春謳歌

曉仁の、勸善懲惡に依る、畫龍點睛の爲の、記録詩日記。(=^-^=)

『曙光』感想

2011年11月19日 01時04分53秒 | エッセイ・随筆

これが日本男児の正しき姿である。



このアルバムの約1時間の中、

ときに肩を聳やかして虚無笑い、ときに絶望号泣し、そしてまた憤激し、とあらゆる感情を叫び散らしてきた男が、最後にみせる、悲壮な決意。(「今日も高き太陽が我等を照らす~熱き血潮燃えていた」「見ろよ暮らす世世の姿 思え曙光の時を!!」)







私は、この決意表明の後の、まさに<断末魔の叫び>と称して憚らない、「凄絶なる絶叫」。

この、哀しみなのか、怒りなのか、はたまた「俺たちの明日=がんばろうぜ」のような励ましなのか、判然としない、

ある種、繊細さを孕んだ狂気の咆哮に、



かつての三島由紀夫の割腹自決を想いだし、涙を流していた。



この感動は、この「暗黒期」のエレカシでしか味わえない。長年のファンにのみ許された境地である。

エレカシの暗黒期。2枚のアルバム『エレファントカシマシ5』『扉』レビュー。

2011年11月19日 00時06分58秒 | ディスクレビュー

1991 彼女に「図書カード」を送ってフラレた(かのじょ曰く「なんか親戚の叔父さんみたい」)、ショックでバンド活動一時休止。



1992 1年経っても失恋の悲しみは抜けず、「過ぎゆく(引き篭もりの)日々」をおくっていたが、契約の為無理やりアルバムをつくるも、



「ふられた男」に代表される絶望や「何も無き一夜」のような虚無的な曲しかできず、



それでも最後に頑張ってシングル用の曲をつくるも、曲のテーマ自体は非常に明快でいまにも通じる叱咤激励ソング(「今日も高き太陽が我等を照らす~熱き血潮燃えていた」「見ろよ暮らす世世の姿 思え曙光の時を!!」)なのだが、7分弱もある曲の半分近くをこの時点の宮本の精神状態がモロにでてしまっているまさに「喉から血が出るほどの絶叫」が占めており、却ってこの後の「奴隷天国」のような過激な曲よりも、よっぽど聴き辛いものになってしまった。ただ歌詞やメロディーに関しては、この時期の宮本がせいいっぱい万人受けを想定してつくったのだろうと思われるほど、意外とポップである。それをすべて叫びでかき消してしまったが。ファンとしては、現在の体制でのライヴヴァージョンを見てほしい。このオリジナルとはまたちがった、まったくちがった輝きをみせた。蓋し、名曲である。



そして、タイトルはやけくその「エレカシ5」という、まさに人生どん底期の宮本がいかに大スランプに嵌ってしまってたかを表している10曲である。





そして、時は流れ。



2003年である。



この歳、宮本は「人生史上、もっとも悲惨な出来事」がおきる。



それは、「同棲生活をして、宮本の家計をすべて管理していた女に、貯金を全額、持ち逃げされる。残った金はわずか、¥3000。」



落ち込んで、1週間自宅で仙人状態になる(要は引き篭もって、無飲無食の生活)。



しかし、宮本は苦境のなか立ち直り、泣く泣く愛車であるポルシェや、家宝同然の古地図や古書を売り払い、なんとか生活費を貯め、バンド活動再開。



2004 ただ、その影響で、アルバムの曲作りは滞り、年明けにもシングル候補もきまらず、1曲目の歌詞もできていないという体たらくで、発売延期。



しかし。やっと仕上がったアルバムは、やはりその頃の宮本の陰鬱な精神状態を反映して、最後の曲こそ、ポジティブで勢いのある痛快ロックンロールなものの、その他の10曲は、やはり



くよくよして煮え切らない歌詞やサウンド、これはファン以外の人が聴いたら、判り辛いだろう、まあ良く云えば”劇渋ソング”が満載である。まあただファンの贔屓目でみても、あきらかに



「ディンドン」は捨て曲である・・・・・・。(これだけは、いつも飛ばして聴いてしまう・・・・・笑)「イージー」はいい曲だと思うが、地味すぎる。(盛り上がりまでが長い。)





この語、宮本は、失った財産を取り戻すために、まるで若手バンドのようなハイペース(半年)で、もう1枚アルバムを発表し、それも、流石に煮詰めが甘すぎたため、



歌詞が難解なものになってしまっていて、当時はあまり評判がよくなかった。当然、売り上げも前作よりも落ちてしまい、ライブの動員数も激減。これ以降、ニューアルバム発売までに1年半かかり、



それは久しぶりの佐久間正英プロデュースで、起死回生を賭けたが、結局、殆ど売れず、レコード会社(東芝EMI)にまたしても契約を切られる。この後およそ2年後にユニヴァにうつり、際ブレイクするまで、



宮本はフーテンの寅(無職)のような見た目(ロン毛)という状態がずっとつづくことになる。

題『頴娃系微意』

2011年11月13日 02時39分51秒 | エッセイ・随筆
あんな顔のパーツが全部中心に寄ってる顔面病気のひとが国民的アイドルのトップである。
時代も変わった。昔はあんな顔ではB級アイドルにすらなれなかっただろう。
更にこいつ以前ファッション雑誌の表紙にでてたが、

勘違いもはなはだしい。
己の顔を鏡でよく見たらいい。
正視に堪えられない顔である。こんなのが書店にずらっと並んでいた。
吐き気がし、直ぐに店を出た。
おかげで私は書店に行かなくなり、欲しい本はすべてネットで注文するようになった。

あの顔は本当に可愛くない。
ただ、まあ2番目の子は、多少は可愛げがあると思うが。
それでもまあ、やはり不細工である、。
3番目の子は、たしかに美人ではあるが、可愛くはない。
鹿もよく見たら、そんなに美人でもない。

歌も下手。という以前に、歌唱力が欠片もない。
ヴォイトレを疎かにしているのだろう。
まるでやる気が感じられないのう。

こんなレベルの低いアイドルを応援してる暇があったら、黛ジュンちゃんを応援したほうが幾分マシである。
じゃろ?(69歳のジジイより)