多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

団塊の世代

2005-02-28 23:49:47 | Weblog
本日10時過ぎに帰宅。
自分の部屋に着き、TVのスイッチを付けると丁度古舘伊知朗の報道ステーションが始まっていた。
また、ライブドアXフジテレビの本日の動きをやっていた。

世代別のライブドア支持率を世論調査したという。
その結果を見ると、何と支持率は20、30、40歳台は50%前後であったのだが、面白いことに50歳代の支持率が何と62%と断トツに高い。
何故か?

この世代は「団塊の世代」と呼ばれた人々を含み、第二次世界大戦後のベビーブームに生まれた世代。急に著しく人口が増えた世代である。
そして、この世代は旧秩序から新しい価値観を求めて脱皮しようとするエネルギーの強い世代であり、従ってホリエモンの自由闊達な発想のあり方には結構共感を持っているのではないか、という分析であった。

受験戦争が始まった最初の世代でもあり、また全共闘など学生運動でも名を馳せた世代でもある。確かに経済成長する日本の中、新しい価値観を求めようともがき苦しんだ世代でもある。そういった世代の人々、今や企業の重鎮?あるいは窓際、はたまた、既に企業の外? 色々あろうが、6割以上がこうした新風を歓迎している、というのは実に面白い。
逆に、20,30歳台が必ずしもホリエモンを支持していない、というのも奇妙に面白く、或る意味では、薄ら寒くもある。
逆に同世代としてみた場合、「新風」と期待する部分よりは、ホリエモンの言動にはもっと冷ややかに見る部分があるのだろうか。 

いや、今回の騒動のお陰で、極めて興味深い社会分析が幾つも出来、毎日が文字通り「ライブ劇場」である。


i-Pod Shuffle

2005-02-27 12:30:41 | Weblog
i-Pod Shuffleを買おうかな。
オジサンのこうしたことへの反応は遅いのだ!恥ずかしながら、流行への1週遅れ、2週遅れは当然。しかし、興味は当然あるのだ。最近は通勤電車の中でも結構年配のおっさんが片耳のイヤホンではなく、両耳のヘッドホンで音楽を楽しむのも極めて一般的になってきたようだ。

今週末から米国に出張する予定である。

前回の出張の時には、音楽を共にするこうしたツールを持って行かなかった。仕事漬けの日々続き、4,5日した夜、Washington D.C.郊外にあるBethesdaという街の書店Barnes & Nobleの音楽フロアで幾つかのCDを視聴したときには、数日の音楽日照りの後だったので、音楽を聴いた途端に脳みそがキュ~ンという音を立てて反応した記憶がある。今度は携帯し易いツールが欲しいので、取りあえずShuffleには興味を持っていた。

昨晩Appleのサイトを見たところShuffleの購入の意思表示をしても手元に届くまでには1-2週間とあり、本家本元でもこうか、と諦めかけていた。本日偶々期待はしていなかったが、Amazon.comの方で見てみると、どうも1-3営業日でお届けとあった。
ということで、初めてAmazonさんにお世話になることに決め、申し込んだ。
本家本元より早くて、満足。どういうカラクリか良く分からんが、楽しみである。


オールナイト・ニッポン カメさん

2005-02-27 11:02:49 | Weblog
ニッポン放送株を巡るライブドアvsフジテレビの争いは裏技応酬の買収合戦で泥沼の戦いになってきた。目くそ鼻くそを笑う状態、でもある(笑)。
見ているほうからすると実に色々な政治的・経済的、また文化的側面があり、またその鏡としての株価の動向やコーポレート・ガバナンスの意義なども加わってきており、極めて興味深く、当件に関する新聞記事やネットの書き込みなども出来るだけ熟読している。色々と書きたいことも沢山あったが、沢山あり過ぎるがゆえに、どこからどう書こうかと考えているうちに何も書けない、という事態が続いていた。

今日も朝から各局でホリエモンが出まくっている。新聞の本日のTV番組表を見ても、立て続けに本人出演番組が予定されているようで、これだけ物議をかもして批判も多い中、連日連夜にわたり表舞台に立ち続けている堀江氏の精神力と体力・タフネスさには或る意味、大いに感心する。大勢の意見にあるが、手法・振舞い上の問題はあるが、日本の旧秩序に対する問題意識を提示している点では個人的には単なるトラブルメーカーではなく、改革者としての堀江氏に建設的な動きを期待をしている。

当初この争いではあまり表面に出てきていなかったニッポン放送の亀淵昭信社長、露出度が急上昇だ。突如現れた事態に困惑し、実質支配権を握られているフジテレビの意思のもと身動きとれずにひたすら服従の姿勢を示している哀しきサラリーマン社長のように見えるが、我輩の世代にとっては彼は大スーパースターなのである。

昭和40年代中盤のニッポン放送の午前1-3時放送だったオールナイト・ニッポンのDJだった彼は居並ぶ同社DJ,いや、他社のスターDJと並んでもトップの人気だった。毎週2万通のファンレターが来ていたというが、速射砲のような早口と兄貴のような軽妙洒脱で、熱いハートのある語り口は大いなる支持を集めた。
海外の音楽事情に明るく、人気絶頂だったビートルズやローリングストーンズだけではなく、ジャズ、当時のポップな欧米の流行曲やオールディーズも進んで紹介してくれた。今の自分の音楽の好みの傾向を見渡すに、彼の影響は極めて甚大だった、というか、もう体の一部に染み付いたと思われるし、これは自分だけではなく、同じ世代のオジサンにも同じことが言える筈である。

国内アーチストの発掘でも、カメさんは『帰ってきたヨッパライ』でブレークしたフォーク・クルセーダーズをプッシュしたり、フォークルの黄金コンビ加藤和彦・北山修による曲で同じニッポン放送の人気DJだった斉藤安弘氏とカメ&アンコーを結成、「水虫のうた」などをヒットさせた。甘く切ない歌声は、私の中では大の名曲となっている。
今から振り返ってもあの時代は良かった。丁度大学受験で体育系クラブで体を動かし、学校から帰ると2時間ほど仮眠して深夜2,3時くらいまで受験勉強する、という生活パターンが続いていた時代のヒーロー、大教祖様であったのだ。オールナイト・ニッポンのオープニング&クロージング曲であるハープ・アルパート、ティファナブラス(Herb Alpert's Tijuana Brass)のBitter Sweet Sambaに乗って流れてくるカメの声は何と当時の若者の心を躍らせ、潤ませ、励ましとなっていたことか。

「現状の、フジサンケイ・グループ支配の下で、自社の株主価値を維持・高揚させていく」、という彼・亀淵社長の語り口には、残念ながら当時の「時代の先進者・改革者」の面影は見えない。しかし、本当のところはどうなのであろうか? 

社長としての彼は、公的な立場上はグループ全体の利益や自社従業員、(株主、となると?であるが)などのステークホルダーに縛られ殆ど自由が利いていないのだが、「カメ」に戻った一人の元人気DJとしての本当の彼は、意外とホリエモンの心情には密かに拍手を送っているのではないだろうか。記者会見で見る彼の困惑気味の表情を見ていると、立場上の言葉とは裏腹に、自由・闊達なイマジネーション、破天荒な展開にも心馳せている部分があるのではないか、と個人的には想像している。 
偶々出身地も大学も同じなのだが、彼に対して大いなる思い込みを持っている身としては、もう馬鹿らしい社長業など辞めて、この際、もう一度自由な彼に戻って欲しい、という風にも思っている。

NewZealandドライブ旅行(43) Christchurch Part-6

2005-02-26 20:03:24 | New Zealand
1時間ほどカンタベリー大学を散策。
そして、ついに南島を離れる時が来た。

空港へ向かう。4日間半お世話になった車にもガソリンを満タンにして空港で返還。
1日目に早くも走行中にフロントガラスに石がぶつかりひび割れが出来、最後はそのひび割れも大分拡がっていた。車のキーを返しに、レンタカーオフィスに行ったが、誰も居ないので、キーを置いてそのまま去ることにした。米国でも同じ経験をしているが、全く問題なかった。保険契約でカバーされる筈だ。実際、帰国してからも、特にレンタカー会社からは何の連絡もなかったので、問題なかったのだろう。

Air New ZealandのカウンターでAuckland行きの便の搭乗手続きをし、その後、地元ビールとチキンで軽食。いや、あっという間の旅であった。やはり、自然の中をゆっくりと過ごすことがこの地では最善の選択であったことが分かった。Mt.CockやQueenstown周辺などはもとゆっくりと居たかったナア、まあ何時か分からぬが、次回のお楽しみとしておこう。
小型飛行機でAucklandへ向かった。


NewZealandドライブ旅行(41) Christchurch Part-4

2005-02-26 00:25:18 | New Zealand
Christchurchの夜、倉庫のような味気ないモーテルで過ごす。
TVを見ても、クリッケットの中継とか、全く面白くない。人間の悪欲が露出しない環境・社会構造にはなっているが、TVのつまらなさは刺激の無さの裏返しの象徴のようでもあった。

次の朝が来た。
南島を離れ、北島のAucklandへ飛ぶということになっているが、午前中は若干時間がある。偶々モーテルの近くに大学があるので、そこを見学に行くことにした。
University of Canterbury、カンタベリー大学である。
以前にも書いたが、留学斡旋などのビジネスを今後やってみたい、という興味があり、今回のNZ訪問では出来るだけ大学を見たい、と考えておった。
此処を見てから空港に向かおう。

ダニーデンのオタゴ大学に比べると、なかなか緑豊かで貫禄のあるキャンパスであった。
日本の国立大学では、北海道大学、北大、というイメージが浮かんだ。学生数は1万3千人だという。やはり、ここもアジアの留学生が時に目につく。香港の女学生グループなどが元気良くはしゃいでいる。日本人は、居るのか居ないのか分からない。

施設面では、ここも図書館などは立派だ。
また売店・食堂なども、充実している様を見た。
留学生の受入環境としては申し分ないように見えた。
オタゴ大学で驚いたので、此処ではそう驚くようなことはなかったが、いづれもNZの大学は施設拡充で、今後の研究材料となりそうだ。

NewZealandドライブ旅行(40) Christchurch Part-3

2005-02-25 00:27:15 | Weblog
もう夕闇も迫りつつある時間帯で、あまり街中をゆっくり歩く時間もなくなって来た。
本来ならChristchurchの中心を流れるエイボン川のほとりでも優雅に散歩したいところでもあったが、日が暮れる前なので中心地でそれなりに有名なところでもつまみ食い的に見て歩くか、としか思いつかなかった。

街中にはなかなか雰囲気のある建物が多い。
この建物は我輩の自宅とスタイルがそっくり。勿論こんなに大きくな筈もない、ウサギ小屋であるが。
知る限りでは、これは英国風ではなくジョージアン・スタイルという米国風建築だとも思えるが。聊かこの建物見て、里心を刺激された。

この街にもやはりインターネット・カフェがあちこちに見られる。
もう陽も落ちつつあり、外を歩いても収穫が少なくなってきたので、そのうちの一軒に入ってみることにした。どうも経営者は韓国人のようだ。
パスワードをもらい、アドレスで日本語のサイトを開くと、何と文字化けせずに、ちゃんと日本語が読めた。日本語環境が偶々整っているPCに当たった、ということか、米国などではなかなかこのようには行かない。
実は、当時は無職で家に居て、株のデイトレードなどをかじっておった。海外に来ても、そのサイトを見ることが出来たのは感激ものであった。なんだ、海外で日本株デイトレ生活は成り立つなあ、NZだと日本と3時間程度の差(NZが先行)なので、ほぼライブで対応できるのではないか、これも将来の生活の場所としては、プラスの点がつくなあ、と思いにふける。

その後、食事をしに、日本料理が食べられそうな比較的カジュアルな店に入った。
一般に日本料理というと値段の高いイメージがあり、このChristchurchでもそのような店が多く見られたが、まあここだと一人で入れるなあ、という店であった。
何とここもオウナーは韓国人のおばさん、肝っ玉母さん、と言う感じに見えたが、どうもNZにはかなり韓国人が移住し、商売を始めているケースが随分多いようだ。なかなかの逞しさに脱帽。
ということで、食べたのは日本食ではなく、韓国料理であった。

個人情報保護法

2005-02-24 08:42:28 | Weblog
今年4月より全面施行となる個人情報保護法を踏まえて、取引先の金融機関の動きも慌しくなってきた。特に、セキュリティ管理の方策などを巡っては、あれこれ取引先の実態調査などの依頼が随分と舞い込んできているし、今後契約書の形態などもこの保護法の観点を撮りいれたものを盛り込むか、覚書を加えるかなどの対応が必要となってくると言う。

昨日も某銀行より依頼を受け、調査書の対応に取り掛かろうとしたが、金融庁のガイドラインを踏まえて造られた調査項目の内容が極めて難解である。IT用語に慣れ親しんでいない身には止むを得ぬ部分もあるが、これまで見たこともないような難解なお役所用語も多く、米国本社と連携を保つために取り組んだ英訳作業もなかなか進まず苦労した。かなり脳波をやられたような感覚で相当時間残業もしたが、ついに終わらず。頭の中ボロボロ状態で帰宅した。(そんなことでNZ旅行記のアップはなし、です。)

この辺の動きの周辺では色々な動きがあって興味深い。
ある気高いコンプライアンス方針で知られる米系銀行では、Eメールにワードやエクセルなどの添付をすることは情報漏洩の可能性もあり、禁じられているという。ご多分に漏れず、合併を繰り返してきた巨大銀行だが、合併のたびにより高いスタンダードに合わせて規程を塗り替えるのでどんどん厳格度が増していくという。特に個人客相手を想定して出来た規定だが、一般法人取引にも適用した結果、厳格なルールが広範に適用されるに至ったという。添付ファイルを送る場合にはEメールが使えず、フロッピーディスクに落として、それを郵送、或いは至急の際には、バイク便で移送するという。安全のためには手間とコストが掛かる時代になってきたものだ。(或る意味では、Eメールよりバイク便の方がよほど情報漏洩リスクは高いようにも思えなくもないが)
しかし、金融機関間においてもこの辺の認識度合いはピンからキリ状態ではないかと思える。安全に対する認識はおかれている状況によっても相当の格差があることでもあり、あまりに厳格な法が適用されると、消化不良でかなりの混乱も起きかねないのではないか、と聊か懸念している。



NewZealandドライブ旅行(39) Christchurch Part-2

2005-02-23 00:21:32 | New Zealand
何だか倉庫のような部屋ではあったが、取りあえずねぐらは確保した。
時刻は6時一寸前だが、先ずChristchurchの中心街へ行ってみよう。モーテルの受付のオジサンの言葉を受け、自分の車ではなく、バスで向かうこととする。バス代や行く先を告げる方法も分からなかったが、何とか乗り込み、最終の停車場であるバスセンターのようなところまで行くことが出来た。バスに乗るだけでも結構気を使うもので、疲れた。

さて、バスセンターから少し歩くと、ほどなく街のランドマークとなっている大聖堂(The Cathedral)を発見。1864年建築開始、1904年完成、という歴史的建物である。イギリス人が設計したゴシック様式の教会である。

広場から周り360度を見回すと、やはりゴシック風の建物が目に付く。何とStarbucks Coffeeのお店までもがそれ風であったのには、感心というか可笑しい、というか徹底してますなァ。

虎ノ門の寿司屋で一杯!

2005-02-22 23:58:46 | Weblog
本日は、早めに会社を引け、夜7時、久しぶりにS氏と会った。
元来はテニス仲間であるが、テニスは相当の期間ご無沙汰。(何せ寒いモンネ)
ここのところはお互いの心の空洞埋めるため(?)、ほぼ毎日のようにEメールのやり取りをしている仲だが、会ったのは昨年11月末以来であった。
共に多忙で、このところは過労気味でいずれも熱を出し寝込んだが、やっと共に回復してきたことから久しぶりに一杯やろうということになったわけだ。
S氏、男性にも更年期障害あり、とのことで、一時は耳が難聴になったようでもある。(治っても、いつまでも聴こえない振りをするのが良いと思えるが) 段々この世代になると、どこかがおかしいのが極く普通の状況となるわけだ。

会ったのは虎ノ門にある久保田寿司というお店。西新橋1丁目で一寸表通りから中に入ったところにあるが、なかなかの老舗のようだ。7時なのに、カウンター席は既に一杯。

ところで朝、ニュースで地下鉄・虎ノ門駅で大型トレーラーに積まれた掘削機が衝突し、駅の出入り口で屋根が完全に崩れ落ちた、という事件が起きたという。残念ながら(?)、我輩が降りた出口ではなく何処か判らなかったが、今日の会場近くの事件、ということで奇遇な巡り合わせであった。

話は飛んだが、この久保田寿司、S氏が20年以上通っている、というお店だと言う。若い板前さんは、どうもこの店主の息子さんらしいが、S氏がこの店に初めて訪れた頃には、まだその息子さんは三輪車に乗って遊んでいた、と言う。いや、このように長いこと自分の贔屓の店を持っているとはなかなか粋なことである。

流石に某財閥系グループの一角を占める会社の財務GMに就くだけあり、日本の会社の何とも怪奇な仕組みのお話を幾つか聞かされた。まだまだ既得権にしがみつく体質は根深いようだ。ライブドアのような会社が出て旧秩序を創造的破壊しようとしても、まだなかなか壁は厚いのもうなづける次第。我輩が棲む外資系企業のカルチャーとは随分異なるなあ。
グループの元締めとなる親会社から役員が派遣されている子会社はことごとく皆業績が悪く、奇妙にも派遣がない子会社は堅調で株価の推移も良い、と言う話を聞いたときには思わず笑ってしまった。

早く二人でシンガポールに行き、敬愛するH氏と楽しい時間を過ごしたいね、という話で盛り上がった。昨10月に単身でシンガポールに赴任したH氏、この4月には一時帰国も予定されており再会が楽しみである。 3人になると、面白さが3倍ではなく、3乗になる。老後までもこの3人で楽しく一緒にやりたいものだなあ。取りあえずS兄、どうもご馳走様でした、お世話になりました!


NewZealandドライブ旅行(38) Christchurch

2005-02-21 23:04:41 | New Zealand
11時過ぎにはダニーデンを出発し、Christchurchに向かう予定だったが、見所も多く随分時間を引っ張ってしまった。(この連載でも、ちょっと引っ張りすぎ?)
ダニーデンは、ここに来るまでは全くその名前さえ知らぬところであったのだが、意外にも都市としては最も心惹かれる街となった。
結局街を出たのが12時半。さて、急ごう!急ごう!

ということで今度はひたすら北上。南半球なので、北上は暖かい所へ進む、ということか。
或る程度大きい街ダニーデンでも、一旦街を出るとまた全く人の気配も何もない緑の自然のみがどこまでも続く。 時に海岸線なども見ながらのドライブは開放感に溢れて、素晴らしかった。

5時間ほどのどかな陽射し陽射のもと走り行くと、急に交通量増える。
初めは自覚症状なかったが、どうもChristchurchのゾーンに入ったらしい。
車線が増え、車もひしめき合うように進む状況となり、NZでは最も緊張する運転となった。
車線変更も恐ろしくて出来ないくらいだ。そして、自分がどこへ進んでいるのかも判らなくなる。本能的に都市中心部の方角を当てて進んでいる、と信じながらの運転であるが、全く確信もない。不安な状況が続いたが、どうも街の中心地に近づいたようだ。

何とChristchurch名物のトラム電車が見えてくる。


ほっとした。着いたぞ、Christchurch!
南島では最後の訪問スポットである。
これまでの感覚からは、NZなら大都市でも何だかすぐ把握でき、迷うようなこともない筈、とたかをくくっていたが、それは甘く見すぎであった。

人口30万人強のこの規模になると、どこの国でも大都市は同じ、という感覚になる。碁盤の目のこの大都市はさほどNew Zealandを感じさせるものでもなかった。同じ時間を過ごすのであれば、このような都市よりは、Mt.CockやMillford Trackなどの自然の中で悠久の時間を過ごすべきであったか、という気が芽生えてきた。

さて街の中心地に到着して最初の仕事は、宿探し。
しかし、なかなか宿が分かり易い形で並んでいるようなところは、車であちこち回ったが、見つからない。それらしきところをやっと見つけても満杯で、冷たくあしらわれた。人種差別か?
またも気持ちは惨憺たるものとなる。
どの辺に行けばモーテル街があるのかを或るホテルで尋ねたが、あまり要を得ず。
何となく大都市だと人の対応も雑で冷たくなるのか。

不安な気分半分で街の北方向へ進む。
少し郊外に出掛かった大きなバス通りにモーテルを見つけた。
何だか倉庫のような無骨な宿であったが、あちこち探すのも辛いので、飛び込んでみた。
一番表の部屋を紹介された。もろに人通りに面しており治安上は聊か不安なうえ、窓が極端に小さく気持ちが滅入りそうだったが、もうあれこれ言う気力も無く、その部屋にお世話になることとする。
モーテルのおじさんに聞き、中心街に行くにはバスに乗ると良いと教えられる。

NewZealandドライブ旅行(37) Dunedin Part-6

2005-02-20 18:36:53 | New Zealand
いやホントにそろそろこの街を出発せねば、と車を止めてあったモーテルに戻ろうとし、そのモーテルにほぼ近づいた時に見つけたのが、オタゴ大学 University of Otagoのキャンパスであった。
New Zealandの大学は全土で8大学。全て国立大学だそうだ。
これは見ずにこの街を去ることは出来ない、とない時間を省みず、キャンパス内に入っていく。

先に書いたが、New Zealand訪問の目的のひとつは、老後の場所としてみた場合のNew Zealandはどうなのであろうか、またはそういうものの紹介ビジネスは成り立つであろうかを感覚的に掴むこと。もうひとつの目的は、大学留学先としてのNew Zealandは果たしてどうなのか、幾らか見ることが出来れば大学のキャンパスでも見てみたい、ということであった。これも留学斡旋などのビジネス等を将来考えてみたい、というところから或る程度熟成した気持ちであった。是非こういうところを見なければならないのだ。

緑に囲まれた大学キャンパスはなかなかいい感じ。
最初の建物中に進むと、近代的な施設でそれは大学というよりは、国際展示場とでも言うべき洗練されたもの。学生達も恵まれた施設の中でリラックスしているようだ。1869年に創立したNZ最古の大学、とのことだが、むしろ新しい大学に見えた。

別の建物には、学生会館のようなものもあり、食堂もあった。
ここも、アメリカの大きなショッピングモールなどでよく見る様々なタイプのファーストフード系レストランがあり、安価で好きなものが選択できるようだ。かなり恵まれた施設であることに驚く。これはなかなかいいものを見たぞ。

最も驚いたのは、図書館。
一部ガラス張りゆえ、外からその様子が見えるのだが、何とPCが信じられないくらい多くの台数自由に使えるようだ。前の記事でインターネット・カフェが街中に見られた話を書いたが、この大学の中でも日本の大学では有り得ないような、PCへの自由なアクセスが可能な状況となっている。

どうも表面的な施設面だけの観察ではあるが、これは留学斡旋先としても、かなり面白いところではないか、と直感した。学生数16,000人程度、とのことだが、アジア系の学生も時々目にする。どちらかというと香港、シンガポールあたりからの学生だろうか。これは今後海外留学を目指す日本の学生さん向けに、研究材料として色々調べてみたいなあ、と言う気分にさせられた。

惜しい時間を割いて、見に来た甲斐は充分にあった。
最後に売店で、記念に大学のTシャツを購入。
また、ただの学生が買ったと思われたかな?

NewZealandドライブ旅行(36) Dunedin Part-5

2005-02-20 18:31:49 | New Zealand
もうそろそろこのダニーデンも去らねばならぬ。
街を見るために割り当てた1時間は、もうとっくに過ぎている。
本日の予定では、Christchurchに早めに着き市内を見ることにしている。宿も予約していないので、早めに現地に到着して宿を確保したいと考えていたのだ。

しかし、結構このダニーデンの街は居心地が良かった。
もう少し街をぶらぶらしたいなあ、しかし、早くこの街を出なくては、という二極の気持ちの間に揺れ動いていた。

街並みでよく見かけたのが、インターネット・カフェである。
10分$10で飲み物つき、とか比較的廉価で、インターネットの場を提供する店がやたら多い。これは、後で訪れたChristchurchやAucklandでも同じであった。物理的には交通の面を含めて便利さは今ひとつのNew Zealandではあるが、この通信手段へのアクセスの良さは流石IT立国と言われる所以でもあろう。
マクドナルドの店でも、写真の通り、多くの席で、インターネットが出来る席が用意されたおった。感心!


NewZealandドライブ旅行(35) Dunedin Part-4

2005-02-20 18:29:16 | New Zealand
駅舎からオクタゴンに戻る途中に見つけたゴシック様式の教会に入ってみることにした。
First Church of Otago とある。
後でガイド本を見たら、1873年完成で高さ56mの尖塔を有する、とある。
これも気高く、美しい建物だ。

礼拝堂やステンドグラスは、やはり古い教会に似つかわしい威厳と歴史的な重さ、美しさを備えていた。売店には絵葉書や宗教的書籍、小美術品的なお土産品が並んでいた。
売り子には何と恐らく90歳は越えていようかというよぼよぼのお婆さんが一人居た。絵葉書を買ったついでに、そのお婆さんと話をしたが、お婆さんは「日本人のあなたには教会案内のフリーコピーを差し上げましょう」と案内書を提供してくれた。非常に心温まる気分になった。
よく見ると、しかし、それは日本語ではなく、中国語であった。お婆さんもそれにどうも気が付いたらしい。 何か微笑ましい瞬間であった。

NewZealandドライブ旅行(34) Dunedin Part-3

2005-02-20 12:24:34 | New Zealand
市街地の中心にあるのがオクタゴン。(The Octagon)
字通り、8角形の広場になっており、市民の憩いの場となっている。
この周辺にはレストランや喫茶店などもあり、オープンエアで飲食し、くつろぐ人たちも多い。

そして、名物と言われるダニーデン鉄道駅へ。
オクタゴンから歩いてものの5分程度の近さであった。
ビルの谷間から急に開けた広場の後ろに広がる壮観な建物に息を呑む。
1906年建立とのことだが、何とも美しい。

駅舎内に入ってみる。
駅、とは言え、旅行鞄をさげた旅行者の姿は全く無い。
通常駅前に群がるバス、タクシー、一般の乗用車の乗り入れもなく、一体駅として機能しているのか、という素朴な疑問を抱く。ホームの様子を覗いてみても、殆ど誰も居ない。
時々長距離列車が往来する程度なのであろう。兎に角、駅というよりは、「歴史的建造物そのもの」であった。駅舎内のデザインはその外観にも劣らずまたこれも美しく、黄土色を基調とした床や壁面が美術館のように仕上がっており、来訪者の驚きを誘っていた。

駅舎二階にあるHall of Sportsというスポーツ博物館がある。
入場料NZ$5, 小銭処分も兼ねて入場してみる。中身は失礼ながらたいしたことなし。
日本では殆ど誰もしらないクリケットだとか、ラグビーだとか、大分ポピュラーなスポーツ種目も違っており、拍子抜けた。