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静岡のお茶と清水港の歴史 その十八 静岡鉄道 江尻新道-波止場(写真は静鉄A3000とタチアオイ)

2021-06-24 11:51:21 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月23日の水曜日です。

表紙は静岡鉄道A3006  100周年ラッピング車でしたが、その後長い間無地が続き心配していましたが

今春から「トヨタユナイテッド静岡」ラッピングになりホッとしました。

こちら7年前  清水七夕まつりは今年も中止、残念です。

(写真はイメージです)

清水港付近の鉄道の歴史

江戸時代から明治前期まで静岡清水間の陸上輸送は馬車や牛車、人力の荷車などが担っていました。

1948年「地図・空中写真閲覧サービス」より

明治32年(1899)清水港瓦解工場に指定されたことに呼応するように

静岡鉄道株式会社(現在の静岡鉄道株式会社とは異なる)が設立され

お茶の集積地であった静岡市の北番町付近から清水港への軽便鉄道

敷設工事が進められた。そして明治41年(1908)5月

江尻新道(現 新清水)~清水波止場間にて貨物の営業が開始されました。

(開業当時に松原駅が存在したかは私には・)  静岡~清水の鉄道はここから始まったようです。

(写真はイメージです)

同年7月1日には同区間の旅客営業も開始。 ちなみに新静岡~新清水間の開通は約半年後となります。

(フェルケール博物館展示) 輸出用茶箱  

(フェルケール博物館展示)  明治30年ころでしょうか。

箱や蘭字のデザインや印刷する会社も先述の茶町周辺に多かったようです。

つづく。

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