潟県三条市の路上で誘拐された当時9歳の少女が、2000年1月28日に同県柏崎市の加害者宅で発見されたことにより発覚した誘拐監禁事件。(監禁期間約9年2カ月)
私はこの新潟県三条市に住んでいる友達が2名いますので、その後の詳細についてかなり知っている方かと思います。
もし、事実を照合できる能力があるならしてみてください。
事件の内容については被害者のことも考え触れないようにします。
〈監禁(自由を奪う)という後遺症において…〉
事件発覚当時、思慮に欠ける報道(地方新聞、週刊誌)により、普通の生活を送れなかったと聞いています。
新聞、週刊誌等のマスメディアだけでなく、これをモチーフにした作品も出版され、「隠された事実を知りたい」という欲望からの推測でいろんな噂が飛び交っていたそうです。
たとえば「逃げることはいくらでも可能だったのではないか?」という題材に対し、「私なら逃げるけどね。」という廃止派のような一面的かつ表層的すぎるお花畑論にて「逃げなかったのは実はその女の子も…じゃないの?」という邪推からの悪評も結構流れていました。
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事件を追ったノンフィクション『14階段』著者の窪田順生氏が話す。
「被害少女は同年代とは明らかに違う19歳でした。外出もできずに栄養状態も悪く、足腰も弱っていたそうです。世の中のことはテレビを見て知っていたようで、犯人と競馬の予想をしたり、ときどき議論もしたりしていたそうです。それでも、学習面ではかなり立ち遅れていた」
小学校高学年以降の9年間の教育を取り戻すのは至難の業だが、それ以上に深刻だったのはコミュニケーションの面だった。
「初めて会う人と話ができず、異性に対してずっと警戒心を抱いていたそうです。大人数と会うことも苦手で、人との関わりも親族と幼なじみの女の子などに限られていたといいます」
朝霞の少女は寺内容疑者とともに外出する機会があったといわれるが、心理的な支配下に置かれていたのは新潟の少女と同じ。同様の症状が出る可能性があると指摘するのは、精神科医の姜昌勲氏(きょう こころのクリニック院長)だ。
「思春期の大事な時期に事件を経験しただけに、影響が出るとすれば対人関係でしょう。被害者の性格にもよりますが、異性を過度に拒絶したり、逆に過度に依存的になってしまったりということが考えられます。不眠状態が続いたり、前触れもなくフラッシュバック(再体験現象)が起きたりすることもある。専門家による継続的なケアと家族のサポートが欠かせません。
一番悪いのは、『逃げられたのではないか』『少女も悪い』という世間の声です。そうした悪意ある雑音にさらすべきではありません」
新潟の少女は現在35歳になっているはず。近況は不明だが、「事件から数年後には自動車教習所に通えるくらいに回復したと聞いた」(窪田氏)という。
少女の青春を奪った寺内容疑者の罪は重い。
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これで「補償金もらったのでよかったね?」「取り返しがついたね。」とは決して言えません。
いえるとしたら現実を知らない、知ろうとしない幼稚な考えな人間ということではないかと思います。
これの何が悪いかは、私はkeiさんのように浅い考えで「マスコミが」とは言いません。
酒鬼薔薇聖斗が出所後に出した本はAmazonで1位を取ったことで思ったことは、「信じられない。買う人間が…」です。
そして被害者の遺族は「2度殺された」と表明していたかと思います。
しかし、そういう自分も確かに興味はあります。
事の真相を知りたい欲求は認めます。
しかし、そこから理性で買うことはしませんでした。
鶏が先か?卵が先か?の問題でしかありませんね。
さて?その状況で、「人のうわさも75日だったと思いますかね?」
実際はもっとつらいかと思いますよ?被害者とその親御さん…
最近かもしれませんね。よほど風化して若干穏やかに過ごせるの…
私自体も友人に聞く際に非常にジレンマを思い、かなり慎重に行ったほどです。
当たり前です。五十歩百歩ですから…
さて、その被害者がまともな職について、まともな結婚ができたと思いますかね?
噂程度ですが、「できていない」と私の耳には入っています。
まぁ、酒鬼薔薇聖斗のように、偽名使って結婚していけしゃあしゃあと普通の生活し、印税で儲けまくっている。そういったことを気にしない人間でも、「私刑」には合っています。
情報はダダ漏れですね。
これには同情の余地もありませんが、これは上記監禁事件の被害者にも言えることなので、とても「取り返しがついた。」とは思えませんね。
そして、もしかなりむごい事件の冤罪逮捕者だったとしたら?
私は「同じではないか」と思います。
「冤罪の可能性」それすなわち「有罪の可能性」です。
当事者以外、誰にも真実はわからず、特に「噂」をする人間のレベルではかなり事実とは異なる事態になっているのが「常識」だからです。
もし「思える」としたら、よほどの能天気な人間といえるのではないかと思います。
私の線引き(主観)では、自由刑も「取り返しがつかない」「むごい、残虐」と線を引いておきます。
その後の人生がむごすぎます。
もちろん命があるのでkeiさんは「取り返しがつく。」「残虐ではない。」と線引きしてもそれは悪くないと思います。
※先にも述べましたように私もkeiさんの手法を活用していますのでご了承ください。
〈では、誰もが納得する適正な刑罰とは?〉
そんなものはありません。
では財産刑は?
同じじゃないでしょうかね?
「噂(風評)」ってのは尾ひれがつきますし、現行死刑に相当するものが罰金刑になったら、そりゃあ…
余談ですが面白いこと教えますね。
原発事故の風評の境界線は非常にはっきりしていました。どこだと思いますか?
「福島県の県境」です。
その線から外れた米は売れるが、その線以内の米は買う業者がない…
実に一面的かつ表層的ではありませんか?
それが「噂(風評)」「人間」というものです。
「残虐」等を言えば、境界を作ることになるとは思いませんかね?
所詮は各々の勝手な線引きです。
話を戻しますが、罰金刑は適切?
ある賛成派から教えてもらった「理」からそう感じるので…
・罰金刑は金持ちに優しい刑、貧乏人には厳しい刑です。
・自由刑は貧乏人に優しい刑、金持ちには???(場合によって)の刑です。
・死刑はいかなる人間にも厳しい刑だと思います。(宅間などにも)
ゆえに死刑は「万人に平等な刑である」
まぁ、その通りですね。
罰金刑はかなり穴があります。
自由刑はまぁまぁ穴があります。
死刑は穴がない…
(非常に微々たる確率の冤罪という穴がありますが、そては別問題、全体の問題ですので含まないとする。)
この状態で、次の例を見てみましょう。
例:光市母子殺人事件波と仮定する事件で、罰金刑を課された。
犯罪者は非常にお金持ちで、罰金を支払ってすぐに出てきて、のうのうと暮らしています。
(仮によくある犯人のように遺族に暴言はいたりしたとします)
遺族にはなんとむごい仕打ちであろう…
という国民感情が生まれ、それは次第に反対運動へと発展するでしょう。
逆の意味で。むごいですね。
この点では自由刑でも同じです。
反省もせず、遺族に暴言を吐き続け、禁固刑だけで済み、投獄されてる一生反省もせず、被害者に対し暴言を吐き続ける…
まぁ、むごいですね。
(論点すり替えじゃないので勘違いしませんように)
ちなみに光市母子殺人事件移管しkeiさん個人の量刑、適切と思える刑はいかがなるものですか?
罰金刑>自由刑>死刑の順で国民感情の反感を買います。
つまり、keiさんは自ら国民感情を敵に回しているということです。
ですので光市は出さないべきなんです。
「所詮人間は感情の動物」ということを理解していたなら、こういった間違いは侵さなかったろうし、国民を騙そうとしたことが逆効果になることくらい予測で来ていて当たり前かと思います。
そんなに簡単ではないのですよ?「すべての面において適した刑」っての。
ちなみに、廃止派によく「犯罪者の気持ちになれ!」と言われますが、私は犯罪者気質ではないので、まず、被害者に気持ちが行きます。
そこから思慮の範囲を広げていき、「自分が犯罪者になった場合」を考えますが、別に「死刑廃止にしてくれ」とはとても泣き叫びません。
殺していいんじゃないでしょうか?
まず、事前に告知がありますよね。
【第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。】
私はこれを了解しています。
この法を破ったら死刑になってもしょうがないです。
「死刑になるかも?」と言ってますし…
それが国との「契約」です。
「応報」「教育効果」「抑止効果」として適正だと思います。
もし、これを守りたくない場合は他国で住みます。
日本国にいる場合はこれを守り、もし犯した場合は「仕方がない」と潔く刑を受けようと思っています。(実際その場に立たせられたら?…立たせられないので知りません。)
ここから「犯罪者の気持ち」とは「非常にわがままで幼稚な考え、気持ち」だと思っています。
当たり前です。人を殺しておいて、自分だけ助かろうなんて卑怯者のすることです。
ちなみに私の刑罰に対する希望は「因果応報」です。
現行の量刑より若干重いですね。
ただ「殺したら殺される」「殺されたから殺す」という安易なものではありません。
しかし、基本的に悪意のある者(例:宅間守等)には「命には命をもって償う」のが相当…というか「それしかない」と思います。
なぜなら宅間などは自由刑以下では「後悔~懺悔~反省」などみじんもしない人間なのだから…
もちろん改心する確証があるなら、それもかまいませんが、廃止派犯罪者の犯行自慢、廃止派の卑怯な態度、思考様式など見ていますと、とても”現在は”そうは思えません。
故に「廃止派がいなくなったら廃止にしてもよいかも?」と言っています。
…ということから「犯罪者の気持ちなどわかりません。」「まったくわかりません。」「死刑になれよ?(潔く裁判で正直に話せよ)」と思います。
たぶん、この「言い逃れ体質」が「犯罪者の気持ち」なのだと思います。
(正直で嘘のないものであれば、言い逃れも結構。それが当たり前。)
※もちろん被害者の感情で刑罰を判断するわけではないのが常識です。
しかし、先日説明したように、若干の関係(因果関係、国民感情)はあります。
つまり、いくら国民が馬鹿でも、感情的であったとしても、その国民を納得させられなければどうにもならないということです。
「正解がない…」それが死刑問題ですね。
子供なのはあなたです。
主観、失礼ですが、私はkeiさんは、こと「残虐」について全く理解していないどころか、考えたことがないのではないかと思います。
〈残虐の定義とは〉
ざん‐ぎゃく【残虐/惨虐】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[名・形動]人や生き物に対してする行為のむごたらしいこと。また、そのさま。「―な行為」
むご・い【▽惨い/▽酷い】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[形][文]むご・し[ク]
1 見るにたえないほど痛ましい。残酷である。「―・い死に方」
2 思いやりがない。無慈悲である。「―・い言葉」
[派生]むごさ[名]
※別にこの辞書でも生死のみではないと思います。
〈出題:以下の行為を残虐と思いますか?〉
(人間)
①人を殺す(死)
②手足を切り落とす(生)
③目をえぐる(生)
④爪をはぐ(生)
…
まだまだありますがこのくらいにしておきます。
keiさんの線引きは①が残虐、②以下が残虐ではないとなります。
「違う」というなら「嘘つき」となります。
残虐の説明は「生死」のみでしたし、注意書きは「死刑執行の方法(のこぎり等)」しかなかったですから…
②③④…はすべて殺しません。keiさんの条件からすべて外れます。
私はすべて「残虐」だと思います。
まだまだこんな揚げ足取りでは終わらせません。
〈出題2:以下の行為を残虐と思いますか?〉
①人間に電気ショック(強)を与える(生)
②豚を食肉にするために殺す(死)
③魚を鮮度を維持するために〆る(死)
④ゴキブリがいたので殺す(死)
⑤風邪をひくと悪い、食中毒になると悪いので殺菌する(死)
keiさんの答えはすべて「残虐ではない」ではないでしょうか?
文章には書かれてはいませんが、人間以外…「哀願対象以外はすべて無視」と文章内容から思えるからです。
※「自分勝手な線引き」を他人に押し付けようとしている
因みに私にも線引きはあります。
私は釣りをした際、持ち帰る魚はすべて〆ます。
それ以外は逃がします。
魚を解体しても「残虐」だとは思いません。
②を見た時はさすがに「ちょっと残酷だな」と思いました。
魚より人間に近いからと、普段見ないから最初は…ということです。
そのうち慣れるでしょう。大義名分もありますし…
勿論、ゴキブリは殺します。殺菌もしまくります。
ではここで「定義」について見直しましょう。
「人や生き物に対してする行為のむごたらしいこと」
ゴキブリも菌類も「生き物」です。「殺しています」
つまり、keiさんの定義で行きますと、keiさんは「生きてるだけで残虐」と言えます。
ゆえに「なぜ早急に命を絶たないのか不思議」と言っています。
早く消えたほうが理想的ですよ?
この消えない理由をこじつけますと「人間じゃないから」となります。
はい、ではこれを理由とし、「出題1」を見直しますと、残虐刑もkeiさんは認めるということになります。
「人間の生死」ですから…
私らは「残虐刑」の増設も厭いません。死刑に代わる抑止力となるでしょうからね。
それなら死刑を廃止にしてもよいかと思います。(多数の承認を得られれば)
なに、私らは廃止派と違い残虐刑になどなりません。
もし、身内、友達がその刑に処されるとしても異論はありません。そいつが悪いのだから…
ちょうど、「命」もあることですし「冤罪」でも取り返しがつきますしね?
たとえば、「手足を切る」であれば義手、義足、と保証金で釣り合う考えとなります。
また「延々と電気ショックの刑」であれば保証金のみでよいでしょう。
私は酷く「残虐な考え」だと思いますがね?
私はとりあえずは反対しますね。(矛盾はしません。反対しますが、決議には従える内容、死刑をはるかに上回る残虐性=抑止力となるから)
〈残虐とは?〉
よくわかっていないと思うのですが、人間は大義名分のもとに残虐を残虐と感じない特性を持ちます。
簡単なのが「戦争」
そして、有名な実験がありますが、ご存知ですか?
高尚な大義名分のもとに上記、残虐と思える強烈な電気ショックを与える実験。
ショックを与えられる人間は演技でもだえ苦しむそうです。(もちろん被験者は知らない)
(詳細)
一人は進行役の教授。
一人は学習者(間違ったら罰を受ける犠牲者)
一人は罰を与える施行者で、この人の行動が実験対象になります。
学習者は電気イスの様なものに縛りつけられ、手首には電極が取り付けられました。
執行者には15ボルトから450ボルトまで30段階に電圧を変えられる電圧発生器が手渡されました。
罰を与える執行者は、年齢20歳から50歳のあらゆる社会階層から選ばれた1000人を超える志願者たちで、「記憶と学習に関する科学的研究」に参加しようと新聞広告に魅せられて集まってきた人たちです。
教授が問題を出し、学習者が答えを誤るごとに、執行者は一段ずつ電圧を上げていく様に教授から指示されます。
電圧ショックを与えられた学習者は75ボルトで軽い不平、そして電圧の上昇とともに悲痛の色合いは濃くなり、150ボルトでは、「ここから出してくれ、もう実験なんか受けない。もうこれ以上するな」
315ボルトで犠牲者は激しい悲鳴をあげ、330ボルトではもう何も言えなくなりました。
しかし、教授は答えがないときは誤答と取扱い、ショックのレベルを増加させる様に執行者に指示し続けました。
そして最高値は450ボルトまであります。
さて?
被験者がこの残虐行為を行う確率って知ってますか?
1000人の執行者のうち、教授の命令に従い極限の450ボルトまで押した人は何%いたと思いますか?
【99%】です。
残虐ではないですかね?
自分が1%である自信はありますかね?
私はないですね。
これに倣い、私もある実験を死刑廃止派に良くしております。
「不正、不当な(むごたらしい)排除行動を行うか?」
いや、実に簡単です。
普通に論破してればよく、相手の攻撃してきた論理、手法を逆手に取って返すだけです。
これでBLにしたり、無視しまくったり、話を逸らしたり、循環論法で殻にこもったり…のむごたらしい排斥行動で話し合いにならない確率を知ってますか?
実に100%です。
例:廃止派Fさんは「暴言」をはきまくっていましたので、私も「暴言」を吐きまくっていました。
けっか:いきなりBLでその後いやがらせ回答がすごかったです。(リクエスト質問してからBLに入れ、回答できなくしたり…回答をつけまわし、いやがらせ回答を書いたり…)
ある意味「残虐(むごたらしい)」ですね。
正当な理由はありませんよね?
盗んだものを盗み返されたので、警察に泣きつくようなものです。
これは「自分が間違っていることを認めたくない犯罪者心理(行動の正当化)」だと思います。
凶悪犯罪者が目撃者も殺す心理と同じですね。
これ、軒並み殺しまくりますよ?不利な証言が上がらないように…
BLを別IDなどで回避しても即入れられるのでわかります。
因みに、BLにした人間が、正当な理由も説明できなくBLに入れまくる可能性も100%です。
ゆえに私は「廃止派(ごく少数のまともな方は除く)は犯罪者の気質を持つ」とよく言っています。
それはこのデータに基づいて主張しています。
まだ「1%」の人間は現れないのでkeiさんに非常に期待していますが…
話がそれましたので戻しますね。
〈では死刑は?〉
非常に大きな大義名分がありますので、かなり多くの人が「残虐」とは感じずに「死刑にしろ」というと予測できます。
これは現行廃止派の多くもソレに含まれます。
つまり、現在は考えが甘く、現実が見えていない(極端な例を言うと、光市母子殺人事件の犯人とおなじ)と言えます。
(証拠)
元日弁連副会長の岡村勲弁護士(七一)の自宅で、夫人の真苗さん=当時(六三)=が訪れた男に殺された。
犯人(六六)は山一証券との株取引で損をし、そのうらみから同証券での交渉相手だった岡村弁護士宅を訪ね、応対に出た夫人を用意したナイフで刺し殺した。
岡村弁護士は犯罪の被害者になって初めて「司法と被害者の距離を実感した」という。
男が捕まって裁判にかけられても、その言い逃れに被害者の岡村弁護士は一言も反論できず、「じっと唇をかんで」黙っているだけだった。「なぜ、ここまで被害者が捨て置かれるのか」
やっと法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えた。被害者としては当然の思いだった。
判決の日。 検察側は死刑を求刑、岡村さんも、当然死刑を望んでいた。 しかし、判決は無期懲役。 納得のいかない判決だった。
そして東京地裁で判決が下された。「主文、被告人を無期懲役に処す」
感想:それが人間の本性です。早く現実を見ましょう?
岡村さんの行動が悪いとは言いません。それが本性ですから…
ただ、それに気づこうとせず、考えようとはせず、【事】を無視し、BLに入れてきた「ツケ」がまわったことは実に愚かであり、「獣に劣る」と言えます。
岡村さんの様に勘違いしてはいけません。
人間の本性(悪い)は獣にはるかに劣るものです。
〈勝手な線引き〉
「勝手な線引き」=「主観でしかない」ということがわかりましたでしょうか?
このようにかなり説明できる私でも「主観」と認めています。
勿論「客観」と言えるほどの説明~証明は可能です。
賛成派=「主観」+「客観」
廃止派=「主観」のみ
ということです。
さて理解できましたでしょうか?
> 日本国憲法第36条は
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
と規定していますが、人の命を奪う究極の刑罰である死刑が、残虐な刑罰にあたるのは論を待たないでしょう。これを死刑執行の方法により区別する(のこぎりで切るのはだめ)というような説は詭弁にすぎません。
この短い文章によくこれだけ矛盾と詭弁を詰め込んだかと感心します。
最初にざっと読んだ際に、一瞬思考が停止して「はぁ??????????????」となってしまうほどです。
まぁ、詭弁と定義するならすんなり理解できました。
では分解解説していきます。
〈文章構成〉
この項目のポイントは唯一といってよいほど「残虐」に尽きると思います。
①死刑が、残虐な刑罰にあたる
②「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と規定していますが
②はこれの説明、裏解けとして利用しているのだと思いますが、死刑が残虐である説明、証明ではありません。
死刑が残虐であった場合”絶対禁止されている”(※ポイント)
この点と解釈においてに異論はありません。
では残虐である説明(論理)を探してみましょう…
③人の命を奪う究極の刑罰
はて?これはかなり強引な論理ですね。(のちに説明します)
④死刑執行の方法により区別する
これは賛成派の反論に対し防御線を張ったものと考えられますが、またこれの説明も雑ですね。
(のこぎりで切るのはだめ)
総評:
とにかく雑です。
詭弁の特徴ですね。(なぜ詭弁かは後程)
なぜ残虐なのか?という説明が③④程度しかない…
ここで直接「残虐」を説明する前に、keiさんの詐欺まがいの手法(ネームバリュー詐欺)を逆手に取り、残虐を一切説明せずに論破してみようかと思います。
なぜ残虐を説明できるのに、説明せずに他の事柄(36条など)を持ってくるのか?
それは私感では「悪意」もしくは「実は理解していないので説明が不可能だから」のいずれかしかないと思います。
ですので、keiさんにならい、ちょっとした悪意で説明しますね。(理解していないとしたら間抜けであるから)
〈keiさんの論理で考える〉
前提:「命を奪う刑」「のこぎり」
・法律家なら誰でも知っている刑法学の泰斗、団藤重光先生は、この前提を理解していて”あえて”残虐な刑を科した「とても残忍な人」なんですね。
とても軽蔑します。
・光市母子殺人事件の被害者遺族の本村さんは、この前提を知ってて犯人に死刑を望んでいたんですね。
「とても残忍な人」なんですね。
なぜなら「人の命を奪う究極の刑罰」を科した(判断した)り、望んだりしていますので。
(※のこぎりは使用していません)
そんな残忍な人の意見を出すべきではないですよ?
※安易にネームバリューに頼ったがために、相手に逆に利用されるほど馬鹿なものはない…
※詐欺の手法一例
権威を利用する
人は、肩書のある職業や有名人の言うことを、盲目的に信じてしまう傾向にあります。
病院で診察を受けるときにも、医者の言うことが間違っていると思う人は少ないでしょう。
テレビなどでも、芸能人が商品を紹介するだけで、バカ売れしてしまうといったことがよくありますよね。
このように、人は権威性に弱いわけです。
※本村さんのことを起用するのは「Argumentum ad Populum(感情での揺さぶり、情に訴える。理屈ではなくもっぱら「感情」に訴えかけて、相手の心を揺さぶろうとすること。
)」という詭弁法を用いたものです。
本村さんは死刑を望んでいますし。(善いか悪いかには触れていない)
〈そもそも〉
重無期刑のほうが抑止力があるのではなかったのですかね?
矛盾します。
「残忍」ゆえに恐怖する。(嫌がる)と仮定しますと、死刑=残忍、重無期刑=残忍ではない(そもそもこの定義自体がおかしいのですが置いといて)とするなら、死刑の方が抑止力があるといえます。
〈日本国憲法第36条〉
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
はて?今まで死刑が行われてきたかと思いますが、死刑を行って逮捕、処罰等された公務員っていますか?
いるなら「~~事件の~~官」等出来るだけ信ぴょう性が高い例を出してください。
そもそもで悪いのですが、「死刑という法律(刑罰)が間違っている」というのに「根拠は法律です。(法律は正しい)」というのも間抜けな話である。
例:「日本の法律は間違っている」
根拠は日本の法律が正しいからである。
※「Composition(合成の誤謬)」という詭弁法でしょうか…
まぁ、この衝突につきましては、はるか昔の昭和23年に決着がついています。
その後誰も「公務員が逮捕されました。」等はないはずです。
また、誰もこの裁判をひっくり返そうと行動した人間はいないと思います。
ここで一言「がんばれ?」
「36条が正しいので死刑は間違いだ」というなら、法律家なら特にアクションを起こさなければならない事を熟知していてよいはず…
「法律家」でしょう?
ですが今まで実行に移してはいませんよね?
勿論こんな貧弱極まりない主張(例:死刑は残虐。後説明なし)では行動を起こせるわけはありません。
そして実際行動を起こしていた場合は真っ先きにここに書き連ねますからね。
感想:
自分の考えが法律、23年当時の司法の判断に勝るというなら早く行動したらいかがでしょう?
何もかもが雑すぎますね。
★今後、本村さんをいいようにダシに使われないように、ここで本村さんの気持ち(私の感想、主観)を述べておきますね。
光市母子殺人事件の犯人は判決時、私にはとても反省しているようには思えませんでした。
keiさんは反省していたと思いますか?
これに対し、私なら「死刑でしか反省(改心とは違う)させることは不可能だな」と考えます。
犯人は判決前も判決後も現実が見えずに「粋がっている状態(幼稚)」とみます。
「もう【死】という現実をつきつけるしか反省,後悔させることは不可能である。(幼稚であっても後悔する)」
これが本村さんの気持、願いであったと思っています。
(もしこの理屈が理解できない場合、「教誨師」という本をお読みになられることをおすすめします。)
ゆえに「3名の冥福を祈りたい」ですね。
違いますかね?
もし重無期刑で十分に反省させられる根拠、証拠があるなら述べられてください。
「重無期刑は残虐だから犯人も根を上げる。」とか?
自由刑は残虐ではないので根をあげません。
「人権」とは犯罪者にとっては楽でしょうね…(どちらかと言えば死刑の方がより残虐ですよ。これははっきり認めはしますが、お得意のチェリーピッキングやストローマンに利用しないでくださいね。もちろんその際は指摘できますので善意で言っています。)
日本で死刑を廃止することによって被害者の「増加リスク」が増えると思われるデータ的根拠は結局誰も示せていません。なので、国として死刑を廃止して終身刑を導入することを検討することさえしないのは、全くおかしな事と思います。
死刑制度をしばらく存続させるにしても、
・凶悪事件を発生しやすくする土壌と思われる貧困家庭の増加とと格差の拡大を抑止する。
・被害者遺族へのケアを徹底する。
こういった政策を放置しておきながら、抑止論や被害者遺族の感情論を強調するのも、本末転倒ですし。
以前のコメントにも書きましたが、死刑制度維持論者も廃止論者も、最終目的は同じだと思うのですが、どちらを選択するかで社会の有り様や価値観や国際評価は大きく変わるでしょうね。
結局はデータや当事者の話や様々なシュミレーションから、どのような社会が好ましいか、という判断をするしか無いのであって、俺様ルールで「どちらが正しいか」を論じている人は問題の本質が見えていないのかなと思いました。
だから、その意見が一体誰のものなのか、他の人がどういう意見をしているのか、さえ確認もせずに暴走してしまうのかな。
まあ、興味深い実態を垣間見ることが出来ました。
タートルさん、お疲れ様でした。
あなたは田中実のように「死刑に殺人抑止力は100%無い」と思ってるんですか?
それとも「死刑と懲役刑双方に殺人抑止力はあるが統計的有意差は無い」と思ってるんですか?
>国内外問わず実証された事象を当て嵌めたりして論じている訳よ。
死刑特有の抑止力が無い証明などされていない。
抑止力はどんな機械でも、計測はおろか有無の観測すらできない。
これは死刑の殺人抑止力以外の抑止力にも言える。
抑止力の証明は厳密に数値として掲示不可能。
「抑止力を現状確認する術がない、だから抑止力はない」と結論するべきではない。
「合理的選択による殺人」
この辺は以前も説明済み。。。単に「納得できない」というあなたの心理以外の何物でもない。
君やAlfedくんの様に死刑特有の抑止効果に期待する考えは「死刑の恐れ」と「死の恐れ」を混同した
ままの前提で考察されている。また先日もAlfredくんに述べた通り、思考と行動が伴わないこともある
のは自身の経験則から解るはず。四の五の言う前に根本から考察してみましょう。
「希望的観測」
あのね。ここで詳細を記述していないだけであって、また学術的対象になっているか否かではなくて、
今ここで論議している訳よ。心理学・脳科学・社会学・経済学など各分野には各行動学があって、その
内容から共通部分を抽出したり、国内外問わず実証された事象を当て嵌めたりして論じている訳よ。
リアリティーなんてものにしか自分の思考を働かせられないのは、経済学でいう処の[現状維持偏重]。
既存の理論や概念に依存した考察も同じ。。。私の文章の肝に触れない君の文章は反論に値しない。
あと、文末はどうでもいい。否定も肯定もしない。好きに解釈してくれ。
対〇論は愚の骨頂。それに気付くか否かは君次第だね。
でもまぁ、くだらない者同士BBSで好きに書き連ねることに徹して下され。ガス抜きも大事だからね。
hhさんへ
>意見を変えるつもりなどない
私の態度(文章)に「変えてほしい」旨が表現されていますか?
感情が「定めの下支え」ではあるものの、それを度外視される方にとっては「蔑視ならぬ別視ですよ」と説明したまで。子供でなければそれくらいの理解(解釈)は頂きたい。
だから何? としか言いようがないです。
言ったでしょう?
何を言われようと意見を変えるつもりなどない、と。
後悔しますよ?
なぜ、アムネスティーと言っているのに決定的な証拠を出さないか?
以下でわかると思います。
「私なら決定的証拠を出すがな?」というので以前に調べておきました。
〈「アムネスティー世界人権宣言」を分解する〉
第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
コメント:
自由を侵害して良いのですか?
第2条
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
コメント:
ここ大事です。
ここでも「自由」が出てきますが、自由を侵害してよいのですか?
第3条
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
コメント:
またまた出てきました。
自由を侵害してよいのですか?
第4条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
コメント:
「47億円」でしたっけ?
奴隷ですか?
第5条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
コメント:
これは現在の刑罰には触れていません。
第6条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
コメント:
法の下において、つまり【公共の福祉に反しない限り】
ここに注意です。
第7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
コメント:
アムネスティー教を崇拝するなら「中国がなんたら」という差別発言はしないほうが良いですよ。
(しばらく刑罰に触れないので飛ばします)
第17条
すべて人は、単独で又は他の者と共同して財産を所有する権利を有する。
何人も、ほしいままに自己の財産を奪われることはない。
コメント:
はい。罰金刑廃止です。
それがアムネスティー教の教義です。
第21条
すべての人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。
すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。
人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行われなければならない。
コメント:
死刑廃止主張で立候補してください。
国民の1割はkeiさんに票を入れるでしょう。
第23条
すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。
すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。
勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利を有する。
コメント:
アムネスティー教で死刑を廃止にするとしたら勤労、職業の自由も「自由刑」、己の利益「財産刑」に触れますね。
正解は【公共の福祉に反しない限り】です。
第27条
すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。
コメント:
これも触れますね。
自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を「自由刑」は侵害します。
第28条
すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。
コメント:
刑罰にからめるとしたら無理です。
なにふざけたこと言ってるのか?
刑罰に絡めないなら賛同です。
第29条
すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当たっては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。
コメント:
はい。よく読んでください。
以上です。
すべて刑罰に絡めないのであれば異論はございませんが、刑罰にからめる(死刑を廃止する理由とする)なら異論を唱えます。
誰でもわかりそうなことですが、読んでいないことがよくわかります。
もっとまじめになってから死刑廃止と言ってください。
そもそもアムネスティーが矛盾した人権保護を訴えていることは述べたと思います。
>誤審によって死刑が適用された場合に取り返しがつかないこと
先日亡くなられた死刑囚は取り返しがつくのでしょうか?
名張ぶどう酒事件の死刑囚もなくなりましたが、無期刑で取り返しがつくのでしょうか?
アムネスティーの言う「人権」とは「生命」だけなんですか?
だとしたら愚かな団体ですね。
>死刑による犯罪抑止の確証がないことなどを指摘しています。
自由刑、罰金刑の抑止力の証拠の提示をお願いします。わからなければアムネスティーに問いただすべきです。
確認お願いします。
>人権感覚
たぶん、アムネスティーやフランスなどは人権感覚がおかしいのだと思います。
「命」のみで、満足する証拠どころか説明すらない…
説明できないということは「感情」でものを言って「理由を『人権』にこじつけているに過ぎない」ということです。
「マイノリティーであるkeiさんの意見は間違っていない」というのであれば「死刑を認めている日本は正しい」です。
「マイノリティーである日本の意見がが間違ってる」というのであれば「keiさんの意見は間違っている」と言えます。
「中国人は考えに劣るので中国の意見は認めない」というなら差別思想です。
「人権で死刑廃止」「抑止力で死刑廃止」というのはやめたほうが良いです。
「人権で自由刑廃止」「抑止力で罰金刑廃止」となるからです。
説明~証明できないのだから…
人権、抑止力が何たるかも理解していない人間が、こじつけているだけと思われます。
私もアムネスティーの人権宣言は読みましたが、それは別に否定できるところではありません。
しかし、こと「死刑」の話になると矛盾しまくる…
〈前提ともいえる全文引用〉
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>人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における※【自由】、正義及び平和の基礎であるので、
自由なんだよね?強制しようとしてるの?
2011年12月には国連総会で死刑の執行停止を求める決議が採択されました。
1989年の国連総会で「死刑廃止を目指す、自由権第2選択議定書」(死刑廃止条約)が採択されました
これって日本はこの決定に従わなければならないの?
それとも日本はアムネスティーか国連の支配下に置かれたのでしょうか?
>人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
中国を差別した人間に「人類の良心」「野蛮行為」って…
確かに廃止派ってやることが野蛮ですよね?
ドンピシャで合致します。
あまり差別しないでくださいね?
そういった正義をやたらと振り回す人って、自分の愛護対象以外を平気で蹂躙しますからね…無自覚なのがまた質が悪い…
>人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、{法の支配によって人権を保護することが肝要}であるので、
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「人権」って知ってます?{ }内読めます?
もともと王政政治や独裁体制への「抵抗」として生まれたものであるからである
生命・自由・幸福追求権や法の下の平等(などなど)
弱いものを守るために生まれたものである。
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近代的な人権保障の歴史は1215年のイギリスのマグナ・カルタ(大憲章)にまで遡る[9]。マグナ・カルタはもともと封建貴族たちの要求に屈して国王ジョンがなした譲歩の約束文書にすぎず、それ自体は近代的な意味での人権宣言ではない[9]。しかし、エドワード・コーク卿がこれに近代的な解釈を施して「既得権の尊重」「代表なければ課税なし」「抵抗権」といった原理の根拠として援用したことから、マグナ・カルタは近代的人権宣言の古典としての意味を持つようになった[9]。マグナ・カルタは、1628年の権利請願、1679年の人身保護法、1689年の権利章典などとともに人権保障の象徴として広く思想的な影響を有し続けている[10]。
また、16世紀の宗教改革を経て徐々に達成された信教の自由の確立はやがて近世における人間精神の解放への一里塚となった[11]。中世ヨーロッパでは、人々は国家の公認した宗教以外のいかなる宗教の信仰も許されず、公認宗教を信仰しない者は異端者として処罰されたり、差別的な扱いを受けることが普通であった[11]。このような恣意的な制度に対して立ち上がった人々の戦いは、単に信教の自由の確立にとどまらず、近代における人間の精神の自由への自覚を生みだす役割を果たすこととなった[11]。
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はい、よく読んでくださいね。(wikiの人権~人権思想の歴史)
日本のえた、なども同じですね。
FOXさんの主張はこれです。人権思想の歴史…フランスの中世の状態から生み出された…
これを「感情論」で死刑になすりつけただけですね。
決して死刑を正当化できる代物ではない…
そういえば知恵袋の別の廃止派Sさんは、私のことを「中学校程度の歴史を知らない人間だ」と言って無視しだしましたね…
いまだに何を知らないのか教えない…
きっと説明できない=理解できていないのでしょうね…
まぁ歴史は大事ですよ。
これに騙される人間(国連加盟国の多く)て…なんでしょうね?
「法の下の平等」
はい。人権、法律を守って平等に死刑でよいですね。
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日本国憲法 第13条(にほんこくけんぽう だい13じょう)は、日本国憲法第3章にある条文の1つであり、個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉 ... 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、【公共の福祉に反しない限り】、立法その他の国政の上で、最大の尊重を ...
---------------------------
ぜひ、弁護士さんに聞いてください。
「法律」と「人権」を衝突させたらどちらが強いか?
そうすると死刑合憲事件の判決文につながる…(調べてくださいね【 】内の言葉がカギですよ)
もうワンパターンですからね。
そこで、他の廃止派のためにこれを掘り下げて追加説明いたします。
〈理解力=説明力〉
まず、「理解していれば説明可能である。」これはかなり真理に近いことでよろしいでしょうか?
違うのであれば具体的に「違い(差)」を説明してください。
「それは違う」「間違ってる」というのも「理解=説明」と同じです。
例を挙げますと、「10㎝の直線を引きなさい」といった出題があったとします。
①Aさんはその出題にそぐうように線を引きました。
②そこへBさんがAさんの引いた線をみて「違う、間違っている。」と指摘しました。
③Aさんは当然どこが?と聞きます。
④Bさんは「わからない。」とは言えないはずですよね?
Bさんの模範返答例:「10.1㎝である」「9.9㎝である」「10,01㎝」等指摘する責任がある。
このように「違う」「間違ってる」という人間は、その「差」がわかっていて初めて「違う」「間違ってる」と言えます。
そう、私がkeiさんの主張が間違いであることを認識しているように…
ちなみにAさんが「いや、合ってるんじゃないか?」というのはその「差」が認識できないからです。
では、そいうった言い合いになった場合どうするか?
廃止派はよく、「お前が悪い(お前の理解力がない)」「異常者だ」といいますね。ワンパターンです。
しかし、この「(差を)説明してください」といっても「言ってもわからない」「わかる頭がない」と逃げるのが常套手段です。
では、これを「理解=説明」に当てはめますと逆転しますよね?
①Aさんは「それでよい」と思ってるから「差は見えない=差を理解していない=説明できない」でよいです。
しかし
②Bさんは「間違い(差がある)」と言ってるのだから「その差は見えている=差を理解している=差を説明できる」となるのが当たり前の常識であり、これを「お前が悪い」「お前の能力が低い」というのは「差が見えていないから」=「理解していないから」説明できないと言えます。
私がいくらでも説明できるのが理解している証拠。
廃止派(Fさん)が「お前が悪い」と逃げるのが理解していない証拠ですね。
ちなみにもう一段階説明可能です。認識~理解してますからね。
廃止派がよく使う”逃げ”の「理解力がない」…これの対は「説明力が…」です。
仮に私が理解力がないのだとしたら、このように説明はできないし、説明力がなく「お前が悪い」「理解できる頭がないから」と言い訳して説明できない廃止派は「理解していない」「理解力がないからお前が悪い」都いう…ことが証明できますね。
また「異常者だ」「障害者だ」について考えましょう。
上記「10㎝」の争いについて、今回は逆に「いや、合ってる」というのを廃止派とし、「違う、間違ってる」を賛成派と仮定します。
これがkeiさんの論理を否定するシミュレーションケースとなります。
①keiさんは死刑廃止論をブログに乗せています。
これを「10㎝を書いた」とします。
②我々賛成派は「いや、違う。間違ってる。」と指摘しています。
③「keiさんは当然「どこが違うのですか?」と聞かなければなりません。
なぜならそこで、「違い」=「差」も表に出さず、「ハイ間違いです。」と認めることは「異常」とも言えますからね。
④で、聞かれた場合…というかすでにその工程は省略して、私はその「差」は指摘していますよね?
これを「10,1cmだ」とします。
⑤ここで多くの廃止派は「お前が悪い」「理解力がない」「異常者だ」「障害者だ」(ゆえに説明しても意味がない)とします。ワンパターンです。
(※後に出てくる私の「異常者」の指摘につながる)
⑥もちろんkeiさんは反論する場合「いや。9.9㎝だ」もしくは「10,01㎝だ」と私の指摘より、より精度の高い指摘を返さなければいけません。
しかし、「⑤の行動」や「⑥ができない」ことは上記AさんBさん争いのように「認識できているか?」「理解しているか?」の証拠となります。
できるのであれば最初からしているからです。
自分の対峙する人間が「頭の悪い人間」と理解していれば、当然私のようにかなり掘り下げて説明しなければならないことくらい認識~理解していてよいからです。
これを理解していないで書いている時点で結果は見えています。
話を戻します。
Aさんが「10㎝」と「10,1cm」の差が認識できないように、廃止派も「10㎝(持論)」と「10,1cm(持論の否定)」が認識できていないから「言い訳」しかできなく「強引なレッテル張り」という悪意を表に出すのです。
つまり、廃止派の認識レベルを例えるなら「1cm単位」で「0.1㎝の単位」は認識できない。となります。
そうですねぇ…有能な自分には見えないものが見える…「自分への盲信」ここから「異常者」というのかもしれませんね。
では、ことの是非を問う「裁判」に置き換えてみましょう。
片や廃止派は「わからない」「認識できない」「反論できない」
私は「0,1cm」どころか「0,01cm(もっとカモ?)」までおも認識~説明できる。
しかも第三者が見える(認識)できるようにすら可能です。
これで裁判ではどちらが勝つと思いますかね?
圧倒的に私の方が有利ですよね。
それなのに、「異常者だ」などと言うのは、廃止派が「自分は賛成派より有能であり、その有能な俺様が下した『死刑廃止意見』は絶対的に正しい。」と妄信しているからであると言えます。
ちなみに私はその工程、結果を見て「異常者だ」「障害者だ」とは言います。客観的視点+上記認識~説明~証明からです。「認識=説明できない」「でも正しい」が通用したら司法は崩壊します。
例:裁判で「なぜだかわからないけど正しい。」といってそれが採用~決定されるとしたら、誰でも犯罪者となりえますし、誰でも無罪となりえます。
法治国家の崩壊ですね。
いかに廃止派が理解力がなく、異常な考えであるかが理解できましたでしょうか?
そこのFさんなんて相当です。
いきなりBLですからね…
そしてBLの理由が「暴言を吐いてたから」です。自分が一番ひどかったのに…
つまり、Fさんお得意極まりない「暴言大会(暴言能力)」ですら私に完敗したということです。
そして、暴言を吐くのは「自分が暴言に弱いから相手も弱いだろう」という自己投影からです。
これの証明をもしてしまいました…
もちろんkeiさんのことを主に指摘したわけではないのですが、その愚劣な廃止派に賛同する意見なのであればkeiさんも「異常」「愚劣」と言わざるを得ません。
(正当な理由もないのに「異常者」というのは異常であり愚劣)
申し訳ない、ここに参加している廃止派のFさんレベルに合わせますと事前説明が長くなりますので困ったものですね。
〈本題〉
「なんで市長選や村長選が関係あるんだ(論点すり替えだ!)」
関係あるも何も、「どこで決めるものなのか?」です。
もし「死刑」が世界統一で決定する事柄であるなら、世界のマジョリティー「sikeihaisi」で決定してもよいと思いますよ。
それは素晴らしいことです。
戦争はなくなりますね。
射殺が横行するのは気に入りませんが、「戦争がない」これに代わるものはないと私は思います。
是非、何千年かかっても「世界征服…」いや、「統一」頑張ってください。
でもね?現実を直視しましょう?
村長は村の中で決めるものであり、県知事や、中央政権が勝手に決めてよいものではありません。(地方の条例があるのと同じです)
民主主義の否定となります。
死刑は「国単位」で決めるものです。
もし「村単位」で決めるものであれば、国内の多数論証など無意味となります。
「村の多数決(投票等)」で決めるべきです。
それと同じです。
「国単位」で決めるものは、「世界」を持ち出しても意味がありません。
もちろん独裁政権に近いのならわかりませんが…
現在、全ての国々が「民主主義」でしょうかね?
そこが認識できていればそういった間違いは犯さないのですがね…
もし「世界」を「正義、証拠」として出したいのであれば、世界統一してください。
そして、世界単位で死刑を決める制度になってから言ってください。フライングしすぎ…論理飛躍しすぎ…=「現状間違ってる」というものです。
また理解できないようであれば、可能な限り説明できますので遠慮なく…
ただ、私は神ではないのでわからないことはわからないです。
至る行動を、論理的な説明を以って否定するのが筋ってもの。
自身が論理的であるとでも思ってる主張ですね(笑)
組織暴力などの犯罪を生業としているケースや、児童に対する営利誘拐殺人、保険金殺人などは「合理的選択理論」の対象になる。
もし万が一逮捕される自体に陥ったとしても「絶対に命だけは奪われる心配は無い」と犯罪者が思考するのは明白。
すなわち死刑制度が存在しないことは「犯罪者の背中を押す動機」になりえる。
>私が多角的な行動学から考察しても「ほぼ」は外せない訳ですが、
その通り。
極端な話、組織暴力、営利誘拐殺人、保険金殺人などの「合理的選択理論」の対象になる凶悪犯罪が死刑制度により「一件でも抑止」できていたとしたら、それは「死刑による抑止力の証明」を意味する。
で、以前にも述べましたが、「死刑になりたくないから犯罪をやめよう」と思い、犯罪に着手しなかった者については統計として表に現れない、数字として出てこない。
>そういった処罰感情または排他的思考が
巡り巡って犯罪を生み出している、という構図(社会的病理)を改善することで犯罪は減らせるのです。
そもそも、廃止派の「廃止後犯罪減少の理論」は「学術的研究対象」にはなっていない、ただの希望的観測。
要は「謙抑化によって人々の心が豊かになる」といった理屈だが、リアリティーが皆無。
「死刑に抑止力が絶対無い」というのは、一部の廃止論者の願望や妄想の類。
それとカメさんがあなたが過去の犯罪を自慢してたと言ってましたが本当ですか?
おっしゃる通り、確かに感情を外した意見は死刑賛否の双方から見られますが、多くは裁判における
考え方(司法の代弁)でして、言わば感情を[蔑視]ならぬ[別視]しているだけなのです。
一方、感情があらゆる「決め事の下支え」であることは誰も否定できないはずです。ただし、感情とは
変化し得る訳ですから「それを基準にするのは難しい」といった結論に至るのです。
つまり、「感情が正しいことを示す場合」があれば「誤りを示す場合」もある訳ですから、時間や距離を
置くことによって冷静に考察することを理性と呼ぶのです。これは当事者(被害者や遺族)にさえ言える
ことでして、憎悪や悲痛はそう容易く消え去るものではないからこそ、時間と拠り処(第三者)の存在が重要なのです。
Foxさんへ
些か文章そのものに違和感がありますが、まぁ言わんとしていることは理解できます。ですがそれは、
抑止効果一点における提議であり、その一点だけで存廃を結論付ける論者はいないでしょう。
あと、あなたの文章にはどこかしら、死刑特有の抑止効果は[ほぼ]無い、という認識がある様に思う。
ただし[ほぼ]ということは「一件でもあれば被害は一人以上になる」と言いたいのでしょう。この辺りの
議論は以前もしたはずですが、未だ納得できないのでしょうか。であれば廃止を機(理由)として殺人に
至る行動を、論理的な説明を以って否定するのが筋ってもの。
まぁ、私が多角的な行動学から考察しても「ほぼ」は外せない訳ですが、一方で、刑罰のみが犯罪を
防いでいるのか、というと決してそうではないことは理解できましょう。人の判断に置いて、悪を悪だと
決めつけ排除する行為は慣例からもそう難しくは無い訳で、そういった処罰感情または排他的思考が
巡り巡って犯罪を生み出している、という構図(社会的病理)を改善することで犯罪は減らせるのです。
この改善(方向性)を試みるには「死刑の存在は矛盾する」訳でして、「方向性を持って廃止する」という
ことは「刑罰に頼らない方法」でもあり、問題の[ほぼ]を相殺するどころか、より良い結果が実証されて
いるのです。
http://www.nbcnews.com/storyline/london-parliament-attack/why-london-won-t-arm-all-police-despite-severe-terror-n737551
「And yet more than 90 percent of the capital's police officers carry out their daily duties without a gun. (いまだ、首都の警察官の90%は、日常の勤務において銃を携帯していない)」とある。
これは「頻繁に」射殺事件が起こっているという情報と齟齬をきたしている気がするが。銃無しで射殺はできないと思う。残りの10%が殺しまくっているということなのか。そういうことが起こりうるのか(疑問)。
その他の記述。
「The Metropolitan Police, which covers most of London, was founded in 1829 on the principle of "policing by consent" rather than by force.(ロンドンのほぼ全域をカバーする警視庁は、強制ではなく『合意による警察活動』の原則に基づき、1829年に創立された)」
ヘルメットやボディーアーマーを装備した警官もいるが、との説明の後にも、
「In most instances, they don't use their weapons(ほとんどの事例で、彼らは武器を使用しない)」とある。
もちろんこれはロンドン限定の記事なので、他の都市ではまた異なるのかも知れないが、ロンドンは現EU内で最大の人口を誇る都市でもある。
どうも年がら年中そこら辺で射殺死体が出ているような感じではない気がするのだが。
どう解釈されるかは皆様にお任せし、今回は事実を提示するに留める。英語OKの方は後段も読んでください。調査は続行予定。
多数論証においてもう一段階?進んで考えてみましょう(「教えてやる」とはとてもとても言えません)
私の住む地域では「選挙」が面白いことになっています。
争点は「原発賛否」ですね。
〈仮想原発選挙〉
仮にお住まいの県だけに原発がある…としましょう。
そして、そのほかの県、地方、日本中、世界中原発は存在しないと仮定します。
まず、世の中「反原発」がマジョリティーです。
原発賛成はマイノリティーです。
(その他現状と同じとす)
これを前提とします。
実際に選挙を行ったらどうなるか?
県知事から上、は原発反対派が当選します。
これはその立候補者がいかなるものでも当選するといえます。
証拠一例として、私の住む地域は自民党1強の選挙前状態でしたが、告示日一週間前に野党が持ち上げた政治に携わったことのない(衆議院選挙に出るも惨敗)「東大~マサチューセッツ出身の医者(法学部でもない)」が当選したのですが、知名度がないために、地方も含めた駅前の演説では「誰?」とだれも足を止めていなかったが、「反原発」を掲げていたために当選しました。(そのいずれも悪いとは思わない)(※経歴が間違ってたらすみません)
その当選者と対抗であった自民党の有力者の支持率分布が面白い…
原発の30㎞圏内が自民党、その他が反原発の現知事ですね。
では、これをミクロに考えます。
市長選、村長選はどうなると思うか?
これらはすべて私の予測通りになりました。
原発がある市=原発支持派当選
原発がある村=原発熱烈支持派当選
その周囲は?=30㎞圏内は支持派が圧倒的有利(そこまで詳しく調べていませんが、「あそこも?ここも?」です。
30㎞圏外は言うまでもなく絶対的に反原発派です。
では、マクロに考えます。(何事もマクロ、ミクロに考えを及ぼすべしです)
当然、隣接県<地方<全国<近隣国<日本を除く全世界…で反原発もしくは無関心派ということになります。(そもそも「ない」設定ですので)
この状況では原発所在地の市長、村長は超マイノリティーですよね?
ではこの市長選、村長選を全世界の意向…「世界(人間全体の)の意思」とかと勘違いし、「多数論証」で市長を反原発派に差し替えさせたり、または、その選挙自体を無効化してしまいますか?
私は原発所在地の市町および村長は、原発促進派でよいと思います。というかそうでなければ、選挙、民主主義の精神に反します。
これはkeiさんの死刑廃止論の酷似させたシミュレーションケースです。
市内、村内では原発賛成派、歓迎派がマジョリティーです。
県内、日本国内、全世界的に見たら原発賛成派は超マイノリティーです。
それこそ死刑賛否の比率の比ではないくらいですね。
で?この状態でkeiさんならどうします?
私は市長は市内の人間の総意によって選ばれ、市のために働いてもらうべきかと思います。(市内での多数論証)
もちろん、村長も村の人間の総意によって選ばれ、村のために働くべきです。(村内での多数論証)
じゃなきゃ選挙する意味はなくなる…
そう思いませんかね?
もちろん現在も県知事と市町、村長とのすり合わせは頑張っていますよ。
いやみな立派です。
そうすべきです。
だれもkeiさんのような民主主義に反することは言いません。(私の近隣では「誰も」ね)
それはそもそもが「原発」というものはメリットとデメリットが存在するために「善」とも「悪」とも一概には言えない性質を持つためです。
では「死刑」はいかがでしょうかね?
「悪」と断ずるには根拠証拠はいまだ出てこない…
さて、アメリカ大統領選でリコールが成立しましたかね?EU脱退投票でリコール出ましたかね?(何かリコールになる悪事を起こせがわからないですが)
もし出たとしたら民主主義(選挙制度)の崩壊ですよね?
民衆が低能だろうが、白雉だろうが、それが民衆であり民主主義です。
EU参加条件?脱退した国は「悪」なのでしょうかね?
いつの時代の視点なのかわかりませんがそろそろ…ですよ?
その地域のことはその地域の民衆が決めるべきということがわかりましたかね?
わからなければまた別の方法を考えますので…
また廃止派はいつものように「違う、別問題だ」「論点ずらしだ」ということが安易に予測できますので若干深層に潜り、追加説明しておきます。(結構いくらでも可能です)
違うといえば確かに違います。
しかし性質は同じ側面があります。
まず、「実力行使」であること。「排除行動」であること。
もし、仮に、「いかなる犯罪者をも更生できる」とするなら、ブラックリスト(以下BL) も死刑も必要ありません。もちろん重無期刑も同じです。
そしてそのいずれも「排除してしまえば良い」という考えのもとに成り立っている。
決して直接的に「根本をどうにかしよう」というものではない。
〈威嚇について〉
もちろんそのいずれも間接的に「威嚇による抑止」の要素があり、それを利用していると考えられます。
中でも最強が「死刑」であり、最弱が「BL」ですね。
以下のように考えればわかると思います。
①「~~をしたら死刑だぞ!」との威嚇
②「~~をしたら重無期刑だぞ!」との威嚇
③「~~をしたらBLだぞ!」との威嚇
(※~~の犯罪行為はすべて同じものとする)
〈上記威嚇行為についての手順〉
では、よく廃止派が行うBLについて考えます。
実力行使にはいかなる場合にも…といえるほど「告知義務」が存在します。
「告知義務」といいますと、よく「保険?」と茶化されますが、死刑においても死刑合憲裁判の判決文にそれの重要性が記載されています。
手っ取り早く説明しますと「知らなかった」が通用しない手法ですね。
いかなるジャンルの契約においても「告知義務」は存在します。
もし、告知してない場合「知らなかった」と逃げられるどころか、訴えられた場合負ける可能性があるからですね。
では、死刑の手順を見てみましょうか?
「法律とは知らないものが悪い」という特性を強く持つものです。
「事前にちゃんと条文化して告知してある」というのが古代・中世にはない現代国家の常識です。
【刑法 第199条: 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。】
こう告知してあり、「それを知らないとは言わせない」という姿勢をとっています。
これが崩れたら法治社会は崩壊するでしょう。
さて?どう書いてありますかね?
死刑は合憲とされているようですね。
これ(199条)をさらにわかりやすく例えます。
「人を殺したら死刑」
こうであったとします。
この場合、「人を殺す」という罪に対し、国家はいかなる刑罰を科すべきと考えますか?
①死刑
②重無期刑
③無罪放免
①②は抑止目的です。
③はよく廃止派が言う「お花畑で町長が飛んでいる」イメージの「人間感情の柔和」目的です。
実際は、こういったマニュアル社会、デジタル対応にならないように
【人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。】と、「司法の善意」でその時代時代に対応できるように「条文化されている」「ふり幅がある」と考えられます。
〈善意とは?〉
さて?では「善意」とななんでしょう?
答えは「良心」と言えます。
その反義語はもちろん「悪意」ですね。
例えば、「暴言を言っていた相手に暴言を吐きがら攻め立てたらBLに入れた…」
これは善意でしょうかね?正しい行いだといえますかね?
わたしは「悪意」だと思います。
①どちらも暴言を吐いています。
②もとはBLに入れた人間が暴言を吐いています。
③事前告知はありません
④事後告知はない場合が多いのですが、Fさんは「お前が暴言をはいたから」「俺は改心した」(ちなみにその後Fさんはでたらめな否定で私の他者への全く関係ない回答を荒らしまくりました。証拠あり)
③の時点で(…というかすでに①の時点で終わっているのですが、)告知義務を果たしていないので私は「知らなかった」でこのBLという措置について逃れることができますし、「不当」とはっきり言えます。
さらに④の時点で、これは近代法治国家の政策にあるまじき行いであり、古代・中世の悪しき王政国家(独裁国家)の政策と同じ…と言えます。
いかに廃止派の行動が近代国家の政策にそぐわない行動かがわかりますね。
これを廃止派・重無期刑に置き換えて(こじつけて)みましょう。
な~にkeiさんもよくやる詐欺まがいの手法です。お互い様ですよね?
私は廃止派Fさん(名前出せます。)のことを「感情」を目的とし、利用したします。
「近代国家にそぐわない実力行使を行う人間の考えた政策など信用なりませんよね?」
悪意で第三者に訴える場合こうなります。
〈死刑は合憲である〉
まぁ、冗談はこのくらいにし、死刑は合憲であり、その行使する正当性も認められています。(死刑合憲裁判)
「昔の裁判だ!」とでたらめをいう廃止派がいますので説明しておきます。
手っ取り早く言いますと「いつから昔?」「いつから有効で、いつからが無効?」
これを考えてください。一発でわかるのではないですか?
「明確には答えられない」「む、昔っつったら昔だ!」との逆切れ…のいずれか?
まぁ、まだ理解できないことも予測できますので「時」に関しての追加説明です。
国民感情が死刑存置であるために「時代にそぐう」と言えます。
終了です。
ですので、もし、「死刑廃止が正しい」というなら裁判を起こすべきではないか?と進言したします。
合憲裁判は昔といえば昔ではありますが、今読んでも存置派が正しいこと、私が述べるまともな廃止派2名の意見が正しいこと…を廃止派に理解させるに十分たる内容を有します。
もちろん「駄々っ子」な廃止派には通用しませんね。
どんな証拠も事実も通用しないと思われます。
頭の中はもうお花畑いっぱいですから…
裁判の判例の重要性においては弁護士さんに聞いてください。
前例が重要視される傾向は強いです。
そして、私感ながら昔の死刑合憲裁判の判決文は「現在でも十分通用する」と確信しています。
私の存置論、廃止論ともにそれと合致しています。
そもそも現在の状態を見てみましょう?
・賛成派は存置
・廃止派は廃止
で、両者対立しています。
例を挙げますと、keiさんはある問題に対し「Aだ!」と主張し、TBSの長谷川さんは「いいや違う!Bだ!」と主張したとします。(仮ですね)
その場合、どちらが正しいといえますか?
第三者的立場の私としたら「どちらが正しとも言えません」となります。
では、そのまま両者主張を変えない場合はどう決着しますか?
「裁判」ではないでしょうか?
最終的には「司法の判断」をもって、一応の「正しい」「正義」とします。
それが法治国家のあるべき姿…かな?「客観」ともいえます。
それを、そういった常識的(法的)工程を踏まないで、「相手が悪い。」といったところでそれは「主観」でしかない。と言えます。
それを「客観」というような印象、イメージで「正しい」と言ってしまうと、それは「悪意」となります。
それはたとえ長谷川さんが本当は悪い人間であったとしてもね…
これは薬事法、医師法を考えていただけばわかりやすいです。
例の「包丁『ぶっ殺す』=表現の自由だ」の廃止派が、私に対し「治療してやる」と言っていました。
医師法ではその資格を持たない人間が「治療してやる」と相手に言った場合、結構な重い罪となります。
薬事法でも同じです。
その資格を持たない「薬」を「~~に効く」「~~を治す」という表現をしたら、罪となります。
当たり前ですが、「詐欺」ですからね。
その効能を持たない薬(医薬部外品等)」を「薬」と消費者に思わせてしまう詐欺です。
これらは詐欺罪に相当するのかな?
興味あったら弁護士さんに聞いてください。
一言で言って「詐欺」ということです。
ゆえに我々は「廃止が正しい理由」「その証拠」を欲しているというわけです。
廃止派の「詐欺(それと同等の悪意)」が証明できるかもしれませんから…
死刑合憲裁判の判例(判決文の内容)で賛成派の主張は「客観的意見」と言えます。
一応の証拠は判例ですしね。
死刑廃止派の意見は「主観」「感情論」です。
しかし、それではかわいそうなので賛成派も「主観」である「感情論」である…と同じ目線でお話をしています。
極論を言えば「裁判を起こしたら?」と馬鹿にできるというアドバンテージを持っている…と言えますね。
まぁ、そんな悪意はないので同じ目線での「おすすめ」ですね。
でなければ論拠の差が大きすぎです。
〈最後にBL(いきなりの実力行使)についての感想〉
確かに頭に来ますね。
・事前告知がない
・事後告知はでたらめ、嘘
・そもそもが排除行為で「話し合い」自体を奪っている
・その後の廃止はFのいやらしい、汚らしいいやがらせ(証拠出せます)
頭に来させてどうするのでしょう?
その行動は「悪意」か「考えが足りなすぎる」の二択ではないでしょうか?
BLに入れない方がまだ頭に来ません。
これで人が穏やかになるか?は知りませんが、仮にまじめにそう考えるのであれば、BLはやめるべきですね。
「悪意」か「足らず」ですので…
まともな廃止派がとるべき行動とはこういったおかしな廃止派との敵対ということですね。
それは必然ですし、これをしないことは悪事の助長、ほう助行為として解釈しています。
いかがでしょう?
また、マスメディアは凶悪犯罪が起こるたびに売らんかなの思想で大量に報道するものですから、治安が悪くなったような錯覚を抱きますが、この半世紀、全体の犯罪も殺人事件などの凶悪犯罪も減り続けています。
本村さんの意見から何が言いたいのか?
リンクを見てもわかりませんが、死刑賛成に気持ちが傾いた…ということでしょうか?
それであれは良いことです。
私も廃止を考えています。
現行の廃止派(全てではないが圧倒的多数の廃止派)=犯罪者気質の人間がいなくなったらですが…
ちなみにKeiさんは失礼ながら圧倒的多数の方と推測しています。
根拠はその「散乱した主張」「証明できないのに『正しい』と言い張る」です。
まともな廃止派ってまともな主張しますからね。(2人知ってます)
そしてKeiさんのような廃止派に敵対し意見を否定します。
(知恵袋ID 名なら2名ともあげられます。立派な廃止派の方です。お望みとあれば1人呼んでこれますので遠慮なく…)
そういった推測が高い確率、高い水準でで合致しますので…
私が攻める理由はそこにあります。本来殻に篭って守ってればよいだけなんですが…逆ですね。
「まともな廃止派の邪魔するなよ?」
という意味もありますね。
あと気になったのですが、その本村さんのリンク先はkeiさんの主観ですよね?
「本村さん」と「死刑」の関係ははっきりしていません。
誇大広告(誇張)ですか?
まぁそれよりも気になったのはそこでの「実名報道」についてです。
そこでのkeiさんの主観はよくわかりました。「主観」と認識しているなら別に構わないと思います。
1998年に大阪府堺市で発生した「堺通り魔事件」
この高裁判決は、「表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならない」と述べて、憲法の「表現の自由」が実名報道を禁じた少年法第61条に優先すると述べています。 この高裁判決は、憲法第21条の「表現の自由」と個人の尊重を定める憲法第13条の衝突について、慎重に検討し、熟慮された判断を示した優れた判決です。
(京都府が出しているHPから引用)
ちょっと前に相手をしていた廃止派が「相手に包丁を突き付け『ぶっ殺すぞ!』と言う。」というのを「表現の自由」と言っていたので調べていたのが役立ちました。
ちなみにどういったわけか、原告は上告を取りさげています。
現時点では私は上記判断が「正しい」との暫定的判断をしています。
どうというわけではないのですが、「現実はこうですよ?」という例です。
主張内容に戻りますが、
犯罪が減るならじゃあ死刑もなくなっていくので良いじゃないですか?
私の廃止案どおりで非常に良い。
何年かかっても待ってれば廃止になるんじゃないですか?
このままいけばですが…
「どちらも負け」この本村氏の発言を考えるのであるなら、「勝ち負け」もしくは「別の答え」を模索するはず…
前者の「勝敗」であれば…
残虐刑でも設置し、犯罪を撲滅しては?
[勝つ]にはそれしかないですよ。
keiさんやほかの廃止派がよく言う「刑罰をなくしたほうが人間は優しい気持ちになり…」は犯罪者の思考様式からしたら逆効果でしかない情報を得ました。
これはある廃止派(複数)の発言からそういえますし、ブラックリストに入れまくる廃止派の行動(やはり複数)からも言えます。
その〈廃止派①〉は…
現金を強盗、窃盗したらしいです。
それを自慢しています。
そして、「罪悪感はないの?」に対し、「犯行に及んだ際のみ感じた。」
〈廃止派②〉は…
集団婦女暴行(強姦)をしたらしいです。
それを自慢しています。
一見過去の過ちを悔いているように見せかけていますが次の発言をしています。
「その女は次の日、何事もなかったように、派手な服(露出の多いだったかな?)を着て、同じ通り(暴行された通り)を堂々と歩いていた。」
これに関し、正確な発言が知りたい場合は、証人が最近復活してきていますのでお話を聞けますし、探せば確実な発言も挙げられますのでよかったら…
その証人はそいつの話(「その女は次の日…」に)に同情していたので私が直接聞いてやってもよいですよ。
次にブラックリストですが、面白いように廃止派はブラックリストに入れまくります。
私は常に、「ほぼ相手と同じ手法」を用いて廃止派とお話ししていますが…
そこの廃止派Fさんなんて、当初暴言吐きまくりでしたので、私も暴言を吐きまくって対峙していました。
そしたらいきなりBLです。
「私は馬鹿です」と言ってるようなもの…
その後は言い訳だらけのBL祭りです。
人間穏やかになるにはブラックリストなど使わないほうが良いのにね…
ここから考えますと「刑罰をなくしてもね…」「何馬鹿なこと言ってるの?」と考えるのが普通、常識かと…違いますかね?
さて、刑罰の真意は威嚇による抑止です。
もっと威嚇したら?
あ、すみません。それが射殺(おフランス)でしたね。
isも存在してるのに「刑罰なくす」とは呑気ですね。「世界では…有無を言わせず射殺ですか?」
それとも北朝鮮みたいに威嚇しますか?
私の出すコレもそちらのフランスもチェリーピッキングです。
「自分に都合の良い情報のみ提示」
詐欺まがいの手法です。
戦争で…射殺で殺しておいて(賛同して)「いかなる理由でも殺さない」は詐欺かカルトに酷似します。
考えなしに賛同し「殺してるじゃん」「話が違う」とかなりそうですね。
無視するなら、即、犯罪者の気質です。
もっとよく考えましょうよ?
「別の答え」はkeiさんの主張を読んだ限り「難しい(わからない)ですね。」だと思います。
しかし、上記「勝敗」も答えを出していない。「わからない(難しい)」をここに載せて(リンクを張る)何になるのか?
非常に漠然としていますので、よく言えば「イメージ戦略」悪く言えば「詐欺まがいの手法」といえ、そのどちらにしろ「本村さんを利用した~~」と言えます。
そもそも名前がどうのこうのいう方はTBSの長谷川さんも出さないはずなのですが…(長谷川さんがどんな罪を犯したのかは存じませんが…)
自分のエゴに外れるもの(愛玩に漏れるもの)は蹂躙する…
そのことに関し思考、想いは一切ない。
それが多くの廃止派の正体です。
「世界では廃止が多数派」という主張がここでも出ますので重複しますが追加説明です。
世界で軍隊保有国、つまり、「戦争賛成国」が圧倒的多数ですがそれも正しい。
日本を代表する少数国の内情を見てみますが、「金などを出して大国に守ってもらっている。」という現状をどう見るか?
「正義」とするにはちょっと汚い…というか「お花畑前提」かと思いますので、第9条を考えるのもよいのかもしれませんね。
原発保有国(1位アメリカ、2位フランス)が多数ですが原発廃止意見と矛盾しますが?原発賛成なんですか?
随分と自分に都合の良いピッキングですこと…
この多数論証が各箇所で出てくるところ(文章構成)から判断し、「冤罪」「本村さん」も犯罪者がよく使用するチェリーピッキング(どうしても正当化したいという、こじつけがましい言い訳、誇張)と判断できます。
ここで予測できる廃止派の対応は「それは死刑問題じゃない」「論点をずらしている」でしょうね。
ですので再説明いたしますが、私ら賛成派が問いただしていることは
①「廃止意見がなぜ正しいか?」です。
これに対し廃止派(keiさん)は
②「世界が…先進国が…おフランスが…」と主張しています。
ですので、我々賛成派は
③「『世界が…』が正しい理由」を問うています。
④「論点ずらしだ!」
これ(なぜ正しいか?)が【論点】です。
もっとわかりやすくアナロジーを記載しますと…
①1+1=3だ
②だっておねいちゃんが言ってたから正しい。
③そのおねいちゃんが言うことってすべて正しいの?そりゃ「神様」だね?
④・・・・・・(閉口)
「論点ずらしだ!」こそが論点ずらしです。
まだ理解できなければいくらでも、より詳しく説明できますので、お気軽にお申し付けください。
例えば…
「1+1=3だ」論拠は「自分の書き連ねたブログに書いてあるから」
という廃止派がいます。(包丁、ぶっ殺すの方です)
この理論を逆手に取りますと…
まず、事前に「1+1=4」と書いておきます。
次に「1+1=4だ」と主張しその論拠は「自書」とします。
「1+1=3」は簡単に否定できます。
間違った意見であっても確実に否定できます。
実際その廃止はどうしたと思いますか?
閉口~無視の連続~ブラックリスト~40回ブラックリスト~賛成派全員ブラックリスト(現在、自作自演と疑われる「1人で会話」を気持ち悪くしています)という大業を成し遂げてしまいました。
まぁ、廃止派のほとんど全員こういった幼稚な理論でしかない…ということです。
早急に訂正をおすすめします…と言うか全面改修、根本改修が必要と感じますので、急いで否定しています。
あ、私のちょっとした善意ですのでお気遣いなく…
あ~取り返しのつかないことをしてしまいましたね?
もう命はありません。
かわいそうに…
さて次に移ります。
>近代国家の刑罰は古代・中世の仇討とは違います。刑を定め執行するのはあくまで国家です。被害者感情は大切ですが、それだけで国の刑事政策である刑罰論議を決めてしまうことはできないのです。
はい。
その通りです。
というか、何を言っているのでしょう?
古代・中世の仇討ち?
古代・中世=野蛮、国民感情=野蛮という詐欺の誇張 すり替えみたいな手法かな?
汚いな…
仇討ちは「私刑」です。
明治時代に仇討ち禁止令が出されていますし、そもそも国民感情と仇討は違います。
公の部分が犯罪者を処罰するからと禁止したのが仇討ちです。
現在も禁止です。
国民感情(こくみんかんじょう)とは、国家においての一般庶民である国民が、自分の国家や国家の政治家に対して抱いている感情である。 これは国家の上層部が公式に発表している声明とはとは異なった形に国民が抱いているということである。(辞書引用)
「考えること」と「自ら手をかけること」は大きく異なります。
考えただけで法律に触れるのであればいえなくもないですが、未来のドラえもんの時代のお話でしょうかね?
それであるなら合致しますが、現代は法に触れません。
弁護士さんに聞いてみてください。
とんでもない混同をしませんように…
また、認識が甘い感じ、視野が狭い感じを受けますので指摘しておきますね。
現在国民感情で量刑等が決まっているわけではないのですが、非常に遠回しで影響していると考えられます。
①仮にkeiさんが刑罰を決める権限をもち、宅間守をその「世界の先進国の多くが…」などの非常に浅い考えで死刑にしないとします。
↓
②国民感情からかなりかけ離れると、それをマスコミに大きく報道されます。
↓
③国民は怒り、Keiさん本人や政党をもその地位を奪う行動に出るでしょう。
他の党の国会尋問、マスコミの追求にKeiさんは「世界が…」と理由を説明。
それはいつまでも続く「誰も納得しない理由」ですので、Keiさんは心神喪失してしまう…なんてのが頭にすぐ浮かびますが…
まぁ、当たらずとも遠からずという感じすでしょうね。
方向性としてはその方向へ向かい、考えのない行動を取った責任者は「次はない」となり政治家であれば[落選]必死ですね。
そしてその後継者は、その事件の反動、副作用にてKeiさんとは真逆の性質、思想(声明)を持つ政治家が当選する可能性が高くなります。
故に[犯罪をなくす努力をまずしたほうが良い][賛成派を廃止派に…(もっと攻めないと…)]と言っています。
急激な変化は大きな弊害を生みます。
それを緩和させる目的ですね。
8:1より7:2…6:3のほうがショック、反動が少ないのは当たり前ですよね。
つまり現在の状態では「危険」と言うことです。
こうやって考えるのが「予測からの計画」ですね。
本当に変える気かあるのか?
ここから「甘いのでは?」と言っています。
ちなみに、何か勘違いしているように感じますが、Keiさんの意見も感情論であり、国民感情の一部ですが???
そこは理解されていますかね?マイノリティーであるが立派な国民感情の一つです。
よく廃止派は自分の意見だけ絶対的正義と勘違いしている方がいるので…
証拠を出せないのがその証拠です。
どうでしょう?
認識が甘くありませんかね?
さらに、ちなにみこのあと出てくる光市事件を最初から追ってみていた方ならわかると思うのですが、国民感情が裁判に影響していた可能性を否定できないはず…
つまり、Keiさんは本村さんの行動を否定する意見ということになります。
会見で「殺すから釈放しろ」と言うな…とでも言うのでしょうかね?
たしかに「私刑」の宣言ですしね。
「考える」→「発言する」→「行動する(私刑)」
脅迫罪になるのかな?
これも弁護士さんに聞いてくださいね。
犯罪者の手法を逆手に取られますとこうなりますよ。
誇張し、こじつけ、感情を利用する…
現実(自力)とかけ離れた一手はピンチを生みます。
「苦し紛れの一手」「伸びすぎた戦線(旧日本軍の愚かな戦略)」「脆弱な基礎のキャパを超えた高層建築」といえばわかりやすいでしょうか…
物事を構築する基礎ができていないという証明じゃないでしょうかね?
すぐ後に続きます。
もし抑止力が存在した場合に死刑廃止に至れば「死刑よりも残虐に殺害される場合が多いであろう、被害者を生む可能性」を意味する。
抑止力が存在しない場合「凶悪犯罪者が死刑になる」ことを意味する。
しかし、その死は「自らが犯した凶悪犯罪の代償」としての死、よって被害者の死よりも合理性がある。
つまり、死刑を廃止して犯罪者の命を救う代わりに、殺人被害者の「増加リスク」がほんの僅かでも上昇するならば日本がそのリスクを背負う必要性は全くない。
そういう遺書を普段から懐に忍ばせていはいかがですか?
その覚悟があるならば、「死刑廃止が是である」とハッキリ公言していいと思います。
自信がないならば、そのような愚論など吐かないほうがよろしいかと思いますよ。
廃止論者さん達、あなた方は自分の主張にどれ程の覚悟がありますか?
私にはあります。「私の愛する家族を殺した者は、私の命に替えて殺す」と。
あなた達は、己の主張に自分の命を懸けている自信がありますか?
自論にどれ程の覚悟があるかないか、それは文面を見ればすぐ判断できます。
まあ、あなた達のような廃止論者が何を言おうと、どのような理屈を後付けしようと、
私は私の感情で「殺人犯には死を。死刑は存置」
こう決定しましたのでいくら何を言ってもムダですよ。
それが、現在の国民世論なんです。
「感情論はダメ」
このコメント欄でも他の掲示板などでも、
存置派も廃止派もこう言っている人が実に多いですが、
私は、結局感情論なんだと思ってます。死刑存廃論って。
人間は、感情で動く生き物。感情論の何がいけないのかなと。
存置派の主張は結局、感情論だと私は思ってます。
ですが廃止派もの主張も感情論なんですよ。各々が自分の社会経験に基づいて、
起こってしまった取り返しのつかない事件をどう感じるか。どう判断するか。
それが、8:2という圧倒的な国民世論に反映されてるんじゃないんですかね。
感情を全否定して理詰めにしようとする。そんな風潮が私は嫌です。
理屈は必要ですよ? ですがそれは所詮後付けだと私は思っています。
己の感情で決定した結論を、後から理屈で肉付けしているに過ぎない。
感情で「こう」と決めた相手を理詰めで問うて、
相手の意見を曲げさせられると、廃止派の方々は本気で思ってますか?
そんなんじゃ、日本の世論を動かすことなど夢のまた夢だと思いますね。
自分が愛する人間がある日突如残酷に命を奪われる。
そんな犯人を許せますか? 私には無理です。
絶対に犯人は死んでほしい。これは、自分が被害者だとしても同じです。
自分を殺した犯人は死んでほしいですよ。
廃止論を唱える方々は、どこか殺人事件を「他人事」とか思ってるんじゃないんですかね。
廃止派の方々に改めて確認したいのですが、
・自分が愛する人間が殺されても廃止論を唱え続ける自信がありますか?
・自分が殺されても、犯人は死刑にしてほしくない。そう言い切れますか?
知恵袋での経験談です^^;
Alfredさんへ
「どんな理由があっても人の命を奪わない」は原則表現であり、それを前提に内容へと移る訳で、その
内容ではなく原則に対して「絶対ではない」旨の反論は意味が無い(反論ですらない屁理屈)でしょう、と
言っている訳です。子供みたいに茶化す辺りは救い難い。。。
「意思や思想」と「実際に起こす行動」の違いを踏まえて下さい、と言っているのです。
[全員]とか[絶対]といった解釈、または[証拠・証明・ソース]を求めるしかできないあなたの心理には、
反論できる論理や考察力を持ち合わせていない、または「認めたくない」などの[群れの原理(脳科学)]
(タイトル通り)なのです。
あなたが仰る様に、遂行当時には色んな思考もあったでしょう。ですが行動学は、後になってどう供述
したか、あるいは遂行時にどんな思考をしていたか、だけではなく、その時にどういった行動を取るか、
が最も重要であって、何度も言う様に「思考や思想」と「行動(行為)」が必ずしも繋がっていないことを
ご自分の経験則からも理解できませんか?
ちなみにソースは探せばあるでしょうけど私は知りません。私の考察材料はネット以外がほとんど。。。
というか大袈裟だし、テレビ(特にNHK)でも時々見聞きする程度の話しだよ。
あと、「射殺と死刑」ですが、緊急的危機回避と、既に拘束されている死刑の目的が同じだろうか?
論理不要でバカでも分別つく話しだよ。
屁理屈良いそうだから追記しておきますが、この[原則(正当性)]が疑われる、またはその様な事態が
横行しているのであれば、それはそれで問題視すべきでしょうが、死刑の有無とは直接的関係は無く、その国の有り様(社会状況)に過ぎない。
以上、おとなしく例のBBSで遊んでなさい。
さて、お返事を後回しにしてしまい、すいません。
>“どんな理由があっても”人の命を奪わないを実現するのであれば、まず世界中の軍隊を解体しなくてはいけません。警察官は拳銃を持ってはいけません。
あくまでも「原則」ですからね。
上記のあなたのオリジナルの理論に倣うと、あなたが支持する、「殺人=死刑」というルールの徹底を実現するのであれば、ます、「戦争で人を殺した兵士はもれなく死刑、犯人を殺した警官は死刑」にしなければなりませんが、何故そうなっていないのでしょう?
>捕まった後のペナルティを考え、犯行によって得る利益とリスクを天秤にかけて犯行を思い止まる者も大勢いる筈です。
天秤に乗せるものが、「死刑」と「終身刑」では、重さに差が無いことを、死刑廃止国のデータが示しています。
終身刑が罰として緩いと考えるのは、あなたの思い込みです。
君が引用した部分の解釈は正しくない。
「いったいどこの国で認められているのか、いないではないか」という反語的修辞法ではない。確認を求めるただの疑問文だ。また「どこの国」は「EU所属のどこの国」の意味だ。前コメントとのつながりを勝手に断ち切らないでいただきたい。だいたい「認められているかいないか」の話などしていない。「どのように規定」と書いているだろう。ちゃんと読んでもらいたい。
私は「射殺してはいけない」という意見は持っていないし、これまで射殺と死刑の相違に言及したつもりもない。誤解を与えてしまったならば、どこがそのように受け取れたのか具体的にご指摘願いたい。
君の書き込みにより疑問がいくつか出てきた。反語に取られたら混乱を生むので確認するが「疑問」だ。お間違いなきよう。
・なぜMr. HeartmanもFOX氏も日本の例を出すのか(疑問)。いずれ言及の可能性はあるが、今は日本国内の話をしているのではない。EUの話をしていたはずだ。EU内のどこの国かと問うていたら、EUやめますと言い出した英国の例しか出てこない上に外部ソースも示されないので困っているのだ。結局EUのどこの国を対象に考えたらいいのか(疑問)。今のところこちらの判断で調べているが、精度の高い議論を妨げる恐れがあるならば今のうちにお願いする(要請)。
・なぜMr. Heartmanは結論を急ぐのか(疑問)。こちらの意向も確認せずに勝手に方向性を変えた上で結論に突っ走ってもらっては困る。再度確認するが、論述対象にする具体的なEU内の国名と、その国での規定を知りたいと言っている。今は日本の話をしているのではない。
相手の意向を確認することなく自分の解釈のみで論展開されても困る。というかはっきり申し上げて迷惑この上ない。
お互いにいい大人なのだから、「話し合い」をするつもりがあるならば、せめて論じている相手が何を意図しているのか読み取った上で、解釈について確認するくらいのことはして欲しい。コミュニケーションの基本だと思う。
話し合いをするつもりがないようならば、管理人氏にコメント掲載の対応について要望しようと考えている。
よろしくお願いする。
・射殺を容認している
・ほかの刑の冤罪を認めている
・冤罪でなければ死刑に賛成である
・実際廃止派が人をさばく際(断罪する)「冤罪」の概念など消え失せている(嘘である)
まぁ、論理破たんについて別視点(面白いかも)から説明しておきます。
冤罪問題は「刑罰の良しあし」ではなく「司法(人が人を裁くこと)」の問題です。
冤罪にて廃止を主張する方は口をそろえて「どんな事件でも冤罪の可能性は0%ではない」といいませんか?
そうですね。
それ自体は間違ってはいませんが実にナンセンスです。
そうしますと日本の刑罰システムは崩壊します。
痴漢の冤罪はいかがしましょう?
何年も戦い冤罪を勝ち取った人は会社などとっくの昔にクビになっています。
風評、社会信用、地位…
廃止派の方々は「なくしたものはない」もしくは「賠償金もらえるから、よかったじゃない。」というのでしょうかね?
先にも述べました、コーネリウス・ドゥプリーの件も同じです。
「命があるからいくらでもやり直せる」とでもいうのでしょうかね?
次なる予測は「いや、だからせめて死刑だけでも…」ではないでしょうか?
この線引きは自分勝手すぎますね。
「命はかわいそう」
その程度の線引きでしょう?
であるなら私が自分勝手に「いや、自由刑は時間も失われるので自由刑も廃止。」「罰金刑であれば補償金でつり合いが完璧に取れる。」も「正(真理)」となります。
「失った時間はかわいそう」という線引きです。
どうします?自由刑も廃止しますか?
ちなみに罰金刑であろうと失った信用はもどっては来ません。
たとえ、「冤罪」と判決が下ったとして、「100%無実である」と言えないのが「廃止派の冤罪は0%ではない」の副作用だからです。
「有罪である可能性は0%ではない」といったほうが理解できますかね?
「冤罪(無罪)の可能性は0%ではない」=「有罪の可能性は0%ではない」ということです。
同率、一対です。
常識ですよね?
ゆえに「冤罪判決」が下ったとしても周囲の人間は安易には信じないのです。
「信用は取り返すのに時間がかかる」ということを地でいってますね。
また、その事実は結局はまわりまわって司法の判断に影響を与えます。
現在は「疑わしきは罰せず」…
これは「人間は神じゃないから」が前提の司法の特徴ですが、これが崩壊します。
「冤罪(無罪)の可能性は0%ではない」=「有罪の可能性は0%ではない」
廃止派がこう言ってしまっているからですね。
簡単です。
我々が自由刑廃止派を先導します。
な~に現在の死刑廃止派とやることなすことみな同じです。
現死刑廃止派は反論できません。
なぜなら死刑廃止派は「時間」を逆戻しできないからですね。
「取り返しがつかない」
廃止派の主張とまるで同じです。
自由刑が廃止になった後、罰金刑も廃止にします。
理由は先に同じ「時間」「取り返しがつかない」からです。
ここで痴漢の例を見てみましょう。
「罰金」のほかに「訴訟費用もろもろ」「時間(訴訟に費やす時間数年)」があります。
まぁ金は金でよいとします。
しかし「時間」だけはどうしようもありませんね。
あとよく言われるのは「死んだら保障金をもらっても意味がない。」「身内がいなければ…」だと思いますが、80歳を過ぎボケてしまっては意味はないと思うのですが?
そういう主張の方って、ボケ対策は何かあるのでしょうか?(keiさんのことではありません。こういうでたらめな廃止派がいるということです。)
ボケ=歳を取ったことだけではありません。
若年性アルツハイマーなどもありますし、ストレスからの病気発症もあるでしょう。
そう言った要素で死んだ場合どうするのでしょうかね?
重無期刑(自由刑)の副作用です。
まぁ考えがない人はデメリットなど考えが及ばないのでしょうがね…
「考えない」ではないですかね?
であるなら「本人が…」「身内が…」も考えないべきです。
「それは勝手な線引きである」という事実に目を向けるべきです。
廃止派の特徴が都合がよいところで思考をやめる…ということです。
一般的にはよく「考えが足りない。」と言われます。
これは廃止派に必ず当てはまる真理に近い事実です。
途中で考えをやめる(故意に打ち切る)のであれば、「現状」から考えない(故意に打ち切る)べきといいます。
でなければ…というか、だから弊害が出るんです。
射殺が増えますかね???
フランスが正しいのでしょうし…
そうしますと、何だったかな?「いかなる理由でも人の命を奪わない」とか何とかが嘘になります。
理想(これを賛成派は「お花畑で蝶々が飛んでる世界」と理解しています。)が高いのはいいことなんですが、あまり現実離れしますと弊害が出ます。
そうしますと「いや、ゴム弾で鎮圧する。」「100人でゴム弾で…」ととんでもないことをいう人が出ます。(証拠あり)
もう頭がおかしいとしか思えなくなり相手にされなくなります。(実際もう誰にも相手にされず、自作自演で会話しているイタイ人の確率」が非常に高い廃止派がいますね。今度ご紹介します。)
まぁ、ゴム弾でも当たり所が悪ければ死にますし、実弾でも当たり所が良ければ死なないのですがね…
常識がないから考えが及ばないのでしょう…
「理想と現実の乖離幅が大きすぎる=現実が見えていない。」
ゆえに「少数派なのに多数論証を用いる」というミスを犯すのです。
それは延々と付きまといますよ?というか現実を直視するまで延々と言いますし…語り継ぎます。(上記ゴム弾の方、BL入れまくってる方など無残です…馬鹿にされまくっています。)
取り返しはつきません。
決して甘く考えないほうが良いですよ。親切心からそう言います。
それが廃止派に少なからず共通する特徴かと思います。
あと、未来に視野を向けますと、冤罪はなくなる傾向にあるといえます。
「技術の進歩」ですね。
冤罪が発覚~証明されるメカニズムってご存知ですか?
例えば、「DNA判定」
この技術革新により精度の高いDNA鑑定技術が出現します。
それで「以前のNA鑑定が間違い」だとなりますよね?
つまり、技術革新により冤罪の確率は確実に減るという理屈です。
ほかにもいろいろありますよ。
防犯ビデオ、ドライブレコーダー…これが一般的に低コスト化しています。
防犯ビデオはHDD込みで2~3万円から
Dレコーダーは2~3千円からあります。
これが町中につけば…
まぁ、犯罪者気質がある人ほど嫌がるので、問題がなくはないですが…
つまり、潜在的犯罪者すら「国民」であるということですね。
話がそれますのでこのくらいにしておきますが、「技術進歩」だけでも冤罪はなくなっていく方向にあるといえます。
「陪審員制度」は国民感情的代物に思いますので逆行でしょうかね?
考えが浅い人がいれば感情のみで決定(場が流される)してしまう恐れがある。
実際、でたらめなことしか言わない女性脳的タイプの人間に場が流されたことがあります。
まぁ死刑廃止って案は「何も考えない」ってことなんだよな~と実感してます。
なぜなら、そういった具体的完全策を全く論じず、とにかく理屈もわからず切り捨てる意見ですからね。
ですよね?でなければ死刑が悪い理由を説明証明できるはず…
できないから多数論証を用いる…
これがその証拠です。
もちろん賛成派も死刑が正しい証明はできないので多数論証を用い重視します。
違いは自分が主張したであろう「多数論証」で決定したことを重視するか?無視するか?の違いでしょうね…
廃止派の足を廃止派が引っ張るということです。
もちろん一通り終わった後にお話をする予定です。
keiさんもほかの方々も私に何か急な用事がございましたら上記リンクのBBSに書き込んでください。
そちらは見やすいのでチェックしています。(証拠の保管場所でもありますので)
お願いします。
---------------------------
>日本では戦後「死刑台からの生還」と言われる、死刑判決が破棄されたり、確定した後再審で無罪となった事件が多数あります。これらの事件で死刑が性急に執行されていたら、本当に取り返しがつきませんでした。
これは一部同意ですね。
しかし、また論理矛盾があります。
決定的真実(真理)でもないのにkeiさんは個人の主観でかなり多くのことを決めつけています。
TBSの長谷川さんなどがよい例です。
また、私に指摘された箇所について「話し合い(議論)するか?」「議論の後修正するか?」について予想も込みで主張しています。
例:「少数派なのに正しい」と主張する根拠が「多数論証」。
これ何人かに聞いて回ったのですが非常に恥ずかしい考えです。
「多数の意見が正しい」というならば最初から黙るべきですし、多数の決議に異論を唱えないことです。
まぁ、「恥をかく」「覆水盆に返らず」という意味では「取り返し」がつきませんね。
しかし、急に死刑になる事件はそれなりの理由があるのではないですか?
例えば宅間守…
これは「疑いようがない」=期間をおいても無駄…とみています。
逆に獄中死した「名張り葡萄酒事件」
私はkeiさんのように表層だけでは考えずこれが冤罪のカギになるとみています。
なぜ「表層」かというとすでにこのブログに浅い情報しか書き入れてなく、それで決定しているからです。
私が同じ題材、視点でkeiさんと同じブログ展開するとしたら、まだ「3」の項ですのでそれがよくわかると思います。
読む人をだまそうとしていませんし、自分の意見が必ず正しいとは思いません。
読む人が理解しやすいようにしますと、必然的に字数は増えます。それはある意味「真理に非常に近い」といえます。
自分の中にある情報をなるべくすべて出している感じ…
わからなければまだまだより深層を説明できるよゆうもあります。
「理解していることは説明が可能である」これも非常に真理に近い…
説明できないということは理解していないということです。
さて、名張葡萄酒事件に戻ります。
非常に残念ですが、亡くなられた後も遺族の方は再審を要望していたようですのでぜひ頑張って冤罪を証明していただきたいと思います。
しかし、よく知らないので51年の時間経過からの推測ですが、「無理ではないか?」と判断いたします。
その理由は省略します。(必要であれば説明可能です)
「時間経過」「再審請求」この二つからkeiさんの主張である「これらの事件で死刑が性急に執行されていたら」はナンセンスと言わざるを得ません。
keiさんの思考~書き込みレベルで私が言い換えますと「これらの事件は早急には執行されません。」となります。
もちろん私はそんな無責任で人をだますようなことは書き込みません。
その根拠は「宅間守=1年」と「名張ぶどう酒事件=51年以上(獄中死してなければ続くため)」の執行期間の理由=確証、冤罪の可能性だと思います。
もちろん国民感情に影響されていることも考えられます。
国民の多くは「宅間を早く死刑にしろ」と思っていたと推測できます。
ゆえに「これらの事件で死刑が性急に執行されていたら」は否定(ナンセンス、適さない)しますが、「本当に取り返しがつきませんでした。」は確かに取り返しがつかないので同意となります。
51年間以上も自由を奪っている…
私は廃止派と違い「人権」とは生命だけだとは思いこんでいませんし…
まぁ、これが人が人を裁く上でどうすることもできない「ジレンマ」ということでしょうかね…
>どこの国で
何の法律が存在し
どのように射殺を規定しているのか
どこの国でも何も、射殺はどこの国でも認められていますよ。
日本だって認められていますよ。
だから銃刀法のあるこの国で、警察官だけが拳銃の携帯を許されているのではないですか。
警察官は「いざとなればその場の判断で犯人を射殺してもよい」という権限を与えられた上で拳銃を携帯しています。
射殺が認められないのであれば、警棒しか持ってはいけない筈です。
>警察活動についても同様で、「撃ちました、殺しました、おしまい」だけで終わるわけがない。警官には報告義務があるはずだし、その上で発砲に問題がなかったか、法に則った行動であったのかを必ず確認するはずだ。法を執行するというのはそういうことだろう。その執行すべき法律の名前と内容を知りたいのだ。
つ『警察官職務執行法』と『警察官等けん銃使用及び取扱い規範』
くぐったら、あっという間に出てきましたw
まあ、射殺も死刑も犯人を殺すことに変りありませんが、Bennyさんがどうしても「射殺と死刑は違う」と仰られるのであれば、死刑制度は廃止し、その代わり「首に縄をかけて高台から落とし、そのまま放置する刑」に変更しましょう。w
被処刑者は当然死にますが、死刑ではなく「首に縄をかけて高台から落とし、そのまま放置する刑」なので、これは死刑ではありませんね。www
これで死刑廃止派の希望通り、死刑制度は廃止出来ます。良かったですね。(´∀`)
では、当たり前なので「どんな理由があっても人の命を奪わない」等と言う寝言は記事から削除しましょう。場合によっては人の命を奪わざる得ない事もあるのは「当たり前」なんだから。
キチガイ~♪拳銃乱射~♪してたら~♪ 即射殺♪
あたりまえ体操 チャンチャン♪♪♪
>抑止効果について。
>「思っている」といった単純な内容ではなく、行動学的見地としています。
Alfredさんにとって具体的な実証とは何でしょう。私が記述していることは多角的に考察した理論です。
自画自賛は結構ですから、こちらのいう「具体的な実証」をもっと分りやすく言います。
「殺人犯は全員、自分が捕まった後の事を考えない」「もしくは絶対に捕まらないと思っている」という、ソースを出して下さいよ。ソースを。
言っときますが、貴方の知恵袋のリンクは根拠になりませんよ。
持論の根拠が自分の作ったページとか、んなアホな話があってたまりますか。www
肥溜めみたいなBBSには参加したくありません。
私が「jtbanzai71=福石純一郎」、また「佐賀県嬉野市在住」で「山間部の兼業農家」であることの他に予てから公表していることは多々有りますし、カメさんが得意気に語る情報ではない訳で、検索すれば私の本名や住所、電話番号すら出ますよ^^
肥溜めみたいなBBSを拝見しましたが、「誰がしと同一人物か否か」がそんなに重要ですかね^^;
ゴシップ心から詮索したいお気持ちは解りますが、複数人でヤンヤと語り盛り上がるあなたのBBSに
参加するということは、私にとって「実に恥ずかしい行為」な訳で、お呼びされても私が参加することは
ありません。
他、多数の的外れなコメントについては言及する価値すら無い訳で、その異常な投稿姿勢からも一度カウンセリングを受けた方が「あなたの為」とすら思う。
Foxさんへ
>「潮流論で死刑廃止を主張する態度」に対して私は反論してるんですよ
この様に、ご自分が論旨を履き違えておきながら、その訂正もせず論議を進めるのは良くない。
それに、他国の現場射殺と日本とを比較できるほどに、似通った犯行状況であるのか?まったくもって論理が成り立っていない。
余談:ごらんなさいカメさんを・・・閲覧し辛くなったでしょ?肥溜めに連れて帰りなさい。でないとみんないなくなる。それは「反論できない」とか「逃げた」とかではなく、反応する価値すら無いからです。
Alfredさんへ
冒頭、「当たり前ですね」と理解されているのなら屁理屈は控えるべきです。
先方も[絶対]を前提にされていないのですから。。。
抑止効果について。
「思っている」といった単純な内容ではなく、行動学的見地としています。
Alfredさんにとって具体的な実証とは何でしょう。私が記述していることは多角的に考察した理論です。
つまり各行動学から導き出した私の結論(死刑特有効果の否定)な訳で、一つ一つを列挙しなければ
ならないほど、あなたの経験則は不足しているのでしょうか。
以下、長々と申されている様ですが、「発言と行動の違い」を踏まえ、偏重した解釈をせず、一字一句、
より良い解釈を期待します。
FoxさんとAlfredさんへ
随分仲が良いのは動画サイトから承知していますが、カメさんの行為を増長させていることにお気付き
だろうか。それで何か有意義なことありましたか?お二人にとってはどうでもいい事かも知れません。
いや、このままでいいのかも知れません。知恵袋では存置派すらカメさんを相手にしなくなっていた。
そんなカメさんにとってのガス抜き(カウンセリング)になっているのなら、肥溜め的なBBSも喜ぶべきかも知れませんが、[ガス抜き]に適している場なのかも考慮して頂きたいのです。
以上、マイナーなここよりも、また管理および閲覧しやすい知恵袋の方が論議し易いと思いますので、
何かありましたらマイナーなここよりも「https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/jtbanzai_71」にて承ります。
これはどう違うのでしょうかね?
全く説明がないのですが、「この著者を神とあがめ盲信しろ」とでも言いたいのかな?
この著者の「本質」とは「命であるか?」と「命ではないか?」の差でしかないと思います。
(違ったら「本質は命ではなく~~です」」と明確に訂正していただきたい。
では刑罰の本質とは何か?
・生命刑(死刑)
・自由刑(禁固刑)
・財産刑(罰金刑)
ですがその目的はいずれも同じです。
目的として考えた場合、「抑止」に代表される「犯罪予防」が目的となります。
・一般予防刑論(威嚇、応報)
・特別予防刑論(教育、更生、隔離)
で問題視される今回の争点は「特別予防刑論」のほうですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E7%9A%84%E5%88%91%E8%AB%96(wiki参照)
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犯罪者の教育・更生・隔離の目的で犯罪者自身に(刑罰という形で)処置を施す事によって、犯罪者が再犯することを予防しうると考える説である。
その効果は大きく分けて、犯罪者を教育して二度と犯罪を犯さないようにさせる教育効果と、犯罪傾向が強い者を社会から一定期間隔離して一般社会に悪影響が生じないようにする無力化効果に分類される。
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はい。
これはその著者の言うことと合致しているように思います。
しかし、問題は「だから死刑は悪い。正しくない」と決まったように安易に使用、解釈するkeiさんなどの考えの浅い廃止派に問題があると思います。
ここでの生命刑と自由刑、財産刑の違いは「刑を犯した本人が…」ということに尽きるかと思います。
「教育、更生、隔離」のなかでは「更生」のみですかね…
しかし、こと「更生」だけにおいても「刑を犯した本人」ではなく「他者」と仮定した場合、「他人を更生させる目的」として本質的に何も変わらなくなります。
簡単に言いますと「死刑になるぞ」で「ほかの罪を犯した人間も教育~更生」できますね。
まぁ、「犯人」にしか目が行っていない「考えの足りない意見」だと思いますが一応、この程度で切り捨ててしまい、尊重しないと話が進まないので「更生しないじゃないか?」ということで話を進めます。
つまり、この著者の考えでは「隔離」となる…
「教育」「更生」はしない…
しかし、keiさんはこの社会から永遠に隔離する「重無期刑」を推奨していたはず…
重無期刑とは「教育」「更生」をあきらめた刑ですので、この著者の主張を安易にうけうりするのは「違う」「間違ってる」と指摘します。
「更生」が可能なら世に出すべき…
というか世に出さなければ「更生」のための「教育費用」がすべて無駄となります。
つまり「更生」とは「重無期刑に入らない目的である」と言えます。
さて、それ以外なにが「本質」なのでしょうか?
私以上の説明をお願いします。
できない場合は「死刑」「重無期刑」ともに刑罰の目的とした場合、「本質は同じ…」となります。
>「死刑事件における誤判の問題は、決して単なる理屈の議論ではないのであります。」
そうですね。その通りです。
「感情論」ですね。
所詮廃止意見は(賛成意見も)感情論です。
廃止派は屁理屈だらけですね…
>「死刑の判決が執行された後で、無実だったことがわかっ た場合には、刑事補償法の規定によって、……補償金が出されますが、そういう刑事補償が遺族に出されたところで、本質的には何の償いにもなるもので はありません。」
はい。
もちろんです。
これは200年と言う刑期をもつアメリカの冤罪事件でも、そう評価されていました。
一例【コーネリウス・ドゥプリー 拘束期間:30年】
DNA判定の結果で冤罪だと証明され無実となった。
さて、20歳の時に逮捕された場合50歳で出てきます。
この時、20歳のまま出てきたと思うのでしょうかね?廃止派の方は???もしくはこの著者は?
いろいろ失ったものは大きいのではないですかね?
『それで保証金もらっても…』
これはほかの長期拘束冤罪事件でも言われていたマスコミの評価です。
もし、仮にその著者がkeiさんと同じ考え、気持ちでその文章を書いたとしたら、私はとても軽蔑します。
まぁ、今回の論点(論理破綻点)は「死刑も重無期刑も教育、更生の意味はない。」「取り返しがつかない」という点で「本質は同じ」です。
相違点は「命のあるなし」だけですね。
それは「刑罰の本質」とは言えません。
「命があるから」刑として善い「命がないから」刑として悪いと仮定しますと…
「応報」という視点から「命があるから(奪わなかったから)」犯罪ではない「命がないから(奪ったから)」犯罪だ…ということとなります。(廃止派がよく言う国による犯罪の視点)
これは「警察のジレンマ」という命題がついていたかと思いますが、軽犯罪は軽視する…という、かなり悪い面の警察の「風習(態度、実際)」を意味します。
しかし警察の仕事の本質は「軽犯罪も悪」「重犯罪も悪」というものです。
刑罰も同じで、人が人をさばき、刑を科す自体を重んじなければならないことなのに、考えが足りないのか?悪意なのか?自分勝手に線引きするということでしょうね。
もちろん私にも線はあります。ただ、より「1」か「0」に近い…
こういった特性を知っていますし、考えたいと思いますので、あまり身勝手な中途半端な線引きを他人には押し付けません。
中途半端な線引きとは、「正しいと証明されてもいないこと」をさも「正しい」と吹聴する詐欺まがいのことを言います。
証明されているのでしたら早く確証の提示をお願いします。
この場には一切出されていません。
何年かかっても頑張ってください。
お疲れ様です。
私は二つ三つと言った。しかもEUを離脱しかけている英国一つだけ示すとはどういう了見だ。
それ以外の点には一切言及がないが、結局貴方は外部ソースの情報をお持ちではないと判断してよいか。
そうならばこちらで勝手に調べさせてもらう。手間をかけた。
死刑廃止国であるイギリスでは、1994~2005年の12年間に、警察による射殺は30件。
12年で30件→1年に2件以上の射殺。
つまり「半年に1回は警察官が射殺」している計算。
日本と比較すると圧倒的に「頻繁に射殺が行われている」んです。
威嚇射撃ですら、すぐにマスコミがニュースに取り上げるような国から見れば異常ですね。
裁判すら受けていない人を撃つんですよ、死刑が「国家による殺人」なら射殺はただの「個人による殺人」です。
まぁ、危険な犯人をその場で殺害すれば、将来の危険性は永久に除去され、その後の司法手続きも不要になり、刑務所に収容して税金で養う必要もなくなりますからね。
>死刑囚は懲役刑ではないので、死を待つ間、労役もさせられず生産もできませんから、死刑制度を維持するのは終身刑よりもお金がかかるそうです。
これは情報がかなり制限されていて、真偽のほどが難しいのですよね…
「そうも言えない…」
それを安易に「お金がかからない」というのは賛成できません。
また、「費用」と言ってるのに具体的な数字を全く載せないのも信用できない理由となります。
>日本の刑事施設の刑務作業の年間収益は、約47億円(2010年)です。
だから死刑のほうがお金がかかるんだよ?というのであれば詐欺に等しい所業かと思います。
まぁ、私が結構前にまとめシミュレーションしたものを書きますね。
廃止派の修正意見も取り入れてますので、結構公平かと思います。
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個人的に死刑問題に費用を入れるのはナンセンスかとはおもいますが、「費用が根拠」と言われる方がいますので、費用問題につきまして考えていきたいと思います。
前回は反対者視点での「安易に死刑廃止だけした予算案」です。
ただ、ご不満らしきroj…gさん(廃止派)の意見を取り入れまして修正したいと思います。
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死刑までに死刑囚の管理収容には通常の3~4倍の費用が掛かるといわれています。
通常=50万円
・死刑=(★50万円×3)×5年+150万円(仮)=900万円
・終身刑=(★50万円×3)×獄中死するまでの年数=?
つまり、6年以上投獄で赤字となります。
では、大変危険ですが一般収容にしたと仮定して計算します。
・900万円÷50万円=18年間です。
つまり18年以内に獄中死しない場合、赤字になるということです。
そのほかに削減できる要素としましては「裁判費用」があります。
これは、「終身刑」と「死刑」の費用を比べますと1500万円と聞いたことがあります。
×(約5回の公判のちがい。一回当たり300万円と仮定)
↓訂正
◎(5年×3回×300万円=4500万円の違い)
(※通常30回=9000万円と仮定)
108年で同じになる計算。
※roj…gさんは5年×3回と申しておりますが、私が調べた3つのサイトさまも5回=1500万円となっております。5年は見つからない。roj…gさんの根拠もソース提示もありませんが、一応roj…gさんの主張ということで、こう修正しています。「死刑」と「終身刑」の公判=費用の違いが30~50回くらいの公判中15回削減=4500万円の差は非現実的(30回としたら15回で判決が下ることになる)ですが…まぁ、相手様の意向ですのでとりあえず取り入れます。
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反対派主張:
★50万円×40年(のちに説明)=2000万円※①
150万円×7年(平均収監費用:多め)=1050万円※②
②+150万円(処刑費用)=1200万円※③
③-①=800万円の削減※④
裁判費用が5年×3回×300万円=4500万円削減※⑤
④+⑤=5300万円の削減
こういった主張でしょうか???
さて、賛成派の視点から見ますと、かなりの穴があります。
私が気づくことだけ修正していきますので、皆さんも気づいた点がありましたら、どんどん意見、修正していってください。
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収容費=280万円
一般収容者の勤労で得られるお金=年間20万円(社会復帰のための職業訓練)
私の実家の近くの刑務所の木工製品は市価の数分の一で破格に安い実勢を見ましても、現実的数値かと判断できます)
刑務官、技官の給料を考えれば赤字です。
一応刑務官、技師の費用を「0」として置きます。(これ自体がすでに数字を語るうえでナンセンスですが)
しかし、「一般収容者と同じに減刑」はありえないと主張します。
私なら勤労ほどの自由があれば、脱獄、看守を人質、殺害等可能かと思います。
つまり、労働などは一切できず、「つながれた状態(軟禁)」に近い処遇でしょうね。
「何もせず、浪費ばかりしていく」
30歳で判決を受け、70歳まで生きていたと仮定し、40年間生きていたと仮定すると
280万円×40年間=11200万円かかります。
裁判費用につきましては「死刑」も「終身刑」も変わらないと主張します。
そもそも「減刑」前提の反対派ではありません。
賛成派としては…廃止にする最低条件としては、「仮釈放なしの終身刑の新たな設立」もしくは「死刑と同等以上の刑罰の設立」が必須となるでしょう。
「安全が確保されている状態」
それに沿った裁判=「現状と何も変わらない裁判工程」です。
終身刑(仮釈あり)~死刑で5年間???争うのであれば、
終身刑(仮釈あり)~終身刑(仮釈無し)で5年争うはずです。
15回争うのであれば15回争う必要があります。
再度言わせていただきますが、「減刑」は「ない」です。
「ある」というなら「減刑促進派」とした方がよい。
死刑まで50回などという事例もありようですが、通常30回、1回300万円と仮定して計算しますと
300万円×30回=9000万円
システムや入れ物に関しましても強化しなければいけないと思います。
故に「予算が削減できる」ではなく「増える」と予想します。
が、正確なデータがないのでとりあえず「0」としておきます。
つまり、費用的には何も変わらないか、「システム(安全)強化のために若干費用が増える」としておきます。
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同じ40年で計算しますと。
賛成派主張(仮)
280万円×40年=11200万円赤字※⑥
死刑囚の収監年数を7年と設定しますと、
280万円×7年=1960万円※⑦
⑦+150万円(処刑費)=2110万円※⑧
裁判費用の差額「0」
⑥-⑧=9090万円の削減(同条件で、死刑を執行したほうが費用削減できる)
こんなですかね^^
さて皆さんどう思いますか?
280万円のソースは賛成派の方です。
しかし私が入手していた賛成寄りのデータより少ないので採用させていただきました。
ソース
『刑務所の経済学』p.46に「日本では受刑者一人あたりの収容費用は年間約300万円である」との記述があります。
(中島隆信著 PHP研究所 2011年発行)
「法務省矯正官署の平成22年度の予算額は2300億円で、矯正施設の収容者は7万5000人である。一人あたりの排除コストは年間300万円という計算になる」
(「経済学の視点から見た刑事政策」『犯罪社会学研究』36巻 2011年10月)
★廃止派の50万円のソースはいまだ出されていません。
アメリカ?へ逃げていきましたが、アメリカでもインターネットは可能なはず…
IP制限かかってると聞いた話もありませんし…
「47億円(刑務作業費)」-「2300億円(法務省矯正官署の平成22年度の予算額)」=自活できず、あっという間に枯渇する…だと思うのですが…
どこにそんな余裕があると思うのでしょう?
凶悪犯罪者にかかるであろう年間追加コストだけで47億など…簡単に超えるのではないでしょうか?(圧倒的な数字の差からの私の予測)
すいませんが、「予算」というなら、せめてこのくらいは数字と情報ソースの提示、シミュレーションは必要かと思います。
重複しますが、数字の根拠が乏しいのが死刑に関する予算の問題です。
そもそもがナンセンスです。
私自体ここまで数字とソース、シミュレーション出しておいてもナンセンスだと思っていますので…
失礼ですが、その程度では老人相手の詐欺まがい商法…(悪徳インターネット勧誘、悪徳携帯、スマホの契約)に等しいのでは?と思います。
もう一度言います。この程度で数字を出すのは危険です。
今すぐおやめくださいね。
まともな廃止派の信用を失墜させます。
「(嫌な思いをさせられた)百のうち一つでも二つでも痛打を与えたい」
検察官の取り調べにて
「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」
「たくさん殺せば確実に死刑になるし、道連れは多いほうがいいと考えた」
「全然関係がない子どもの命を奪ったことに対して本当に申し訳ないという気持ちがある」
裁判にて
「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、
10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」
「(事件を)起こした後も全然満足していない」
「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかったから」(大量殺人に飛躍する理由)
「わしをなめとる。30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい」(犯行当時の様子を質問した検察側に)
「今まで、散々不愉快な思いをさせられて生きてきた」
「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」
「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません」
「裁判の判決の新聞記事でそういう言葉がよく出てくるから言っただけ」(「償う」という発言について)
さて、これを真に受けるkeiさんは犯罪をなくすために何をしたらよいと思いますか?
私の予測では「閉口からの無視」ですので、これをkeiさんの理論の視点で詳細に私なりに考察していきましょう。
>「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」
小学校をなくせばよいですね。
小学校があるから「たくさん殺したい」と思う人間が出ます。
>「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません」
もちろん保育園~大学、末は会社、公園などもなくしましょう。
>「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
「安定した家庭」=職=会社をなくしましょう。
そうすれば「不条理な世の中をわからせたい」と思う人間もでないはず…
>「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」
勉強なくしましょうそうすれば「世の中、勉強だけちゃうぞ」と思う人間も出ないはず…
「社会」の崩壊です。
ちょっと笑ってしまいます。
しかし、本気で宅間ら(病気、クスリ、嘘)の戯言を真に受けてるのであったなら、なぜその真に受ける廃止派の方々は自ら命を絶たないのでしょう?
自ら命を絶ったほうが結果的にこういった犯罪を減らすことに貢献するはず…(集団、社会の形成の逆?過疎化からの平和)
みずから”くちべらし”をすれば「たくさん殺したい」という考えの人間は出なくなるはずなのに…
おかしいですね?
これは「包丁があるから殺人が起きる」、「釣り人の事故死が、土地所有者の管理が悪い(進入禁止にしないから死ぬ。)」と同じ【過保護】に根本を同じくするものだと思います。(銃刀法違反、非核三原則等、危険の排除と混同しないように)
包丁は単なる道具です。
使用する人によっては「芸術」にも昇華可能な、もちろんおいしい料理を作るために用いられる「たんなる道具」です。
釣りの事故も、「進入禁止」の告知義務はしてあるのだから、遺族は馬鹿な死んだ人を恥じることはあっても、土地管理をする人間に責任を擦り付けるべきではないと思います。(台風の日に釣りに行って死ぬ残念な方が実際いました)
さて、「死刑」も「単なる刑罰の一つ」「ツール(道具)」と考えますが、いかがでしょう?
使う人間(司法等)によって変わるのではないかと思います。
もちろん日本国内のすべての人間が「死刑より無期刑が怖い」というのであれば死刑は廃止にして構わないと思いますが、私自体が死刑のほうが怖いです。
死刑より怖いのは「永遠に続くであろう拷問の日々」でしょうかね…
「いっそ殺してくれ!」と懇願するものということです。
さて、今まで無期刑になったすべての人間は「いっそ殺してくれ!」「こんな(退屈な?つまらない?理由は何でもよい)日々はもう嫌だ!」と懇願するのでしょうかね???
私はしないと思います。
つまり、死刑のほうが抑止力があるということではないでしょうか?
食って寝て、適度に働ける?「環境」ってそんなに「地獄」なのでしょうかね?
私にはとてもとてもそうは思えません。
参考までに…
死にたい人間は「死ぬことにビビってません。」とは言いません。「(とにかく、何でもよいから)死にたい。」「殺してくれ。」といいます。
獄中結婚などしません。
人間というものをあまり美化?しないほうが良いですよ?
あと、根本をついて悪いのですが、別の視点から…・
そもそも廃止派がよく名を連ねたがる宅間守は死刑になりたいとは思ってないようですよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
※【逮捕当初、甲は精神障害者を装った言動を取っていた】
※【逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述】
※【仮にこれら全部を甲の供述通り10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされる】
※【「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めた】
keiさんたちはこういうのを真に受けていると思われます。
あのですね?こういうのって例外あったら根拠、証拠としてはおしまいなんですよね?
私は上記の宅間の証言から総合しますと「死刑になりたくて犯行に及んだわけではない」と判断いたします。
病気、クスリ、嘘ですね。
ちなみに大阪さんという方に同調するのであれば「死刑マニア」という根拠をお願いできますかね?
私なら即切り捨てますが?
切り捨てなければがん細胞は正常な細胞をもむしばむこととなります。
私は他人のために自殺する気にはなれません。
あ、べつに無理に付き合わなくてよいですよ。それが「狙い」「計画」ですし…
「無視」「BL」「差別(えた、は相手にするな)」のが好きなのが廃止派の特徴ですしね。
差別されようが無視されようが、私は私のすることを粛々とするだけです。
もちろん、投稿を載せないことも予測してすべて証拠はとっています。
よく考えて行動しないとそこの廃止派のように恥かきまくります。
(ちょっとした親切心です^^)
私が要求しているのは「事実を確認できる外部ソース」だ。よく読んで欲しい。日本の話など訊いていない。「比較」ではなく「数字」を知りたいと言っているのだ。比較するにしても大元の数字がなければやりようがないだろう。
C)についても同様で、私が知りたいのは
どこの国で
何の法律が存在し
どのように射殺を規定しているのか
であって、貴方個人の定義を訊いているのではない。論点が完全にずれている。
貴方は「シン・ゴジラ」をご覧になったか。あれは単なる「悪い怪獣を強い軍隊がぶっ殺すお話」ではなかった。怪獣を攻撃するとして、それは災害出動なのか防衛出動なのか。安保条約のどの条項に適合させれば米軍の支援を受けられるのか。何度も会議を開き、話し合った上で書類を作成し、承認を受け…と、膨大な手続きを踏んでようやく行動していた。砲撃も撃って終わりではなく、その効果をいちいち報告、確認していた。それが「リアル」だったのだ。
警察活動についても同様で、「撃ちました、殺しました、おしまい」だけで終わるわけがない。警官には報告義務があるはずだし、その上で発砲に問題がなかったか、法に則った行動であったのかを必ず確認するはずだ。法を執行するというのはそういうことだろう。その執行すべき法律の名前と内容を知りたいのだ。
もし上記のような情報を貴方がまだお持ちでないのであれば、素直にそう言ってくれればよい。別にそんな程度のことで貴方が「議論に負ける」わけがないし、だいたい私は勝ち負けなんぞに興味はない。「論破」なぞクソ食らえだと思っている。
私は「存在する事実」が知りたいのだ。
私だって法律は門外漢だし、知識も充分ではない。情報をお持ちでなければそれでも一向に構わないから、せめて貴方の想定する具体的なEUの国家名を二つ三つ教えていただきたい。それがわかれば後はこちらで調べる。
よろしくお願いする次第である。
自説が正しいと思うのであれば何故死刑存続の方が死刑廃止よりも社会にとって良いと思うのかを書けば良いことです。論破するための嘘やすり替え論を展開する時点で自説に自信が無いのだろうなと考えます。こちらを挑発する為の意見には返答しませんから、書いても無駄ですよ。
法案についての出来るだけ多くの利点と難点を検証する為には議論も必要ですが、結局はどのような社会が好ましいかを推考して個人で判断するしかないことなのですから。
一方的なルールを仕掛けて勝ち負けを決めたい人の喧嘩ごっこには乗りませんよ。
議論がしたければここでおやりなさい。
あー…
これも論理破たんしてますね。
凶悪犯罪を犯す人間は「考えがない」のではありませんでしたかね?
なぜ、「死刑になりたい」という意見だけ真に受けるのか不思議です。
「死刑になりたい」
私はこれを「病気(障害、精神病)」「クスリ(覚せい剤)」「嘘(偽証)」だと考えています。
宅間守をはじめ、主張が二転三転するのがほとんどだと思います。
金川真大の主張だったかな?がかなりこの的を得ています。
「死刑になりたかったので、誰でもいいから殺そうと思った」
「自分で死ぬ勇気がなかった。死刑にしてもらえれば楽に死ねると思った」
これに対し
「楽に自殺する方法を考える努力はしなかったのか?」
との質問に「努力しなかった」と証言したそうです。
これを「まともな考え」と真に受ける人の気が知れない。
そもそもの話、「自殺願望」自体が「病気(精神病)」との考えがあります。
実際、自殺経験者(未遂)十数人に聞きましたが、私が聞いた全員は「その時はどうかしていた。」「なんであんなくだらない理由で死のうと思ったのか。」「今考えればあの時は(頭が、考えが)おかしかった。」と述べております。
宅間、金川を「まともな人間」
凶悪犯罪者のほとんどが「考えがない」と規定するのはかなり無理があります。
どちらかといいますと、
「軽犯罪=考えがない」<「重犯罪=もっと考えがない」<「宅間、金川=異常なほど考えがおかしい。(頭がおかしい)」とし、意見を聞くべきなのに、まるで逆です。(軽犯罪も重犯罪も考えがないでよいのですが理解しやすいよう説明)
なぜ真に受けるか不思議ですね。
では、こういった病気、クスリ(ラリってる)の類の発言を真に受けていた場合、世の中どうなるか考えましょう。
仮に、不景気が加速し、失業者が増え、「禁固刑になりたいから」と犯罪を犯します。(実際にいますよね)
これを真に受けて「自由刑は廃止」とkeiさんは言うと思いますか?
いいえ。言いません。
廃止派のほとんどがこういった犯罪者気質(悪意)を持っているのは実験済みなのでよくわかりますが、「くだらない言い訳」を展開し(例えば軽犯罪だからよい)、”ここぞ”とばかりに有無を言わさず(話し合いなどせず)禁固刑を科すでしょう。
有無を言わさずブラックリストに入れる廃止派が非常に多いことで理解しています。
余談(ジョーク)ですが、BLに入れないほうが心は荒みません。BLは廃止すべきです。
所詮すべてにおいて自分の都合がよいことだけを採用し、自分に不都合なことには目を背ける…のが廃止派です。(keiさんと同じチェリーピッキングを使用しています。「廃止派の多くは…」)
お望みであれば実名?(アカウント名)も挙げられますよ。すぐ身近にいますので…「軽犯罪だから」とごねて逃げた方…
さて、軽犯罪ならよいのですかね?犯罪をおかしても?人権を侵しても?
また廃止派では少数とも言えない割合(おおよそ30%)の割合で「死刑になりたいんだから刑罰にならない」派が存在します。
これは最も低レベルな意見だといえます。
刑罰は「いやがらせ」か何かだと考えている幼稚な方たちですね。
まぁ、keiさんも似たようなレベルだと思いますが…(大変失礼に思いますが、ここに投稿しているある廃止派の真似をしています。keiさんがどう捌くか見てみたいので…keiさんはその方の発言をスルーしていますね。荒れるのがいやである場合早急に注意しておくべきでしたね。すでに手遅れですが。)
>たぶん、一生牢屋の中で暮らさなければならない終身刑の方が、多くの犯罪者にとって恐怖であり、まだしも犯罪抑止力が高まると思います。
これの根拠は頭のおかしな人の意見を鵜呑みにし、真に受けたことですので成り立ちません。
重複しますが、そもそもが「凶悪犯罪者のほとんどが考えなし(衝動的)で犯行に及ぶ」というkeiさんんの主張に大きく矛盾します。
仮にこの「衝動的」を正当化するなら、宅間、金川など「死刑になりたくて」も衝動的に犯行に及んだあとの犯罪者特有のおかしな自己正当化の「嘘」「言い訳(俺は偉いんだ、頭は悪くないんだ)」としてみるべきでなければ論理破綻してしまいます。(実際論理破たんしていますしね)
それでなくとも、
要約しますと「たぶんそう思う」
もちろん「たぶん」という発言から「そんなに確率は高くはない予測」
そして、「思います。」ということから「主観」だといえます。
これが妥当な表現であり、受け取る側は上記説明のごとく「適当(なんとなくそうなんだな)」に受け取ることから、この投稿の冒頭の無期刑が適している=死刑廃止の理由、根拠としてはかなり大博打になりますね。
これで死刑廃止を推すのは私は「詐欺に等しい行い」だと感じています。(あくまで主観)
ゆえに二重の意味で、「根拠にはなりえません。(真理ではないし、とても正しい判断とは言えません)」
「抑止」については「刑罰がないほうが犯罪は減る」というkeiさんの主張、観点からも大きく矛盾します。
ゆえに「理論破綻している」と言っています。
さてkeiさん?「刑罰」とはなんのために存在するのか?
今一度考える必要があるのではないでしょうか?
犯罪を減らすために…「刑罰をなくす(安心を与える)のか?」「より恐怖を与えるのか?」
keiさんはどちらなのですか?
主張が大きく矛盾しているので私にはわかりません。たぶんほかの方もわからないのではないでしょうか?
どちらかといえば、宅間、金川の凶悪犯罪者の理論に近いです。(主観)
私には宅間、金川の主張と同じで理解できません。
もし「理解できる」という方がおられる場合、名乗り出ていただきたい。
その方に説明していただきます。
keiさんもそうですよ。
理解できているのであれば私のように詳細に説明できるのが「常識」です。(もっと詳細に説明可能です)
説明できない範囲(次元、レベル)は「理解が及ばない範囲」=「理解していない」ということです。
言い訳をして逃げる=理解していない=間違った意見、主張と判断されておかしくないです。
故に説明をお願いしますね。(後でよいです。急ぎません。よく考えてからにしてください。私もまず論理破綻のあぶり出しを優先しますので…)
つまり「どんな理由があっても人の命を奪わない」は絶対ではないし、人権も絶対ではないと。
当たり前ですね。人権なんて所詮は人間が作り出したただのルールに過ぎないのですから。
もしも人権が絶対であるのなら、そもそも懲役だって立派な人権侵害です。
「どんな理由があっても人の命を奪わない」は絶対ではない。
私が言いたかったのはそれですから、分って頂けたのなら結構です。
>人が人を殺す行為を大きく分けて「衝動性・自虐性(自暴自棄)・計画性」があり、これら複合的な場合や
>精神的な疾患によって表面化する訳です。戦闘行為も正当防衛も、そして直接手を下さない者も例外
>ではありません。以下、リンク先の[一]にまとめておりますので暇なときにでもお読みください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n376204
読みましたけど、要するに
「殺人を犯す人間は捕まった後の事を考えないか、絶対自分は捕まらないと思っている」
と“貴方が”そう思っているというだけの話であって、具体的なデータに基づいた実証が何一つありませんね。
つまりは机上の空論です。
殺人犯は全員が自分が捕まる事を1ミリも考えていないとどうして断言できるのですか?
殺人犯全員にアンケートでも取ったんですか?
そもそも、私が俎上に載せた名古屋アベック殺人事件の主犯格はどうなるんですか。
自分が捕まったとしても、大した刑罰は受けない(それは間違いでしたが)と、捕まった後の事もちゃんと計算に入れて凶行に及びましたよ。
フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬犯罪者はその場で射殺してもよいという政策を掲げた結果、57万人もの麻薬犯罪者が出頭して来ました。
犯罪者は自分が絶対に捕まらないと思っているのだとしたら、これはおかしいのではないですか?
それとも殺人と麻薬犯罪は別物とでもいうのでしょうか。
確かに強い怨恨が動機の殺人事件であれば別物でしょう。
しかし殺人の動機は様々で、利益目的の殺人も多々あります。
利益が目的だというのであれば、麻薬犯罪も保険金殺人も、動機は同じ筈です。
……というか、そもそも世の中に「殺したいほど憎いヤツがいる。でも、殺してしまったら自分が死刑になるかもしれないから我慢しておこう」
と考えている人が1人もいないなどと、どうして貴方に言い切れるのですか?
それを言い切るのは悪魔の証明をしたという事になりますよ。
ついでに上記のリンクの一文に対する反論です。
>命あるものに対して自ら手を下すことに躊躇するのが万人の共通する処です。
>「人を殺すという行為には非常に高い条件が必要」
そうでもありませんよ。
ひとたび戦争でも起ったら、普通の人でもバンバン人を殺します。
人間は放っておいたら割と平気で同種でも殺せる生物です。だから法律があって、刑罰があるのです。
「潮流論で死刑廃止を主張する態度」に対して私は反論してるんですよ。
死刑廃止国の制度全てを批判してるわけではないですよ。
>少数派のEUをことさらに重視するのはいかなる理由によるものだろうか。
死刑廃止の先鋒であるEU諸国だからですよ。
死刑廃止はEUの加盟条件です。
EUは欧州だけでなく、世界的な死刑廃止にも取り組んでいますから。
EUでは過去に魔女狩り、異教審判などの歴史があり司法-刑罰制度に対する市民の信頼が薄いことも、死刑廃止が採用される要因。
過激な行動の反省として真逆の過剰な行動を取るというパターン。
日本では為政者が魔女狩りに代表されるような無実の人間を司法により大量処刑した歴史がない。
故にEUの死刑廃止の風潮に説得力を感じない。
欧米は宗教意識が薄れて世俗化すると同時に死刑廃止の気運が起きましたが、日本はとっくの昔に世俗化しているので、同じ動機から死刑廃止が主張されることはありません。
また経済的にも自立しているので、他国の干渉で死刑廃止に向かうこともありません。
第三世界にも及んでいる死刑廃止について。
これは欧米先進国から経済支援を受けるさいに、欧米並みの「人権国家」と認められるための方便みたいなものですね。
>ところで軍を持ったとして、それと死刑制度廃止とどのように関連するのだろうか。やはりこれらも個別の問題として論じた方がよいのではないか。
潮流論で死刑廃止を主張する態度に対して私は反論してるんですよ。直ぐにヨーロッパだからEUだからとか言う人間に対してね。
個別の問題として論じるのは妥当ですよ。
>これは具体的に、140カ国中のどの国を指しているのか
戦後の日本において、犯人射殺によって幕引きした人質立て籠もり事件は3件しかないですよ。
どう考えても大半の死刑廃止国の平均より少ないでしょう。
>射殺を簡易死刑と見なすというのは、いかなる法律(刑法?)によって規定されているのか
国家権力が被疑者を射殺という方法で殺害してるんだから簡易死刑みたいなものでしょう。
これって決定的な事実(真理に近い)であることを照明、もしくはデータ、根拠を提示してください。
死刑廃止後の数字は理由、根拠にはなりません。
>殺人発生率に大きな変化はみられません
↓
いきなり
>ほとんどは激情犯で、犯罪者は自分が死刑になるかどうか気になどせずに犯行に及び、計画犯の場合には、自分が捕まらないことを前提に犯罪を犯すので、やはり死刑が抑止力にならないからなんですね。
と論理飛躍が大きすぎます。
決定づけるには非常に根拠が乏しすぎます。
では仮に、その意見を「正しい」とし、keiさんの論理で考えていきますと…
強盗、監禁、暴力等はいかがでしょう?
犯罪のほとんどは激情犯(考えなし)
計画犯の場合捕まらないとの考え(考えなし)
ではないでしょうか?
それともkeiさんは「考えてる」とでも思っていらっしゃるのでしょうか?
まぁ、ブラックリストに入れて、私の投稿をでたらめに否定しまくる廃止派の方と同じで「考えがない」と思いますがね…
その行為を行ったことによって、自分がこれからどういった立場となり、どういった責めを受けるか?
また、周囲、世間の評判は?
など「考えていれば行わない」と考えます。
つまり、「凶悪犯=考えなし」「軽犯罪=考えがしっかりしている」とした場合、前提がおかしいということですね。
前にもお話したように、「死刑をなくしたら人間が温和になって犯罪が減る」とした場合、罰金刑、自由刑も廃止したら犯罪が減る」という論理でしかありません。
それとも都合よく、「死刑だけ」という理由があるのでしょうか?
死刑は考えが及ばない(怖くない)が、終身刑は怖い…とか…
冤罪で考えてみましょう。(冤罪否定にもなります)
冤罪で捕まった人は「死刑じゃなく終身刑だから冤罪でもいいか?」とかあきらめるんですかね?
私ならまっぴらごめんです。
「犯罪者」の汚名を着るのはごめんです。
keiさんが冤罪になった場合を考えてくださいね。
身内、友達、世間の信用…(もちろん時間も)すべて失います。
それで、「死刑じゃないからアーよかった」と思いますか?
死刑を蔑視する理由はここではないということです。
ないからそんな「こじつけ」に等しいデータからの論理飛躍しかできないのだと思います。いかがですか?
そしてそれが私にはさっぱりわかりませんね。
主張が飛躍、拡散しすぎていて…
時間が開いてしまった。本業多忙のためご容赦願いたい。
1)EUの件
・EUは死刑を廃止している
→一方でEUは武器輸出等で人を殺している
→そのような国々に合わせる必要はない
→だから死刑を廃止する必要はない
こうまとめられるだろうか。違う場合はご指摘いただきたい。
このような論旨で差し支えなければだが、論の中心になっているのは、死刑を廃止しておきながら別の形で人を殺しているという「EU諸国の態度」の話であって、死刑制度そのものについてではない。
例えば私は維新という政党は大嫌いで、さっさとツブれてしまえばいいと思っているけれども、大阪での私学無償化というのはよい政策だと思う。「政党が気に入らないから無償化は駄目な制度だ」ということにはならないわけだから、同様に「国の態度」と「法制度の是非」は切り分けて考えるべきではないのか?
またEU加盟国は全28カ国であるから、死刑廃止国140カ国に対して20%。また話が戻るけれども、数の上では少数派のEUをことさらに重視するのはいかなる理由によるものだろうか。その他の112カ国(スイス、ウクライナ、バヌアツ、アイスランド、ツバル、メキシコ、パナマ、アンゴラ、ノルウェー、ニュージーランド、ネパール、セネガルetc…)が死刑を廃止しているわけだが、そちらについてはどうなるのだろうかとも思う。
加えて、現在「日本の方が人道的」ならば、死刑を廃止することで「さらに人道的」になるのではないか。これは別に悪いこととは思えないのだが。
2)「正式な軍隊を持つことに賛成するのか」という件について。
なぜ死刑廃止(=国内の法制度の問題)に倣った場合、軍制(=外交に大きく影響を与える国防問題)もいっしょくたに変えなければならないのかよくわからない。
なんだかそれでは、「掃除機を東芝にするんだから、TVもHDDレコーダもPCも洗濯機も東芝にするんですよね」と言われているような違和感を覚える。それは場合によって考えるしかないのではないか?
なお軍備について個人的な意見を言わせてもらえば、私は日本が正式に軍隊を持つのも選択肢としてはありかなと現在では思っている。特に日米同盟を破棄することを見据えれば、そのような方向性も必要になり得ると思われる。ただしその場合、自衛艦内をハイヒールで歩くようなバ✕防衛大臣など即座に罷免し、実弾とブランクカートリッジの区別もつかないとか、間違ってフレアをばらまいちゃいましたとかいう、練度も意識も低すぎる隊員どもを完全排除する必要もあると考えるが。
ところで軍を持ったとして、それと死刑制度廃止とどのように関連するのだろうか。やはりこれらも個別の問題として論じた方がよいのではないか。
3)簡易死刑なるものについて
>日本国も死刑廃止国のように「犯人射殺=簡易死刑」を頻繁に行ないましょう。
>一警官が、裁判も受けさせずに、嫌疑だけで被疑者を頻繁に射殺している殺人発生率の高い廃止国を見習う必要性は皆無です。
「嫌疑だけで被疑者を頻繁に射殺している」と言い切っておられるからには、それが事実という前提で貴殿はお話ししていると思われる。であるならば、
A)これは具体的に、140カ国中のどの国を指しているのか
B)「頻繁に」行っている事実はあるのか、それは年間どれくらいの件数が確認されているのか
C)射殺を簡易死刑と見なすというのは、いかなる法律(刑法?)によって規定されているのか
推測憶測で話を進めるわけには行かないので、上記の事実を確認できる外部ソースを教えていただきたい。Webに限らず紙媒体でも構わない。5000円程度までなら購入する用意はある(小遣いが少ないのでご容赦願う)。図書館にあるなら借りに行くかもしれない。また海外の資料でも結構だ。
一応当方で検索してみたところ、このページがヒットしたが、
http://www.sasaki-law.com/memberof/concern7.htm
こちらでは「~と思っています」というだけで、これでは具体的にどこの国なのか、何人が簡易死刑とやらで殺されているのか全くわからず資料としては役に立たない。しかもページは2002年以降更新されていないようだ。15年も経てば状況が変化している可能性があるので、可能な限り現在に近い時点での状況を知りたい。
ちなみにWashington Postによれば、2016年には「963名」が警察により射殺されたという。ただしこれは死刑存置国の米国である。
https://www.washingtonpost.com/graphics/national/police-shootings-2016/
このようなデータについて知りたい。ぜひ教えて欲しい。
ぜひ私のBBSへいらしてください。
IPが知りたいです。
…というのは「知恵袋」で荒らしまくっていたキチガイストーカーである可能性が非常に強いからです。
私のつかんだ情報ではyoutubeから福石さんがjtbanzaiさん(Y知恵袋アカ)だとわかりました。
このjtbanzaiさんは自分は暴言吐きまくりで私がそれをまねして暴言を吐きまくって対応していましたらいきなり、何の説明もなくブラックリストに入れて逃げまくり、jt曰はく「別人」というキチガイストーカーと共謀していた証拠があります。
ほかの方おも不当な自分の身勝手な理由でブラックリストに入れまくり、知恵袋では「荒らし」と皆さん怒っています。
ちなみにそのストーカーは強姦魔で犯罪者の可能性が非常に強いです。(証拠あり)
そして、私は主張内容、思考様式、文章形態、癖、60過ぎている、ほかの人の証言、ストーキング開始時期からわたしはこのjtbanzaiさんとキチガイストーカーは同一人物だと読んでいます。
非常に酷似しています。
そのストーカーのIPは証拠に取っているんですよね…
簡単に釣れました…
北九州の嬉野市です。
ケーブルネットワークは詳細な状況まで簡単にばれる(ローカルなので)ので注意するのが基本なんですが…
ですので福石さんのIPにたいへん興味があります。
もしよかったらあちらで死刑問題について語り合いませんか?
keyさん、どうも「荒らし、ストーカー」が潜伏しているようですので、関係ない投稿すみませんでした。
以降、何もなければkeiさんの数々の論理破たんについてより詳細に説明~証明していくことに専念します。
>変な友達を連れて来なさんな。場が荒れるでしょ。
この意味がさっぱり理解できないので説明お願いします。
たぶん私のことを言っておられるのだと思いますが、そういうことは直接本人に言うべきではありませんかね?
そして「変」「荒れる」という理由を教えてください。
私はFOXさんを知っていますが、呼ばれてはいません。
つまり「連れてきた」は大きな間違いということですね。
次に、「場が荒れる」について…
>変な友達を連れて来なさんな。場が荒れるでしょ。
こういう「言いがかり」をつけるほうが場があれますので、本心からそう思っているのであれば、こういう「言いがかり」は止められたほうが良いですよ。
「言いがかり」というのは根拠、証拠の提示もなく説明が一切ない、事実と異なることだからです。
一方的な思い込みでの決めつけ…でしょうかね?
なにか私やFOXさんに言いたいことがあるのでしたら上記BBSにお越しください。
私のBBSは荒らしても結構ですし、廃止派のお友達を20人連れてきて荒らしてもかまいませんよ^^
福石純一郎さん?
あなた様が”本心”からそう考えているのでしたら、あなた様の行動は場が荒れますので、あなた様だけは他の投稿者に返事するのはやめてくださいね?
もちろん意図して荒らす目的であるなら致し方ないですが…
福石純一郎さん以外はほかの投稿者に返事をしてよいと思います。
・・・と、こういう返信(反論)を招くので福石純一郎さんの行動が場を荒らすことになる…という実証でした。
こんな安易な予測でできませんかね…
keiさん失礼いたしました。
という場合よく賛成派は「ではフランスのように即射殺するの?」と突っ込みますが、田中実や廃止派は「死刑の問題だ」「論点を死刑から射殺(他)にすり替えている。」といいます。
しかし、「正しい」根拠が「世界の多くの国がすることだから…」とした場合、例えば先進国フランスとした場合、フランスのやることなすことすべてが「正しい」ことでなければ、「正しい」根拠としては成り立たない。
まさに以下の私が子供のころ親に怒られた屁理屈となる…
例:
「AちゃんBちゃんが持ってるから(みんな持ってるから)【おもちゃ】を買って。」
↓
Aちゃん、Bちゃんがすることは”すべて正しい”選択である。
↓
であるからその【おもちゃ】を買うのは正しい選択である。
しかしこれはチェリーピッキングに相当します。
たとえば、
(条件1「量」)
A~Zちゃんすべてが買っているのであれば、客観的、俯瞰的に見て正しいと言える。(本当にそれを買うのが正しいかはわからないが)
AちゃんとBちゃんしか例に出していません。C~Zちゃんは買っていないかもしれません。
また、
(条件2「質」)
Aちゃん、Bちゃんのいずれかが聖人君子並みでやることなすことすべて正解である場合…
もはや神を崇める信者のごとく…であり、確率的に参考になるかもしれない…
しかし、そんなことは常識的にはあり得ない…
(条件1)
世界各国すべてが死刑廃止にしているだろうか?
違いますね。存置国も多いです。
この状態で死刑廃止が正しいか間違ってるかわかってもいないのに廃止にする理由とはなりえません。
仮に多数論証で「半数以上が…」というなら、日本国内での死刑賛成意見8割以上で黙るべきである。
つまり、日本国内での多数論証では「ちがう!少数派でも正しい。」と主張しておきながら、手のひらを返し今度は「世界では…」と多数論証を「正しい」とする卑怯極まりない人間といえる…
「世界が…」という廃止派は真っ先に黙るべきである。
死刑が正しいかどうかの本質に一切触れず、自分に都合がよい多数論証のみを他人に押し付ける…
(条件2)
Aちゃん=アメリカ、Bちゃん=フランスと置き換えてみよう…
アメリカ、フランスのやることなすことすべて正しいか?
裁判にもかけずに即射殺する国が正しい?
戦争(軍拡)したがる国が正しい?
原発保有数1位と2位ですしね…
仮に「先進国が…」というなら
日本も拳銃所持OKにしたら?
アメリカ(トランプ)みたいに鎖国したら?
原発促進(増設)したら?
これも到底「正しい」と判断する理由とはなりえません。
注意していただきたいのは「おもちゃを買う正当な理由の説明がないこと…」です。
そのおもちゃの性能、それを持つことによりもたらす効果、メリット、デメリットなど、一切触れていないことに注目すべきです。
つまり、論点にすべき「死刑」そのものはないがしろにして論点をずらしているということにほかなりません。
それに対し、こちらは「Aちゃんが正しいかどうか?」と言う点について論じているので論点はすり替えていない。
そもそも、【”死刑自体がよいか悪いかの判断は私にはつかないのだが”、Aちゃんが正しければ死刑廃止は正しいし。Aちゃんが間違っていれば死刑廃止は間違っている】という主張であるがためである。
抑止効果について「①認識の甘さからの行為」または「②天秤に掛けた行為」という殺人もありますが、
心理学や脳科学、また社会(経済)学などの行動学を総合的に考察すると、共に計画的思考と同時に、
[逃隠性思考]が備わっています。つまり「捕まるつもりが無い」が前提であり、殺人に限らず、そうした
思考には刑罰の抑止効果は期待できない訳です。
人が人を殺す行為を大きく分けて「衝動性・自虐性(自暴自棄)・計画性」があり、これら複合的な場合や
精神的な疾患によって表面化する訳です。戦闘行為も正当防衛も、そして直接手を下さない者も例外
ではありません。以下、リンク先の[一]にまとめておりますので暇なときにでもお読みください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n376204
一方で、「死刑になりたくて殺人を」や「死刑が無いから殺人を」といった稀な供述も存在することから、
共に頭から否定はできないものの、その深層心理を解明する努力は必要でしょう。
横から口をはさんで申し訳ありませんが、[原則]という語句を[絶対]と意図的に解釈しているだけではないでしょうか。「どんな理由があっても人の命を奪わない」は一般認識の上で誰もが心得ていることでありましょう。例外を用いる前に、その一文が「絶対的である」かを確認した上で否定すべきです。
言うまでも無く、その一文を「絶対的」とされる人は誰もいないでしょう。
よって長々と述べられているようですが、不毛な論議だと思います。
私は以前こちらの掲示板で議論を交わした者です。
今日はあの時有耶無耶になって言えなかった事を提議しに来ました。
貴方に限らず、死刑廃止論者が唱える廃止論の根幹を成す主張の1つとお見受けする。
「どんな理由があろうが人は人の命を奪ってはいけない」という大原則について物申します。
>わたしは、このように、死刑廃止によって得られる第一のものは、どんな理由があっても人の命を奪わないという、命を大切にする文化だと考えています。
この考えこそが根本的な間違いだと思います。
人は人を理由次第では殺してもいいんです。「良い」とは言わないまでも「いい」んです。
もし本当に“どんな理由があっても”人の命を奪わないを実現するのであれば、まず世界中の軍隊を解体しなくてはいけません。警察官は拳銃を持ってはいけません。
銃器や爆弾で武装した凶悪犯やテロリストに、テーザー銃やゴム弾といった非殺傷武器のみで立ち向かわなくてはならなくなりますね。
普通に考えて、死にますね。自殺行為以外の何ものでもありません。
「どんな理由があっても人の命を奪わない」
それは単なる理想です。
憲法九条によって、武力に頼らず話し合いによって国際紛争を解決しようというぐらい、甘っちょろい理想です。
もしもあらゆる戦争が話し合いで解決できるのであれば、先の大戦でまずは連合国側がナチスや日本軍の武力侵攻を話し合いで止めなければいけなかったのです。
九条を作れといったアメリカがそれをやりましたか?やってないでしょう。原爆落として圧倒的な力で解決したのはいうまでもない事実です。
そもそも「どんな理由があっても人の命を奪わない」のであれば、正当防衛だって許されませんよ?
それともう1つ
>殺人などの凶悪犯罪のほとんどは激情犯で、犯罪者は自分が死刑になるかどうか気になどせずに犯行に及び、計画犯の場合には、自分が捕まらないことを前提に犯罪を犯すので、やはり死刑が抑止力にならないからなんですね。
これについても疑問があります。
名古屋アベック殺人の主犯格は「俺は未成年なんだから絶対に死刑にはならない」「懲役くらってもすぐに出てこれる」と、自分が捕まった後の事も考えて犯行に及びました。
彼のこの認識は結局のところ甘かったわけですが、こうやってちゃんと捕まった後の事を考える犯罪者もいるのです。というか、普通は考えるでしょ。
その捕まった後のペナルティを考え、犯行によって得る利益とリスクを天秤にかけて犯行を思い止まる者も大勢いる筈です。
仮に成功したら1億円手に入るギャンブルがあったとします。
ただし失敗した場合、1万円損するのと、100万円損するのとでは、どちらの方がチャレンジし易くなるかというと、失敗した場合のリスクが少ない方をとるのは言うまでもありませんよね。
大きな災害で無政府状態になった時、略奪が横行するのは何故だと思います?
取り締まる警察官が居なくなるからです。一般人でも法律による抑制がなくなれば、暴徒化するのです。
罰を与えられるから、人は法律を守るのですよ。決して良心のみで治安と秩序が守られるわけではありません。
その与えられる罰を、わざわざ緩くしてどうするんですか?
↑
ここでのあなたは、例の感情自己責任論をよく理解されているし、同じ論理になっている。
しかし、その掲示板でのあなたの所業には呆れている。もっと公平な姿勢で論議すべきだと思う。
それに、同じ地球(社会)で生を営む以上、潮流は潮流として一旦受け止めなければならない。
その上で、何が正義であるかを論議すべきであって、一(いち)潮流を提議に、そこにある他の形態まで提議に持ち込むには、その因果関係が無ければ論理は成り立たない。または、あらゆる潮流から導き出される正誤が同じであることを立証しなければならない。
私も潮流論は好みませんが、死刑存廃提議以外においても、日本と他国とを比較することは多々あることでしょう。その度に対人論ならぬ対国論では建設的な論議は成り立たない。
環境や福祉において他国を見習うこともあれば、逆に日本のいいところを見習う国もある訳で、日本が発展できているのにはそういった背景も含まれているのではないでしょうか。
とにかく、潮流は論拠の例として示されているに過ぎず、「潮流=正しい」などと原則化している訳ではないことくらい理解できるでしょう。
「世界の潮流」でなくてもいいですよ。
死刑廃止の先鋒であるEU諸国が「犯人射殺=簡易死刑」を頻繁に行い、武器輸出(間接的大量殺人)で莫大な利益を得て、核兵器という大量虐殺兵器を保有し、石油利権を守る為に中東で人殺しを行なうのが日常であることには変わりないので。
国家権力で殺人が肯定されている国が殆どであることを主張したいだけです。
そして日本においては、極めて極少数の凶悪犯罪者を国家権力で死刑に処しているだけです。
故に多くの廃止国より人道的です。
一警官が、裁判も受けさせずに、嫌疑だけで被疑者を頻繁に射殺している殺人発生率の高い廃止国を見習う必要性は皆無です。
>なぜ少数派に倣って武器輸出やら核武装やらをしなければならないのだろうか。
では多数数派に倣って凶悪犯はその場で頻繁に射殺して、正式な軍隊を日本国が保有するのには賛成なんですよね?
「世界の潮流」という言葉を言い換えるならば、「そのような行動を取る国が多数派になってきた」ということだと思う。
貴殿の列挙する2番目以降(武器輸出etc)の話は「世界の潮流」ではない。
それは死刑廃止をしているという条件に当てはまる国から抽出された数カ国にすぎない。
元記事のデータを元にすれば、国連加盟国は198カ国だそうだから、
死刑廃止国:140 ≒70.7%
核保有国:9 ≒4.6%
FOX氏が挙げる武器輸出国:5 ≒2.6%
なぜ少数派に倣って武器輸出やら核武装やらをしなければならないのだろうか。
よくわからないので説明していただきたい。
「世界の潮流」が死刑廃止を望む根本的な理由では有りません。
「世界の潮流では無い」と言う方が居らっしゃるので、そうではないということを述べているまでです。
そこのところお間違えないように。
↓
その成果が実り。死刑になるほどの犯罪が”おきないことが”100年も続いたなら
誤字脱字、すみません。
世界を見習って憲法第9条を改正し、軍拡し戦争でも起こす気ですかね?非常に怖い考えだと思います。
あなた様の方向で考えを進めますとそういうことになります。(世界が正しい、多数が正義、世界の風潮)
アムネスティーの「国家権力による暴力をなくすことができます。」~「抑止力うんぬん」
これも論理破たんしています。
(前提)
死刑は国家による暴力(殺人)である・故に暴力である死刑は廃止…
であるならば、
罰金は国家による暴力(略奪、窃盗)である…
禁固は国家による暴力(監禁、軟禁)である…
故に暴力である罰金刑、自由刑は廃止…
そのほうがあなた様の言う、人は穏やかなるのではないかな?
抑止力もないのだろうし…
(引用)
被害者になるかもしれない人の権利(財産、自由)を守るためには、社会が人の権利を限りなく大事にし愛おしむ、そんな文化が大切なのだと思うのです。そこでは他人の権利を奪った人は刑なしで生きることはあっても、国から権利を奪われることはない。
刑罰が存続することは人が人の権利を奪うことを結局容認することです。しかも、それを国家がやることは非常に恐ろしいし、国民心理への悪影響も大きい。
と考えてるのでしょう?
持論を簡単に悪用されてしまう…
これほどおろかなことはない…
厳しいかもしれませんが、あなた様が新しいルールを作るとしたならば、さほど苦も無く悪用されると予測します。
世の中があれますのでやめてください。
それほど論理破たんしています。
実は…死刑問題の結論はすでに出ています。
・絶対という正解はない
・各々の主観である
・結局は感情論でしかない
私は死刑が正しいとは言いません。
あなた様とは違います。
私はそれでも死刑があったほうが良いと思います。
もう少しまじめに考えてはいかがでしょうか?
「絶対的に正しい」というなら早急に証明すべきです。
安易な「世界の風潮」など出さずに…
こういった無駄な主張を出せば出すほど、その正義がボケる…濁る…だけです…
こちらには明確には伝わってきません。
何か現実的な行動をしていますか?
計画はちゃんと立っていますか?
立たないからこういったことをしているのだと失礼、勝手ながら予測します。
私が廃止派であるなら…たとえば片っ端から賛成派をとっ捕まえては論破しまくります。
20人中17人で自信がない?
「なんじゃそりゃ?」という感想を持ってしまいます。
自信がなければ…
まず、犯罪をなくす努力をしてはいかがでしょうか?
文面からはその努力をしていないように感じます。
しているならば必ず書くからですね…
その成果が実り。死刑になるほどの犯罪が100年も続いたなら、「死刑は今の世では必要ないな」と誰もが感じるのではないでしょうか?
そして、「EU脱退選挙」「トランプ大統領選」のクレーム(やり直しを求めるデモなど)を見る限り…
「EUの人間って…」「アメリカの人間って…」
「鵜呑み」にしないほうが良いですね…
この事例のように民主主義ではトランプが大統領になります。
この状況で覆るのであれば、民主主義は破たんします。
これを熟知していれば、まず、死刑賛成派を廃止派にする=論破しまくるか、もしくは犯罪をなくす運動(持論を証明)をすべきだと思いますが…どちらもしていないと予測します。
何を言おうがどう転ぼうが、たとえ、賛成意見が間違っていようが、「正しいかどうかわからないものは個人の主観~多数論証」=「選挙等」でしかないことを自覚すべきですね。(幼稚な多数論証とは違う)
自覚しているならこういう主張はしないはず…という推測からです。
あなた様持論通り「何年かかろうが頑張る」べきですね。
・犯罪をなくす活動
・賛成意見者を廃止意見者に変える活動
これが後者なのかもしれませんが実に逆効果です。
矛盾や思慮のなさは露呈するばかり…
これでは…
もしよかったら、上記URLの板にきてわたしを廃止派に論破してみてはいかがでしょう?
現在賛成派3名常時対応できます。
3人も廃止派にするチャンスです。
もちろんほか2名には口を出させないと約束してもよいですし、そちら様は20人連れてこようが構いません。
私は廃止派になる覚悟は十分にありますし期待しています。
でもね?来たためしがないんですよね…
それは「廃止意見は正しくはないから…」
という「実績」となります。
故に「逆効果」といいます。
これが「計画」というものですよ…
残念ながらあなた様のおっしゃることは「希望的観測」の域を逸脱しません。
すべてにおいて「低い」と見ざるを得ない…(もちろん私の主観ですよ)
(※大変失礼なことを書きました。謝罪しておきます…が、すべて本音です…ぜひ板に来てください。期待しています。)
死刑廃止国(イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン)を見習って日本国も武器輸出で莫大な利益を得ましょう。
死刑廃止国(イギリス、フランス、ロシア)を見習って日本国も原子力潜水艦、及び核兵器を保有しましょう。
死刑廃止国(イギリス、フランス)を見習って日本国も石油利権の為に中東で空爆を行ないましょう。
日本国も死刑廃止国のように「犯人射殺=簡易死刑」を頻繁に行ないましょう。
ちなみに、アムネスティの確認では、すべての執行数のうち、89%はイラン、パキスタン、サウジアラビアの3カ国で行われたそうです。死刑を積極的に執行しても、各国の昨年の殺人発生率は、イラン91位、パキスタン66位、サウジアラビア91位と、100位以下に集中するキリスト教国との対比は明らかですので、やはり死刑が凶悪犯罪の抑止になっている訳ではないことを示していると思います。
この投稿がされてから4年も経ってるのに、そんな兆候はないどころか、むしろ国際情勢の変化によって欧州連合の屋台骨が揺らいでいます。それでも制度廃止国としか貿易しないならば勝手ですけど、欧州連合の経済的自殺といったところでしょうね。他方、日本においては裁判員制度の導入以来、厳罰化の流れは止まりません。長々と書いておられますが結局は、死刑廃止などというのはキリスト教圏の潮流ではあっても、世界の潮流ではないということです。
これは非常に危険です。
最近は人間の価値を生産性だけで判断する風潮があるんでしょうか?
この手の人間は自身が最も弱者だということを認識していない、コンプレックスの裏返しから、自分より弱いものを見つけて攻撃することにより、強者になったと錯覚してる。
ヘイトスピーチの連中も似たようなもの、仮想敵を作って日頃の不満の憂さ晴らしをしてるだけ。
もし障碍者の安楽死制度なんか成立したら、障碍者の排除のあとは難病患者、その次は高齢者、そしてその次は「その気持ちは解る」などと、コメントしていた自身にその矛先が向く、それに気づいてない。
>ただ、平時にはその要因が減るので、犯罪を犯す者も減るというだけです。
確かに戦場では精神病むことが多いのは事実です。
そりゃ、普段殺人したら極刑なのに、戦場では殺せば殺すほど勲章もらえるんですから。
帰還兵とかも精神病んでる人多い、ベトナム戦争とか特に。
>ベルトコンベア式に虐殺を実行に移したのはヒトラーだけでしょう
手法や規模は様々でも、身勝手な理由付けで武装した側が何の罪も無い者を殺しても良いとする異常心理は国籍関係無く発生しています。
・ウクライナで1930年代に行われたホロドモール
・ルワンダで1994年春に行われた虐殺
・ボスニア内戦時の民族浄化
・ダルフール紛争における集団虐殺
・オーストラリアのアボリジニの強制同化政策
・トルコのアルメニア人虐殺
私としては関東大震災時の朝鮮人虐殺も、心理的には同じことではないかと思います。
ヒトラーが特殊であったとしても、それが見抜けず、特殊性に同調してしまう因子を人間が持っているということです。
日本でも最近精神障碍者施設での虐殺事件が有り、「その気持ちは解る」とのコメントが散見されたことからも、誰でも、何らかの特殊な状況や心理状態やきっかけが複合して、凶悪犯罪を犯してしまう可能性は大きいと思いますよ。
ただ、平時にはその要因が減るので、犯罪を犯す者も減るというだけです。
そうしたことを防ぐ為にも、「殺すなかれ」という教育が必要であり、それを教える為に死刑制度が在るのは大いなる矛盾でありましょう。
>全ての遺族が納得するわけじゃないですよね?
全ての人を納得させる方法というのはどのような手法でも有り得ませんが、死刑を望む人が減るのは確かでしょう。
被害者救済制度が充実すれば、更に減ると思います。
同じ死なのに、交通事故で保険金が1千万円入るのと、殆ど補償されないのとでは、慰撫する方法が厳罰を望む方向に行くしか無くなるのです。
社会が遺族の為に心を砕いているということが形で伝わることの影響も大きいですし。
その補償金に犯人の刑務所内での労務対価が含まれるなら、合理的でも有るでしょう。
>歴史の積み重ねが無意識の内に国民性として現れている可能性が高いことを否定する根拠とはならない
要素として否定派しませんが、それは最終的な手段の選択として影響が有るというだけで、直接原因では無いと思います。
>日本の自殺の原因は、低賃金労働、過剰な企業間競争、中小企業の倒産、成果主義の導入、増税、社会保障の削減、自ら命を絶つことを潔しとする文化などです
この中の「成果主義の導入」というものが警察・検察内部に強く蔓延っています。
「正義であるはずの権力が極悪人を生き伸びさせて弱者をスケープゴートにしている現状」とは、これを指しています。つまりは出世の為に真犯人を放置し、無実の人に罪を着せても良いとする「弱肉強食文化」を権力側が自ら作っているという意味です。
じゃあ、そのナチスを滅ぼした戦争は正当防衛の延長で、必ずしも悪じゃない。
連合軍がいなければ、ヒトラーに世界征服されてたし、ナチスを倒すのには戦争しかない。
アメリカの原爆投下も勿論許せませんが、ユダヤ人虐殺のほうが更に酷い。
原爆投下は敵国に対しての戦争行為の延長であり、日本人を絶滅するためのものではなく、戦争犯罪。
ユダヤ人虐殺は敵国に対しての戦争行為でもなく、特定の人種を絶滅するためのものであり、ただの凶悪犯罪。ヒトラーにおいては、他の虐殺と次元が違う。
ユダヤ人という人種だけを理由に、この地上からの絶滅を遂行。
ヨーロッパ中のユダヤ人を鉄道を使用し、収容所に移送→ガス室により殺害→焼却処分。
このように歴史上類を見ない、殺人工場における近代技術において、ベルトコンベア式に虐殺を実行に移したのはヒトラーだけでしょう。
知的障害者、精神病者、同性愛者、共産主義者の人々も虐殺対象でした。
ナチスドイツは特殊な犯罪集団、その連中がヨーロッパにおいて、拡張していったんです。
>終身刑が最高刑になれば、それで納得する人も居ると思いますし、
全ての遺族が納得するわけじゃないですよね?
>韓国も死刑存置国で自殺大国でもありますが、歴史的背景は違いますよね。
だからといって、歴史の積み重ねが無意識の内に国民性として現れている可能性が高いことを否定する根拠とはならない。
>正義であるはずの権力が極悪人を生き伸びさせて弱者をスケープゴートにしている現状を無視するような社会では、命を大切になんか出来ませんよね。という話です。
意味が分かりません。
「正義であるはずの権力が極悪人を生き伸びさせて弱者をスケープゴートにしている現状を無視するような社会では、命を大切になんか出来ませんよね」←これをAlfred・Heartmanさん、他の人でもいいですが、誰か解説してください。
日本の自殺の原因は、低賃金労働、過剰な企業間競争、中小企業の倒産、成果主義の導入、増税、社会保障の削減、自ら命を絶つことを潔しとする文化などです。
勝手に論点を変えないでください。
本当に悪い奴の多くも死刑になってるが、死刑になっていない本当に悪い奴もいる、ということですよね。
死刑廃止とは無関係で、捜査手法の問題を改善するのが先では。
>「命を大切にするべき」と主張しながら合法的に殺人を犯すのは矛盾した行為です。
なんら落ち度もなく無残に殺される理由もない人間の命は大切です。
ご存知ですか、三島女子短大生焼殺事件。
加害者は帰宅中の女子短大生を拉致。強姦後、女子短大生を縛り上げたうえ、灯油を浴びせ焼殺。
東京高裁は、事件が極めて残虐であった事実を重視し、また、この事件は計画性があったことの理由や「幼少時代の生活環境ではなく」「加害者自身の性格が事件の原因」となった理由を示し、殺害人数が1人で殺人罪の前科もなかったが、死刑の判決を言い渡した。
私はこの犯人の死刑に反対する理由を1%も理解できません。
>遺族が救済される制度の充実は共有出来る意見でしょう。
勿論です、犯罪被害者専門の心理カウンセラーとか居ればいいですけど。
>ちなみに、Berryさんの質問への答えが知りたいので、出来ればご回答願います。
>もしいずれでもないのなら、申し訳ないが結局それは「想像上の被害者(遺族)」にすぎないのではないか。
想像上ではなく、ワイドショーで凶悪犯罪の報道を見て、遺族の応報感情に第三者が共感することは人間ならあると思いますよ。
>死刑を望まないという被害者遺族の声を、死刑賛成派諸氏はどのように解釈しておられるのか。意見を伺いたい点ではある。
マスコミは死刑を望む遺族だけでなく、死刑を望まない遺族の主張も同じように取り上げるべきとは思います。
その主張に合理性があれば第三者が共感することもあるでしょう。
>気にしつつスルーしちゃいましたが、1jAPさんの過酷な経験談も心に残るものでしたのに、私を揶揄する為に利用されたのは残念でした。
keiさんを宗教者とは思ってないです。
非暴力主義であることは事実では?
ただ口が悪い人間に存置派が多いのは事実です。
反省しよう。
>でも、FOXさんとの議論のおかげで様々な知識をまた得ることが出来て有り難かったです。
議論することは大事ですね。
存置派も、廃止派も凶悪犯罪を根絶したいとの根っこの部分は同じだと思うので。
>お互い経験を積んで精進しましょう。
とりあえず、ありがとうございました。
こちらこそ。
>民間人を私利私欲で殺すような兵士は戦場においても凶悪犯罪者であり、正当防衛の延長で相手国の兵士を仕方なく殺す兵士は凶悪犯罪者ではない。
それは理想論だと思います。
現実には私利私欲と正当防衛の境を曖昧にし、多くの民間人を殺すことが可能になるのが戦争です。例えば被害者側の抵抗が激しいとなれば、身勝手な理由で仕掛けている側なのに、心理的には「正当防衛」でしょう。アメリカの原爆投下もしかり、ドイツだって「ユダヤ人が国を破壊する」というプロパガンダと、そこに同意しなければ自分の身が危うくなるという「正当防衛」が働いて多くの国民が異常な虐殺を許してしまったのです。自分の手を汚していなくても凶悪犯罪に加担したと言えましょう。
>死刑がなければ、死刑でしか 納得できない遺族を無視することになる
死刑が最高刑だからそう思うのであって、終身刑が最高刑になれば、それで納得する人も居ると思いますし、現時点でも死刑を望まない遺族も居ます。その割合が廃止国と日本とで大きく変わる原因は無いと思います。
>こうした歴史の積み重ねが無意識の内に国民性として現れている可能性が高いです
韓国も死刑存置国で自殺大国でもありますが、歴史的背景は違いますよね。
正義であるはずの権力が極悪人を生き伸びさせて弱者をスケープゴートにしている現状を無視するような社会では、命を大切になんか出来ませんよね。という話です。
凶悪犯罪とは少し違います。
戦争にもルールが存在し、民間人を私利私欲で殺すような兵士は戦場においても凶悪犯罪者であり、正当防衛の延長で相手国の兵士を仕方なく殺す兵士は凶悪犯罪者ではない。
つまり戦争という枠組みの中においても、犯罪傾向の強い人間と、そうじゃない人間との差は存在します。
そもそも戦争したくて、兵士になった人ばかりじゃないし。
>それが証明されているデータは無いのですよ。
データがないことは、死刑に抑止力がないことを意味しません、現時点では抑止力を確認する術がないだけ。
数件でも殺人が抑止されてればいい。
>死刑しか被害者感情を慰撫する方法が無いと考える日本国民の割合が他国より極端に多くなる文化・宗教・国民性が存在するとは思えません。
死刑しか、とか言ってない。
死刑もあったほうがいいと言ってます。
死刑がなければ、死刑でしか 納得できない遺族を無視することになる。
>弱者に負の部分を押し付けて、極悪人は生き延びさせ、冤罪でも死刑になれば死人に口無しとばかりに悪事を隠す権力側の誤魔化しを「正義」だと勘違いしているような社会だから、そのしわ寄せに苦しくなって死を選ぶ人が続出するのではないでしょうか。
自殺が何よりの「悪」のキリスト教と違って、自ら命を絶つことを潔しとする文化が歴史的背景にあるからです。
戦国の武将が切腹、戦中では玉砕。
こうした歴史の積み重ねが無意識の内に国民性として現れている可能性が高いです。
「死刑と懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる」
との元刑務官の見解は、
>死んでるのは極悪人だけ
という、捜査手法に対するあなたの誤解への反論です。
勝手に論点を変えないでください。
>死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない人間を殺さなければいい
正論ですが、「死刑」を「終身刑」に代えても、成立する言葉ですし、落ち度が有る人間なら合法的に殺しても良いということにもなりません。
「命を大切にするべき」と主張しながら合法的に殺人を犯すのは矛盾した行為です。
私達は充分意見を交わしました。それでもFOXさんがあくまでも死刑制度を存続したい気持ちは変わらないのなら、それでいいのです。
ただ、死刑にしなくても済むような社会作り、遺族が救済される制度の充実は共有出来る意見でしょう。
まずはそちらを目指してみませんか?
ちなみに、Berryさんの質問への答えが知りたいので、出来ればご回答願います。
それと、気にしつつスルーしちゃいましたが、1jAPさんの過酷な経験談も心に残るものでしたのに、私を揶揄する為に利用されたのは残念でした。
でも、FOXさんとの議論のおかげで様々な知識をまた得ることが出来て有り難かったです。
お互い経験を積んで精進しましょう。
とりあえず、ありがとうございました。
「終身刑と無期懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは終身刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる」
と、言ってるのと同じですよ。
つまり、本当に悪い奴の多くは最高刑に服してないと言ってるだけであり、死刑制度とは無関係で、捜査手法の問題。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない子供を誘拐して殺さなければいい。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない人間を殺して金を奪わねければいい。
死刑になりたくなければ、なんの落ち度もない女性を強姦して殺さなければいい。
終身刑よりも効果が有るという研究結果は出ていません。
>そもそも、死刑廃止後犯罪率が大幅上昇したという統計データは散見しますが(イギリス、フランス、カナダ、イタリア等)減少したというデータは寡聞にして存じませんね。
せいぜい良くて横ばいか、僅かながらに減少ぐらいです。
FOXさんとの議論でも述べていますが、上昇理由は移民の増加、景気の悪化などその他の要因である可能性が高いです。
また、廃止国140ヶ国中、上記4カ国以外の他国は横ばいか減少ということは、終身刑でも抑止効果は変わらないという結論が現状では言えると思います。
>積極的と仰ると、死刑廃止派は具体的に貧困や差別、格差解消にどの様な活動をなさっているのですか?
http://www.nichibenren.or.jp/activity/policies/policy_2016.html
http://www.swedenabroad.com/ImageVaultFiles/id_28375/cf_347/image.PDF
http://www.swedenabroad.com/ImageVaultFiles/id_28375/cf_347/image.PDF
http://www.unic.or.jp/news_press/world_and_un/?y=2015
https://cfc.or.jp/archives/column/2016/06/07/15849/
>私は「何故死刑を廃止すれば、差別の解消、貧困、格差が是正されるのか」その因果関係を聞いているのですが
それはあなたが私の意見を曲解して言い出したことでしょう。
ただ、死刑廃止派は、差別の解消、貧困、格差が犯罪の温床になるという本質を重視しているので、その是正の為に積極的になることから、結果的に是正方向に動き易いということはあるでしょうね。
>厳罰化によって飲酒運転が減少したという事実についてです。
これは紛れも無く、厳罰には抑止効果があるという証左です。
厳罰に抑止効果が無いとは誰も言っていませんよ。
例え飲酒運転の罰をを死刑から終身刑に代えても、抑止効果は変わらないだろうということです。
>死刑廃止国の中に日本より犯罪率が高い国が一国も無くなったと言うのであれば、死刑廃止を考えてもいいでしょう。
ご自由に。但し、日本の犯罪率が低いのは別の理由が大きいでしょうね。つまり、世界トップクラスののお金持ちで分配が公平で中流層が分厚かったから。格差も貧困も遠い話でした。過去形ですが。死刑存置国が軒並み犯罪率が低いというデータも有りませんから、そういうことだと思いますよ。
>日本には死刑制度があるから、嫌がる死刑囚を絞首部屋まで引きづり出すのも職務の1つですが?
想定外?
死刑というものはそう度々行われることではないので「特殊任務」だと書いてありますでしょ。
全国に17、600人存在するという刑務官の中には携わらないで終わる方の方が圧倒的に多いのでしょう。
法務省の採用募集説明にも書いていませんよ。
>被害者が「死刑」を望めば死刑。「無罪」を望めば無罪。
コレで良いですね。
だって「第三者が決めつける訳にはいかない」のでしょう
「被害者感情」=「死刑」だと決めつけてはいけないと書いたのですが?
そこから何故判決も被害者遺族が決めると言う所まで飛ぶのでしょうか?
あなたが勝手に解釈してそのようにしたいなら、その「意見でどうぞご自由に。
私の意見はあくまでも死刑廃止、終身刑導入、被害者遺族の救済、貧困・差別・格差拡大の撲滅です。
死刑存置派が死刑廃止だけはどうしても嫌だとおっしゃるのなら、そこだけ除いて他の目標の実現に賛成してくださるだけでも良いのです。そこには反対する理由は無いでしょう?
「死刑は犯罪抑止に効果あり」という研究結果も出てますよ。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/3856e55f2a423ae7a57225ca25f7db1e
AP通信によると、コロラド大学のネイシ・モカン教授(経済学)らが2003年にデータを分析し、06年に同じ調査を見直した結果、死刑を1件執行するごとに殺人が5人減り、逆に死刑を1回減刑するごとに殺人が5件増えることが分かった。
らしいです。
そもそも、死刑廃止後犯罪率が大幅上昇したという統計データは散見しますが(イギリス、フランス、カナダ、イタリア等)減少したというデータは寡聞にして存じませんね。
せいぜい良くて横ばいか、僅かながらに減少ぐらいです。
>差別や貧困や格差が拡大すれば犯罪が増えるというのは明らか。
>ならば、今以上に犯罪を減らすという目的の為にはそちらの問題を解消しなければなりません。
>廃止派は概ねその動きに積極的です
積極的と仰ると、死刑廃止派は具体的に貧困や差別、格差解消にどの様な活動をなさっているのですか?
その活動内容を是非教えて下さい。
そもそも、貴方は「差別をなくそう」「貧困をなくそう」「格差を是正しよう」と、当然の事を仰るだけで、私の質問に何一つ答えていませんね。
私は「何故死刑を廃止すれば、差別の解消、貧困、格差が是正されるのか」その因果関係を聞いているのですが?
>今以上に犯罪を減らすという目的の為にはそちらの問題を解消しなければなりません。
そうですね。問題の解消が先です。
しかしその問題解消の為に、死刑廃止は全く何の関係もありません。
むしろ罰則を緩めては犯罪を起こしやすくするだけです。
以前飲酒運転の厳罰化を俎上に挙げた際「飲酒運転でも死刑を適用すべきとお考えなのですか?」と反論なさいましたが、問題の本質はそこではありません。(尤も個人的には、悪質且つ常習的な飲酒運転での事故は死刑でもいいと思いますが)
厳罰化によって飲酒運転が減少したという事実についてです。
これは紛れも無く、厳罰には抑止効果があるという証左です。
念の為に言っておきますが、飲酒運転と殺人を一緒してはいけない等という反論はしないで下さいね。
犯罪のハードルは人によってマチマチです。それこそ飲酒運転ぐらいの感覚で一線を踏み外してしまう人だっています。
「未成年は絶対死刑にならない」と、ゲーム感覚でホームレスを襲撃して殺す不良少年だって大勢いますし。
>存置派である「国」は逆方向に向かっているように思いますし、それではFOXさんが言う所の本村氏が望むような、「凶悪犯罪が起きないから死刑が実質廃止となっている国」を目指しているとは言えないと思うのです。これをどう思うかという話です。
逆方向も何も、日本は犯罪率が世界一低い国ですよ。その上世界有数の裕福な国であり、71年間も戦争をしなかった稀な国です。
一方、死刑廃止国の中に日本より犯罪率が低い国があるのでしょうか?
災害時に混乱や略奪が起らないほどモラルの高い国があるのですか?
日本より犯罪率が高くて戦争や武器輸出をバンバン行っている死刑廃止国に、およそ治安維持についてどうのこうの言う資格はありません。
死刑廃止国である日本は治安に関しては世界一という「結果」を出しているのです。「結果」を出していないものが「結果」を出しているものに意見するとは笑止千万。
死刑廃止国の中に日本より犯罪率が高い国が一国も無くなったと言うのであれば、死刑廃止を考えてもいいでしょう。
>矯正職員として犯罪者の更生を支援する職に就いたはずなのに、人を殺す仕事は想定外ですから。
え?
日本には死刑制度があるから、嫌がる死刑囚を絞首部屋まで引きづり出すのも職務の1つですが?
想定外?
普通分るでしょ、それぐらい。
この方はよっぽどの情報弱者ですか?
そんな人がよく国家公務員試験に受かったものです。
>少数だから無視しても良いと言うのなら、凶悪犯罪被害に遭った人も全体から見れば少数だから無視しても良いとなってしまいます。
>勿論被害者遺族が死刑を望むのは当然のことなのでその気持ちは汲んであげたいと第三者が思うのも自然なのですが、数の論理で望まない遺族の気持ちを汲んであげなくても良いということにもならないと思います。
そうですね、仰るとおりです。
少数派の意見だからといって、その気持ちを無視してはなりません。汲んであげなければいけません。
良い事言うじゃないですか!!
ならば、全体から見れば少数の凶悪犯罪被害に遭った人達の意見も無視してはいけませんね。
遺族の方の気持ちを汲んであげるべきです。
ですから、世の中に加害者の死刑を望む遺族が1人でもいる限り、死刑制度を廃止してはなりません。
何故なら、死刑制度を廃止してしまっては、死刑を望む遺族の気持ちを無視してしまう事になるのですから。
「数の論理で望まない遺族の気持ちを汲んであげなくても良いということにもならないと思います」
これは、貴方の仰った意見です。私も大いに賛同いたします。
死刑を望まない気持ちも、望む気持ちも双方とも汲み取るには、事件はケース・バイ・ケースで考えるのが最も理に適ってますね。
加害者に対して死刑を望むのか、望まないのかを法廷で訴える場を与え、その意見によって判決を下すべきです。
>「被害者の気持ちを考えたら死刑が当然」と第三者が決めつける訳にはいかないのです。
「被害者の気持ちに反すけれど死刑はやりすぎ」と第三者が決めつける訳にはいかないのです。
第三者が決め付けるわけにはいかないのですから、裁判官も裁判員もいりませんね。(検察は事件の真相究明の為に必要です)
被害者に裁断して頂きましょう。
被害者が「死刑」を望めば死刑。「無罪」を望めば無罪。
コレで良いですね。
だって「第三者が決めつける訳にはいかない」のでしょう。
裁判官も裁判員も所詮は第三者です。
戦場では誰もが凶悪な犯罪者となり得ます。あなただって私だって、罪の無い民間人を殺す可能性は有るのです。貧困な国でも凶悪犯罪は多いです。誰もがそうした資質を持っているけれど、社会状況や待遇や人間関係で抑えられているとの考え方に信ぴょう性を感じます。
日本は戦争国では無いですが、世界でトップクラスの自殺大国ということは、やはり何らかの問題が有るということで、「資質」というものの影響が大きい人が居るとしても、それを抑えるのは「何か」という考察を深めるべきです。
少なくとも死刑ではそうしたものを抑えられていないのですから。
>現在までも冤罪死刑は証明されてないのに、科学捜査が飛躍的に向上した今、冤罪死刑の可能性は限りなく低い。
飯塚事件ではその科学捜査をやり直そうとした矢先に死刑が執行されているでは有りませんか。検察側の証拠捏造事件も沢山有るでしょう。そのような現状で検察・警察を100%信用するのはおかしいと思います。
あなたが本当に殺人を憎いと思っているのなら、冤罪の可能性がどんなに低くても、死刑執行の停止を望むはずです。
>でも死刑のほうが極刑なので、2人目を殺す可能性は終身刑より低い。
それが証明されているデータは無いのですよ。激高していればどちらも同じですし、冷静でも、どちらが良いかなんて選べないと思います。
だから廃止国でも数値の変動が無いのですし、日本のアンケートでも終身刑の導入を条件にした場合の死刑存置派の割合が8割から5割に減るのでしょう。
>人間が必ず持つ自由への欲望、それを満たすために「脱走の試みが繰り返される」可能性が高い。
それは死刑でも同じことでしょうし、廃止国で脱走が増えたなどという例も聞きません。
>なんら落ち度のない人間の未来を奪っておきながら、加害者の未来は保証するなんてありえません。
終身刑は加害者の個人的未来を保証してはいませんよ。自由が無いのですから。
奪ったものの穴を埋める為、社会の未来の為に尽くせということです。
>仇討ちじゃないでしょう。
死刑に処されることで、結果的に幾分被害感情が慰撫されますよね
言葉の解釈はどうでも、死刑しか被害者感情を慰撫する方法が無いと考える日本国民の割合が他国より極端に多くなる文化・宗教・国民性が存在するとは思えません。
>そのうえで、死刑を存置することになれば、異論はないんですよね?
情報公開はフェアな議論を深める為に必要なものです。その上で国民が死刑制度を選んだ場合は法には従いますが、当然異論は続けますよ。
廃止国の多くでそれが原因で凶悪犯罪が増えたり、社会不安が増大したというデータが報告されたら考え直すかもしれませんが。
>極悪人殺すほうがまだマシだと言ってます
どちらの経験も無いであろうあなたは概念でそう思えるのでしょうけれど、元刑務官の話からすると、現実は違うということでしょうね。
食肉業界でも、あまりに動物への扱いが残酷だったりする場合には問題を告発しているケースも有りますが、食肉自体を問題にしている現場の人間は居ないと思います。
対して、どんな悪人であっても、個人的な恨みが強烈に無ければ、人間にとっては同族、しかも少しでも交流を持った相手を殺すという作業は生理的に受け入れ難いでしょう。
そういう過酷な仕事をさせているという事実を踏まえないで死刑存置を判断させるべきでは無いという話であって、辞める人が多いから問題だという話ではありません。
>害虫は殺す癖に、人間という種に属していれば100人殺した極悪人でも絶対殺してはいけない理由は?
それを言うなら、100%の罪人であれば殺しても良いとするのも人間のエゴなのです。地球の為ではなく、自分の感情の為なのですから。
極悪人なら殺しても良いとするルールなんて自然には存在しません。
生かすも殺すもどちらもエゴならば、なるべく殺さない方が良いでしょう。
それは動植物に対してもも同じです。「排除の論理」を持ち出す人は、動植物に対しても当然同じ論理で対応するでしょうが、「なるべく殺さない」という意識の人は行動が違って来ると思います。
>現時点でも無期懲役は実質終身刑みたいなものでは?
仮釈放の可能性が有るのと無いのとではイメージはかなり変わると思いますよ。
>死んでるのは極悪人だけ
元刑務官の言葉を忘れましたか?
「死刑と懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる」
最悪でしょう。自殺者数が世界でもトップクラスだというのも納得です。
つまり、弱者に負の部分を押し付けて、極悪人は生き延びさせ、冤罪でも死刑になれば死人に口無しとばかりに悪事を隠す権力側の誤魔化しを「正義」だと勘違いしているような社会だから、そのしわ寄せに苦しくなって死を選ぶ人が続出するのではないでしょうか。
被害者保護法だってつい最近出来たもので、まだまだ不十分です。また、補償金を羨んで遺族を苦しめる発言をするようなケースも問題になっています。死刑存置が8割だといっても、ちっとも被害者に寄り添ってなんかいない。
表面上良い国だと思わさせられているだけで、実は酷い部分を隠しているだけのように思います。悲しいことですが。
抑止が効かなかった原因を探るのもいいですが、死刑に処するのは妥当。
死刑が存在するのにもかかわらず、死刑になるような身勝手極まりない殺人を犯すのが悪い。
「凶悪犯罪の原因」には「本人の個人的資質等の問題」とともに「本人を取り巻く対人関係」「生活環境上の問題」や課題等様々なものが考えられる。
つまり誰でも凶悪な殺人をする可能性があるわけではありません。そこには間違いなく「犯罪者本人の資質」も含まれます。
現存する全ての近代法は、 自由意思の存在と環境により自由意思が制限される事実を肯定した上で、成り立っている。 つまり、環境も悪いが、犯罪者本人も悪い。環境と本人の資質は、どちらの割合が高いかの問題であって、余程のことがない限りはどちらかが0になる事はありえない。
「環境が悪いから犯罪を犯したという事実」は「環境が悪いにもかかわらず犯罪を起こさなかった」という事実の前に説得力を失う。
>「冤罪での死刑執行がされてもやむを得ない」
冤罪死刑を証明してから述べてください。
現在までも冤罪死刑は証明されてないのに、科学捜査が飛躍的に向上した今、冤罪死刑の可能性は限りなく低い。
>「死刑になるなら2人目は殺さないが、終身刑なら何人でも殺す」
死刑があっても2人目を殺す人間は、終身刑でも2人目を殺す人間です。
でも死刑のほうが極刑なので、2人目を殺す可能性は終身刑より低い。
終身刑は、一生出所できない=社会には戻れない、つまり受刑者に希望がない。
人間が必ず持つ自由への欲望、それを満たすために「脱走の試みが繰り返される」可能性が高い。
その際「刑務官を何人殺しても怖いものはない」よね、受刑者はすでに最高刑である終身刑だから。
>「凶悪犯罪者に贖罪は必要無い」
贖罪は必要ですよ、贖罪したからといって、死刑に処されない理由にはならない。
なんら落ち度のない人間の未来を奪っておきながら、加害者の未来は保証するなんてありえません。
>「被害者遺族を救うには死刑で仇討してもらうしか方法が無い」
仇討ちじゃないでしょう。
死刑に処されることで、結果的に幾分被害感情が慰撫されますよね、そもそも遺族が死刑を望んだとしても死刑になるわけではないし。
>国が情報公開をしないので、
情報公開はすべきですね。
そのうえで、死刑を存置することになれば、異論はないんですよね?
>あなたにとっては合法殺人と合法の心の負担度は同じなのですか?
合法殺人(日本の死刑)と比べれば、合法のほうが残酷です。罪のある害のある10人殺した極悪人殺すのと、何の罪もない豚や牛殺すほうが残酷です。
いいですかが悪だと言ってるんじゃありませんよ。
極悪人殺すほうがまだマシだと言ってます。
害虫は殺す癖に、人間という種に属していれば100人殺した極悪人でも絶対殺してはいけない理由は?
哺乳類だから?
知能が高いから?
法律で人権が保障されてるから?
食物連鎖の頂点に君臨してるから?
まるで、人間という種は「生きる権利」を特権的に持っているみたいですね、エゴです。
特定の種の生命(人間)だけを特別視してる死刑廃止論、人間という種に属していれば極悪人でも絶対殺してはいけない、だが、人間に邪魔な動植物は殺していいとする死刑廃止論。
「人間の命だけは別格」という思考の死刑廃止論。
人間という種に属しているかいないかで、明確に命の価値が変化すると思っている死刑廃止論。
宗教的原理主義です。
>懲役刑と死刑との間に終身刑が無いので、やむを得ず死刑にするしかないと考える人は多いでしょう。
今は無期懲役の場合、最低30年服役して、仮釈放になるのが全体の3%ぐらいじゃなかったかな。
現時点でも無期懲役は実質終身刑みたいなものでは?
>犯罪の原因追及や被害者保護もそこそこに、死刑で罪人を排除するというのは最悪の国の在り方だと思います。
最悪の国ではありません。
警官による射殺も少ない、戦争も70年していない、治安がいい、災害時の略奪も少ない、核兵器もない、死んでるのは極悪人だけ。
日本における死刑賛成世論は自分を律する精神性に起因する可能性がある。
死刑で極悪人を排除して、犯罪の原因追及や、被害者保護をするべき。
犯罪被害者保護法などもありますし、昔と比べ被害者の保護は進んでますよ。
この等式が何故成り立つのか、整合的に説明して下さい。
死刑存置派も廃止派も、犯罪を減らしたいという目的は同じですよね?
で、他国の例を見ると、抑止効果に差が有るという研究結果は出ていない訳です。
しかし、差別や貧困や格差が拡大すれば犯罪が増えるというのは明らか。
ならば、今以上に犯罪を減らすという目的の為にはそちらの問題を解消しなければなりません。
廃止派は概ねその動きに積極的ですが、存置派である「国」は逆方向に向かっているように思いますし、それではFOXさんが言う所の本村氏が望むような、「凶悪犯罪が起きないから死刑が実質廃止となっている国」を目指しているとは言えないと思うのです。これをどう思うかという話です。
>そもそも死刑執行に携わりたくないのに刑務官に就職しようとするのは、魚を殺したくないのに板前になりたいと言ってるようなもの。
あなたは刑務官の仕事をしていたわけではないでしょう?
FOXさんにも言いましたが、魚を殺す感覚と人を殺す感覚が同じなのですか?だとすると死刑存置派には死刑での犯罪抑止効果は薄いということであって、これは問題ですよ。
読んでいないようなのでまた貼っておきます。
http://news.livedoor.com/article/detail/8904112/
「刑務官である限り、死刑執行を命じられたら受けなくてはならないんですが、誰もが最も嫌がる仕事です。それはそうでしょう。矯正職員として犯罪者の更生を支援する職に就いたはずなのに、人を殺す仕事は想定外ですから。どんな極悪犯であっても、改心させる努力をし、あげくの果てに、その者の命を奪う。非常に辛い仕事です」
死刑執行の内容は死刑執行は滅多に行われません。毎日魚をさばく板前と違い、刑務官の主な仕事では有りません。魚だって、毎日餌をやって声を掛けたりしていれば、殺すのは躊躇するでしょう。なぜそういうイメージができないのでしょうか?
刑の執行は非公開ですし、刑務官には守秘義務が有りますから、職に就く前に漠然と覚悟をしたとしても、実際に現場に立ち会えば平常心ではいられないのは当然です。
>ごく稀に死刑を望まない被害者遺族もおられますが、大多数の被害者遺族の方々は死刑制度を支持しています。
少数だから無視しても良いと言うのなら、凶悪犯罪被害に遭った人も全体から見れば少数だから無視しても良いとなってしまいます。
勿論被害者遺族が死刑を望むのは当然のことなのでその気持ちは汲んであげたいと第三者が思うのも自然なのですが、数の論理で望まない遺族の気持ちを汲んであげなくても良いということにもならないと思います。
つまり、「被害者の気持ちを考えたら死刑が当然」と第三者が決めつける訳にはいかないのです。
被害者を出さない為にどういう国になるのが理想的なのか、それをどうやって実現するかを感情だけでは無く理論で議論するのが第三者の役目だと思います。
と、ここまでお答えしましたが、冷静に、真摯に議論をするべき場において、あなたの態度は配慮を欠いていると思いますので、その調子で来られた場合は以降お答えは致しかねます。
いいえ。死刑賛成派だったとしても、少なくとも冤罪の疑いが有るケースについては執行猶予を政府に要望するべきであるという意見です。
秋葉原事件は、加害者の生い立ちや日常に孤独であった点は見受けられるものの、無関係の人に殺意を抱くほど異常な状況であったようには思えない、つまりは「普通の」20代代の男性が多数の人を殺傷するほどに激高した、つまり、死刑での抑止が効かなかった原因を探ることが重要だと思います。
>主権国家である以上、他国は関係ないし、文化、宗教、国民性が違うので他国のメリットが自国のメリットになるとは限らない。
「冤罪での死刑執行がされてもやむを得ない」「死刑になるなら2人目は殺さないが、終身刑なら何人でも殺す」「凶悪犯罪者に贖罪は必要無い」「被害者遺族を救うには死刑で仇討してもらうしか方法が無い」と考える日本国民の割合が他国と比較して特に多いとは思えませんし、そうであって欲しくないですね。
>殆どの刑務官が辞めたいなら、社会的に問題になり、おのずと死刑廃止になるんじゃないの?
元刑務官が問題にしているのは、国が情報公開をしないので、死刑存置派には死刑制度の問題点という現実を知らない人が多いということです。
>あなたの論理で進めると、殆どの食肉業者皆が辞めなければならなくなると思います。
あなたにとっては合法殺人と合法の心の負担度は同じなのですか?
>日本は死刑賛成が八割、すなわち刑務官に需要がある。
現在は懲役刑と死刑との間に終身刑が無いので、やむを得ず死刑にするしかないと考える人は多いでしょう。しかし、終身刑のメリットを理解して、導入を議論すれば、死刑賛成が八割を超えることは無いと思います。現在でも終身刑を導入した場合での存置派の率は5割です。
>死刑を廃止することでしか、死刑を無くすことが出来ない国より理想的。
凶悪犯罪が起きる原因である差別や格差を無くし、死刑制度を廃止しても凶悪犯罪が増えない社会の方が理想的だと思いますよ。GDPトップクラスの先進国なのに、犯罪の原因追及や被害者保護もそこそこに、死刑で罪人を排除するというのは最悪の国の在り方だと思います。
心から凶悪犯罪を減らしたいと思っているのなら、死刑を声高に叫ぶよりも、差別と格差を無くせと叫ぶ方が先。
そして心から被害者感情を慮るのなら、死刑廃止国が被害者救済の為の制度を充実させているように、こちらを先に要求するべきです。
>貧困や格差が犯罪の温床になるのですから、凶悪犯罪を抑止するにはこちらの方が現実的だということですよ。
だ・か・ら・よ~~~
死刑廃止したって貧困や格差が是正されるわけじゃないだろ。
もし死刑廃止したら貧困や格差が是正されるっつーのなら、どこがどうなって貧困や格差が是正されるのか、論理的に説明してくれるか。論理的に。
つか、無理だろうけど。
死刑囚を全員服役させたところで、んなものが日本経済に与える影響はほぼ0と言っていい。
むしろ服役させたとしても、刑務官の給料や施設の維持費を差し引けばマイナスになる。
ただ、死刑囚に何十年もただ飯を食わせるのも税金の無駄遣いなので、冤罪の可能性が全く無い死刑囚は死刑判決後、即刑場へ直行でいいと思ってる。
順番逆なのはアンタだよ。
凶悪犯罪を生み出すような、貧困や格差が是正が先といっておきながら、その貧困や格差がなくならないうちから死刑廃止してどうするのかと?
もう一度聞く、
貧困や格差の是正=死刑廃止
この等式が何故成り立つのか、整合的に説明して下さい。
>日本は嫌な仕事を辞められないで心の病気に至る人の数がとても多いのを御存じないのでしょうか?
日本は職業選択の自由が憲法で保障されているのをご存じないのでしょうか?
そもそも死刑執行に携わりたくないのに刑務官に就職しようとするのは、魚を殺したくないのに板前になりたいと言ってるようなもの。
>まず死刑ありきで考えるのはそれこそ被害者の声を結果的に無視することになります。
>被害者遺族の気持ちを尊重すべきであるなら、死刑に反対する遺族がいるという事実を無視してはいけないのではないか。
>死刑を望まないという被害者遺族の声を、死刑賛成派諸氏はどのように解釈しておられるのか。意見を伺いたい点ではある。
犯罪被害者の会は基本死刑制度を肯定しています。
そりゃ統計的に言って、ごく稀に死刑を望まない被害者遺族もおられますが、大多数の被害者遺族の方々は死刑制度を支持しています。
それこそ事件は一つ一つ異なるので、十把一絡げに考えてはいけません。
ただ、単なる遊ぶ金欲しさからの犯行や強姦殺人などの、加害者に何ら同情の余地がなく、なおかつ凶悪残忍な凶悪犯に対してはほぼ全ての被害者遺族が死刑を望みます。
「被害者の立場に立って」
ここに引っかかっている。その被害者とは具体的に誰のことを指しているのか。
自分には被害者遺族の知り合いがいて、直接話を聞いたことがあるという意味なのか。あるいは自分自身被害者遺族(または近い関係の人)であるという意味なのか。もしくは何らかの記事などを読んだという意味なのか。
もしいずれでもないのなら、申し訳ないが結局それは「想像上の被害者(遺族)」にすぎないのではないか。
keiさんの示されたような、被害者遺族が死刑を望まなくなった例は「現実の遺族の声である」。事実である。
想像上のものと、現実に存在するものと、どちらを重視すべきかは言うまでもないと思う。
被害者遺族の気持ちを尊重すべきであるなら、死刑に反対する遺族がいるという事実を無視してはいけないのではないか。
死刑を望まないという被害者遺族の声を、死刑賛成派諸氏はどのように解釈しておられるのか。意見を伺いたい点ではある。
じゃあ、冤罪の疑いのない秋葉原事件に代表される現行犯の死刑には賛成なんですか?
>廃止国の増加と~社会において、終身刑のメリットが総合的に死刑を上回る可能性が存在することは証明されています。
主権国家である以上、他国は関係ないし、文化、宗教、国民性が違うので他国のメリットが自国のメリットになるとは限らない。
廃止国の増加も意味がない。
欧米で死刑廃止運動が先行したのは、欧米が世界で最初に宗教の世俗化を経験したから。
第三世界にも及んでいる死刑廃止。
これは欧米先進国から経済支援を受けるさいに、欧米並みの「人権国家」と認められるための方便。
日本はとっくの昔に世俗化しているので、同じ動機から死刑廃止が主張されることはありませんよ。
仏教と死刑制度は関係ないし、欧米のような魔女狩りによる冤罪死刑はなく、刑罰としての死刑制度の歴史を現在に至るまで純粋に保持しています。
>「仕事だから我慢しろ」と、問題を無視する為に現場の人間の声を切り捨てる社会の空気が問題でしょう。
全体の何割が辞めたがってるんですか?
殆どの刑務官が辞めたいなら、社会的に問題になり、おのずと死刑廃止になるんじゃないの?
それだったら国民も納得するでしょう。
>普通の感覚である限り、死刑執行が嫌じゃない人は居ないと思うので、あなたの論理で進めると、殆どの刑務官皆が辞めなければならなくなると思います。
そもそも嫌な仕事を辞められないとか言い出せば、牛や豚を殺すのが嫌じゃない食肉業者は居ないと思うので、あなたの論理で進めると、殆どの食肉業者皆が辞めなければならなくなると思います。嫌な仕事でも、需要があるかぎり誰かが従事するんです。日本は死刑賛成が八割、すなわち刑務官に需要がある。
>死刑のような判決が出る事件がない社会を実現するにはどうすべきか、考えるきっかけになれば」 と、あれだけ死刑を熱望していたにも拘らず、死刑という刑罰に否定的とも言える視点が付加されています。
凶悪犯罪を無くしてしまえば、死刑も無くなるのですから、死刑になるような殺人を無くすよう努力し、「凶悪犯罪が起きないから死刑が実質廃止となっている国」という、高いところを目指すべきと、本村さんは言ってるんですよ。死刑を廃止することでしか、死刑を無くすことが出来ない国より理想的。
>死刑になるような犯罪を犯す人が表れないような社会をどう作るかの話し合いが先に必要なのではないかということです。
>本村氏も述べているように、死刑になるような犯罪を犯す人が表れないような社会をどう作るかの話し合いが先に必要なのではないかということです。
本村さんは死刑ありきで考えてるでしょう。
死刑をなくすのが先ではなく、凶悪犯罪をなくすのが先でしょ。
同等の効果を持つことは、多くの廃止国での数字の変動に大差が無いことから明らかだと思います。冤罪を作り出す体質が捜査機関に在り、死刑囚にも冤罪疑いの濃厚な例が多数見受けられることを考えても、死刑制度が存在する今でも、死刑執行するべきではありません。
>死刑だろうが終身刑だろうが抑止力の証明は不可能です。
廃止国の増加と、死刑を復活している国が皆無(イギリスはテロの影響で復活の声が高まっていますが、アメリカは廃止方向にあります)であることから、社会において、終身刑のメリットが総合的に死刑を上回る可能性が存在することは証明されています。
>今すぐにでも辞めたいが辞めることができない制度に問題があるのであって、死刑制度に問題はないです。
辞めることが出来ない「制度」などというものは有りません。有ったら、それこそ人権侵害です。「仕事だから我慢しろ」と、問題を無視する為に現場の人間の声を切り捨てる社会の空気が問題でしょう。真面目に勤め上げてきた刑務官が死刑制度の問題を当事者として意見しているのだから、「制度の問題」はこちらの方に在るのです。
>殺人に対する憎しみを語りたいのなら、被害者の立場に立って、その殺人者に向かって語ってください。
被害者にも様々な意見が有ります。
米国のテロで家族を亡くした被害者遺族は直後は85%が犯人の死刑を望んでいたのが、6年後に犯人が処刑された後は50%が死刑反対に変わったそうですし、日本でも似たような例が有ります。「光母子殺人」の被害者遺族の本村氏も、時間の経過の中で様々な経験をし、冷静さを取り戻したせいか、最高裁の判決後には「(妻、娘に被告人を加え)3人の命を無駄にしないよう、死刑のような判決が出る事件がない社会を実現するにはどうすべきか、考えるきっかけになれば」 と、あれだけ死刑を熱望していたにも拘らず、死刑という刑罰に否定的とも言える視点が付加されています。
私も若い頃は、残虐な犯罪者には死刑は当然と思っていました。被害者遺族が「死刑にしてほしい」と考えるのは「それはそうだろう」と思いはします。でもそれは感情であり、論理ではない。第三者は論理寄りで考える方が社会にとっては有益な結果を生むのではないでしょうか。
>自ら志願して公務員試験に合格し刑務官の職に就いたのです
最初はあなたのように考えていたとしても、まともな人間が恨んでもいない人を殺すのは相当なストレスなのだということでしょう。
>日本における1%の極悪人を死刑にしている制度を廃止したところで、貧困や格差にこれっぽっちも影響なんてありません。
本村氏も述べているように、死刑になるような犯罪を犯す人が表れないような社会をどう作るかの話し合いが先に必要なのではないかということです。
まず死刑ありきで考えるのはそれこそ被害者の声を結果的に無視することになります。
>本音と建て前は違いますよ
本音とは問題点を考えなくて済む無責任なものですから。建て前を上回るだけの理論が必要ですね。
廃止派が「死刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」を主張するならば「存置派は終身刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」を主張するまで。
終身刑や有期刑にしても統計的には明確な抑止効果は証明されておらず、終身刑や有期刑が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。
>個別要因が考えられます。
そりゃそうでしょう。
死刑制度だけで、犯罪が抑止できてるなんて思ってません。
>それらが終身刑では抑止出来ないという証明には成り得ません。
死刑だろうが終身刑だろうが抑止力の証明は不可能です。
>日本は嫌な仕事を辞められないで心の病気に至る人の数がとても多いのを御存じないのでしょうか?
本気で死刑執行が嫌で、今すぐにでも辞めたい刑務官が全体の何割いるんですか?
今すぐにでも辞めたいが辞めることができない制度に問題があるのであって、死刑制度に問題はないです。
>あなたは机上の論理と感情だけで判断していて、現実を目にしている訳では無いのですから。
そっくりそのままお返しします。
殺人に対する憎しみを語りたいのなら、被害者の立場に立って、その殺人者に向かって語ってください。
自ら志願して公務員試験に合格し刑務官の職に就いたのです。
また死刑制度のある法治国家において、死刑が確定していながら個人的な政治信条でサイン出来ない人間は法務大臣になる資格などそもそもない。
>死刑制度を導入している国は貧困や格差の問題を抱えた国が多いです。日本もそうなりつつありますね。
死刑制度が貧困や格差を生むわけではない。
特に日本における1%の極悪人を死刑にしている制度を廃止したところで、貧困や格差にこれっぽっちも影響なんてありません。
>飲酒運転が激減する効果は有るでしょうが、実現しないのは何故だと思いますか?
厳罰化に抑止効果はあるが、人道上の問題から死刑にはできないんじゃないの。
どこかで線引きしなければ厳罰化がエスカレートして、独裁国家のような恐怖政治になりますから。
でも、本音と建て前は違いますよ。
飲酒運転で死亡事故起こした人間は死刑でもいいって人、多いと思います。
死刑廃止国の多くでそれらの犯罪が増えたというデータは出ていないので、死刑が終身刑よりも優れた抑止効果を生むという結論には成り得ません。
死刑制度を導入している米国でもテロが増加している、また、中国やイランや北朝鮮や日本でテロが起きないのは死刑制度のせいでは無いということからも解るように、イギリスのテロにも、イタリアのマフィアの犯罪にもそれぞれ難民の急激な増加や景気の悪化などの個別要因が考えられます。
>組織暴力、営利誘拐殺人、保険金殺人などの「合理的選択理論」の対象になる凶悪犯罪が死刑制度により「一件でも抑」止できていたとしたら、それは「死刑による抑止力の証明」を意味するんです
それらが終身刑では抑止出来ないという証明には成り得ません。
>本当に嫌なら辞めます
日本は嫌な仕事を辞められないで心の病気に至る人の数がとても多いのを御存じないのでしょうか?
>ならばその人によって殺害された人がどれほど「残虐な目に遭って死んだのか」その現場なり遺体なりを想像してください
そんなことは、当事者はあなた以上に日々現実を目の前にして考えていることです。それでも殺人という行為は簡単には受け入れられないということを証言しているのだと素直に捉えるべきです。あなたは机上の論理と感情だけで判断していて、現実を目にしている訳では無いのですから。
>ごく一部の極悪人を処刑しなければ、貧困や格差が是正されるんですか?
貧困や格差が犯罪の温床になるのですから、凶悪犯罪を抑止するにはこちらの方が現実的だということですよ。死刑制度を導入している国は貧困や格差の問題を抱えた国が多いです。日本もそうなりつつありますね。GDPだけでは豊かさは測れません。
飲酒運転での厳罰化については上記コメで回答しています。
飲酒運転が激減する効果は有るでしょうが、実現しないのは何故だと思いますか?
一般的に殺人は「激情型のケース」が多く、その場合「合理的選択理論」は当て嵌まらない。
しかし、少ないケースでも当て嵌まるものが存在。
組織暴力などの犯罪を生業としているケースや、児童に対する営利誘拐殺人、保険金殺人などは「合理的選択理論」の対象になる。
麻薬犯罪も「合理的選択理論」に該当する。
故に抑止効果の根拠としては十分。
以下がその事例。
イギリス→死刑を廃止以降、テロリストによる警官殺しが増加 。
イタリア→死刑廃止後、マフィアによって裁判官、検察官、政治家、犯罪学者が次々と殺される事件が発生 。
極端な話、組織暴力、営利誘拐殺人、保険金殺人などの「合理的選択理論」の対象になる凶悪犯罪が死刑制度により「一件でも抑」止できていたとしたら、それは「死刑による抑止力の証明」を意味するんです
で、以前にも述べましたが、「死刑になりたくないから犯罪をやめよう」と思い、犯罪に着手しなかった者については、統計として表に現れない、数字として出てこない。
>普通の感覚である限り、死刑執行が嫌じゃない人は居ないと思うので、あなたの論理で進めると、殆どの刑務官皆が辞めなければならなくなると思います。
本当に嫌なら辞めます。
現状では死刑執行は職務です。
死刑に処される人は可哀想、死刑なんて非人道的だと考えるのは至って簡単なことだが、ならばその人によって殺害された人がどれほど「残虐な目に遭って死んだのか」その現場なり遺体なりを想像してください。
>社会的不公平の是正を強く訴えている団体は死刑廃止も訴えているものですが、それは問題の本質を捉えているからでしょう。
意味が分かりません。
ごく一部の極悪人を処刑しなければ、貧困や格差が是正されるんですか?
日本と同程度のGDPを維持し、治安の良さも同程度の廃止国があるんですか?
>飲酒運転でも死刑を適用すべきとお考えなのですか?
あなたの厳罰化の基準は死刑だけなんですか?
飲酒運転が厳罰化されましたよね。
それについてどう思いますか?
飲酒運転でも死刑の場合は極論すると以下。
飲酒運転死亡事故は即死刑。
「死刑になりたくない」がために救助等を怠って、逃げる確率が高まるかもしれません。
これらの解決方法としては「飲酒運転事故は重罪だが適切な措置を取れば減刑」「轢き逃げ即死刑」で解決。
何故死刑が廃止になると突然脱走を図ると考えるのかの根拠が書いてないですね。
これが実際に起きるなら、死刑廃止国でも問題になっていると思いますが、そうした事実が有るのでしょうか?
>刑務官を襲ったり脱獄しようとしたりしようものなら、即射殺です
これは正当防衛に当たるので仕方が無いですね。
>死刑廃止したら、貧困や格差が是正されるのですか?日本の景気がよくなるんですかい??
逆ですよ。貧困や格差が犯罪の温床になっているという本質を踏まえているということです。
これを解消することで犯罪率が減少し、景気が良くなることは考えられます。
イスラエルや南アフリカや南米ホンジェラスが抱える問題も、その本質が問題になっているのでは?
>そもそも死刑廃止国に日本より豊かで治安のいい国があるんですか????
GDP世界TOP3は全て死刑在置国ですが?????
GDPだけでは豊かさは測れませんよ。
日本は豊かさランキングでは20位台で、先進国では下位です。上位には死刑廃止国が多いですね。
逆に死刑執行国が必ずしも治安が良いとも限りません。
戦後すぐから高度経済成長時までの犯罪率の高さを考えると、日本はその後戦争もせず、国民全体的に豊かな生活を送れる時代が長かったので、治安が良くなったのだと考えます。
>飲酒運転に死刑を適用し、痛ましい事故が一件でも減るのであれば、私は大いに賛同いたします。
飲酒運転の厳罰化は必要と考えますが、死刑を適用するのは被害者遺族を含め多くの国民が過重と考えるとと思います。
飲酒運転でも死刑を適用すべきとお考えなのですか?
そのとおりです!!
飲酒運転に死刑を適用し、痛ましい事故が一件でも減るのであれば、私は大いに賛同いたします。
「死刑廃止論は、現場を知らない者の発想。廃止すれば彼らは刑務官殺傷して脱走図る」…元刑務官激白
http://blog.livedoor.jp/onisoku/archives/53592214.html
因みに死刑廃止国では、刑務官を襲ったり脱獄しようとしたりしようものなら、即射殺です。
>。貧困の解消や、社会的不公平の是正を強く訴えている団体は死刑廃止も訴えているものですが、それは問題の本質を捉えているからでしょう。
問題の本質ってなんですか?
死刑廃止したら、貧困や格差が是正されるのですか?日本の景気がよくなるんですかい??
あの年中テロ起ってるイスラエルや治安の悪さで有名な南アフリカや殺人発生率世界一の南米ホンジェラスも死刑廃止国ですが、それの何処が問題の本質を捉えているんですか???
そもそも死刑廃止国に日本より豊かで治安のいい国があるんですか????
GDP世界TOP3は全て死刑在置国ですが?????
極論を示して理解して頂けるかと思いましたが、前提状況が違い過ぎては見本になりません。そもそも麻薬犯罪者は殺人犯に多く見られる「激高して犯行に至る」ケースは考え難いので、抑止効果の根拠としては不適当です。
>現在より精神的負担は軽減されるでしょう。
ならないと思いますよ。現在も死刑を実行しているのは人手ではなく機械ですから。刑務官はボタンを押すだけです。ロボットに押させるにも人が操作するのです。遺体の始末も同じことです。
刑務官の話は個人的な向き不向きの話では無く、普遍的な問題を語っているのです。職務だからといって、恨んでもいない相手を殺すことが容易では無いというのは、兵士の話でもよく聞くことです。
刑務官達はそれでも職務だから仕方なくやっている。
誰かがやらなければならない事だから。でも、無理をしているから精神的な負担が強い。
そういう方達に対して「嫌なら辞めろ」と言うのは思慮が無さ過ぎるように思います。
普通の感覚である限り、死刑執行が嫌じゃない人は居ないと思うので、あなたの論理で進めると、殆どの刑務官皆が辞めなければならなくなると思います。
>冤罪の可能性を考慮しないとか言ってませんよ
考慮していたら、冤罪での死刑判決の件数が確実に増える案は出さないと思いますよ。かろうじて死刑執行が防げたとしても、その恐怖は計り知れないのです。
>死刑を存置しつつ、貧困の解消や、社会的不公平の是正など、殺人の原因となる社会環境を是正すればいいって言ってるんですよ。
死刑に抑止効果が有るといえるデータが無い以上、終身刑に置き換えた方が良いと思います。貧困の解消や、社会的不公平の是正を強く訴えている団体は死刑廃止も訴えているものですが、それは問題の本質を捉えているからでしょう。
>飲酒運転の厳罰化にも反対なんですか?
飲酒運転でも死刑を適用すべきとお考えなのですか?
死刑判決が出て、その後冤罪だと証明された事件なんて多数存在しますか?
ちょっと羅列してみて下さい。
そして、それらが死刑判決を下されるような稀なケース(そもそも死刑判決自体が滅多に出ない。出るのは余程悪質な場合のみ)とくらべて、それよりは多数存在するのかしないのか、検証してみたいです。
>国民の過半数が、「もし自分や身内が冤罪で死刑判決を受けても、凶悪犯罪者を死刑にする為なら止むを得ない」と考えるとも思えません。
日本人の8割以上は死刑制度も止むなしと考えています。
そもそもそれを言うなら、国民の過半数が、「もし自分や身内が冤罪で終身刑を受けても、凶悪犯罪者を終身刑にする為なら止むを得ない」と考えるとも思えません。
>冤罪の恐怖と言う社会不安が増すだけです。現在でも冤罪は出世志向の強い警察・検察側の意図で作られているケースが有るのですから、そうした権力側の犯罪が多発すると思います。
いい加減「死刑=冤罪を生み出す」って考えから離れましょうよ。
死刑を廃止すれば、確かに冤罪で死刑になる人はいなくなるかもしれません。しかし、死ぬまで刑務所に入れられる人が出てくるだけなのです。
冤罪は死刑のみならずどんな刑罰にだってありえます。
そして、懲役だって充分取り返しのつかない刑罰なんです。
冤罪だと証明されたからといって、時間が取り戻せますか?袴田さんや菅谷さんが若返るのですか?
冤罪を生み出さない法整備は重要ですが、それは死刑制度とはまた別問題です。
それに例えば、行員や人質を10人ほど殺害した銀行強盗が、警官隊の突入によって制圧、逮捕されました。
こういった場合でも、冤罪の可能性があると思っているのですか?
>日本も凶悪犯罪には死刑が適用されているのですが、誰も出頭しませんね。何故だと思います?
確か闇サイト殺人の犯人は「死刑になりたくなかった」といって出頭しましたけどね。
日本は麻薬犯罪ぐらいでは死刑にならないので、捕まった場合のリスクを天秤にかけて出頭しないだけです。
麻薬犯罪を続けるた場合
日本:発覚しても懲役
フィリピン:発覚次第、射殺
発覚してもどの道同じ懲役刑なら、発覚しない可能性もあるので出頭しないのは当たり前です。
そして、ドゥテルテ大統領のこの英断により、麻薬犯罪が大幅に減少したのは紛れも無い事実なんです。
麻薬でパーになった中毒患者が起こしたであろう痛ましい事件が未然に食い止められました。
勿論その中には殺人事件だって含まれるでしょう。
私は100人の凶悪犯が更正するよりも、1人の無辜の人間が被害に遭わないことの方が遥かに価値があると、そう思います。
極論です、フィリピンの例は「死の恐怖に抑止が働く」という見本に過ぎない。
日本において本気で麻薬犯罪者を射殺なんてできるわけないでしょう、巻き添えも増えるし、危険すぎる。
>ロボットを動かすにも操作する人間が必要です。死刑後の遺体の始末も人の手で行うしか無いでしょう。
現在より精神的負担は軽減されるでしょう。
遺体の始末もロボットで可能になるのでは。
>押したくない遺族も多いでしょう。その場合はどうします?
刑務官、ロボットに押させればいいい。
そもそも論点はそこじゃないです。
刑務官になる以上、自身が死刑執行のボタンを押す可能性を考慮するのは当然です。
本気で想定外だと感じたなら勉強不足、刑務官を辞めればいい。
普段から死刑囚に接する刑務官と 死刑執行の刑務官を分けるとかいくらでも工夫できる。
現状では死刑執行は職務です。
>冤罪の可能性も考慮せずに死刑の適用範囲を拡げることを希望するということは、結果的に権力側が犯す罪を肯定していますよね。
冤罪の可能性を考慮しないとか言ってませんよ。
死刑の適用範囲を拡げこるとは必ずしも悪じゃありません。そもそも軽犯罪に死刑適用とか言ってないし。
現状の二人以上殺害した場合じゃないと、死刑になりにくい状況は納得できない。
>犯罪を抑止する為に効果が有るる理想的な方法は、あなたも解ってらっしゃるじゃないですか。これを政府にやらせればよいのです。
死刑を存置しつつ、貧困の解消や、社会的不公平の是正など、殺人の原因となる社会環境を是正すればいいって言ってるんですよ。
あと殺人の原因には当然本人の資質も含まれてますよ。
犯罪が増えている訳でもない日本で厳罰化する必要性は有りません。
飲酒運転の厳罰化にも反対なんですか?
↓
辞めたら問題が存在しなくなる訳では無い
最後の一行は消し忘れです。
「死刑になるのが怖いから」という理由で死刑レベルの犯罪を犯した人が減刑してもらう目的で出頭したことって有るのですか?
私は存じないのですが。
では、フィリピンの例を真似をして、死刑判決が下された人はその場で死刑に処すことになったとします。
そうなると、当然冤罪で殺される被害者も多数発生する訳です。この場合に、あなたの論理で遺族感情を鑑みた場合、死刑執行命令を下した関係者が死刑にされなければ遺族は許せないとなります。
ロボットにやらせたら執行する側の責任や罪悪感が免れるということは有りません。ロボットを動かすにも操作する人間が必要です。死刑後の遺体の始末も人の手で行うしか無いでしょう。
遺族にボタンを押させるとしても、押したくない遺族も多いでしょう。その場合はどうします?
結局誰かが罪の無い人を殺したかもしれないという罪悪感に苛まれるのです。
嫌なら辞めればいいという、個人的な問題では無いのです。辞めたら問題が存在しなる訳では無いのですから。
>死刑がない場合、「これだけ殺しても死刑にならない、じゃあ、もっと殺しても大丈夫」ってなりますよ
そのような快楽殺人を犯す人間は稀中の稀でしょう。そうした犯罪が多発するのなら、死刑廃止国では殺人率が漏れなく増加傾向になるはずですが、そのようなデータは有りません。
>別に恐怖政治を肯定してるわけじゃないですよ。
冤罪の可能性も考慮せずに死刑の適用範囲を拡げることを希望するということは、結果的に権力側が犯す罪を肯定していますよね。
>死刑廃止によって殺人が減少したとしても、それは貧困の解消や、社会的不公平の是正など、殺人の原因となる社会環境を是正してきた結果でもあるかもしれない
犯罪を抑止する為に効果が有るる理想的な方法は、あなたも解ってらっしゃるじゃないですか。これを政府にやらせればよいのです。
犯罪が増えている訳でもない日本で厳罰化する必要性は有りません。冤罪の恐怖と言う社会不安が増すだけです。現在でも冤罪は出世志向の強い警察・検察側の意図で作られているケースが有るのですから、そうした権力側の犯罪が多発すると思います。
死刑レベルの残虐な殺人を犯す人の
誰も?
現在に至るまで、殺人犯が出頭したことってないんですか?
麻薬犯罪者より、殺人犯のほうが総数が少ないので出頭しても目立たないだけでしょ。
>「死刑が怖いから殺すのは一人だけにしておこう」
それよりも死刑がない場合、「これだけ殺しても死刑にならない、じゃあ、もっと殺しても大丈夫」ってなりますよ。
そもそも死刑の適用範囲が狭い為に抑止効果が確認しずらいことも要因。
僅かな罪でも直ぐに適用し、数日の内に執行するようならばかなりの抑止効果が期待できます。
例えば、子供を虐待し死亡させたら自動的に死刑が適用。これはかなり抑止効果が期待できる。
独裁国家は確実に犯罪は少ないですよね。
これは強力な刑罰による抑止力が働いている証拠です。別に恐怖政治を肯定してるわけじゃないですよ。
抑止効果の可能性として、述べてるだけです。
現時点で、死刑制度復活すれば、更なる犯罪減少効果を生むかもね。
そもそも死刑廃止から時が流れ過ぎてるので、終身刑が死刑にも劣らない抑止効果を生むという証明はできない。
死刑廃止によって殺人が減少したとしても、それは貧困の解消や、社会的不公平の是正など、殺人の原因となる社会環境を是正してきた結果でもあるかもしれない。
因果関係は不明。
>刑罰に変化の無いない犯罪は90年代まで上がり続け、死刑制度が全面的に廃止になった凶悪犯罪は廃止になった翌年から減少傾向になったというわけです。
1966年死刑廃止後に「急激に殺人発生率が増加して固定されている」のは明らかですよね。
>被害者遺族の傷は加害者への処罰では癒されないことはあなたもお解りでしょう。
廃止派はよく「癒されない」って言葉を使いますが、全くわかってない。癒される癒されないの次元じゃないの。
遺族にとっては加害者がこの世で息をしてること自体が許せないんですよ。
全国犯罪被害者の会(死刑賛成・維持・推進姿勢をとる団体)はご存知ですか?
凶悪な殺人事件の被告に対しては必ず死刑判決を望む姿勢を堅持しており、被告に対しては「死をもって償ってもらう」以外の選択肢は持ち合わせていないという立場。
>被害者遺族のケアを優先する法整備をすることを重視するべきです。
死刑制度を維持し、被害者遺族支援制度を両立することは可能。
>刑罰は排除の為に在ってはなりません。犯罪の抑止と償いの為に在るべきです。
個人的感想による理想論に過ぎない。
死ぬことがなによりの償いである極悪人も存在します。
人間以外の害虫、害獣は大した理由もなく処分するくせに、こと人間に限れば「百人殺した極悪人でも殺すな」は随分虫のいい話。
>本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。
その理論だと、死刑→無期懲役→懲役二十年→懲役十年→懲役五年→執行猶予の順に悪質さが増大するんですね(そんなわけない)
オウム事件、秋葉原事件、北九州監禁事件、秋葉原事件、宇都宮宝石店放火殺人事件、三島女子短大生焼殺事件。
上記事件をくぐってみてください、他にもありますが。
「本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない」との言葉が妄想だということが分かりますので。
裁量には、動機、残虐性、結果の重大性、被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状などが考慮されるんです。
それらの要素を総合して悪質性が高いと判断されたから、死刑になるんです。
>死刑が抑止としても再発防止としても、効果を発揮していないことが解ります。「絶対的安心感」は思い込みに過ぎず、「実害」は防げていないということです。
終身刑が抑止としても再発防止としても、効果を発揮していないことが解ります。「寛容論」は思い込みに過ぎず、「実害」は防げていないということです。
>人を殺す仕事は想定外ですから。
刑務官になる以上、自身が死刑執行のボタンを押す可能性を考慮するのは当然です。
本気で想定外だと感じたなら勉強不足、刑務官を辞めればいい。
普段から死刑囚に接する刑務官と 死刑執行の刑務官を分けるとかいくらでも工夫できる。
それでも執行が辛いと言うなら、職員もロボット化すればいい。
遺族にボタンを押させてもいいと思います。
故に、刑務官の心情からの死刑廃止論は説得力ない。
>贖罪意識の有る方を殺してしまうのは、仕事とはいえ苦痛でしか無いようです。
贖罪意識をもって死んでいってもらうのが理想的なんですよ。
純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、死刑に処される。
その非業さと残酷さはまさに、死刑囚が犯した殺人そのものなのです(勿論、死刑囚が犯した殺人が一番残酷なんですけどね)
死刑に処されることにより、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知るのです。
凄く単純に言いますよ。
死刑が存在するのにもかかわらず、死刑になるような凶悪な犯罪を犯さなければいいんです!
>宅間守や加藤智大の様な明らかに犯行が明白なケースでも、冤罪を理由に死刑を廃止することに合理性があるのでしょうか?
「死刑になりたいから殺人を犯した」と言う人間は、確実に死刑判決を受けるレベルの計画的な殺人を犯していますので、どんな重罪でも抑止は出来ないのは明らかです。
彼等のしていることは「道連れ心中」なので、終身刑に変えたところで、こうしたケースでの犠牲者が減ることは有っても、増えることは無いと思います。
あなたの論理に基づいて結論を出すとすると、稀なケースに合わせて少なくともそれよりは多数存在する冤罪での死刑判決を認めることには合理性が無いと判断します。
国民の過半数が、「もし自分や身内が冤罪で死刑判決を受けても、凶悪犯罪者を死刑にする為なら止むを得ない」と考えるとも思えません。
>信長は自分の領地の罪人を罪の軽重に関わらず一銭盗んだだけで死罪にしました
確かに軽犯罪には効果が有るでしょう。
しかし、尚更冤罪での死刑のリスクは高まりますよ。
女性が夜の一人歩きが出来る為にそのような極端な重罰を国民が受け入れるとは思えません。
今でも一人歩き出来ますし。
>フィリピンで麻薬犯罪者400人を射殺したところ、恐れをなした57万人もの麻薬犯罪者が出頭しました。
日本も凶悪犯罪には死刑が適用されているのですが、誰も出頭しませんね。何故だと思います?
>その暴走を抑えているのが死刑を含む刑罰だと思うのですが、そのブレーキをわざわざ緩める必要性が何処にあるのでしょうか?
「死刑が怖いから麻薬には手を出さないでおこう」と考える人は多いと思いますが、衝動的にに殺人を犯すに当たって「死刑が怖いから殺すのは一人だけにしておこう」と冷静に考えたという証言は聞いたことが無く、死かなり稀だと思いますし、死刑制度廃止国の例を見てもそうした心理が働くと感じられるデータは出ていないので、それならブレーキとしてはあまり意味が無く、それなら記事に在るように終身刑の方がメリットが多いと考えます。
それは、死刑になるような犯罪が最初から起らず、死刑制度が形骸化することである。
ところで「死刑になりたかったから殺人を犯す」凶悪犯をなくす為に死刑制度を廃止させるという考えには疑問があります。
そもそも宅間守のような奴が死刑制度がなければ殺人を犯さなかったとでもお思いですか?
あやつは犯行前「刑務所に入れば上げ膳据え膳で飯が食える」と嘯いていた様なヤツです。
死刑制度が無くても凶行に及んだ可能性は高いです。
そもそも、宅間守や加藤智大の様な「死刑になりたいから殺人を犯した」様なケースは殺人事件の件数全体から見れば誤差に過ぎないぐらい稀なケースです。
宅間以来ここ16年で、私の知る限り3件ぐらいしか起きてません。
それと、keiさんは死刑廃止の理由のひとつとして冤罪を挙げていますが、宅間守や加藤智大の様な明らかに犯行が明白なケースでも、冤罪を理由に死刑を廃止することに合理性があるのでしょうか?
それと、死刑に犯罪抑止効果は無い。あったとしても終身刑と変わらないとおっしゃいますが、死刑による所謂脅しに抑止が働く場合もあります。
古くは織田信長の一銭斬りといって、信長は自分の領地の罪人を罪の軽重に関わらず一銭盗んだだけで死罪にしました。
すると尾張藩だけは戦国時代にも関わらず、女人が夜一人歩き出来るほど治安が良くなったらしいです。
Foxさんも挙げていますが、フィリピンで麻薬犯罪者400人を射殺したところ、恐れをなした57万人もの麻薬犯罪者が出頭しました。
普通に考えれば、死は恐ろしい刑罰です。
あと、念の為に釘を刺しますが、犯罪者は全員普通の精神構造をしていないから死の恐怖による脅しは通用しない等と思ってはいけません。
普通の人だって何かのきっかけで殺人を犯す場合だってあります。
悪意や破壊衝動と言うものは誰もが持っているものなのです。
その暴走を抑えているのが死刑を含む刑罰だと思うのですが、そのブレーキをわざわざ緩める必要性が何処にあるのでしょうか?
貧困や格差の是正、社会の成熟。
それらも犯罪抑止の為には不可欠でしょう。
しかし、今現在の問題として社会が犯罪を撲滅できる程成熟していないのに、わざわざ刑罰だけ緩めるのは、事故を起こした車を修理せず、事故の原因すら不明のまま「とりあえずブレーキだけ緩めておこう」というぐらい愚かな処置だと思うのですが、如何なものでしょうか?
イギリスもフランスも、死刑廃止に踏み切った一番の理由は冤罪です。
しかし、死刑を廃止したところで冤罪は無くなりません。
冤罪で死刑になる無実の人はいなくなっても、死ぬまで刑務所に入れられる(獄死させられる)人は出てきます。
死刑制度の廃止=冤罪の撲滅という公式はあまりにかけ離れた詭弁に過ぎません。
それに、池田小学校児童殺傷事件や秋葉原無差別殺傷事件、最近起こった相模原障害者施設殺傷事件の様などう考えても冤罪の可能性が無い凶悪犯罪でも、冤罪を理由に死刑判決を出さないのが理に適っているのでしょうか?
keiさんのことですね。
>生易しく甘っちょろい処刑には強硬に反対した過去を持つ変わり種ですわ。
死なせて苦痛から逃れさせてたまるか
楽に殺してなるものかって気持ちは分かりますよ。
死ぬよりつらい生き地獄を与える刑罰も存在すればいいんですけどね。
>当方が負わされた傷は、
報道されているような事件は氷山の一角なんでしょう。
>自らの報復の暴力が結果を出していった事を確認する中で、
報復もできずに、支配される子もいるんでしょうね。
その場合は救いがない。
ということではないでしょうか。
それだけ脱獄による再犯の可能性などよりも冤罪による死刑の可能性を高く感じ、恐れているていると言えましょう。
日本でも、元刑務官の方が冤罪と死刑についての問題を語っています。
http://news.livedoor.com/article/detail/8904112/
「死刑囚といえば、凶悪で凶暴というイメージでしょうが、実際に接すると、"この男が、本当に人を何人も殺すような事件を起こしたのだろうか"と思うような、おとなしい人も少なくありません。刑務官になったばかりの頃は、これが一番のカルチャーショックでした。経験を重ねると、一定の法則があるように思わざるをえない現実に心を痛めました。つまり、死刑と懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる。おまけに、おカネがなければ私選の弁護人をつけられない。結果は目に見えています」
死刑で「凶悪犯」を「排除」したところで,本当の「凶悪犯」は処罰されないので、社会全体にとっては死刑が抑止としても再発防止としても、効果を発揮していないことが解ります。「絶対的安心感」は思い込みに過ぎず、「実害」は防げていないということです。「可能性がゼロでは無い」という程度の脱獄による再犯を恐れるより先に、社会が目を向けなければならないことが有るのでしょう。
「刑務官である限り、死刑執行を命じられたら受けなくてはならないんですが、誰もが最も嫌がる仕事です。それはそうでしょう。矯正職員として犯罪者の更生を支援する職に就いたはずなのに、人を殺す仕事は想定外ですから。どんな極悪犯であっても、改心させる努力をし、あげくの果てに、その者の命を奪う。非常に辛い仕事です」
「排除」よりも「改心」させたいと現場の方が思っているということは、凶悪犯であっても改心出来る可能性が有る人が多いことを指しています。
贖罪意識の有る方を殺してしまうのは、仕事とはいえ苦痛でしか無いようです。
こうまでして死刑を存続させなければならないものなのでしょうか。
すいません、まだ続きます。
>この件については存置派に丸投げするのでは無く、廃止派関係無く、提案するべきではないでしょうか?
→この件については廃止派に丸投げするのでは無く、存置派・廃止派関係無く提案するべきではないでしょうか?
カナダでの殺人率の推移は減少傾向で、2014年は人口10万人当たり1.43人と、死刑制度廃止前に戻りました。凶悪犯罪の抑止には終身刑が死刑にも劣らない抑止効果を生むという仮説を裏付けるものとなり得るでしょう。
ちなみに死刑には程遠い犯罪率も1990年前半をピークに減少しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/infonewlifebridge/5526521.html
このことは何を示しているのでしょうか。
1970年代のカナダでは、オイルショックやスタグフレーションなど経済だけでなく政治も不安定な状況下にあり、失業率も当時は過去最大を記録していました。そうなると当然、殺人も含めて全体の犯罪率は上昇します。これが1965年から1975年までの間の殺人率の急上昇の大きな原因ではないでしょうか?だから刑罰に変化の無い犯罪も増えているのです。
しかし、刑罰に変化の無いない犯罪は90年代まで上がり続け、死刑制度が全面的に廃止になった凶悪犯罪は廃止になった翌年から減少傾向になったというわけです。続く
現時点では証明出来ていないというだけであって、冤罪と言うものが数多く存在し、その証明は非常にハードルが高いものなので、「可能性が有る」ことは誰も否定出来ないと思います。
>具体的な拡大防止策を廃止派が提案できなければ単なる理想論
理想を追求することが現実を変えます。
被害者遺族の傷は加害者への処罰では癒されないことはあなたもお解りでしょう。
なので、この件については存置派に丸投げするのでは無く、廃止派関係無く、提案するべきではないでしょうか?
また、提案しているのになかなか進まないのは政府の責任です。廃止派の責任では有りません。
こちらは被害者遺族の一人の見解ですが、国としてやるべきことが有るのではないかと主張されています。
http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~ai369/harada.htm
世界一殺人発生率の低い国ノルウェーでは、「犯罪被害者補償法」というものが有ります。
犯罪被害者への対応を民間に任せるのではなく、政府がより主体的な責任を果たしているのです。また刑事訴訟の手続きにおいて犯罪被害者の存在がより重視されるようになり、刑事事件における被害者の立場を強くしています。
刑罰に頼る被害者感情の癒しでは、加害者が逮捕されていない場合には無効となるので、被害者遺族のケアを優先する法整備をすることを重視するべきです。
>死刑は完全なる排除であるという意味です。
終身刑では絶対的安心感は得られません
刑罰は排除の為に在ってはなりません。犯罪の抑止と償いの為に在るべきです。
カナダの一時期の例だけを挙げて結論付けることは出来ません。死刑廃止国は130か国以上も有るのですから。
1988年に国連(訳注:国連犯罪防止・犯罪統制委員会)のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」です。
長くなるので、続きはまた後程。
当方は、日本国家も認める他称暴力主義者ですが、処刑によって過去の加害の記憶から逃れる事が直ぐに可能になるだけでなく、償う必要を強いられる苦痛から逃げられるような生易しく甘っちょろい処刑には強硬に反対した過去を持つ変わり種ですわ。
”死なせて苦痛から逃れさせてたまるか!”、”生地獄を徹底的に強い続け死ぬ自由を与えない”という手法を虐待した血族に対して報復として冷酷に実行した当人やからな。(微笑)
だがね、そのうち、自らの行為に自らが恐怖を感じ始める一瞬が来て、自らその行為をやめてしまった。
報復の虚しさを仄かに感じ始めた一瞬やったな。
報復のみを生きがいとし、肉体的苦痛と精神的苦痛(恐らくナマッチョロイ家庭では味わえぬほどの殺意さえ込めたファシスト教育やな)にも耐え切るモンスターをつくりあげたものに対する表現に尽くせぬ激しい憤怒が、徐々に消えていく一瞬やった。
とはいえ、当方が負わされた傷は、この身体の見える範囲にも何箇所も未だに確認できるから、その度に無意識の報復感情が湧き上がるが、それも薄められてきた。
10代の当方の暴力マシンとしての完成度は、最悪のものだったろう。奴らをひねり殺すことくらいは簡単にできるほど精神も身体も暴力に特化したモンスターであったが、家庭という闇の外界では徹底して温厚な人物として振る舞ったための、整合性の無さがやがて限界を産んだのだろう。自らの身体能力の衰えを感じ始めた20代には報復の感情も薄れ始めた。もちろん、完全に憤怒が消えたわけではない。日々木刀で滅多打ちにされ、折りたたみ椅子でなぎ倒され、実兄に羽交い締めにされた上で親に火になった鉄箸を前頭部にジューンとねじ込まれた記憶は今もある。亡父が横からタックルをしてあの狂人女を突き飛ばしていなければ、出刃包丁を握って真っ直ぐ突進してきた狂人女は当方を間違いなく刺していたし、何処からか出してきた軍人だった故人の鈍く白光りした軍刀でも切りつけられていただろう。
ともかく、自らの報復の暴力が結果を出していった事を確認する中で、自ら報復の暴力の非を感じ取りつつ、これだけは諦めまいと自分に言い聞かせたのは、”いまわの際に苦しませる工夫”を必ず実行してこと切れさせるのだから、今は軽い精神的苦痛を与え続けてやれば良いというものだった。
でも、それにもやがて疲れてきて限界を感じた。明らかに老いて弱っていく加害者を日々見る中で、報復の虚しさにも気付かされていく。やがて、自らが報復というものの牢獄に閉じ込められた冷血な加害マシンであることに気付いて…今に至る。
当方にすれば、”死刑? そんな甘っちょろいもんでアイツは裁けない。徹底した生地獄、自らの軍人狂育がこしらえたモンスターの暴力性を悔い続けさせること、奴が最も望まない冷酷なテロリストに見下されながら報復を受け続ける屈辱を与え続ける暴力でしか。簡単に死なせてやるもんか。”という論理もありまっせ、やな。
今は、随分丸くなりましたがね。こんな”死刑に期待しない”極論者もおった事を一応、例示しておきますわ。
何度も言うけど、「冤罪疑惑→冤罪→冤罪死刑→だから死刑廃止」と拡大解釈しないように。
死刑廃止派が日本において「冤罪死刑が執行された可能性」があると主張したいのであれば、その立証責任は死刑廃止派にあります。
すなわち冤罪死刑を廃止派が立証しないかぎり、冤罪死刑は「ない」と判断することが妥当。
>傷口の拡大防止策の代替として有効となるケースも増えるでしょう。
具体的な拡大防止策を廃止派が提案できなければ単なる理想論。
>イギリスではIRAのテロが活発になった1975年以降、死刑復活が叫ばれるようになり、
死刑廃止国において、死刑復活が叫ばれるようになったんでしょ、それだけで十分です。
>個別の例を出しても、
何で?
終身刑の囚人2人が脱獄して再び殺人を犯した。
死刑に処されていれば100%再犯は発生していません。
再犯を犯すことは物理的に絶対不可能なんですよ。
言いましたよね、絶対的安心感です。
>死刑廃止後に終身刑を受けた人間による再犯が増えているというデータを示して頂けますか?
終身刑の殺人犯が、看守を殺害したことがあるんですよ。
死刑に処されていれば100%看守は殺害されていません。
何度も言いますけど、終身刑では凶悪犯が生存してます、脱獄をして再犯を犯す可能性は数%とはいえ死刑より高いんですよ、その事実を言ってるだけです。
死刑は完全なる排除であるという意味です。
終身刑では絶対的安心感は得られません。
>死刑の条文を廃止するであろうし
可能性は低い。
日本は経済的にも自立しているので、他国の干渉で死刑廃止に向かうこともありませんしね。
世界で世論が死刑廃止を支持したケースはほとんどない。早い段階で死刑を廃止した国は、いい加減な裁判で、無実の罪で処刑を行い、一時的に死刑制度への嫌悪感が高まった瞬間に死刑制度が廃止されている。
その後冤罪処刑の記憶が薄れ、別の凶 悪犯罪が起こると、ほとんどの国では死刑制度復活を支持する世論が高まるが、一度廃止した死刑制度を復活するのは極めて困難。
上記理由から、日本において0の冤罪死刑の為に死刑廃止を求めるのは説得力に欠ける。
つまり日本における死刑廃止は危険なギャンブルに過ぎない。
>死刑が凶悪犯罪の抑止力として終身刑よりも優位であるとは必ずしも言えないという根拠です。
言いましたよね。
日本と同レベルの生活水準、政治・治安が安定している国の死刑廃止前後のデータでないと日本に適用した場合の参考になりませんと。
死刑廃止派(アムネスティを含め)から、死刑廃止前後で「殺人が減ったデータ」は一切、提示されていない。
廃止後に殺人率が上昇、その後下がり始めたことを「死刑廃止のおかげ」という意味不明な廃止派の発言は耳にしますが(笑)
で、その詭弁に限っても死刑制度が設置されていた「当時の数値」には戻らない。
死刑反対派の人権団体アムネスティが掲示した、死刑廃止したら殺人減少したと言う「虚偽データ」
本当に死刑廃止で犯罪が減少したデータが存在するなら「虚偽データ」を掲示する必要ないでしょう?
サイトの下記のグラフ参照
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
1966年に警察殺し以外の殺人の死刑は廃止、そして、ここから犯罪が急増、その増加が落ち着いた頃に残りの「警察殺しの死刑も廃止」、アムネスティはこの後半の廃止を取り上げて、増えていた犯罪が減ったという「詐欺的な報告書を作成」しています。
しかし、実質的には「犯罪率が増加して固定されている」のは明らか。
本当に死刑廃止に「犯罪減少の効果が存在する」のなら「死刑廃止年“前後”の数年間のデータ」を出すはず。
それができないのは「死刑廃止で殺人が増えたため」じゃないですかね?
廃止派の「廃止後犯罪減少の理論」は「学術的研究対象」にはなっていない、ただの希望的観測。
要は「謙抑化によって人々の心が豊かになる」といった理屈だが、リアリティーが皆無。
「死刑に抑止力は無い」というのは、一部の廃止論者の願望や妄想の類。
>カナダの殺人発生率のデータですが、1975年をピークに減少し続けていますので、死刑廃止に抑止力が無いことの証明には成り得ません。
成りますね、死刑廃止以後「犯罪率が増加して固定されている」のは明らかです。
死刑制度が設置されていた「当時の数値」には戻らないのがその証拠。
数値を見る限り殺人発生の社会的要因には、死刑廃止も含まれてる可能性が高い。
1966年死刑廃止後の急激な増加が、何を物語っているのかは一目瞭然。
>死刑制度の廃止とは関係無く、テロリストには死刑は抑止にはならないと考えます。
希望的観測、根拠がない。
死刑が無ければもっとテロによる殺人が増加した可能性もある。
テロリストも死刑は怖いですよ。
カナダにおけるケベック解放戦線のテロは1963年から1970年に掛けて。1962年に最後の死刑が執行。
もし「テロが犯罪増加の原因」なら、1963年から犯罪件数が増加しなくてはならない。
だが、死刑が存続してる期間は死刑が執行されなくとも「殺人発生率」は小さな増減を示したまま。
その後、1966年死刑廃止後の急激な増加が、何を物語っているのかは一目瞭然。
そしてテロが収束したのが1970年、テロが犯罪増加の主な原因なら、1970年以後、犯罪は減少しなくてはならない。
しかしカナダ警察の頑張りとは裏腹に、死刑制度が設置されていた「当時の数値」には戻らない。
つまり「ケベック解放戦線のテロが横行した」のも「一般の凶悪犯罪が増加」したのも、1966年の死刑廃止が原因の可能性が高いんですよ。
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
>あなたは自分の都合で物事を考える方なのですね。
そっくりそのままお返しします。
>死刑が抑止にはならないとする根拠の一つです。
宅間の言葉を真に受ける人などいるんですね。
最高刑が終身刑だったら、宅間守が凶行に及ばなかった←本気ですか?
犯罪者の往生際の悪いただの捨て台詞です。
最高刑が終身刑の場合、宅間はこれだけ殺したのに死刑にならず一生タダメシを食べれるって言いますよ。
そもそも宅間の殺人の動機は社会への恨みです。
そんな台詞に、法が左右されてたら法治国家ではないですから。
被疑者が「死刑になりたかった」と供述する以上、司法もそれを「正」とはしますが、それをそのまま理由や動機として採択しません。
「極めて身勝手な犯行」と解釈します。
本当に死にたいなら、他人を巻き込む事などしない、さっさと自殺しているはず。
自分で死ねないと言う事は、そもそも本気で死ぬ気など無いと言う事。
自殺者との違いは、「タダでは死にたくない」が動機であり「単なる犬死は嫌だ」です。
「死刑になりたいから殺す」と言う動機は直接的な因果関係を形成していない。
その証拠に宅間は死刑執行に連れられていく際、顔は青ざめ、係員に支えられながら歩いて行ったみたいです。
殺人犯も含め、人間は自分の死に直面することで、死と言うものを理解します。
宅間も自分の死を考えたから、その恐怖で歩くことができなかった。
死刑があることで、殺人犯は死というものを理解し、自分の犯した殺人の罪深さに考えが及ぶ。
>「国家による殺人」=「死刑」
国家による殺人は死刑だけじゃありませんよ。
凶悪犯を射殺して人質の命を救う行為は緊急避難ですし、侵略国の兵士を自国の兵士が殺すのは正当防衛です。この「国家による殺人」は許容するんですか?
遺族の気持ちを否定はしteiません。
もし、遺族が復讐に及んだ場合には情状酌量の余地が有ると考えます。
ただ、遺族の傷口の拡大防止よりも冤罪被害者の犠牲が軽いものであるとは到底思えません。
絶対的終身刑への理解が深まれば、傷口の拡大防止策の代替として有効となるケースも増えるでしょう。他にも被害者遺族への支援の拡充など、出来ることは有るはずです。
>実際には、廃止国内においても、死刑復活を望む声は根強くあり世論を二分している。
イギリスではIRAのテロが活発になった1975年以降、死刑復活が叫ばれるようになり、復活派のサッチャー政権時に2度死刑復活法案が提出されましたが大差で否決されています。
>「死刑は再犯を完全には防げないが、懲役刑のほうがもっと再犯を防げない」という結論なのです。
死刑囚の脱獄例は他にも有ります。
http://matome.naver.jp/odai/2146434586202114501
個別の例を出しても、比較検討は出来ません。結論が出ているとおっしゃるなら、死刑廃止後に終身刑を受けた人間による再犯が増えているというデータを示して頂けますか?
ちなみに、昭和23年の死刑合憲判決では、最高裁は「若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう」とも述べております。
>軒並み日本の殺人発生率を廃止国が下回らないとね
どちらにより抑止力が有るという話をしているのでは有りません。死刑が凶悪犯罪の抑止力として終身刑よりも優位であるとは必ずしも言えないという根拠です。
カナダの殺人発生率のデータですが、1975年をピークに減少し続けていますので、死刑廃止に抑止力が無いことの証明には成り得ません。
フランスやイギリスはテロによる殺人が増加した為です。植民地政策の流れでアラブ人の移民を労働者不足を補おうと利用したものの、待遇の悪化や差別から必然的に犯罪が増加したものであって、死刑制度の廃止とは関係無く、テロリストには死刑は抑止にはならないと考えます。
また、フランスもイギリスも過半数の国民が死刑制度復活を望んではいません。
>死刑に反対する人にとって、「死刑になりたくて殺人した」と、凶悪犯が供述してくれる事はとても都合がいい。
あなたは自分の都合で物事を考える方なのですね。
2001年に発生した附属池田小事件の宅間守死刑囚のように、上級審で争う意思を持たず、弁護人がした控訴を自身の意思で取り下げ、1審の死刑判決を確定させた事例も現実に発生しているのです。
つまり、死刑が抑止にはならないとする根拠の一つです。
生きるのが嫌になっている人間が監禁されて生きなければならないというのは死刑よりもハードルは高いと思います。
死刑制度が悪いと言いたいのではなく、現実に死刑を選び取る人間が存在する=そうしたケースでは死刑が抑止にはならず、むしろ終身刑が抑止になるかもしれないという可能性を言っているのです。
>じゃ警察官の拳銃使用は倫理観も合理性もないんですか?
警察官の拳銃使用は計画的殺人では有りません。
威嚇の為や正当防衛の為に初めて使用出来るのです。
>あと、個人による殺人には倫理観もですが合理性がある可能性が高かいんですね?
言わなくてもお解りかと思っていましたが、「国家による殺人」=「死刑」を指していたつもりです。
個人による殺人は「犯罪」です。犯罪には倫理観も合理性も無いのは言わずもがなです。
代替制度になりません。
死刑は極めて社会に大きな不安を与える凶悪人物を、完全な形で排除し、多くの一般市民に「法の存在」と「法の効力」を 認識させ、安心感を与え、不安感を排除。
再犯なし、脱獄なし、刑務所内犯罪なし。
身内を惨殺した犯人が「生きて同じ空気を吸っている」それだけで耐えられないという遺族は多くいる。
犯人が死刑に処されたからといって、家族が生き返るものではない、だが死刑執行されたことにより「ある種の区切り」がつけられ「少しばかりの安らぎが得られる」という遺族の気持ちを否定することは、廃止論者ができることじゃない。
死刑制度には遺族に対しての「癒し」ではなく「傷口の拡大防止」としての意味がある。
>先進国では少数派ですし
実際には、廃止国内においても、死刑復活を望む声は根強くあり世論を二分している。
イギリスに至っては、2011年は死刑賛成派が65%。
死刑廃止国の多くの国民も死刑存置を希望していますが政治家、人権団体から、人でなし扱いされることで言論が封じられているのが現状。
>「死刑=脱獄ゼロ」という根拠にはならないという例です
2010年4月、ローマの刑務所から終身刑の囚人2人が脱獄。2人とも、1999年に殺人を犯した凶悪犯。
うち1人は、脱獄に成功した後、再び殺人を犯した。
犠牲になったのは、工場現場の作業員の男性。
アメリカで終身刑の殺人犯が「なんだ、終身刑か。それならこれ以上悪くならない」などと言って、看守を殺害したこともありましたね。
つまり「死刑囚は死刑執行まで再犯を犯す可能性がある」だが「終身刑の囚人は自然死を迎えるまで再犯を犯す可能性がある」ただそれだけ。
「死刑は再犯を完全には防げないが、懲役刑のほうがもっと再犯を防げない」という結論なのです。
ちなみに、昭和23年の死刑合憲判決では、最高裁は死刑の根拠として、「再犯の防止(消極的特別予防)」を挙げています。
>殺人発生率の低い国トップ3が死刑廃止国であり、
トップ3以外の多くの死刑廃止国は日本より治安が悪いいでしょ。
軒並み日本の殺人発生率を廃止国が下回らないとね。
そもそも犯罪はあらゆる要素が複雑に絡み合って発生します。「他国の例」をそのまま日本の社会に適用するというのは不適切。
先進国は経済的に余裕があり、教育レベルも高い、再犯予防の薬物投与までやっている国もある「犯罪率が低いのは死刑廃止のおかげ」という結論にはならない。
死刑を廃止して、殺人発生率が増加した例です。
カナダにおける1966年の殺人事件発生件数250件。
(1966年の人口10万人当たりの殺人発生率は1.25件)
ところが、死刑制度が廃止されてから殺人事件が急増し、9年後の1975年には殺人事件発生件数が701件と3倍近くにまで増加。
カナダのデータ 1966年 殺人罪死刑廃止廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1961年,62,63,64,65,66年 → 1.28,1.43,1.32,1.31,1.41,1.25
1967年68,69,70,71,72,73,74,75年→1.66,1.81,1.86,2.19,2.15,2.34,2.43,2.63,3.03
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
フランスのデータ 1981年 死刑廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1974年75,76,77,78,79,80,81年 → 2.94,2.99,3.28,3.67,3.44,3.82,4.19,4.02
1982年83,84,85,86,87,88,89年 → 4.59,4.95,4.95,4.53,4.37,4.12,4.60,4.57
http://www.moj.go.jp/content/000081718.pdf
フランスは77年から死刑執行なし、78年から死刑判決は出ていません。
England and Wales 1969年死刑廃止前後の殺人罪有罪件数
1965,66,67,68,69年→57,72,64,76,78人
70,71,72,73,74,75,76,77年→99,91,85,83,125,99,108,116人
http://www.moj.go.jp/content/000096625.pdf
イギリスでは、死刑を廃止して以来、テロリストによる警官殺しが増え、死刑廃止は失敗だったという声が各方面からあがっている。
死刑廃止後、殺人が大幅に増えていることがわかる。
死刑廃止年は法律が制定された年を基準にしていますが、フランスの様に実質、死刑が行われなくなった年から殺人が増える例もあります。
このように日本と同レベルの生活水準、政治・治安が安定している国の死刑廃止前後のデータでないと日本に適用した場合の参考になりません。
>死刑を望んで残虐な犯罪を犯す人は毎年のように現れますが
死刑に反対する人にとって、「死刑になりたくて殺人した」と、凶悪犯が供述してくれる事はとても都合がいい。
①死刑になる為に「大量殺人を犯すような常軌を逸した人間の発言」を額面どおりに受け止め、真に受け、死刑がなければ犯罪は起きなかった。
死刑を廃止すればこれらの殺人は確実に0にできると思いません。
②死刑になりたいから殺人を犯す様な人間は、もともと殺人を犯すハードルが極めて低く、死刑があろうとなかろうと、凶悪犯罪を犯す可能性が高い。
そのような人間が「死刑制度がないだけで殺人を犯さない」と結論できるわけない。
③「自殺補助の安楽死制度」が日本に存在すれば、死刑を目的とする犯罪者が殺人に手を染めず「安楽死制度に身をゆだねて大人しく死んでいくはず」とは思えません。
④「死刑制度が存在するから、死刑願望の殺人者が存在する、だから死刑制度が悪い」は「保険金制度が存在するから、保険金詐欺の殺人者が存在する、だから保険金制度が悪い」こう言ってるのと同じ。一部の犯罪者の為に、制度に責任を転嫁するのは間違い。
「死刑があるから殺人した」は「包丁で殺人した犯人も悪いが包丁も悪い」って、言ってるようなもの。
⑤「犯行後、死刑になりたいから殺人した」は「タバコを吸ってた高校生が停学を喰らった、停学になりたかった」と同じ負け惜しみ、単なる虚勢である可能性が高い。それに、罰則が犯行の原因なら、全ての罰則を廃止しなければならない。
>国家による殺人には倫理観もですが合理性も実は無い可能性が高いのです。
意味が分かりません。
国家による殺人を悪などと結論するのは宗教です。
じゃ警察官の拳銃使用は倫理観も合理性もないんですか?
凶悪犯を射殺して人質の命を救う行為に合理性ないんですか?
あと、個人による殺人には倫理観もですが合理性がある可能性が高かいんですね?
>命を大切に思わせたいなら、
極悪人に言ってください。
それもそうですが、一番の理由はデメリットを払拭出来る代替物が無いということです。
死刑には終身刑という代替制度が有ります。
>死刑制においても、デメリットよりメリットが多いと踏んでるから、日本人の8割が賛成しているんですよ
先進国では少数派ですし、その8割の中でここまで踏み込んだ議論をした人は殆ど居ないでしょうから、理論では無く、現時点では感情論で答えていると言っていいでしょう。
>一家3人と使用人を金銭目的で惨殺するような人間ですよ、脱獄中に殺人する可能性はあります
ですから、それは「死刑」宣告を受けたことが理由で脱獄したという例ですよ。「死刑=脱獄ゼロ」という根拠にはならないという例です。机上の計算では生きている凶悪犯が脱獄して再犯を犯す可能性は今後もゼロとは言えませんが、今のところはゼロです。
上記の事例のように死刑判決後の脱獄こそが現時点でゼロとは言えません。
どちらにしろ、上記の例でも再犯は犯していないので、冤罪による死刑や精神的苦痛を受けた被害の深刻さを上回るものでは無いことは確実だと思います。
殺人発生率の低い国トップ3が死刑廃止国であり、死刑の抑止力が終身刑による抑止力を上回ると判断出来るデータが今のところ無い以上は、少なくともどちらでも抑止力に大差は無いと判断します。
また、死刑を望んで残虐な犯罪を犯す人は毎年のように現れますが、終身刑を望んで残虐な犯罪を犯す人はそれよりも少ないでしょう。人間には自殺願望は有っても、一生監禁願望などは聞いたことが無いからです。
特に日本人は一家心中など他人を巻き込む自殺願望が高いので、死刑を廃止した方が凶悪犯罪の数は減少する可能性が高いと思います。
国家による殺人には倫理観もですが合理性も実は無い可能性が高いのです。命を大切に思わせたいなら、国が率先してこのような議論を投げかけるべきでしょう。
交通死亡事故というものを防げない限り、人間を自動車が殺してしまうという可能性が高いと言っているのです←こう言ってるのと同じでは?
でも自動車無くせとならないのは、自動車にデメリットよりメリットが多いからですよね。
死刑制においても、デメリットよりメリットが多いと踏んでるから、日本人の8割が賛成しているんですよ。
その割合を逆転できないのは、廃止派が今だ説得力のある論を展開できないからではないですか?
>脱獄理由も「苦しんでいる母親に一目逢いたい」というものであって、
一家3人と使用人を金銭目的で惨殺するような人間ですよ、脱獄中に殺人する可能性はあります。
>終身刑の方が脱獄をして再犯を犯す可能性が高いことを示す根拠にはなりません。
何度も言いますけど、終身刑では凶悪犯が生存してます、脱獄をして再犯を犯す可能性は数%とはいえ死刑より高いんですよ、その事実を言ってるだけです。
死刑は完全なる排除であるという意味です。
>終身刑の方がベターであるという理由を述べているまでです。
最高刑が終身刑の場合「これだけ殺しても死刑にならない、だったらもっと殺しても大丈夫」という心理状態を凶悪犯に対して、誘発する可能性がある。
死刑の抑止力が仮に限定的なものであったとしても、抑止する可能性が少しでも残されていれば廃止する必要は無い。
もし抑止力が存在した場合、死刑廃止すれば「死刑よりも残虐に殺害される場合が多いであろう、被害者を生む可能性」を意味します。
抑止力が存在しない場合、「凶悪犯罪者が死刑となる」ことを意味します。
しかし、その死は「自らが犯した凶悪犯罪の代償」としての死です、よって被害者の死よりも合理性がある。
つまり、死刑を廃止して犯罪者の命を救う代わりに、殺人被害者の「増加リスク」がほんの僅かでも存在するならば、日本がそのリスクを背負う必要性は全くない。
死刑制度のせいで冤罪が発生するなどとは誰も言っていませんよ?
冤罪というものを防げない限り、無罪の人間を国家が殺してしまうという可能性が高いと言っているのです。
栃木雑貨商一家殺害事件は死刑判決を受けたとしても脱獄する可能性が有るという例であり、脱獄理由も「苦しんでいる母親に一目逢いたい」というものであって、終身刑の方が脱獄をして再犯を犯す可能性が高いことを示す根拠にはなりません。
>単に「現存する日本の刑罰に殺人抑止力は無い」と主張してるに過ぎないですよね?
死刑に抑止力が無いとは言っていません。死刑も終身刑も抑止力に大差は無いと考えられるということ、どちらにせよ抑止力として完全でなく、比較することが不可能ならば、終身刑の方がベターであるという理由を述べているまでです。
私がまるで暇みたいじゃないですか。
まぁ、暇なんですけど。
>海外では死刑執行例も多数存在します。
そもそもEUでは、過去に異教審判などの歴史があり「司法-刑罰制度に対する市民の信頼が薄い」ことも、死刑廃止が採用される要因、過激な行動の反省として、真逆の過剰な行動を取るというパターンに過ぎません。
冤罪処刑が多かったのも廃止の要因です。
>刑の執行は免れましたが、死刑判決後の冤罪確定事件は存在します。
「冤罪疑惑→冤罪→冤罪死刑→だから死刑廃止」と拡大解釈してるに過ぎません。
制度の責任にするのはお門違いです。
責任があるのは、警察、検察、裁判官。
交通死亡事故が起きたからといって、自動車制度の責任にはならないでしょう。
>日本において無期懲役刑を受けている凶悪犯による脱獄という実例は無いことから、
栃木雑貨商一家殺害事件。
死刑囚が脱獄した事件として有名ですよ。
逮捕され、再度の脱獄を恐れた最高裁での審理により異例の早さで死刑執行されました。
これで絶対再脱獄できません。
>そうです。死刑であっても、抑止は出来ません。
でも懲役刑より抑止できないとはいえません。
>生きて自由を奪われた状況を恐れると思います。
フィリピン新政権が1カ月で麻薬容疑者400人射殺したところ、恐れをなした57万人が出頭してます。
死の恐怖が抑止になる証明です。
未成年は絶対に死刑にならないと高を括って凶行に及んだ事件(名古屋アベック殺人、市川一家殺害事件)など、死刑の抑止力肯定に有利な事件もあります。
>「死刑制度が凶悪犯罪を抑止している」ということも言えない訳です。
抑止力は厳密には測定できません。
例えば、防犯カメラが原因で万引きが減少したとしても、何件万引きが防止されたかなど不明です。
経済、教育、治安、政治レベルも犯罪発生率に関係してくるので、防犯カメラの抑止力のみで防止された万引件数なんて分かるわけないです。
「確認する術が現状ない=抑止力は存在しない」ではないと思います。
死刑の抑止力のみを否定したいなら、懲役(監禁の恐怖)には抑止が働くが、相対的に死刑(死の恐怖)には抑止が働かない根拠が必要なんですよ。
今のままでは、単に「現存する日本の刑罰に殺人抑止力は無い」と主張してるに過ぎないですよね?
>少なくとも日本においては、冤罪における死刑執行など0に等しいです
刑の執行は免れましたが、死刑判決後の冤罪確定事件は存在します。
http://matome.naver.jp/odai/2144930437464306401?page=2
海外では死刑執行例も多数存在します。
「飯塚事件」は死刑執行後に冤罪の疑いが出ており、再審請求されています。冤罪での死刑はたった一件でも許されるものでは有りません。
刑の執行を免れたとしても、死刑を宣告された精神的苦痛は計り知れません。
「袴田事件」や「東電女性社員殺害事件」など、警察のずさんな捜査によって重罪判決を受けるケースは数多く存在し、冤罪を晴らすのに甚大な努力と長い時間が掛かるのは周知の事実です。
以上のことからも、過去の死刑執行例の中に冤罪によるものが無いとは断定できません。また、今後も冤罪による死刑が執行されないとは言い切れません。
現在「飯塚事件」が死刑執行後に冤罪の疑いが出ており、再審請求されています。冤罪での死刑はたった一件でも許されるものでは有りません。
>生存している限り、あらゆる確率は高くなるでしょう。
だって、生きてるんだから
死刑囚であってもすぐに死刑が執行される訳では有りません。
また、理論的に再犯率が高くなると考えることは確かに出来ますが、日本において無期懲役刑を受けている凶悪犯による脱獄という実例は無いことから、冤罪による死刑判決や死刑執行の可能性よりも高いとは思えません。
>激情的に発生するケースの場合、死刑だろうが、懲役刑だろうが、抑止できませんよね?
そうです。死刑であっても、抑止は出来ません。
>組織暴力などの犯罪を生業としているケースや、児童に対する営利誘拐殺人、保険金殺人などは「合理的選択理論」の対象になります。
そうした人間たちこそ、生きて自由を奪われた状況を恐れると思います。抑止力として絶対的終身刑が有効で無いと言うのなら、やはり廃止前後の差異がた明らかであるというデータが必要です。
>それと抑止ができたのかを証明することは不可能です
というならば、「死刑制度が凶悪犯罪を抑止している」ということも言えない訳です。
死刑よりゼロではないって主張ですよ。
>むしろ冤罪での死刑を防ぐことで助かる人数の方が多いかもしれません。
現在までに「死刑執行された死刑囚」において、その死後「真犯人」が逮捕された事例や、死後「決定的な証拠」が発見され「無実であった」という事が判明したケースは日本では未だ発生していない、戦後1000人以上が死刑となっているにもかかわらず。
また無罪主張を行い、再審請求を行いつつ処刑された死刑囚もまた同様です。
少なくとも日本においては、冤罪における死刑執行など0に等しいです。
それでも、死刑廃止派が日本において「冤罪死刑が執行された可能性」があると主張したいのであれば、その立証責任は死刑廃止派にあります。
すなわち冤罪死刑を廃止派が立証しないかぎり、冤罪死刑は「ない」と判断することが妥当です。
>絶対的終身刑を受けた人が特別に再犯率が高いという理由でも無ければ、持ち出すことに意味は有りません。
生存している限り、あらゆる確率は高くなるでしょう。
だって、生きてるんだから。
>殺人という行為が激情的に発生するケースが殆どである以上、死刑制度によって凶悪犯罪を抑止出来ず
激情的に発生するケースの場合、死刑だろうが、懲役刑だろうが、抑止できませんよね?
確かに一般的に殺人は「激情型のケース」が多く、その場合「合理的選択理論」は当て嵌まりません。
しかし、少ないケースでも当て嵌まるものが存在します。
組織暴力などの犯罪を生業としているケースや、児童に対する営利誘拐殺人、保険金殺人などは「合理的選択理論」の対象になります。
それと抑止ができたのかを証明することは不可能です。
本気で死刑を恐れ犯行を躊躇した人は実際に犯行に及んでいないため、表に数字として出てきませんから。
それとkeiさん。
以下のサイトにおいて白狐という名で頻繁に死刑議論してますよ。
ここの死刑廃止論は少しユニークです。
暇つぶしにどうぞ(笑)
http://sky.geocities.jp/dwhsg178/index.htm
サイトの掲示板
http://9321.teacup.com/kanjo/bbs
ただこちらの掲示板では私白狐は少々言葉がきついです(笑)
理由がありまして、ここの管理人は変なのです(笑)
死刑存置派はテロリストだとか、凶悪犯を射殺せずとも絶対に人質は死なないとか変な発言が多く、突っ込みどころ満載。
keiさんのような議論が成立する廃止論者ではないのです。
そうなれば再犯率は限りなくゼロです。
むしろ冤罪での死刑を防ぐことで助かる人数の方が多いかもしれません。
脱獄や刑務所内での犯罪の可能性は刑に服している全ての人に宛て嵌るので、絶対的終身刑を受けた人が特別に再犯率が高いという理由でも無ければ、持ち出すことに意味は有りません。
死刑囚であっても、しばらくは生存するのが常ですし。
特定の凶悪犯が存在しなくなっても、新たな殺人犯は常に生まれます。殺人という行為が激情的に発生するケースが殆どである以上、死刑制度によって凶悪犯罪を抑止出来ず、メリットよりもデメリットの方が多いと思います。
相対的終身刑は、仮釈放されて再犯する可能性が死刑より高い(生存しているので)
絶対的終身刑でも脱獄して、再犯する可能性が死刑より高い(生存しているので)
相対的終身刑であろうが、絶対的終身刑であろうが、刑務所内での犯罪が発生する可能性が死刑より高い(生存しているので)
死刑では凶悪犯が確実に存在しなくなるので、上記可能性はゼロです。
終身刑でも再犯率はゼロです。
そう思います。
死刑にすれば凶悪犯による脱獄が0%、再犯率が0%、刑務所内での犯罪が0%になる。
懲役刑では凶悪犯が生存しているので、上記%と同等になることは絶対不可能です。
>犯罪率は土地によって大きく異なるからです
そう思います。
生活水準、政治、治安など地域背景に格差が存在し、完全な同一条件化を設定して、実験ができるわけではない以上、死刑に抑止力が存在しない客観的なデータにはなりません。
統計学的に、証明不可能なのは事実です。
地域背景に格差があまりない死刑存置国(日本など)において死刑を突然廃止し、その“前後”の数年間のデーターで検証する方法ならば、抑止力の検証ができるかもしれませんが、それとて、統計学的に、完全には証明不可能。
>国家による殺人は暴力であり止めるべきだと考えるのであれば
死刑存置国の日本より、廃止国のほうが国家による殺人に加担してます。
①死刑廃止国の殺人発生率は、軒並み日本の殺人発生率を上回る。
②死刑廃止国の警官達は事件現場において「射殺=簡易死刑」を頻繁に行なう。
③死刑廃止国(イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン)は武器輸出(間接的大量殺人)で莫大な利益を得ている。
④死刑廃止国(イギリス、フランス、ロシア)は原子力潜水艦、及び核兵器という大量虐殺兵器を保有。
⑤死刑廃止国(イギリス、フランス)は石油利権を守る為に 中東で人殺しを行なうのが日常。
結論 、国家権力により、殺人が肯定されている国が殆ど。
しかし日本においては、凶悪犯罪者に対してのみ「国家権力が死を宣告している」ので、廃止国より人道的。
>私にはそもそも殺人を絶対悪と考える姿勢は大いに間違っていると思われます
そう思います。
廃止論は、どんな人間でも「生きる権利」を特権的に持っ ているような思想ですよね、どんな極悪人でも同じ人間であり、命を過剰に尊重しようとする。
人間に邪魔な害虫、害獣は直ぐに処分するくせにね。
よく死刑反対をする方は、加害者には更正の余地があり社会に貢献する可能性があると述べます
しかし可能性で考えるのであれば、凶悪犯罪を行った者は一般人よりも遥かに凶悪犯罪率が高い
つまり大きな不安要素を残す
死刑反対派の圧力により死刑から逃れた加害者が再び殺人を犯したケースも少なくありませんし、逆恨みで殺された方も多くいます
そう考えれば死刑とは安全を確保するという側面も持ち合わせています
極論で述べてしまえば、死刑反対を訴え逃れた加害者が殺人を犯した場合、死刑反対派の凶悪犯罪者を用いた殺人とも取れるのではないでしょうか
その加害者が世に出ることが無ければ犠牲者は存在し得なかった訳です
それとも可能性を残しておいて、死刑を覆すことが出来れば満足なのでしょうか
また死刑を執り行っていても、凶悪犯罪率は変わらないと述べておられるようですが
筆者の挙げている例はその証拠として不十分に思われます
同じ法の元であろうと犯罪率は土地によって大きく異なるからです
分かりやすいよう極端に述べてしまえば、治安の良い死刑制度の無い地域と紛争が絶えない死刑制度のある地域では比較対象にはなりませんよね
つまり大小はあれど環境の違い(刻々と変わる情勢も含め)がある以上、比較対象としては不十分なわけです
しかし死刑の有効性を確信出来るロジックはあります
それは”犯罪率と刑罰の重さが比例しないのであれば全ての刑罰は意味が無くなる”という考えです
死刑とは通常、最も重い罪と考えられております
それを無くても変わらないとするのであれば、”人は罪の重さによって自身の行動を制限する”という大前提の否定になる
法に抑制力がないという事は即ち法は必要ないということだ
人の行動が罪の重さ如何で変わらないのであれば、法は一切の意味を持たない
罰することの意義がなくなる
最も重い罪の影響がないという事は、全ての罪の影響力がないと同意義ではないでしょうか
疑問なのですが、死刑廃止国はテロリストの保護を率先しておられるのでしょうか
死刑廃止国は筆者はテロリスト達への攻撃を即刻止めるべきだと考えておられるのでしょうか
国家による殺人は暴力であり止めるべきだと考えるのであれば筆者は今すぐテロリストを擁護するべきではないでしょうか
それともテロリストは特別なのでしょうか
命が平等なら彼らを殺してはいけませんよね
私にはそもそも殺人を絶対悪と考える姿勢は大いに間違っていると思われます
①死刑廃止により、凶悪犯罪が減少(廃止との因果関係も科学的に解明される)
②遺族の精神的ケアの確立により、加害者の死を望む遺族が存在しなくなる。
これらの条件が満たされれば、死刑廃止に賛成してもよい人増えるんじゃないですか、でも今のところは無理ですよね。
死刑制度の代替と主張される終身刑(無期懲役)などの刑罰が、死刑と比べ相対的な犯罪抑止効果があるかを示す統計も出ていないのも事実。
すなわち、死刑と長期の懲役のうち、どちらが犯罪を抑止する効果が優れているかどうかは誰も検証できていない。
結局、現状では死刑存置と死刑廃止、どちらにメリットが存在するかを、信じるしかないということですね。
私は「死刑存置にメリットが存在する」と信じ、keiさんは「死刑廃止にメリットが存在する」と信じる。
ただそれだけです。
でも死刑に処されるのは加害者の自己責任ですよね。
身勝手な理由で、なんの落ち度も無い人間を殺害したら、死刑に処されるって本人分かってますよね。
例えるなら「この雪山に上れば間違いなく、絶対に、100パーセント遭難します」と警告されたのにも関わらず登山して遭難するのと同じです。
死刑存置派「死刑が悪いんじゃない、死刑になるようなことをするのが悪い」
死刑廃止派「死刑になることをするのが悪いんじゃない、死刑が悪い」
私はどう考えても「死刑が悪いんじゃない、死刑になるようなことをするのが悪い」です。
日本においては98%前後の殺人事件に死刑判決を出していませんからね。
2%の人間は残虐極まりない凶悪犯(強盗殺人、強姦殺人、快楽殺人、無差別通り魔)ですよ。
中国のように「凶悪犯罪以外にも死刑を適用」しているような状況だったら、勿論死刑制度を支持しませんよ。
しかし、その感覚も戦争になったら一変し、大勢殺すと勲章が貰えるという不思議。
何故かと考えてみますと、双方に共通するのは、自分達が生き残る為には殺すことが必然だと考えるからなのですよね。
つまり、法律というものは、人間の勝手な都合によって成り立っているのです。
FOXさんは廃止論者が感情論であるという発想から抜けられないようですが、死刑制度にしても、死刑廃止論にしても、社会秩序が保たれる為にどちらが有効かという視点で決めるべきだと私は思います。
FOXさんは凶悪な人物を「完全な形で排除」することで個別の絶対的安心感を得られると考え、私は「一生を償いに捧げさせる」というやり方の方が生産性も有り、長く広い視野で見れば被害者数が減るという相対的安心感を得るという違いでしょうか。
クジラ肉は好きですし、イルカも食べたければ食べていいんじゃないかと思っていますよ。でも、犬・猫などのペットを食べるとなると戦慄を覚えます。勝手ですよね。
それが「優しい」社会の有り様だとは思えないのです。
社会に対し、他者との関係の範囲に於いて、利己的な理由による悪意ある殺意が、凶悪犯罪とされるのだと思います。
自然の話をすれば、我々人類も、多くの動物、植物を食料にする為、明らかな殺意を以て、それらを殺し続けていますが、果たしてそれが悪なのか?
自分に対し重大な危害を加えようとする他者に対し、やむを得ぬ咄嗟の行為として殺意を以て暴力を加え、正当防衛を果たす。
これが悪でしょうか?
死刑という殺意ある行為によって、極めて社会に大きな不安を与える凶悪人物を、完全な形で排除し、多くの一般市民に『法の存在』と『法の効力』を 認識させ、安心感を与え、不安感を排除。
そのような面を考える場合、果たして殺意ある死刑が、絶対に忌避しなければならない行為なのか?
必ずしもそうは言えない。
正当な殺意と言うものもあるし、あるはずだと思います。
死刑反対の「理」とは、その殺人が、どんな残虐であろうと、何人、何百人殺そうが、何が何でも、差し迫った損失がなければ刑罰で人を殺してはいけないとの「理」。
つまり廃止論は、どんな人間でも「生きる権利」を特権的に持っ ているような思想ですよね。
どんな極悪人でも同じ人間。
故に命を奪う死刑制度は絶対に許されない。
この思想は「クジラ、イルカは知能が 高く、人間に近い生命体、故に絶対に殺すことは許されない」と主張しているシーシェパードと大差がないように感じます。
http://solidarity.blog.shinobi.jp/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%88%B6%E5%BA%A6%E5%BB%83%E6%AD%A2/10.11%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%BB%83%E6%AD%A2%E3%83%87%E3%83%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A-%E3%83%87%E3%83%A2%E5%A0%B1%E5%91%8A
何度も言いますが、遺族への心のケアは必用です。
そして、被害者を悼む為にも、今後の被害を増やさない方法を考えるべきで、死刑制度廃止が結果を出していることが私の反対の理由です。
加害者を「殺せ!」と叫ぶ事件に無関係な人々の心の中は「優しさ」ではなく「殺意」がみなぎっていることでしょう。
それが「優しい」社会の有り様だとは思えないのです。
また、「冷徹な人が反対派」と言うのであれば「廃止派の主張は感情論」と言う結論こそ矛盾していると思いますが。
それに「絶対に加害者は更生し、遺族はその死を望まなくなる」などとは誰も主張していませんよ。
私は遺族が加害者の死を望むのは感情的には当然だと思っています。ただ、更生しなくても、一生を刑務に服することで、自らの加害行為に向き合わさせ続けることは、遺族感情を鎮める一助になると考えます。勿論人にもよるでしょうが。
社会に対しても、事件の痛ましさを長期に亘って感じ続けさせることになり、新たな犯罪を躊躇させることに有効だと考えます。
そうですね。
池田小学校、北九州監禁事件、地下鉄サリン事件、秋葉原事件の被告に死刑判決が出ても、街頭に立って「死刑反対」と言ってるのを見た事ありません。
所詮その程度なのです。
他者が理不尽な理由で殺された、それが自分の家族だったら、そういう他者の立場に立てる優しい方が賛成派。
自分の思想や理念を他者の苦しみより優先し、かつ身内に同じことが起こったら、という発想を持てない冷徹な人が反対派。
廃止派の主張は感情論に終始し、得てして矛盾が多い。
論理的整合性が無いにも関わらず「死刑には抑止力がない」「廃止すべき」「絶対に加害者は更生し、遺族はその死を望まなくなる」と思い込むのは現実逃避であり、それこそ一種の宗教(廃止論ならぬ廃止教)
疲れてるから、ややこしい議論には参加しないで、軽い、余談だけ残します(^_^;)
最近、アムネスティ・インターナショナルに、イベントのことで質問したいことがあり電話をしてみたら、すげえ、態度が悪いオバサンが電話に出て、かなりカチンと来ました^^;
私は、30秒くらいしか会話しなかったのですが、アムネスティのスタッフのオバサンが、イライラしてるような、怒った口調で、ガスガス話してきて、「●●に決まってるじゃないですか!?」とか、すごい失礼な言い方をしてきて、驚きました。
死刑反対派って、こんなものなのかな?って思って。
死刑反対派って、日本では、立場弱いじゃないですか?なので、失礼な態度で電話応対するのは、止めたほうがいいと思いました。
単なる愚痴でした…すいません。
制度に賛成、反対との意見ではなく、結果的に失敗したというご認識ですか?
裁判官の制度を支持する理由とは?
>市民が参加するとこんなことになるのかとがっかりしているというのが私の個人的な感想です。
判例と解離している市民感覚にがっかりしたのですか?
「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」
という部分は、国民が司法参加して意識が高まるだけでなく、国民が司法参加してくれることで刑事司法の質が高まり、結果として、司法に対する国民の信頼が高まるということを意味すると思っていました。
つまり、職業裁判官だけで裁判するよりも、裁判人が入ってくれた方が適正手続が実現するというのですね。
国民にとって司法が身近になるというのは、制度の趣旨としてはむしろ二次的ではないでしょうか。
私は、裁判員制度は失敗だったと思っていますが、この前、刑事裁判一筋25年の司法研修所同期の裁判官に訊いたら、裁判員制度になってとてもよかったと高く評価していました。
弁護士会の中でも意見は二分されています。
裁判員が一審で有罪にしたり重罰にしたりしたものを、二審や最高裁がなんとか是正する状態が続いており、市民が参加するとこんなことになるのかとがっかりしているというのが私の個人的な感想です。
○死刑廃止によって殺人事件が増えて、1人の殺人犯の命が救われて、替りに罪の無い2人の命が失われるような事になれば本末転倒と言える。
○因って死刑廃止には慎重であるべきとは思う。従って死刑廃止を訴えるのであれば、殺人事件の実態を調査して、死刑廃止が殺人事件の増加に結び付かない事を証明するか、又は、死刑廃止が殺人事件を増加させない為の方策を提案しなければならないと思う。
○尚、「欧州の死刑廃止は偽善である。」には同意できる。
司法のプロの方である弁護士さんの意見をお聞きできれば幸いです。
なので、ご質問にお答えする資格は有りませんが、素人なりの私の答えは、裁判員裁判制度には反対です。
裁判は法のプロが法に則って冷徹に判断すべきであり、一般市民の感情を反映させるのは政治の役目であると思います。
HKAWAIさんの意見は現状どの国がマシなどという話ではなくて、目指すべきなのはどのような国かという話です。
欧米でも確かに国家はまだまだ野蛮なことをしているのですが、人権意識が高い国民も多く、人道に反したことをやらかした国家の責任者を追及出来ていたり、自国の戦争で迷惑を掛けた国でボランてィア活動を行う人数も多かったりします。
現憲法の縛りが無かったら、日本も核兵器保有や武器輸出は勿論、戦争参加もしていたでしょうね。
FOXさんの指摘のおかげで、改めて日本の先進性をかろうじて担保しているのは現憲法で有ると再認識出来ました。
そこで少しお聞きしたいことがあるのですが。
少し長くなりますがご容赦下さい。
実は別のサイトにおいて、裁判員裁判の導入目的について議論しているのです。
議論相手が主張するには「市民が裁判を体験し、司法に対する理解を深める」ことが導入目的。
つまり、司法・裁判自体は従来のものから変わる必要が無いと頑なに主張します。
裁判官の判断と国民感情がどれだけ乖離していようと、何ら問題はありません。裁判官は法に則り判決を下すもの。
自殺幇助という罪が存在する以上、あなたが何をどう主張しようが『刑罰・刑法に被害者や遺族の心情は関係ない』などとも主張。
僕は国民の感覚や視点を取り入れる事による“結果”裁判が身近になり、国民の皆さんの司法に対する理解と信頼が深まる。
国民感覚を取り入れる事によって司法に対する国民の理解と信頼が深まるのであって、また、国民の理解と信頼を深める為には、国民感覚を取り入れて民意を反映させる必要がある。
国民感覚の取り入れと、司法への理解は車の両輪みたいなものだと思います。
しかし相手は実際の法律の導入目的に明記されているのは、自分の言っている目的のみですといい、下記内容を提示。
第一条この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、
↑
国民感覚を取り入れて民意を反映させた結果、国民の理解の増進とその信頼の向上に資することに繋がるのではないでしょうか?
身近な司法の実現とは社会常識と、法の論理の解離をなくすということではないのでしょうか?
司法のプロの方である弁護士さんの意見をお聞きできれば幸いです。
>だが、今日では裁判官も「死刑もやむを得ない。
98%前後の殺人事件に死刑判決を出していませんからね。
2%の人間の姿をした悪魔に死を宣告しています(強盗殺人、強姦殺人、快楽殺人、無差別通り魔)など。
中世の様な死刑制度は勿論反対です、ただの恐怖政治ですから。
>時代は野蛮から文明へと向かっているのである。死刑は廃止するのが正解である。同様に戦争も止めるのが正解であると思う。
>人道的見地から死刑廃止した国
警官が、現場の判断だけで裁判も受けさせずに射殺。
核兵器という大量虐殺兵器を保有。
武器輸出で利益を得る(間接的大量殺人)
武器輸出は廃止しないくせに人道的なふりしてる欧米には辟易する。
イギリスに至っては、報復攻撃として敵国民を殺すことは厭わない。
これらの国が「人道上の理由」でもって死刑廃止?
結果、国家権力により、殺人が肯定されている国が殆ど。
それに比べ日本では、凶悪犯罪者に対してのみ国家権力が死刑判決を下している、故に廃止国より人道的とも言える。
○昔ほど刑罰は過酷だった。我が国でも「十両盗めば首が飛ぶ」というものだったが、イギリスなどはハンカチ一枚盗んでも縛り首だったし、7歳の子供でも容赦なく処刑した。
○処刑は公開だったしその方法も残酷だった。ギロチンなんかは優しい刑具だったのだ。
○だが、今日では裁判官も「死刑もやむを得ない。」と「言い訳」をしているくらいだ。「死刑は当然である。」などとは言わない。
○時代は野蛮から文明へと向かっているのである。死刑は廃止するのが正解である。同様に戦争も止めるのが正解であると思う。
廃止後すぐさま凶悪事件が減るなどという直接的なものではありません。
FOXさんもおっしゃっているように、貧困対策など、複雑な要素が絡んでいるのです。
なので、「やられたらやり返す」「貧乏は自己責任だから放置」的な野蛮さを「当然」と思っている社会のままでは、死刑制度だけを廃止しても当然改善はしないでしょう。
カナダは幸い、時間を掛けて改善の方向に向かったようですね。
これに学んで、死刑制度廃止の暁にタイムラグによる被害増加が起きない様に、社会の認識からまず変えて行かないとならないですね。
○カナダの死刑廃止については下記の論考が参考になると思う。
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
○一見すると死刑廃止で殺人事件が増えたように見えるが、殺人事件はタガが外れたように一挙に増えたのではない。
○廃止の年(1966年)1.25であった殺人事件発生率は徐々に高まり、ピーク時(1975年)には3.03に達した。
○所がその後次第に低下し、2012年では1.60である。
○従って死刑廃止によって殺人事件が増加したと結論付けるのは少々無理があると思う。別の要因が絡んでいるとも考えられるからである。
○因みにアムネスティ・インターナショナルはカナダの事例から死刑廃止で殺人事件は減るとの結論を導き出しているが、これは我田引水の感がある。
抑止効果が存在する説も当然あります。
カナダでは、1966年、一般殺人罪について死刑規定を廃止した(警官及び刑務官殺害罪についてのみ存置)
カナダにおける1966年の殺人事件発生件数250件。
(1966年の人口10万人当たりの殺人発生率は1.25件)
ところが、死刑制度が廃止されてから殺人事件が急増し、9年後の1975年には殺人事件発生件数が701件と3倍近くにまで増加。
また、アメリカにおいても、学者らの調査により、死刑制度に殺人事件の抑止効果があることが明白になっている。
死刑を迅速に執行するほど犯罪抑制効果は高い。
死刑囚が監房で過ごす期間が2.75年短縮されるごとに殺人が1件防止できる(04年、エモリー大学調べ)
このように抑止力が存在する説も有力。
「他国が廃止しているから」「国連が要請するから」という迎合主義的理由で判断するのは危険。
死刑廃止は非常に危険なギャンブル。
ここには因果関係が存在します。
日本が死刑制度廃止を受け入れられる程、今よりもっと成熟した社会になった暁には、自ずと社会も変化し、感情的な殺人の割合は確実に減少するであろうと予測します。
死刑廃止によって殺人が減少したとしても、それは貧困の解消や、社会的不公平の是正など、殺人の原因となる社会環境を是正してきた結果でもあるかもしれない。
因果関係は不明。
廃止後に劇的に犯罪が増加・凶悪化した典型的ケースはこれまでにはなく、また劇的に犯罪が減少したケースもない。
>そのような人間の行為は防ぎようが有りません。死刑制度でも抑止出来ないでしょうね。
廃止派が「死刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」を主張するならば「存置派は終身刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」を主張するまで。
賛同します。
自分が悪人で、殺人を犯した結果無期懲役になったとして、「もしその長い投獄の間に、間違ってほんの少しの良心が芽生えてしまったら」…?長い時間が経てば自分の立ち位置も視点も変わるでしょうから、もしちょっとしたきっかけで自分のしたことの意味がわかってしまったら、と考えると…私は、ヘタなホラーよりぞっとします。その自責の念にいつまでも苛まれるというのは、一瞬で終わる死よりも余程恐ろしいのではないかと。
少なくとも、感受性の強い子供たちには、そういう種類の怖さを感じてくれる者が出てくるのではないか、と。それが抑止力となってくれるのではないかと思っています。
○「死刑になる為に殺人を犯す者」がそんなにいるとは思えない。但し、刑務所に入りたくて無銭飲食をする者がいるとも聞く。勿論、無銭飲食を咎めるなと言うつもりは無い。
○大多数の殺人事件は死刑のあるなしに拘わらずに起こっていると思う。
○だが死刑を容認する事で殺人について罪の意識を軽くする効果があるかも知れない。
○死刑とは違うが、国家が公然と暗殺を行っているアメリカでは殺人事件の発生率が非常に高い(4.70)。これはイギリス(1.00)、フランス(1.00)、ドイツ(0.80)、スイス(0.60)、イタリア(0.90)、オーストリア(0.90)、スペイン(0.80)等ヨーロッパ諸国と比べれば突出している。
逆に死刑廃止国は概ね殺人発生率が少ないのです。
「殺すなかれ」という教育は感情的な殺人を躊躇わせる効果が有ると私は思います。
甘いようですが、結果的に感情による凶悪犯罪が減れば、被害者も減るのです。そのことを重視します。
>人を殺すことは呼吸と同じだと平然と言い切れる犯罪者
そのような人間の行為は防ぎようが有りません。死刑制度でも抑止出来ないでしょうね。
「死刑制度が存在するから、死刑願望の殺人者が存在する、だから死刑制度が悪い」は「保険金制度が存在するから、保険金詐欺の殺人者が存在する、だから保険金制度が悪い」こう言ってるのと同じ。
「犯行後、死刑になりたいから殺人した」は「タバコを吸ってた高校生が停学を喰らった、停学になりたかった」と同じ負け惜しみ、単なる虚勢である可能性が高い。
それに、罰則が犯行の原因なら、全ての罰則を廃止しなきゃいけません。
死刑になりたいから殺人を犯す様な人間は、もともと殺人を犯すハードルが極めて低い。
死刑がない場合「これだけ殺しても死刑にならない、だったらもっと殺しても大丈夫」となる可能性大。
結局、別の口実で殺人を犯すだけ。
○但し、例外がある。死刑になる為に殺人を犯す者(そういう者に対しては抑止できないばかりか動機付けになっている)とヤクザのように刑期を予想して殺人を犯す者とである(ヤクザ同士の殺人事件には死刑は適用されていなかった)。
○従って死刑を廃止すれば、殺人事件が増えるだろうというのは根拠の乏しい推測である。
○死刑廃止論は「宗教」ではない。理性的な判断である。
人を殺すことは呼吸と同じだと平然と言い切れる犯罪者は、そもそも自分が犯罪者である自覚がないし、懲役刑にしたところで何も変わらず、のうのうと獄中で行き長らえるだけだと思いますが?
生きて償わせるなんて甘いこと言ってるうちは、犯罪は減らないですね。
ただでさえ、日本は犯罪者に対して甘すぎるのに・・・。
死刑反対派は、そんなに殺人を助長したいんですかね?
身内が犯人を殺したいほど憎むのは当然で、その感情を法がどう酌んで裁くことが国として有効なのかを考えることとは別物です。
同じなら、HKAWAIさんの言うように被害者の求めに応じて刑を決めてもおかしくないとなってしまいます。
○これ↑、殺人だけの話ですか?例えば、貴方を酷く侮辱した奴とか、恋敵とかどうでしょう。
○女性だったら強姦犯だって殺したいと思うかも知れませんよね。
○麻薬の売人は死刑にしないんですか?
○幼児性愛者も死刑にした方が・・なんて。
・殺人発生率が極端に少ないノルウェー
○「世界の殺人発生率 国別ランキング」
http://www.globalnote.jp/post-1697.html
によると、2012年のノルウェーの人口10万人当たり殺人発生率は2.20で、「極端に少ない」とは言えないと思うが。
・貴方の身内全員がある日突然、理不尽極まりない動機で皆殺しにされた場合
・貴方にとって大切な人がある日突然、見るに耐えない形(見た瞬間嘔吐するレベル)で惨殺された場合
にも死刑なんて非人道的だ、国家であろうと奪ってはならない、人権が~と主張できるのでしょうか?
仮に↑みたいな目に遭わされ、捕まった犯人と対面する機会があったとして、対面した時にどう思うのか?
私だったら、法で裁けないなら自分で裁くために復讐を考えますがね。
死刑反対派ってある意味、無駄に寛大な心の持ち主ですよね。
どんな凶悪犯でも生きろって言い切れるんですから。
そもそも犯罪の発生というのは様々な社会的要素が複雑に絡み合って発生するものであって、「他国の例」をそのまま日本の社会に適用するというのは疑問。
殺人発生率が極端に少ないノルウェーについては石油も出るし経済的に余裕がある国であり、刑事政策においても再犯予防の薬物投与までやっている国であるので、「犯罪率が低いのは死刑廃止のおかげ」と断言するのは間違いだと思います。
国が人を殺してはいけないとの宗教的原理主義に、人が支配されることになります。
死刑が廃止された場合、死が最も苦痛に感じる加害者に、最大限の罰を与えることができなくなるので非合理。
刑存置国はアメリカ、中国、インド、日本、シンガポール、タイ、台湾、インドネシアなどで、アジアが中心。
21世紀はアジアが台頭する世紀となるので、今後、EUが主張する死刑廃止の影響力は低下するでしょう。
EUの死刑廃止の考えは、政情が不安定で、為政者が都合の悪い人間を法律を変えて殺すような国に対し、人権を守る上で有効なのは確かで、国連が発展途上国に対し、死刑廃止を唱えることは大事だと考えます。
司法と刑罰制度が機能し、国民の信頼を得ている死刑存置国に対し、死刑廃止をしろと言っているのは、一部の人間(それを商売にしている宗教関係者、弁護士、アムネスティ)のみで、国連もしかたなく建前上付きあっているだけ。
但し、では死刑が無い国では命が軽く扱われるのかというとそうではない。
> アムネスティによると、2010年の統計の人口10万人あたりの殺人発生率が低い順に、1位のオーストリアが0.56、2位のノルウェーが0.68、3位のスペインが0.72で、いずれも死刑廃止国です。
ということは感情論を抜きにしてデータで冷徹に考えた場合には死刑で「初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る」ものであるという見解は誤りであることが解ります。一生を贖罪に捧げさせる方法でも知ることが出来ているということです。
死刑制度が有ることで命の尊さを知る国よりも、殺さないことで、犯罪抑止を強化出来る国の方が理想的だと私は思います。
彼は、非常に合理的な死刑存置の理由を述べてます。
彼は非常に聡明で、裁判における被害者の権利まで変えました。
以下、本村さんの言葉。
死刑の意味は、殺人を犯した人間が、自らの罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が冷たく奪い去ることです。
その非業さと残酷さを思い知ることで、命は等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を 社会が知る、だから死刑が存在する意義があると思うのです。
戦争犯罪者であっても、私の答えはイエスです。
何故なら、彼等には二度と悲惨な行為を起こさない為の情報を提示するという仕事が有ると思うので。
死ぬまで何度でも取り調べ、犯罪と向き合わせるべきでしょう。謎を残す自殺などはもってのほかです。
もし私が被害者遺族であったら、その取り調べの様子を全て聞きたいと思います。何故殺されたのが自分の愛する者なのか、何故加害者はそんなことが出来たのか、贖罪の意識は有るのか。
世の中には死刑で終わらせて、悲惨な過去はなるべく思い出さずに楽になって生きて行きたいと思う遺族も多いでしょう。それを否定する気は有りませんが、被害を減少させる為には刑罰よりも分析・理解の方が効果が有り、世の中的にも遺族にも次に繋がる希望が持てる方法であると私は思うのです。
しかしドイツは幸い、ヒットラーの死後もホロコーストの責任を取るべく調査と分析を欠かさない姿勢が国際社会から評価されていますね。
対して日本は戦犯を自国で裁かなかったが故に問題追及が甘く、歴史修正主義者が跋扈するせいか国際社会での位置が不安定で未だに敵国条項を外して貰えません。
死刑制度維持論者も廃止論者も、最終目的は同じだと思うのですが、どちらを選択するかで社会の有り様や価値観や国際評価は大きく変わるのでしょうね。
○国法に憎しみという感情を容れる余地は無いと思います。
凶悪犯罪を無くしてしまえば、死刑も無くなるのですから、死刑になるような殺人を無くすよう努力し、「凶悪犯罪が起きないから死刑が実質廃止となっている国」という、高いところを目指すべきでは。
死刑を廃止することでしか、死刑を無くすことが出来ない国よりも理想的な気がします。
日本における死刑存置は、殺人者全てを死刑にしろと言っているわけでなく、殺人者に情状酌量の余地があると人が考え判断することで、98%前後の殺人事件に死刑判決を出していません。
それに対し、死刑廃止はどんな残虐・利己的な殺人でも、何人、何百人殺そうが、何が何でも死刑を廃止せよ、とのいき過ぎた極端な考えに思えます。
>どんな犯罪者であっても、無関係な他人からの「殺せ」などという書き込みは、決して良心だけから生まれるものでも、良心を生み出すものでも無いので。
これは犯罪者によるのでは?
極端な例ですが、keiさんはアドルフ・ヒトラー(生存して連合軍に拘束されているとの仮定)の死刑にも反対ですか?
600万人のユダヤ人を、ユダヤ人という理由のみでガス室で殺害したような人間です。
結局刑罰による抑止はあまり望めないのでしょう。そうであるなら、報復感情を増幅させる方向にではなく、二度とそうした犯罪を起こさせないという方向に向かわせる為に、死刑制度というものはベストでは無いと考えるのが廃止論者なのではないでしょうか。
死刑にすればその本人の再犯は無いが、そういう社会が別の犯罪を生む可能性が高いのでは?ということです。
どんな犯罪者であっても、無関係な他人からの「殺せ」などという書き込みは、決して良心だけから生まれるものでも、良心を生み出すものでも無いので。
被害者遺族への支援を拡充させることにはどなたも異論は無いでしょう。遺族を救うことは難しいでしょうが、少しでも役に立てることが日々出来たら良いですね。
とにかく一人でも多く「殺させない」ことが一番大事だと思います。
これは人それぞれでしょうね。
>制度が無い国ではどうなのでしょうか。
EUの人々の約50%は死刑存置の考えであり、その正当性に疑問が生じています。
イギリスに至っては、2011年は死刑賛成派が65%。
死刑廃止国の多くの国民も死刑存置を希望していますが政治家、人権団体から、人でなし扱いされることで言論が封じられているのが現状。
>死刑制度もサイコパスには効かないと思います。
死刑廃止派は、死刑の代わりに終身刑と言っていますが、終身刑にも抑止力はないですよね。
凶悪犯罪に対して、死刑の抑止力はないというのなら、いったいどんな刑罰なら、抑止効果を発揮できるんですか?
死刑の犯罪抑止力が存在するとしたら、絶対に再犯は無い、これに尽きる、終身刑と違い脱獄の可能性もなくなります。
>凶悪犯罪を憎み、被害者の感情に強い共感を覚えて加害者を「殺せ」と言う人ほど、同時に犯罪被害者を出さない為に1人1人が考え、行動するべきではないでしょうか。
人間は自分の体験以外に、本を読んだり映画を見たり、人の話を聞いて喜怒哀楽を鼓舞することによって、こころを満たしています。
ワイドショーで凶悪犯罪の報道を見て、犯人を憎しみ、被害者に同情し、報復感情を共有することも、そのような行為の一つであり、人間の正常な摂理。
処罰さえすれば終わってスッキリは勿論、大間違いです。
単なる、第三者による憂さ晴らし、中世における公開処刑の延長みたいなものですね。
僕自身としては、死刑制度を維持し、被害者遺族支援制度を両立するのがベストだと思う。
廃止論者の死刑を廃止しなければ、遺族を救えない理論は分かりかねます。
嫌なら辞めればよい。
そもそも、そのような覚悟がないなら刑務官になるべきではない
手を汚すす側の気持ち問題では無く、他人にそれをさせるこちらの気持ちとしての嫌悪感です。
>しかし利己的な理由で、身内の命を奪われた遺族は死刑を望むことが多い
死刑制度がある国であればそれは当然のことです。
制度が無い国ではどうなのでしょうか。
>犯罪被害者の会の理念
これも同上です。
死刑制度に代わる修身刑が存在すれば、考えが変わる家族も居ると思います。
>北九州監禁事件、尼崎事件、これらの主犯の様なサイコパス(先天的に共感性が存在せず、犯罪傾向が強い人間)には通用しませんよ
死刑制度もサイコパスには効かないと思います。
これらの事件の防止法としては、町内会での情報交換を活発にすることで、異常に気付き、警察に通報し易い土壌を作ることでしょう。そうした自治活動にも参加しない、最近の他人に無関心な風潮を危惧します。
凶悪犯罪を憎み、被害者の感情に強い共感を覚えて加害者を「殺せ」と言う人ほど、同時に犯罪被害者を出さない為に1人1人が考え、行動するべきではないでしょうか。
処罰さえすれば終わってスッキリみたいな言説を見かける度に(FOXさんのことでは有りませんよ)、事件の背景を深く鑑みない、殺伐とした空気を感じて逆に重い気分になってしまいます。
職業選択の自由。
嫌なら辞めればよい。
そもそも、そのような覚悟がないなら刑務官になるべきではない。
>家族にしてみれば、一生事件の記憶から逃れられないのですから、犯人にも同様であって欲しいと思います。
確かに全ての遺族が死刑を望むわけではない。
しかし利己的な理由で、身内の命を奪われた遺族は死刑を望むことが多い。
犯罪被害者の会の理念以下。
凶悪な殺人事件の被告に対しては必ず死刑判決を望む姿勢を堅持しており、被告に対しては「死をもって償ってもらう」以外の選択肢は持ち合わせていないという立場である。
>一番大切なのは殺人を犯させないことです。
あなたの言うように、感情が激昂しての殺人においては対処方法が存在するかもしれません。
ですが、北九州監禁事件、尼崎事件、これらの主犯の様なサイコパス(先天的に共感性が存在せず、犯罪傾向が強い人間)には通用しませんよ。
激昂せずとも、冷戦沈着に金銭目的の大量殺人を犯しますから。
○そもそも「死刑」は人命が極端に軽視されていた時代の遺制ですね。
○ですから、死刑は廃止して全て無期懲役という事にすればよいと思います。
○人間誰しも報復したい気持ちはあると思いますが、親・兄弟が殺された場合よりも、むしろ自分が侮辱された場合の方がその気持ちは強いように思いますね。
一番理想的なのは、犯人が贖罪意識を持ちつつ、社会から隔離されて一生を終えることですね。家族にしてみれば、一生事件の記憶から逃れられないのですから、犯人にも同様であって欲しいと思います。
それと、一番大切なのは殺人を犯させないことです。私は親から「他人を追い詰め過ぎないことが自分を救うことである」と、言い聞かされてきました。治安の良さとは関係の無い、感情が激昂しての殺人が多いならば、相手を激昂させない為の対処方法を考えることも必要なのではと思います。
警官が、現場の判断だけで裁判も受けさせずに射殺。
核兵器という大量虐殺兵器を保有。
武器輸出で利益を得る(間接的大量殺人)
武器輸出は廃止しないくせに人道的なふりしてる欧米には辟易する。
イギリスに至っては、報復攻撃として敵国民を殺すことは厭わない。
これらの国が「人道上の理由」でもって死刑廃止とは笑止。
結果、国家権力により、殺人が肯定されている国が殆ど。
それに比べ日本では、凶悪犯罪者のみにしか死刑を科してないので、廃止国より人道的。
治安が良いから、廃止する必要も無い。
凶悪犯罪が少ないからこそ、しっかりと三審制で審理できるのであり、検挙すらできない殺人事件が大量にある国々とは、レベルが違います。
大量に起こる殺人事件を日本と同じように審理するとなると、とんでもない費用が掛かる。
この費用を抑制する為に死刑を廃止して、即日判決を出せるようにしたのであって、日本では必要の無い事。
意味不明。
死刑廃止国(EU諸国)と比較できる生活水準、経済状態、政情の死刑存置国は日本とシンガポールのみ。
死刑廃止国が軒並み、この二国の犯罪発生率を下回ってから、死刑廃止と叫ぶ必要あり。
死刑廃止しているEUの先進国より犯罪率が低いのは間違いない。
麻薬・覚醒剤所持でも死刑になるシンガポール。
他国に比べてその手の事件が極端に少ないのだから死刑に抑止力があると考えるのが普通。
死刑執行国でも北朝鮮やサウジアラビアは治安良いですよ、ある意味。
イエメンやスーダンはは内戦になってますね、今。
だから何?
>死刑廃止国(EU諸国)と比較できる生活水準、経済状態、政情の死刑存置国は日本とシンガポールのみ。
だから死刑を廃止したほうがいいのですw
1位 日本
2位 シンガポール
共に死刑存置国。
シンガポールは犯罪者の刑がとても重く、人口あたりの死刑執行件数は正確な統計がある国としては最も高い。
刑の重さが犯罪率の低さに繋がっているとみられる。
死刑による抑止力の可能性が存在します。
両国共に共通しているのは、自分を律する精神性の高さから、死刑制度に至っているということ。
死刑廃止国(EU諸国)と比較できる生活水準、経済状態、政情の死刑存置国は日本とシンガポールのみ。
死刑廃止国が軒並み、この二国の犯罪発生率を下回ってから、死刑廃止と叫ぶ必要あり。
死刑存置国の犯罪率に関して、生活水準、経済状態、政情が非常に悪い国を意図的に言ってる廃止論者は、チェリーピッキングが大得意。
廃止論者の中のヒューマニズムや合理主義の観念や表象は、あまりに西欧近代中心に組み立てられすぎているに過ぎない。
過激な行動の反省として、真逆の過剰な行動を取るというパターン。
なので、EUの死刑廃止に説得力がない。
世界で世論が死刑廃止を支持したケースはほとんどなく、早い段階で死刑を廃止した国は、いい加減な取調べや裁判で、無実の罪で処刑を行い、一時的に死刑制度への嫌悪感が高まった瞬間に死刑制度が廃止されている。
日本では為政者が、魔女狩りに代表されるような無実の人間を司法により大量処刑した歴史がない。
その後冤罪処刑の記憶が薄れ、別の凶悪犯罪が起こると、ほとんどの国では死刑制度復活を支持する世論が高まるのだが、一度廃止した死刑制度を復活するのは極めて困難。
死刑廃止は非常に危険なギャンブル。
EUの人々の約50%は死刑存置の考えであり、その正当性に疑問が生じている。
イギリスに至っては、2011年は死刑賛成派が65%。
死刑廃止国の多くの国民も死刑存置を希望していますが政治家、人権団体から、人でなし扱いされることで言論が封じられているのが現状。
廃止派の大好きな国連は、数カ国の石油利権を守る為に人殺しをさせる団体。
それが死刑廃止派が崇めてる国連の実態。
死刑廃止国のイギリスとフランスは、石油の為にバンバン人殺しをする国。
自分の子や旦那や奥さんや親や兄弟や姉妹が身勝手な犯罪者に玩具のように命を奪われても
あんたそんな事思えるのか?
死刑は残酷だとか命の大切さだとか言ってるけど
被害者の命は?殺された被害者の方が残酷な目にあってんだよ(怒)
殺された人が残酷に殺されてんだよ(怒)
死刑廃止?ふざけんな(怒)身勝手に人の命を奪った犯罪者に人権や構成なんかいら無い。犯罪者の人権を守る世の中が有り得ない
終身、無期…
犯罪者に何故税金を使っていかなきゃいけないの?
誰がどう考えても身勝手な犯罪事件は、そんな卑劣な事をするような犯罪者は人間でわ無い!命でわ無い即刻死刑で良い
またよく死刑廃止論者は冤罪があるから死刑を廃止すべきだといいます。これも妙な話だなと思います。つまり死刑が廃止されれば、冤罪は容認されると言っているように聞こえます。世の中では痴漢冤罪ということがあります。もちろんこの場合何年も刑務所に行くことにはなりません。しかし冤罪であるにもかかわらず、最悪の場合家庭崩壊にまで追い込まれる人間も存在します。要するに死刑冤罪だろうが痴漢冤罪だろうがそれは決して許されることではないのです。したがって冤罪は死刑が原因で起こるのではなく、司法システムの改善が必要になります。ある死刑廃止論者は、死刑をなくせば冤罪は起こらないというわけのわからないことを言っていました。それは違うだろうと思ったわけです。それでは一般市民に死刑廃止を訴えても響かないと思います。死刑廃止論者と一般市民の考えに大きな乖離があるからです。
そして海外からの圧力で死刑を廃止することになるのではないかとのことですが、それは無理だと思います。そもそも国には内政不干渉の原則があり、それを破れば、日本という国は国ではなくなってしまうからです。あくまで日本では日本国民が何が正しいのかを自分で判断するべきであり、外国がしゃしゃり出てくるべきではないと思います。
この弁護士さんは重要なことを言ってません。
アムネスティの報告によると殺人発生率が低い第四位は日本です。
当然死刑存置国です。
「死刑廃止は人命尊重を生む」というのなら、日本以下の国はどうなってしまうのでしょう。
特に日本に難癖つけている英仏独はどの統計でも日本以上の殺人発生率なんですよね。
死刑廃止が人命尊重を生む風潮とは一体
誰もが納得できる法が完全な法です。
だから人権思想は間違っていると思います。
また被害者感情を理解できない方がいますが、その人たちが死刑廃止を国に求めるのはおかしいでしょう。
それから貴方は国民感情が死刑制度を支持していると書いてますが、間違ってますね。世論です。世論と国民感情は違いますね。
殺害された被害者の気持ちは無視でいいのか?それは違います。だから国民は事件に合う前から刑罰を決めておく必要があるのです。そのためにも世論(国民感情ではない)は重要なのです。
まず、以下の点が気になりました。
(以下引用)
アムネスティによると、2010年の統計の人口10万人あたりの殺人発生率が低い順に、1位のオーストリアが0.56、2位のノルウェーが0.68、3位のスペインが0.72で、いずれも死刑廃止国です。
死刑廃止は命を尊重する文化を育むと言えそうです。
(引用終わり)
死刑存続国よりも死刑廃止国のほうが殺人発生率が高い場合もあると思います。もしそうだとしたら、この論理展開は無理があると言わねばならなくなります。
次に気になったのは、「5 国際社会の常識とは」の論旨です。この章では、「死刑存続の点から日本は国際社会で孤立している→死刑制度は廃止したほうがよい」という主張をされています。ですが、この論法でいくと、「死刑廃止という点から、れい先生は日本社会で孤立している→死刑制度は存続させたほうがよい」という展開がまかりとおってしまうのではありませんか。
そのほかの御説はまったこもって賛同致すものですが、それゆえ、あえてコメントさせていただきました。
先日仕事でリヤドを訪れる機会があり、人間の権利、死刑制度の賛否について考え始めました。
わたくし個人の意見としては死刑制度に反対です。
単純に被害者家族の心は加害者が死ぬことで罪を償わせたとは思えないと考えるからです。
人間はリベンジだけで心を満たすことはできない。
人間は憎悪を抱いたままでは生きてはいけない。
憎悪は生きる上で一番必要のない感情。
結局は被害者個人あらゆる感情をコントロールして何が彼らにとって最善かを考えなければならない。
その時彼らは加害者の死刑を本当に望むだろうか?
他国の脅迫に左右されず、日本独自の考えをもっと持たなければいけないですね。
私は死刑肯定論者です。私は死刑廃止論者の主張に納得いかないことがある(この投稿記事もそうですが)ので、宜しければご教示願いたいのですが・・・・・・(ダメならダメで構いせん)
聞きたい点は多々あるのですが、全て聞くと長くなりますし、先生の負担にもなりますので2点に絞ってお聞きします
1.本投稿の中で「国家の暴力」という単語があります(そして死刑廃止論者が多く語る言葉でもあります)が、死刑は「どうして暴力なのですか?」
物事を考える上では、「事実」と事実に対する「評価」を分けるのが基本ですが、もし「(国家の)暴力」という表現が、単に「力の行使」の”記述”であるなら、それから「死刑は悪である」という判断は出てこないし(それは単なる自然主義的誤謬です)、もし「力の行使に対する”評価”」を含むのであれば、それは「本来死刑が悪であることを示す必要があるのに、それをしないで結論を主張している結論を先取りする誤りを犯している」と死刑肯定派からは言えると思うのです。
後者について言えば、死刑を「犯罪者に対して裁きを科す」という”正しい目的”のために、「裁判手続きを経て」という”正しい手段”を用いた、「正力」という考えが原理的に出すら可能でないことを廃止論者から聞いたことがありませんが、なぜこの考えがいけなくて「死刑は国家の”暴力”」とアプリオリに言えるのですか?
2番目にお聞きしたいのは、死刑に犯罪抑止効果がないのは確かですが、死刑には”罪刑均衡”の観点からの正当化、公正さという意味での正義からの正当化があるわけですが、その点について先生(或いは法曹界)はどうお考えでしょうか?
この論点は終身刑と絡んで、自由の地位の評価も関係してくるので、簡単ではないとは思いますが、私個人の意見としては、「命の地位」は「自由の地位」に比べて明確で、安定しているという特徴を踏まえれば(絶対終身刑と死刑では刑罰の重さが同等かどうかを聞いたときに見解ば別れることを考えてみてください)、死刑の方が広く説得力がある面があると思うのですが・・・
私は死刑は存続するべきだと考えています。
刑務所に入りたいからという理由で凶悪犯罪が増えても嫌ですし。
民主国家の国内法にまで口を出す国際社会の反発は、無視をしていいとは思いませんが、私には単なる内政干渉にしか思えません。
>たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります。アメリカ、中国や産油国の問題もあり容易ではありませんがもうその準備をしています。国連も動いています。
あなたが言われるように、この言い方は脅迫だと思います.
で、ぜひご意見を伺いたいのですが、
世界で死刑制度の一番酷い国は、サウジアラビアだと言われています.そのサウジアラビアから、日本はペコペコ頭を下げて、石油を売ってもらっているのが現状です.お金を払って買っているとは言い難く、彼らにしてみれば、頭を下げてお金を払って石油を買って来るのが当然なので、サウジアラビアに働きに来る労働者は、お金を与える相手、つまりは、餌を与えて飼っている家畜と同様にしか思っていないそうです.
サウジアラビアの死刑の実態はむちゃくちゃで、こと外国人の犯罪に対する処罰は、裁判は開かれても、まさしく家畜扱いの裁判と言わなければなりません.
そして、サウジアラビアで付け加えれば、交通事故の酷い国でもあることです.
リヤドの街の道路は片側3車線あり、その道路を歩いて横断していると、車が横断者に向かって突進してくるそうです.なぜなら、ひき殺してもお金を払えば解決できるから.....
これらの事実を、どの様に思われるでしょうか?
私は、日本は自慢できるほど恥ずかしい国だと思うのですが.
ジャン・ルノワールがアメリカに渡った第一作.俺が正義だと言って鉄砲を撃ちまくる西部劇を正面から批判して、西部劇タッチで南部劇を撮っています.
冤罪事件で死刑判決を受けた男が逃げ出して、湿地帯の中で、ワニ、毒蛇と戦いながら生きる.死刑と言う人間の作った掟から逃れて、自然の掟に従って生きる道を選んだ男の話です.
『肉体の冠』 ジャック・ベッケル (98分 1951年、フランス) DVD 12800円(中古)
死刑とはどの様なことか、単純明瞭に描きました.
『リラの門』 ルネ・クレール (98分 1957年、フランス) DVD 5980円(新品)
警察に捕まれば、死刑になって当然の人間を撃ち殺したのだけど?
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加害者が死刑を受けることで罪が償われるのか?
被害者は、加害者のことを罪を償った人間であるとして認めることができるのかということを考えてきました。
罪を償うと追うことは難しいことだと思います。
多くの場合において、本質的には不可能でないでしょうか。
私はもう一つ考えていることとして、加害者にのみ罪があるのかということについてよく考えます。関連性の上で成り立つ社会において、事件を起こしたもののみが罰を受けるべきなのかということです。私には時々、事件を収束させるための都合のいい責任転嫁に感じてしまうのです。
私は、刑務所に更生施設の役割を期待しています。
現実的に更生を望めない場合もあるでしょうが、我々が自らその努力を放棄する死刑制度はあってはならないことだと思います。
私は、刑務所は、罪を償うことが非常に難しいことであるために加害者の更生施設であると思います。
>散々武器輸出して儲けて
との事で、自分も武器輸出国に対しては同感です、でも、だからって日本も同じレベルまで落とす必要はないと思うんです。
国家による殺人は認めない、だから我々も国家による死刑は廃止する。そうする事で他国に対して二枚舌じゃなく、芯の通った説得力ある非暴力的な外交が出来るんじゃないでしょうか。
今回のrayさんの記事で死刑制度に対する指摘としては十分だと思います。それに、視覚的なデータの提示もありますし、私の記事よりもずっと効果的だと思います。
うちの「死刑FAQ」にも収録させていただきました。(TBしました。)これからもよろしくお願いします。
ところで、長坂りえさんには、そのカリフォルニア州の被害者救済プログラムについて、よろしければもう少し詳しくおうかがいしたいなと思います。
>他にも抑止力とか贖罪とか理由はあるでしょうけど……。
アメリカではニューヨーク、ハワイ、アラスカなど死刑の無い州の殺人犯罪率が死罪のある州より少なく抑止力とは関係ない。
「理解されないから」孤立する,と考えると,やっぱり,国際的に孤立することを軽視するのはよくないと思いますが…?
それに,国内に「死刑が推奨されるような空気がある」という理由で,もしも日本が『司法が腐敗しきっている』中国と同類,と国際的に思われるとしたら…それこそ日本にとって,すごくソンじゃないですか?「司法が腐敗しきっている中国とは違う」と日本人は思っていて,また現実にそうだとしても(そうなのに),死刑制度1つのことで,そんな中国と同じと思われてしまうとしたら…死刑存続は,日本の国際的な信頼を揺るがす,ゆゆしき問題だと思います。信頼は一朝一夕には得られないものですし…。
実際,死刑執行の記事の「携帯のコメント欄」は「殺せ殺せ」「さくさく執行しよう」などの恐ろしいコメントであふれているので,読んでいて気分が悪くなります。ray先生の言われること(=命を大切にする文化が犯罪を防ぐ)とは正反対の日本社会を表しているようで…
谷垣さんは,*冤罪の可能性のない重罪を犯した犯人に限定し,*「死刑決定後6ヶ月以内に執行すること」という法定事項だから,「法治国家としてそれに沿って本来法相がすべき仕事をしただけ」と言われているので,判断に理解出来るところもあるのですが,でも,日本の死刑存続がこれだけ国際的に大きな問題になっているのに,*法相の立場にいる人が「死刑制度を見直す必要はない」と公に言い切ってしまうことには,やっぱり賛成出来ません。この断言は,影響力が大きすぎます。
よく”お前の家族が同じめにあっても死刑に反対するのか”って必ず出てきますが、こういう人は被害者が国家賠償等で補償金を受け取れば、”死人のおかげで金持になって”と言う人達なので無視。ましてや法務大臣が考慮すべき国民の声ではないと思います。
死刑制度をなくすには、被害者に対する、十分な精神的、物理的、経済的な支援と情報公開、できれば、希望者には加害者と対話できるような制度が充実していけば、”死刑ちょっと待って!”と思う被害者も出てくると思います。とにかく被害者に十分なケアをして味方になってもらうことが先決。うちもカリフォルニア州の被害者救済プログラムに随分助けてもらっています。長々すみません、死刑廃止に向けて是非応援させてください。
と言って死ぬまで税金で衣食住の面倒見てあげる訳にはいかないので、死刑は必要だと思います。
他にも抑止力とか贖罪とか理由はあるでしょうけど……。
>>被害者が死刑を望むことは当然です。しかし、国の政策で死刑をとるべきかは別のこと。
>ここは大体同意です。遺族感情と死刑とは直接関係ないですよね。社会全体の問題だと思うし。
とのことですが、これが死刑賛成論者の最大の理由づけだと思っていたのですが、ここを理性的に取らないとなると、いったいなぜ死刑を存置し続ける必要があるのでしょうか。
>被害者が死刑を望むことは当然です。しかし、国の政策で死刑をとるべきかは別のこと。
ここは大体同意です。遺族感情と死刑とは直接関係ないですよね。社会全体の問題だと思うし。
>たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります。アメリカ、中国や産油国の問題もあり容易ではありませんがもうその準備をしています。国連も動いています。
ご自分で書いておられるように実現不可能な政策ですね。単なる脅し。
>なぜ、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止し、死刑廃止がEU加盟の条件になっているかというと、一番の理由が国家が殺人をするような国は信用できないということなのだと思います。
>今回の死刑執行に対しても、独仏やEU連合そのものから遺憾の意を表する声明が相次いで出されました
散々武器輸出して儲けてついこないだもアフリカを空爆したよう国がどの口で抗議するんでしょうか?
空爆で人を殺すのは国家による殺人じゃないのですか?秘人道的じゃないのですか?
EU及びフランスの偽善的な二枚舌には反吐が出ます。
>日本は世界で孤立していますし、執行数こそ少ないものの、死刑に関しては中国とどっこいどっこいの人権感覚だとみられています。
孤立するからどうのって話ではないし、司法が腐敗しきっている中国と日本とは全く違うでしょう。
>フランスやイギリスなど、多くの死刑制度廃止国は、当時は死刑存続を望む国民が過半数を占めていましたが、政治主導で死刑廃止を決めています。
つまり民主主義に背いて独裁的に決めて嫌がる国民に無理矢理押し付けた訳ですね。多数決民主主義を否定する方は気にならないのかも知れませんが。
>わたしは、日本政府および法務大臣は、死刑制度については、存廃や死刑に代わる終身刑や被害弁償など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を停止すべきであると考えます。
廃止派の方はよく議論を尽くせと仰いますが、何をもって「議論を尽くした」とするのかがはっきりしないと何とも言えないし、その間執行停止する必要があるとも思えません。今の法律では死刑が認められているのですから。