EU講演会


 園山先生の「EUの教育政策と言語政策」講演会も、無事終了してます(7月9日)。
 授業時間にも関わらず、かなりの学生が来てくれましてほっとしました。

 園山先生は長くフランスで生活された方で、現在の欧州、ともすればインテリが語るといいことづくめのように聞こえてしまう欧州統合(もっとも例のギリシャ問題からこっちずいぶんユーロ・ぺシミスムも力を得たと思いますが)について、具体的イメージを持ってお話ししてくださいました。
 
 学生さんたちにとっては非常に分かりやすく有益なお話だったようで、みんな非常に満足していました。

 この機会にわたしは、また少し「言語のための欧州共通参照枠」CEFRのことを考えていました。

 外国語の教育というものの捉え方がこのCEFRとともに、たぶん今欧州のみならず世界的に大きく変わって行くところなのです。

CEFRの一番下のA1レベルの尺度のひとつはこうなってます:

「もし、相手がゆっくり、はっきりと話して、助け船を出してくれるなら簡単なやり取りをすることができる」

 話し手一人の中で完結した完璧な言語能力を想定、志向するのでなく、とにかくコミュニケーションを成り立たせるのだ、という強固な意志を話し手とその対話相手が共有することから全てが始まるというこの思想、ネイティブと同じように話すというのが目的とされない言語教育思想・・・

 この思想というのは、一見するよりはるかに遠い射程を持っているように、わたしには思えます。
 そしてこの思想は、なんらかの「偉大な思想家」(「マルクス」だとか「フロイト」だとか「ハイデガー」だとか「サルトル」だとか・・・)の個人名と不可分に結びついているということがない思想です。
 おそらくそういうことを意識的に避けて作られているのでしょう。
 そこがまた思想の新時代の到来を予感させます。



 
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