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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

水俣病救済策7月末打ち切りに抗議して被害者座り込み開始 水俣病で起こっていることは将来福島で必ず起こる

2012年07月04日 | 人権保障と平和

 

水俣病「被害者」を対象とした救済策の申請締め切りが7月末日とされ、そこまで1か月を切ったのを受けて、被害者団体がここで終わるのは潜在的な被害者の切り捨てになるとして、期限の撤回を求める座り込みを始めました。

水俣病とは、熊本県と鹿児島県にまたがる不知火(しらぬい)海や新潟県阿賀野川に加害企業のチッソや昭和電工が垂れ流した有機水銀を魚介類が体内に蓄積し、それを食べた住民が、感覚障害、運動障害、視野狭窄(きょうさく)、言語障害などを引き起こした公害病です。

いわき市沿岸の動物性プランクトンから高濃度セシウム→魚→人間と生物濃縮で内部被曝の恐怖38


この水俣病の被害者に対する救済は、国の基準で水俣病と認められる人を公害健康被害補償法(公健法)で水俣病「患者」と認定されるのですが、水俣病が公式に確認されてから55年もたつのに、公健法で救済されたのは約3000人にすぎず、1995年の政治解決で対象になったのも約1万1000人です。

そして、その基準を満たさないものの一定の症状がある方々を水俣病被害者救済特別措置法では水俣病「被害者」とするおかしな制度になっています。この「被害者」とするかしないかの線引きも非常におかしいのですが、それは末尾の西日本新聞の詳細な記事にゆだねます。

〈水俣病被害者救済法〉 

2009年成立。手足の先や全身性の感覚障害などの症状がある被害者に、一時金210万円や医療費などが支給される。一時金は原 因企業であるチッソが負担するが、原資は国や県が貸し付ける。国が決めた認定基準による患者は約3千人にとどまり、未認定患者による裁判闘争が長く続い た。95年、政府は患者と認めないままで被害者約1万1千人に一時金を支払い、解決を図った(第1の政治決着)。その後、04年の最高裁判決が国の基準よ り幅広い救済を認めた。これを契機に再び認定申請を求める人が急増。これを受け、「第2の政治決着」として、自民、公明、民主の超党派の合意で救済法が成立した。

 


さて、被害者に一時金を支払うことなどを含む救済策については、来年の2013年4月末をめどに対象者を確定すると救済措置法で定められていて、細野環境相は審査に一定の期間が必要だとして、申請を締め切る期限を2012年7月31日としました。ここで完全に終わってしまおうというのです。

ところが、熊本、鹿児島、新潟県を合わせた3県の申請者累計は2010年以来5万5692件に上り、国が申請期限を発表した2012年2月以降は3県で月1000件を超す申請が続いているのです。当然、被害者はまだまだ埋もれているとみるべきです。

それが証拠に、水俣病の被害者6団体と民間医師らでつくる実行委員会が症状がありながら救済されていない人を見つけようと、2012年6月24日に不知火海沿岸の出水市と熊本県水俣市など計6会場で行った集団検診では、受診者は過去最大の 1413人に上り、同日中に集計できた969人のうち9割近い853人に水俣病特有の手足のしびれなどの感覚障害が確認されています。

(2012年6月24日の集団検診)



このように、今、救済特措法にもとづく申請が増え続けているのは、救済すべき潜在被害者がまだまだたくさんいることを示しています。これは、救済が必要な潜在被害者が多くいるのに、政府が不知火海沿岸や阿賀野川流域の住民健康調査など、被害の全容解明のための実態調査を実施してこなかった責任なのです。

また、7月1日、新潟水俣病阿賀野患者会(300人)は新潟市北区で総会を開き、7月末の締め切りを撤回するよう求める特別決議を議決しました。

こんな状況で、細野環境相が7月末で申請を締め切るとしたのは時期尚早であり、今後新たに水俣病の被害者として名乗りを上げる予定の潜在患者の切り捨てになるとして、被害者団体の方々は申請期限の撤回を要求し、国会前で座り込みを始められたわけです。


 

そもそも、この特措法は、救済されるべき人々が「あたう限り」すべて救済されることを原則にしているのです。このままでは、「あたう限り」救済するどころか、時間さえあれば救済できる人々=潜在的被害者をあたう限り切り捨てることになります。

国は、法の趣旨に沿って広く被害者側に立って対応するべきです。申請期限と被害者確定期限を合理的な期間延期すればいいだけのことなのですから。

このような細野環境相の門切り型の締め切り設定にも表れている水俣病と原爆症に対する国の態度は非常に似通っています。また、原発担当相でもある細野環境相は原発被害に関しても必ず同じ態度で臨むでしょう。

これは、写真家ユージン・スミスさん(1978年死去)と共に 水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさんが「水俣と福島に共通する10の手口」で指摘しているのと全く同じ現象です。

■水俣と福島に共通する10の手口■

 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する

 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む

 3、被害者同士を対立させる

 4、データを取らない/証拠を残さない

 5、ひたすら時間稼ぎをする

 6、被害を過小評価するような調査をする

 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる

 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む

 9、海外に情報を発信しない

10、御用学者を呼び、国際会議を開く

厚労省の「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」が「制度は破綻しているという意見に留意」と中間報告

原爆症集団認定訴訟また被爆者勝訴 原発推進のため被曝の影響を矮小化する国の原爆症認定行政は許されない



国はどの場合でも、必ず原爆症認定制度などの認定制度を設けて、ほとんどの被害者を患者と認めず、切り捨て、救済予算の削減を図るのです。

放射線の晩発性後遺症=「原爆症」は被曝から何年、何十年後に出るかわかりません。

また、その病態は水俣病より多種多様です。

福島原発事故から1年 原爆症訴訟がまた勝訴! 裁判で確定した放射線に起因する全病名はこれだ

したがって、福島原発事故による放射能汚染・被曝との因果関係を市民側が立証せよというような認定制度になったら(原爆症認定制度がまさにそれですが)、その立証はほとんど不可能です。

今、熊本・鹿児島・新潟の水俣病被害者を、そして広島・長崎の被爆者の原爆症を広く救済することは、福島など東日本で暮らす子供たちが将来放射線被害を発症したときに手厚く救済することにつながるのです。

是非、私たち自身の問題ととらえて、水俣病被害者の方々の活動にご理解をお願いしたいと思います。

 

 

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水俣病患者団体が座り込み 救済策締め切り撤回求める

写真:議員会館の前で座り込みをする水俣病患者会の人たち=3日午後、東京・永田町、白井伸洋撮影拡大議員会館の前で座り込みをする水俣病患者会の人たち=3日午後、東京・永田町、白井伸洋撮影

 

 水俣病の症状がありながら国の基準では患者と認められない人の救済策の申請期限が7月末に迫る中、被害者団体が3日、国会周辺で申請期限の撤回を求めて座り込みを始めた。約70人が「申請を打ち切るな」「全ての被害者の救済を」と訴えた。月末まで断続的に座り込む予定。

 衆院第2議員会館前で座り込んだのは「水俣病不知火(しらぬい)患者会」(熊本県水俣市、約6千人)と「新潟水俣病阿賀野患者会」(新潟市、300人)のメンバーら。

 民間医師らが6月24日に熊本、鹿児島両県で実施した1400人規模の集団検診では、約9割の1216人に水俣病に特徴的な感覚障害が確認され、潜在被害が浮き彫りになった。

 不知火患者会の大石利生会長(72)は「まだ被害者がいる事実が示された。救済策を締め切っても被害者がいなくなるわけではない」と強調した。

 阿賀野患者会の山田サチ子副会長(76)も「差別や偏見、無理解を乗り越えて多くの被害者が申請しているが、様々な理由で8月以降も取り残される人が出るのは必至だ」と訴えた。

 

 

水俣病の補償と救済

(西日本新聞 2012年7月1日掲載)

 水俣病をめぐっては、公害健康被害補償法に基づき、患者と認められた人(認定患者)には原因企業チッソから慰謝料1600万~1800万円が支払われ る。認定基準は厳しく、患者と認められなかった多くの人が裁判などに訴えたため、国は1995年、約1万人に一時金260万円を支給する政治決着を図っ た。
 2004年の関西訴訟最高裁判決で、国の基準より幅広い症状が被害と認められたため、国は2度目の政治決着として09年、水俣病被害者救済法を成立させ、一時金210万円を支給する救済策を打ち出した。
 救済法はその財源をチッソに工面させるため同社の分社化も盛り込んだ。11年4月に事業子会社「JNC」が営業開始。チッソはJNC株式を100%保有し、配当金を当面の補償や借金返済に充てる。将来は株式売却、会社清算も視野に入れる。

「最終解決」課題置き去り 水俣病救済策 月末締め切り 申請者5万人超

 水俣病被害者救済法に基づく国の救済策が今月末に締め切られる。国の基準では「患者」と認められない人を「被害者」と位置付け、一時金210万円などを 支給する内容だ。熊本、鹿児島両県への申請者は5月末までで計5万4197人に上り、申請期限が発表された2月以降は毎月千人以上が新たに症状を訴えてい る。国は救済策で水俣病問題の「最終解決」を図るという。迫る期限を前に、その内容と問題点をまとめた。

 ●対象

 救済策は生まれ育った地域や生まれ年で救済対象を限っている。原則は、原因企業チッソがメチル水銀を含む排水をやめた1968年の12月末より前に、熊 本、鹿児島両県が定めた「対象地域」に1年以上住んだ人。69年11月末までに生まれた人も、母親の胎盤を通じて水銀の影響を受けた恐れがあるとして対象 に加えている。

 この地域外の人が申請しようとする場合、水俣湾の魚介類を多く食べたことを明らかにする資料を用意しなければならない。

 69年12月以降に生まれた人が申請する場合は、母親の毛髪やへその緒を提出するなどして、その水銀濃度からメチル水銀の影響を受けたことを証明する必要がある。

 ●ここが問題!=地域と年齢制限

 「対象地域」は、救済法に基づいて、これまで認定患者が多く確認された地域が指定されている。しかし患者認定制度はあくまで、被害を受けた人が認定を求 めて手を挙げなければならない「申請主義」。過去に認定患者が確認されていない地域で被害がなかった、とは言い切れない。

 地域外から申請する際に求められる魚を多く食べたことの証明資料としては、水俣湾や周辺海域で漁をしていた人なら当時の漁業許可証などが考えられるが、一般の人が半世紀も前の生活実態を裏付ける証拠を自力で用意するのは簡単ではない。

 出生年の区切りは「69年以降は水俣病発生レベルの水銀汚染は見られない」と判断した91年の中央公害対策審議会の答申が根拠。ただ、国は、人体に影響 を及ぼす海の汚染がいつまで続いていたのか、正式に調査をしていない。妊娠中の母親の毛髪を保存している家庭は現実には皆無に近いと考えられるが、こうし た資料がなければ申請段階ではねられてしまい、診断は受けられないことになる。

 ●症状

 申請した人は、県が指定する医療機関で10~15分程度の公的検診を受ける。結果を記した「検査所見書」で(1)手足の先ほどしびれる四肢末端優位の感覚障害(2)全身性の感覚障害-のいずれかが認められれば、一時金が支給される。

 判定は、県が決めた医師でつくる「判定検討会」が行う。民間医師の診断書(任意提出)も公的検診結果と合わせて考慮される。最終的には検討会の意見に基づき各県知事が支給を決める。

 ●ここが問題!=判定の検証なく

 判定には、民間医の診断書も考慮されるが、公的検診で一定の症状が認められることが絶対条件。対象者と認められなかった場合、家族に認定患者がいる場合 などに限り、1回だけ再検診を受けることができる。事実上、判定に間違いはない、という前提といえる。全申請者のうち何人が救済対象となったかは「医師の 診断に影響を与える」との理由で、現在まで公表されていない。判定が適切だったかどうか、外部からの検証は不可能だ。

 ●給付

 症状が認められると県知事が結論づければ(1)一時金210万円(2)医療費の自己負担分が無料になる水俣病被害者手帳(3)入院、通院をした際の療養 手当(月額1万2900~1万7700円)が支給される。一時金の対象から漏れた場合でも、しびれやふるえなど一定の症状が認められれば、被害者手帳のみ 交付される。

 2005年に始まった旧制度で、医療費が無料になる「新保健手帳」を受け取った人(熊本県2万2872人、鹿児島県5615人)は、内容が同じ被害者手 帳へ切り替えるか、一時金を申請するか、どちらかを選択している。全申請者5万4197人のうち、1万6795人がこの手帳の切り替え分だ。

 ●ここが問題!=紛争終結に重点

 救済策の申請に応じた人は、今後一切、患者認定を求めたり、裁判に訴えたりすることはできない。申請中の患者認定は取り下げることが条件で、10年5月 の申請受け付け開始時、両県で8042人いた認定申請者は、12年5月末には306人にまで減少している。「救済」策は、一時金と引き換えに国側と一切争 わないことを約束させる「紛争解決」策である-という本質がそこに表れている。

 ●意義

 救済策は、国の厳しい患者認定基準を満たさなくても、一時金や医療費を支給するのが趣旨で、高齢となり、一刻も早い救済を求めている被害者たちの声に応えたものだ。

 しかし、それはすべての被害者に対して向けられたものだろうか。

 被害者の中には、さまざまな事情で今は申請できない人がいるとみられているが、窓口が閉じられた後には、症状を訴えても、基準が厳しい患者認定を申請するか裁判以外に道はない。

 胎児・小児期にメチル水銀の影響を受けたと訴える「水俣病被害者互助会」の未認定患者9人は救済策に応じず、熊本地裁で国などを相手取った損害賠償訴訟を続けている。それとは別に、国の患者認定基準の是非を問う二つの訴訟も最高裁の判断を待つ状態だ。

 国は7月末を申請期限とした理由について、救済法が「3年以内をめど」に対象者を確定すると明記しているからと説明する。しかし、救済法は一般的な特別措置法とは異なり、法律の効力を期間限定とする「時限立法ではない」(環境省特殊疾病対策室)。

 ●ここが問題!=「あたう限り」か

 救済法は第4条で「あたう限りすべて」の被害者救済を国側に義務付けている。新たな申請が毎月千人を超える現状で「幕引き」を急ぐことが、あたう限り-可能な限りすべての被害者を救うという法の趣旨にかなう「最終解決」と言えるだろうか。

    ×      ×

 ●真の政治決着に遠く 熊本学園大教授(環境社会論) 丸山 定巳氏

 あらためて見直しても救済策には欠点が目立つ。根拠となる水俣病被害者救済法は議員立法で成立した。だが、法律は大枠を決めるにとどまり、救済の対象や 申請の仕組みは官僚が主導した内容を閣議決定したにすぎない。その間、果たしてどれほどの政治家が関心を持ってチェックしていたのか疑問がある。

 加えて申請期限を7月末と定める際、細野豪志環境相は「法律の規定を守る」と繰り返した。真の政治決着であれば、いまだ多くの被害者がいる現実に即して 規定を改めるよう働き掛けるべきであろう。大臣の決定は既存のルールに縛られた官僚の発想に基づくもので、水俣病の「幕引き」を図ろうとする国の姿勢を見 事に表している。 (談)  

 

 

毎日新聞 2012年02月27日 東京夕刊

「『10の手口』は経産省前のテントの中で考えたものです」と語るアイリーン・美緒子・スミスさん=小国綾子撮影
「『10の手口』は経産省前のテントの中で考えたものです」と語るアイリーン・美緒子・スミスさん=小国綾子撮影

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◇共通する「責任逃れ」「曖昧な情報流し」 繰り返してほしくない「被害者の対立」

 「福島第1原発事故は水俣病と似ている」と語るのは、写真家ユージン・スミスさん(78年死去)と共に 水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさん(61)だ。今回の原発事故と「日本の公害の原点」との共通点とは何なのか。京都を拠点に約30 年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。【小国綾子】

 「不公平だと思うんです」。原発事故と水俣病との共通点について、アイリーンさんが最初に口にしたのは、国の無策ではなく「不公平」の3文字だった。

 「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにするこ とで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電 力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです」

 都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。

 「『被害×人口』で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは過疎地域かもしれない。でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。個人にとっては、被害を受けた事実だけで100%なのに……」

   ■

アイリーンさんの原体験は「外車の中から見た光景」。日本で貿易の仕事をしていた米国人の父と日本人の母との間に育ち、60年安保反対のデモを見た のも、香港やベトナムの街で貧しい子どもたちが食べ物を求めて車の上に飛び乗ってくるのを見たのも、父親の外車の中からだった。こみ上げる罪悪感。「車の 外に出たい」と強く感じた。

 両親の離婚後、11歳で祖父母のいる米国へ。日本では「あいのこ」と後ろ指をさされたのに、セントルイスの田舎では「日本人」と見下された。「日本を、アジアを見下す相手は私が許さない」。日本への思慕が募った。満月を見上げ「荒城の月」を口ずさんだ。

 アイリーンさんの「不公平」を嫌う根っこは、加害者と被害者、虐げる者と虐げられる者の両方の立場に揺れた、そんな子ども時代にあった。

 20歳の時、世界的に有名だった写真家ユージン・スミスさん(当時52歳)と出会う。結婚後2人で水俣 に移住し、写真を撮った。日本語のできない夫の通訳役でもあった。患者と裁判に出かけ、一緒に寝泊まりもした。ユージンさんの死後は米スリーマイル島原発 事故(79年)の現地取材をきっかけに、一貫して脱原発を訴えてきた。

   ■

大震災後、環境市民団体代表として何度も福島を訪れ、経済産業省前で脱原発を訴えるテント村にも泊まり込んだ。テーブルにA4サイズの紙2枚を並 べ、アイリーンさんは切り出した。「水俣病と今回の福島の原発事故の共通点を書いてみました」。題名に<国・県・御用学者・企業の10の手口>=別表=と ある。

 「原発事故が誰の責任だったのかも明確にしない。避難指示の基準とする『年間20ミリシーベルト』だっ て誰が決めたかすらはっきりさせない。『それは文部科学省』『いや、原子力安全委だ』と縦割り行政の仕組みを利用し、責任逃れを繰り返す。被ばく量には 『しきい値(安全値)』がないとされているのに『年間100ミリシーベルトでも大丈夫』などと曖昧な情報を意図的に流し、被害者を混乱させる。どれも水俣 病で嫌というほど見てきた、国や御用学者らのやり口です」

 福島県が行っている県民健康管理調査についても、「被ばく線量は大したことないという結論先にありきで、被害者に対する補償をできるだけ絞り込むための布石としか思えません」と批判する。

アイリーンさんが最も胸を痛めているのは、被害者の間に亀裂が広がりつつあることだ。「事故直後、家族を避難させるため、一時的に職場を休んだ福島 県の学校の先生は、同僚から『ひきょう者』『逃げるのか』と非難され、机を蹴られたそうです。みんな不安なんです。だから『一緒に頑張ろう』と思うあま り、福島を離れる相手が許せなくなる」

 福島の人々の姿に、水俣で見た光景が重なる。和解か裁判闘争か。「水俣の被害者もいくつもに分断され、傷つけ合わざるをえない状況に追い込まれました。傷は50年たった今も癒えていません」

 だから福島の人たちに伝えたい。「逃げるのか逃げないのか。逃げられるのか逃げられないのか。街に、職場に、家族の中にすら、対立が生まれています。でも、考えて。そもそも被害者を分断したのは国と東電なのです。被害者の対立で得をするのは誰?」

 昨年3月11日、アイリーンさんは娘と2人、久しぶりの休養のため、アメリカにいた。福島の原発事故の映像をテレビで見た瞬間、胸に去来したのはこんな思いだ。「今からまた、何十年もの苦しみが始まる……」。水俣病がそうだったように。

水俣病の公式確認は1956年。77年の患者認定基準を、最高裁は2004年、「狭すぎる」と事実上否定した。09年成立の水俣病特措法に基づく救 済措置申請を7月末で締め切ることに対し、患者団体は今も「被害者切り捨てだ」と批判している。半世紀たってもなお、水俣病は終わっていない。

 「今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。まだ幼い頃に水銀に汚染された魚を食べた世代です。だから、福島に行くたびに思う。小さな子どもたちに将来、『あなたたち大人は何をしていたの?』と問われた時、謝ることしかできない現実を招きたくないんです」

   ■

 3時間にわたるインタビューの最後、腰を上げかけた記者を押しとどめ、アイリーンさんは「これだけは分かってほしい」と言葉を継いだ。

 「水俣と福島にかかわっていて私自身、被害者と同じ世界にいると錯覚しそうになるけれど、でも違う。被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです」

 しばらく黙考した後、「それでも声を上げようと思います。福島に暮らす人、福島から逃げた人の両方が、 水俣病との共通点を知り、互いに対立させられてしまった構図をあらためて見つめることで、少しでも癒やされたり救われたりしてほしいから」。かつて水俣 を、今は福島も見つめる両目が強い光を放っていた。

===

 ■水俣と福島に共通する10の手口■

 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する

 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む

 3、被害者同士を対立させる

 4、データを取らない/証拠を残さない

 5、ひたすら時間稼ぎをする

 6、被害を過小評価するような調査をする

 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる

 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む

 9、海外に情報を発信しない

10、御用学者を呼び、国際会議を開く


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4 コメント

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本質から外れるかも知れませんが (こうじ)
2012-07-03 21:06:25
あえて反論したいと思います。

記事中では、福島と水俣の共通点を挙げられていますが、異なる点も挙げなければ不公平ではないでしょうか。

例えば、水俣湾のフェンスが撤去され細々ながら漁が再開されていること、チッソは事実上の倒産に追い込まれ、再出発した新生チッソも賠償のため上場すら果たせないほど社会的制裁を受けていることなどです。

ここからは感情入りますが、私の親戚縁者の多くが水俣、芦北に住んでいます。
近年、法事がらみでちょくちょく水俣に行っていますが、寂れっぷりが半端じゃないです。
親戚やご近所等、地元の人からしたら、患者団体が騒ぎ続けるから、いつまでたっても水俣のイメージが悪いままだと言います。
(これこそ分断なのかも知れませんけど)

実は、水俣には温泉もあり、甘みがあって生でも食べられるサラダ玉ねぎという特産物もあるのですが、風評被害のせいで水俣ブランドで売り出せないという状態で、自助努力も功を奏さないありさまです。

今回の申請については、地元新聞でも早い段階から呼びかけていたのに、今頃になって座り込みというのは、地元の嘆きを聞いてしまった身としては首肯しかねます。

ちょっと患者(?)の言い分ばかりの一方的な記事に見えたので、反論してみたくなりました。
上記にも書きましたが、水俣には温泉もありますし、チッソ跡地にたてられたエコパークもあります。市街地の寂れっぷりとあわせ、鹿児島・熊本観光のついでにいかがでしょうか。
返信する
反論に反論 (A)
2012-07-04 00:54:02
Wikipediaのコピペですが。

チッソがあなたの言う「事実上の倒産」に追い込まれたのは「水俣病の賠償のせい」では無く、経営判断の誤りが原因のようですが。
チッソの受けた「社会的制裁」より被害を受けているのは、何ら落ち度なく根拠のない差別や偏見を受け、苦しめられ続けているのは患者さんたちです。健診を受けたくても未だに続く偏見や差別のために、名乗り出ることができないといった実情を理解していますか。


チッソ株式会社 (CHISSO CORPORATION) は、日本の化学工業の会社。

戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで知られる。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコーの母体会社でもある。

液晶事業において、ドイツのメルク社と並び世界のトップシェアを誇り事業の柱としている。 バイオテクノロジー・電子部品部門も展開する一方、旧来からの肥料事業・農事産業部門も継続する。 石油化学部門では、三菱化学の石化セグメント子会社、日本ポリケムとのポリプロ事業統合などで、事業のさらなる展開を図っている。

主な子会社・関連会社として、JNC(同社の事業部門を継承した中核子会社)、JNC石油化学(旧・チッソ石油化学)(事業所:千葉県市原市)、九州化学工業(工場:福岡県北九州市)、チッソポリプロ繊維(事業所:滋賀県守山市)や、ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。また、国内の合弁相手に吉野石膏や同社とは同根である旭化成がある。

同社の水俣工場が触媒として使用した無機水銀の副生成物であるメチル水銀を含んだ廃液を海に無処理でたれ流したため、水俣病を引き起こした。1960年代に電気化学から石油化学への転換が遅れたことに加え、1962年7月から翌1963年1月まで続いた労働争議の影響で製品の販路を失うなど経営状態が悪化し、1965年には無配になった。水俣病裁判での敗訴後は被害者への賠償金支払い、第一次オイルショックなどにより経営がさらに悪化。債務超過・無配継続により1978年に上場を廃止した。その後株式は店頭管理銘柄(現在はグリーンシートオーディナリー区分に編入)となり、制約つきで流通している(株式の取り扱いはみずほ証券のみが認められている)。同社は現在では実質上、国の管理下にある。水俣病問題は発生から数十年経過した現在でも未だに解決を見ていない。なお、水俣工場は現在も操業を継続している。

日本興業銀行から転じた江頭豊が1964年から1971年にチッソ社長、1971年以後は同会長、同相談役を務めた。社長時代には一旦謝罪したが、その後被害者と対峙するようになり、水俣病被害者との話し合いは進まなかった。この時期のチッソの対応が、水俣病問題の解決を遅らせたとする声も多い。[要出典]現在でも鹿児島県と熊本県には6000人以上の水俣病認定申請者がいる。

水俣病関連
少なくとも1953年頃より、水俣湾周辺の漁村地区などで猫などの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった。
1956年5月1日、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、新奇な疾患が多発していることに気付き、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。
1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表
1970年11月28日、株主総会を大阪厚生年金会館で開催。会場正面入口近くに配置された特別防衛保障の警備員により、株式を取得して総会に出席しようとする水俣病患者・家族・支援者(1株株主)の入場が妨害された。会場に入場出来た1株株主の発言も総会屋の野次によって妨害された。総会は5分で閉会した。総会前の11月13日、「一株運動」について、当時のチッソ専務は、「株主総会に出席する趣旨が反体制運動とか政治的なことだったら違った方法をとらざるを得ない」「一株運動を封じるために総会屋を雇うようなことはしない」と発言していた。
1976年に熊本地方検察庁が、吉岡喜一元社長と西田栄一元工場長を業務上過失致死傷害罪で熊本地方裁判所に起訴した。1988年3月に最高裁で有罪が確定した。


返信する
意外 (こうじ)
2012-07-07 00:17:27
もっと、袋だたきに遭うかなと思ってたのですが、Aさんだけですね。
ブログ主様がシャットアウトされたのか、単にスルーされただけなのか・・・・。

そういう意味ではAさんに感謝すべきかもしれませんが、これだけは。

私の当地の親類縁者に、水俣病患者はおりませんので、Aさんがよくご存じの実情は存じ上げません。
ただ、もういい加減騒ぎ立てられてうんざりしている地元の実情は存じ上げています。

これ以上の表現は、あくまでray様のブログであるということを考え、差し控えたいと存じます。
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シャットアウトしてないんですよ (ray)
2012-07-07 00:47:12
1 こうじさんの書き込みが真摯なものであると誰にも分かった
2 コメンテーターに節度がある
ことに加えて、残念ながら
3 原発ほど水俣病のことをだれも考えていない
ということがあるのかもしれません。。。。

患者さんが騒ぎ立てるから水俣のイメージが悪いのでしょうか。

それは、放射線のことをいつまでも騒ぎ立てる人がいるから福島のイメージが悪くなる、と今福島で放射能のことを問題にする人たちが圧迫を受けているのと同じ問題なりませんか。

水俣のことはチッソと政治が悪く、福島のことは東電と原子力ムラが悪いということは押さえておくべきだと思います。

加害者は加害者、被害者は被害者ですから。
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