ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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静岡浅間神社 茅の輪くぐり神事 (2021年6月 オマケはタチアオイとA3000)

2021-06-30 11:45:35 | 街ブラ

こんにちは  2021年6月30日の水曜日です。

撮影は6月、静岡駅から徒歩でどうでしょう?25分くらい? (私はシェアサイクル利用)

久しぶりに静岡浅間神社へ行ってまいりました。

 

直径5メートルだそうです(静岡県では最大?) 私も先日くぐってまいりました。

が、看板の内容をよく理解せずクルクルしただけ(ダメだねぇ)

「形代」という紅白の紙も撫でるには撫でたが、もっと気持ちを込めなければいけないと思った。

次回は。

本日15時から夏の無病息災を祈る神事「夏越大祓式」(なごしおおはらえしき 密を避けるため神職のみ) 

がおこなわれます。

オマケはタチアオイとA3000  2021年後半も無事にすごせますように

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静岡のお茶と清水港の歴史 その二十一 静岡清水線 入江町-上原(写真は清水駅前)

2021-06-29 12:17:42 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月29日の火曜日です。

表紙は6月初旬、今年もJR清水駅東(みなと)口の公園、ジャカランダの木に花が咲きました。

静岡市議会(清水は静岡市なのだ)6月定例会補正予算案のなかに 桜ヶ丘病院を清水駅東口公園(写真)へ移転するため

モニュメントや樹木の移転費用 約7200万円を計上したとニュースで聞きました。

いつかは見れなくなるんだよな・。

1947年  国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より

お茶と清水港の歴史

清水港からお茶の輸出が開始されると、港までの輸送に重要な鉄道の敷設がおこなわれ

明治42年(1909) 鷹匠町(新静岡)から清水港の波止場まで貨物、旅客営業が始まりました。

江尻新道(新清水)からひと駅目の入江町手前

開業当初は今とルートが異なり、写真に見える東海道線を北へ跨いでいました。

富士山はマンションで見えなくなってしまいました。

現 入江岡駅舎はものすごくコンパクトなつくりとなっております。

ホームへは階段で降りるしかありません。

開業当初の入江町駅は左奥の木の向こうかな・・

追分駅は旧東海道沿い、お弁当の「いなば」さん付近あったようです。

このブログでよく登場「追分踏切」 静鉄旧線は東海道線の北側を通り

線の引き方はテキトーだが、左にカーブし

上原駅(現 狐ヶ崎駅)手前で再び東海道線を跨いでいたようです。

この石積みも当時の名残でしょうか。

跨線橋のすぐ下を流れる珍しい谷津沢川水路橋も以前紹介しました。  昭和49年7月の七夕豪雨でこのあたりは

土砂崩れや浸水など甚大な被害が発生しましたが、懸命の復旧により運休からわずか一週間後に運転が再開されました。

南進し

右カーブし再び旧東海道へ

上原駅はこの写真あったと思われます

1989年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より

1908年開業当初は地名の上原(うわはら)駅 1927年、狐ヶ崎遊園地が開業した際に「遊園前駅」に改称

開園記念として北原白秋作詞「ちゃっきり節」♪ を制作

1967年に一旦閉園し、翌68年に狐ヶ崎ヤングランドとして再開後

駅名も「狐ヶ崎ヤングランド前駅」、80年代後半には「狐ヶ崎駅」と改称され現在に至ります。

1993年閉園まで清水市を代表する遊園地でした。

そして今年4月、約20年ぶりに入船町のエスパルスドリームプラザに遊園地

「清水マリナーサーカス」が開業するのであった。   つづく。

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東海道新幹線は浜松駅コンコース展示 撤去作業開始(2021年6月28日)

2021-06-28 21:24:45 | 都会の風景

こんばんは  2021年6月28日の夜でございます。

先日もお伝えした

東海道新幹線浜松駅のコンコース展示、一年が経過し今日から撤去作業が始まった模様。

新しい展示楽しみです。

 

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静岡のお茶と清水港の歴史 その二十 静岡清水線開通(写真は静鉄A3000ほか)

2021-06-28 12:13:07 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月28日の月曜日です。

表紙は静岡鉄道A3001 真夏の空と巴川橋梁

1989年 「地図・空中写真閲覧サービス」より

静岡鉄道静岡清水線   左が新静岡側、右が新清水側ですが全て入りきらなかった・・

1947年 「地図・空中写真閲覧サービス」より

 

清水港からお茶の輸出が開始されると、港までの輸送に重要な鉄道も敷設がおこなわれ

まず明治41年(1908)5月  江尻新道~波止場間 貨物営業開始。

その約一年間ごには鷹匠町~江尻新道の貨物営業も始まりました。

しかし開通当時のルートは現在と異なり、赤印の入江町手前で東海道線を跨いでいたようです。

現入江岡駅付近  赤枠が開通当初の跨線橋下の石積みかもしれない。 奥が入江町駅だったであろう。

入江岡駅と次の桜橋駅まで駅間が非常に短いのである    つづく。

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天竜川堤防近く 「池田の渡し歴史風景館」 (2021年5月  オマケは東海道本線天竜川橋梁)

2021-06-27 17:42:00 | 街ブラ

こんにちは  2021年6月27日の日曜日です。 本日は静岡県西部の天竜川。

 

浜松からは国道1号バイパス天竜川橋を渡りすぐ左折後1キロちょっとかな

河川敷に駐車し、交通量多い堤防道路を横断すると見える「池田の渡し歴史風景館」

 

河川敷駐車場の北に見えるは「池田の渡し公園」  天竜川の渡し舟の渡船場があったところです。

訪れたのは5月3日  風が強かったですが多くの方が楽しんでおられました。

 

天竜川を渡るためは渡し舟を利用していました。

徳川家康により渡船の運営権が保証されて以来、江戸時代を通じて東西交通の役割をほとんど一手に担い、

この地域の経済・文化交流の場として栄えました。

家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示され、

コンパクトな建物ですが、池田の渡船の歴史がわかりやすく紹介されております。

外の景色も意識しながら撮影。

 

(著作権フリー)  最近は浮世絵も興味持って見るようになりました。

オマケは昨年7月の東海道本線は天竜川橋梁  雨の季節、今年はこんな光景にならないこと祈っております。

 

 

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EF65 2101 3071レ (2021年6月 地元の朝)

2021-06-27 09:16:24 | EF65 0 100 PF

おはようございます  2021年6月27日の日曜日です。

お天気はどうでしょう やはり雨かな? 強くならないように。

撮影は6月、雨上がりの晴天、朝8時15分  

まぁいつものことですが、朝の爽やかさを伝えるのは難しい・・

 

 

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浜松駅前 プロムナードコンサート と遠鉄電車・(2021年6月26日)

2021-06-26 19:01:09 | 都会の風景

こんばんは  2021年6月26日の夜でございます。

15時すぎから浜松駅東側で列車撮影し、駅近くまで戻ったら吹奏楽が!

「音楽のまち 浜松」 駅北口でほぼ毎週土曜日午後におこなわれる「プロムナードコンサート♪」

あの影響で5月15日から中止されていましたが、今日から再開(青印) よかったですね。

左端がお客さん、一応電車(右端)も入れましたが、小さすぎて分かりません・

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島田市博物館訪問 (2021年6月 大井川川越 表紙は茶畑と14系)

2021-06-26 15:43:25 | 専用線、廃線、歴史を辿る

こんにちは  2021年6月26日の土曜日です。

表紙は20年は前か、島田市金谷の茶畑とEF65が牽く14系団体列車か   当時は団臨も多く懐かしい光景です。

島田駅から自転車でノンビリ10分ほど、大井川堤防沿いにある島田市博物館を訪れました。

博物館前  座って川越の気分を味わうこともできます。

(島田市博物館展示)  大井川夕景  「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」

(島田市博物館展示)

大井川川越には渡りの方法、水深による値段変動など、渡る方にとっては悩むところ

足が痛くなりそうだ。  所用時間どのくらいだったであろうか?

ランキング、島田宿は第4位だったんだ!

2階では企画展「カワゴシだもんで」が開催中 

古文書や民具、浮世絵等が展示されております。

周辺道路にも案内板があります。 お時間ある方は一度訪れてみてください。

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東海道本線「ホームライナー浜松1号」 地元(6月)

2021-06-25 19:40:46 | 快速、ホームライナー、団体列車

こんばんは  2021年6月25日の金曜日の夜でございます。

夏至をすぎましたがまだまだ日は長いです。

一週間お疲れ様でした  ステキな週末を。

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静岡のお茶と清水港の歴史 その十九 清水は波止場駅(写真はEF66 清水駅)

2021-06-25 12:03:30 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月24日の木曜日です。

表紙は東海道本線清水駅を通過するEF66は1092レ

1948年 「地図・空中写真閲覧サービス」より

明治41年(1908)5月

江尻新道(現 新清水)~清水波止場間鉄道の開通  先に貨物が、7月には旅客営業が開始されました。

(開業当時に松原駅が存在したかは不明)

現在の静岡鉄道「新清水駅」です  駅の位置は昔も今も変わっていないかと。

グルっと右カーブしていたと思われます。

奥に見えるは清水区役所  線路はこのあたりを(手前方向に)南下

松原駅はエスパルスドリームプラザ立体駐車場付近にあったようです。

港町、特に平日は大型トラックでにぎわいます。

エスパルスドリームプラザ南にある「浪漫館」付近に波止場駅がありました。

(フェルケール博物館展示)  昭和の波止場駅付近と思われます。

浪漫館の向かいにフェルケール博物館があります。

(フェルケール博物館展示)  昭和の始めころ、エスパルスドリームプラザあたりの様子。

港に着いた荷物は上屋と呼ばれる倉庫か鉄道貨車や馬力に積んで各地へ運搬されていった。

テルファーで陸揚げされた石炭は藁で作ったカマスに入れられ、馬力で運んでおります。

つづく。 

   

 

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東海道本線は豊田町駅近くの公園と211系(2021年6月)

2021-06-24 20:33:08 | 都会の風景

こんばんは  2021年6月24日の木曜日の夜でございます。

東海道本線は豊田町駅東側の公園脇、グランドゴルフで賑わう梅雨の中休み。

先週末の予報では雨が多かったのに、運動できて喜んでいるのかしら? 来週はどうでしょう?

大きく撮ってもいけないのでこれくらいに。 

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静岡のお茶と清水港の歴史 その十八 静岡鉄道 江尻新道-波止場(写真は静鉄A3000とタチアオイ)

2021-06-24 11:51:21 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月23日の水曜日です。

表紙は静岡鉄道A3006  100周年ラッピング車でしたが、その後長い間無地が続き心配していましたが

今春から「トヨタユナイテッド静岡」ラッピングになりホッとしました。

こちら7年前  清水七夕まつりは今年も中止、残念です。

(写真はイメージです)

清水港付近の鉄道の歴史

江戸時代から明治前期まで静岡清水間の陸上輸送は馬車や牛車、人力の荷車などが担っていました。

1948年「地図・空中写真閲覧サービス」より

明治32年(1899)清水港瓦解工場に指定されたことに呼応するように

静岡鉄道株式会社(現在の静岡鉄道株式会社とは異なる)が設立され

お茶の集積地であった静岡市の北番町付近から清水港への軽便鉄道

敷設工事が進められた。そして明治41年(1908)5月

江尻新道(現 新清水)~清水波止場間にて貨物の営業が開始されました。

(開業当時に松原駅が存在したかは私には・)  静岡~清水の鉄道はここから始まったようです。

(写真はイメージです)

同年7月1日には同区間の旅客営業も開始。 ちなみに新静岡~新清水間の開通は約半年後となります。

(フェルケール博物館展示) 輸出用茶箱  

(フェルケール博物館展示)  明治30年ころでしょうか。

箱や蘭字のデザインや印刷する会社も先述の茶町周辺に多かったようです。

つづく。

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2021年6月20日の東海道本線天竜川駅付近の青空

2021-06-23 21:05:00 | 都会の風景

こんばんは  2021年6月23日の水曜日です。

静岡県は今日から聖火リレーがスタートしました。あと2日あります、無事に繋がること祈っております。

撮影は20日の日曜日  東海道本線天竜川駅、駐車場利用のため南口へ。

気持ちの良い青空が広がっていると撮りたくなりますね。電車通るまでしばらく待ちました。

スマホでしたがなんとかなるものですね。

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静岡のお茶と清水港の歴史 その十七 静岡の外国商会(写真は静鉄A3000とタチアオイ)

2021-06-23 12:45:46 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月23日の水曜日です。

表紙は5月23日、静岡鉄道静岡清水線  日吉町-音羽町

線路際にタチアオイが咲き始めたのをニュースで知り向かいました。

今年もありがとうございます。 現在の咲き具合はどうでしょう。

タチアオイついでで5年前のを。

昔は夕方までいましたが、最近は撤収が早くて・

静岡のお茶と清水港の歴史

明治32年(1899)8月、開場港に指定され

明治39年(1906)5月、再製茶を初めてアメリカに直輸出

(フェルケール博物館展示)

清水港から茶の輸出が開始された後、横浜でおこなわれていた茶の再製(仕上げ)が

静岡でもおこなわれるようになり、茶の取引を担う「外国商会」が進出しました。

背景には江戸時代から茶町付近に集積所が存在し、市場としての需要があったこと、

清水港が近く(当時はそれなりに遠かったかも)にあり輸送費が安くすむこと、

横浜に比べて気候がよく、茶の品質を維持できたことがあげられます。

これらの茶を扱う外国商社が集まり、外国風の建物が相次いで建てられ

静岡市が国際的に発展していくきっかけとなりました。

2020年 「地図・空中写真閲覧サービス」より

今でいうと緑あたりと思われるが、建物は今も存在するのかな?

ということで赤印のボウリング場まで来たが らしき建物は見つからなかった・・残念。

あきらめて静岡駅へ戻る。

茶町通りを南進。 

駅近に「家康公の散歩道」だって   静岡市はいいね。

お堀沿いも聖火リレーコース、19時ころ駿府城東御門から駿府城公園内へ、夜はセレブレーションが開催されます。 

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EF210貨物列車 島田駅通過 (2021年6月 オマケは島田市聖火リレーコース)

2021-06-22 11:52:58 | EF200、210など 貨物列車

こんにちは  2021年6月22日の火曜日です。

表紙は今年6月、東海道本線は中西部の島田駅で下車。 

金網越しに昭和の香り漂う光景が! あくまで個人の感想です。

1060レかな? 

1975年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

昭和50年、もう46年も前ですか  赤印が表紙の撮影場所かと。

想像通り昔は貨物取扱駅で引込線も製紙工場まで伸びていました(今は無いと思うが)。

列車撮影後サイクリング開始(非電動、変速機無し 500円)

建物は染めもの屋さんか? ここも昭和感満載!水量も多い!大井川の恵みかな。

旧東海道を。

間もなく大井川 (写真の矢印は後で説明)

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」 は有名です。

江戸時代、船もなく、橋も架けられていない大井川を渡るには 人の手で川越しを手助けする「川越制度」が

設けられておりそのための施設が多くありました。(矢印も最後に説明)

旅人に川札(川越札・油紙 人足一人雇うために札一枚が必要)を販売した川会所や

川越人足の溜まり場だった番宿が建ち並び、往時の家並みが復元されております。

明日の夕方6時ころ、この場所はオリンピック聖火リレースタート地点となり、(さきほどの矢印)歴史を感じさせるコースを

島田市中心部「おび通り」まで走ります。   

ちなみに同日夕方4時ころは先日お邪魔した「ふじのくに茶の都ミュージアム」付近、お茶どころを走ります。

今日気がついたのですが、聖火リレーは島田市中心部「おび通り」到着からその15分後

静岡浅間神社をスタートするようです・

雨が降らないこと祈っております。  「いいね!」押してくださりありがとうございます。

 

 

 

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