まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

花蓮の建物めぐり(台湾)

2012-06-02 00:55:16 | 建物・まちなみ
台湾続き。

七星潭からの帰りは港の方の自転車道を通らずまちなかの道を行く。
地図で見ると碁盤目状のまちが続いているのだが、実際は丘陵地である。フウフウ。。。
おや、丘の上にいくつかの日本家屋が。県定古蹟の「花蓮台肥招待所」。そしてこちらは・・・

奇業檜木館。食事もできるらしい。ちょうどお昼どき、雨も激しくなってきたので雨宿りがてらランチにしよう。


おお、玄関には珍しく工芸タイル風の味のあるタイルが使われている。


うわぁ、いい感じ。中はかなり改修されているが、床の間を残して元和室の味が感じられる個室や、
木戸がそのまま使われたトイレ。。。増築部分も雰囲気がいい。

お料理は薬膳料理のようなランチがとてもおいしく、デザートとお茶までついて350元くらいとお値段もお手頃。

しかしメディアの余裕がなく数枚しか撮れず・・・(涙)。急いでメディアを取りに帰ろう。
自転車で丘をびゅーんと下りながら、ふと目についた建物。なんだあれは!?


すごい!橋のたもとの一角に日本家屋が大小10軒ほど並んでいるのだ。
いずれも空き家のようであるがそのさまは一種異様な雰囲気。。。


比較的大きな2棟のうち1棟は丸ごと大屋根で覆ってある。他方はきれいに改修済みで公開もしているようだ。
興奮気味に写真を撮っているとどこからかおっちゃんが現れ、雨戸を開けはじめたので上がらせてもらうと
座敷には昔の花蓮のまちのジオラマが置かれていた。うわぁ~~、鳥肌。
なだらかな丘陵地に日本瓦の家並みが一面に広がっている!!完全に日本のまちだ。これが日本統治時代か。


管理のおっちゃんが、花蓮の古蹟マップを持ってきてくれた。ここは「将軍府」という場所だとか。
花蓮のまちなかには他にもポツポツと洋風建築や日本統治時代の建物があるらしいが、ガイドブックには
松園別館ぐらいしか載っておらず、他はあまり知られていなさそうだ。


花蓮県で45人が死亡し270棟の家屋が全壊したという1951年の花蓮大地震で、日本瓦の家並みも
かなり倒壊したことだろう。まとまって残るエリアは貴重なようで、今丸ごと保存しようとしている。
そして補修予算が確保できるまでこうやって屋根をかけて守っているのだ・・・すごい。

日本の作った建物を戦後もずっと使い続け、空き家になってからもこうして保存してくれているのを見ると、
日本人としてはやはりうれしい。建物に成り代わって「ありがとう~~」と言いたくなる。

ホテルに戻って雨に濡れた服を着替えてメディアも替えて、さぁ出直し。
もう一度山の手へ行く前に、昨夜見ていた宿の近所の花蓮旧酒廠へ。うわっ結構広いな!
昨日は道路沿いの洋館と社宅っぽい和風長屋を見たが、敷地内には造りもスタイルも違う何棟もの
建物が建ち並んでいた。うぉぉ~~!


醸造所だったらしいがすでに完全に工場の機能はなくなっているようで、どの建物も空き家である。
しかし・・・やはりここでも改修作業のまっただ中!!丸ごと「花蓮創意文化園区」になるらしい。


あっちの建物でもこっちの建物でも、内装、空調、屋根の葺き替え、、、本気で使うための整備なのだ。


すごい。。。
まだ工事中で一般公開されていないが、敷地内には自由に入って歩き回り写真を撮ることもできる。
もちろん建物内に立ち入ったり資材置き場に近寄ったりすると警備員に声をかけられるが
バリケードや幕での閉鎖は一切なし。自己責任で。大人の対応である。


黙々と仕事を進めていく作業員、着々と仕上がっていく建物を日々目にしていたら、過去に思いを馳せ
未来に希望がふくらむことだろう。わが町、この施設への深い愛着が育まれるに違いない。
あぁなんてワクワクするだろう。

台湾は産業遺産、歴史遺産を修復保存するだけでなく、活用することにも非常に積極的である。
あちこち見て感じるのは、完璧に計画ができてから着手するのではなく、できるところから手をつけていこう、
使いながら直していこう、使い方はこれからどんどん考えていこう、という身軽なスタンス。
おそらく戦後今まで手を加えながら使い続けてきた、その延長で新しい用途を受け入れる感覚なのではないか。

日本のように、まずは厳重に封鎖してから念入りに計画を練り、事業者を決め予算を取って、
塀の中で完璧に工事を仕上げてから、ある日ジャジャーンと盛大にお披露目。それはむかし目にしていた
建物とはかけ離れた印象に変わっている・・・というのでは、愛着を持ちにくい。


そのあとは古蹟マップを見ながら自転車でうろうろ。
「旧花蓮港高等女学校宿舎」「花蓮港山林事務所」「林務局宿舎」「菁華林苑」・・・・点在して残る
建築物はだいたい古蹟か文化財になっている。


そして丘を上り松園別館へ。ここは1943年に軍部の兵事部オフィスとして建てられたもので
戦後はアメリカ軍顧問団の将校レジャーセンターとなっていたこともあるそうな。
国所有となってからホテル用地として売却する話もあったが地元住民の反対によりとりやめ、
松林に囲まれた風光明媚なこの一帯は歴史的風景特区に制定されたという。


1Fの展示スペースには、改修される前の荒れた状態の建物の写真や、つい先年までここに住んでいた
老人の写真が展示されており、胸を打たれる。
2階や別棟は、雑貨店、お庭を見ながら食事のできるスペースなどとして利用されている。


ここからは花蓮のまちが一望できる。甍の波はすでに過去のものだが、花蓮のまちの歴史に思いを
馳せながらのんびりするのにはうってつけの場所だ。


帰りに再び将軍府へ行って思う存分写真を撮り、その後花蓮駅まで足をのばして、駅前で
えびワンタンを食べてから宿へ戻り、まちなかでマッサージしたり夜市をうろうろ。。。あぁ楽しい街だ(笑)。

続く。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (びんみん)
2012-06-05 00:29:45
花蓮ってすばらしいところですね。
ここまで改修しながら使い続けるって、この差は何なのだろうと思います。外国でこんなに愛着をもっていただいているのに。
憶えておきたいと思います。
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びんみんさん、 (ぷにょ)
2012-06-05 00:54:33
今回花蓮のまちの散策に丸1日とって正解でした。
でも花蓮だけではないんですよ~
あっちのまちでもこっちのまちでも、ほんとに
感慨深く、胸がいっぱいになります。
返信する
Unknown (水江 清)
2019-06-01 01:02:23
1927年に花蓮港で出生した父親の息子として、奇数月に訪れている1951年生まれ、福岡市在住の自営業職です。この度花蓮港の旧日本時代建築文化を整備する一端として活動を始めました。
返信する
水江清さま、 (ぷにょ)
2019-07-02 22:27:36
コメントありがとうございます。
お父様が花蓮生まれでいらっしゃるのですね!
旧日本時代の建築文化を整備する活動を始められたのですか。
成果を期待しております!
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