“闘う”事はもうやめた。
“悪意や敵意”に曝されると心が痛む。
全ての事象、上手くいかないアレやコレは多分、誰も悪くないし誰のせいでもないんだ。
それぞれがそれぞれの主観や人生観で生きてるだけで、諸々の問題は自分と違うだけのこと。
その沢山の自分と違う人々がいるから自分を知ることが出来る。
長い長い時を、いろいろな人や事象や自分の不甲斐なさと闘ってきた。
得たモノは何だろう?
一体何の為に闘ってきたんかな?
よくわからないから、いいや。
鬱は共存出来た。
今度は癌と共存だ。
罹患してしまったものは仕方ないし完治も無いなら共存するしかない。
いつか抗がん剤が効かなくなって肺炎とか臓器機能不全とかで逝くまで、妬み嫉み恨みを抱かず悪意も敵意も持たないように生きたい。
ネガテイブな感情を人に向けると、その数倍自分の心が傷む。
ネガテイブな諸々の波長は粗く暗くて重い地縛霊とか餓鬼と呼ばれる魂はその想いゆえ重く地べたから上にいけないと言う。
生きてる人間も同じだと思う。
似た波長の人が引き寄せられる。
もう闘うことは必要じゃなくなったんだと思う。
武装も重くなってしまったから捨てた。
身体が傷み続けてるのに心まで傷めてしまったらロクなことない。
どんな縁も本当に縁があって想いがあるなら続いてくだろう。
だって意味があって出逢ったんだもの。
友情であれ愛情であれ、その存在が心から離れないのは自分にとって必要で何らかの意味があるんだと思う。
出逢った意味が、その時はわからなくても離れてゆく縁なら自然に離れてく。
私の場合はそうだった。
難しいのは友情にしろ愛情にしろ“執着”と、間違えてしまうこと。
今の私に出来ることは自分の出来ることを精一杯積み重ねてくだけだ。
それが未来になるから。
縁が巡り巡って、最初から改めて始められるとか、新たに縁が繋がるとか私が変われれば残り少ない人生でも変えられるかもしれない。
未来は、まだ白紙なんだから。
コレは闘いじゃなくて生きるってことだ。
風が吹いてる中を歩くのが好き。
心は軽い方が良いよ。
“悪意や敵意”に曝されると心が痛む。
全ての事象、上手くいかないアレやコレは多分、誰も悪くないし誰のせいでもないんだ。
それぞれがそれぞれの主観や人生観で生きてるだけで、諸々の問題は自分と違うだけのこと。
その沢山の自分と違う人々がいるから自分を知ることが出来る。
長い長い時を、いろいろな人や事象や自分の不甲斐なさと闘ってきた。
得たモノは何だろう?
一体何の為に闘ってきたんかな?
よくわからないから、いいや。
鬱は共存出来た。
今度は癌と共存だ。
罹患してしまったものは仕方ないし完治も無いなら共存するしかない。
いつか抗がん剤が効かなくなって肺炎とか臓器機能不全とかで逝くまで、妬み嫉み恨みを抱かず悪意も敵意も持たないように生きたい。
ネガテイブな感情を人に向けると、その数倍自分の心が傷む。
ネガテイブな諸々の波長は粗く暗くて重い地縛霊とか餓鬼と呼ばれる魂はその想いゆえ重く地べたから上にいけないと言う。
生きてる人間も同じだと思う。
似た波長の人が引き寄せられる。
もう闘うことは必要じゃなくなったんだと思う。
武装も重くなってしまったから捨てた。
身体が傷み続けてるのに心まで傷めてしまったらロクなことない。
どんな縁も本当に縁があって想いがあるなら続いてくだろう。
だって意味があって出逢ったんだもの。
友情であれ愛情であれ、その存在が心から離れないのは自分にとって必要で何らかの意味があるんだと思う。
出逢った意味が、その時はわからなくても離れてゆく縁なら自然に離れてく。
私の場合はそうだった。
難しいのは友情にしろ愛情にしろ“執着”と、間違えてしまうこと。
今の私に出来ることは自分の出来ることを精一杯積み重ねてくだけだ。
それが未来になるから。
縁が巡り巡って、最初から改めて始められるとか、新たに縁が繋がるとか私が変われれば残り少ない人生でも変えられるかもしれない。
未来は、まだ白紙なんだから。
コレは闘いじゃなくて生きるってことだ。
風が吹いてる中を歩くのが好き。
心は軽い方が良いよ。