まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

沖島の石切場

2010-09-06 00:38:38 | 風景
観光施設が何もないどころか自販機すら1ヶ所(他にもある?)しかない沖島だが、
集落の中心部に「おきしま資料館」というのがある。着いてすぐ行ってみた時は閉まっていたが
少し歩いた後戻ってきたら開いていた。普通の古い民家にいろんな民俗資料が展示してある。
おっちゃんに200円払い、石材業について聞いてみた。

沖島の石は古くから切り出されていたが、盛んになったのは、明治に入って近代化に伴い
石材の需要が増大したことによる。切り出した石材は琵琶湖沿岸の各地へ船で運ばれ、
琵琶湖疏水や南郷洗堰、鉄道工事などに使われたという。
石工は一時は50人ほどいたとか。はじめは瀬戸内などから集まったが島民も技術を身に
つけていった。石を採掘したり船で運搬する仕事は漁業よりも儲かったので、多くの人々が
それに従事した。石切場には朝鮮の人も従事し、石切場近くにバラックを建てて住んでいたという。

戦後はコンクリートの普及に伴い、石材業は衰退し昭和45年に廃山となった。
多くの石工はその後他の地方へ移ったそうで、「昭和30年頃」と書かれた石切場の写真に
写っていた、おっちゃんの知り合いの男性ももう亡くなっているとか。

石切場はどこだったんですか?と聞くと、島の裏の方で観測所があるあたりだと教えてくれた。
もちろん行く。
家と家の間の細い路地を抜けて島の裏側へ出る。


島内の家の基礎や港の石垣ももちろん地元産。


集落を過ぎてしばらく行くと浄化センターがある。資料館のおっちゃんいわく、ここが朝鮮人の
バラックが建っていた場所で、一時は小学校のグラウンドにしようとして整地したのだが、
そこに浄化センターを建てたという。
この辺りの海岸はごろごろとした石の海岸だ。切り出した石のくずが長年たまっているのだろう。


さらに行くと、畑が増えてくる。
畑には古い冷蔵庫があちこちに置いてある。道具などの物入れに転用しているのだ。
また、これは民家の前だがこんな転用も。洗濯機のドラムである。

・・・ふと思った。転用とは、ものを入手するのが難しい場合だけでなく、ものを捨てるのが
難しい場合にも、発生するのだな、と。


畑の奥に、山肌があらわになったところがあった。石切場はどうもそのあたりだったようだ。


沖島は平地が少ない。石切場跡の崩れた山はすぐに畑になった。
草が覆いつくしているが、えぐれた山の形はそのままである。草木を刈れば当時の姿が
そのままよみがえるんじゃないか・・・そんな気がして、しばし立ち尽くして感慨にふける。。。


石材業に沸いた沖島も、今は老人が細々と畑を耕し暮らす。無人となり荒れ果てた建物も多い。
今、島の小学校に通っている子供たちは、大きくなっても島で暮らすのだろうか。
電気や水道は整ってもやはり水面によって陸地と隔てられた小さな島の暮らしは大変だろうと思う。


10年後、どうなっているだろうか。。。
観光など新たな産業が生まれて住民やお客が増えているだろうか。それとも・・・・?

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