2012年6月10日の日経 2

(前のエントリーから続きます)

 樺山紘一先生に異言を唱えるのは心苦しいのですが、画家高橋由一が「三偉人」としているリンカーン、ビスマルク、ガリヴァルディのうち、ガリヴァルディはほかの二人より見劣りしないかという「欧人異聞」でのお考えには、いまひとつ賛同できません。高橋由一のような明治人にとってこの三人はすべて「アンチ」の大物であり、また日本そのものがまったく当然のように世界秩序のなかで「アンチ」だという認識があったと思うからです。
 「アンチ」って、世界秩序のメインの流れに対して、ということです。

 東海散士――この人は会津という明治日本のアンチの出身――の『佳人之奇遇』などという当時の人気小説が世界のアンチを集結させていたのが実に示唆的です――この作品にはたしかトゥーサン・ルーヴェルチュールもしっかり出てきていたはず。

 まあアンチといっても、21世紀の今となっては何段階かのアンチのあり方があるわけですが。

 最初のアンチは、だれあろうフランスです。ただこの国はアメリカと特別な関係を結んでメインの流れに基本的に追随しながら、「革命」や合理思想で西洋のメイン潮流そのものを自分の方に引き寄せたりとか、フランス語の存在感を守ったりとか、オリンピックやワールドカップみたいな形で世界のほかの国々を糾合してあんまりトップに勝手をやらせない体制づくりにやっきになったりとか、文化の面では世界のパトロン然とした顔をしたりとかという複雑な両面作戦をやり続けてます。
 
 その次がドイツ。ビスマルクというのは英仏で世界を仕切ろうという秩序に異議を唱えた、きわめて有能なアンチの人だったはず。「鉄血宰相」っていう枕詞がイメージを固定してますが、たとえば国家による年金制度なんてもの考えたのも彼ですからね・・・  また「世界文学」なんてことを言い出したのはゲーテでしたしね。そのドイツも現在ではご存じのとおり、少なくとも経済的には西欧の中核そのものとして君臨しているわけです。

 その次がハイチなんですが、彼らは全西洋の呪詛を受けてしまった・・・

 その次がロシアくらいですかね。

 日本と中国と、どちらがより「アンチ」かというのは、ちょっとわたしはまだ考えがまとまりません。

 あとアラブとか、南米とか、アフリカとか・・・

 最終的に、人間がどこのなに民族に生まれても平等にリスペクトされるようになるのは、いつの日のことか。
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