(2012年4月2日 大阪市の発令式で、君が代を斉唱する出席者)
大阪市に新規採用された職員140人の発令式が2012年4月2日、大阪市市中央公会堂(同市北区)で開かれました。
今回は初めて、橋下徹市長の意向を踏まえ、冒頭に出席者全員で君が代を斉唱したのだそうです。
おまけに橋下市長は退場前には、
「国歌・君が代斉唱のとき、きちんと手は横、気をつけ。国際社会で外国に行った時に、前に(手を)組んでいたら格好悪い話なんですね」
と君が代を斉唱する時の姿勢まで文句をつけたそうです。
橋下市長はこの問題になると「国際社会」の常識を強調しますが、だいたい、先進国で、公務員が公職に就任するときに国歌を歌うような国はありませんよ。
異様です。
さらに、君が代を歌っているか教員の口元を観察するだの、君が代斉唱の時の新入職員の姿勢まで注文をつけるだの、橋下氏の感覚って、自由主義社会のリーダーというより、全体主義国家の指導者に近いのではないでしょうか。
(大阪市の発令式を退席する際に、君が代斉唱時の姿勢について出席者に指摘する橋下徹市長)
たとえば、アメリカという国はヨーロッパからの移民が原住民を追い立てて人工的に作った国ですから、それだけに、国旗や国歌という国家統合の象徴を重んじられています。
しかし、それ以上に表現の自由が保障されているのです。
アメリカでは、ベトナム反戦運動で多くの国旗が燃やされたことに対する批判から1968年連邦法をはじめ48州で国旗を保護する法律が制定されました。
しかし1989年、 米連邦最高裁は、「国旗を燃やす行為は言論の自由の権利の一部」とする判断を示し、国旗を保護する国と州の法律は表現の自由と思想良心の自由を侵害するものとして、すべて無効とされています。
また、ヨーロッパでも、学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが、そもそも殆どないのだそうです(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による資料 「諸外国における国旗国歌について」)。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。
他方、中国の学校では月曜朝の斉唱が義務付けられており、また「国旗法」により、全日制学校での国旗掲揚が義務付けられています。これを尊重しなかった場合には「国旗侮辱罪」の規定があります。
橋下市長は2012年3月20日、関西ローカルの情報番組に出演した際に、高校の卒業式でマスクをつけた教員らがいたとして 「国際社会において非礼」 とも批判しています。
橋下氏が強調する「国際社会」って、ひょっとして、国旗国歌に最敬礼することが強制される北朝鮮や中国など全体主義の国のことなんですか。
明仁天皇・美智子妃主催の秋の園遊会が2004年2月28日、東京の赤坂御苑で行なわれました。上の画像はその時のものですが、その園遊会に出席した東京都教育委員会委員の米長邦雄氏と明仁天皇との会話が、報道で取り上げられました。
そのやりとりは以下のようなものでした。
「教育委員として本当にご苦労様です」(明仁天皇)
「一生懸命、頑張っております」(米長邦雄氏)
「どうですか」(明仁天皇)
「日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます。今、頑張っております」(米長氏)
「やはり強制になるということでないことが望ましいと思います」(明仁天皇)
「もうもちろんそうです、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」(米長氏)
と、石原都知事の意向を受けて、君が代・日の丸強制を押し進めていた米長氏はこうして大恥をかきました。
日本国憲法に規定される象徴天皇制の枠内で、民主主義を尊重する現在の天皇ならば当然望まない君が代・日の丸強制。
天皇の「ご真影」への最敬礼が求められた戦前の絶対主義天皇制のような強制を押し進める橋下氏って、日本が自由と人権を重んじる自由主義国家になったことが分かっているのでしょうか。
今回の新人発令式でも、起立して君が代を斉唱しない新入公務員には「研修」させるということが事前通告されていました。
メールチェックだの思想調査だの、やってることがまるで全体主義で人権感覚のないリーダー。
何のためにこだわるのかまるで分からない君が代や日の丸も、彼の圧制のための道具でしかないのではないでしょうか。
大阪市の発令式で、君が代を斉唱する出席者=大阪市北区で2012年4月2日午前9時58分、川平愛撮影
大阪市の発令式を退席する際に、君が代斉唱時の姿勢について出席者に指摘する橋下徹市長=大阪市北区で2012年4月2日午前10時19分、川平愛撮影
大阪市に新規採用された職員140人の発令式が2日、市中央公会堂(同市北区)で開かれた。今回は初めて、橋下徹市長の意向を踏まえ、冒頭に出席者全員で君が代を斉唱した。
車椅子の職員を除く全員が起立し、担当者が確認した。橋下市長は「公務員は窮屈だが、大阪、国家を変えられる仕事。もらっている税金の1000倍 ぐらい市民に還元してほしい」とあいさつ。退場前、新職員らに「国歌を歌う時、手は横に。前に組むのは国際社会では格好悪い」と注文をつける場面もあっ た。新卒採用の女性職員(25)は「国歌を歌うのは当たり前で抵抗はない。公務員としてしっかりルールを守りたい」と話した。
市では今年2月、市立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例が成立・施行。大阪府も橋下知事時代の10年から、新職員の任命式で斉唱している。
一方、大阪府庁でも2日、新規採用職員の任命式が行われ、全員で君が代を斉唱。松井一郎知事が新人196人に「府民市民のために持てる力を発揮し てほしい」と激励。行政職の松岡奈苗さん(23)が代表して「大阪府を明るく活気ある街にするため精いっぱい頑張りたい」と決意を語った。【茶谷亮、熊谷 豪】
毎日新聞 2012年4月2日 11時47分(最終更新 4月2日 12時38分)
あのアメリカですら自国国旗の焼却が禁じられていない理由
2012年03月23日(金)12時36分 ニューズウィーク
たびたび、大阪の橋下市長がらみの話題で恐縮ですが、国体(国のかたち)を考える上での良いレッスンになるのではと思い取り上げます。今日は、国旗国歌への態度と「国際社会」の関係についてです。
今週の市長の発言の中に、「国歌斉唱の際に手を前に組んでいるのは失礼で、国際社会では許されない」という主旨のものがありました。この種のもの としては、スポーツ選手などが海外での試合に臨んだ際に国歌を歌っていないのは「国際社会での常識に欠ける」というような言い方があり、市長もそのような 主旨での発言を以前にしていたと思います。
確かに1つの考え方です。スポーツの対外試合というのは一種の民間外交ですから、それなりの外交儀礼というものがあり、他国の国旗国歌への尊敬だ けでなく、自国の国旗国歌に対しても儀式の格調を維持するためにも、国家を代表している敵味方相互をしっかり認めるという意味合いからも必要だと思いま す。
例えばサッカーのワールドカップの場合ですと、各試合の際には選手たちは開催国の少年少女と手をつないで入場するというスタイルがあるのですが、 例えば南ア大会で、南アの子供たちが日本選手と手をつないで入場してくれたとしたら、それは南アとして日本に対して外交上の礼を尽くしているわけですか ら、その子供たちと一緒に並んでいる中で国歌が流れた際には、日本選手は自国の国歌に礼節を示すことが、その子供たち、更には開催国や参加国全体への礼節 になるのです。
ところが、橋下市長の言う「だから国内でも」というのはちょっと違うのです。この点については、1990年代から2000年代の米国での議論が良い例だと思うので紹介します。
まず、1989~90年にかけて「国内での自国国旗損壊禁止は違憲」という最高裁判断が確定しています。これは政治行動などで自国の当時の政権を 批判する主旨で、自国国旗を焼却する行為に関して、これを禁止する法律は憲法の「表現の自由、思想信条の自由」に違反するかが問われた裁判で、結果として は「表現の自由、思想信条の自由」が優先するとして禁止法は違憲という判例が確定しているのです。
この話には複雑な背景があります。アメリカの20世紀後半においては、ベトナム戦争とベトナム反戦運動というのが非常に厳しい歴史としてあったわ けです。その中で、ベトナムでの民間人虐殺などに反対して、自国国旗の焼却行為というのは広範に行われていました。この問題が背景にあります。
ですが、90年代になって冷戦が終わり、米国の軍事外交に対する姿勢が「世界の警察官」としてのプライドを回復すると同時に、少しずつ「草の根保 守」的なムードが高まっていったのです。そんな中、判例に挑戦する動きも出てきました。彼等の中にある心情というのは、「ビル・クリントンというベトナム 反戦運動に参加した人間が大統領になっているのは許せない」という言い方で具体化する中で、かつての反戦運動で自国国旗が焼却されたことへの反省からこう した行為を違法とする法律の制定という運動が起きていったのです。
この件に関しては、ちょうどクリントン政権が軌道に乗りはじめた1995年の映画『アメリカン・プレジデント』(ロブ・ライナー監督)に興味深い エピソードが出て来ます。この映画は、人気俳優のマイケル・ダグラスが奥さんに先立たれた独身の合衆国大統領として登場し、アニッタ・ベニング演じる環境 ロビイストと恋に落ちるというお話ですが、当時は『氷の微笑』でのスキャンダルな役柄の影響で、セックス中毒だという噂をされイメージが低下していたダグ ラスにとって予想外のヒット作となり、また彼自身にとってもイメージをグッと改善するキッカケとなった映画です。
また劇場公開の成功だけでなく、ビデオやペイパービューなどでの売り上げが長い間続いたという「不思議なヒット作」になっています。その中で、大 統領にとってライバルである共和党の有力議員(リチャード・ドレファスの怪演が面白いです)がベニングの「過去のスキャンダル」として「若いときにデモに 参加して自国国旗を焼却した」というネタで大統領を脅すというエピソードがありました。
ネタバレになりますが、これに対して大統領のダグラスは上下両院議会で演説し「思想信条に純粋であった1人の女性の名誉を党利党略で汚すのは卑劣 である」と大見得を切って見せるのです。映画の中での大統領演説というのは、一種の大岡裁きや黄門様のインロウなどと同じ、大統領もの映画の定番シーンで すが、本作でのダグラスは「カノジョを守ったので偉い」ということで、広範な女性ファンの心理をつかんだのでした。同時に、左派から中道にかけてのアメリ カの世論に「自国国旗の焼却行為は合憲」ということの確認をしたということで、意味は大きかったと思われます。
その後、9・11が発生し、アメリカがアフガンとイラクでの戦争にのめり込む中で、例えばイスラム圏ではそれこそ米国国旗の焼却行為というのは頻 発したわけです。勿論、そうした行動に対してはアメリカは国として抗議し、アメリカ世論も怒ったわけですが、2006年という正に「ポスト9・11」の世 相の中で、自国国旗の損壊禁止法が最終的に上院での絶対過半数は取れずに終わりました。そのぐらい、アメリカという国といえども「自国国旗の損壊行為を禁 止することへの自制」があるというのは重要な事実だと思います。
何故なのでしょうか?
答えは単純です。国旗国歌というのは対外的にその国家の名誉を代表する一方で、国内的には思想信条の統制や政治的な権力への従属を強いることに 使ってはいけないからです。民間を含む外交局面においては自他の国旗国歌は尊重されなくてはならないが、純粋に国内政治の局面においては、国旗国歌の持つ 権威を政治的な圧力や示威の道具とすることはできないという考え方、そのような言い方もできると思います。
日本の法律においても外国の国旗を損壊した場合にはこれを罪に問う法律があります。当然だと思います。ですが、この法律は自国国旗には適用はされ ません。これも当然です。日本の領土内において、外国国旗の損壊は外交問題になりますが、自国国旗の損壊は国内問題であり、国内問題の解決においては言論 の自由や思想信条の自由は優先されるべきだからです。
最初の問題もこれと全く同じです。国内においては「国体=国のかたち」自体を論争の対象とするような言論の自由というのは、民主主義国である最低 条件の1つであり、そのために外交上の国旗国歌への儀礼とは意味合いが違うのです。その意味で、国内儀式でも起立は必要でしょうが、腕組みまで禁止するの は過剰、まして国内問題に「国際常識」を絡めるのは実は「国際的にも常識ではない」と思われます。
きっと左側のイデオロギー満載の先生たちかと思ったら、とんでもありません!!!!
どの方も教育熱心で尊敬できる先生たちでした。
そりゃ、そうです。ことなかれ主義のリーマン先生だったら不起立なんかしないですもん。
もともと教育熱心だからこそ、この歌を強制することの是非を考えてしまうのですから
「子どもたちは数年経てばすぐオトナになるんです。だから、君が代の意味も教えずに、カラダで覚えさせる教育に断固反対します」と一人の先生が言っていました
もちろん、自分の意思で考えた上で起立斉唱するのはOKですが、「天皇の治世が永遠に続きますようにという特定の思想の発露」を歌詞にしているかのようなこの歌(笑)を強制するのはいかがかと思いました。
「国歌だから歌うのあたり前じゃん」
「公務員だから、歌うの当たり前じゃん」
ほとんどの人たちはそう思うでしょう。
でも、この発想だとそこで思考停止になっちゃいます。
「君が代」という歌と「国民主権」との整合性について、あいまいだからこそ、自分のアタマで考える必要があるんですよね。
先生の日記で先日観たドキュメンタリーを思い出してしまいました
日本は日本のやり方でいいと思うし
橋下のやり方がイヤなら次の選挙で
落とせば良いだけの事。
「次の選挙そのものが無くなる」というシナリオもありますよ。
4年間好き放題にしていい筈が無いですね。
4年の間には中学生が高校生になります。子供の時間は濃密です。
だからこそ、特に教育現場への強制には反対の声が上がるのです。
そもそもどうして卒業式・入学式に国歌斉唱が必要なんでしょうか?
この質問に「当たり前」しか返せないとしたら、一度考えてみることをオススメします。
アメリカのリバータリアンは、国家の干渉を何よりも嫌います。個人の思想・信条に干渉する国歌斉唱の強制に関与することなどありえないでしょう。銃所持や麻薬の自由さえ訴えます。
経済に干渉しなければ、思想信条それ他への干渉は気にしないというのは、「なんちゃって小さな政府」「なんちゃってリバータリアン」としかいいようがないです。
小さな政府論者で、国歌斉唱の強制に憤慨している人なりブログをみかけないのて、日本にはリバータリアンといわれる人はそうそういないんでしょうね。
私はリバータリアンは支持してないですが、半分くらいは共感します。
その日本のやり方とやらが、中国や北朝鮮と同じでいいのかって話なんだけど。
>橋下のやり方がイヤなら
選挙に勝ったら何をしてもいいと思ってるわけだ。
だったら民主党政権にも不満はないんだね。
「皆様とともに日本国憲法を守り…」橋下氏、朝敵ですね。
「日本国憲法を擁護し」ない公務員は免職のはずです。
朝日新聞に「国の危機だから国歌を歌え」てな投稿した教員がいましたが、(公務員が憲法を守らず)国歌を強制するようになった時が国の危機なので、そんな時に国歌を歌っても、火に油です。
教師批判の先輩にはポルポトも…。
大阪、高校つぶす、そうなので、失業率がどんと上がるでしょうね。
とても嫌な気分になりました。
この不景気の中で、めでたく新社会人としてスタートしたばかりの若い職員の方たち。
簡単には反対の声を挙げられない弱い立場でもあったと思います。その人たちに有無を言わせず、強要したシーンを想像して、本当に嫌な気分になりました。
今までは、恥ずかしながら「国歌斉唱?なにがいけないの?」とその理由も是非も、深く考えてきませんでした。
私の中では、国歌の歌詞は意味を持っていませんでした。(子供の頃は意味も分からず、その後も深く考えたこともなく)
「校歌」などと同じレベルのただの「歌」でした。
でも、最近の「強要・強制」の流れは本当に不愉快で、恐怖も感じます。
大阪市発令式の国歌斉唱を聞いたとき、独裁者が「ハイル!ヒットラー!」と従うことを強要したことと同じだと思いました。
なにかを強要することは罪にはならないのですか?
こんなことがまかり通ることが、不思議です。
「みなさんは命令する立場」
という言葉に耳を疑いました。
それをおかしいとも思わず、堂々と発言して・・・怖い。
「公僕」という言葉はへりくだり過ぎだとしても、知事も職員も同じ市民をして「対等」なはず!