鹿港へは、彰化からバスで30~40分。バスの運ちゃんが「どこへいくのだ?」
というようなことを聞いてきたので宿の名を告げると、客の一人のおばちゃんに
案内を頼んでくれた。おばちゃんもたまたま行く方向が一緒だったとはいえ
宿のすぐ近くまで先導してくれてにこやかに去っていった。みな親切だなぁ~~
さて鹿港は大陸との交易で栄えた古い港町。廃港となって久しい今もまちなみに
その面影を残しているというので、行ってみたいと思ったのだ。
果たして行ってみると、静まり返っているのかと思いきや、鹿港の古刹天后宮に
近づくと道端においしそうなお菓子や海鮮品の屋台がずらりと並び音楽が響き、
人で溢れかえっていた。
とりあえず食欲は抑えて、、、、日が暮れる前にまちを見ることに徹する。
裏道はくねくねと細い路地で迷路のよう。水路に沿って建物が建ったからという。
メイン通りには古い商店建築がいっぱい!いくつか紹介しよう。
港=海 だけに、ヒトデのモチーフ?
こちらは貝。
しかし、実は海は街から近くないのだ。
アシンメトリーな塔屋のついた建物。横ラインがモダニズムっぽい。
バルコニーがついた建物。
六角柱の塔屋が前面にまで張り出した建物。
これらの建物はいずれも1階が連続して通り抜けられるような構造になっている。
公園に面した鹿港民俗文物館は、日本統治時代である1919(大正8)年の築。
元は、塩田の開拓や食塩と樟脳の売買で名を知られた豪商(「古」の下に「辛」)氏が
故郷に建てた邸宅であり、日本統治時代の鹿港においてもっとも精緻な豪邸建築で
あったという。
外壁はレンガタイル貼り、おもしろい装飾が各所についている。
奥に3つほど別棟がつながっており中はとても広い。調度品から当時の風俗を語る
あらゆる文物が展示されている。全部じっくり見ていたら日が暮れてしまうので
建物を見ることをメインに駆け足でまわる。
これだけの豪邸ならタイルやステンドグラスがありそうなものだが
改修されたからか元からなのか、内装には全く目を引くタイルはない。
この八角形の部分がサンルームみたいになっていて、とっても明るくて
居心地がよさそう!!しかし反面、その内側の部屋はとても暗い。
ガイドブックに「旧鹿港駅跡地」というのを見つけたので見に行った。
確かに駅だ!!広いヤードはレールこそないものの空地のままガランと空いていた。
日本統治時代に製糖業が盛んになり、サトウキビの積み出し用の軽便鉄道が各地に
引かれた。台湾糖業(台糖)の業績不振や他の輸送手段の発達により縮小されて
いったが、最近は使われなくなった鉄道を観光用に復活させているところも
何ヶ所かあり、人気を博しているらしい。時間がなく今回は乗りに行かなかったが。
鹿港線はもう撤去され復活はしていないが、駅をちゃんと改修して残してある
ところを見ると、近々観光拠点などに利用する構想があるのだろう。
台湾では鉄道の廃線もうまく再利用が図られているようでうらやましい限りだ。
ああ、ここにトロッコを引いた機関車がたくさん停まって大勢の人が作業している
光景が目に浮かぶ。
道路脇に建つ駅名の看板はそのまま残っていた。バス停も「鹿港車站」のまま
鉄道の記憶をとどめていた。
というようなことを聞いてきたので宿の名を告げると、客の一人のおばちゃんに
案内を頼んでくれた。おばちゃんもたまたま行く方向が一緒だったとはいえ
宿のすぐ近くまで先導してくれてにこやかに去っていった。みな親切だなぁ~~
さて鹿港は大陸との交易で栄えた古い港町。廃港となって久しい今もまちなみに
その面影を残しているというので、行ってみたいと思ったのだ。
果たして行ってみると、静まり返っているのかと思いきや、鹿港の古刹天后宮に
近づくと道端においしそうなお菓子や海鮮品の屋台がずらりと並び音楽が響き、
人で溢れかえっていた。
とりあえず食欲は抑えて、、、、日が暮れる前にまちを見ることに徹する。
裏道はくねくねと細い路地で迷路のよう。水路に沿って建物が建ったからという。
メイン通りには古い商店建築がいっぱい!いくつか紹介しよう。
港=海 だけに、ヒトデのモチーフ?
こちらは貝。
しかし、実は海は街から近くないのだ。
アシンメトリーな塔屋のついた建物。横ラインがモダニズムっぽい。
バルコニーがついた建物。
六角柱の塔屋が前面にまで張り出した建物。
これらの建物はいずれも1階が連続して通り抜けられるような構造になっている。
公園に面した鹿港民俗文物館は、日本統治時代である1919(大正8)年の築。
元は、塩田の開拓や食塩と樟脳の売買で名を知られた豪商(「古」の下に「辛」)氏が
故郷に建てた邸宅であり、日本統治時代の鹿港においてもっとも精緻な豪邸建築で
あったという。
外壁はレンガタイル貼り、おもしろい装飾が各所についている。
奥に3つほど別棟がつながっており中はとても広い。調度品から当時の風俗を語る
あらゆる文物が展示されている。全部じっくり見ていたら日が暮れてしまうので
建物を見ることをメインに駆け足でまわる。
これだけの豪邸ならタイルやステンドグラスがありそうなものだが
改修されたからか元からなのか、内装には全く目を引くタイルはない。
この八角形の部分がサンルームみたいになっていて、とっても明るくて
居心地がよさそう!!しかし反面、その内側の部屋はとても暗い。
ガイドブックに「旧鹿港駅跡地」というのを見つけたので見に行った。
確かに駅だ!!広いヤードはレールこそないものの空地のままガランと空いていた。
日本統治時代に製糖業が盛んになり、サトウキビの積み出し用の軽便鉄道が各地に
引かれた。台湾糖業(台糖)の業績不振や他の輸送手段の発達により縮小されて
いったが、最近は使われなくなった鉄道を観光用に復活させているところも
何ヶ所かあり、人気を博しているらしい。時間がなく今回は乗りに行かなかったが。
鹿港線はもう撤去され復活はしていないが、駅をちゃんと改修して残してある
ところを見ると、近々観光拠点などに利用する構想があるのだろう。
台湾では鉄道の廃線もうまく再利用が図られているようでうらやましい限りだ。
ああ、ここにトロッコを引いた機関車がたくさん停まって大勢の人が作業している
光景が目に浮かぶ。
道路脇に建つ駅名の看板はそのまま残っていた。バス停も「鹿港車站」のまま
鉄道の記憶をとどめていた。
海の側かと思っていたんですが、海から遠いのですか。河港ということでしょうか。
海のモチーフは直接的ですね。生っぽいのが面白い。
アーケードを組み込んだ街並みも、ぜひ見てみたいところです。
やはり見どころが多そうで、当面の予定はないのですが、いつかは行ってみないとと思います。
古市街のお店やら天后宮前はごった返してました。
特に何か行事がある時期だったのかもしれません。
旧鹿港公会堂である鹿港老人會は改修中で見れませんでした。