想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

つづき、雪は消え春の陽

2010-03-19 18:00:00 | Weblog
午前5時半撮影。朝陽で雪が融けだす前に急いで撮った。
親分は用足し散歩くらいに思って外へ出たのに、おっかあが
歩き回るからはしゃいでいた。起きぬけから元気じゃのう。
もちろんわたしは撮り終えてすぐにふとんの中へ直行した。
サブイサブイ、春だけどまだまだ。



時は流れ、思いも流れ、何一つ残るものはない。物だけがそこにあって
人を縛っている。そして肉体も物もいつか朽ち果てるのである。
撮られた記憶を時々開けてみれば、無常の中に真実が見えたりする。
写真は流れる時のなかに住んでいる過去未来永劫に変わらぬものを
捉えているかもしれない。
写されているのは形という輪郭だけではないように思う。

うさこは撮られるのが嫌いである。
おのずとここにあるものは油断したときのものでアホ全開である。
たまに登場する犬連れの女の写真がうさことは限らない。
確実にアホの気配があれば、それがわたしであるが。

文章でもアホっぷりが露見せぬように心がけている。しかしそれさえ
難儀である。そこへ顔まで出しては水の泡、もともこもない。
そんなことをしては他人に自信を与え勇気づけることになり、他人を
利しおのが墓穴を掘るだけである。
よってそういう意味のないことは極力しないよう控えているのであって、
これから先、犬連れの女が出てきてもそれはわたしではないと思って
ほしい。
ではなぜたまにでもそんなお眼汚しが出てくるかといえば、長文を読んで
いただくのは申し訳ない、なので挿絵代わりなのである。
周囲の森や空、水など自然を写したものにはもちろん意味がある。
本日のように、うつろう時間を撮ったりしたものはわたしの人格とは
まったく関係ないのでみていただければうれしい限りである。


午前11時頃撮影。
樹上の雪はすっかり消えゆうべの景色はあとかたもなし。
ゆうべの景色は夢のよう、だったなあ。


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早春3 雪みちと写真

2010-03-19 14:13:13 | Weblog
東京からの帰り道、天気予報がめずらしく当たった。
宝くじはとんと当たらない今日このごろ(昔も今もハズレなり)である。
こうぴったりと、「山沿いは雪になるでしょう」が当たると、
油断していただけにちょっとドキドキしたのであった。
もう今年の雪も終わりだ、終わりだと口々に言いながら、降っても粉雪
舞うくらいだ、と言い合っていたりするこの地元の人も驚いたかもしれん。
水っぽい雪でみぞれよりすこし固いので積もりそうであった。
気温は0度、少しずつ下がっていきそうで零下1度くらいにはなろうか。



車のエンジン凍結が気になるので夜更けに外へでてみた。
おおおっ、樹氷っぽくなって美しいではないか! と即カメラを取りに
戻った。今撮らないと朝になれば消えてしまうのであるからね。
見慣れていても撮りたいのである。
カメラ小僧ならぬカメラおばさん、うふふふふ。
どうしてかなあ、自分で見る、多少の周囲の人が見てくれる、保存して
後で懐かしむ、と撮る理由を並べるがどれも当てはまらない。

絵描きが書く、物書きが書く、見たものを描いたり書いたりと同じで
撮るというのも理由などない気がする人間の感性の延長にあるのでは
ないだろうか。
そこに便利なカメラやPCがあるのだから使ってしまうということだ。
わたしはケータイも画素数の高いカメラ付をこだわって選んだりしたが
ほとんど使っていない。
もっぱら持ち歩くのはデジタル一眼レフカメラかコンパクトカメラだ。

過去に撮ったものを眺めていると、記憶は蘇り物語もついでに立ち上がる。
写真は記憶の箱を開ける鍵のような、そんなものかもしれない。
撮っていなかったならば思い出すこともなく、今をすごすだけだろう。

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