まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

基隆駅前風景(台湾)

2017-12-27 23:38:20 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

瑞芳からバスで基隆にやって来た。基隆は台湾最大の港町。
かつて大阪から沖縄を経由して基隆、高雄まで飛龍というフェリーが就航しており、学生時代に
沖縄に目覚めた私は、配船表を眺めながら、沖縄の先の見知らぬ街まで行ってみたいと憧れたものだった。
もっとも、基隆に来るのは今回が初めてではなく、もう十年以上前に在台の友人に連れて来てもらった
ことがあるのだが、人に連れて来てもらうと自分がどこを歩いたのか記憶が薄くうろ覚えで(苦笑)
もう一度歩いてみたいとかねがね思っていたのだった。

バスを降りてまずは駅の方へ向かう。
前回は鉄道で基隆に来た。まちなかはどこを歩いたのかよくわからないが駅は記憶に残っている。
基隆~台北は台湾で最初に造られた鉄道の区間で、清朝の1891年に開通した。
台湾鉄路は現在台湾島を一周し、基隆駅はまるで盲腸線の先端のように見えるが、西部幹線(縦貫線)の
起点駅なのである。
しかし今では台北からの特急列車は基隆に寄らず宜蘭や花蓮へ直行する方が多くなってしまった。


街の端の方にある基隆駅舎をロータリー越しに見通すと、、、おや、何か雰囲気が違うな。ピンク色。
駅舎全体がピンク色になっていて何かのキャラクターがデカデカと壁に描かれている。何だあれは??
ちょっと不安を覚えながら四角い戦後建築の駅舎の方へ歩いていく。でもちゃんと基隆駅と書いてあるし・・・
駅舎の入口を入ると、人は出入りしているのだが、何かおかしい。あっ!!


ここにはホームがあったはず。目隠しの白い幕沿いに人々はずっと奥へ奥へと流れていく。


もしや・・・私も他の人について歩いていくと、角を曲って細い迂回路になり、そのうちガランと開けた
場所に出てきた。うわっ!!新しい駅舎か!
外へ出てみると真新しい駅前広場があった。幅の広い階段とエスカレーターが2階のコンコースへいざなう。
そして・・・


バリケードの向こうに、旧駅舎の悲しい姿が・・・うわ~~ん(涙)


この旧駅舎は1967年に建てられたもので、今年でちょうど50年か。日本統治時代には、新竹、台中
などと並ぶ近代建築駅舎があったが、その後に建て替えられたシンプルで力強い4代目駅舎も
いよいよお役御免となったのだ。仕方ないか。。。

ホームの柱に残る「基隆」の文字が物悲しい。。。
あぁ、少し前までは列車を待つ人々に囲まれていたであろう、この柱。今はひとり、不安げに
立ち尽くしている・・・

これから旧駅舎はどうなるのだろうか。駅前ロータリーはどう変わっていくのだろうか。


新しい駅舎は2階に改札口があり、地上にホームがある。ガラス張りの開放的な空間だ。


そして、北の方にもうひとつ駅舎があった。300mほど離れており、別の駅かと思ってしまうが
基隆駅(北)と書いてあるところを見ると、ホームでつながっているのだろう。


北駅舎は西岸旅客ターミナルの目の前。かつては駅と埠頭を結ぶ引込み線がターミナルの建物の前を
斜めに横切っていたようだが、駅前広場を作るために撤去されたらしい。。。(涙)


このバイク置き場はどう見ても線路跡だな。基隆駅から先へと伸びていた貨物線があったのだ。
あぁ、日本だけでなく、台湾でもまた、貨物線はどんどんなくなっていく。。。


再開発が進む基隆駅周辺だが、このエリアには日本統治時代に建てられた近代建築がまだ残っている。
ロータリーに面した陽明海洋文化芸術館は、元日本郵船ビルとして1915(大正4)年に竣工、
後に払い下げられ陽明海運株式会社の本社ビルとなった。


連続アーチの側廊がアーケードのようにめぐっている。元は尖塔があったが戦争で消失したとか。
そう思って見れば頭の上が少し寂しいような気がしてくる。


中はすっかり近代的な展示空間に変わってしまっているようだ。


隣接する基隆市バス乗り場の柱は幾何学的なデザインになっていた。


続く

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金瓜石の老街を歩く(台湾) | トップ | 基隆の近代建築(台湾) »

コメントを投稿

建物・まちなみ」カテゴリの最新記事