フランスは手ごわい


 マンガ・シリーズ、ひとまずくぎりということで最後にパリのBD専門店で見つけたこれを。アングレームのマンガ・センターが出している学術的雑誌 9e Art 『第9芸術』の一冊です。つまりマンガが第9番目の芸術だってことなんですが、あとの8つはなんだろう? f(?_?;)

 この表紙見てわたしはニンマリしました。 (^_^) つげ義春の名作『ねじ式』にフランス人が目をつけないわけがなかったな、と思ったので。 (^_^)v

 この雑誌の中には他に、作家のRaymond Queneauが始めたOulipo「実験文学工房」のマンガ版Oubapo「実験漫画工房」についての紹介もあります。名前だけじゃなくて、ちゃんと活動してるんだ。

 フランスでは世界のマンガ辞典というのもすでに何種かでてます。
 また初版は1989年とかなり古いですが Histoire mondiale de la Bande Dessinee 『世界漫画史』というばかでかい本もあります。当然のようにJack Langが序文を寄せてます。ラングは例によって、世界を視野に入れてマンガをフランスの文化政策のタマとして使う方策をあれこれ考えて実行に移したはずです。

 フランス人はこうやって着々と世界のマンガをチェックして秀作を分析、自分たちの理解の中に取り込んで行って、こんどはそれをフランス語で世界にアウトプットしているわけです。そういう活動は、たぶん市場ではお金にならないでしょうけど、政府からお金が出るんです。

 だから日本がマンガで世界のリーダー格になろうと思っても、フランスに勝つのはなかなか難しいだろうな、と思っちゃいます。だって世界の漫画家は、自分たちを知っていてくれて、評価してくれて、場合によってはいろんな便宜を図ってくれる国を支持するだろうから。
 そしてこういう有効な文化政策を遂行するのは、国の富の大きな部分が国庫を通過するフランスのような国でないと難しいだろうと思います。

[追記] マンガが第九芸術なら、あとの八つはなにか、という話はどこかでした覚えがあったな、と思いだしました。探したら去年の2月のこのエントリーにありました。そろそろ記憶力があやしい・・・ (^_^;)

 
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
第二芸術論、ではなくて、 (trotteur)
2007-08-05 23:21:36
私は基本的にはマンガというものはアウトサイダーなものだと思うので、国家の積極的な庇護のもとで作られたマンガというものにはうんざりするんですけどね。国家が支援して作られたロックを聴くようなものです(笑)。

そんなわけで、私にとって、マンガが9e Artにされてしまうのはあまり好ましくないのですが、8番目までは以下の通りです。

1er art : Architecture
2e art : Sculpture
3e art : Peinture
4e art : Danse
5e art : Musique
6e art : Poésie
7e art : Cinéma
8e art : Télévision

一応、下のサイトを見ると23e artまで決められていますが、10e art以降は市民権を得ているとは言えず、9e Artも雑誌がなかったらあやしいです。8e artまでは正当だと思います。
http://www.wuacademia.org/francais-homepage.html
 
 
 
そうそう。 (midi)
2007-08-06 10:13:48
>国家が支援して作られた○○
って胡散臭いですよ……負け惜しみにしかとられないかな? 日本人がいうと。

わたしは文学や演劇が5番目、6番目だと認識してましたが違ったんですね。
 
 
 
やっぱり歴史の違いかしら? (raidaisuki)
2007-08-06 19:38:19
trotteurさま、midiさま
ありがとうございます。

しかしずいぶん先まで決めてあるものですね。
ずいぶん首を傾げるところもありますが・・・

ところでたしかに国家の支援するゲージュツなんて日本じゃだめかなと思います。この件に関してはこんな風に思います:

この国は、天皇家は「真面目」であるように強いプレッシャーがかかっているし、首相以下独裁権をふるえる人は誰もいないから、ゲージュツの国家支援といっても「合議の結果の」国家支援になってしまう。
しかし複数の人の趣味を折り合わせたもの、というのはゲージュツ的にはひどく質が落ちるものです。10人が10人「まあ、悪くはないでしょう」という作品は、結局あってもなくても変わりがない平凡な作品です。
それに対して10人中9人までが「うわーやめてくれ!」と拒否反応を示しても、あとの1人が「素晴らしい・・・」と生涯の糧にするような作品なら、そういうのが存在価値あるものだと思います。
 日本も後白河法皇とか足利幕府のころなんかはそうでもなかったと思うんですが、江戸時代になってしまうと権力と芸術的趣味がずいぶん乖離したように思えます。なぜですかね?

 そのへん、フランスはなんか趣味にかんして一定の権力をもっている人が勝手にやれるシステムがあるみたいに思います。ゲージュツに関してはそれでないとうまくいかない、とみんな分かっているということかしら?
 
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