増田都子教諭の分限免職取消訴訟は3月5日(木)午後1時10分から東京地裁705号で結審する予定だ。免職のそもそもの原因は2005年の「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件だった。そこで増田教諭の九段中学での社会科授業はいったいどんなものだったのか紹介したい。
生徒の意見感想には大人でも立派な意見が多い。
まず当時の千代田区立九段中学の状況を説明し、2年の4月にどのように紙上討論を導入したのか紹介する。
2008年5月の都庁第二庁舎前ビラ撒き
1 九段中学での教育の背景
1 増田教諭が担当した授業と生徒
増田都子教諭は、2004年の2年前期は地理的分野を、10月18日(月)からの後期は歴史的分野を教え、この学年を持ち上がって2005年の3年夏休み前まで公民的分野の憲法(自由権・平等権)を教えた。
2年後期に歴史的分野を教える指導計画にしたのは、3年の公民的分野の初めに学ぶ憲法学習にスムーズにつなげる意図からである。歴史的分野の最後に近現代史が登場するが、近現代史は「侵略と植民地支配」の歴史であり、その反省のうえで作られたのが現行憲法なのであり、近現代史は憲法史ともいえるからである。
増田教諭が担当した千代田区立九段中学校(以下、九段中学)の生徒は、3クラス、合計114人である。
なお九段中学は2006年4月の九段中等教育学校開校にともない、この学年の生徒の卒業と同時に2006年3月に廃校になった。すなわちこの学年は九段中学最後の卒業生であった。
2 生徒を取り巻く社会的背景
2004年から2005年がどういう時期であったのか、生徒を取り巻く社会的背景として知る必要がある。
2003年3月開戦したイラク戦争に、日本も2004年1月9日陸上自衛隊と航空自衛隊にイラク派遣命令決定、4月8日イラクで日本人3人が人質になるがその後無事解放(4.15)、日本人ジャーナリスト橋田信介さんと小川功太郎さんがが襲撃され死亡(5.27)、米調査団がイラクの「大量破壊兵器」の存在・計画なしと最終報告(10.6)、とイラクでの戦争が世界の問題になっていた。
一方、北朝鮮関係では、2004年5月22日および7月18日、拉致被害者・蓮池、地村、曽我さんの家族が帰国、2005年2月北朝鮮が核保有認める、などのニュースが大きな話題となった。また2003年と04年に4回放映された「冬のソナタ」がブレークし韓流ブームが起きるなど、隣国、韓国・北朝鮮への関心が高まっていた。
また歴史問題では、2005年が敗戦60周年の節目の年で、韓国、中国との歴史認識問題が深刻化していた(例 2005年3月竹島問題(=独島問題、島根県議会が「竹島の日を定める条例」を制定)から韓国で反日運動、2005年3月~4月小泉首相の靖国神社参拝、日本の国連安保理常任理事国入り反対などで広州、北京、上海など中国の各都市で反日デモ)。
歴史教科書に関して、2001年に検定合格した扶桑社の歴史教科書は採択率が0.09%に留まったため、新しい歴史教科書をつくる会が「リベンジ」をかけ2005年夏の全国一斉採択での10%採択を目標に国民的大運動を繰り広げていた。2004年6月に「国会議員・地方議員合同シンポジウム」の開催、7月に採択対策本部を設置し、パンフを9月から2カ月で15万部配布、2005年3月から各県議会で意見書採択、4月から全国縦断シンポジウムを開催するなどである。またこれより先の2004年4月「これで良いのか、日本の教科書」国民集会の決議として1982年の「近隣諸国条項」削除要望を採択し、55万人署名とともに河村文科相に提出した。
こうした動きに呼応した土屋たかゆき(民主・板橋選出)ら3人の都議の働きかけにより、東京都教育委員会は2004年3月31日、式典での国旗国歌を強制する2003年10.23通達に違反したとして都立高校教員などを大量処分(第一次処分 171人 その後も処分が続き2008年12月現在累計被処分者410人)、3月24日には板橋高校の藤田勝久・元教員を卒業式問題で刑事告訴した。なお分限免職理由のひとつである古賀俊昭都議(自民・日野選出)の「侵略戦争云々というのは、私は全く当たらないと思います。日本は一体どこを、いつ侵略したのか」という発言が飛び出したのは、2004年10月26日国旗・国歌強制問題に関する都議会文教委員会でのことだった。
すなわち、2004~2005年は、イラク戦争への自衛隊派遣で戦争を身近に感じられ、中国・韓国との摩擦が強まり、国内では右翼的な運動や都教委の強圧的な姿勢がいっそう明確になった時期に当たる。
3 1997~98年の足立区立第十六中学校(以後、足立十六中学)と2004~05年の九段中学との違い
足立十六中学での紙上討論については2007年の「紙上討論とはどんな授業か」で分析したので、九段中学との環境の違いを記しておく。
(1)九段中学は都教委の帰国子女受け入れ指定校であり、114人のこの学年のうち10人程度(すなわち10%)が帰国子女であった。幼少のころに海外在留体験をもつ生徒を含めればさらに増える。また在日韓国人の生徒が在籍していた。都心に位置しており、フィリピン大使館公邸、インド大使館、イタリア文化会館など外国施設があり、平均的な中学生以上に異文化との交流体験がある。
(2)靖国神社まで400~500mの至近距離に位置し、生徒たちは右翼団体の街頭宣伝を日常的に耳にしていた。
(3)改訂学習指導要領(1998年告示 2002年4月施行))で「ゆとり教育」が実施され、それまで年間120時間だった社会科の授業が1、2年は週3時間×35週で105時間、3年生は週2.5時間(前期週3時間、後期週2時間)×35で87時間と減り、紙上討論授業をする余裕はますます減っていた。
2 九段中学での紙上討論授業
増田教諭が創意と工夫をこらした特色ある授業は紙上討論だが、この授業の目的は「多様な意見を発表し合い、他者と対等に意見交換しながら、良く考え判断し、自分の言葉で自分なりの意見を作り上げ表現していくことのできる生徒を支援していくこと」(紙上討論?の「先生からのコメント」)である。
自分の意見を発表することや自分の意見を文章にすることが苦手な生徒は多くいる。そこで増田教諭は、2004年4月8日の2年生最初の授業で「社会科自己紹介」として、「興味深い国・マイナスイメージのある国」を書かせ、翌日プリントにして読みながら、教材プリント世界白地図に「興味深い国・マイナスイメージのある国」に挙がった国を記入させ、感想を書かせることから始めた。
「興味のある国、行ってみたい国」で挙がったのは、たとえばアメリカ(スポーツが盛ん。イラク戦争への対応をどうするのかが楽しみ。どんな国か。日本よりゲームの発売が早い。NBAやメジャーリーグの試合を見たい。映画やマンガや機械など、たくさんの代表的なものが生まれているから。ラスベガスのカジノであそびたい。でっかいハンバーガーを食べたい。おもしろそう。昔の友達がいる。テロが起きてるから。かっこいい)など47カ国(地域)であり、「マイナス・イメージのある国」で挙がったのは、たとえば北朝鮮(全てがキム・ジョンイルだから。らち。いい感じの国ではない、テレビで見るかぎり。問題や事件が多いし、危険だから。亡命するような人がいるくらいの国だから。らちやら核やら、イヤガラセばかりやっているから。飢えて死んでしまいそうな人もいるし、夜は電気もついてない、軍人ばかりが良い生活をしていて、他の人は汚い水を飲み、身体を壊しても病院へ行けないし、小さい子どもが生まれても母親が栄養をとれなくて、子どもが栄養をとれずに死んでしまうかもしれない。こんな国は嫌いです。(略))など11カ国であった。
これをプリントにして配布し、生徒が書いた意見を、4月12日に行った紙上討論?からピックアップする。他人の意見を読み、自分が考えた感想意見が並んでいる。(A,B,Cはクラス名を示す。以下同様)
A●「マイナス・イメージのある国」のところは、やっぱり日本とかかわりのあるアメリカ・イラク・北朝鮮などが多かったのは、「ニュースでも戦争の話が、たくさん取り上げられているからかな?」とおもいました。「興味ある国」のところは、みんなそれぞれ自分の趣味や好きなことが有名な国を挙げていたので、「すごい良く知ってるな」と驚きました。
みんなは、たくさんの国を知っていて、その国の中のことまで深く知っていたので、びっくりしました。
●「グレートブリテンおよび北部アイルランド王国」などは、名前が長くて読むのがたいへんでした!?
●みんなの、いろんな国について書いてあるのを読んで、悪いイメージを持っていた国も、よいところがあることも分かりました。
●たくさんの国を知って「そんな国だったのか」と思ったり、実際はどうなのか「自分の目で見てみてみたいな」と思うことがたくさんありました。
B●私は、アメリカと北朝鮮について考えてみました。アメリカ派「興味ある国・行って見たい国」のプラス・イメージでけっこう書く人がいたのに、逆に「マイナス・イメージのある国」でも2番目に多い。でも、やはり、両方ともテロのことはのっていました。たぶん、アメリカのテロに対する行動に、興味を持った人と、それを良く思わない人がいたんだと思います。
北朝鮮については、一言で言って、私は軍国主義のイメージです。何をしたいのかが分からない。みんなも、そういう思いで、マイナスイメージのことを書いたのだと思います。でも、誰かから聞いた話では、昔、日本も、このような国だったとかで・・・このような国も少しずつ直っていき、平和な国になればいいと思いました。みんなの意見を聞くことができて、改めて、いろいろなことを考えさせられました。
●アメリかには「行きたい」と「行きたくない」という二種類の意見があります。もともと日本人はアメリカにあこがれを持っている人が多いのですが、この間のイラク戦争などでイメージが変った人も多いと思います。ですが、考えてみると、それは、ほとんどがブッシュ大統領のせいだと分かります。自分の国の兵力が強いからといって、すぐに戦争という選択肢に結びついてしまう、ということがいけません。日本も、これから、アメリカに従っているだけでなく、ちゃんと前向きに検討してほしいです。
C●北朝鮮について「核やら、らちやら、イヤガラセばかりやってる」と考えるのは、まちがっていると思う。少なくとも北朝鮮のTOPにとっては意味があるのだと思う。そう考える理由としては以下が考えられる。
・昔からの、日本が朝鮮を植民地化したことに対する怒り、反日感情。
・中国以外に国交が開けていない。
・文化を求めて。
・日本国政府に援助金を求めようとしている。
・核兵器保持を全世界に示したい。
このように生徒の興味・関心のレベルに合わせたテーマを選び、「自分の言葉で自分なりの意見を作り上げる」トレーニングを始めている。スムーズな導入をねらっていたことがわかる。
その後、地理学習でビデオ『劣化ウラン弾の恐怖』『普天間第二小』を見て9月と12月に2回紙上討論を実施している。
次回は、歴史学習の授業の紙上討論の様子を見る。
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生徒の意見感想には大人でも立派な意見が多い。
まず当時の千代田区立九段中学の状況を説明し、2年の4月にどのように紙上討論を導入したのか紹介する。
2008年5月の都庁第二庁舎前ビラ撒き
1 九段中学での教育の背景
1 増田教諭が担当した授業と生徒
増田都子教諭は、2004年の2年前期は地理的分野を、10月18日(月)からの後期は歴史的分野を教え、この学年を持ち上がって2005年の3年夏休み前まで公民的分野の憲法(自由権・平等権)を教えた。
2年後期に歴史的分野を教える指導計画にしたのは、3年の公民的分野の初めに学ぶ憲法学習にスムーズにつなげる意図からである。歴史的分野の最後に近現代史が登場するが、近現代史は「侵略と植民地支配」の歴史であり、その反省のうえで作られたのが現行憲法なのであり、近現代史は憲法史ともいえるからである。
増田教諭が担当した千代田区立九段中学校(以下、九段中学)の生徒は、3クラス、合計114人である。
なお九段中学は2006年4月の九段中等教育学校開校にともない、この学年の生徒の卒業と同時に2006年3月に廃校になった。すなわちこの学年は九段中学最後の卒業生であった。
2 生徒を取り巻く社会的背景
2004年から2005年がどういう時期であったのか、生徒を取り巻く社会的背景として知る必要がある。
2003年3月開戦したイラク戦争に、日本も2004年1月9日陸上自衛隊と航空自衛隊にイラク派遣命令決定、4月8日イラクで日本人3人が人質になるがその後無事解放(4.15)、日本人ジャーナリスト橋田信介さんと小川功太郎さんがが襲撃され死亡(5.27)、米調査団がイラクの「大量破壊兵器」の存在・計画なしと最終報告(10.6)、とイラクでの戦争が世界の問題になっていた。
一方、北朝鮮関係では、2004年5月22日および7月18日、拉致被害者・蓮池、地村、曽我さんの家族が帰国、2005年2月北朝鮮が核保有認める、などのニュースが大きな話題となった。また2003年と04年に4回放映された「冬のソナタ」がブレークし韓流ブームが起きるなど、隣国、韓国・北朝鮮への関心が高まっていた。
また歴史問題では、2005年が敗戦60周年の節目の年で、韓国、中国との歴史認識問題が深刻化していた(例 2005年3月竹島問題(=独島問題、島根県議会が「竹島の日を定める条例」を制定)から韓国で反日運動、2005年3月~4月小泉首相の靖国神社参拝、日本の国連安保理常任理事国入り反対などで広州、北京、上海など中国の各都市で反日デモ)。
歴史教科書に関して、2001年に検定合格した扶桑社の歴史教科書は採択率が0.09%に留まったため、新しい歴史教科書をつくる会が「リベンジ」をかけ2005年夏の全国一斉採択での10%採択を目標に国民的大運動を繰り広げていた。2004年6月に「国会議員・地方議員合同シンポジウム」の開催、7月に採択対策本部を設置し、パンフを9月から2カ月で15万部配布、2005年3月から各県議会で意見書採択、4月から全国縦断シンポジウムを開催するなどである。またこれより先の2004年4月「これで良いのか、日本の教科書」国民集会の決議として1982年の「近隣諸国条項」削除要望を採択し、55万人署名とともに河村文科相に提出した。
こうした動きに呼応した土屋たかゆき(民主・板橋選出)ら3人の都議の働きかけにより、東京都教育委員会は2004年3月31日、式典での国旗国歌を強制する2003年10.23通達に違反したとして都立高校教員などを大量処分(第一次処分 171人 その後も処分が続き2008年12月現在累計被処分者410人)、3月24日には板橋高校の藤田勝久・元教員を卒業式問題で刑事告訴した。なお分限免職理由のひとつである古賀俊昭都議(自民・日野選出)の「侵略戦争云々というのは、私は全く当たらないと思います。日本は一体どこを、いつ侵略したのか」という発言が飛び出したのは、2004年10月26日国旗・国歌強制問題に関する都議会文教委員会でのことだった。
すなわち、2004~2005年は、イラク戦争への自衛隊派遣で戦争を身近に感じられ、中国・韓国との摩擦が強まり、国内では右翼的な運動や都教委の強圧的な姿勢がいっそう明確になった時期に当たる。
3 1997~98年の足立区立第十六中学校(以後、足立十六中学)と2004~05年の九段中学との違い
足立十六中学での紙上討論については2007年の「紙上討論とはどんな授業か」で分析したので、九段中学との環境の違いを記しておく。
(1)九段中学は都教委の帰国子女受け入れ指定校であり、114人のこの学年のうち10人程度(すなわち10%)が帰国子女であった。幼少のころに海外在留体験をもつ生徒を含めればさらに増える。また在日韓国人の生徒が在籍していた。都心に位置しており、フィリピン大使館公邸、インド大使館、イタリア文化会館など外国施設があり、平均的な中学生以上に異文化との交流体験がある。
(2)靖国神社まで400~500mの至近距離に位置し、生徒たちは右翼団体の街頭宣伝を日常的に耳にしていた。
(3)改訂学習指導要領(1998年告示 2002年4月施行))で「ゆとり教育」が実施され、それまで年間120時間だった社会科の授業が1、2年は週3時間×35週で105時間、3年生は週2.5時間(前期週3時間、後期週2時間)×35で87時間と減り、紙上討論授業をする余裕はますます減っていた。
2 九段中学での紙上討論授業
増田教諭が創意と工夫をこらした特色ある授業は紙上討論だが、この授業の目的は「多様な意見を発表し合い、他者と対等に意見交換しながら、良く考え判断し、自分の言葉で自分なりの意見を作り上げ表現していくことのできる生徒を支援していくこと」(紙上討論?の「先生からのコメント」)である。
自分の意見を発表することや自分の意見を文章にすることが苦手な生徒は多くいる。そこで増田教諭は、2004年4月8日の2年生最初の授業で「社会科自己紹介」として、「興味深い国・マイナスイメージのある国」を書かせ、翌日プリントにして読みながら、教材プリント世界白地図に「興味深い国・マイナスイメージのある国」に挙がった国を記入させ、感想を書かせることから始めた。
「興味のある国、行ってみたい国」で挙がったのは、たとえばアメリカ(スポーツが盛ん。イラク戦争への対応をどうするのかが楽しみ。どんな国か。日本よりゲームの発売が早い。NBAやメジャーリーグの試合を見たい。映画やマンガや機械など、たくさんの代表的なものが生まれているから。ラスベガスのカジノであそびたい。でっかいハンバーガーを食べたい。おもしろそう。昔の友達がいる。テロが起きてるから。かっこいい)など47カ国(地域)であり、「マイナス・イメージのある国」で挙がったのは、たとえば北朝鮮(全てがキム・ジョンイルだから。らち。いい感じの国ではない、テレビで見るかぎり。問題や事件が多いし、危険だから。亡命するような人がいるくらいの国だから。らちやら核やら、イヤガラセばかりやっているから。飢えて死んでしまいそうな人もいるし、夜は電気もついてない、軍人ばかりが良い生活をしていて、他の人は汚い水を飲み、身体を壊しても病院へ行けないし、小さい子どもが生まれても母親が栄養をとれなくて、子どもが栄養をとれずに死んでしまうかもしれない。こんな国は嫌いです。(略))など11カ国であった。
これをプリントにして配布し、生徒が書いた意見を、4月12日に行った紙上討論?からピックアップする。他人の意見を読み、自分が考えた感想意見が並んでいる。(A,B,Cはクラス名を示す。以下同様)
A●「マイナス・イメージのある国」のところは、やっぱり日本とかかわりのあるアメリカ・イラク・北朝鮮などが多かったのは、「ニュースでも戦争の話が、たくさん取り上げられているからかな?」とおもいました。「興味ある国」のところは、みんなそれぞれ自分の趣味や好きなことが有名な国を挙げていたので、「すごい良く知ってるな」と驚きました。
みんなは、たくさんの国を知っていて、その国の中のことまで深く知っていたので、びっくりしました。
●「グレートブリテンおよび北部アイルランド王国」などは、名前が長くて読むのがたいへんでした!?
●みんなの、いろんな国について書いてあるのを読んで、悪いイメージを持っていた国も、よいところがあることも分かりました。
●たくさんの国を知って「そんな国だったのか」と思ったり、実際はどうなのか「自分の目で見てみてみたいな」と思うことがたくさんありました。
B●私は、アメリカと北朝鮮について考えてみました。アメリカ派「興味ある国・行って見たい国」のプラス・イメージでけっこう書く人がいたのに、逆に「マイナス・イメージのある国」でも2番目に多い。でも、やはり、両方ともテロのことはのっていました。たぶん、アメリカのテロに対する行動に、興味を持った人と、それを良く思わない人がいたんだと思います。
北朝鮮については、一言で言って、私は軍国主義のイメージです。何をしたいのかが分からない。みんなも、そういう思いで、マイナスイメージのことを書いたのだと思います。でも、誰かから聞いた話では、昔、日本も、このような国だったとかで・・・このような国も少しずつ直っていき、平和な国になればいいと思いました。みんなの意見を聞くことができて、改めて、いろいろなことを考えさせられました。
●アメリかには「行きたい」と「行きたくない」という二種類の意見があります。もともと日本人はアメリカにあこがれを持っている人が多いのですが、この間のイラク戦争などでイメージが変った人も多いと思います。ですが、考えてみると、それは、ほとんどがブッシュ大統領のせいだと分かります。自分の国の兵力が強いからといって、すぐに戦争という選択肢に結びついてしまう、ということがいけません。日本も、これから、アメリカに従っているだけでなく、ちゃんと前向きに検討してほしいです。
C●北朝鮮について「核やら、らちやら、イヤガラセばかりやってる」と考えるのは、まちがっていると思う。少なくとも北朝鮮のTOPにとっては意味があるのだと思う。そう考える理由としては以下が考えられる。
・昔からの、日本が朝鮮を植民地化したことに対する怒り、反日感情。
・中国以外に国交が開けていない。
・文化を求めて。
・日本国政府に援助金を求めようとしている。
・核兵器保持を全世界に示したい。
このように生徒の興味・関心のレベルに合わせたテーマを選び、「自分の言葉で自分なりの意見を作り上げる」トレーニングを始めている。スムーズな導入をねらっていたことがわかる。
その後、地理学習でビデオ『劣化ウラン弾の恐怖』『普天間第二小』を見て9月と12月に2回紙上討論を実施している。
次回は、歴史学習の授業の紙上討論の様子を見る。
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