午前5時半撮影。朝陽で雪が融けだす前に急いで撮った。
親分は用足し散歩くらいに思って外へ出たのに、おっかあが
歩き回るからはしゃいでいた。起きぬけから元気じゃのう。
もちろんわたしは撮り終えてすぐにふとんの中へ直行した。
サブイサブイ、春だけどまだまだ。
時は流れ、思いも流れ、何一つ残るものはない。物だけがそこにあって
人を縛っている。そして肉体も物もいつか朽ち果てるのである。
撮られた記憶を時々開けてみれば、無常の中に真実が見えたりする。
写真は流れる時のなかに住んでいる過去未来永劫に変わらぬものを
捉えているかもしれない。
写されているのは形という輪郭だけではないように思う。
うさこは撮られるのが嫌いである。
おのずとここにあるものは油断したときのものでアホ全開である。
たまに登場する犬連れの女の写真がうさことは限らない。
確実にアホの気配があれば、それがわたしであるが。
文章でもアホっぷりが露見せぬように心がけている。しかしそれさえ
難儀である。そこへ顔まで出しては水の泡、もともこもない。
そんなことをしては他人に自信を与え勇気づけることになり、他人を
利しおのが墓穴を掘るだけである。
よってそういう意味のないことは極力しないよう控えているのであって、
これから先、犬連れの女が出てきてもそれはわたしではないと思って
ほしい。
ではなぜたまにでもそんなお眼汚しが出てくるかといえば、長文を読んで
いただくのは申し訳ない、なので挿絵代わりなのである。
周囲の森や空、水など自然を写したものにはもちろん意味がある。
本日のように、うつろう時間を撮ったりしたものはわたしの人格とは
まったく関係ないのでみていただければうれしい限りである。
午前11時頃撮影。
樹上の雪はすっかり消えゆうべの景色はあとかたもなし。
ゆうべの景色は夢のよう、だったなあ。
親分は用足し散歩くらいに思って外へ出たのに、おっかあが
歩き回るからはしゃいでいた。起きぬけから元気じゃのう。
もちろんわたしは撮り終えてすぐにふとんの中へ直行した。
サブイサブイ、春だけどまだまだ。
時は流れ、思いも流れ、何一つ残るものはない。物だけがそこにあって
人を縛っている。そして肉体も物もいつか朽ち果てるのである。
撮られた記憶を時々開けてみれば、無常の中に真実が見えたりする。
写真は流れる時のなかに住んでいる過去未来永劫に変わらぬものを
捉えているかもしれない。
写されているのは形という輪郭だけではないように思う。
うさこは撮られるのが嫌いである。
おのずとここにあるものは油断したときのものでアホ全開である。
たまに登場する犬連れの女の写真がうさことは限らない。
確実にアホの気配があれば、それがわたしであるが。
文章でもアホっぷりが露見せぬように心がけている。しかしそれさえ
難儀である。そこへ顔まで出しては水の泡、もともこもない。
そんなことをしては他人に自信を与え勇気づけることになり、他人を
利しおのが墓穴を掘るだけである。
よってそういう意味のないことは極力しないよう控えているのであって、
これから先、犬連れの女が出てきてもそれはわたしではないと思って
ほしい。
ではなぜたまにでもそんなお眼汚しが出てくるかといえば、長文を読んで
いただくのは申し訳ない、なので挿絵代わりなのである。
周囲の森や空、水など自然を写したものにはもちろん意味がある。
本日のように、うつろう時間を撮ったりしたものはわたしの人格とは
まったく関係ないのでみていただければうれしい限りである。
午前11時頃撮影。
樹上の雪はすっかり消えゆうべの景色はあとかたもなし。
ゆうべの景色は夢のよう、だったなあ。